蔵王で「赤」が映えるモミジは…
「紅葉(こうよう)」の代表的な樹として「紅葉(もみじ)」がありますが、秋になって葉の中の「クロロフィル色素」が分解され、一方では「アントシアニン」という色素が合成されることで、赤く色づくとされております。また、「銀杏(いちょう)」では、「クロロフィル」の減少で、元々含まれていた「カルテノイド色素」が目立つようになり黄色くなるらしい。しかし、秋が深まると何故木々が「紅葉(こうよう)」するのかという理由については、仮説はあっても理由は未だ不明なようでありますよ。常緑樹と落葉樹がそれぞれに『色』を成して、目を楽しませてくれる。『当たり前』のことを、さも『当たり前』のように、その日、その年を過ごしておりますけれどね。
はて、他人の庭や山のモミジは綺麗であると鑑賞していれば良いだけですが、これが自宅の庭のモミジとなると状況が一変する。数年ぶりに繁茂したモミジの高枝を数本落としたのだけれど、今度はその枝を切り刻まなければいけない。落葉したその葉っぱも厄介ではある。『庭と女性のお肌は、日々のお手入れが大切』なようでありまして、『若い』と気を抜いていると、後から取り返しがつかなくなるようでありますよ。(失礼^^;)
この「葉」が落ちると雪になる…
さて、来年の『復活』に向けて、庭や畑を少しずつではあるけれど、今頃になって片付けております。考えてみれば、雪で「草」を隠してくれると昨年過信して、春に焼き払うべきところを怠った結果が今の状況になっている。昨年まではイネ科雑草だったものが、お隣の畑の「セイタカアワダチソウ」の『侵略』を受け、畑とは思えないほどに荒れ果ててしまいましたよ。それでも少しずつ刈り倒し、乾燥させて焼き払いを繰り返した結果、何とか耕運できそうな状態まで戻りつつありますけれどね…。(やれば出来るじゃないか^^;)
はてさて、手入れして『当たり前』が、こうして放置してみるとわずか1年で変容してしまうことを経験し、日々継続することの大切さを味わった1年でありますが、何か成果が上がったかと考えると、さすがに見兼ねた長女が『草刈り』を始め、長男も独力で作業を始めたということでありましょうか…いつの日か『おやじぃ』が居なくなったとしても、何とか暮らしていける状態になればしめたものでありますが、やはり『要領』は『おやじぃ』の方が一枚も二枚も上手ではある。そう満足して今年は取りまとめようなどと考えております。『おやじぃ』がやって『当たり前』のことを、今度は自分たちが『当たり前』のことのように取り仕切っていかなければいけない。そうそう、雪国での暮らしの『いろは』を覚え、『トホホ』と嘆く。これまた『当たり前』のように繰り返されるのでありましょうかねぇ(笑)