果たして「クマ」はどこを目指す?
明治33年(1900年)に『幼年唱歌』に掲載された童謡「金太郎」…クマと相撲をとったと記憶していたのでありますが、1番「くにまたがり おうまのけいこ」であり、2番「けだものあつめて すもうのけいこ」とあるから、クマと相撲をとったというのは、童画(絵本)による記憶のようであります^^;
『坂田金時』という人物も実在したかどうかは疑わしいとされているようでありますから伝説上の人物…しかし、食卓に上る「きんぴらごうぼう」の「きんぴら」とは『坂田金時』の息子『坂田金平』が名前の由来とされている説もあるから驚きである。昔から山でクマに遭遇し、格闘したという豪傑の話題もあったから、どこかで『金太郎』はクマと相撲をとったと思い込んでいたのかも知れない。ほとんどの場合、格闘した豪傑も大ケガを負っているというお話だから、クマと相撲をとるなどということは努々(ゆめゆめ)考えない方が良いようである。
はて、「クマ」が人間の生活域に進出しているのか?、人間が「クマ」の生息環境を脅かしているのか?本来、「クマ」に『生息エリア』という『考え方』があるのかという疑問にぶつかってしまう。川の魚が陸に上がって来たら、進出かも知れませんが、一般的に野生動物を一定のエリア内に閉じ込めようとする考え方自体が誤りなのかも知れない…残念ながら、野生動物の基礎研究に費やされる予算は乏しいと思うのでありますけれどね。
どうぞ「旨さ」を追求してください^^;
さて、山にエサが不足している。人里に『美味しいモノ』があることを知ってしまったetc.「クマ」が市街地にまで出没する現況をそう解説して納得するフシもあるのだけれど、「クマ」だって繁殖する訳だから、特定のエリア内に留めておけば『累代婚(近親婚)』が避けられなくなる訳であって、野生動物からすれば「移動」も種の保存にとっては、重要な行動のような気もするけれど…藪の中に身を潜めながら川を下るのも「移動」のひとつなのかも知れないなどと考えたりもするのですけれどねぇ…。
はてさて、日本人には「居住移転の自由」というものが憲法でも保障されている。「経済(エサ)的」「身体(繁殖)的」「精神的」自由権が保障されている訳でありますが、『田舎の長男・長女』は、憲法では保障されていても「精神的」な圧力で「移動」の自由に制限が加えられてきたようにも思える。(今では、そんな圧力はほぼありませんけれどね。)「クマ」にとっての「精神的自由」というものがあるかどうかは分からない…まぁ、人の出没による静寂な環境が荒らされるということがあるかも知れないけれど。『母子家庭』のクマの親子が『託児所』を見つけに来ていたりして…人間側の勝手な解釈として『共存共栄』などという考え方もあるけれど、「クマ」がそれを望んでいるとも思えない…「居住移転の自由」が保障されているはずの、既に移動できない『おやじぃ』の下らない妄想でありますけれどね(笑)