「男」もあれば「女」もある結び…
昨日は『まとまった雨』のお陰で、「雪囲い作業」もひと休み。今では、いとも簡単にできる「男結び」ではあるけれど、覚えるまでには時間が掛かった。と言いますか、親父が不慣れな息子に『教える』ということは、イライラが募って宜しくないようであり、『おやじぃ』の場合も、第三者から優しく指導していただき、何とか覚えようとして繰り返し練習をした成果ではある。緩まないための『押さえ所』さえつかめば、さほど難しい手作業ではないのだけれど、その勘所をつかむまでが大変なだけなのでありますよ^^;
毎日が『ひと休み』状態ではあるけれど、結び目の画像を見ながら、ふと「綻びる」という漢字のことを考えてみた。『糸が定まっているはずなのに、何故「ほころび」なのか?』…どうやら「糸」に「旦(たん)」という字の組み合わせから発生した形声文字であり、漢字一つふとつを分解しても「ほころびる」という意味にはたどり着けないらしい。『男女関係の縺れ(もつれ)』『夫婦関係の綻び』などと、「糸」と男女関係にまつわる漢字は様々あれど、『縺れ(複雑にからみあったもの)』をほどくのに嫌気がさして、エイヤっとはさみで切って問題解決とする場合もあれば、『綻び』はその場を取り繕うことで何とかしのぐこともできる…『おやじぃ』の「むすび」もひと冬程度なら解けることもないし、そうして38年間過ごして来たようにも思えるが(笑)
「共白髪」…夫婦そろって長生き
さて、結納品のひとつに「共白髪」というものがあったような気もする。「高砂人形」(翁媼の人形)を若夫婦のために贈る風習のある地域もあると言われますが…。あくまで『願い』のひとつであって、『添い遂げる』ことばかりを良しとも言えない世の中になったような気もする。いやいや、潜在的な嫌気や『綻び』があっても、経済的な理由や世間体という『外圧』で踏み切れなかったという関係もあったかも知れない。
はてさて、「男結び」は結び目も硬く、一度結んでしまうと「解く」ことより「切る」ことを選択した方が手っ取り早い。一方の「女結び」は、結束は緩いかもしれないけれど、解いて再利用も可能ではある。どちらが有効かなどと『結着』をつけようなどとは思わない。その場に合った結び方を選択しているだけなのだから…。庭木も夏に枝振りを楽しみ、約5ヶ月の間は「雪囲い」の下に姿を隠してしまう。したがって、我が親父の場合は『冬の風物詩』として、「雪囲い」の形にもこだわっていたし、結び目の切れ端が『綻びて』開くことに『華』をイメージしていたフシもある。『綻び』さえも楽しむ心の余裕…『おやじぃ』の場合は、一年の遅れを『取り繕う』ことだけに腐心しておりますけれどね…。11月22日は『いい夫婦の日』…取り繕うだけで余裕のない人生ではあったかも(笑)