毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

素晴らしきかな、“個”

2009年11月18日 22時58分31秒 | ふと思うこと
夕べ。。。。結局見えませんでした(T_T)
がんばって起きてて、3時ごろ「そろそろ頃合かな~」と外を見たら、なんと空一面薄雲だか靄だかに覆われて星がぜんぜんな~い
それでもときどき強く吹いてくる風のおかげか、たまに雲の切れ目からひとつ、またひとつと顔をのぞかせてくれるのに望みを託して5時過ぎまで粘ったけど、一番鶏の声を聞きつつついにダウン。

懲りずに今夜またチャレンジします(^^)v


流れ星には会えなかったけど、久々に夜の氣配にひとり身を浸す豊かさをとっくり味わわせてもらった幸せなひとときでした。

言葉ではとても言い表せないけど、人氣のない山里の夜は、あたり一面いのちに満ち満ちています。
寂しがるどころではありません。
風を感じ、遠くから聞こえてくる木の葉ずれや川の水音に耳をかたむけているだけで、芯から満ち足りてまっさらに洗われるような心地になります。



以前私がよくあろう、よくなろうと一生懸命だったとき、視線の先には「いつか一人じゃなくなる、すばらしい仲間、友だち、家族に囲まれて二度と寂しくなくなる日が必ずやってくる」という理想図があったような氣がします。

それがどうも最近変わってきたようなんだなぁ。

「どこまでいっても基本は“ひとり”だな」って。

ただ、その“ひとり”に寂しく寒々したイメージが付いてまわらないんですね。

「孤」じゃなくて「個」って感じかな。

どこへ行くにも持って歩けるのは自分自身だけ。
だから基本はひとり。

でもひとりっきりで隔離されてるわけじゃなくて、行く先々でいろんな人と出会い、ときにはすぐ別れ、ときにはしばらく歩みを共にする。

離れて再び一緒になることもあれば、一度限りのご縁の人もいる。

くっついたり離れたり、塊が大きくなったり小さくなったり、アメーバかなにかのように絶えず姿かたちを変え続けながら、常駐メンバーは自分ひとりだけ。

そんなのがいちばん自然な姿なんじゃないかな、一人だと寂しい、誰かと一緒だから寂しくないっていうのは実は幻想だったんじゃないかな、って思うようになりました。

一人だから寂しいのではない。
寂しいのは、周りの世界から意識を切り離して自ら孤立してしまったときだけなんですね。
周りと波長が合わなくなってしまうっていうのか・・・じぶんだけの不安や怒り、哀しみの世界に閉じこもってしまうような。

周りの世界とごく自然に溶け合っていれば、「一人」でも「独り」じゃない。
人間だけじゃなく、いや、むしろ人間以上に優しい存在に絶えず囲まれていることを感じて、いつも安らかな心でいられる。
そんな風に思えれば、それが「個」であるっていうことなんじゃないかな、と。。。。

「個」と「個」が出会えば、そこにはさらに豊穣な世界が生まれるのでしょうね。
「個」の人はエネルギーの奪い合いとか駆け引きとかそんなのないですもの。
ただ互いの満ち足りた世界を重ね合わせるだけですもの。


どうしようもなく「孤」でどうしようもなく不安で寂しくて仕方のなかった私が、なぜこんな風に思えるようになったのか自分でも不思議なんですが。

とにかく、今はひとりでもよし、氣の合う誰かといっしょもまたよし、ということで


というわけで、今夜もひとり楽しく流れ星を待つことにしま~す(笑)