「サンシュユ」の実も色付いて…
仕事部屋に閉じこもってアルバイト作業をしていたら、窓際に「シジュウカラ」の訪問を受けました。「シジュウカラ」は留鳥であり、雑食性とのことだから居てもおかしくはない。『おやじぃ』は、虫を中心に食べていると信じ切っていたから、「雪も降るから、そろそろ雪の無い南へと行った方が良いのではないかい。」などと窓越しに余計な心配をしております。最近は、『優しい心』というよりは、小動物を見ていると子や孫を見るような目線になってしまったような気がする。それぞれが『生業』を立てて生きているのだから、年寄りのやはり余計なお世話ではある^^;
そんな『おやじぃ』の夢に『ろうろう』という四文字が出て来た。①「朗々」…音声が澄んでよく通るさま。(子どもの頃の声は響くものである^^;)②「浪々」…さまよい歩くこと。(人生の意味を考える日々もあったっけ^^;)③「朧朧」…おぼろにかすんださま。(最近は、記憶もかすみがち^^;)④「老々」…非常に年老いたさま。(まだ、この域に達する訳にはいかない^^;)と、漢字に直して並べ替えてみたら人生のようにも思えて来た…。英語に直せば「Row! and Row!」…漕げや漕げといったところですかねぇ。幸せという『船着き場』を目指して生きてきて、振り返ってみたら、そこは『三途の川』だったりして(笑)
そろそろ、外仕事も辛いわ…
さて、「日中、人が居ない。」と会議等で繰り返し訴えても、現職で勤めている方にはピンとこないのかも知れない。日中(夜勤であっても)勤めてさえいれば、自分たちよりは若い世代との交流がある訳だから致し方ないのかも知れない。この5年間を振り返っても、お茶飲み友だちを訪れる年寄りたちの姿さえめっきり減ってしまいましたよ。子どもたちは、幼稚園、小学校へと消え、外遊びする姿を見掛けない。中学生は町内1ヶ所の中学校へ通い通学する姿を見掛けるのは朝と夕方だけである。年寄りたちさえ、デーサービスに通い、家に残っているのは自営業者か、少々動けるけれど足(交通手段)のないお年寄りばかり…「防災」などと言われましても、日中に動ける人が居ないのでありますけれどねぇ…。
はてさて、コロナ禍を何とか乗り切り、『以前の日常を』という掛け声は耳にするのだけれど、この5年間で、『やらなければいけないこと。』と『やらなくても済ませられること。』の別が切り分けられるようになった気もする。『しきたり』や『行事』などというものは、その最たるモノではなかろうか?鬱陶しいモノは切り捨てる…これはこれで『便利』ではある。個人や家族の生活を守ることで精一杯なのだから、それはそれで仕方のない時の流れなのかも知れない。「シジュウカラ」の食べ物を心配している余裕などありましたっけ?『田舎街は始終空』ではオチにならないけれど、行きつく先は『ろうろう(朧朧)』と見えてくる気がするのでありますけれどねぇ…笑えない。