毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

二次元アバターはイラスト羊の夢を見るか?  その4

2019年09月21日 10時35分38秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


前の記事で 「最先端の技術にも使いようというものがある」 と書きましたが、端的にいえば 「とにもかくにもいまここに存在するままの自分を認めた上で 自分がしたいことをするために使う」 か、「いまここの自分を否定し 現状から目を逸らす ・ 現状を破壊するために使う」 かだと思います。

これについては VRではありませんが、苦い体験があるからです。




結婚して親元を離れ独立した貴秋の心の底には、いつもかすかに “期待はずれ” の思いがありました。

夫も仕事もあり それなりの暮らしをしていたのですが、子どものころから夢見てきた未来とはほど遠く。。。というのはそもそも自分軸がしっかりできていなかったため、ほんとうになにがしたいのかもよくわからないまま漠然と空疎な夢を描いていた結果なのですが、いいと言われることを守って真面目に生きてきたのに 大人になっても少しも報われた氣がしない、もっと輝かしく充実した人生になっていいはずなのに、という失望感が拭えなかったのです。

それに加えてもともと他者に怖れを抱いていたせいで 日常にも大小さまざまなトラブルが頻発し、さらに母親とのいびつな関係も濃密に続いていて、のびのびくつろげる間がほとんどない状態でした。

ここで幼いころからの空想逃避癖が顔を出し、年月が経つにつれどんどんひどくなっていったのです。

もちろんVRなどまだない時代、ゲーム機にも触ったことのない貴秋の逃避先は昔なじみの本の数々、そこに夫愛読の週間少年ジャンプも加わります。

「One Piece」 と出会ったのはこのころで、読み切りの 「ROMANCE DAWN」からアラバスタ編の途中ぐらいまではリアルタイムで読んでいました。

直接目耳に触れる映像などなくても 心の中にいとも簡単に別世界を築けるのですから 人間の想像力とはすごいものですが、子ども時代のそれは緊急避難先として有効でも、成人してなお同じことを続けるのは無理があります。

そうわかっていながら逃避に走ってしまったのは、なぜ期待通りに生きられずいやなことばかり起こるのかもどうしたら解決できるのかもわからないままで 他に氣を休める方法が見当たらなかったからですが、そうやって現実から目を背け あらぬ世界に逃げ込み続けた代償は、ウツ一歩手前という荒んだ精神状態でした。




朝仕事に出かける夫を送り出すと、そのまま本を持って敷きっ放しの布団にもぐり込み、ときには昼食もとらずひたすら読みふけり、日がな一日あらぬ世界に浸ってぼ~っと過ごします。

そして夕刻、そろそろ夫が帰ってくるというころになると 慌てて布団を上げ、部屋をささっと片付けて夕食の支度にとりかかるのですが、この現実に引き戻されたときの心身の重いことといったら。

深海に引きずり込まれ、何トンという海水がのしかかって潰されそうな感じといえばご想像いただけるでしょうか。

現実世界にいいことなんて何ひとつない、できるものなら捨ててしまいたいけどそれはできない、この世に生きている限り からだを持つ自分をどうにか体裁を整えて生かし続けてゆかねばならないのだと思うときの絶望感。

そして何よりおかしいと感じたのは 一人のときと夫に見せる姿とのギャップで、一番身近なはずの人にほんとうの自分を決して見せようとしない自身の心のありようが わが事ながら異様に思え、このままではまずいという危機感が日ごとに募っていきました。

あのときマインドの制止をすべて振り切り、清水の舞台から飛び降りる思いで和歌山に移らなかったら、いまごろどうなっていたか・・・・想像するだけで怖ろしくなります。




VR起業家の加藤さんは番組中で、「いわゆる (ネット) 廃人というのが正しいのかよくわからない」 とおっしゃっておられましたが、これは 「廃人」 をどう解釈するかにもよりますが、貴秋はネットであれVRであれ他の何かであれ、自身を否定したまま用いるなら 廃人状態に行き着くこともありうると思っています。

同じようにバーチャルにのめり込んでも、廃人になるかならないか その分かれ目は、この生きたからだを持つ自分という存在を受け入れるか否定するか、というところにあるように思うのです。