その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

三面鏡…

2023-11-27 09:35:28 | 転職

「おやじぃ」とネコの腕3本では…

「八面六臂」とは、多方面で際立った活躍をすること…事は、元神職宅から「一面六臂の弁財天座像」が出て来たことに始まるのでありましたとさ。ところで「臂(ヒ)」って何だ?デジタル大辞泉では「肩から手首までの部分、腕」と解説がありまして、別の漢字辞書には、加えて「動物の前足」という解説もありましたよ。「三面六臂の阿修羅像」なんかは有名だわねぇ。「三面」…少年期の反抗心、思春期の悩み、決意みなぎる青年期の顔と解説される方もいらっしゃるけれど、そんなものはとっくに卒業した『おやじぃ』の場合は、『六本の腕で何をつかむか?』を考えてしまう。一本目は当然のごとくお金をつかみ、コップを握りしめ、酒瓶を抱え、つまむ箸と取り皿を取って、残る一本は?待て待て、「三面」でお口が三つあるのだから、対応する腕はそれぞれ二本であり、結局のところ『一面二臂』と同じことであると、新たな『悟り』の境地を拓くのでありましたとさ^^;
まぁまぁ、突然、『自在の六本腕』を与えるからと言われても『寝耳に水』…日頃から、しっかり掴むべきモノを心掛けていないとこういうことになる。一本目は、オッカーへ労いの手を差し延べ、三本は子どもたちにあれこれと世話をやき、一本は筆(仕事)を握り、最後の一本でモノを口に運ぶ…これなら立派なものでしょう?しかし、兼業主婦のオッカーの場合は、六本でも足りなかったはずである。子育ても卒業し、残った三本で何を掴むか…これまた老後の『哲学』ではある(笑)


同時に食べても美味しくはないわ^^;

さて、凡人の『六臂』の使い方は別にして、出て来た「一面六臂の弁財天座像」をどうするか…役員会に諮ったところで結論がでる訳でもなく、結局のところ『寝耳に水』であり、まずは集落の住民に知らせましょうと総会に先送りすることで皆さん納得したようなしないような…本来、ありがたいはずの『座像』も『厄介モノ』扱い。町で『郷土史料』として保管していただけるならと他人任せで済むならばという空気も漂うところであります^^;
はてさて、人の顔は「一面」であり、鏡でも使わない限り、自分の顔を自分で見ることなど出来ないものである。かつて、神とは『鏡』であり、「自分自身を鑑みることである。」と語った先生がいた。なるほど、亡くなった叔母さん宅にあった『三面鏡』は「阿修羅」の鏡だったのかも知れない。折角、横顔の状況を確認するための『三面鏡』も首をひねったり、横目でにらまないと横顔は見れないもの。(子どもの頃に実証済み^^;)『八方美人』なるたとえもあるけれど、これとて、八方に顔は向けているはずである。いくら頑張ってみても、「八面六臂の活躍」には程遠い。だからこそ、神や仏の力に『三面』を作り出したのでありましょうか?猫と『おやじぃ』の『三臂』があっても、結局何もつかめないと悟ったところでありますよ(笑)

コメント
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