Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

理由

2006-08-31 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2004年/日本 監督/大林宣彦

「宮部作品の映画化は難しいなあ」



出演者総数107名!これだけの登場人物がいれば、おのずと「観客が物語をきちんと整理できること」が主眼になるのも致し方ないだろう。あの人は誰だっけ?どういう関係だっけ?それはいつだったけ?といちいち思考が停止することのないよう、極力配慮がなされている。

「証言者スタイル」は原作にならっており、インタビュアーに向かってそれぞれが語りかける、という手法。このスタイルは大きな長所と短所を同時に併せ持っている。長所は「物語が整理されて追いやすいこと」。実は、私この原作読んだことあるのだ。なのに、あまり内容を覚えていない。それは、おそらくミステリである以上、犯人はこいつだ!というカタルシスを得たいのに、やたらと登場人物が多くて、最後に息切れしてしまったのが原因だと思う。

宮部みゆきの小説は、殺人事件はあくまでも切り口であって、書きたいものはその裏に隠された社会問題。しかも、一つではなくて幾層にも重ねられた社会問題ゆえに、じっくり腰を据えて読む必要がある。その点映画化されてみると、人物同士の関係性が素直に理解できた。基本的なことだけど、これだけ登場人物が多ければそれが最も優先順位が高くなるのは至極当然だと思う。「なぜこいつとこいつが繋がっているのか」それこそがこの本の最大のテーマでもあるわけだしね。

さて短所は、情緒的な感情の揺れや登場人物への思い入れが少なくなること。切ない、とか、つらいという感情の起伏は正直観ている間、私は感じることができなかった。もし、感情に訴える部分があったとすれば、いわゆる「大林ワールド」が繰り出す映像だったのかも知れない。しかし、私はこの大林ワールドが苦手なのだ。しかも、1995年の東京という設定の割にはインテリアや街並みが「昭和ノスタルジィ」過ぎやしないか。しかも、インタビュアーがいる、という前提に立った、証言者がお茶やコーヒーを出すシーン。あれがすごく気になった。それは時に1つだったり、2つだったり、4つだったりするんだもん。最後には、聞き手は私でしたなんて作家が出てくるし。あれはいらんかったよね。(監督も)

と、文句いいつつ、やはりこれは原作の持つ主題があまりにも広くて深いことが大きなポイントなんだろうな。「模倣犯」にしてもあの分厚い上下巻を映画にするのは非常に厳しかったもんね。この物語が提示するテーマは実に複雑に絡み合っている。都市問題、核家族、不況、地域社会の崩壊etc…。その背景を浮かび上がらせることが最大の使命だとしたら、この映画は成功だと言えるのかも知れない。

最後にすごく評価できるところが1つある。それは出演者が全員ノーメイクってこと。特に女優陣。彼らが素顔で語る様は、まさに証言としてのリアリティを存分に引き出していた。

誰も知らない

2006-08-30 | 日本映画(た行)
★★★★☆ 2004年/日本 監督/是枝裕和
「子供の逞しさを引き出した是枝演出」



柳楽優弥くんがカンヌ映画祭で史上最年少の主演男優賞を獲得したことで話題になった作品。もうすぐ「シュガー&スパイス」が公開。キスシーンもあるとかで、大人になった柳楽くんが見られるんだろうか。

さて、この作品。実話をモチーフにしているが、是枝監督のドキュメンタリー風の独特のタッチが、さらに実話らしさを引き出している。特に兄弟同士の自然な会話。監督は撮影が入る前から彼らと過ごしていたようで、非常にリラックスした表情で演技している。いや、演技している、というよりも本当の兄弟同士の会話をのぞき見しているような気になる。

是枝流の自然な演出というのは、時には棒読みの素人臭い演技に見える。それでも、映画として非常に面白い作品に仕上がるから、一体俳優の演技力とは何だろう、と考えさせられる。例えば、北野武にしても、本人からして棒読み演技で周りを固めるのがたけし軍団、それでも面白いんだから、やはりそれは監督の腕なんだろう。

それにしても不思議な物で、演技していないように見える演技に対して、観客は最初にとまどいを覚え、距離感を感じる。それは日頃「演技してます!」的演出に我々がどっぷりつかっていることによる違和感が引き起こすのだろう。皮肉なもんである。ただ、物語が進むにつれてその違和感もなくなり、我々はこの4人の兄弟たちが何とか無事にがんばってくれと祈り始める。しかし、ただひとりその違和感がさっぱり消えず、のどに詰まった魚の骨みたいに気持ち悪さがずっと残る人がいる。YOUである。

私はこの気持ち悪さが気になってしょうがなかった。YOUはYOUのままあそこにいる。見方によってはあれを自然な演技というのだろうか?しかし、私はYOUを見ていて「キムタクは何をやってもキムタク」と同じものを感じてしょうがなかった。

ポスターともなった柳楽優弥のこの写真は、本当にすばらしい。彼はこの映画を通じてほんとに大人になったんだろうな。この表情にはエロスがあるもの。かっこいい、とか、かわいいなんてチンケなもんで、俳優の真価はエロスにありと思っているので、この表情には子供と言えども惹きつけられる。

物語はとても哀しいストーリーで、子供たちだけで暮らしていることを周りの大人は誰も気づかない。でも、この映画はそれを社会が悪いと糾弾するのではなく、彼らの成長物語として提示している。そこには、ささやかな幸せすら漂う。子供は自分の環境を客観的に見ることなどできるはずもなく、ましてや誰かにその境遇を説明することもない。子供は与えらた場所でただ生きるだけだ。その姿がかえって我々に多くのことを訴えかける。大人の傲慢や怠惰を浮き彫りにするのだ。

サマータイムマシン・ブルース

2006-08-29 | 日本映画(さ行)
★★★★ 2005年/日本 監督/本広克行

「どうして私は乗りきれないの」



「面白かった!レビュー」が多くて期待し過ぎたのだろうか。最後までなんだか乗り切れなかった。こういうテイストの作品はすごく好きなんだけどなあ。なぜだろう。面白い!と言い切れない私がいるのです。なぜ、なぜ?

突然タイムマシンが目の前にあって、とりあえずすることと言ったら壊れたリモコン直すために昨日に戻るってね、そういうバカバカしさはすごくいいんです。でね、昨日に戻ってしまったがために、結局あっちこっち時間移動しなきゃいけなくなって…。そこをですね、私はすごく「それでいいの?」と冴えない脳をいろいろ働かし過ぎちゃって、乗り切れなかったんですよ~。

えーっと昨日に戻ってやったことは、今日はすでに現実化してる。でも、過去を変えちゃうとすべてが消滅するって、佐々木蔵之介演じる大学助手は言ってたし。じゃあ、落書きするのはいいけど、物を動かすことはダメなの?なんて、もうずーっと頭の中が疑問符だらけでね。いちいち検証している自分がいる。もう性格だね。あれ?と思ったことがスッキリするまで、ストーリー追えないの。これって、結構損な性格かもなあ。

でもね、伝説の亀がSF研究員の男の子だったってオチはかなり笑えたし、なぜか未来から来た奴がダサイファッションだとか、そういう細かいところもいちいち面白かった。つまり、面白いか、面白くないかと聞かれれば面白いんだ。しつこいけど。と、いうわけで辻褄を確認するためにも、何度も観た方がいいのだろうか?それとも、そんなことするとますます頭が疑問符になるんだろうか。スッキリ面白かった!と言えない自分が悲しい。

ふたりの5つの分かれ路

2006-08-28 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2004年/フランス 監督/フランソワ・オゾン

「いじわるなオゾン」


離婚調停を行う夫婦、マリオンとジル。そこから時間軸をさかのぼり、「別れ」「或るパーティの夜」「出産」「結婚」「出会い」と夫婦の5つの分岐点を描くストーリー。

いじわるだなあと言うのは、まず「別れ」がありきってこと。最初にこのふたりは別れるんですよ、と宣言しておいて、ラストに初々しく美しい出会いの場面を持ってくるんだから、何とまあ、オゾンって奴は皮肉屋さんなの。しかもね、それぞれの5つのシーンには、男と女の裏切り、嫉妬、猜疑心ってやつがちらほら顔を覗かせる。

ただね、裏切りって言っても「何かわかるな~」って感じのちょっとした裏切りで。でも結局その裏切りが随所に出てくると結局「男と女なんて信用できない」という結論に達するでしょ。そのへん、やっぱりゲイであるオゾン一流の皮肉なのかな、という気がする。

例えば、結婚式の夜、夫は酔っぱらって寝てしまったため、散歩に出かけた妻はゆきずりの男と関係してしまう。出産のシーンでは、自分が父親になったことに対応できなくて夫は妻の傍にいることができない。それらの裏切り行為は、「結婚という形式が拘束するもの」や「家族を作らねばならない」という常識から来る不安が原因で生ずる。結婚という枠の中での男と女の関係ってのは、こんなにもつまんないものですよ、と説得させられたような気分だ(笑)。

5つのそれぞれのエピソードは、それぞれが短編映画のような完成度の高さで、映像もとても美しい。全てにおいてセックスがポイントになっているのは、いつものオゾン流。まあ、どーっつことないちゃあ、どーっつことない物語なんだけど、ここまで見せられるのは、さすがオゾンといった感じ。裏になったり、表になったり、不安定な人間の心理描写を巧みに表現している。だから、どーっつことないんだけど、引き込まれるんだよね。

邦題は「分かれ路」となってるけど、原題は「5×2」。邦題で感じる、あの時こうしていればというニュアンスは映画にはない。あくまでも5つの場面。遡るに従い、妻も夫も生き生きとした表情になる。冒頭、やり直そうとせまるジルを尻目にバタンとドアを閉じる妻のマリオンの冷たい表情と、ラストシーン夕焼けの浜辺でジルを海に誘うマリオンの晴れやかな笑顔は、まるで同じ人とは思えない。結婚って、そんなに人をやつれさすもんですかねえ、オゾンさん。

まぼろし

2006-08-27 | 外国映画(ま行)
★★★★★ 2001年/フランス 監督/フランソワ・オゾン

「あなたには重みがない」



25年連れ添った夫が浜辺で突然姿を消した。事故なのか、自殺なのか、それとも失踪なのか。妻は夫の不在が受け入れられずに、彼のまぼろしを見るようになる…。

現在活躍中のフランス人監督で誰が一番好きかと聞かれれば、私は真っ先にフランソワ・オゾンと答える。(もはやすっかり人気者になってしまったが)それにしても、彼との最初の出会いが「焼け石に水」だったので、この作品の作風がそれとはずいぶん異なることに驚いた。弱冠37歳という若さで、このような深い中年女の心理模様を描いたこと、そして稀代の名女優シャーロット・ランプリングを再び表舞台に立たせたことということが、彼の映画監督としての才能を大いに物語っている。

何と言っても、シャーロット・ランプリングの美しさを存分に引き出したところがすばらしい。リリアナ・カヴァーニの名作「愛の嵐」は私も大好きな作品で、裸にナチの帽子とサスペンダーというあの出で立ちは、女性である私から見ても忘れられない美しさだった。ところが、その後のランプリングって、あんまり作品に恵まれていなかったように思う。彼女の妖しげな美しさを「利用して」そのような雰囲気だけお借りします、みたいな作品が多かった。まあ、ポール・ニューマンと共演した「評決は」まだ良かったかな。

で、まぼろしに戻って、この作品ではシャーロット・ランプリングの美しさにほんと惚れ惚れする。もちろん、若い女性の持つ美しさとは全然違うんだけれども、妖しくて、哀しくて、凛として。ラブシーンでもきれいな乳房を堂々と出してます。そこには、50代の女性に真っ向から対峙しているオゾンの真摯な姿勢とシャーロットへの賛美が感じられる。オゾンのこの視線はその後の作品「スイミングプール」でも堪能できる。

夫を失った喪失感に耐えきれず、部屋で夫を見るようになる彼女は精神的におかしいのだろうか。私は全編通して、これは喪失を埋めるための必要不可欠な通過儀礼であり、非常に自然な心の流れだと思う。オゾンっぽいなあ、と思うのは結局彼女がそれを乗り切れたのかどうかわからないラストシーンである。

夫らしき死体が上がったと警察から連絡が入り、確認に出向くマリー。検察医から腐乱が激しいので見るのは止めた方が良いと言われるにも関わらず、どうしても遺体確認がしたいと安置室へ行く。このくだりで、マリーはようやく夫の死を受け入れる決心が付き、そのふんぎりを付けるためにも死体を自分の目で確認しようとしたのだと思った。ところが、遺留品の時計を見せられ、「これは夫のではない。あの死体は夫ではない」とひるがえすマリー。浜辺で見た男は、またもやマリーが作り出したまぼろしなのだろうか。それとも、浜辺でひとり嗚咽した後、彼女は全てを受け入れることができたのだろうか。大いに余韻を残す美しいラストシーンだ。

私がオゾンを好きなところは、西川美和監督のテイストとかなり似ているのだが、人の感情にチクリと針を刺すそのやり方にある。人間の持つイヤな部分を非常にシニカルでドキッとさせる方法で見せる。何でこういうセリフが書けるの?とつくづく思う。この作品では夫の死後、関係を持った男に「あなたは重みがない」と言い放つシーン。(マリーの夫は大柄で恰幅のいい男なのだ)そして、夫の母に「あなたに飽きたから息子はどこかに行ってしまったのよ」とマリーが言われるシーン。こういった人間の心の深いところをえぐるようなセリフやシーンを見せつけられると、私はすっかりその監督のファンになってしまうのだ。


スーパーマン・リターンズ

2006-08-27 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/ブライアン・シンガー
<京都MOVIXにて>


「夏休みの最後を飾るにふさわしい!」



オープニングの宇宙の旅を描いたシークエンスがすばらしい。スーパーマンのテーマソングが流れ、おそらく彼がクリプトン星まで行ってその消滅を確認し、再び地球に帰ってくるまでの目線で描かれる壮大な宇宙の景色。そこには果てしない銀河と美しい惑星が広がる。まるで、自分がスーパーマンとなって、空を飛んでいるかのような浮遊感を持って描かれている。テーマ曲の荘厳さと相まって、始まって5分でいきなりううるうる来てしまった。正直CG処理嫌いだけど、このシーンは本当に美しい。

そして、スーパーマンを演じるブランドン・ラウス。このコスチュームを着こなしていることだけでも、賞賛に値する。今どきこのマントと赤パンツそして胸にSの全身タイツが似合う男はコイツしかいない!とも思わせる着こなしぶり。しかも、カッコイイとはどういうことですか。空を飛ぶにはやっぱりマントがなきゃね。はためき具合といい、質感といい、すごくイイ感じ。マントのしわがね、うまく作ってあるなあ、とミョーに感心。実際の素材は一体何なんだろう。

さて。地球に帰ってきていきなり墜落寸前の飛行機を救出。宇宙まで飛んでいった飛行機が垂直に落下するのを「下から受け止める」ってアンタのパワーはどうなってんですか!って感じだけど、まあまあとにもかくにも、スーパースーパーな活躍ぶりは、ちょっと笑っちゃうほどで。何があってもスーパーマンが来てくれるのだ~という安心感は、ハラハラドキドキとは無縁な分、その超人ぶりをとことん楽しもうじゃないの。

レックス・ルーサーが大悪党ではなく小悪党なのが、いただけない。ここまで超人的パワー使わなくてもこんなこわっぱすぐにひねり倒せるぜ。刑務所で知り合った男どもを仲間にするってのも、なんかチープだよ~。スーパーマンに相対する人物として、もう少し徹底的な悪党にして欲しかったなあ。

スーパーマン、ロイス、リチャードを三角関係にしたのは、とっても現代的。ロイス、このままいったら不倫じゃん!リチャード、つらいのお。命を賭けてあんなに頑張ったのにー。と、いうわけで、おそらく次回はこの三角関係が一体どうなるのか、興味津々。まさかリチャードが死んでたりして(笑)。そして、もうひとりの「彼」はどうなるのか。(ネタばれになるので書きません~)

見終わって、スーパーマンの超人ぶりに家族でひときわ話が盛り上がりました。夫が言うのに「浮遊している状態で下方向に落下する巨大な物体を持ち上げてしまうのは、物理的にどうなんだ」という疑問が。確かに上向きの推進力は、どこから生じているのだろう?そこで「空想科学読本」を愛読している息子がすかさず「スーパーマンはほとんどが腕力に頼ってるらしいで」と答える。ふうん。男たちは勝手に言っててちょうだい。私はロイスみたいに空中遊泳に連れて行って欲しいわ~。

火の祭り「上げ松」<後編>

2006-08-26 | お出かけ
さて、夜になり灯籠流しが終わると、横笛と太鼓のリズムが響きいよいよスタート。ぶんぶん振り回して投げる、というのがこの写真を見ていただくと、だいぶ分かっていただけると思います。


トロ木の周りには、このように何カ所もぼうぼうと火が燃えているポイントがあり、そこで銘々が松明に火を付けます。


このように周辺で投げた松明が周りの人の足元にボタボタ落ちてくるのです。思いっきり投げているので、結構な勢いで落ちてます。

と、始まって10分も経っていなかったと思います。なんと火が付きました。も、も、ものすごく早い。


中に花火を仕掛けてあり、ぴゅーん、ぴゅーんと花火が上がります。

次第に炎も大きくなり、火の粉が舞い上がります。

改めて思いました。この祭りで美しいのは燃えさかる炎ではなく、この舞い上がる火の粉なのです。

そして、ある程度燃えたらトロ木を支えている荒縄を外して、トロ木を倒します。河川敷にドーンと倒れる音。そして、再び大きな火の粉が舞い上がります。

うーん、倒れる瞬間からちょっとタイミングずれました。今年は、例年よりも早く火が付きました。というわけで、倒れるまで見物した後、車で5分くらいの別ポイントに移動。そこでも着火まで見物し、今年は上げ松を堪能したのでした。


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イージー・ライダー

2006-08-25 | 外国映画(あ行)
★★★★★ 1969年/アメリカ 監督/デニス・ホッパー

「変わらないアメリカ」


公開当時、私は2歳。無論リアルタイムで観られるわけもなく、大学生になり映画好きになってから観た。そして、再び見直してみて驚くのは、アメリカという国は今も全く変わっていない、ということ。アメリカがこれほどまでに、自由を声高に叫ぶのは、それだけ差別意識の根が深いからなんだろうと思う。全ての物事の第一に「人は誰でも自由である」と何度も何度もしつこいくらいに認め合い、お互いに牽制し合ってないと、社会がもたない。

ハーレーを乗り回し、マリファナを吸い、自由を謳歌する青年二人は、結局何の関係もない農夫に、撃ち殺される。今の言葉で言うと「ウザい」からだ。ジャック・ニコルソン演じる弁護士のジョージは言う。「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでもしゃべるが、自由な奴を見るのは怖いんだ。」

この言葉は、アメリカという国が持つ不可解さを見事に捉えていると思う。自由な奴を見ると「怖い」。羨ましいとか悔しいじゃなくて「怖い」。自由を主張するくせに、いざ本当に自由な奴を観ると怖くなって攻撃する。自由という名の下の他者の排除。アメリカンニューシネマという語感からは、実に軽やかな映画を想像するけど、なんともはや暗い映画である。

もちろんハーレーを乗り回すピーター・フォンダとデニス・ホッパーのかっこよさと言ったらこの上ない。特にピーター・フォンダがバツグン。長い足にレーバンのサングラス、甘いマスクなのにニヒルな雰囲気漂わせて、チョッパーを乗りこなすヒッピー野郎。こんな奴いたら女はメロメロだね。この見た目とステッペンウルフでアメリカってかっこいい!なんて風潮が生まれたのは事実なんだろう。

しかし、自由という名の下の諍いは止むことがない。「イラクの人を自由にするため」という大義名分で行われた戦争の行方は一体どうなるのか、未だ見当が付かない。いつかまたこの映画を観た時に「アメリカもずいぶん変わったね」と言う時が果たして来るのだろうか。

火の祭り「上げ松」<前編>

2006-08-24 | お出かけ
「上げ松」という火祭りをご存じでしょうか。私はもちろん、この土地に越してきて知ったのですが、これが見ていて本当にワクワクするんです。

調べてみると「上げ松」という祭りは、京都府北部のいくつかの地域で今も行われている伝統行事のようです。京都の火祭りと言えば「鞍馬の火祭」が有名ですが、あれとはずいぶん異なります。また、同じ「上げ松」でも地域によって、多少やり方が異なるようです。なので、これから紹介するのは、あくまでも私が住んでいる地域の「上げ松」であることをご了承いただいて。

さて、「上げ松」とはなんぞや。簡単に申しますと、背の高い籠(かご)を立て、そのぐるりに男たちが火を付けた松明(たいまつ)をぶんぶん振り回して投げ入れ、点火させるお祭りです。祭りの由来は、「農作物の豊かな実りへの感謝と火の神『愛宕神社』へ、火魔封じを願い献燈されるのもの」とのこと。



こちらが、その籠。高さは20mくらいでしょうか。我が家から車で走ること約10分の場所に立っています。この籠、正式には「トロ木」と言うみたいです。この集落の3カ所で「上げ松」は行われます。昔はもっといろんな集落で行われていたようです。

準備は地域の男性によって進められます。
周辺一帯に火をともすための準備もあるので一日がかり。えっ?今日は平日で、お仕事は?と思うでしょう?そんなの、休むに決まってるじゃないですか。仕事より、地域の行事ですよ。それが田舎流。私はそれがいいとも、悪いとも言ってませんが(笑)。


てっぺんには、榊と紙垂(しで)のようなものが付いてます。

そして、投げ入れる松明ですが、これが非常に特徴的なんです。乾燥した茅や杉枝を「球状」に仕上げ、わらのひもを付けます。そして、点火させ、ぐるんぐるんと振り回して、投げ入れるのです。遠くで見ていると火の玉がぶんぶん飛んでいるように見えます。

また、投げ入れ方が独特なんです。ひもを持って、片手で体の横で前から後ろ方向へぶんぶん回し(縦回転ですね)、「下から上へ(ここがポイント)」ぶんっと振り上げるのです。わかって頂けますでしょうか(汗)。高さ20mですからね、かなり気合いを入れて振り上げないと届かないのです。そのため、力が入って、火の玉はあちらこちらへとびゅんびゅん飛んでいくのです。中にはとんでもない方向へ飛んでいく「上げ松」も。と、いうわけで、実はなかなかうまく籠に入らないんですね~。一つの「上げ松」が籠に入った時点で、投げ入れは終了。だから、延々投げ続ける年もあれば、もうついたの?ってくらい早く燃える時もあります。

さて、今年は点火まで何分かかるのでしょうか。なんだか長いブログになってしまったので、続きはまた次回にします~。

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ハナトラノオ

2006-08-23 | 四季の草花と樹木
秋風を感じるようになってきました。昨晩、仕事で遅く帰り、空を見上げると満点の星でした。風もひんやり気持ちよくて。昨日当たりからだいぶ秋の気配が漂ってきましたね。

夏の水不足で多くの花々がしょげかえっている中、すくっと大きく成長して今花を咲かせているのが「ハナトラノオ」。林道で撮った「オカトラノオ」は野生の花ですが、これは園芸種のようです。近くの友人に花をもらった時にくっついてきたみたい。とても元気に育っていたので、強い花のようです。


トラノオという名前がついているように、先がぴんと立っています。ただオカトラノオは、滑らかな曲線がしなやかですが、こちらは、空に向かってすくっと伸びています。花もオカトラノオは白くて可憐でしたが、こちらはピンクで赤紫色の模様が入った妖艶な花。ずいぶんイメージが違います。

ただ、この時期さかんに咲く花ってあまりないので、そういう意味では貴重かも知れませんね。


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キンキーブーツ

2006-08-22 | 外国映画(か行)
★★★★☆ 2006年/イギリス 監督/ジュリアン・ジャロルド
<OS名画座にて>

「笑って、泣いて、バンザーイ!」



亡き父がのこした、倒産間近の靴工場を継いだチャーリー。ひょんなことでドラッグクイーンのローラと出会った彼は、“彼女”が履く派手なブーツ(キンキー・ブーツ)の生産を決意する。そして、ローラを工場に迎え、商品開発に励むが…。

ドラッグクイーンのドラッグは、麻薬のDRUGではなく、引きずるのDRAGが語源。正式にはドラァグ・クイーンである。豪華なドレスをずるずると引きずることが由来だったと思う。私が思い描くドラァグ・クイーンは、他者を圧倒する存在感と美しさを持つ孤高な存在。ヘドウィグが、まさにそう。だけども、今作のドラァグ・クイーンのローラは、少々がたいも大きく、声も太いし、孤高の美しさとはちと言い難い。最初は「ええ~」と思ってたんだけども、最後にはだいぶ慣れた(笑)。ローラを演じるキウェテル・イジョフォー、大きな口をさらに大きく開けて歌うドラァグ・クイーン特有の歌い方はかなり堂に入ってました。

この物語の主をなすのは「乗り越えていく」ということ。主人公チャーリーには、2つの乗り越えるべき事がある。工場の再生と婚約者との冷えた関係だ。「俺に何ができる?」が口癖の情けない男チャーリーは工場で働く職人たちからも見放されている。しかし、キンキーブーツを作るという一大決心が、やがて工場の団結を生み出し、本当の愛も手に入れる。

工場で働く職人たちもまた、ゲイへの偏見を乗り越えるし、ゲイのローラはドレスを脱ぐと弱気になる自分を乗り越える。人生、まずは乗り越える勇気が大事さ!見終わった後、よし、がんばろう~という気にさせてくれる。

ただね、少々毒気が足らないなあ。最終的には、ミラノの見本市に出品して、死にかけのブランドが一発逆転!な展開なワケだけれど、どうもそういうカタルシスが弱い。それは先に言った「乗り越える」前の状態があんまりどん底に見えないからなんだよね。これはおそらく演出的なことなんだろうけど。それに、ドレスを脱いだら弱気な男になっちゃうローラ。彼女の気持ちの移り変わりにも、もう少しスポットをあてて欲しかったな。

そうそう、チャーリーとローラ、そしてローレンを最初から三角関係にして、恋のさや当てをしても面白かったかも。107分の映画だから、このあたりふくらましてももっと良かったんじゃないかな~。

とはいえ、笑いのセンスはなかなかだし、テンポもイイし、鑑賞後も爽やかな気分になれる良質の映画。ラストのミラノのショーのシーンは、すごい盛り上がったんで、もう1曲踊って欲しかったなあ。あと、工場での手作業による靴作りの場面は靴好きの私にとってはすごく楽しめた。モノ作りの楽しさがすごい伝わってくる。実話がもとになっているので、「キンキー・ブーツの製作工程見学ツアー」なんてあったらぜひ行ってみたいなあ。

それにしても。

この映画、関西圏では大阪で1館のみの上映ってどーゆーこと!京都でも神戸でも上映していないなんて…。シネコンにひっかからなきゃ、観られる映画館がものすごく制限されてしまうのが、もの凄く悲しい今日この頃です。

CURE キュア

2006-08-21 | 日本映画(か行)
★★★★★ 1997年/日本 監督/黒沢清

「戦慄のラストカット。傑作」


私は未だかつてこれ以上恐ろしい作品を見たことがない。あのラストシーンを見たときは本当に背筋がぞっとして、しばらく動けないほど怖かった。そして、思った「黒沢清なんて大嫌いだ」と。

しかし、この作品の魅力に抗えないのも事実なのだ。大嫌い、大嫌いと何度心の中で叫んでも、この作品の持つ魔力にがんじがらめにされてしまう。これほどのアンビバレンツに苦しめられる映画は、他にはない。思い切って降参してしまえばいいものを、なんだか無性にそれは嫌なのだ。そして、新作ができるたびに黒沢清の映画を見て、やっぱりこの人は嫌いだと唱える自分がいる。そうせずには、悪魔に魅入られてしまいそうで怖いのだ。

今作品は精神学的にも哲学的にも非常に深い考察ができる傑作だと思う。いわゆる猟奇殺人ものとは完全に一線を画している。しかし、私がこの映画に感じる嫌悪感は、「近寄ってはいけないモノ」だという本能だ。バカげた話かも知れないが、私は子供を産んでから明らかに嗜好が変わった。生命をおびやかすもの、健やかな精神を害するものを遠ざけようとする本能が生まれた。これは紛れもない事実だ。誤解のないように言っておくが、それは全ての女性に共通しているというわけではない。あくまでも個人的な体験。そのアンテナがこの作品には強烈に反応する。針が振り切れんばかりに、近寄ってはならぬ、と警告するのだ。しかし、物語が始まると、逃げようにも足がすくんで動けない強烈な魔力を放つ。ああ、本当に恐ろしい。

さて、今作の持つ悪魔的な魅力をさらに高めているのは二人の主演俳優であることは間違いない。癒しの伝道師、間宮を演じるのは萩原聖人。出会った人々を独特の話術で催眠にかけ、殺人者に仕立て上げる記憶喪失の放浪者。彼の人を食ったような話し方は、本当に不快だ。執拗につぶやく「あんたは誰だ」というセリフが頭から離れない。精神に異常をきたしているのは明らかだが、悟りを得たかのような雰囲気が出会う者たちを惹きつける。そういう難役を萩原聖人は見事に演じている。個人的には彼の一番の作品だと思っている。

そして、刑事の高部を演じる役所広司。この人が画面に出るだけで、非常に暑苦しい。この暑苦しさが黒沢清のダークな世界と組み合わさると、もう息苦しくて仕方がない。役所広司が悩み、苦しみ、叫ぶたびに観ている私は酸素不足ではあはあしてしまう。黒沢作品に欠かせない存在になるのも納得。精神を病んだ妻を支える一見妻思いの刑事が、間宮と出会うことで妻への殺意を表出させる。そして、間宮を追い詰め殺すのだが、伝道師としての役割は高部に引き継がれたのだった。しかも、その能力が格段に上げられた形で。

薄暗い病院の内装、間宮の異様な部屋、ひからびた猿、どこを走るのかわからないバスなど、人々の精神を逆なでするような映像の洪水。しかし、最も気分を悪くさせるのは、精神を患った高部の妻が回している空っぽの洗濯機の音だ。ぶぅんぶぅんと四六時中鳴り続ける洗濯機の音。あんな音を聞かされていたら、誰だって頭がおかしくなってしまうだろう。

ファミレスのラストシーンには、心底戦慄を覚える。しかも、これが非常に引いたショットで、まるで他人事のように醒めた視点の映像なのだから余計に怖い。誰かが死んだり、血が流れたりなどという直接的な表現ではなく、「示唆する」という方法でここまで人々に恐怖を与えることができるのだと思うと、映像表現の力とは何と大きいものだろうか、という感慨すら覚える。もし、万一街で黒沢清に出会っても、私は絶対に話しかけたりしないと思う。

夏休みの宿題

2006-08-19 | 子育て&自然の生き物
さあさあ、宿題に向けてのラストスパートが始まりました。手始めに郵便局主催の「手作り貯金箱」です。田舎の小学生はかなりの割合で大工仕事をしてますよ。それは、おそらく大工をしているお父さんが多いということ、手作り好きなお父さんが多いこと、手近なところで木材が容易に手に入ることなどが影響していると思われます。

というわけで、元大工の夫も駆り出されて木で貯金箱を作ることになりました。道具の正しい使い方を知る、というのは非常に大事なことだと思います。のこぎりの使い方、木の削り方、ヤスリのかけ方など、正しい道具の使い方を知ることは、様々なことに応用できるんではないでしょうか。


魚好きの息子は、魚の絵を描きました。魚の目の部分に穴が空いていて、そこに硬貨が入るしかけを作るようです。と、ここまで来てマンガを読み始めました。一日で終わるわけないよね。ああ、まだポスターも自由研究も残ってるのに~。ほんとに終わるのかねえ。


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瀕死のガーデンダリア

2006-08-18 | 四季の草花と樹木
しばらく大阪へ帰省しておりました。それにしても、雨が降りませんねえ。8月に入ってから、しっかり雨が降った日は、一日もありません。本当です。昨日、少し降りましたけども、どんよりとした空模様とは相反して、本当にちょっぴりしか降りませんでした。もっと、「しっかり」降ってくれないと、花壇も畑も何もかもが枯れ枯れです。

というわけで、家を留守にしていたため、花壇の花たちが一気に弱ってきました。夕方じょうろで水やりしましたが、これには限界があり、やはりドーッと雨が降らないとどうしようもありません。いろんな花たちが枯れてきました。というわけで、冒頭のガーデンダリアは元気な頃の状態、今はすっかり枯れ枯れです。


こちらは白のガーデンダリア。同じく今は葉が茶色く変質してしまっています。


こちら、元気な頃のアメリカンブルー。同じくただ今瀕死の状態です。

天気予報では、今日夕方から雨。お願いだから、たくさんたくさん降ってくださいませ~!

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ブラザーズ・グリム

2006-08-16 | 外国映画(は行)
★★★★ 2005年/アメリカ・チェコ 監督/テリー・ギリアム
「モニカの登場でようやく面白い展開に」


グリム兄弟は、イカサマ魔女祓いで金儲けをしていて、それがフランス軍の将軍に見つかり、本物の魔女退治をするはめに…というこのお話。目の付け所はすごく面白い。ただね、最初の30分ほどがね、何がどういう展開になっているのかストーリーがつかみにくい。まずグリム兄弟は童話を書く人だ、という先入観が邪魔をして、なかなか本筋を把握できない。あちこちにちりばめられているグリム童話の話もそれぞれの童話を独立した形で知っている我々にとっては、ストーリーそのものに混乱をきたすだけ。ドイツの村をフランス軍が占領しているというあたりの歴史的背景もなかなかピンと来ないし。

やっぱり、物語に入る込めるのは、モニカ・ベルッチの登場シーンからかな。(私が好きな女優ってことでもあるけど)美しい女王様が登場すると、ようやく童話的世界がはじまり、はじまり~って感じになるんだよね。だからもっと早くモニカ・ベルッチを出して欲しかったな。もう、見ているだけでうっとりするもの。女王にふさわしい美しさの持ち主はこの人しかいないです。

「未来世紀ブラジル」「12モンキーズ」のテリー・ギリアムってことで、もう少しエグいのが来るかな~と思ったんだけど、だいぶ構えて見たのでショック度は低かった。もう少し素で見ればもっとギョッと思ったに違いないんだけど。まあ、あの虫は気持ち悪かった。虫を総動員しての撮影って、現場はどうやってるんだろうなあ。みんなが一斉に動き出すでしょ。撮影終わった後、そのあっちこっち行った虫はどう回収しているのだろうか。あと、ウサギをさばくシーンね。あれは、本物を吊して皮を剥いでいるのかな。こういうリアルさって、ドキッとするよね。

それにしてもね、ギョッとするために映画を見ている人は少ないはずで、ストーリー自体の面白さは、テリー・ギリアム年取って毒気がなくなったのかな、という物足りなさ。せっかくの豪華出演陣なのに、もったいない。モニカ・ベルッチの女王様と言えば「ミッション・クレオパトラ」があるのだけれど、こちらの方がバカバカしさ全開で、面白かったなあ。