Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

めし

2016-12-01 | 日本映画(ま行)
★★★★ 1951年/日本 監督/成瀬巳喜男

原節子は小津より成瀬作品での佇まいの方が好きだな。あれだけ悩み、自分の生き方を疑っても、それでも最終的には夫の元へ戻るエンディングに、何とも言えないむずがゆい気持ちが残る。しかし、このあと二人がうまくいくかどうかはわからない。女の自我は一度目覚めた。

味園ユニバース

2015-02-26 | 日本映画(ま行)
★★★ 2015年/日本 監督/山下敦弘

(映画館にて観賞)

山下監督作品ではありますが、やはりジャニーズ主演の企画物ですね。
昨年、GOMAのライブで味園ユニバースで熱狂した輩としては、
味園というハコの猥雑さ、異様なものを丸ごと飲み込む大阪ナニワの魔窟としての存在感をもっともっと感じさせて欲しかったなあと。
そこがすごく残念。ライブとしての映像の迫力がないんですわ。カメラがねえ。ちょっと物足りない。
普通の日常の風景はいいんですけど。いいライブ映像を撮るって、別物なのかなと思いました。
あとはね、二階堂ふみ。大阪弁がすごくうまくてビックリした。
私はこってこての大阪人なんで、なんちゃって大阪弁にはドン引きするんですけど、違和感なかったです。がんばったね。

真夏の方程式

2014-09-16 | 日本映画(ま行)
★★★★ 2013年/日本 監督/西谷弘

いやあ、カメラがいいじゃないのぉ~~。
と思ったら、カメラマンが柳島克己。北野組の人じゃんか。なるほどなるほど。道理でね。
引いたショットが多くてすごく落ち着く。
作品全体もすごく抑制がきいている。
決め台詞もなく、ドラマの音楽もなし。
前作「容疑者Xの献身」とは別物。
ガリレオ臭をことごとく排除した構成に大変好感が持てるのでした。
これは映画館で見るんだったな。

毎日かあさん

2014-01-04 | 日本映画(ま行)
★★★★ 2011年/日本 監督/小林聖太郎
(DVDにて鑑賞)

「夫を看取る」


「あまちゃん」の春子の元ネタはここだったのかあ。
豪快なかあちゃんっぷりの小泉今日子が楽しい。
殴る、蹴る、罵る。子どもの頭もパシーン!と一発。

時々漫画は読んでいたのだけど、長男くんのアホっぷりの描写は、
自分の息子なのに、よくぞここまで書けるもんだと感心しておりましたが、
映画でも、どんくさくてアホでマヌケなガキとして描かれており、清々しいです。
この子役の男の子がいい味出してる。

元夫婦の共演という、観客の先入観もうまい具合に彩りを付けている。
憎みたいけど憎めない。離れがたい夫婦というよりも、同士としてのふたりの関係性。
小泉今日子と永瀬正敏もそうなのではないかという想像と共に物語は愉快に進む。

しかし、アル中を脱したものの、癌が見つかり余命幾ばくもないとわかってからは、
俳優、永瀬正敏の独壇場。
壮絶な痩せっぷりに役者魂を見ました。良作。

模倣犯

2011-06-25 | 日本映画(ま行)
★★★☆ 2002年/日本 監督/森田芳光

「無茶苦茶したれ」
 

当たり外れが激しいゆえに、常にチェックして見守ってしまう森田作品。

原作を読んで映画館で見て、スカパーで再観賞。ずいぶん評判の悪い作品なんですけど、私はそれほどでもないんですね。大ベストセラー小説のシリアルキラー役を大して演技経験もないSMAPの中居正宏が演じると決まった時点で森田監督は大胆な切り替えと切り捨てを行っていると思います。もし、この犯人役に堤真一がキャスティングされていたらどうでしょう。堺雅人だったら?きっと、作品の作り方根本から違うでしょう。中居正宏主演と決まったところで、彼の演技不足に目が行かないよう、作品自体のテイストを通俗的、大衆的にして、うまく逃げていると思います。

しかも中居正宏の登場は始まってから30分後。出演時間が短いのは、彼の力量を推し量ってのことだと思いますし、沖縄の空の下をドライブして現れるその姿はスターの登場にふさわしいものです。

個人的には、非常に重層的である宮部作品は映像向きではないと感じます。「理由」もかなりイマイチでしたから。2時間の尺では無理ですよね。本作もかなり厚めの3部作。ストーリーとしては犯人と豆腐屋店主の交流に絞らざるを得ない。相手役が山崎努でずいぶん助かってます。

夫を殺された木村佳乃に編集長が「書けるネタができたじゃない」と言い、「編集長、それは言い過ぎ」とツッコむシーンや、悪評高い女性たちの拉致シーン、中居正宏のラストシーンなどなど。これらのシーンは敢えて不謹慎を狙っているんだと思う。もちろん、その不謹慎を許せるか許せないかが本作の鑑賞の分かれどころなんでしょう。私には森田監督のやけくそにも見えなくもないけど。

2チャンネルなどを想像させるキーボードの打ち込み文字が随所に現れるのですが、この無責任な書き込みの不快感は非常によく出ています。森田監督は深津絵里主演の「ハル」という作品で、打ち込み文字をスクリーンに映す手法を映画で初めて取り入れたはず。「誰もわかってくれない」でも出てきましたけど、あちらよりも露悪的ですよね。先の狙った不謹慎も含め、大衆に敢えてバカ野郎と挑発しているようで、なぜかこの作品は嫌いになれないんです。主演を中居なんかにするなよ、バカ野郎。この原作が2時間に収まるわけないだろう、バカ野郎。そんな森田監督を許したくなるのです。

一発出れば逆転という場面で前阪神タイガース監督岡田彰布がピッチャー久保田にささやいた「無茶苦茶したれ」の後、久保田が剛速球で中日打線を抑えた。あんな開き直りみたいに見える作品です。


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2011-06-22 | 日本映画(ま行)
★★★★☆ 2011年/日本 監督/山下淳弘
<大阪ステーションシネマにて鑑賞>

「1秒、1秒に刻み込む渾身の演出」

大好きな山下監督、久々の新作。期待以上のすばらしい作品でした。

<全共闘運動が最も激しかった1960年代後半、週刊誌編集部で働く記者・沢田(妻夫木 聡)は、理想に燃えながら日々活動家たちの取材を続けていた。ある日、梅山と名乗る男(松山ケンイチ)から接触を受けた沢田は、武装決起するという梅山の言葉を疑いながらも、不思議な親近感と同時代感を覚えてしまう…>

妻夫木&松ケンというネームバリューのある俳優のW主演ってことで、ふたりがどんな演技をするのか期待して行ったわけですが、それよりもすばらしいのは、山下監督が全ての脇役陣に非常に緻密な演出をしていることです。知られたところでは、学生運動のカリスマである長塚圭史と山内圭哉が無茶苦茶いいですし、あがた森魚もいい。妻夫木くんの先輩の中平さんを演じる役者もとても印象的。そればかりか、例えば事件の尋問をするだけの一瞬の登場の俳優でも、それぞれがその役柄として見事に輝いているのです。

山下監督と言えば、独特の「間」が持ち味だったんですけど、本作は封印して、がっつりそれぞれの俳優を輝かせることに集中して演出しているのです。

さて、松ケン演じる左翼運動家。実にチンケな小者なんですね。その、チンケっぷりを松ケンが見事に演じています。時折見せる狂気はデス・ノートの「L」を思い出させますけど、こいつは「ニセモノ」。ニセモノのうさん臭さがぷんぷん臭って、いやホントに松ケンはうまいな。あの髪の毛をぺったり撫でつけた思いっきりダサイ風貌なんて、人気俳優ならもう少しスタイリストさんにキレイに見せるように頼んだら?といらぬ気づかいをしてしまうほどです。

だいたい、20歳や19歳で構成された5人ぽっきりのメンバーで左翼ゲリラ気取りも何もないですよ。安田講堂が落ちた後の、残り香って言うのかなあ。絞ったオレンジをまだ果汁が出るんじゃないかと絞り続けているような(笑)、そんな馬鹿馬鹿しさ、虚しさ。そういう雰囲気が実にうまく出されていましたね。そうそう、京大での撮影シーンでは熊切監督もメンバーのひとりだったみたいなんですけど、全然わかりませんでした。

妻夫木演じる記者にしたって、東大卒とはいえ、入ったばかりのド新人のくせにみんなから「ジャーナリスト」って、持ち上げられてね。それは、ないよね。でも、あの時代はそういう青くさい部分が誰にも突っ込まれずにいられた時代なんですよね。

思わぬ再会から始まるラストシーン。彼の流した涙の理由は何か。観客に様々な思いを想像させるすばらしいエンディングではないでしょうか。
ジャーナリスト気取りの自分が付いた嘘に対する罪の意識、地道に自分の人生を築き上げている友と自分との比較、そんないろんなものがないまぜになり、思わずあふれる涙。

とても良かったので、ぜひもう一度見たいです。

MW

2011-02-11 | 日本映画(ま行)
★★★☆ 2009年/日本 監督/岩本仁志

「B級香港映画みたいなのさ」

ダメな映画の最後の砦。それは、そのダメさ加減を笑って楽しめるかどうかだと思う。「踊る大捜査線」がダメ映画だよなあって頭抱えてしまうのに対して、この作品はそのダメさ加減を面白がって見ちゃった感じです。

原作は読みました。だから、原作ファンから酷評を受けたというのもうなずけます。ふたりが同性愛だということは原作の大事なテーマだもんね。映画では一切そんな描写はナシ。でも、冒頭のうさん臭いスタートからして、この作品が原作の持つものを引きだそうという映画かどうかはすぐに判別できるわけで、ぶっちゃけ原作は横に置いといてみるしかないと割り切っちゃった。

で見ていると、この映画には妙なB級テイストとしての味わいがあるんだよね。全くワルが似合わない玉木宏と全く神父には見えない山田孝之。製作者側は敢えてイメージと違う役柄をさせることで予想外の効果を期待したんでしょう。まあ、「ガラスの仮面」で北島マヤが花の王女アルディス、姫川亜弓が氷の女王オリゲルドを演じて大成功を収めたパターンですな。でね、その思惑は見事にすっ転んだんです。そのすっ転び具合がいかにもB級っぽくて面白いのです。特に玉木くんのワルっぷりがすべりまくりなのがおかしい。

そして、B級はB級でも、B級アジア映画みたいなオーラをぷんぷん放っている。それは、石橋凌のせいです。冒頭の舞台がバンコクだって言うせいもあるから、余計にそう感じるんだよね。アジア映画に日本人刑事としてキャスティングされてるのか?みたいな。毒ガスとか、人類滅亡とか、何か「ゴジラ」みたいだし、安い感じを楽しんでしまたんだなあ。まあ、ほとんど開き直り観賞みたいなもんですけど。

蟲師

2011-01-21 | 日本映画(ま行)
★★ 2006年/日本 監督/大友克洋

「何が言いたい。何がしたい」

原作マンガにも大友克洋にも全く興味なし。
大森クンが出ているから、と見てみたわけだが、こいつあ酷い映画だった。
始まって、5分で日本語字幕付けました。
だって、意味の通じない言葉が次から次へと出てくるんだもん。
でね、結果的にはこれが大正解。
字幕なかったら、絶対何の話かわかんなかったと思う。

不思議な生命体“蟲”。
自然の中に存在し、その能力を持つ者だけが見ることができる。
こういうモチーフって外国人にはウケるのかも知れないけど、
日本人にはむしろ生きとし生けるものには魂や精霊が宿っている
という観念がそもそも備わっているよね。
だからこそ、この「蟲」なるものが何なのか、困惑させられる。

時に人間を脅かし、時に人間を癒す、聖なる存在。
別に蟲とはこうであるという答を出す必要はないけど、
結局“蟲”を通して人間を描く、
というのがこの手のモチーフの行き着くところだと思うんだよね。

でも、何にもサッパリつたわってこん。
まずもって、セリフの意味がわからないんじゃ、どうしようもないよ。
大友なんとかって、その筋ではカリスマなんかしらんけど、
映画はダメダメだなあ。

殯(もがり)の森

2008-09-12 | 日本映画(ま行)
★★★★★ 2007年/日本・フランス 監督/河瀬直美
「揺さぶられる母性、制御不能な感情」



とても感動しました。カメラはよく揺れるし、車の中のシーンは暗くてはっきり見えないし、セリフだって聞きづらいし。それでも、胸の奥がきゅーっと締め付けられるような感覚に何度も襲われました。深い森の奥でしげきさんが大木に抱きついた辺りから涙が止まらなくなってしまったのでした。

茶畑のかくれんぼ、木登り。無邪気なしげきさんに、真千子は亡くした息子を重ねた。車の中から消えてしまったしげきさんを必死に追いかける真千子。行かないで、消えないで。自分が手を離してしまったことで、真千子は再び罰を受けるのだろうか。森の中の追いかけっこ。それは、生と死の境界を行ったり来たりする追いかけっこ。「行ったら、あかん!」真千子の悲痛な声が胸に突き刺さる。そのやりきれなさと哀しみが私の心の中に洪水のように入り込んでくる。そして、突然私はフラッシュバックを起こし、真千子と同じような体験をしていることを思い出した。川遊びに出かけた際、息子がもう少しで川にのみ込まれそうになった夏の思い出。同じように「行ったら、あかん!」と声が枯れるまで叫び、息子を抱きしめて自分の不注意を嘆き、何度もごめんと謝ったあの日。

そして、森での一夜。真千子が裸になったのは、大切な者を守りたいという衝動的で原始的な行為だと感じた。そして、再び私は自分の原体験が頭をよぎる。息子が赤ん坊だった頃、布団の中で裸になって彼にお乳をあげていた自分。そこに、紛れもなく流れていた恍惚の瞬間。それは男女間に訪れる恍惚ではなく、もっと人間本来の原始的な恍惚。ふたりが森の奥へと入った時から、私の中の心の奥底に眠っていた記憶がとめどなく引っ張り出されて仕方がなかった。私の中の母性が疼くのだ。夜が明け、朝靄の中でしげきさんがずっとずっと遂げたかった思いを完遂させる一連のシークエンスは、とても感動的。土に眠るしげきさんを見守ること、それは真千子にとって亡くした息子を見送ることだった。森や土、そこは人間が還る場所、母なる場所。私たちは包まれている。この怖ろしくも、美しい場所に。

ドキュメンタリースタイルだからこそ引き出されるリアリティ。演技者のつたなさがもたらす不安感。息を呑むように美しい風景。息苦しくなるような暗い森での追いかけっこ。様々な感情が堰を切って流れ出す、何とも濃密な作品。荒削りと評されることもあるようですが、荒削りだからこそ、この揺さぶられるような感覚が起きるのではないかとすら思ってしまう。下手にうまくならなくていいんじゃないか、むしろ、私はそんな風に思ってしまうのです。

舞妓 Haaaan!!!

2008-09-06 | 日本映画(ま行)
★★★★ 2007年/日本 監督/水田伸生
「人生ゲーム、実写版」



ゴールは、舞妓さんとの野球拳。ルーレット回して、はい出世したー、はい野球選手になったー、はい職を失ったーとコマを進める。これは、爆裂人生ゲーム、実写版ですね。でもね、バカにするつもりはないです。結構腹を抱えて大笑いしました。物語の結末は、なんだかなあと言う感も否めませんけど、十分楽しませてもらったので、大目に見ます。

こういうおバカムービーの場合、とことん他人事として楽しむ、というのが肝心です。例えば、何とか甲子園のような野球映画なら、「そんな球、普通投げられないだろ!」とか思ってると、もうそこで楽しめないわけです。本作の場合、花街の描写についてツッコミどころがないわけではないのでしょう。しかし、私は全く気になりませんでした。私は大阪出身、京都在住の生粋の関西人ですが、それでも「花街」って一体どんなところやねん?というのはあるわけです。一見さんお断りは、別に何とも思いませんが、あれだけ芸を磨き修業しても、結局パトロンがいないと道が開けないって、それは一体どういうことやねん?とか。わからないことだらけです。ベールに隠された世界「花街」の存在そのものを斜めに見ている私は、それこそ全く無責任に楽しんでしまいました。

周りを固める役者に関西出身者を多く配置しているのがいいです。阿部サダヲがしゃべる強烈なイントネーションの下手くそ京都弁を際だたせるためには、周りの役者がきちんとしたはんなり京都弁をしゃべれなければなりません。一番光っているのは意外にも駒子を演じる小出早織という若手女優。非常にさっぱりとした顔立ちで、舞妓はんの白塗りがとても似合っています。京都出身なんですね。清楚な雰囲気もバッチリです。派手な顔立ちの柴崎コウの白塗りと良いコントラスト。また、阿部サダヲのハイテンションにみんなが付いていってこそ、成り立つ作品。ゆえに堤真一の功績も大きい。えらい口の汚い役ですけど、とことん弾けてます。柴咲コウのやる気のなさが見え隠れするのですが、周りのパワーにかき消されてしまったのは、不幸中の幸いってことでしょうか。

みんな~やってるか

2008-08-31 | 日本映画(ま行)
1994年/日本 監督/北野武
「賢く見せないためのお下劣」


この作品は「監督、ばんざい!」と構造的にとてもよく似ています。これがベースなのでは?と思えるほど。「カーセックスがしたい」という目的のために、手段を選ばずあれこれ挑戦するバカ男。この前半部は、ヤクザ映画は撮らないと宣言した北野監督があの手この手でいろんなジャンルに挑戦するくだりとそっくり。そして、そのバカ男が主人公だったのに、突然北野博士の手によってハエ男に変身させられ、件の「カーセックスがしたい」という話はどこかに行ってしまい、ハエ男駆逐作戦へと物語はまるきり違う方向へと転換します。これも「監督、ばんざい!」において北野監督の苦悩はどこかへ行ってしまい、鈴木杏と岸本加世子が主人公に取って代わるのと非常に似ています。

「目的を持った主人公=主体」が、何かのきっかけで客体に転じてしまう、という構造。「監督、ばんざい!」の場合は、この客体となった北野武は人形であり、さらに構造的には複雑になっていると思います。この作品は5作目で、直前に「ソナチネ」を撮っていますので、北野監督としては、物語の構造を壊して、再構築するという作業に、挑戦してみたかったのではないでしょうか。まあ、それを何もこんなお下劣なネタで…と思わなくもないですが、知的な見せ方にするのをシャイな北野監督は嫌がったんじゃないかな。最初の目的は「カーセックスがしたい」でも「宇宙飛行士になりたい」でも何でも良かったのかも知れません。

「大日本人」は、あまり気に入りませんでしたけど、「笑い」というツールを使って実験したい、という意思は、さすが同じフィールドで活躍する者同士。また、それが同年に公開であった、という偶然には、ある種の感慨を覚えます。でも、北野監督が4作撮って、この実験を行ったことと、デビュー作でいきなり実験をやっちゃったこととの間には大きな隔たりがある気がしてなりません。

松ヶ根乱射事件

2008-03-19 | 日本映画(ま行)
★★★★★ 2006年/日本 監督/山下敦弘
「これが現代日本人の乱射だ。むなしければ笑い飛ばすがいい」


「ゆれる」以来の衝撃。ずいぶん前に見たのになかなか思いを文章化できず、本日に至る。それでも、まとまりそうにないので、やむなく見切り発車します。

「現代人の閉塞感」というのは、文学や美術を含め近代における全ての表現活動で題材にされてきたテーマだ。今や中学生の10%が「鬱状態」と発表されるような日本社会においては、表現者たるもの閉塞感を描くしかないだろう、というところまで追い込まれて来ているように思う。事実、最近のぴあフィルムフェスティバルで入賞したラインナップの紹介文を読んでいると、何だか暗いテーマの作品が多く気が滅入る。しかし山下監督は、この手垢が付きまくった題材に、独自の切り込み方と表現スタイルで挑んだ。鑑賞後、私はショックで放心してしまいました。

冒頭、ランドセル坊やが女の体をまさぐる場面から乱射は始まっている。今にも、暴発してしまいそうな鬱屈感を全ての登場人物が抱えていて、声には出さずとも、銃は持っていなくとも、互いが互いを撃ちまくっている音が私には聞こえる。時折挿入されるブラックな笑いとストレートな性表現、そしてどうしようもないダメ人間の描写。確かにオフ・ビートという言葉が似合うかも知れない。だが、私が思い描いたのはアナーキー。

みんな、みんな、ぶっ壊れちまえばいい。そう思わずにはいられない、どうしようもなくダサい田舎町のディテールが秀逸。ガムテープが風になびく物干し竿、国道沿いのぼろ喫茶で流れる虎舞竜、ワケのわからん飾り人形が先っぽにぶら下がる蛍光灯の紐…。サラリーマンにはサラリーマンの、女子高生には女子高生の閉塞感があると思うが、このようなどうしようもなくダサいものに囲まれ、大した娯楽もなく、男はみな兄弟(女を共有しているということ)みたいな閉じた場所で暮らす地方の人々の閉塞感と言うのは、はけ口がどこにもない、という意味で実に切実。風俗に行けなければ、ドラッグもできず、自殺すら許されない。それが、田舎だもの。しょせんミニシアターなんて都会のど真ん中にしかないでしょ。もし、この作品を田舎の寂れた公民館で上映したら、スクリーンの絶望感を共有してたまらず逃げ出す人がいるかも知れない、とすら思う。

しかし、ラストで山下監督はその絶望を何とスカしてしまう。このスカし方が本当にカッコ良くて、空に放たれた銃弾は私の胸に命中。嘆くのでもなく、いたぶるのでもなく、スカすっていうのが…。ああ、言葉にならない。実は、所々のシーンで古い日本映画を見ているような「懐かしさ」を感じていた。主にそれは性表現においてなんだけど、そのあまりにモロな感じがね、無骨さというか、チャレンジャーだな、と感心したりして。だけども、このラストのオチとも呼べる展開は、“今”しか描けない。もちろん、そのセンスにも恐れ入りました。

役者陣について言うと、普通怪演って言うと誰かひとりなんだけど、本作は全員怪演というとんでもなさ。誰1人としてお友だちになりたくないやね。キレているわけでもなく、投げやりになっているでもなく、みんな飄々とした演技だけれども、作品を突き抜ける痛さはハンパじゃない。

「どういうジャンルの映画が好き?」と聞かれると、私は「邦画」と答える。ますますその思いが強くなる1本だった。怪作にて傑作。

間宮兄弟

2008-02-28 | 日本映画(ま行)
★★★★ 2006年/日本 監督/森田芳光
「空気感の勝利」

モテない仲の良すぎる兄弟物語。ストーリーとしてさしたる起伏があるわけでもないのに楽しめるのは何と言っても森田監督の作り出す空気感に尽きる。日常生活の何でもない、「出来事」と呼ぶことすらはばかれる小さなひとコマに思わず笑ってしまう。些細な描写ではあるが、誰にでも描けるかというとそうではなく、日々の生活や人間の感情に対する森田監督の優れた観察眼があるからできる描写だろう。

また、兄弟の生活感を丹念に描いているが、「リアルな感じ」というのとはチト違う。食べ物や趣味に関する描き込みが非常に徹底しているため、どうしても「リアルな生活感」と表現したいところ。しかし、この作り込みは徹底したフィクションの世界。こんな兄弟いそうだけど、たぶん絶対いない。だからこそ、よくぞここまで、という細かい描写が面白いし、独創的な発想が笑いになる。

例えば、銭湯での入浴シーン。兄弟で湯船に浸かっていて、誰かが湯船から出たことでお湯が揺れてふたりが嫌な顔をする。確かにあれ、イヤだよね。二度目はゆず風呂になってて、ゆずがぶわんぶわんと顔の前で揺れたりして。寝ている時に体がビクンと動くとか、ベランダに出ているお向かいさんが誰かで吉凶を占うとか、日頃ふと気づいた面白いことをメモっておいて、全部この兄弟に当てはめてみました!的な感じ。森田監督って、コント作家になっても結構イケそうな気がする。

で、かなり地味な兄弟物語にあっけらかんとしたエッチな描写をプラスさせてるあたり、何だか若手監督が撮ったかのようなフレッシュさを感じる。バスタオルの下でパンティを付ける沢尻エリカとか太ももアップから引いてくる北川景子の寝姿とか。抜きんでた傑作ってことではないけど、今の時代の空気をしっかり捉えているし、最後まで飽きさせない展開。何だかんだ言って、森田芳光が話題作の監督を頼まれるのがわかるような気がする1本だった。

盲獣

2008-02-23 | 日本映画(ま行)
★★★★★ 1969年/日本 監督/増村保造
「ドラマティック・エロス」


実にインパクト大。江戸川乱歩の作品は、今なお多くの映画化が続いているけれど、おそらく人々が一般的に乱歩作品から嗅ぎ取るのは「淫靡」や「倒錯」のムードだと思う。しかしながら、増村保造の描く乱歩は隠されたエロスというより、むしろ実にストレート。鷹揚としたセリフ回しと異常な世界を斜め目線ではなく真正面から描く演出は一度見たら忘れられない強烈な印象を残す。それは同じく耽美的エロスの世界を描いた「卍」にも言えるかも知れない。

やはり、見どころは、肉体のオブジェたち。女の目や耳や鼻、そして乳房をかたどった彫刻が所狭しと並べられた密室で、緑魔子と船越英二がくんずほつれつの死闘(笑)を繰り広げる様がとにかく強烈。どでかい乳房の谷間にすがってむせび泣く船越英二の演技は必見。目がイッちゃってます。こんなに奇妙な役をくそまじめにやっている船越英二は演技がうまいんだか、ヘタなんだかさっぱりわからない。

この目や鼻、乳房にまみれた彫刻の部屋、今の美術スタッフが再現したら、こういう部屋にはならないような気がする。おそらく、もっとオシャレな感じに仕上がってしまうんではないだろうか。しかし、この荒削りな美術セットだからこそ、先にも述べた大真面目な演出にぴったり合っていて、独特の世界観を作り上げている。

盲人に捕らわれ、体中を触れられているうちにいつしかアキもこの密室空間の異様な世界に魅入られてしまう。お話としては、かなり変態的ではあるけれど、やはりそのドラマチックな演出ぶりに時折笑いがこみあげてくることすらあって。その辺がとても増村監督らしい。しかしながら、乱歩作品を一種の芸術やお高くとまった前衛的作品として仕上げるよりは、よほど本質を捉えているような気がする。

しかし、ドラマチックな演出によって作品全体がベタでB級なテイストに満ちているか、と言われると、これまたそうでもないのが増村作品のすごいところ。冒頭の緑魔子のポートレートなんかとってもクールだし、演出だけではなく画面の構成、切り取り方で観客の目を引きつけるテクニックがある。数ある乱歩作品の中でも、実に異彩を放つ作品だと思う。

めがね

2007-10-06 | 日本映画(ま行)
★★★ 2007年/日本 監督/荻上直子
<京都シネマにて鑑賞>
「押しつけないこと、というメッセージの頑固さが押しつけがましい」


映画館はもの凄い人で「かもめ食堂」の人気が
いかにすごかったかをまざまざと感じさせられました。

が、しかし。

新作は、二番煎じじゃしんどかった、というのが率直な感想。何も起きない癒しの映画なんて言いますけど、ここまで何も起きないと私は退屈です。何度も睡魔におそわれました。そして、どうも狙いすぎと感じることが多々。メルシー体操しかり、ラストのマフラーしかり。もたいまさこのキャラ頼みという感じが否めない。もちろん、もたいまさこをここまで活かせる、ということは監督の力量でしょう。しかし、人物関係など多くを語らない映画です。語らない映画というのは、敢えて語らないことで強烈に伝えたいメッセージがあるはずです。それを埋めるかのように、体操やお料理などの飛び道具的なカットを持ってくるのは、少々姑息な感じがします。

結局、作品全体を貫く「押しつけない」というムードがここまで徹底的に表現されると、それが逆に押しつけがましく感じられるの。何もしないのが一番!と言われると、逆に「そうかなあ」と思ってしまう。何にもしないで島に籠もってることで、人生最後まで豊かと言い切れるかしら。人は泣き、笑い、怒り、誰かとぶつかりあって、痛みを感じて、日々を暮らしていくものなのではないかな。もちろん、一度はリセットして、エネルギーを充電することって、人間にとっては必要。特に現実に疲れ果てた人たちには。でも、リセットしても、また走り始めないとダメなのよ。私はその走り出す姿を見せて欲しかった。

また、一方で何もしない、押しつけない、ありのままを受け入れる、という考え方と、毎日あれだけきちんと料理を作る(しかも、島にないんじゃないの?という食材だらけ)とか、部屋がやたらと清潔とか、かき氷しか作らないなど、やたらに几帳面な登場人物たちの行動がうまくリンクしない。だから、のんびり感、ゆったり感を上っ面で撫でたような表現に見える。

もしかして、この作品は、これを観て癒されたから、明日からもがんばろうと思えたらいい、というそれだけの映画なの?もしそうなら、私は煮え切らない感情が残るなあ。全編通じて、「みんなが、和んでくれたらそれでオッケイよ」というスタンスで監督が作ったとは到底思えないもの。キャッチコピーは「何が自由か、知っている」だよ。これは、かなりメッセージ性が濃いですよ。だから、余計に押しつけがましく感じるの。そんな私はあまのじゃくかしら?それとも、今の暮らしを自由に生きすぎているからかしら?

<追記>
私は「かもめ食堂」は大好き。あの作品は、まるきりファンタジーにならないギリギリのラインでしっかりふんばっているところが魅力。サチエの生き方は多くのメッセージを放っていて、共鳴できる部分も大きかった。「かもめ」と「めがね」の比較論についても、書けるかも知れない。また、いつか時間があれば、チャレンジしてみます。