「タンポポ」の由来は諸説ある…
秋の晴れ間に「雪囲い作業」…最盛期は九つほど囲いモノをしていたのだけれど、年々数を減らし、今年は四つ程度まで絞ろうと思っております。もしも、雪で枝折れしたならば、その樹から切り倒していく。しかし、思いの外折れないものでありまして、何で雪囲いをしてきたのだろうなどとも思い始めております。(雪で潰されてしまうであろう樹種や造りが分かりはじめてきたかも知れない^^;)
今朝は、朝から雨…「雪囲い作業」も一服、少々きしむ身体にお休みを与えるには良い機会でありますよ。ラジオから「今朝は、まとまった雨が降っている。」というアナウンスが流れ、はて「まとまった雨(雪)」とは、どの程度の雨量なのだろうと調べてみたのでありますが、気象庁HPでは「季節予報で少雨(雪)が続いているときに、一時的にせよその状態が緩和されると期待されるときに用いる。」とある…アララ、『おやじぃ』は「まとまった」という表現を、今朝まで『ひとつのかたまりになる』という意味に捉えており、ザーザーほどでは無いにしろ、シトシトでもない程度の雨と思っていたのでありますけれどねぇ。気象庁さんが考えている「まとまった」とは、「決まりがつく」という意味から少なくとも小康状態になることをイメージして使われているようでありますよ。恐らくは、多くの方が勘違いをされているのではないだろうか?などと他人まで巻き込んでおります(笑)
そろそろ「夏日」も終わるようで…
さて、大きな勘違いに気付いた朝に、今は亡き恩人が亡くなる夢(人が二度亡くなる?)夢を見た。そして、息を吹き返した…死後に蘇生する?暇を持て余し、そんな事例はないかと調べてみたのだけれど、日本神話の世界では、イザナギが妻のイザナミを蘇生するお話もあるらしい。現在では「脳死判定」の場合を除き、「心臓、呼吸停止」「瞳孔が開く」ことを死の判定基準としているから、医学が進歩した現在では、24時間の経過を見なくても「死」は確実に訪れているようである。稀に、心拍、呼吸、脳波が停止したにも関わらず、蘇生したという例もあるようではありますけれどね…。
はてさて、『まとまった雨』のお題が、何で『蘇生』のお話に発展してしまうのか…「雪囲い作業」をしながら、今でも木の切り株にけつまづくことがある。そう言えば、子どもの頃には、ここに〇×の樹があって、そこには△□の木があったなどと30年以上も前のことを思い出しております。切り株が残っているのは、それが針葉樹で樹脂によって守られ、朽ちずに残っているからに違いない。今でも「琥珀」の中に閉じ込められた昆虫が発見されたりするからねぇ…『おやじぃ』がいくら切っても、刈っても枝葉見事に再生しますよ。雪程度の重しでは、庭の木々は枯れたりはしないのかも知れない。『まとまった雨』に庭木をまとめて伐るか、少しずつ伐るかを悩み…想い出が蘇ると、また切れなくなってしまうんだなぁ(笑)