Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ワンダフルライフ

2006-03-30 | 日本映画(や・ら・わ行)
ワンダフルライフ ★★★★ 1998年/日本/118分
監督/是枝裕和 主演/ARATA、内藤剛志

「リアルとファンタジーの気持ちよい融合」

霧に包まれた古い建物に人々が吸い込まれていく。全部で22人。彼らは面接室に案内され、そこで待ち受けていた職員にこう言われる。「あなたは昨日、お亡くなりになりました。ここにいる間にあなたの人生を振り返って大切な思い出をひとつだけ選んで下さい。」彼らはこの施設で天国へ行くまでの7日間を過ごすことになっているのだ。選ばれた思い出は職員たちの手で撮影され、最終日には上映会が開かれる。死者はいちばん大切な思い出を胸に、死の世界へ旅立つのだ…

「誰も知らない」で一躍有名になった是枝裕和監督の1998年の作品。私は「誰も知らない」よりこちらの方が好き。是枝監督の作品を初めて見たのがこれで、ドキュメンタリー出身の監督というのを知らなかったため、その独特のタッチに最初は少々とまどったのだが、設定が面白く、また役者たちの演じているのか、素なのか、何ともわからない演技に妙に引き込まれる。

古い建物は例えて言うなら、生と死の境目。そこに勤務している人々は、大切な思い出をひとつだけ選ぶことができず、スタッフとしてその建物に残っている。死んだ人は面接室で自分のこれまでの人生の中でいちばん大切な思い出を必死にたぐりよせようとする。なかなか答が選べない人、そんないい思い出は一つもないという人、最初に出した答を後から変えてしまう人、と様々だ。さて、果たして自分が今死んだら、いったいどんな思い出を選ぶのだろうと思わず考えてしまう。

そう考えずにいられないのは、この登場人物の中に俳優ではない「素人さん」が多数出演しているからなのだ。「素人さん」はカメラに向かって、自分の人生を語る。このあたりがドキュメンタリー出身の是枝監督らしく、非常にうまく撮られている。兄のために「赤い靴」の踊りを披露した時のことを選んだおばあさん。パイロットを目指してセスナで飛行訓練した時のことを選んだ会社員。どれもが脚本ではなく、本当に彼らが選び出した答なのだ。彼らの話を聞くこと、それは彼らが「生きてきた喜び」を聞くこと。みんな死者である、という設定なのに「生きることのすばらしさ」がじわっと伝わってくるのだ。

淡々としたストーリー展開でこのままで終わるのかな、と思っていたら、最後にちょっとしたどんでん返しも用意されている。しかし、もちろん是枝作品らしく映画全体を覆う雰囲気は、いたって穏やかで、静かに幕を閉じる。そしてその静けさの中で、やはり「果たして私なら…」という思いに浸らずにはいられない。この作品は生きることのすばらしさを伝える、素敵なファンタジー映画です。


映画ランキングに参加しています。面白かったらポチッと押してね。


清明さまの石

2006-03-30 | お出かけ
陰陽師で有名な、安倍清明の清明神社と言えば、まず京都を思い浮かべる人がほとんどだと思いますが、実は福井県の敦賀市にもあるんです。清明が990年~994年のある時期に敦賀に住み、天文の研究をしていたらしんですね。んで、先日寿司を食べに行ったついでに寄ってみました。

京都の清明神社は、清明ブームもあって、みやげ物屋で賑わい、若い女性も多いです。正直、便乗商売?と思えるような店もあり、最近はちょっとやりすぎ?なんて思ってしまいますが、こちら敦賀の清明神社は一転。どこにあんの?って感じの場所にありまして、それはそれはこじんまりとした神社でした。

玄関はよくあるサッシのドアで、中をうかがっても誰もいない。とりあえずお参りしようと賽銭箱の上の鈴を鳴らしたら、その音に驚いて床で昼寝をしていたんでしょう、おじいさんがむくっと起き上がりました。おじいさんの気配に全然気づいていなかった私もびっくりいたしました。

中に入ると、およそ10畳くらいの小さいスペース。祭壇が中央にあり、その下に掘ってある場所があり、そこに清明が占いに使ったという「祈念石(きねんせき)」が。おじいさんが、どうぞどうぞ写真を撮ってください。というのでパチリ。この石をどんな風に使って占っていたのかは謎なんだそうです。

そういえば、私の知り合いに非常に霊感の強い人がいて、以前みんなでバーベキューをしようと空き地で炭を起こす作業をしていたら、「あの石は動かしちゃだめだな」と感じる石があったそうです。で、準備が終わり何気にその話をしたら、もう1人の別の男性が「あっ、あそこの石やろ?」と指差したんです。「そうそう」とうなずき合う二人。二人ともすごく霊感体質らしいんですよね。勝手に川原で石なんか拾っちゃだめなのかも知れないですね。それにしても清明はこの石をどうやって見つけたんでしょう?やっぱり感じるものがあって自分で拾ってきたんでしょうか。いやあ、清明さまほどのパワーの持ち主、石のほうからやってきたのかも知れませんね。

奇人たちの晩餐会

2006-03-29 | 外国映画(か行)
★★★★★ 1999年/80分
監督/フランシス・ヴェベール 主演/ジャック・ヴィユレ

「フランス映画嫌いの方にも大プッシュ」

出版社の社長ピエールは仲間のエリートたちと共に、毎週水曜日に“バカな奴”を呼んで行う晩餐会を楽しんでいた。誰もが認めるおバカさんを連れてきた者が勝者となるため、今週はどんなバカを呼ぼうかと物色していたところ、マッチ棒で建築物のミニチュアを作っている「ピニョン」という人物を見つけた。「こいつは今まで招いた中でもとびきりのアホウだ」と自信満々のピエール。ところが、当日ぎっくり腰になってしまい、ピニョンが自宅にやってきてしまう…

これぞフレンチコメディの王道。あー、おもしろかった。で気持ちよく終われます。まずもって、エリートたちがバカな奴を呼んで、そいつを種にメシを食うってのが、すごい悪趣味でしょ。こんな設定を考え付くなんて、さすがフランス人(笑)。もちろん、招待されたバカな奴はなぜ自分が呼ばれたのか知らない。そして、いよいよ真打ち「ピニョン」の登場。ピニョンって、名前がもうバカっぽい。ピニョンを演ずるのはフランスの有名な喜劇役者ジャック・ヴィユレ。この人のために脚本を書いたらしく、当たり前ですがはまり役です。

最初の展開からして、「バカを笑う奴が、いつのまにか立場が逆転して…」というストーリーは誰でも思いつくでしょう。そういうこちらの予想を見事に叶えつつも、しっかり笑わせてくれます。ドカンドカンと大笑いではなく、クスクス笑い。映画の前半、観ている私たちは、ピエールの視点でピニョンを見ています。つまり我々もピニョンのことを「なんてバカなヤツだ」と思って観ているわけです。ところがどっこい、後半になると我々の視点はピエールからピニョンへと変わっていきます。「ピエールってなんていけすかない奴なんだろう」、と腹立たしくさえなってくる。この視点の移動が非常にスムーズ。

それも、ピニョンを演ずるジャック・ヴィユレが非常に巧いからなんですね。おバカなピニョンがふと発言する人生の真実、そして彼のもつ純粋な人間性を観ているうちに、「バカと笑う奴こそ、本当のバカなんだ」と気づいてくる。人間に優劣をつけることの愚かさや、他人を笑いものにする人間の傲慢さに気づく。(ま、それでもピニョンは徹底的におバカに描かれているのですが)。

でもね、決して説教くさくないんですよ。あくまでもコメディだから。こういう風味の映画すごい好きですね~。80分ですからさらっと見られるんだけど、見終わった後きちんと余韻が残る。中島らも氏はよく言ってましたよ。小説書くのは長編より、短編の方が難しいって。しかも「笑い」が一番難しいって。だから短い時間で、笑わせて、考えさせてくれる映画ってのは、とてもレベルが高いのかも知れないですね。


映画ランキングに参加しています。面白かったらポチッと押してね。


長く使うことを大事にする社会

2006-03-29 | 子育て&自然の生き物
日曜日、東京から久しぶりに友人が来訪し、一緒に「かやぶき集落」へ行った。我が家から車で20分ほど行ったところにあるこの「かやぶき集落」は、国から指定保存地域を受けている。このあたりは「かやぶきの里」と称して、大阪や京都からの観光客も多い。

茅葺きの家の中は、もちろん昔ながらの日本民家の佇まい。囲炉裏のある家も多い。茅葺きをいい状態でキープするためには、この囲炉裏を活用することが不可欠だそう。囲炉裏で出た煙が天井にのぼり、屋根をいぶすことによって茅を強くし防虫効果をもたらすのだ。しかし、今では、囲炉裏から煙の上がる茅葺き屋根の家はほとんどなく、そのため屋根の傷みも早い。詳しいことはわからないが、囲炉裏を使っていた頃は「50年に一度」ほどの葺き替えが、今では「20年に一度」ほどの割合に早まっていると聞いたことがある。しかもその葺き替えにかかる費用は、200万円とも300万円とも言われる。この地域のように保存指定されている場所なら国から援助が出るようだが、そうでない地域の茅葺きにはたぶん出ないのであろう。指定地域外の茅葺きの家が次々とトタン屋根をかぶせていくのも致し方ないように思える。

家を残していくというのは、非常にお金も苦労もかかるのだと痛感する。実際、我が家は茅葺きではないが、一戸建ての家をメンテしながら住み続けるというのは、予想以上にたいへん。マンションに住めば、ケーブルテレビが見られる、インターネットもつながってる、水洗トイレがついている、その全てを自分たちで何とかしなければいけない。マンションであれば、何らかの事情で買い換えるといったことも、家を建てると一生そこに住まねばならないという強迫観念からなかなかできない。

マンションの良さだってわかる。最近のマンションはすごい便利だし、機能的。それに都会でサラリーマンしてたら、それしか選択肢ないですもんね。だけど、日本の経済は、どんどんマンションを建てることで潤うものらしい。土地の持ち主、マンションを建てる大手ゼネコン、マンション管理会社、ローンを貸し出す銀行が「マンションを建てろ!建てろ!」とはやしたてて莫大なお金を市場に撒き散らす。経済を潤わすのは何でもそう。がんがんマンション建てる、どんすかどんすか道路を作る、工事、工事、工事。なんかね、それしか頭にないのかよ、と思っちゃう。携帯にしたって長持ちしないし。買い換えることで経済を潤わすのではなく、長持ちさせることで豊かな文化を持つことにもう切り替えてもいんじゃないの?別に経済大国になる必要なんてないよ。ああ、またPSE法のことも思い出して腹立ってきちゃった。

チャーリーとチョコレート工場

2006-03-28 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2005年/115分
監督/ティム・バートン 主演/ジョニー・デップ

「子どもをあざけるその毒が好き」

4人の祖父母、両親とボロ小屋に住んでいるチャーリー。近くにある、ウォンカさんのチョコレート工場は、人の出入りが全くないのに毎日稼働中で、街中の人が不思議に思っていた。ある日、そのチョコレート工場に入れるゴールデンチケットが入ったチョコレートを5枚だけ発売すると発表があり、めでたくチャーリーもその1枚を手に入れる。さて、ウォンカさんの工場には驚くべき秘密があり、4人の子供たちがウォンカさんの言うことも聞かず、ハチャメチャなことをやりだして…。

つい数日前、ダンサー・イン・ザ・ダークのミュージカルシーンについて話したけれども、こちらのウンパ・ルンパのダンスシーンは最高。ビョークの歌と踊りは、観ているこちらも不幸のズンドコまで落ちちゃうのだが、ウンパ・ルンパは、もう一緒になって笑っちゃえ~って感じ。アフリカン、ソウル、ウエストコーストミュージック、ロックと全部イカしたナンバーで、ウンパ・ルンパのシーンだけ、後から何度も見て大笑い。息子も「何べん見んねん!」ってくらいウンパ・ルンパばっかり見てる。(笑)しまいにゃ、一緒に踊りだしてるよ、まったく。

原作は絵本作家のロアルド・ダール。タイトルは「チョコレート工場の秘密」でこの作品以外もブラックユーモア満載のものばかり。この風味を映画化できるのはティム・バートンしかいないでしょう。悪さをする子供たちが次々と痛い目に会うシーンがあって、「子供と見るのはちょっと…」なんて意見を言う人もいるみたいだが、それはおかしい。そんな時だけ、偽善者ぶった意見を言う大人こそ、たぶんティム・バートンは許さない。(と、思う)ウンパ・ルンパに関しても、西欧人がアフリカの人々を奴隷にしていることを皮肉ったものらしいが、そのウンパ・ルンパがアホウな子どもたちをこれでもかとバカにするのを見ていると、スッキリ溜飲が下がる。

面白いのは、工場のオーナー「ウィリー・ウォンカ氏」の描き方が原作と映画では異なる点。原作ではウォンカ氏の過去については一切触れられず、工場にやってきた子供を「ようこそ!」と抱きしめる気さくな人物だ。ところが映画のウォンカ氏は、触られるのも嫌なほどの子供嫌い、家族という言葉も口にできないほどのトラウマを抱えている。そんなウォンカ氏がチャーリーとの出会いを通して、自分の過去のトラウマも乗り越えてしまうという大きなオマケまでついている。これは、ジョニー・デップという演技派俳優をキャスティングしたことで思いついたアイデアなのだろうか。ウォンカ氏のキャラクター作りを深めたことで、チャーリーとの友情物語という一面も持つことにも成功している。

それから美術や小道具がめちゃくちゃイカしてる。近未来的工場をほんと、カッコよく見せてます。デザインがすごくいい。あのでっかいメガネ、ほしいです。「2001年宇宙の旅」の宇宙船に似てるなあと思って見てたら、やっぱりパロディしてる場面が出てくるし、ウォンカ氏登場シーンでは、手が「シザーハンズ」になってるし。映画好きな大人こそ、本当のターゲットなのでは?と思ってしまいます。子どもの映画と思わないで大人だけでもぜひ見てほしいな。

<追記>このウンパ・ルンパって荒井注に似てると思いませんか。


映画ランキングに参加しています。面白かったらポチッと押してね。


全然、勝てん

2006-03-28 | 木の家の暮らし
昨日天気が良かったのでデッキでご飯を食べた後、息子と将棋。と言っても、私は将棋は全くわからないので、息子に教えてもらいながら打つ。いやはや、全く勝てません。まずもって、駒の動きが覚えられない。そして、次の手しか考えられない。まあ、勝てるわけがありませんね。

こういったら、こうなって、そしたら相手はこう打ってくるから…と考え始めただけで、頭がキィーッ!となります。オセロも苦手。とりあえずたくさんひっくり返るところに打つことにしか能がないのです。「先のことを考える」ということができない、どうしようもない大人なんだ、私は。そう思うと何か自己嫌悪に陥ってしまいました。

薪割り日和

2006-03-25 | 木の家の暮らし
いやいやいいお天気です。せっせと薪割りにいそしむ夫。ターン、ターンと割れる音が空に響きます。

いっかい私にもやらせて。と頼んでやってみましたが、あまりのへなちょこぶりに「おまえにはできん。」と斧を取り上げられてしまいました。常にネガティブなイメージを頭に描くことが得意な私は、どうしても斧が自分の足を直撃してしまう映像が頭から離れず、故にへっぴり腰になってしまうのです。でも、そのへっぴり腰がますますダメで、薪にかすりもしないのです。現在割っている原木はだいたい直径30cmはあるでしょうか。こんなに太いのがなぜ割れるのでしょう?本当に不思議だ。

今割っているのは、もちろん今度の冬のための薪。いくら田舎暮らしが長いとはいえ、「ずいぶん先のことを準備せねばならんのだのお…」などと思う。まだまだ自分の体の時間軸はちょっぴり都会モードまじりなのだ。それでも、やっていけるのは、「何とかなるさ」「今日できることは明日やろう」的な、ナマケモノ体質のおかげ。24時間戦っていた人がいきなり田舎暮らし始めたら、逆に病気になってしまうかも知れないね。

ダンサー・イン・ザ・ダーク

2006-03-25 | 外国映画(た行)
なし 2000年/140分
監督/ラース・フォン・トリアー 主演/ビョーク、カトリーヌ・ド・ヌーブ

「嫌悪と拒否は違う」


私の映画史の見事「ワースト1」に輝いた作品。そう言ったら怖いもの見たさで見たくなる人もいるかも知れない。それは、それでいいと思う。これを「ワースト1」にあげる人がいるなら、おそらく「ベスト1」にあげる人もいるに違いない。それだけの完成度がある。が、しかし、完成度が高いからこそ、星をつけたくない。そんな気分。この映画を絶賛する人の話を聞いてもなお、私にはもう二度と見たくないという思いしか湧いてこない。

チェコ移民のセルマ(ビョーク)は、女手一つで息子を育てながら工場で働いている。セルマは視力を失いつつあり、息子も手術を受けないと同じ運命をたどるため、手術費用をこつこつ貯めていた。彼女の生きがいはミュージカル。アマチュア劇団で稽古をしたり、仕事帰りにミュージカル映画を観ることを唯一の楽しみとしていた。しかし視力は日増しに弱くなり、ついには仕事のミスが重なり工場をクビに。しかも息子の手術代として貯めていた金を、親切にしてくれていたはずの警察官に盗まれてしまう…。

例えば。「こんなに後味の悪い結末なら見なければ良かった」という感想がよくある。まさにこの映画にもあてはまる一つだ。でも、私はそうではない。後味がどんなに悪くても、見てよかったと思える映画は無数にある。人種差別のせいで無実の罪で投獄されてまう話、戦争に借り出されむざむざと死んでしまう話、児童虐待がトラウマになり犯罪者になってしまう話…etc。テーマが重ければ重いほど、見終わった後に考えさせられることは多いはずなのだ。

本作の主人公セルマはその無知ゆえに不幸のどん底まで突き落とされる。それが見ていてあまりにつらい。「馬鹿な親のせい」とか「国家のせい」という言い訳が全くできない。「自分のせい」でどんどん不幸になるのだ。それでいくら彼女の生き方が純粋だからと言っても、その姿に私は全然感動できなかった。むしろ、いつか彼女は救われるのだろうか、というほのかな期待が打ち砕かれた時に、ぶつっと一方的にコンセントを切られたような不快感に陥った。

それから、ミュージカルシーン。セルマは過酷な現実から逃れるために、つらい時に心の中でミュージカルスターになる妄想を抱く。それは妄想であるにも関わらず、これでもかと言わんばかりの完成度の高さで見せる。それが無性に腹立たしいのだ。妄想の中で輝けば輝くほど、セルマの不幸さは、ひときわ際立つ。いったい何のためにこのミュージカルシーンがあるのか、私にはわからない。

それにしてもセルマの生き様に感動できない、と語ることは、まるで自分の心の狭さをさらけ出しているような気にさえなってくる。そういう意味でもこの映画は嫌いなんである。


映画ランキングに参加しています。面白かったらポチッと押してね。


縁側で食らう

2006-03-24 | 木の家の暮らし
本日、終業式。春休み突入。世の親御さんたちはさぞやため息をもらしていることでしょう。そして、夏休みよりは短いからマシよ、と自分を慰めるのです。まあ、日頃マイペースでちんたらやっている身としては、子供の休みというのはホントにたいへんで、まずお昼ご飯を作らなきゃいけない。これは、大きいですよ。給食は偉大だ!

今日はいい天気なので縁側に座って食べる息子。この縁側はかなり使い勝手がよく、ちょっと腰掛けてお茶もできるし、下がコンクリなので七輪置いて魚焼いてここで食べたりできる。これからどんどん日が長くなるので、縁側生活も楽しくなりそうな気配です。

とうとう、植えちゃった。

2006-03-23 | 四季の草花と樹木
家を建てたらお金がなくなり、庭の方には一切手が出せなかった。何せ200坪以上ある土地に庭木をいっぺんに植えるだけの資金がない。というわけで、我が家の敷地は、少々殺風景であった。でーんと居座った原木の塊りと畑が少々。田舎の家らしき風情はあるが、華がない。と、いうわけでとうとう花を植えてしまった…。

ああ、ついに禁断の領域へ足を踏み入れてしまった、という思いと、やっぱり花はステキだなという思いが交錯する。ちょっと植えると、どんどん植えたくなる。が、しかし今回植えたのは玄関脇のほんの小さなスペースで、ガーデニングと呼ぶにはあまりにわびしい。植える場所がありすぎるというのも、なかなか困ったものなのです。

我が家の庭構想には、実は壮大なプランが待ち受けている。木を植えてハンモックをつるしたい。木陰を作ってデッキでお茶したい。梅か桜を植えて花見がしたい、などなど。完成形が頭の中で広がれば広がるほど、なかなか最初の一歩が踏み出せなかった。でも、いっぺんにやろうと思うのがそもそも無茶というもの。できる範囲でコツコツ植えることにした。さて、今度の週末にも何か花を買いに行こうかな。

太陽を盗んだ男

2006-03-20 | 日本映画(た行)
★★★★★ 1979年/147分
監督/長谷川和彦 主演/沢田研二、菅原文太

「最高にかっこいい、ジュリー」

まず最初に言わせてください。この映画のジュリーは、むっちゃくちゃカッコイイです。あんまりみんなにいい、いいって言っているので、かなりしつこいんですけど、ブログも立ち上がったばかりということで、まあよしとしよう、と自分に言い訳。とにかくこれはハチャメチャな映画です。それはストーリーが破綻しているということではなくて、やりたい放題かましたぶっ飛びムービーとでもいいましょうか。よう、こんな映画作ったなあ、といいましょうか。まあ良くも悪くもエネルギーほとばしりまくってます。

中学校の物理教師の城戸誠(沢田研二)は、東海村の原子力発電所からプルトニウムを強奪し、自室での原爆製造に成功する。彼はそれを武器に、自ら“9番”と名乗り、政府に対してTVの野球中継の延長やローリング・ストーンズの来日公演、ついには5億円もの大金を要求するのだが…。

のっけから満員電車でつぶされたジュリーのアップ。皇居に行って天皇に会いたいと言うイカれたバスジャック登場、でもって、原子力発電所では、現代ではありえない超チープな銃撃シーン。どれもこれもまるで人を食ったかのような場面ばかり。思わずふきだしそうになるんだけど、映画の世界にぐいぐい引っ張られる。「そんなアホな」と突っ込んだら「ふざけんじゃねえよ。ちゃんと見ろよ!」と突っ込み返しが入る。そんな映画の勢いに圧倒される。

前半部では原爆を製造する工程の描写が秀逸。ジュリーの鬼気迫る表情、しかもボロアパートの一室がどっかの研究所みたいにどんどん改造されていく。原爆の製造が進むうちにたまらず学校でも「原爆の作り方」なんて授業をやっちゃう。完成した時にボブ・マーリーの曲に合わせて踊るシーンも最高にイカしてます。だけど、原爆ができあがった後に湧き上がる虚無感。一体それを何に使ったらいいのかわからない。「おい、お前は何がしたいんだ?」と原爆に向かって語りかける。で、結局要求するのは野球中継を最後まで放送しろ、さもないと東京に原爆を落とすぞ、ですからね。いやはや、面白い。これ、原作があるらしいんですけど、どこまでアレンジしているんでしょうね?

この映画はゲリラ撮影が多かったようで、皇居のシーンもそのひとつ。ちょっと今はできないんじゃないでしょうか。ってか、そんなことしたら公開できないんじゃないのかな。国会議事堂のトイレも、デパートの屋上から金をばらまくのも、ゲリラ撮影。とにかくスタッフのそういう、やったろう根性が全編にみなぎってます。カースタントのシーンもそうですが、この映画の稚拙なところってのは、数えだしたらきりがないです。もし、この映画をフィギュアスケートの採点方式で評価したら、マイナス点がどんどん加算されてメダルなんて遥か遠くでしょう(笑)それでも私はこの映画にメダルをあげますね。だって、「俺たち、絶対金メダルだよなっ」なんて威勢のいい声がほんと聞こえてきそうなんですもん。


映画ランキングに参加しています。面白かったらポチッと押してね。


洗濯物を外に干せる喜び

2006-03-20 | 子育て&自然の生き物
日曜は雪。明けて本日月曜日はポカポカいい天気。洗濯物だって、外に干せる。家事の中で唯一、「洗濯物を干す」ことだけは好きなのだ(笑)。

このあたりは寒い上に湿度がものすごく高いので、うす曇りくらいじゃ洗濯物は全然乾かない。雪の降るような時期は、もちろん室内干し。ただ、うちは薪ストーブなので、よく乾いてくれるんだけども。それでも外で干すのは、なんか気持ちが違う。青い空にひらひらと洗濯物が揺れているのを見るのは楽しい。そうそうぐるぐる回る洗濯機の中を覗いているのも好きなんだな。なんでだろ。

ただ、とりこむ時に気をつけなきゃいけないのは「カメ虫」が洗濯物にひっついていること。冬眠から目覚めて、「あ~ここはポカポカしてんなあ~」なんて長袖シャツの、袖の中に入ったりしてるんだ、こいつら。知らずに取り込んで、たたんで、着た日にゃあ、「くっさあ~!」なんててことになりかねないのです。

とりあえず、耕す

2006-03-18 | 野菜作りと田舎の食
夏野菜に向けて、耕運機出動。今年はちょっといつもより、早めの準備だぜ。実は、今までゴールデンウィークになってようやく苗を買ったり、植えたりしていたんだが、これではめちゃ遅い。というわけで、今年こそは早めに準備しようではないか、ということに。いやあ、さすがに機械はラクだね。つっても、やってるのはダンナですが(笑)

実は3年前に初めて畑をした時は、「鋤(すき)」や「鍬(くわ)」を使って耕したのだ。まあ、これが疲れたの、なんの。腰に来ます。その点機械はガシガシ耕してくれるのからね。でも耕した後の畝作りは、やっぱり手動。これもコツがあって、きれいに平らな畝を作るのが素人にはなかなか難しいのです。

こんな時期から準備して、種植えてがんばっても、水不足やらなんやらで全然収穫できないってこともあるわけで、農家の人はホントにえらいと思う。かくいう私もぐーたら野菜作りだけど、少しは「辛抱する」というか「我慢する」という気持ちは畑を始めてからできるようになったかも、と思う。だって、どんなに手をかけても雨降ってくれなきゃそれでおしまいですからね。

でも、それが悪い方に転がると、「あきらめの境地」が癖になることもあるのかも知れない。「がんばったけど、実はならなかった。だってそれはお天道様のせいだもの。文句を言っても仕方ない」。常にそういう境地にいると、何が起きてもじっと我慢してしまうのかも…。これって農耕民族の性だよね。幸い、私は人一倍の「文句言い」なので野菜作りを通して人並みの忍耐力を鍛えようと思う。

ふきみそを作ってみた

2006-03-17 | 野菜作りと田舎の食
庭の横を流れる用水路のわきにふきのとうが出ていたので、天ぷら以外に何かいい料理法はないかと、近所のお友達に聞いてみた。そしたら返ってきた答が「ふきみそ」。なんじゃそりゃ?初めて聞いたぞ。ということで早速作ってみる。

<作り方>
・ふきのとうをみじん切りにする
・フライパンを弱火にして、ごま油で炒める
・みそを投入。ふきのとうの4~5倍の量。ええ~こんなに!?と思うが言われた通りにやる。
・大さじ一杯くらいのお酒を入れ、みそを伸ばすような感じで混ぜながら炒める。
焦がさないことがポイントのようだ。が、しかーし!やっぱりフライパンに焦げ付きが…
すぐさま別のフライパンに移し変えて再び弱火で。どうやら私の考える弱火は、弱火ではなかったようだ…。
・少しお酒を足して、再び炒める。好みで砂糖を加えてできあがり。

で、早速試食。うむっ、いける。これは完璧に酒の肴ですな。日本酒に合いそう。私はお酒に弱いのでビール。箸でちょろっとつまんで、飲む。つまんで、飲む。つまんで、飲む…(以下繰り返し)この一連の動作で思い出したんだけど、確かメキシコの人って、手の甲に塩をのっけてちろちろ舐めながらテキーラとか飲むんじゃなかったけ?あれに似ているな。ふきのとうの苦味もイイ感じ。白いごはんにのっけてもおいしいらしい。

お料理はあんまり好きじゃないんだけど、なぜか山菜は「あるんだったら生かさなくちゃ」という気持ちになってしまう。きっと、ひもじい思いをしてこういうものを食べて生き延びた、なんて悲しい前世があるのかも知れない。

コンタクト

2006-03-16 | 外国映画(か行)
★★★★ 1997年/150分
監督/ロバート・ゼメキス 主演/ジョディ・フォスター

「宇宙の真理を見たいか」

私はSF映画があまり好きではない。自慢じゃないが、スター・ウォーズはどれも見たことがない。(笑)未来の乗り物とか、武器とか、ロボットとか、すごいなあ、それで?で終わってしまう。そういうありえないおとぎ話よりも、事故で死んだ夫を忘れられない女の再生話とか、叶わぬ恋を乗り越えて生きていくゲイのダンサーの物語とか、そんなのが好きなんである。まあ、それは映画に何を求めるか、ということであり、単にSF映画には私の求めるエッセンスがあまり入っていないということなのだけれど。

前置きが長くなったがこの「コンタクト」。ジョディ・フォスターが好きなので見たらとても良かった。映画の前半部分は、宇宙船も出てこなければ宇宙人も出てこない。地球外生物は必ずいると信じて、毎日宇宙からの信号を観測し続ける女性天文学者を取り巻く物語である。SFを期待して見た人はこの前半部分でがっかりするのかも知れないが、ひたすら研究に没頭するジョディ演じるエリーをいろんな輩が妨害するもんで、負けんなよエリー!とつい声援を送ってしまう。

それにしてもこういうストイックな女性の役をやらせると、ジョディ・フォスターはピカ一。恋に目がくらみそうなるのをぐっとこらえ、研究に邁進する。もちろん、すごいクレバーで弁が立つ。男にしてみれば、そう「ヤな女」です。だからエリーがようやく地球外生物からの信号をキャッチできた時、男どもがよってたかって、手柄を自分のものにするんですな。アメリカ大統領が出てきて、「これはアメリカの研究成果だ」みたいに世界に自慢しちゃって。はいはい、あんたら自分の国のやり方よくわかってんじゃんと思わず突っ込んでしまったよ。

後半、アメリカが莫大な資金をかけてマシーンを設計し、いよいよその信号を送ってくれた地球外生物に会いにいくわけだけれども、もし私がエリーだったら乗るだろうか…。わたしゃ考えてしまいましたよ。行ったら必ず帰ってこられる保証がないってこともあるけど、真理とは何が何でも明らかにしなければならないのか、という気持ち。一方、自分が血眼になって探してきたものが目撃できるという科学者としての欲望。宇宙に行くことは神の領域に触れることではないのか、という畏れ。

小さい時に父親を亡くし、ひたすら宇宙への憧憬だけをよりどころに生きてきた女性科学者がこれらの出来事を乗り越えて、本当の自分らしさを見つける、そういった視点がぶれることがないので、私も最後まで映画の世界に入り込んで見られた。これでとんでもない形態の宇宙人とか出てきたら、きっとがっかりだっただろう。いわゆるSF的な宣伝をされている映画にもこういういいのがあるんだ、と思った。で、先日何気に見たのが「宇宙戦争」…。ああ、私がバカだった。2時間返せ。