夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『寒の内』の時節を迎えて、都心の郊外は冬麗の季節の到来、とプラス思考の私は微笑み・・。

2021-01-06 09:14:12 | ささやかな古稀からの思い
昨日の朝、ぼんやりとカレンダーを見ると『小寒(しょうかん)』と明記されていた。

1月6日の『小寒』は古来より、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、その後の1月20日は『大寒(だいかん)』を迎えて、
一年で最も寒い時期と伝えられている。

そして『小寒』から『大寒』までの15日間、
その後の『大寒』から2月3日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。

『寒の内』と称せられる『小寒』、『大寒』そして『立春』までの時節は、
旧暦であるので、今の暦(こよみ)に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、
私の住む東京の郊外の調布市の地域でも、寒い時節となる。


私はこの地域に生家も近くにあり、結婚前後5年間を除き、
早や71年ばかり住んでいる。



私は農家の児として育ち、遥か70年前の頃は、この冬の時節に30センチ前後の雪が降っていた。




1951年〈昭和26年〉の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。

ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、ときおり風が吹き、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

そして駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、一キロぐらいで、

学童の身としては15分程度の村道を歩いていた。

この時の村道も雪かきもされていないのが殆どであったので、
祖父、父の知人の畑も雪に埋もれて、少し吹雪いていたが一直線に畑の上を歩いて登校した。

この当時の小学校は、木造の二階建てであり、

教室の片隅にあった木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)があったりした。

こうした中、この当時のこの地域の村立小学校に於いては、
コークスはもとより、石炭も使用される前の時代であったので、
正方形の中心に簡易に造ったブリキの中で、炭を熾(おこ)してあるか、

薪(まき)が燃やされていた。

私たち学童は、この木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)を囲みながら、
衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。

そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と互いに悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、私も番傘でチャンバラの真似事をし、番傘の数箇所が破れ、

帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。

        

その後、1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。

やがて1964年〈昭和39年〉に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
          
こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。


そして5年前の頃まで、舞い降る雪の旅路を幾たびも重ねてきた・・。



もとより積雪の多い地域に御住まいの御方は、
雪の除雪、通勤、通学、買物などの日常生活は、過酷な冬の季節となる
と3人の知人から学んできたが、
私たちの場合は、あくまで遊学の旅路であるので、ご容赦を願いたい。
        
      

ここ2週間に於いても、どんよりとした曇り空の中、ときおり北風が強く吹く日は、
少し寒いじゃないのと思いながら防寒服を着て、手袋をしたりした・・。

そして私は歩きながら、何かと単細胞の私は、
♪春は名のみの風の寒さや・・
かぼそい声で『早春賦(そうしゅんふ)』の歌を唄ったりした。

しかしながら天上の気候の神々のきまぐれな采配より、
ときには南風に乗って暖気が運ばれて、陽射しは燦燦と、風もなく、
冬晴れの日中となり、平年より5度ぐらい暖かく、戸惑いながら微笑んだりしてきた。

こうした三寒四温に高齢者の私は戸惑いながら、家内より、幾たびも教えられてきた、
寒い時節は暖かさが何よりのごちそうです・・と思い浮かべて、微笑んだりした。

この後、朝のひととき、地元の天気情報を視聴していたら、
朝の6時は3度で寒い朝を迎えましたが、昼下がり12度前後の平年より暖かな日となり、
冬晴れのおだやかな日中となります、と報じられていた。

          
      
このように毎年、3月中旬のような暖かい日もあれば、平年より寒い日もあり、
やがて女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、三寒四温の時節でもある。

          

          

          

          

私は午後の大半を冬眠のように読書をしたり、
午前中の散策の時には日本水仙、福寿草、椿(ツバキ)、或いは白梅に励まされながら、

冬麗の美を心の友と私は思いながら、年金生活の冬の季節を16年ばかり過ごしたりしてきた。



          

このようなことを思い馳せたりした・・。

そして私は、いつものように買物メール老ボーイの身であるので、
ご近所の奥様方に恥ずかしくないように清潔感のある容姿に着替えて、
家内から依頼された品を求めて、スーパーに行ったりしている。




やがて買物を終えた後、自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりしているが、
新コロナの烈風により、人影の少ない処は・・、

と思案し、選定して散策したりしている。
コメント (2)
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