Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ツリフネソウ

2006-10-31 | 四季の草花と樹木
派手な花ですね。ちょっと毒々しい感じも。
「ツリフネソウ」って響きからは、
ゆらゆら揺れて繊細な感じなんだけど、
ちょっと名前のイメージと違うなあ。


横から見るとこんな感じ。
あんまピント合ってないけど。
確かにツリフネ。でも、この袋の中に虫でもおびき寄せて
食べそうな雰囲気にも見えるぞ(笑)。

父親たちの星条旗

2006-10-29 | 外国映画(た行)
★★★★★  2006年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド
<梅田ブルク7にて>


「あまりの完成度の高さに呆然」


見終わった後、ため息が漏れた。この作品に何の不満もない。あそこがこうだったら、とか、あれはないんじゃないの、なんてツッコンだり、そういうことが一切ない。本当に全く隙のない作品だった。そう、まるで伝統工芸の職人が作り上げた逸品のような趣きである。

私個人的には戦争映画というジャンルが非常に苦手だ。そこには、戦争はいけないというメッセージしか浮かび上がらないし、お涙ちょうだい的な演出や偽善的なヒューマニズムの香りをどうしてもかぎ取ってしまう。しかし、この作品をそのような観点で論ずること自体、恥ずかしい。それほど、すばらしい作品である。

硫黄島の擂鉢山に星条旗を掲げた兵士たちは、母国で英雄となった。しかし、戦場の恐ろしさ、悲惨さとは全く無縁の政治家や実業家たちにどんな言葉をかけられようと、彼らは虚しいだけだ。国債を売るために傷ついた彼らを徹底的に利用しようとする政府のエゴイズムをクリントは声高に叫ばず、徹底的に兵士の苦悩を通じて描いている。だから、我々は感情的に戦争を否定するのではなく、その虚しさ、つらさを心の内側から揺すぶられるのだ。

クリント・イーストウッドの作品には常に「静かで力強い視点」がある。今作でもそれは変わりない。誰もむやみに泣き叫んだり、大声で訴えたりはしない。なのに、これほど大きな訴えかけができるなんて、本当に驚くべきことだ。アメリカはあの時、彼らを利用して国債を売った。体も心も疲れ果てた兵士をツアーなるものに駆り出して、国債を売らせた。それがどんなに馬鹿げた行為で間違ったことであったかをクリントは告発している。その勇気とゆるぎない意志は、ストレートに見る者の心を打つ。

硫黄島での戦場シーン。爆発、そして絶え間ない銃撃。だが、今まで見た戦争映画とは明らかに違う。リアルだとか、そんなことではない。私はなぜこの映画の戦場シーンがこれほどまでに訴えかけるのか、未だに自分でもわからないでいる。そこに「嘘」を感じない。「偽善」を感じない。一体なぜなのだろう。暗めのコントラストが効いた、粒状感のある画面。無惨な死体。兵士たちの会話。全てのものが完璧に融合しているからだろうか。

脚本は「クラッシュ」のポール・ハギス。ほんと、毎回すごい脚本を書きますね。中盤からもう胸がいっぱいだったんだけど、ネイティブ・アメリカンである兵士アイラがヒッチハイクでハワードの両親に真実を告げに向かうところで、もういろんなものが心の中から滝のようにあふれてきた。

さて「硫黄島からの手紙」が本当に待ち遠しい。というか、「お願いだから見せてくれ」という心境ですらある。本当にクリント・イーストウッドはすごい。齢75を過ぎてもなお、これほどのクオリティの作品を作ることができるそのエネルギーと才能に驚嘆するばかりだ。そうそう、音楽まで自分でやっている。これがまたすばらしい。


インファナル・アフェア

2006-10-27 | 外国映画(あ行)
★★★★★ 2002年/香港 監督/アンドリュー・ラウ

「トニー・レオンのやさぐれ具合がたまんない」




マフィア組員のラウ(アンディ・ラウ)は、香港警察へ入隊し、内部情報を流す潜入員となる。また警察官のヤン(トニー・レオン)は、マフィアの潜入捜査のため、マフィアの一員になる。10年後、ラウは内部調査課長に昇進し、ヤンは、長年の潜入捜査に疲れきっていた。ある夜、大きな麻薬取引の際、組織と警察は互いに情報漏れに気付き、警察はラウに、組織はヤンに、それぞれ内通者を探すよう命じる。やがて2人の距離は、少しづつ縮まっていく…。

前々から見たかった作品。ついに観賞。いやあ、面白かった!ヤクザの一員がもぐりで警察官になってのし上がり、片や警察官が潜入捜査でヤクザに潜り込む。自己を消して組織のために尽くす男同士。役割は同じでも、立場は180度違うふたりの駆け引き。そして、互いの境遇にシンパシーも感じ、敵ながらひかれあう男たち。アンディ・ラウとトニー・レオンの対決はとても見応えありました。

ほんとはマフィアのアンディ・ラウがきりりとしていて、警官のトニー・レオンがやさぐれ男という対比も実にうまく出ている。特にトニー・レオンのしなびれ具合が母性本能をくすぐるなあ(笑)。

麻薬の取引だとか、警察内部調査だとか、物語の伏線となるストーリーは有れども、ここに対した仕掛けやひねりはない。ストーリーは至ってシンプル。それが何より楽しめた原因だと思う。「警官がマフィアになりすまし」「マフィアが警官になりすましている」というエックス構造そのものが引き起こすスリリングな展開のみに集中し、余計なラブストーリーも一切なし。他のことを考えなくていいので、見ていてとてもラク。

また、銃撃戦や爆発、カーチェイスなどのアクションシーンもとても抑えた演出。物語が物語だけに警察の突入シーンや麻薬の駆け引きシーンはもっとドンパチできるはず。でも、敢えてそうしていないのがとてもいい。

演出も、爆発物も、物語も、「てんこ盛りにしない」ことが、これほど見ていて気持ちよいとは。過剰でない分、ふたりの俳優の演技がとても際だっていた。ハリウッド版もバカスカ爆弾飛ばさず男と男の対決をスリリングに描いているものであることを願う。


ヨシノアザミ

2006-10-26 | 四季の草花と樹木
春に咲く華やかなノアザミとはまた違った趣がありますね。
なんか侘び寂びの世界のような、
地味な味わいとでも言うのでしょうか。




夕暮れ時、薄曇りの中で撮ったんですが、
地味な花はこういう時間帯の方がしっとりした
味わいの写真に仕上がるので好きです。

なーんて早起きできない言い訳でした~


アモーレス・ペロス

2006-10-23 | 外国映画(あ行)
★★★★ 1999年/メキシコ  監督/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

「あの彼女役はないよなあ」



熱い、熱いよ。「トラフィック」の時も感じたけど、メキシコの風景および人々の熱情って、日本人から見るとホント異文化に感じる。熱気を感じます。熱風という方が正しいか。今、アメリカやヨーロッパの街並みを見てもなんとも思わないもんね、身近すぎて。

今作は3つの物語が同時進行し、交通事故をきっかけにそれぞれの物語が交錯する。こういう手法の見せ方は、お互いの話がつながるまでちょっとイライラしたりするんだけども、この作品は、最初の物語「兄嫁に恋する男」がとても面白くてぐいぐい引き込まれる。演じるのは、ガエル・ガルシア・ベルナル。兄嫁と逃亡するために闘犬に手を伸ばし、どんどん危ない世界へ足を踏み入れる青年をパワフルに演じてる。まあ、コイツがもの凄く積極的なんだ。で、恋する兄嫁が「なんでこの女なの?」ってくらいイカつい。美人じゃないってのも、それがそれで味なんだな。

アモーレス・ペロスとは「犬のような愛」だって。なるほど、見返りも期待せず、相手を愛して、愛して、愛し抜いた3つの物語。そして、いずれもその愛は報われはしない。ストーリーだけ見れば悲劇なんだけども、見終わった後は気持ちが沈むかと言えばそんなことは全くない。己の愛を全うするために全身全霊で生き抜いた人々の姿は、むしろ潔い。

暴力シーンや出血シーンも多いけれど、眉をひそめるような感情には陥らない。暴力を全肯定はしないが、これらのシーンを通じて人生を全力疾走で駆け抜ける生き様がよりリアルに我々にせまってくる。メキシコの街を走り抜けるようなドキュメンタリー風のカメラワークもかっこいい。

3つの物語が最終的に一つのエピソードに結実するわけではない。観客をあっと言わせるような展開に敢えてせず、突き放すようにそれぞれの物語は終わる。それは、大人だけが味わえるビターな結末。お子ちゃまのワタシは、3つの物語をつなげてあっと言わせて欲しかった、と甘い味を求めてしまうのだった。



ミゾソバ

2006-10-22 | 四季の草花と樹木
この花ね、実は最初につぼみの写真を撮ってた。

で。
私はそのつぼみの状態で一つの花なんだと思ってた。
なぜかというと、その状態で美的完成度がすごく高いの。
勝手にこれで花が咲いてるんだと思いこんじまった。

その写真がこちら。

今見ればつぼみだなってわかるんだけど、そんときはなぜかそう思わなかった。
これで花が開いているように見えません?
図鑑を見ると、「なんだこれから花が咲くのか!」ってことで
そんでしばらく待ってから開花しているのを撮りに行きました。
結構わっさわっさと生えてます。

なんか桜みたいだよ。

バッド・エデュケーション

2006-10-21 | 外国映画(は行)
★★★★ 2004年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドバル

「ガエル・ガルシア・ベルナルのクドい女装。この趣味がまさにアルモドバル」



ペドロ・アルモドバル作品は大好き。取り上げるテーマ、目の付け所がとても悪趣味でその趣味の悪さがスクリーンでは鮮やかな映像と個性的な俳優の怪演により、とてもキッチュでオシャレな作品に変身する。キワ物なんだけど、アートだし、文芸作品的。何だかカメレオンのような映画を作る。

ところがこの最新作では、物語が「入れ子構造」になっていて、その手法にこだわりすぎたのか、自分で酔ってしまったのか、いつものアルモドバル節がかなり弱く、拍子抜け。一番したかったのは、ガエル・ガルシア・ベルナルの女装なんて嫌みを言われてもしょうがないかも。

教会の神父による性的虐待というアルモドバルらしい目の付け所なんだけど、今作はネタとして面白かったから取り上げただけとも取られかねない消化不良な扱い方。よくこれで教会から抗議されないなあ。マドンナの十字架パフォーマンスなんかより、よっぽどひどいけど(笑)。前作「トーク・トゥ・ハー」でも非常にきわどいテーマを取り扱ってたけど、ちゃんとけじめをつけてたのに。

そもそもこの映画「入れ子構造」にする理由がわからん。語り口を凝るってことは、ラストにひねりがあったり、サスペンスとしてのオチがあったりするのかと思うがそれもたいして驚くようなものでもない。もっと素直な流れにして、ガエル・ガルシア・ベルナル演じるアンヘルという人物に深みを持たせた方がよほど面白くなったと思う。

ただドキッとさせる、これぞアルモドバル的カットが随所にあって、これが中毒のもと。今回は、ガエル・ガルシア・ベルナルがブリーフを半分ずり下げるカット。まず彼に白いブリーフを履かせるってのがね、アルモドバルでないと思いつかない(笑)。そして、クドい女装。筋肉モリモリのガエルが髪の毛カールして派手なパンプス履いてるんだもん。のけぞります。

今後もアルモドバルには、手法にこだわらず独自の変態道を突き進んで欲しい。最新作はペネロペ・クルス主演とか。アルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」で一躍脚光を浴びた彼女が主役になって恩返しってことで、期待も高まる。ハリウッドスターの仲間入りをしたペネロペがどこまでアルモドバル節に付き合っているのか、興味津々である。

保護色

2006-10-20 | 子育て&自然の生き物
カマキリって、今の季節によく出るものなの?
やたらとたくさん見かける。
デッキにはいつくばってるカマキリ。
すっかり茶色になってます。
あっ、足がまだ緑かも。

ええっとこうやって、背景色に体の色を変えるのを何て言うんだっけ?
そうそう「保護色」だったよね。

カマキリってよく見ると面白いなあ。
この目はまさに仮面ライダーだよなあ。
あ、あれはバッタがモチーフだったっけ。


ええ~い、鎌をふりおろすぞ~。
ロボットみたいだな。


ミョウガの花

2006-10-19 | 野菜作りと田舎の食
おととしにホームセンターで購入して植えたミョウガが、今年はすごくたくさん出ました。いっぺんに10個以上、4、5回は収穫したかな。まさに植えっぱなしなので、らくちん。

田舎に越してから好きになりましたね。若い頃は変な味と思ってました。先日夫がミョウガを刻んで味噌とみりんで和えたものを晩ごはんに出してくれたんですけど、激ウマでした。まあ、ビールに合うこと!!味噌汁とか酢漬けやサラダなどミョウガのメニューはいろいろありますけど、今のところこれがNo.1です。

さて、ミョウガには春ミョウガと秋ミョウガがあるみたいなんですけど、最初はそんなこと知るはずもなく。一体いつ、どのような形で収穫できるのかさっぱり!わかりませんでした。たぶん、最初の年は収穫し損なってるかも。ほっておくとニョキニョキと茎が生えてくるんですよ。

で、収穫は花が咲く前に行います。先っぽが覗いているのをほじほじと掘ります。タケノコと同じ要領ですね。

掘るとこんな感じ。

9月、10月とかなり収穫できました。
また、今年はご近所の方からも頂いたミョウガを植えたので、来年以降はもっとたくさん収穫できそうです。

スーパーサイズ・ミー

2006-10-18 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2004年/アメリカ 監督/モーガン・スパーロック
「どうせなら本丸に斬り込まないと」



1日3食、1ヶ月間マクドナルドを食べ続けたらどうなるか。監督自ら身を削っての人体実験。明けても暮れてもマクドナルドのハンバーガー。いやあ、想像しただけでもクラクラするよ。

ファーストフードが体に悪いってことは、みんなわかっている。だから、食べたくなきゃ食べなきゃいいんだ、と街行く人は言う。でも、それじゃあ、タバコは?酒は?ってことになる。特に最近のアメリカの嫌煙活動は個人的にはヒステリック過ぎないかと思う次第。販売時間や購入時間など厳しい処置がなされるタバコや酒と比べると、ファーストフードはあまりにも無制限。むしろ、膨大な広告の投下によって、イメージアップしているのが実情。

監督自身が毎日マックを食べることで、どんどん不健康になっていく様子が非常にリアル。特にお腹のたぷたぷ具合が悲しい。アメリカの肥満率や自分の検診結果など、具体的なデータをふんだんに取り込んでいるので説得力もある。

が、いかんせん、この映画の最大の欠点は、「本丸」マクドナルドに乗り込めなかったことだろう。15回も電話でアポイントを取った様子は出てくるものの、マクドナルドの誰とも接触できずじまい。マイケル・ムーアの作品と比べられることが多いようだが、そこんとこムーアとは大きな開きがある。

それでも、アメリカの食事情と言うのがよくわかる。甘いもので太らせる→ダイエット商品が売れる→健康器具が売れる→スポーツセンターが儲かる、というワケわかんない利益のスパイラルがあって、結局「健康のため」ではなく「誰かが儲かるため」に全ての流通が回っているのがよくわかる。これは何も食品業界だけに限ったことでもない。

それからロビー活動を行う圧力団体。契約している企業のために世論を見張り、企業に不利益な運動や行為に圧力をかけ、企業に有益な法案を通すため活動する組織。劇中ではこの団体に取材もしているけど、もう一押し足りない。裏には、巨大な陰謀と利権の匂いがぷんぷんしているのに。ここでもっと突っ込むと命が危なくなるのかな。それともムーアの二番煎じになっちゃうか。

私が最も驚いたのは、学校給食の取材のシーン。フライドポテトとコークだけなんだよ。それで誰も文句も言わないし、疑問も抱かない。農務省から仕入れた冷凍食品を温めるだけ、なんて給食も出てくる。それがまあ、ほんとに悲惨なんだ。こんな給食でこの後、ちゃんと頭も体も活動できるのか、と心配になる。いやあ、いかに日本の学校給食がすばらしいか、身にしみてよくわかった。手作りにこだわってるし、栄養バランスもカロリーもしっかり考えてるしさ。こんなものしか食べてなかったら、アメリカは滅ぶんじゃないか、と本気で思ってしまった。

何見てんだよぉ~

2006-10-16 | 子育て&自然の生き物
え~、ナニガエルでしょう?
アマガエル以外さっぱりわかりませんっ

草むらでじい~っとしているので
すこ~しずつズームしたんだけど無反応。
カメラのズーム音結構でかいんだけどな。



最初はこんな距離だったんだけどね。
めちゃめちゃこっち見てるぞ。
コイツ早くどけよーとか思ってるのかな。


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母たちの村

2006-10-15 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2004年/フランス・セネガル 監督/ウスマン・センベーヌ
<OS名画座にて>
「男性にもぜひとも見て欲しい」



「女子割礼」。女性性器を切除したり、縫合すること。
一体それが何を意味しているのか、みなさんご存じだろうか。

西アフリカの小さな村で、ある日4人の少女が割礼を嫌がり逃げ出して来た。自分の娘に割礼を受けさせなかったコレおばさんを頼って。この地域には「モーラーデ」と呼ばれる保護の風習があり、それを逆手に取りコレおばさんは、少女たちを家にかくまう。古くからの伝統であり、反対することなど問題外であった割礼を廃止しようと、娘たちの為に立ち上がる母たち。前代未聞の動きに、村の男たちは困惑し大混乱となる―。
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女子割礼は今なお30カ国に渡るアフリカの国々で行われているそうだ。医療設備もない状態で行われるこの儀式により命を落とす子供も多い。しかし、死ななかったとしても、この儀式により、女性は精神的にも肉体的にも大きな傷を抱える。この割礼という言葉は男子の行う男子割礼とは、全く意味合いが異なる。女子割礼の目的は「古くからの慣習」というお題目のもとに、女性の外性器を取り去り性感を失わせることで、女性の性をコントロールするためなのだ。

主人公コレは割礼のせいで、二度子供を死産している。そして、長女を難産で出産した。コレおばさんの腹部にはむごたらしい傷跡が残っている。コレおばさんは、上着をはだけ村人たちに叫ぶ。「私はふたりの子供を土に埋めた。そして、ようやく長女を出産できたが、ここまでお腹を切られた。だから、もう子供たちに割礼は受けさせない」と。その痛々しくも雄々しい姿が胸を打つ。

長老を始めとする村の男たちは、「モーラーデ」を止めさせるよう、コレの夫に再三言う。「夫の威厳をもって、やめさせるのだ」「おまえが男としてバカにされているのだ」と。女は、男に従属するものであり、いかなる快楽も得てはいけない。ましてや、夫にたてつくなど絶対にしてはならない。夫自身も周囲に追い詰められ、激しくコレをムチで打つ。

古くからの慣習で、しかもそれが「お清めの」儀式であるという位置づけにあるものを覆すなんてそうたやすいことではない。固定観念にしばられた人間を説得することほど、難しいことはないのだ…

なんて、冷静なレビューを書きたいとこだけど、私がそこに感じたのは「怒り」以外の何物でもなかった。女性を出産の道具のように捉えられた時代や文化もあるけれど、これはそれ以上である。人間に対する尊厳などそこにはみじんもない。コレは孤軍奮闘する。冷ややかな反応にも、夫のムチにも耐え、子供たちを守ろうとする。その姿がやがて周囲の女たちの心にも響き出す。

興味深いのは、村に居着く「兵隊さん」と言うあだ名の商人。値段はぼったくりだし、女たちに色仕掛けをするし、村人からは蔑まれた存在。だが、彼の存在は村人には必要不可欠で時には生活に豊かさを与えてくれる。彼は異文化やよそ者のシンボルなんだと思う。コレを庇った彼がどうなるのか、という結末はぜひスクリーンで見て欲しい。

それにしても、騒動の結末のカギを握っているのもまた「男たち」なのだ、ということが個人的には非常に印象深い。「スタンドアップ」もまた、同じような展開だったことが脳裏をよぎる。コレの頑張りが男たちを動かしたのだからそれでいいじゃないかと、思えばいいんだが、私はどうも割り切れないし、煮え切らない。こと女性問題に関しては素直に考えられないひねくれ根性が頭をもたげる。男たちの「理解」がないと、女の人権って守られないもんなんだろうか。いや、何も男性を敵に回したいわけではない。が、しかし、それでもなお私の心に居座るこのもやもやした感情はどう表現すればいいのだろう。

割礼をしない女性は「ビラコロ」と侮蔑的に呼ばれ、男たちはこぞって「ビラコロとは結婚しない」と声高に言う。つまり、「結婚してやらない」と。結婚「してもらって」こそ女。婚姻制度に頼らねば女の生きる道はないという大きな社会問題もそこには横たわっており、この問題の深刻さを露呈する。

全ての女性たちはもちろん、男性にもぜひ見て欲しい映画である。

スパイ・ゲーム

2006-10-14 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2001年/アメリカ 監督/トニー・スコット
「ロバートの引き立て役に徹したブラピ」


「リバー・ランズ・スルー・イット」で監督としてブラピを見いだしたロバート・レッドフォード。今作ではスパイの上司と部下という役柄で2大スターの共演ということで話題を呼んだ。しかし、蓋を開けてみるとロバート・レッドフォードの独壇場。もしかして自分をカッコよく見せるための格好のエサとしてブラピを呼んだのか、と思ってしまうほど。

物語は、ブラピ演じるトムがスパイ容疑で逮捕され、それを元上司のネイサンが救出するというもの。ネイサンはトムを見捨てようとするCIA上層部の反対を押し切り、背後の巨大な陰謀を承知の上で、ビショップ救出の壮大な作戦を計画する。これがネイサンがCIAを退官する、まさにその日1日の出来事である、というのがとってもハラハラドキドキな展開で面白い。

でも、ふたりがいかに信頼し合った相棒だったかを語る回想シーンがややかったるいんだな。で、ブラピは惚れた女を救出したかった、ってのもなんか甘ちゃんな感じでね、そこはもっと硬派に作っても良かったんじゃないのかなと思う。命を賭けて好きな女を救出するんなら、それが軸になっても言い訳じゃない、映画的には。だけども、この映画の軸は中国当局に捕まったトムをネイサンが救出するんであってね、だったら中途半端な恋バナはいらないんじゃないのと思ってしまう。

で、なんか妖しげな女でシャーロット・ランプリング登場。この人はハリウッド映画に出るとすごい浮くんだよね。全然しっくり来ないの。やっぱアメリカの女優とヨーロッパの女優ってのは、根本的に佇まいが違う、としみじみ思うなあ。

拷問にあってボコボコにされるブラピとCIAの会議室で相手の裏をかいて作戦を実行し最後はポルシェに乗って颯爽と去ってゆくロバート・レッドフォード。もう完璧にブラピは引き立て役ですね。「「リバー・ランズ・スルー・イット」で自分をスターダムに押し上げてくれたレッドフォードに義理立てしたんだな。ブラピってなんていい奴。

アケボノソウ

2006-10-13 | 四季の草花と樹木
林道の溝のあたりで見つけました。すごい個性的でカワイイ!
とっても不思議な模様が花びらに付いています。
花びらの先端に黒いチョンチョンがいっぱい。そして真ん中の黄緑色のきれいなこと。
花びらで白と黄緑の組み合わせって、あんまりないかも。

案外背が高いです。


もっと近づいてみる。

ううむあんまりピンが合ってないけど。
この黄緑色の斑点は「蜜線」ってことなんだけど、
それでアリさんが来ているのかな。
結構どれを見てもアリさんが乗っかっているのが多かったです。



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