毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ネガが教えてくれたこと ・ 十年後

2015年04月23日 10時01分09秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


このブログの前に、楽天でブログを持っていたことがありまして。

今以上に未熟な自分が表れていますが、それはまあ仕方ないよね(^_^;)

ただ、終盤あたりの文章にまつわる思い出が あまり心地いいものではないので、引っ越して新たに始めたこちらのブログとは 特につなげたりしていなかったのですが、白状すると 楽天時代のエピソードを一からこちらに書くのがだんだん面倒になってきて(こら)、もう過去にあれこれこだわることもないかと リンク張ることにしました(^^ゞ




というわけで、この記事

お断りしておけば、長いのは今と同じで、その上 行間の空きなども少なく、こちら以上に読みにくいかと思われます。

それでもOKという寛大な方のみ飛んでくださいませ m(__)m




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で、そうまでして書きたかった話とは。




「いつの間にか変わってた」 って体験のある方、多いんじゃないかと思います。

楽しんでいたはずが いつの間にか頑張りに変わっていたり、目的と手段が いつの間にか入れ替わっていたり。

こういうのって、季節が変わったり 昼と夜が入れ替わったりする時と同じで、徐々にグラデーションみたいに変化するので、変わり目が見えない。

はっと氣づいたら あれれ? ってことになっている。




この記事の中で、これでもうネガさんに苦しまなくていいんだ、戦わなくていいんだ、と思っているようですが、なんのことはない、いつの間にやら元のもくあみ、それからさらに十年近く、ネガさんを重荷に思い 疎んじながらの暮らしが続くのです

いや、当時でも それが事実認識というより希望的観測だと 薄々氣づいてはいたみたいで、どうかな、怪しいものだけれど、でもそう信じたい。。。。そんな氣持ちが 時を越えて伝わってきます。




で、今なんでこの話を思い出したかっていうと。

13日朝 起き抜けに、久々に大きな不安に見舞われ、すぐさま感覚に集中するも、起きてすぐは 意識が目覚めきってないのか どうも集中しにくくて、そのまま心地悪い氣分を 中途半端に引きずることになりました。

やだな、つらいなぁと思いつつ、PCを立ち上げ ネットであちこち見て回っていたら、ツイッターでフォローしている 「バシャール・スピリット」 というボットのツイートで、こんな文章を見つけました。


    “ 否定的な観点にも価値があります。それを理解してください。

      否定的な観点も創造全体の一部であるということを受け入れると、エネルギーのバランスをとることができるようになります ”




これを見て思い出したのが、あの十年前のワーク。

はっとなり、うんざりだった心地悪い氣分を 心の中で 自分のバランスの一部として ぐいと抱えなおすような動きが起こった、と思ったら、それはすーっと溶けるように消えてゆき、あとに深い安堵感が残りました。




ああ、やっぱり受け止めているつもりで 早く消えて欲しいと思いながらフォーカスしていたんだなぁ、と、十年前にTちゃんが教えてくれた 「今までお前のためにやっているのに何で疎まれるのかという気持ちで一杯だった」 というネガさんの言い分を思い出して、申し訳なさでいっぱいになりました。




そこからずっとこの一件が心に残り、思うともなく思い続ける中で、「ネガな気持ちの役割。。。それは、人の中で根っこをしっかり張って、その人が上へ上へと伸びていっても倒れることがないよう、上空の強い風にも負けないよう支えること」 というあのときの言葉が、これまでにない実感を伴って、心の奥にぐいぐい入り込んできました。




今もし ネガをうまく一掃できたとしよう。

いい氣分しか感じなくなって、どんなにか軽やかでうれしいことだろう。

が、時間が経つにつれて、それは例のグラデーションのように 徐々に慣れて 当たり前になって、新たな起爆剤となるピンチも不安もやってこないまま、よくなろうという氣持ちの張りも失って、私は慢心したまま ぼんやりふらふらと宙に漂いだし、成長を止めてしまうだろう。

これも以前に書いた記憶があるけれど、明けても暮れてもひたすらいいことしか起こらないって、実は 退屈極まりない地獄なのだ。

「禍福はあざなえる縄の如し」 っていうのは、この人の世では なくてはならない恵みなんだ。

ネガが定期的にやってきてくれるから、負けまい呑み込まれまいとして、人は努力し 成長し、その喜びをまた味わうことができる。

ネガは災難でも余計物でもない、なくてはならない大切な私の一部なんだ。

氣づかないうちに道を外れていたことを教えてくれる ありがたいビーコンだ。




この自覚、どうやら もう忘れることのない 私の血肉となったようです。

それまでは、ネガティブな感情に襲われると、ああまた引き戻される・・・・と それだけでずどーんと落ち込んでいたものですが、あれ以来 ネガさんにつつかれては、やばっ!私また 粗雑・散漫になって ズレかけてたんだ、と 座禅で眠りかけて喝を入れられたかのようにはっとなり、そのたびにネガさんに感謝する毎日なのです

強敵だったものが心強い味方に変わり、ピンチはあっても敵はいない、張りと安らぎの日々。

これって この三次元世界で最高のありかたなんじゃないかな♪

どうなっていくんだろう、これからの自分、すごく楽しみだなぁ




十年かかって 外側の言葉だったものを取り込み 消化吸収して、自分のものにする重みと喜び。

やっぱりいのちに関する変化は 時間が必要、そして それだけの値打ちがあります。

あのときのTちゃん経由・ネガさんからの伝言、ようやくがっちり受け止められたようです(^^)