夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

映画『シェーン』を鑑賞し、私の遠い昔の時代に、思いを馳せたりし・・。

2011-07-13 23:40:37 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昼下がりのひととき、居間で映画作品棚の中から、『シェーン』のビデオテープを取りだして、
鑑賞した・・。

もとよりジョージ・スティーヴンス 監督の作品で、昭和28(1953)年に初めて公開されたが、
私は後年の高校時代の終りの頃に、リバイバル興行として上映されたのを、
下校の帰路に、映画館に寄って初めて観たひとりである。

この作品が日本で初めて上映されたのは、確か昭和28(1953)年を過ぎた頃、
私は小学3年生の頃から、ひとりで映画館に行き、東映の時代劇を観はじめていた頃てあった。
この当時の私の住む近くの大きな町の映画館は、
週間ニュース、予告編などが上映されたり、
本編の合間、スクリーンの脇にあったきらびやかな厚手のカーテンが動き、そしてスクリーンは閉じられて、
華やかな銀幕となった情景となり、音楽が流れていたのである。

こうした中、雪村いづみの『遥かなる山の呼び声』、『青いカナリア』などの唄声が流れ、
本編の映画に期待を膨らましながら、
少年なりに華やかな都会のお姉さんの唄声の匂いを感じていたのである・・。

後年の高校生になった頃、『遥かなる山の呼び声』は映画『シェーン』の主題歌だった、
と遅ればせながら知ったのである。

その後、映画『シェーン』を真摯に観たのであるが、
主役のアラン・ラッドより、悪役のジャック・パランスに圧倒的に魅了されたりした。

この前後の時代は、映画館に於き、リバイバルを含め西部劇だけでも数多く上映されていた。
『駅馬車』、『荒野の決闘』、『真昼り決闘』、『大いなる西部』、
『OK牧場の決斗』、『リオ・ブラボー』、『アラモ』など満天の星空のように上映され、
私は高校の下校の時、日比谷とか新宿の映画館で観たりしていた・・。


今回、映画『シェーン』を45年以上振りに観賞したのであるが、
あのようなシーン、セリフがあったのかしら、と微苦笑させられたのである。

もとより私の青春期からサラリーマンの時代、そして年金生活の現在まで月日が過ぎているので、
忘れ去ることも多いが、やはり名作のひとつは、この齢になっても、
教示させられることがある。
そして、この作品は昭和28(1953)年の少し前に、
アメリカであの当時、西部劇のゆうしゅうが制作されたことに思いを重ねたりしたのである。

私は、ジョージ・スティーヴンスの遺〈のこ〉された作品は、
『陽のあたる場所(1951年)』、 『シェーン(1953年)』、 『ジャイアンツ(1956年)』、
『アンネの日記(1959年)』 、『偉大な生涯の物語(1965年)』とたった五本の作品しか鑑賞していないが、
最良の作品は『陽のあたる場所(1951年)』であり、
完成度が未熟であるが好きな作品としては『ジャイアンツ(1956年)』である。
しかし、あの時代に制作された『シェーン(1953年)』は名作と感じている。


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『世の中を 美しと見し 簾かな 』と名句、私は朝涼(あさすず)のひとときに思い浮かべ・・。

2011-07-13 14:40:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
東京の郊外は、雲はぽっかりと幾重かは浮かんでいるが快晴の夏空を迎えている。

日中は昨日と同様に33度前後の真夏日となっている。

この時節、我が家では、簾〈すだれ〉を各部屋に掛けている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾〈すだれ〉とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾〈すだれ〉としている。

朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾〈すだれ〉にして、風を通したりしている。

私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
或いはソファーに座り、庭を眺めたりする時、ほのかな暗さを通して、
樹木、草花が涼しげに見えるのである。

先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきたことを思い浮かべたりしていた・・。


     世の中を 美しと見し 簾かな

                     作者・上野 泰


この句は、私が定年後に長谷川櫂〈はせがわ・かい〉氏の著作された本より導かれて、
初めて知ったひとつ句である。

氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。

《・・
陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。
・・》

詠(よ)まれた俳人・上野 泰 〈うえの・やすし〉氏は、
1918〈大正7〉年に生を受け、1973〈昭和48〉年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、
遥か彼方の古人の女人たちへの情念、そして愛惜を深く感じたりしている。

私は庭の樹木、夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさ、ときおり言葉を重ねる顔立ちに、
思いを馳(は)せたりしている。


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『ペットボトル症候群』、恥ずかしながら私は初めて学び、微苦笑させられ、そして・・。

2011-07-12 22:11:06 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ネットを見ていて、

《 ペットボトル症候群に注意 》

と題されたひとつの記事に、目が留まってしまった・・。

恥ずかしながら、私は『ペットボトル症候群』という言葉が無知であったので、
思わず、何のことなの、と思いながらクリックした。

そして、この記事は、産経新聞の基幹ネットのビジネス情報【Sankei Biz】の中で、
《暮らし》コーナーのひとつの記事と解り、
田野陽子・記者の綴られたワン理kを見たりして、
配信されたひとつの記事を見て、思わず微苦笑させられたのである。

《・・
       ペットボトル症候群に注意 「絶えず糖分意識して」

節電のためエアコンの使用を控えていると、冷たい飲み物をたくさん飲みたくなる。
ただ、糖分の多い清涼飲料水を大量に飲み続けていると、
急激に血糖値が上がる「ペットボトル症候群」に陥る危険性がある。

近年、若年層を中心に患者が年々増えているが、まだ認知度は低いまま。
専門家は「今年は特に夏場の水分の取り方に気をつけてほしい」と注意を呼びかけている。
・・》

http://www.sankeibiz.jp/econome/news/110712/ecb1107120955000-n1.htm
☆【Sankei Biz】<== 《暮らし》 ペットボトル症候群に注意 「絶えず糖分意識して」☆


私は清涼飲料水に関して、このように糖分の多いことも初めて知り、
飲みすぎると、急激に血糖値が上がる、と学び驚いたりした。

私が2004(平成16)年に定年退職後は、家に居ることが多いので、
この熱い季節に於いては、家内が買い求めてきた冷茶用の1リットル前後のポットに、
煎茶を多めに入れた後、水道水を入れて、冷蔵庫で保管する簡略方法としている。

こうした日常生活で私は、大き目の湯呑茶碗で、この時節は7杯前後は飲んだりしているが、
アイス・コーヒーも煎茶の成功体験もあり、今年から同様としている。

コーヒーに関しては、手軽なインスタントのゴールド・ブレンドを少なくとも35年ばかり愛飲しているが、
アイスに限り、水に溶けやすいエクストラとし、
多少のコーヒーの香りと濃い味でブラックで飲めれば、私は充分と思いながら、
エクストラを多めに入れた後、水道水を入れて、冷蔵庫で保管する簡略方法としている。


このような安易な方法で、お盆にリード・ペーパーを敷いて、
冷茶は大き目の湯呑茶碗、
アイス・コーヒーはグラスに氷を6つばかり入れ、ストローを差して、
この2種類の冷たい飲み物を、居間にあるパソコンの置いてある少し大きめ机の脇、
或いは食卓用の大きなテーブルに置いたりしている。

外出で駅前に出たりする時は、
煙草の喫えるコーヒー・ショップの『ドトール』を殆ど利用しているが、
Lサイズのアイス・コーヒーにガム・シロップをひとつだけ入れて、
飲んだりしている。

そして、遊歩道、公園の散策、国内旅行先に於いては、
ペットボトルで伊藤園の『お~いお茶 濃い味』を愛飲している。


このような生活をしているが、今回の《 ペットボトル症候群に注意 》の記事を読み終わった後、
昨年の秋に健康診断で糖尿病と診断され、その後は食事内容を大幅に改善し、
ウォーキングなども取れいれて、何とか半年で正常値に取り戻した私としては、
『ドトール』で飲むアイス・コーヒーは、ガム・シロップを入れるのをやめて、
家の中で飲むと同様に、ブラックにしょうかしら、と微苦笑をしている。


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猛暑の時は、冬の寒さを思い馳せよ、と高齢者の私は奮〈ふる〉いたせても・・。

2011-07-12 10:08:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過ぎし9日に私の住む地域も早くも『梅雨明け』となった後、陽射しは燦々と30数度の暑さとなり、
今からこのような熱い日が続いたら、夏本場の猛暑の時はどのようになるの、
と暑さに苦手な私は、青空を見上げながら、天上の気候の神々の采配に戸惑ったりしている。

私は現役のサラリーマン時代には、
本社勤務で情報畑、管理畑で30年ばかりディスク・ワークであったが、
この時節、ときおり夏のスーツを着る程度であり、
殆どワイシャツとネクタイで出社すると、まずはトイレの洗面所で顔を洗ったりした。

その後、定年の5年前にリストラ旋風の中で、私は出向となり、
物流情報会社に勤めだした・・。
現場の物流会社の倉庫で、冷房がないフロアーがあり、
不馴れな最初は眩暈(めまい)を感じたりした。

この時は、外廻りでスーツにネクタイの人を考えたり、
或いは炎天下の中で業務をする人を思いながら、耐えたりしたのが本音である。

そして私は35年ばかり勤めた夏の時節は、
暑さを感じて、したたる汗をハンカチで拭〈ぬぐ〉ったりした時、
ときおり、冬の寒さの情景を思い浮かべながら、自身を励ましたりしてきた。


このように過ごしてきた私は、定年後は体力の衰えを感じて何かと気弱になり、
熱中症は何よりの天敵と確信を深めて、ふしだらな日々を過ごすことが多くなっている。

昨年の連日の猛暑の時、高齢者たちの一部の方が熱中症で亡くなった、と思いだし、
ここ3日間は、午前中のひととき、買物の担当の私は、買物の後の散策も短かなコースとなっている。

買物は駅前までの15分の道のりは、たった一度だけで、
最寄のスーパーの二軒で購入したり、
散策も近所の住宅街の道を歩いたり、川べりの遊歩道を歩き、
ときおり大きな樹の下にあるベンチに座り、休憩をしたりしている。

このような時、半袖のスポーツ・シャツと長ズボンのストレッチ・パンズ、
そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスした容姿で、
扇子(せんす)を扇(あお)ぎながら、
大通りの歩道や遊歩道を歩いたりすることが多いのである・・。

帰宅後、洗面所で顔を洗った後、
世の中は『節電』と知りながら、室温が30度以上の場合は、28度に設定して、
居間のエアコンの冷風の下で、着替えて、冷茶を飲みながら、
団扇(うちわ)を取り出して、冷房の中、扇(あお)いだしている。


我が家は子供も恵まれず、たった家内と2人で、
古びた一軒屋に住んでいるが、毎年、梅雨の晴れ間から秋の彼岸の頃まで、
簾(すだれ)で夏の陽射しをさえぎったりしている。

簾(すだれ)を各部屋に掛け、家内の指導の下で、私は助手となっているが、
のろまな私は役立たずで、家内が殆どしているのが実態である。

洋間の場合は、雨戸、網戸、ガラス戸となっているが、
この季節はカーテンを外して簾(すだれ)とする。
そして和室も同様に、雨戸、網戸、障子であるが、簾(すだれ)をつけたりしている。

朝涼(あさすず)が残る朝の9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾(すだれ)にして、庭越しの風を通したりしている。


このように簾(すだれ)で夏の陽射しをさえぎったしているが、
午後のひととき居間のはずれで簡易ベットに横たわりながら、
エアコンの冷風を受けながら、本を読んだりして、少し昼寝をすることが多い。

このように熱中症を避ける為にふしだらな日々を過ごしているが、
高齢者の年金生活の私は、救急車のお世話になりたくないし、
『少しダラけた生活をしているなぁ・・』
と私は苦笑しながら、家内に云ったりしている。


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『高齢者の免許返納倍増!代わりの身分証発行効果』、高齢者2年生の私は微苦笑して・・。

2011-07-11 10:01:45 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
購読している読売新聞の朝刊が休刊日もあったので、
朝のひととき、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見たりして、
配信されたひとつの記事を見て、思わず微苦笑させられたのである。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110711-OYT1T00053.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==《 高齢者の免許返納倍増! 代わりの身分証発行効果 》☆


私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
その後に免許証の更新時に、自主的に更新を取り止めたのは62歳の時であり、
高齢者の65歳以上の自動車を運転される方に、何かと注視させられるひとりである・・。

地方の郊外にお住まいの高齢者は、
もとより自動車は日常生活に必要不可欠であると確信している。

しかし公共交通機関の利便性の地域にお住まいの高齢者は、
自動車の運転はなるべくされず、特典があるなしに関わらず、免許返納をされたら、
と余計な思いを日頃から感じたりしている・・。


我が家は雑木の多い小庭の百坪足らず敷地に古惚けた一軒屋に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭となっている。

現役時代の民間会社に勤めていた頃、昨今の年金生活の今でも、
何かの話の間で、我が家は自動車がないょ、と私が云ったりすると、
どうして・・、と多くの方が驚かれることが多いのである。


若き独身時代に実家にいた時は、実家の自動車で人並みにドライブなどをしたので、
自動車の利便性も車窓からの情景も享受した。

その後、結婚し千葉県の江戸川沿いの賃貸マンションに住み、
京成腺の『国府台』駅から歩いて5分程だったが、いずれは自動車が必要かしら、
と漠然と思ったりしていた。

そして2年後に、実家の近くに今住んでいる一軒屋を建て、
若さの勢いで茶室も家の中で設けて、予想以上の住宅と関連ローンの返済となり、
自動車のことなどは考える余裕がなかったのである。

その後、やはり自動車を持つ事も少し考えたが、
多くのサラリーマンと同様に勤務実態は、激務で合ったので、
ドライブをすることを思っても、二週間に一回程度しか想像が出来なかった。


こうした時、私が会社に行っている時は、我が家にセールスマンが来宅した。
門扉を開けて石段を上り、玄関の近くで、
『トヨペットですか・・』
とセールスマンが明るく大きな声で、玄関に向かい云った。

家内は玄関の横にある洗面所の窓を少し開けて、
『なに屋さんですか・・』
と家内は云った。

私が帰宅後、この話を家内から聞いたのである。
『貴方、可笑しいのよ・・
そのトヨペットの方、黙ってお辞儀をした後・・帰られたわよ・・』
と家内は私に云った。

『その人・・トヨタの乗用車のセールスマンだょ・・』
と私は家内に云った。
そして私は、
『そのセールスマン、びっくりしていなかった・・』
と私は家内に訊(きい)た。

『少しばかり困ったような顔をして・・お辞儀をして帰ったわ・・』
と家内は微笑みながら、私に云った。

家内は茶事は少し知っているが、自動車に関してはまったく無知であることを、
私の方も改めて知り、苦笑したりしたのである。


その後、私が40歳を過ぎた頃、自動車の購入の検討も考えたが、
バス停まで5分ほどの我が家は、通勤先の六本木、買物のデパートの新宿など、
一時間以内で行けるのである。
結果として、維持費と利用度を配慮すると、
必要な時にはタクシー、ハイヤーなどを利用の方が安上がりとなり、
自動車の購入は断念したのである。


私は定年退職後のまもなく時、長きの期間のペーパー・ドライバーだった私は、
自動車免許書の更新を辞めたのである。
齢を重ね、判断力も鈍り、今頃から再び自動車を運転して、人身事故でも起こした場合、
私は慙愧に苦しみ、心身痛みを生じる。
そして、何よりも相手方に対して、いつまでも心痛な思いが残ると思われる。
或いはたとえ金銭上の賠償責任を終えても、交通刑務所に服役の場合も考えられ、
私の残された人生が大幅に狂うからである。

今の私は散策が好きで、遊歩道、公園の帰路に、我が家の付近の住宅街も歩いているが、
殆どのお宅で自動車を所有しているのに、改めて驚かされる。
私と同様に高齢者の宅が多く、都心の近い我が家の周辺は、
もとより公共交通機関の利便性に恵まれているので、
60、70代の身で事故を起こさなければよいが、と余計な事も思ったりしている。
そして高齢者の何よりの健康の源は、歩くこと、と確信しながら、
散策したり、ウォーキングしたりして季節のうつろいを享受している。


尚、私が普通運転免許証の更新を決断した時、何かしらの身分証明証が欲しかったのである。
私の場合は、家内が海外旅行は嫌っているので、
パスポートの更新にしていない上、これといった身分証明書がなかった。

現役の頃は、外資系の会社であったので、定年の5年前の頃から
写真入りのIDカードを常時持たせられた。

このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使える知り、
ときおり私は、『住民基本台帳カード』を持ち歩いたりしている。


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『煙草迷子』の私、この2か月ばかり彷徨(さまよい)ながら、何とか安息日を迎え・・。

2011-07-10 23:26:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
恥ずかしながら愛煙家のひとりであり、煙草(たばこ)をこよなく愛して45年は遥かに超えている。
何故かしら私の脳裏の理性と感性の調和の波長に良く、私には秘かな心身のビタミン剤となっている。

過ぎし3月11日の北日本大震災で、煙草(たばこ)の製造主力福島工場も被災となり、
わが愛する『チェリー』の銘柄は、製造中止となり、困惑した。

私は『チェリー』を40年ぐらい愛してきたが、自宅の在庫がなくなり、
やむなく煙草の販売店の方と談笑しながら、日本製、外国製のそれぞれの煙草を喫ったりして、
今後の愛煙する銘柄を探し求めているのが、ここ2ヶ月の出来事のひとつであった。

私は『定年迷子』には無縁で年金生活を過ごしてきたが、
はからずも『煙草迷子』になるとは、予期しなかったことであり、
苦笑しながら、どの銘柄にすれば私の心身と合致するの、とため息をしたりしてきた。

そして外国製のアメリカ産の6種類を喫ったり、日本産の『ピース・スーパーライト』、『ハイライト』、
『ホープ』、『わかば』を喫ったりした。
アメリカ産の煙草は、洋画で表現するならば、ヨーロッパ映画とアメりカ映画の違いで、
それなりの繊細さが欠落している。
やはり日本産に限ると思い、ロング・ピースと称せられた『ピース〈20本入り〉』かしら、
と断定したが、製造が一時中止で、煙草の販売している処を探し求めたが、
無念ながらなかったのである。

私は愛煙してきた『チェリー』がなかった時は、
やむなく『ピース〈20本入り〉』を買い求めた体験もあったので、
製造再開を待ち焦がれていた・・。

過日の4日、製造再開のニュースを知り、
いつになったら『ピース〈20本入り〉』が店頭に置かれるの、
と思いながら、ここ数日、煙草の販売店に寄ったりした。

そして、本日のスーパーに買い物の帰宅の途中、待ち焦がれた『ピース〈20本入り〉』を入手した。
どの煙草の販売店が買い求めることができたかは、私の長年の体験と嗅覚であるので、
このサイトでも発露しにくいが、日頃から販売実績の有力店で、
コンビニの『セブンイレブン』に狙いを定めて、たまたま的中したのであった。

こうして、『煙草迷子』の私は、この2か月ばかり彷徨(さまよい)ながら、
何とか安息日を迎えることができたのである・・。


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尚、私の煙草に関する深い思いは、このサイトで、
【 たがが「チェリー」、されど長年の恋人と別れるような思いで、私は戸惑いながら・・。】
と題して、5月12日に投稿している。


◎お時間、ご興味のあるお方、お読み頂ければ、幸甚です。
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/12ebaa895900a299b0974e589b01d4b0
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
   5月12日【 たがが「チェリー」、されど長年の恋人と別れるような思いで、私は戸惑いながら・・。】


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東京郊外も梅雨明けとなり、今年の夏は余り熱くならないでねぇ、と私は祈願して・・。

2011-07-10 01:15:46 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨夜、NHKのニュースを視聴していたら、
気象庁は9日午前、九州北部、関東甲信、北陸で『梅雨明け』を公表し、
昨年に比べ、いずれも8日早い、と報じていた・・。

確か『入梅入り』は5月27日で、平年より12日、昨年より17日早く、
私は戸惑ったりしていた。

私の住む地域は、平年の『梅雨(つゆ)入り』は毎年6月中旬の頃であり、
そして『梅雨(つゆ)明け』は、学童たちが夏休みに入る7月21日の直前の終業式の頃であるので、
今年の『梅雨(つゆ)』の期間は、平年より早く始まり、早めに終わったので、
天上の気候の神々は、せっかちな性格に変貌したのか、と私は微苦笑したりした。


私は2004年〈平成16〉年の定年退職後から、
自主的に日常の買物担当の身となり、殆ど毎日、最寄のスーパー2店に行ったり、
或いは駅前まで徒歩で15分コースのスーパー6店の中の数店で、買い求めたりしている。
この後は、その日の思うまま自宅から数キロの範囲を適当に散策したりし、
過ごすことが多い。

こうした時の私の容姿は、昨今の時節から殆ど同様となっている。
アウトドア専門メーカーの夏用のストレッチパンズの長ズボンの数種類、
アロハシャツかスポーツシャツの半そで、
いずれも私の都心の時の外出用、或いは旅行に愛用し数年過ぎた品で、
そしてウォーキング・シューズとなっている。

そして夏用の帽子を深めにかぶり、サングラスをして、扇子〈せんす〉を扇〈あお〉ぎながら、
姿勢を正して歩く。

こうした中で、忘れてならないのは、紳士用の小物入れのバックである。
B5サイズのショルダー式で、13年の前頃に会社でハワイ旅行をした際、
肝要のパスポートをはじめ、財布、メモ・ノート、ポールペン、ハンカチ、
煙草、ライター、携帯灰皿などを入れる為に、少し高価であったが購入した。
この旅行中、私は斜め掛けにして、何かと海外の不安さに対処し、
成功体験をしたりした。

定年退職後、日常の散策、買物などで、少しボケても、ひとつのバックに収納でき、
斜め掛けにすれば、これまた安心と愛用してきたのである。
そして、家内からは、
『まるで・・幼稚園生みたい・・』
と云われてきたので、私は秘かに『幼稚園バッグ』と命名したのである。

この幼稚園バッグを斜め掛けにして、私なりに颯爽〈さっそう〉と歩く・・。

暑さの増す時は、遊歩道の外れの大きな樹の下にあるベンチに座り、
川風を受けたりしながら、ハンドタオルで顔の汗を拭いたりして、
緑陰に身も心も寄せて、ひとときを過ごしたりする。


そして帰宅後、洗面所で顔を洗い、作務衣などに着替える。
この後、網戸と簾〈すだれ〉で外気を取り入れ、やがてエアコンの冷風に身を寄せるのが、
平年の習〈なら〉わしであった・・。

昨今の世の中は大きく変貌して、節電にご協力を願います、と霞が関の方面から聴こえたりするので、
やむなく暑さに苦手な私でも、扇風機、団扇(うちわ)に頼ったりしている。


しかしながら我が家の居間で、室温が30度を超えた時は、
熱中症で救急車にお世話になるのは、高齢者2年生の私でも御免だから、
やむなくエアコンのスイッチを押し、28度に設定している。

そして、燦々と陽差しの照らすテラスに下駄で下り立ち、
樹の下に身を寄せて、青空を眺めて、
『今年の夏・・余り熱くならないでねぇ・・』
と私は天上の気候の神々に祈願したりしている。


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『政治の混迷、涙が出る・・』と全銀協の永易新会長の公言、まぎれなく正鵠であり・・。

2011-07-09 12:53:37 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
いつものように読売新聞の朝刊を読みながら、11面の【経済】面のひとつの記事に、
深く溜息〈ためいき〉させられながら、精読した・・。

《 「政治の混迷、涙が出る」
              全銀協の永易新会長  》

と見出しされた記事であり、無断であるが転載させて頂く。

《・・
全国銀行協会の新会長に1日付で就任した永易克典・三菱東京UFJ銀行頭取は8日、
読売新聞の取材に対し、
「被災者のことを考えると、政治の混迷には涙が出る。
情けない。
特に、この1週間は目に余る。
電力問題は最大の不安要因になっている」
と述べ、原子力発電所の再稼働問題などで、迷走を続ける政治の現状を批判した。

そのうえで、「電力の安定供給を確保して産業を守るためにも、つなぎ融資に応じるのは当然だ」
とし、銀行界をあげて電力会社の資金繰りを支援していく考えを示した。

原発事故については
「事故の収束と被災者への賠償を最優先にすべきだ」と強調した。
菅首相が再生可能エネルギー特別措置法案の成立を退陣条件としている点については、
「被災者への賠償が優先順位の一番。
夢みたいなのを出してくるのは、順序が違う」と述べた。

( 読売新聞 2011年7月9日 朝刊 )
・・》
注〉記事の原文にあえて改行を多くした。


私は若き時に大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、挫折した後、
民間会社の中小業の音楽業界のあるレコード会社に勤め、奮闘したりしたが、
業界全般のリストラ旋風の中で、定年の5年前に出向したりして、
35年ばかりサラリーマンの体験をした拙〈つたな〉い身である。

定年後は、年金生活をして、ブログなどで日常のあふれる思いを心の発露として、
投稿文を綴ったりしている。
無念ながら政治にも疎〈うと〉く、やむなく季節のうつろいの情景に心を寄せていること、
そして旅先の思い、本のことなど、映画のこと、音楽のことなど
或いは50、60代の中年女性のしぐさ、言葉に魅了されていることなどを綴ったりしている。

しかしながら新聞を読んだり、NHKのニュースなどを視聴した時、
余りにも心の節度をなくした政治家の一部の方の言動に、
いたたまれず、ときおり投稿をしたりしている。

ここ一週間は、やむなく、
一昨日の7日には、【 菅首相は、原発、そして国政を持て遊ぶ非国民である、と私は妄想を重ねて・・。】
昨日の8日は、【 『菅総理 独り舞台 民〈たみ〉も泣く・・』、と政治に疎〈うと〉い私でも、困惑し・・。】
と題して、菅首相の政権与党の最高責任者としての言動のひどさ、
肝要な閣僚、自治体の首長、市町村のお住まいの人たちまで困惑させ、
復興の確固たる指針も示さず、一貫性もなく、復興の時間を遅延させているので、
菅首相は非国民、と妄想を重ねたりしてきた。


今回の全国銀行協会の新会長の永易克典・三菱東京UFJ銀行頭取の発言は、
まぎれなく正鵠な言葉を公言した、と私は微苦笑させられた。

氏は私にとっては、未知のお方であり、
エリート街道を歩まれて栄進し、そして銀行業界の頂点に栄達されたお方で、
もとより私などとは、平素でもお逢いできない人でもあるが、
菅首相の唐突とした迷走した言動に憂いを感じるのは、同じであった、
と私は深く受け止めたのであった。


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『年金受給者・・・今後は「現況届」が不要になった・・』と知り、私は微苦笑を重ね・・。

2011-07-09 09:23:29 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日の午前中のひととき、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
『PR情報』として三つばかり掲載されている中のひとつに、

《 年金受給者の皆様へ
    ~住所変更等の届出が不要となりました。
                     政府広報 》

と題されて、私は恥ずかしながら年金受給者7年生の身なので、
どのようなことなの、と思いながら、クリックした・・。

http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/nenkin/nenkin/dl/nenkin_jushohenkou.pdf

このように表示されたが、私はこの下段にある、

《・・
年金受給権者の皆さま

平成23年7月より住民基本台帳ネットワークから住所変更等の情報を取得できるようになったため、
これまで、ご本人様に提出いただく「現況届」を原則不要としていることに加えて、
平成23年7月より、
ご本人様より提出いただく「住所変更届」⇒ 原則不要
ご遺族様より提出いただく「 死 亡 届 」⇒ 原則不要
となります。
・・》

このように明記されて公報文を読みながら、
私は毎年提出する責務のある「現況届」が今後は不要となった、ことを初めて知った。

しかしながら、以前に日本年金機構からの「現況届」を郵送された中に、
このような通知の文があったかも知れず、少しボケてきたのか、と私は苦笑した。

そして、私は日本年金機構、以前の社会保険庁にしても、
住民基本台帳ネットワークを活用できたならば、
どうして今まで、わざわざ「現況届」などをしてきたのか、不思議に感じた・・。

もとより管轄元の日本年金機構、以前の社会保険庁が、
私たち年金受給権者の自宅に郵送し、私たちは記載して、返信する。
そして管轄元の諸兄諸姉がチェックされる膨大な量・・
なぜ毎年するの、年金財源の浪費に対して、
私は現役時代の民間会社で情報畑で20年在籍した身として、
信じられない事務コストの無駄と思ったりしていた。

遅ればせながら、住民基本台帳ネットワークを活用したよいことだ、
と私は微笑んだりした・・。

尚、私は人に対して性善説を限りなく信愛しているが、国家の貴重な年金財源を悪用した方には、
たとえば管轄元の諸兄諸姉に対しては、即刻解雇した上で返済して頂き懲役10年以上服役、
或いは受給者に対しては、自治体の公報誌に公開した上、懲役3年以上服役、
このような厳罰を思ったりしている。


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ネットで検索するサイトの順序、私は定例のように習性となり、微苦笑して・・。

2011-07-08 18:36:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
定年退職後からインターネットは、日常の友のひとりとなっている。

朝、パソコンを開き、ネットで最初に開くのは、
トップページは【YAHOO! JAPAN】を設定しているが、
この後、何よりに最初に見るのは、地元の天気情報である。

http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/13/4410/13208/1820004.html
☆【YAHOO! JAPAN】 天気情報 ☆


このサイトの情報を見ながら、当日の朝の6時、昼下がり時、夕方の6時、
天気と気温を見る習性となっている。

こうしたことは、私は定年後から自主的に日常の買物担当の身となっているので、
最寄のスーパー2店、駅前まで徒歩で15分コースのスーパー6店、
この後の散策コースが決定するので、私にとっては重要なのである。


私の日常生活の朝は、いつものように購読している読売新聞を読んだり、
NHKのテレビのニュースを視聴したりしているが、
気になったニュースなどは、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
を検索したりしている。

http://www.yomiuri.co.jp/
☆【YOMIURI ONLINE】☆


こうしてネットに関しては、【地元の天気情報】、【YOMIURI ONLINE】を見たりした後、
定年後まもなく知ったブログの投稿文を思案したりしている・・。
そして綴った後、投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/
☆【gooブログ】 年金青年のたわむれ記 ~かりそめ草紙~ ☆ 

こうしたネットの優先順位は、パソコンが故障したり、国内旅行をしている時は例外として、
高齢者2年生の私は、殆ど定例作業のようにネットを活用している。


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『菅総理 独り舞台 民〈たみ〉も泣く・・』、と政治に疎〈うと〉い私でも、困惑し・・。

2011-07-08 08:19:55 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
いつものように読売新聞の朝刊を読みながら、ため息を重ねたりした・・。

この中のひとつの記事として、ほぼ同一として読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されていた。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110708-OYT1T00065.htm?from=main1
☆【YOMIURI ONLINE】<==〈原発再稼働、耐性検査前提で電力危機深刻化〉☆


そして昨夜も、ひとつのニュースに、ため息をしたりした・・。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110707-OYT1T00990.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==〈政府の原発対応、知事らの不満相次ぐ〉☆

私は政治に疎〈うと〉く無力な身でも、
菅首相の原発の唐突な言動に、もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせ、
何よりも原発の所在地の県、市町村のお住まいの方たちは、困惑し、
どうしたらよいの、と首相官邸のある方向を見つめたりするほかはない、と確信を深めたりした。

そして、やむなく私は、
菅総理 独り舞台 民〈たみ〉も泣く・・、と私は呟〈つぶや〉いたりした。

尚、私の深い思いは、昨日にこのサイトに、
【 菅首相は、原発、そして国政を持て遊ぶ非国民である、と私は妄想を重ねて・・。】
と題して投稿文で、発露している。


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菅首相は、原発、そして国政を持て遊ぶ非国民である、と私は妄想を重ねて・・。

2011-07-07 17:22:16 | 時事【政治・経済】等
私は、昨夜のNHKのニュースで、
菅首相が、原子力発電所の再稼働に向けた新たなルールを策定する考えを打ち出したことを知り、
ますます原発の難題に更に混迷を深めると、憂いたひとりである。

これに関連して、先ほど読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】のひとつのニュースを見て、
政治に疎〈うと〉い私でも、困惑したのであった。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866922/news/20110707-OYT1T00234.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==〈経産相、ハシゴ外されメンツつぶされ…新指針〉☆


私は過ぎし3月11日に東日本大震災に伴い福島原発に関して、
無力な素人の身ながら、少しばかり学び、根源の問題は原子力の行政がもたらした人災と確信を深めていた。

そして、ここ10日前に、武田邦彦・著の『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』〈産経新聞出版〉を精読し、
多々教示されて、具体的な問題点が明確になった。

《・・
かっては、原子力というのは巨大な技術なので、
「推進」と「安全」を二つにわけておいたほうがよいと、
原子力委員会〈推進〉と原子力安全委員会〈安全〉の二つの組織がつくられました。

推進側の原子力委員会が問題のある原発を進めようとしても、
安全委員会が待ったをかけることができるので、
国民は安全だという仕組みだったからです。

それがいつの間にか〈2001年〉、
経産省に原子力安全・保安院なるものができ、独自の動き始めました。

福島原発の事故でも、原子力委員会も安全委員会も表に出ず、
保安院がシャシャリでてきたのは、まさに現在の日本の原子力行政をよく示しています。
保安院が力をもってからというもの、安全委員会には何の情報も入ってこず、力もありませんでした。

保安院という組織は、「原発の安全」などには、まったく関心がありません。
ただ「原発を動かすこと」だけが目的ですから、
「本来、耐震指針は何を目的とするべきか」などという議論が入り込む余地はありません。
・・》
注)本書156、157ページ
  原文をあえて改行を多くした。

〈・・
経産省に原子力安全・保安院・・日頃から東京電力の施設を認可し、運転状況を監視し、
国民に代わって原発の安全を守るということだけをいわゆる「指導」しているのですから、
事故が起こったならばその全責任は保安院にあります。
・・〉
注)本書155ページ
  原文をあえて改行を多くした。

〈・・
三陸沖で地震がおこり、間もなくその地震波は福島原発に到着、原発は大きく揺れました。
〈略〉
・・地震直後に原発が破損していたことが明らかですが、
設計時の耐震基準が震度5だったのですから、
震度6に見舞われた福島原発に異常が生じても何らおかしくありません。

もともと、原発の設計基準は地震で加わる加速度などで決めるので、
もしかすると、保安院がここに書かれているのを見て、
「震度5などで設計してはいませんよ」と言うかもしれません。
震度5で設計して、震度6で壊れたなら地震に対する見通しが悪かったということになりますが、
もしも震度6以上で設計しても壊れたのなら、設計ミスか手抜き工事です。

いずれにしても、そのような言い訳を聞きたいのでなく、
なぜ震度6のような普通の地震で壊れたのか、その理由を聞きたいのです。
・・〉
注)本書136ページ
  原文をあえて改行を多くした。

このようなことを私は、本書から多々学んだりしたが、
少なくとも国家の最高権力と責務を有する菅首相は、機密でもないこの程度のことは、
当然としてご理解されていると思われるのである。

菅首相の福島原発に対する対処は、首相としての責務の言動が何かしらその場しのぎで、
整然とした一貫性が感じられなく、今回のようなことも突如として策定されるのに、驚ろきながらニュースを視聴した。
こうした言動では、肝要な閣僚でも動揺するのは当然である。

菅首相の言動は、特に大震災後、そして福島原発以降は異常であり、
原発の度重なる難題を小出しして、混乱させて、梃子〈てこ〉にしながら政局の動向に利用して、
ご自身の総理として延命を図っている、と数多くの方たちが感じとられてもおかしくないのである。

このように大震災以降は国難な時節に、
政局はもとより国政まで混迷を深めている責任は、政権与党として総理としても責任は大きく、
国家に復興の時間と機会を遅らせ多大に損出をもたらしたので、
やむなく、菅総理は非国民である、と私は思ったりしている。

このようなことを政治にも疎く、無力な私は妄想を重ねたりしている。


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七夕(たなばた)、齢ばかり重ねた私でも、ささやかな秘めたる想いは・・。

2011-07-07 01:38:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨夜の深夜まで居間で本を読んだりした後、寝る前にぼんやりとカレンダーを見ると、
『七夕』と明示されていたので、
きょうの7日は『七夕(たなばた)の日』だったか、と教えられたりした。

そして、ぼんやりと数年前までは、『七夕(たなばた)の日』に関しては、
現代風に解釈したならば、遠距離交際の恋人たちが、一年にたった一度だけ秘かに逢える日、
と固く信じてきたひとりであった。

しかしながら、織姫と彦星の関係は恋人でなく夫婦であった、と知った時は、
私は、夢をこわさいでね、と微苦笑したことがあった。


私は齢を重ねるたびに、幼年期の頃の出来事を思いだすことが、多くなっている。
こうした時に、幼年時代に七夕の飾り、短冊のことも思いだされる・・。


私は1944〈昭和19〉年の秋、東京の郊外で農家の三男坊として生を受けた。

祖父と父が中心となり、程々に広い田畑を小作人の手を借りながら、
農家を営んでいた・・。

敗戦後、農地改革などである程度は狭ばまったが、
それなりに旧家として維持されていた。

そして、七夕(たなばた)に関しては、
私が小学生の頃まで、自宅の庭の隅に竹に短冊を吊るす慣わしだった。
東京の都心は、もとより7月7日が『七夕(たなばた)の日』であったが、
郊外の付近の一部の地域では一ヶ月遅れの8月7日であった。


宅地に隣接している竹林から、孟宗竹の今年成長した5メートル前後の若竹を一本だけ伐って、
庭の片隅みに杭を打ち、安定させていた。
父の末妹の叔母が嫁ぐ前だったので、お正月の小倉百人一首と同様に、
叔母の指導の下で、私は妹のふたりと共に飾りだてをした。


そして私が小学2年の3学期、父に病死され、
その後、まもなくした3年生の5月に祖父が亡くなった。

農家の大黒柱の2人が亡くなり、母と叔母、
そして長兄、次兄、私、そして妹の2人が残されたが、
もとより農業の技量、大人の男手を失くしたので、我家は没落しはじめた・・。


私は祖父の葬儀が終わった後、学校に行くと、担任の女の先生から、職員室に呼ばれた。

『XXくん、貴方のお父さん、お祖父さんも亡くなってしまい、
可哀想と先生は思っていますが・・貴方、男の子でしょう・・
お母さんに心配させるようなことは・・分かっているわよね・・』
と私に云った。

そして
『男の子は、頑張るのよ・・』
と私に握手してくれた。


私は、その夏、短冊に秘かに書こうとしたが、少しためらっていた・・。

《 せんせい、あくしゅもいいけど、
         だきしめてほしい・・ 》


叔母や妹が短冊に何かしら綴っているので、私は本心を書けなかった。
そして私はやむなく、

【 せいせいもげんきで
        ぼくもがんばります 】
と何とか読める汚い字で書いた。

短冊を吊るしている時、叔母が、
『どういうこと・・』
と私に云った。

『何でもない・・何となく・・』
と私は下を向きながら答えた。


私は小学生の時は、兄達は優等生で、
私はいじけた劣等生で可愛げもない児であったが、
齢を重ねた66歳の今でも、それなりに苦くも懐かしい想いでとなっている。


このようにささやかな想いでもあり
短冊に関しても、確か16年前の頃だったと思われるが、
私なりに深い思いであり、今でも鮮明に私の心の片隅に残っている。

この当時も、私は現役のサラリーマンで数多くの人と同様に、多忙な時期であった・・。

春先に大幅な人事異動であり、私も異動し、ある部署に落ち着いたと感じた夏季休暇に、
家内と宮城県の作並温泉に3泊4日で滞在した。


上野駅から仙台駅までの新幹線は、わずか2時間ばかり、
そして在来線に乗り継ぎ作並駅まで1時間弱で、
駅前から観光ホテルの迎えのマイクロバスで到着した。

http://www.ichinobo.com/sakunami/

そして、私達はホテルの周辺のラベンダーの丘陵、渓流で魚釣りをしたり、散策をしたりし、
のんびりと過ごしていた。


翌日のひととき、ホテルのロビーの一角に、
3メートル前後の竹に5色の短冊が飾り付けられていたことに気付いた。

私は昼の風呂上り、何気なしロビーの一角を歩いていた時、
この短冊を何気なしに読んだのである・・。

数多くの短冊を読んだが、ひとつの短冊に心を惹(ひ)かれた・・。

《 らいねんも このホテルに
    かぞく ぜんいんで こられますように 》

と小学生の上級生の女の子らしい綴りで書かれていた。

私は作並温泉に訪れる途中で、
仙台市内の華麗で豪壮な七夕(たなばた)を少し観えたが、
この女の子のひとつの短冊に籠(こ)められた願いが、心に沁みた・・。

そして私は華美な仙台の七夕もそれなりに良いが、遥かにこの短冊のひとつに魅了され、
この人生の微笑みを頂き、心を寄せたのである。


このようにささやかな想いでがあり、私はこうした情愛が限りなく愛(いと)おしく、
華美な飾りより、たったひとつの願いを託した尊ぶ心に、圧倒的に魅了される。


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たかがパソコン、されどパソコン、私の愛してきたパソコンの軌跡は・・。

2011-07-06 10:43:06 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市にね、住む年金生活の66歳の身である。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして、共通の趣味は、国内旅行なので、ときおり日本の各地を旅行したりしている。

このような生活の中で、私はパソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。

私は2004年の秋に定年退職後まもなくして、ブログの世界を知り、
その日の思い、思索していることなどを心の発露として、
パソコンの故障、或いは国内旅行などで外出しない限り、
あふれる思いをほぼ毎日綴り、投稿をしている。

そしてネットで、地元の天気情報、読売新聞などのサイトのニュースを読んだりし、
興味のあるニュースをビジネス情報誌として名高いダイヤモンド社のサイトを深く読んだり、
私の現役時代は音楽業界に勤めていたので、これに関連したサイトを見たりしている。

こうした私のパソコンの利用であるので、
もとよりパソコンでテレビ番組を視聴したり、DVDで映画の作品を鑑賞したり、
或いはCDで音楽を聴くことはない。
テレビの番組、映画作品は程ほど大きめのテレビを通して視聴し、
音楽は以前はステレオの単体で聴いていたが、10数年前に故障した後、
やむなくCDラジカセなどで聴いている時代遅れのひとりである。


過ぎし6月23日に新たに買い改めたパソコンは、
昨今主流となっているマイクロソフトのパソコン用基本ソフト(OS)の『ウィンドウズ セブン』であり、
昨年の晩秋の頃から、テレビ機能不要である21.5型ワイド画面を検討してきたが、
結果としてはソニーの『Jシリーズ』に決定した。

そして私の少し広めの机には、従来から愛用している『XP』と今回の『セブン』を2台を配置している。


私が初めてパソコンを購入したのは、確か1983(昭和58)年の頃であったと思われ、
NECのPC8801だったと記憶しているが、フロッピー・ディスク装置、プリンター、
そして漢字対応させる為に漢字ロムを付加させたりしたので、
この当時の私の年収の15%ぐらいで、住宅ローンの返済もあったので、
私としては高価なパソコン・セットであった。

その後は、確か1998年(平成10年)の夏の頃に、
会社と自宅で使う為に、富士通のノートパソコンを購入して、愛用してきた。


そして2001年(平成13年)の秋になると、
定年退職時が2004年(平成16年)秋であったので、定年後の生活に備えてパソコンを一新した。

この頃の時代は、液晶ディスプレイが普及し始めたであったが、
迷ったりしたが安定性を配慮し、19型のフルフラットCRTとした。
ドライブもCD-R/RWとDVD-RAM/Rの2ドライブ、
そしてフロッピー・ディスクも備えた富士通のタワー型であったので、
ある程度10年前後は大丈夫かしら、と思ったりしていた。

そしてプリンターも新調し、机、脇机、そして椅子を買い揃え、定年後に備えたりした。

この後、インターネットの回線を施設したのは、遅ればせながら私の定年退職時の数ヶ月前で、
2004年(平成16)年の夏であった。


この肝要な富士通のタワー型は、定年退職の直前にハードディスクが壊れたり、
そして2006(平成18)年の9月下旬に於いて基本のCPU、或いはメモリーの結線が摩耗したり、
やむなく、やはり富士通のディスクトップの『ウィンドウズ XP』が搭載されたパソコンを購入した。

ディスプレイはこの当時の流行の20.1型のワイド画面のスーパーファインVXのハイビジョン対応であり、
CPUはインテルのデュアルコア、メモリは1GB、
ハードディスクは400GB、ドライブはスーパーマルチ等で、
この当時としてはある程度は最強版となっていた。

パソコンのデザインも良く、安定したドライブの配置もあり、好感していた。
しかし後年になると、このパソコンのハードディスクの2分割管理が、
時代から遅れてしまったのである。

基本システム、プログラムなどは、Cドライブとして実質30GB、
そして自由エリアとして、Dドライブは実質338GBと分割構成されている。

問題はシステムを含むCドライブで、私の個人用に使用しているソフトを記憶させたり、
何よりもインターネットの各サイトで、色々な更新が加わるので満杯近くになっている。

やむなく私は、写真などは、Dドライブに移る行させて管理したり、
不必要なファイルの削除をした後、ディスクの圧縮作業のデフラグをしたりした。

昨年の2010年12月は、やむなくハードディスクの再分割作業し、Cドライブを増加させて、
パソコンを日々利用しているが、ネットの世界は益々進化しているか解からないが、
情報の洪水のような今日に至っているのが、ここ数年の世の中となっている。


このような軌跡を得て、私の少し広めの机には、
従来から愛用しているこの富士通の『XP』を古いソフトの対応、そして新たなパソコンの予備機として、
そして今回のソニーの『セブン』に外付けのハードディスクの2TB(テラ・バイト)連結させて、
ネットの情報の洪水のような改進に、やむなく対処している。


恥ずかしいことを告白すれば、
私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をして挫折した後、
民間企業に中途入社する為に、コンピュータの専門学校で、一年間ばかり学んだ。
そしてソフトコースを専攻して、汎用のコンピュータでシステム設計、プログラム、そして操作などをしたりした後は、
何とかある大企業に中途入社できたのは、1970〈昭和45〉年の春であった。

その後、この会社の一部が外資系のレコード会社として新設され、
私も移籍させられた後、その後1971年から20数年に情報畑で各社の共同システムで委託処理、
その後は自社処理で奮戦したり、
この後は管理畑となり社内のコンピュータ専門部署から離れたが、
この間の1971年以来は、もとより汎用の大型や中型、オフィスのコンピュータは活用してきた・・。、
しかしながらパソコンに関しては、自己流で独学で学んできたので、基本が解からないこともあり、
戸惑ったりしながら、苦笑する時もあったりする。

今回、新たなるOSの『ウィンドウズ セブン』に際して、
あれぇ、と画面の変貌に戸惑いながら、
こっそりと初級者用の購入したマニアル本を開き、
ここは従来の『ウィンドウズ XP』と変っている、
と心の中で呟(つぶや)いて、この2週間に改めて学び初めたりしている・・。

そしてネットの世界に対して、もう充分過ぎるから今後は余り進化しないで・・、
と齢を重ねた私は、時代について行くのに疲れたのか、懇願したりする時もある。


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齢ばかり重ねた私でも、夢のひとときは果てしなく・・。

2011-07-05 08:52:01 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
夜の眠っている時に夢をみることが多い。

ときには昨日の続きの連続ドラマのようなことがあれば、
或いは映画の三本立てのようにみることがあり、
そして、総天然色(カラー)の時もあれば、白黒(モノクロ)だったりし、
目覚めた朝、ぼんやりと微苦笑することもある・・。

私は小学生の後半期、独りで地元の映画館に行ったりしていたが、
三本立ての作品を上映したのを数多く観たりしていたので、
この習性の余韻かしら、と思ったりしている。


サラリーマン現役時代の仕事の成功例より、遥かに失敗したことを夢みることが多く、
たとえば、突然に中学時代の悪友が出てきたり、どうしてお前がいるの、
とか秘かに思い続けた女の同級生に見つめられたりし、貴女はどうしているの、
とありえない時代の落差に戸惑ったりし、冷や汗をかくこともある。

或いは幼年期は農家の児であったので、
田畑、雑木林など景観を観たり、湧き水、竹林の筍(タケノコ)、野菜の収穫時などの情景をみることが多い。

夢はもとより貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、
そして感性の賜物〈たまもの〉と私は確信している。

こうしたせいか解からないが、私の理想的な夢のひとときは、
齢を重ねた今でも、女性への煩悩を捨てきれないつたない身として、
秘かに思いながら、眠りにつくこともある・・。

ワンピース、ツーピースが似合う50、60代の謙虚な言葉、しぐさをされる街中の人、
或いは紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人、
こうした方と語り合い、散策し、木陰でそっと手を握り合う・・
このようなことを私なりに夢で願望したりしている。

私はこのようなことを思えば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶えられる持ち主である。

昨夜たまたま夢の中でお逢いできた人は、かって女優だった浜美枝〈はま・みえ〉さんだった・・。
私が東京オリンピックが開催された1964年の頃、
映画青年の真似事をしていた時代に、東宝撮影所に出入りして、
たまたま数分ぐらい言葉を交わした人である。

この当時にお逢いした若手の女優さんの中で、
このお方は、与えられた言葉でなく自身の言葉で語れる人で、私は瞬時に魅了された方でもあった。

こうした私の思いは今でも、変わることなく、
数日前に、この方のエッセイの本を再読していたので、
夢でお逢いできたのかしら、と目覚めた後ぼんやりと微苦笑したりしている。


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