毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

やっぱりセミの声は “閑か” だった

2023年08月06日 12時24分04秒 | 自然
連日の半端ない太陽パワーで、ミニトマトの実がみるみる赤く色づき うれしいこと。

ゴーヤもグリーンカーテンらしくなってかわいい黄色い花をいくつも咲かせているし、水菜もルッコラもサニーレタスも 取っても取ってもすぐまた新しい葉をつけ、すくすくと育ってくれています。

毎朝涼しいうちに庭に出て、一株一株をチェックしながら 水をやったり枯れた葉を取り除いたりするのが日課。

そうやって見回っていると、あちこちでセミの抜け殻がいくつも見つかります。

今年最初に見つけたのは、ミニトマトの葉の先端にぎゅっとしがみつくようにくっついていたもの。

殻の主たちは、頭上で絶賛大合唱中です。




実家の庭には その狭さにも関わらず そこそこのっぽな木が数本植わっていて、毎年5~6月になると 高枝バサミと格闘しながらの素人剪定となりますが、その風通しよくなった枝に いったいどれだけのセミさんがとまっているのか、毎朝6時前から大音量の鳴き声が響き渡ります。

最盛期には テレビの音も倍以上に大きくしないと聞き取れないほど、もう音というより ビリビリと強烈な震動が 鼓膜に直接突き刺さる感じ。

でありながら、不思議と圧倒されはしても 不快だとは思わないのです。

これが作業中の電動草刈り機とか 「毎度お騒がせいたします~」 の販売 ・ 回収車のスピーカー音とかだったら、うるさいなぁもう、早くどっか行ってよ、とイラつかずにおれないレベルですが、鳴き騒ぐセミたちの真下で感覚フォーカスしてみても、からだの内側はしんと静まりかえって穏やかこの上なし。

何がどう違うのかはわかりませんが、自然の音というのは 物理的音量に関係なく、こちらの神経をかき乱すことのない静けさに満ちているようです。

セミだけじゃなく、すぐ近くの屋根で カラスが数羽けたたましく鳴き交わしていても、鳥の群れが耳をつんざくような声を立てながら通り過ぎても、いや 叩きつける暴風雨やとどろく雷鳴でさえ、驚きはしても 「ええい やかましいわ~」 とはならない。

南紀で暮らしていたころ 人氣のない山道を散歩していても、うるさく自己主張してくるものは何ひとつなく、それだけに 唯一の騒音である自分の中のザワつきが やたらうっとおしく感じられたものだったなぁ (苦笑)




そういえば、以前にもセミの声と芭蕉の句について書いたことがあったな。。。と思い出して探したら、5年前の8月にこんな記事がありました。

思うことは 当時もいまもほとんど変わらないけれど、そこからさらに細々と述べ立てる氣力や情熱はすっかり影を潜め、「そうそう、やっぱり閑かなんだよね~、セミの声」 で十分と思うあたり、内面のザワザワがそれだけ減ったということなのかもしれません。