美の壺で紹介していた店を予約しておいたので出掛けました。
軽井沢特集での紹介だから、てっきり旧軽井沢地区だろうと思っていたら、
所在地はなんと追分宿近くの別荘団地でした。
メインはワッフルでブルージュで食べるより美味しいかも知れませんがお値段は本場を上回って居ました。
一応コースになっていて、コーヒーも美味しかったですが、お値段は一人前2800円。
夏の思い出には良いですが、滞在中毎日行くところではなさそうです。
お店はこんな感じ。
ペット連れの人はベランダでペットと一緒に過ごせるようです。
軽井沢プリンスホテルは、その昔、お二人がテニスコートで出会い、
ご成婚に進まれた思い出の場所です。
18号線やその裏道まで警備の警官が角角に立って目を光らせています。
私は何も悪いことをしていないから、怖がることはないのですが、
そのために道路が渋滞しているのは困ります。
お二人が移動する際には、交通規制されて一般の車は通れませんから
御料車はすいすい走り、お二人はにこやかに手を振られたりされていますが、
その影で、大事な時間を浪費させられている匡民が居たり、
炎天下で立ち続ける警官の苦労はご存じないことでしょう。
欧州の王室のように、もっとのびのび振る舞われたいと上皇はお考えだと思います。
皇太子時代にはプリンスをご自身で運転されたご経験もおありなのですから
軽井沢にご滞在の時位はスカイラインを運転されて
お二人だけのドライヴを楽しまれてはいかがでしょう?
布引観音は詣でると言っても登山に近い感覚です。
急峻な参道をよじ登るのです。
布引観音の本殿は清水の舞台そのままに崖に張り付いています。
しかし清水より格段に高い所におわしますのです。
牛に引かれて善光寺お参り、と言いますが、善光寺は車で直ぐ側まで行くことが出来ます。
布引観音は牛にでも引いて貰いたい厳しい山道です。
でもお参りしたとい寿達成感はかなりのものです。
来年もお参りできるのか? 再来年は? 盟友のY君と又上れたら良いね、と話しました。
私の出た高校の同窓会が管理している七生寮です。
軽井沢の他、千葉県館山にもプライベートビーチがある寮を持っています。
ここに掲げた二枚の絵は私が寄贈したものです。
120号の大きさなので、なかなか飾れる場所はありません。
絵にとっては所を得たと喜んでいることでしょう。
布引観音の登山・参拝でかいた汗を麓のあぐり温泉で流しました。
入場料は格安の500円、小諸市営の温泉だから安いのでしょう。
昼も食べましたがリーズナブルで味も悪くありません。
何よりのご自慢はこの眺望です。右端に浅間山が見えます。
善光寺様に着いたら、それこそバケツをひっくり返したような!と言う表現がぴったりの
凄まじい雨になりました。
参詣人はみな屋根の下に避難しています。
でも、ゆっくりお参りしている間に小降りになり、やがて降雨は納まりました。
何時もは素通りしている常夜灯に眼が行きました。
寄進者の住所が私の前に住んでいた場所に近かったからです。
葛飾郡・新宿町、奥戸村、金町村、上小合村 今の葛飾区の町名が並んでいます。
江戸時代から明治にかけて、新宿町は宿場で栄え、水運にも恵まれて繁栄していました。
そこへ鉄道が来ることになりましたが、新宿町は鉄道に客を奪われるのを嫌って駅の設置に反対しました。
そこで駅は金町村と、亀有村に設置されたのです。
既得権益を守ろうとして、鳶に油揚げを攫われたのです。
那珂湊は水戸近くの漁港で観光客相手の食堂と魚市場があります。
私はワタリガニと岩牡蠣を買いました。
養殖の真牡蛎は今の時期、生食は控えるべきですが、岩牡蠣なら通年生食出来ます。
岩牡蠣の殻は頑丈で貝柱を切るのに苦労しましたがワタリガニはぶつ切りにして味噌汁にしました。
3時少し過ぎにチェックインしました。
宿を利用して居るのは高齢者が多いです。
食事の量も量もそこそこで年寄りには調度
良いのでしょう。
私はの降り少ない食事の機会をそこそこのもので済ませたくはないし
宿も心の籠もったもてなしを受けたいから、交友所は選びませんが
友人の手配ですからお供してきたのです。
次回は私がプロデュースしてちゃんとしたものを食べさせてくれる宿に案内し宇ことにしました。
分福茶釜の茂林寺です。館林にあります。
山門をくぐると両側にずらりとお狸様が大きなものをぶら下げて並んでいます。
茶釜に化けているのも居ます。
どれも大きなフグリをぶら下げています。
ご本尊は狸では無く仏様です。
茶釜に化けていてもしっぽは生えています。
何か隠していてばれることをしっぽをだす、と言う語源でしょうか?
何処かの匡の総理とか副総理もしっぽは出しっ放しだし、
衣の下の鎧も隠そうとはしません。
今回の参院選ではしっぽと鎧をしっかり見定めて投票しなければなりませんね!
八畳は無いけどかなりのサイズですね。
そちらの簿雑は衣だけで下に鎧など着けては居ません。
門前前の土産物屋も狸一色です。
浦安というとディズニーランドを連想しますが、実際は歴史ある町なのです。
漁師町として栄えたし大きな網元の家もありました。
近年は新開地で地震による流砂現象で家が傾いたり、道路が波打ったりとマイナスイメージが
ありますが、それは土地造成がいい加減に行われたからで、旧市街地には被害は無かったのです。
私が若い頃は浦安はハゼ釣りに行きましたし、宮内庁の鴨場は現在も健在です。
町中には浅間神社が有り富士塚が作られていました。
富士塚は富士山信仰が盛んだった頃、江戸の町には多くの富士塚が作られました。
本物の富士山に登山したのと同じ御利益があるとされたのです。
この看板にそのことが詳しく書いてあります。
小布施には北斎館が有り北斎の肉筆画が多数展示されています。
山車や寺の天井画なども描いていますし、北斎は高齢になってから足繁く小布施を訪れています。
江戸では華美を控えるよう幕府がお触れを出し、浮世絵なども規制の対象になっていましたが、
幕府の威光も小布施までは及ばなかったのと、小布施の作り酒屋が北斎の庇護者になっていたからです。
庇護者のお庭にはボタンが花盛りです。
今回の長野への旅は小布施で完了。
帰路は帰路は関越道経由で帰宅しました。
小布施に向かう途中の道の駅で未だ幼いツバメに遭いました。
巣立ったばかりなのでしょう、でも直ぐに宮中に消えました。
夏の終わりには数千キロの旅に出るのですから
完全な飛翔力を身につけねばなりませんからね。
長野に来るとなるべく善光寺様にお参りすることにしています。
祖母は良くおびんずる様にお参りしていました。
赤いよだれかけをしてピカピカに光っているのがおびんずる様です。
自分の身体の治したいところをおびんずる触って撫でることで病は消え去るようです。
私はそれなら頭の先から足の先まで撫で回さねばなりませんが
おびんずる様も丸投げされてもお困りでしょうから、
一番何とかして戴きたい頭を撫でて、まともな頭になるようお願いしました。
皆さん頭を撫でる方が多いようです。
柳刃包丁で小学生をなぎ倒した奴めも、事件を起こす前におびんずる様の頭を撫でておけば
無為な殺人をしないで済んだかも知れません。
本堂内陣は金ピカで善光寺様の隆盛が伺えます。
真夏の様な強い日射しです。
駐車場は本堂の裏側ですから出入りは裏門からです。
ゴーンさんのように変装する必要は無いけど表門は遠回りですから。
おびんずる様にあやかってフリマが開かれていましたが飼いたい物はありませんでした。
木曽義仲は木曽が本拠地です。
先日、能の「巴」を拝見したばかりなので立ち寄りました。
能の巴は義仲の奥さんだった巴が主人公で、義仲が討ち死にした後、
小袖に遺品を包んで立ち去る、と言うのが粗筋です。
館に展示してある巴はなかなかの美丈夫で長刀を持って凜々しく義仲に寄り添っています。
巴は一騎当千の荒武者でもあったのです。