次の順番は「ホワイトコーン」かい?
「線路は続くよ どこまでも♪ 野を越え 山越え 谷超えて♪」童謡の『線路は続くよどこまでも』は、元々アメリカ民謡であり、大陸横断鉄道建設に携わったアイルランド系工夫たちによって歌われ始めたらしい。原題は「I've Been Working on the Railroad」であり、『おやじぃ』が子どもの頃に歌った楽しい「鉄道の旅」をイメージした歌詞とは一線を画すようである。「平行とは、同一平面上にあって永遠に互いに交わらない直線をいう。」なんて、小学校の頃に教えられ、その例として「鉄道の線路」を教えられたっけ^^;
道路や鉄路は、地についてどこまでも延びているから、田舎の少年にとっては、恐らく『未知の街』に続いているであろう夢のある物であったと思う。一方、育苗ハウスを見れば、ホワイトコーンの芽出しが植え付けを待っている。長男『ポン太郎君』の善戦で、ようやく夏秋キュウリの定植を終えたものの、次は加工用ナンバン、雨除けハウスにはトマト、新たな開拓地には小玉スイカと定植の順番を待っている作物がある。お盆用の枝豆は、粗放的に直播してみたけれど、「タネバエ」にやられたようで全滅…殺虫剤の施用を忘れていた^^;(数年来の反省が活かされておりません!)
「作業は続くよどこまでも~♪」なんて歌いながら仕事をすると、意外に曲調が合うかも?だよねぇ…だって「俺は線路で働いている♪あっという間に時間が過ぎていく♪」なんて邦訳の唄なんだもの^^;
そしてまた日が暮れる^^;
「こんなこと繰り返していて何になるのかね?」なんて疑問を持ち始めると、途端に身体が動かなくなる。少々身体がお疲れ気味なのである。だから疑問を持たずにひたすら前に進まなければならないのだけれど、永遠に交わることの無い平行線…おっとっと、今度は「インド型の変異にイギリス型の変異が加わった変異株がベトナムで発見」なんて報道も…乙武洋匡氏は「ラスボス登場かよ!」なんてつぶやいたようでありますが、変異はどこまでも続くのである。宿主(人間)が全滅すれば、ウイルスも存在出来なくなるから、特効薬が出来たとしても宿主(人間)とウイルスが共存できるラインまで変異を続けるであろうことは生物学的な見解である。どこまでも続くのである。(気が重くなるけれど^^;)
「オリンピックを開催することは決まったことだから…。」この国の閣僚(リーダー)たちは、頑ななまでに開催に向けて突き進んでいるようである。「国民世論などというものは一時の風(感情)であり、開催されれば風も変わる。」と思い込んでいらっしゃるようである。「無観客による聖火リレーの実施」…「聖火リレー」ってさぁ、国民の気運を盛り上げるために実施するものでしょう?無観客で実施して何か意味があるのかねぇ?小さな農園の定植作業は、植える場所が埋まればそれで終わる…植え付けの順番待ちをしている作物を見て気が重くなっていても、最後は必ずあるのである。最後が見えているから前にも進めるのであるけれど、終期の見えない戦いは絶望感が漂ってしまう。「国民の命を守ることが優先課題である!」なんて言わないで、そろそろ「オリンピック開催まで何とか抑え込もうや!」と本音で語った方が我慢も出来るかもね(笑)