Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

砂の女

2009-01-31 | 日本映画(さ行)
★★★★★ 1964年/日本 監督/勅使河原宏

「美しい、あまりに美しい」


人間存在を巡る問題に匂い立つエロス。めちゃくちゃかっこいい。カッコ良すぎて悶絶。なんでこういう映画が今撮れないんだろう。

昆虫採集に来た男(岡田英次)が村人に騙されて、砂丘のすり鉢の底にある家に泊まらされる。脱出不可能なこの家で来る日も来る日も砂掻きをやらされる男。「俺がいなくなれば家人が捜索願を出してくれる。そのうち警察がやってくる」という男の弁をせせら笑う村人たち。

掻いても掻いても砂にまみれる家で作業をし続ける不毛さ。そんな住まいから離れられない村人。この物語には様々な隠喩が隠れている。端的に言えば男が文明で、村人が未開の象徴。男から見れば、何の理屈も通っていない無知極まりない生活様式も、そのコミュニティの強固さの前には為す術がない。しかし、最終的には男は取りこまれてしまう。人間の弱さ、生きるための拠り所とは何か、文明社会の空虚さ、本当に様々なことを考えさせられる。

物語を追えば、この作品。「砂の家」というタイトルでもいい。または、ハメられる男の嘆き、もがきもまたメインテーマであるなら「砂の男」でもいい。しかし、本作は明らかに「砂の女」だ。それほどに、岸田今日子の妖婉さは際立っている。汗ばむ首筋、くびれた腰にへばりつく砂、砂、砂。時に鮮烈に、時に舐め回すようにカメラは岸田今日子の体をとらえる。それがなんともまあ、エロティックで、美しい。ポスターにして飾りたいほど。

砂の家に棲む女は、ただ落ちてくる獲物に食らいつき、むさぼり食うアリジゴクのよう。その真意の見えぬ妖しさに私もすっかり虜になってしまった。ひたすら砂を掻き出す不毛な毎日でも、この女と暮らす日々の方が何倍も官能的で魅力的ではなかろうか、と。




Helpless

2009-01-28 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 1996年/日本 監督/青山真治

「ぎしぎしと音を立てひび割れてゆく」

山並みを捉える俯瞰のカメラから始まり、安男を迎えるふたりのやくざ。バイクを転がす健次。何事も起きぬ、この序盤の10分間からもう目が離せない。取り立ててこの演出がとか、このカメラワークがとか、目に見えて表出しているものではない、何か「佇まい」のようなもの。

実にするすると1日が過ぎてゆく。不快になったり、びっくりしたり、悲しくなったりなど全くせず、ただ壊れてゆく健次を眺めている。ここで描かれる痛み、虚しさ、孤独。それらのものは我々の中に入り込み、揺さぶり、訴えかけるような類のものではない。観客の心をざわつかせようという作為のない演出。それは、青山監督の揺るぎない自信がもたらしているのだろうか。このような佇まいの作品がデビュー作ということに驚きすら覚える。

感じるのは、健次のこわれてゆく心の音。ぎし、ぎしぎし。少しずつ、ひび割れてゆく。その破壊は突然起きたのではない。既にできていた亀裂が、小さな刺激を受けることで傷口を広げただけのこと。それはまるで、使い続けたひびの入った茶碗が強度を保ちきれなくなり、突然パリンと割れるかのようなのだ。しかし、その結果見えるのは途方もない虚脱ではない。それでもやっぱり、健次は歩き出す。どこへ?何とも言えない余韻が残る。

イントロダクションから受ける、やけっぱちでささくれた印象の作品では全くない。暴力をモチーフにしながらも、どこか達観したような清々しさすら漂う。そして、浅野忠信の存在感がすばらしい。

働きマン

2009-01-24 | TVドラマ(日本)
<働きマンドラマ比較 vol.2>
★★★ 2007年/日本テレビ

「哀愁なくして働きマンにあらず」


本家本元のドラマ化。漫画よりも面白いという声もあるのだけど、私はガッカリ感の方が格段に大きかった。

安野モヨコ氏の描く「働きマン」に最も私が共感したこと。それは、働く女の哀愁だ。これだけがんばって何の意味がある?という自問自答。松方弘子は、ガサツで冴えないオンナではない。コンサバファッションに身を固め、流行のカバンをもって颯爽と社内を闊歩している。胸の開いたVネックのぴったりとしたニット。そこには、オンナとしての自分を十分認識していることが伺える。男なんてどうでもいいとは、思っていない。しかし、一旦スイッチが入ってしまうと、仕事に向かってしゃかりきになってしまう自分がいる。なんか寂しい。なんか虚しい。そんな哀愁が漫画からは滲み出ている。

漫画の松方弘子は、ほとんど睨んでいたり、見据えていたり、あまり笑顔では描かれていない。まさにこのDVDジャケットがしかりで、この決めポーズをしている漫画の表紙の松方はこちらを睨み付けている。しかし、菅野ちゃんには笑顔が見える。産業廃棄物の取材に出かけ誰もいない山中で物思いにふけったり、久しぶりに帰った実家で父親のひと言に打ちのめされたり。「アタシ、何やってるんだ」と言う心の声が漫画にはびゅうびゅうと吹きすさんでいるのだ。

でも、ドラマはそういう哀愁を排除してしまった。大変ノリが軽い。テンポを良くするとか、わかりやすい話にする、というのはドラマ化においてはある程度仕方ないのだろう。でも、私にとってのキモの部分がバッサリなくなっていたので、残念で仕方なかった。そして、菅野さんファンには申し訳ないけど、ハマリ役とは思えなかった。松方弘子が実像となった時点で、ある程度特異なキャラクターとしてぽんと抜け出てこないといけないのだけど、いわゆる「普通にがんばるOL」。私にはそう見えた。もっと「間」を作って欲しかった。余韻に浸ろうとしても、パパイヤ鈴木の働きマン音頭だもんな。あれを思いついた人は本当に原作漫画を読んでいるのだろうか。


トップセールス

2009-01-22 | TVドラマ(日本)
<働きマンドラマ比較 vol.1>

★★★★ 2008年/NHK
「安全第一」

男女雇用均等法が施行される遙か昔に営業マンから社長にまで上り詰めた女性の実話。となると「働きマンもの」好きとしては、見ないわけにはイカンじゃないか、とかなり期待して見始めたドラマですが、蓋を開けてみると、いやあ手堅い、手堅い。そつがない。いかにもNHKです!という演出で、よく言えば安心して見られる。悪く言えば、ドキドキワクワクに欠ける。なんせ、車を扱うドラマですから、安全第一ってことでしょうか。

えらく年上の中年オヤジと恋愛関係に陥りそうになりますが、その辺はさらっと通過。そして、今度は年下男と恋愛関係に陥りそうになりますが、これまたさらっと通過。恋と仕事ではゆれんのです。この時代の人は。そんなちゃらちゃらした物語じゃないんです。はい、NHKですから。でも、ワタシはものたりん…。いやいや、裏を返せば視聴者を選ばないってことでしょうね。家族全員で安心してみられます。

それに、平凡でつまらないと斬って捨てるようなことはしません。それは、この手堅い演出を体現している夏川結衣の魅力。この人は、いつか大河で主演をするんじゃないでしょうか。とにかく彼女の一生懸命には嫌味がない。ほとんど「一生懸命」だけで構成されているような作品ですから、そこんところが肝なんです。確かに波瀾万丈の一生なんでしょうが、ダメになるならズドーンと落ちる、うまくいくときゃ、スコーンと盛り上がるという演出では決してないだけに、主人公のひたむきさだけが頼りです。そういう意味では「働きマン」のドラマというよりも、がんばってればいいことあるさ、そのためには信念を持つべし。という、万人向けの良質ドラマだろうと思います。最後に主人公が選んだ選択には、やさぐれものの私もちょっぴり感動しました。


おとし穴

2009-01-19 | 日本映画(あ行)
★★★★ 1962年/日本 勅使河原宏
「シミーズの時代」

オリジナルは安部公房の『煉獄』。ATG初の邦画作品なんですね。これは知らなかった。舞台は不況に追い込まれた北九州炭鉱地帯。ある貧しい炭鉱夫(井川比左志)が殺されるのですが、幽霊となって現場に戻るとなぜか自分とそっくりの男がいて…というお話。

炭坑町をめぐる人間関係。特に組合同士の悶着なんてのが、現代人の私には悲しいかな、なかなかピンと来ないのですね。日雇いとしてぼろぼろになって働く彼らの心情と時代背景がもっとしっかりわかっていたら、理由もなく殺された男の悲しみがもっと共有できたのかも知れません。何せ次作の「砂の女」が傑作なものですから、比較すると印象的なショットに乏しく、それも興味を引きつけられない一因。

ただ、駄菓子屋の女、佐々木すみ江がすごくいい味を出してます。やっぱりこの時代の女はスリップではなくシミーズ姿。ぼさぼさの頭で畳の上をはいずり回るシミーズ姿の女のお尻や腰をとらえたカメラは大変エロティックであります。

「殺し屋×」。このネーミングは大変ステキなんですけど、演じているのが田中邦衛でこちらは迫力不足。何の目的で殺人を行うのか、その不可解さがもっと出ていれば良かった。

そして、不協和音のピアノが流れる印象的な音楽。なんと音楽監督が武満徹で、高橋悠治も参加。こりゃすごいメンツですね。だから、昔のATGを見るのは楽しいんであります。



L change the WorLd

2009-01-18 | 日本映画(あ行)
★★★☆ 2008年/日本 監督/中田秀夫
「ちゃちいなら、ちゃちいなりに」

まあ、Lが売れたんで「やっつけ」映画ですよね。ダメなところも多くて、言い出すときりがないんですけど、「20世紀少年」よりは好きですよ。それはダメを隠そうと虚栄を張っていないこと。どうだ、どうだ、と何とか大きく見せようという意思があまり感じられないんですよ。できる範囲でがんばってます!って感じでそれが好印象なの。見た目と内容より、作り手の意識の問題ですね。また、松山ケンイチ、工藤静香、福田麻由子。主要3メンバーを何とか引き立たせようという意識のもと、その3人がきっちり仕事してます。松ケンは元ロッカーに見えない唐沢寿明なんかよりは何倍も主役然としています。工藤静香も雰囲気あるんじゃないでしょうか。

それにしても、セットがチープ過ぎです。Lが住む地下室なんて、日曜朝の「○○レンジャー」の方がまだちゃんとしてるかも。セットにもう少し予算がかけられたら、もっとマシになっていたような気がします。ともかく、エンディングがレニー・クラヴィッツなので、終わりよければすべて良しです。映画と何の関係もないタイアップのJ-POPがエンドロールに流れてくるだけで脱力するんです、ワタシ。見なきゃ良かったとまで思うんです。でも、レニー・クラヴィッツが流れてくると、まんざらでもなかったんじゃないのか、なんてつい思い直してしまいました。エンディングは本当に大事だぞ。

カフカ 田舎医者

2009-01-16 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2007年/日本 監督/山村浩二
「線の念」



「頭山」でアカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされた山村浩二監督が、フランツ・カフカの短編『田舎医者』を基に、孤独と絶望に押しつぶされる主人公が体験する恐ろしくも奇想天外な物語を描いた20分の短編アニメーション。人間国宝・茂山千作をはじめ狂言師の茂山一家と芥川賞作家・金原ひとみが登場人物の声を担当している。

語りを狂言にしたというのが、見事。狂言は一定の形式、つまり枠組みを持つ様式美。それに対して、お話はどう転ぶかわからない、つまり枠を超えた不条理劇。物語の先が読めない観賞者の不安感を形式美である狂言が払拭してくれます。とりあえず何かと何かをひっつけりゃすぐに「コラボレーション」などど言う昨今、こういうのが本当のコラボレーションだよな、と思わされます。

そして、不条理なお話というのは製作者の手によって、どのような色にも染められる。そこが醍醐味。ハネケの「城」は、几帳面な測量士Kが一生懸命になればなるほどその報われなさがまるでコメディのように感じられたし、勅使河原宏の「砂の女」は岸田今日子の汗ばむ肌に吸い付く砂を通して原始のエロスがまざまざと迫ってくる。この「田舎医者」では、書き手の念。その1本1本の線に魂が宿っているかのような念を感じます。大変印象的なのは、医者の頭がスクリーンの右肩方向や左肩方向に異常に膨らみ、その輪郭を失ってしまう表現。文字通り、頭が割れてしまいそうな医者の狂気の表現でもあり、スクリーンという枠組みを超えてゆく手書き線のゆるぎない強さでもあります。

いわゆる起承転結できっちり閉じた物語ならば、これほど「線そのもの」に引きつけられるでしょうか。我々はどうしても物語を提示されるとその意味やトーンに興味が奪われてしまう。しかし、不条理であればあるほど、邪念にとらわれることなく製作者の筆致そのものに引きつけられるのです。逆に言えば、不条理ものを扱う表現者は、それだけ自分の筆致に自信があるという現れではないでしょうか。

さて。どだいこの手の物語に解釈など不要で、ひねくれ者の私はこれまた村人の医者いじめなどと捉えてしまうわけですが、ショートフィルム作品だけに、繰り返し見ることの厭わしさがありません。2時間の作品ならばもう一度見るのは億劫ですが、21分なら平気。私も結局、3回見てしまいました。そして、見返す度に種々の味わいが生まれる。すばらしい作品だと思います。

シューテムアップ

2009-01-14 | 外国映画(さ行)
★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/マイケル・デイヴィス
「ツボがなかった。残念」



発砲した数2万6000発!?とも言われる痛快ガン・アクションムービー。

撃って、撃って、撃ちまくる。ストーリーもへったくれもありゃしない。これは見る人を選びますね。確かにひげもじゃクライブ・オーウェンのがさつで無骨な感じは悪くないし、セクスィー女王モニカ・ベルッチのセミ・ヌードも拝めるし。でも、自分のアンテナにひっかかるものがない限り、頭をからっぽにして楽しむってことが私はどうもできないタチなんだな、ってのがこれを見てよおくわかった。

例えば私の大好きなおバカ映画、ロジェ・バディムの「バーバレラ」。あれはね、ファッションがすごくツボなんですよ。タランティーノなんかは、車の映像とか音楽がツボ。でも本作の場合、とにかくガンアクションの比重がすごく高いもんで、そこんところがすげーっ!おもしれーっ!とノレないい限り、結構キツイ。

間抜けな敵役のポール・ジアマッティはすごくいいんですよね。もう少しここをいじってくれたら、なんかツボができた気がする。あと、モニカの勤める変態バーね。どうも母乳を飲ませながらあんなことやこんなことをする場所らしいんだけど、ポール・ジアマッティがここの常連で哺乳瓶プレイしてくれるとか、そんな場面があればもっとハマったかなあ。




めっちゃ、降りました

2009-01-12 | 木の家の暮らし
今季一番の雪ではないでしょうか。
おとといは2回も停電し、そのせいで昨日は一日ネットがつながらず…。
結局モデムやら周辺機器をいったん電源オフにして、
一斉に立ち上げつなぎ直したところ、無事復旧。
ネットなしならなしでもいいよね、と
映画見たり家の用事したりしながら過ごしていましたけど
やっぱりつながった時のこの安堵感はなんでしょう。
完全にネット依存症ですね。やっぱり、昨日はちょっとイライラしていましたから。



今日も一日冷え込むってことですけど、この辺はきれいな青空です。



新しいカメラを買ったんですが、とてもいい写真が撮れます。
この話はまた機会があれば。


ロスト・イン・トランスレーション

2009-01-10 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2003年/アメリカ 監督/ソフィア・コッポラ
「風をあつめて」で完全ノックアウト



カラオケボックスで歌い疲れたビル・マーレーとスカちゃん、ふたりの壁越しにかすかなBGMとして聞こえてくる、はっぴいえんどの「風をあつめて」。日本を舞台にした本作で、唯一日本語歌詞として選曲されたこの楽曲に、ソフィア・コッポラの類い希なるセンスを感じ、すばらしいラストの余韻に浸っていると、なんとなんと再びこの名曲がエンディングソングとして流れてきましたよ。もう、降参です。確信犯だったわけですね。監督2作目にして、こりゃあ侘び寂びの世界。賛否両論ですが、私は大好きです、この作品。

「パリ、ジュテーム」でも書きましたが、異国にぽつんとひとりでいるとどうしようもない孤独を覚えることがあります。しかし、その孤独感は生きている実感でもあるわけです。本作では、その舞台として「日本」が選ばれており、アメリカ人であるソフィアの目から見た異世界日本の姿がシンボリックに描かれています。でも、「旅人の孤独」というテーマなら、舞台はトルコだろうが、中国だろうが、本当はどこだって構わないのです。これまた、鑑賞者によって、大変意見の分かれている部分ですが、ここで描かれている日本は、まさに異世界としての舞台装置の役割が主で、その他の余計な役割はあまりないように感じました。

ふと胸によぎる孤独、恋とは呼べないが胸のすみっこにひっかかるあの人。主演のふたりの心情が実に繊細なタッチで描かれていて、私の胸を何度も切ない風がひゅうと吹き抜けました。大変抑制の効いた展開で、ほんとにこれが2作目なの?と思えるほど。一方、音楽は若い監督らしいこだわりを感じます。次作の「マリー・アントワネット」はニュー・ウェーブ系の音楽だったけど、本作ではビル・マーレーがロキシー・ミュージックの「More Than This」なんか歌っちゃってて、たまりません。(ヘタクソでしたけどね)あと、深く印象に残ったのは、スカーレットが履いているストレッチ素材のシンプルなピンクのパンティ。それが何か?と言われればそれまでなんですけどね。清楚でもなく、エロでもなく、あのぴたっとしたパンティのスカーレットが本当に素敵でした。

つかず離れずのふたりが果たしてどうなるのかと思いつつ、用意されていたエンディングがあまりに鮮やかで思わずスタンディングオベーション。何とも爽やかで粋な計らい。大好きな細野さんの癒しボイスに耳を傾けながら、ラストの囁きを想像していると、頬がゆるんで仕方がない。「アメリカで会おう」でしょうか。それとも、「ホントは君と寝たかったんだ」でしょうか。いやあ、もっと粋なセリフだよなあと。いつまでも妄想少女な私でした。

ラースと、その彼女

2009-01-09 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/クレイグ・ギレスピー
<梅田シネ・リーブルにて鑑賞>

「通過儀礼と母性」

アカデミー脚本賞にノミネートされただけあって、大変語り口の巧い作品だと思いました。と、いいますのも、「人形を恋人だと紹介する」引きこもりがちのラースという突飛な設定。このツカミでキワモノ的に引っ張るのではなく、人と人との触れ合いとは何か、心の傷を乗り越えるのに必要なものは何かをじっくり観客に考えさせる物語へとうまくシフト転換していることです。そのポイントは、現実的に考えればラースは精神疾患と思われても仕方ないのですが、そこはささっと引き上げてしまって、とにかく街の人々も含めて彼を見守ろうとする展開にもっていっちゃうこと。そこには、医師の助言というとりあえずの理由は存在するわけですが、街ぐるみで協力するとなれば、リアリティからは遠ざかります。この時点で、このお話は一種の寓話、ファンタジーとして進行していくのです。

観る側にすればこの切り替えが早い段階でできることにより、ラースの奇行に対して嫌悪を感じることなく、人々はどうやってラースとその彼女と付き合っていくのだろうか、という方へ興味が動きます。その興味はそのまま「私ならどうするだろうか」という疑問に結びついてゆく。これは「ラースと、その彼女」というタイトルでありながら、「ラースとその彼女と、それ以外の人々」というタイトルでもおかしくない。「受け入れる」物語なのです。

そして、「ラースの妄想には理由があるのだ」という医師の台詞により、我々はその理由を読み取ろうとします。これが作品の大きな吸引力となっている。結局、妄想の理由はこれだと宣言されませんが、推測することはできます。この仕掛けが秀逸。物語も中盤になって明らかにされる、人と触れあうことができないラースの障害、臨月の義姉が大きく膨らんだお腹をさする様子をのぞき込むラースなど、大小様々なヒントがちりばめられていて、ラースの心の奥深いところを我々も覗いているような気分にさせられるのです。

(以下、ネタバレ)
我が命と引き替えに母を失ったラースの心の傷は、彼の心の奥深くに根付いていた。そんな彼の不安があふれ出すきっかけとなったのが義姉の妊娠だったのではないでしょうか。日ごとに大きくなるお腹を見るにつけ、自分のせいで母は死んだという罪悪感や、大切な人を失うのではないかという不安がラースに襲いかかった。それはまた、彼に何十年も巣くっているトラウマを追っ払う好機でもあったのです。人形を愛し、触れ、語りかけ、その死を見届ける。その一連の行為は、ラースが経験できなかった、母との愛情交換、そして別れの儀式だったのでしょう。自らの手で葬式を出すことで、彼はようやく気持ちにケリをつけることができた。

そんなラースを率先して受け入れたのが、義理の姉カリンと女性医師ダグマー。ふたりの「母性」がラースを包む込み、成長させた。もし、ラースを支えた女性が妊婦のカリンだけであったら、この物語でアピールされる「母性」は大変陳腐で一面的なものになっていたに違いありません。子供は産めないという中年女性医師、言わば若い妊婦とは対極的な女性をラースのもうひとりの理解者として設定することで、出産や子育てに関わらず女性が持っている「普遍的な母性」の素晴らしさをも伝えているではないでしょうか。とてもいい作品です。

しいたけがいつのまにか

2009-01-07 | 野菜作りと田舎の食
どれもこれも、もう開ききってる!!いやあ、全然気づかなかった。
だって、この種木買ったの、もう1年半くらい前ですからね。
森林組合の知り合いの方に聞いたら、そんなにすぐはできないよってことだったので
すっかり頭の中からコイツの存在が消えてました。
それにしても、今頃できるっていうのでいいの?なんかすごく不安だ。


でけーぞ!
定規で測ったら(笑)直径20㎝ありましたよ。

裏側にまだ傘が開いていないのがありました。

プリッとしててコイツはおいしそうです。
これでも直径10センチ以上はありますよ。

もうこれはバター炒めで塩胡椒するしかないよね~。楽しみ楽しみ。


K20 怪人二十面相・伝

2009-01-05 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2008年/日本 監督/佐藤嗣麻子
<TOHOシネマズ梅田にて鑑賞>
「予想以上の出来映え」

大の乱歩好きの息子と鑑賞。
うん、日本でもこれだけの痛快アクション劇ができるようになったんですね。すばらしい。しかも、女性監督ですか。ハリウッドの映画作品たちとの類似点をご指摘する声も多いけれど、じゃあハリウッドに近い完成度で仕上げられるのかって、なかなか実現できるもんじゃありません。本作はエンタメとしての面白さは十分に確保しているし、パルクールを取り入れたアクションも見応えがあるし、なんたって、金城武かっこいいし!彼の日本語がどうのこうのって意見もあるけど、存在感で完璧にカバーしてるじゃない。走って、飛んで、絵になるスターが日本人俳優に見あたらないもの。これ、当たり役にして欲しいなあ。ぜひともシリーズ化希望します。

「三丁目の夕日」は嫌いですけども、今回は仮想都市帝都のCGと生身のアクションがうまく融合しています。 コミカルな松たか子もいい味出してますし、シブ親爺好みとしては、これでモーガン・フリーマンごとく國村隼にもブレイクして欲しいっす。 あの役どころは完璧「バットマン」に酷似ですもんね。でも、こっちは資産家の右腕ではなく、泥棒長屋のオヤジってのが、いいじゃないですか。

ラストは「そんなアホな」ですけど、「まあそれもアリだよね」と。やはり、そんなアホなで終わってしまうのと、それもアリだよね、と思わせる、この境界線こそエンタメの一番大切なポイントだろうと思うんですよね。それは、やっぱり全体的なバランスがいかに取れているかということだろうと思うんです。仲村トオルを初めとする役者陣の大げさなセリフ回しも、アクションシーンやCGに手を抜いていないからこそ、きちんと成立してくるんだと思います。「踊る大捜査線」で一気に有名になった製作会社の「ROBOT」ですけど、多くの本数を手がける内に完成度の高いエンタメを作る実力を付けてきたんだなあという感じ。5月に公開の「重力ピエロ」もROBOTが絡んでいるので、ちょっと楽しみになってきました。


WALL・E ウォーリー

2009-01-04 | 外国映画(あ行)
★★★★ 2008年/アメリカ 監督/アンドリュー・スタントン
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>
「もやもやの残る収束は次回への布石なのか」

まあ映像のすばらしさは言わずもがな。もはや、実写を超えたと言うセリフが陳腐にすら感じられます。ゴミだらけの地球にひとり取り残されたロボットの悲哀は、彼の向こうに永遠に続くと思しき色彩のない変わり果てた大地によって強調されます。
彼の前に現れたイブという最新型ロボットは、そのシンプルなフォルムながら、女性としてのかわいらしさが存分に観客に伝わり、さすがピクサーだと感心。そして、前半ほとんどセリフがないというチャレンジ精神にも感服。この静けさで引っ張るのはひとえに映像のチカラです。あまりのセリフのなさに、小さいお子さんは退屈してしまうかも知れない。しかし、そのリスクは負った上での作品、という意思を感じます。そこんところは、大変すばらしいと思います。

しかし、後半になるにつれ、なぜか乗り切れない。それは、ひとえに賢いお話にし過ぎたのではないか、ということ。最終的には鑑賞者に何事かを考えさせようという意図がうまく終結できていない、と感じました。そこまで深いテーマに足を突っ込むのなら、もっと掘り下げて欲しい。ぶよぶよに太った人間をもっともっとシニカルに表現し、罰を与えるなり、反省させるなりしないといけないのではないでしょうか。ちょっと人間に対して楽観的すぎるという感じ。私なら人間の手でWALLーEを壊してしまうエンディングにするな。
と申しますのも「2001年宇宙の旅」を意識した部分がたくさん出てくるのですが、あれが逆効果ではないかと。深いテーマを扱おうとしている意図が見えることによって、じゃあそれをきちんと回収できているのかと見る目が厳しくなってしまいます。この描き方では、地球のことなどを忘れ、自堕落な暮らしに興じていた人間があの変わり果てた地球でやり直すことなど到底できそうには思えませんもの。

むしろ思い切って、ウォーリーとイブの恋物語にシフトしてしまった方がスッキリします。説教臭いアニメが嫌いなので、宮崎アニメとか対抗意識燃やしているのか?と思ったりもして。ピクサーの挑戦魂は凄いと思いましたが、もはやこのテーマなら、バッサリと「楽しい」を捨て切る覚悟が必要。いや、この展開はもしかしたらピクサーの次回作の布石かも知れません。だとしたら、ピクサーはもう違うステージを見つめているのでしょうか。

あるいは裏切りという名の犬

2009-01-02 | 外国映画(あ行)
あけましておめでとうございます。
昨年終盤は超多忙だったため、更新がかなり滞ってしまいました。今年は、マイペースで書いていきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。というわけで、年の初めは昨年末見た中で一番しびれた作品から。

★★★★★ 2004年/フランス 監督/オリヴィエ・マルシャル
「削ぎ落としの美学」



(エンディングに触れていますので、ご注意下さい)

ちょうど「アメリカン・ギャングスター」をレンタルした後に鑑賞したのですが、もう断然こちらの男対決の方がシビれました。ダニエル・オートゥイユとジェラール・ドパルデューという二大俳優の渋さ全開はもちろんなのですが、本作のすばらしさは脚本です。

レオとドニには、おそらく若かりし頃女性を巡るいざこざがあったのだろうと初期段階で匂わせられますが、その真相はなかなか語られません。そうすることで、観客は物語がどう転ぶのか全く先が読めないのです。ドニは本当はいい奴なんじゃないか。レオがあれほど正義感が強いのは、何か過去にトラウマがあるからじゃないのか。「宿敵」と呼ばれるふたりが何故「宿敵」となったか、その事実を隠蔽することで、観客のイマジネーションはどんどん広がり続けます。驚くべきは、最終的にその「宿敵の由縁」は具体的な説明がなされないまま終わること。確かに付き合っていた女を取られたのでしょう。しかし、ただそれだけのことです。回想シーンもありませんし、詳しい経緯も一切語られません。昔、女を巡って何があったのか。んなこたぁ、どうでもいいのです。ある意味、ミステリー作品におけるマクガフィンに似ています。ただ、そこに憎み合っている男と男がいる。関われば関わるほどに傷つけあう男と男がいる。とにかく際立ってくるのは、ふたりの一触即発なピリピリとしたムードなのです。

状況説明的な部分においても、一連のシークエンスの中にパパっと数秒のカットをインサートさせることで、全てを理解させる。そんな手法がたくさん見られます。極力セリフを排しているのです。最初から最後まで、この削ぎ落としの美学に満ち満ちていて、この先何が起きるかわからない不安と期待で胸がバクバクしながらエンディングまで一気に引っ張られました。警察内部での対立と言うベタな設定でありながら、汗臭さとは無縁。全編、クールに冴え渡った逸品だと思います。