昨日、我が家の近くにある明照院を散策した時、
この中で、美人の神様と称せられている観音堂に祀ってある弁財天がある。

こうした中で、この横に掲げられていた格言を突然に思いだされた・・。

私は恥ずかしながら齢ばかり重ねた身で、このように達観できず、
少しは出来るように致しますから・・
勘弁して下さい、と微苦笑したりした。
そして帰路、独りトボトボと歩きながら、ひとつの格言が思いだされた・・。
醜いことは、他人の生活をうらやむこと、
尊いことは、奉仕して恩に着せぬこと、
素晴しいことは、感謝の念を忘れぬこと
確か福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)さんの遺(の)こされたひとつの名言と記憶している。
もとより福澤諭吉さんは、天保5年12月(1835年1月)に生を受けられ、
亡くなわれる明治34年(1901年)2月までは、月3日)は、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者となり、
慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、
そして伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力されたりした。
更に新聞『時事新報』の創刊者であり、東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務め、
こうした業績を元に明治六大教育家として列される御方である。
私は大学を中退し、やがて民間の中小業の会社でサラリーマンをしてきた身とは、
まさに天と地の差は歴然としている。
まして私が大切にしている一万円札の表面には、この御方の肖像が掲げられ、
私からすれば、地に伏して見上げるような御方でもある。

こうした御方の名言には、少しは理解できるが、
実行となれば、恥ずかしながら遠いのが実情となっている。
つたない私は、時折とりとめなく、こうしたことも思い馳せたりして、
こっそりと溜息をしたりしている。
この中で、美人の神様と称せられている観音堂に祀ってある弁財天がある。

こうした中で、この横に掲げられていた格言を突然に思いだされた・・。

私は恥ずかしながら齢ばかり重ねた身で、このように達観できず、
少しは出来るように致しますから・・
勘弁して下さい、と微苦笑したりした。
そして帰路、独りトボトボと歩きながら、ひとつの格言が思いだされた・・。
醜いことは、他人の生活をうらやむこと、
尊いことは、奉仕して恩に着せぬこと、
素晴しいことは、感謝の念を忘れぬこと
確か福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)さんの遺(の)こされたひとつの名言と記憶している。
もとより福澤諭吉さんは、天保5年12月(1835年1月)に生を受けられ、
亡くなわれる明治34年(1901年)2月までは、月3日)は、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者となり、
慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、
そして伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力されたりした。
更に新聞『時事新報』の創刊者であり、東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務め、
こうした業績を元に明治六大教育家として列される御方である。
私は大学を中退し、やがて民間の中小業の会社でサラリーマンをしてきた身とは、
まさに天と地の差は歴然としている。
まして私が大切にしている一万円札の表面には、この御方の肖像が掲げられ、
私からすれば、地に伏して見上げるような御方でもある。

こうした御方の名言には、少しは理解できるが、
実行となれば、恥ずかしながら遠いのが実情となっている。
つたない私は、時折とりとめなく、こうしたことも思い馳せたりして、
こっそりと溜息をしたりしている。