「生きる」ことも大変だわねぇ…
夕食の時に「四苦八苦」という言葉がテレビで流れ、はて?「四苦」とは「八苦」とはと考えてみた。どうやら仏教用語が始まりであり、「四苦」とは「生・老・病・死」であり、これに「愛別離」「怨憎会」「求不得」「五蘊(陰)盛」の四つを加えたものが「八苦」らしい。『四苦(4✕9=36)』+『八苦(8✕9=72』で108の煩悩になるという解説をされる方もいらっしゃるようだけれど、どうやらたまたま数字が一致しただけのようでありますなぁ…。
仏教では、悟りを開いたお釈迦様が「四苦八苦」を説いたとされているようでありますが、これだと「生きること自体が苦しみ」ということになってしまい、どうも収まりが悪過ぎる。『悟り』の境地に至ろうとする高僧の苦しみと生きることを楽しもうという凡人の苦しみを一緒くたに考えるからモヤモヤが残ってしまうようである。今では「四苦八苦」も、「求不得苦」…「求める物が思うように得られない苦しみ」に特化した使われ方がしているようにも思えるから、土台、求めているものが違うのだと思い、今朝は納得することにしましたよ。
秋も深まり『終末』の頃を迎えているはずのトンボに、「この夏は楽しんだかね?(遊んだかね?)」と尋ねるくらいが凡人には似つかわしいのかも知れませんなぁ(笑)
ああ、今夜はビールを切らしてた…
さて、ひと夏放置してしまった庭の掃除も順調に進んでおります。(そう思い込むことにする^^;)今『四苦八苦』しているのは、ヒバとモミジに絡みついた藤の蔓…以前は、白い藤が川辺に咲いていたものだから、実生で出た藤が何色かと興味を持って放置していたのだけれど、花が咲かないのでありますよ。いつもの年なら、根元から伐って抜いて置くのだけれど、ふと考えるに昨年はその作業を怠ったような気がする。この夏、二年目の蔓が太くなり、新梢がさらに伸びてとんでもない有り様に…『藤子』と名付けられた方は、概ね丈夫な方かも知れない。(失礼^^;)
はてさて、こうして堕落(楽)をすると、そのツケが翌年、翌々年に及ぶことを今さらながら痛感しております。自ら招いたはずの『四苦八苦』…遂には残していった亡き親父にまで文句を言い始めるのでありますよ。よくよく考えてみれば、庭木を楽しむ余裕もないことが一因ではあるのだけれど…。「五蘊盛苦」…「五蘊」(人間の肉体と精神)が思いのままにならない苦しみを指すらしい。「そうだよねぇ…懐具合よりも心の余裕が必要よ。」などとご立派なことを述べつつ、やっぱり懐具合が気になる日々の生活ではあるますけれどね(笑)