材木屋さんの建物はおそらく明治以降のもので
150年くらいは経って居ると思われます。
雨戸には得も言われぬ時代が刻まれています。
雨や風それと時間が作り出したアートです。
新建材だったら30年も経たないうちに見る影もなくなって居ることでしょう。
材木屋さんの建物はおそらく明治以降のもので
150年くらいは経って居ると思われます。
雨戸には得も言われぬ時代が刻まれています。
雨や風それと時間が作り出したアートです。
新建材だったら30年も経たないうちに見る影もなくなって居ることでしょう。
材木屋さんですから当然沢山の材木が立ち並んでいます。
画面右側が材木置き場になっていますが、絵では省略しました。
店舗が木材建築の良さを見せるショールームになっています。
鉄やコンクリートの建物で材木を売っていては可笑しいですからね。
大野家は「家」が付くのが当然の大店です。
この絵の右奥に微かに描いてある部分も大野家のものです。
蔵も幾つも連なっているし、それらが現存しているというのも
素晴らしいことです。
何時か中を拝見したいものです。
蔵の部分についてもいずれ描いてUPする予定です。
大野家は前にも描いてこのサイト二UPしています。
いつものこの車があって邪魔なのですが、どけてくれと言うことも出来ず、
前回もこの車を入れた構図で描いています。
同じ角度では面白くないので、今回は左サイドから、周囲を多く取り込んで
描いてみました。
この家は屋根瓦もずれたりしていないし、木組みもしっかりしています。
ちょっと手入れすれば十分使える建物です。
しかし、このまま放置すれば遠からず朽ちてしまうことでしょう。
地方の里山などにはそうゆう放置された建物が沢山有ります。
この家がそうだとは断じられませんが、早く何とかしないと、
と人ごとながら気に掛かっています。
蔦に絡まれたから営業をやめたのか、営業をやめたから蔦がはびこったのか?
以前は床屋さんをやって居たのではないかと推測される店構えです。
立派は屋根が見えますから、この外装にする前は大きな店構えの老舗だったのでしょう。
修理中と書きましたが、修理予定、か応急処置、の方が良いのかも知れません。
屋根の壊れた部分を緑色の透明なシートで覆って居るだけですからね。
こんな事があると、歴史有る家の持ち主は、直すより建て替えた方が良いのかな?
なんて考える事もあるはずです。
私としては是非直して使い続けて欲しいのですが。
昨年の地震では越谷でも屋根が壊れた家があります。
この家の屋根もその被害を受けたのでしょう。
古い家だけではなく、新築したばかりの家でも瓦がずれたりしています。
その隣の家はなんともないなんて例もあるから不思議です。
昔、祖母が、地震には通り道がある、と言っていました。
祖母(母も)は関東大震災を体験しています。
我が家は壁に立てかけて置いた盥も倒れなかったそうですが、
その一方で近所では地面が地割れして挟まれた人も居たそうです。
祖母が言う通り道とは、おそらく活断層のことではないかと思います。
その活断層があると推測される地盤に建つ原発を
再稼働させた政治家が居ます。
その政治家は、私が責任を持つ、と大見得を切っていますが、
福島第一原発の事故で責任を取った政治家も役人も東電の役員も居ません。
地震の通り道には、原発は勿論、建物も作ってはいけません。
屋根から色を置きはじめて、次第に細部に進むわけですが、
屋根の色も描き進む内に全体のバランス等を考え、補正します。
これは他の部分でも同じです。
絵を描くという作業は個人的な作業ですから、
自分の好きなようにやればいいわけです。
この絵では、板塀からはみだして咲いている紫陽花は、私の創作です。
実際には木の枝と葉が出ているだけでしたが
この辺りに色が欲しかったので紫陽花に変えているのです。
水彩画は薄い色から塗っていくのがセオリーですが、
私は奥になる部分から塗り始めることが多いです。
建物とかだと屋根から始めます。
手前の地面や空は一番後にしています。
厳密に決めているわけではないから順序が前後する事もあります。
絵は楽しんで描くことが大事ですから余り決まり事などない方が良いのです。
蔵に繋がった家、と言うのもおかしなタイトルです。
越谷宿では多くの蔵が独立して建っては居ません。
大抵何かの建物と連結しています。
細長い敷地を有効活用する知恵だと思います。
「幟の傍の家」とか「紫陽花が塀からはみ出している家」でも良いのですが
ここは表題通りで押し通させて下さい。