Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

長岡天満宮のキリシマツツジ

2009-04-30 | お出かけ
友人に誘われて、長岡天満宮のキリシマツツジを見てきました。
その前の週末に強い雨もあり、全方向が満開というわけではなかったけど、
真っ赤なツツジを堪能しました。


遠目から見ると、友人が「赤いブロッコリーみたい」と。ははは。
まさにそんな感じです。

結構な背丈があるんですよね。

樹齢130年以上らしいです。
ツツジって、こんなに大きくなるんですね。
驚きました。

お天気も良く、観光客で賑わっていましたよ。

さて、私は御朱印帳なるものを持っているくせにいつも持ち歩くのを忘れているんですよね。
今回は、ちゃんと持って行きました。
つーわけで、長岡天満宮の御朱印はこちら。

さすが、菅原道真公ゆかりの神社。
この牛って、太宰府天満宮にいるあの牛ですよね?
ちゃんとお参りもして、次は徒歩で乙訓寺へ向かいました。
(続く)

少林少女

2009-04-26 | 日本映画(さ行)
★★★ 2008年/日本 監督/本広克行
「方向性が全くわからない」

少林寺を広めたい。そのためのきっかけとしてラクロスに挑戦する。ほとんど、少林サッカーと同じプロットですね。じゃあ、なんでラストは超絶ラクロス対決にしなかったんでしょう。ラクロス挑戦と悪玉対決の2軸が全く融合していないんですよね。どっちかにすりゃあいいじゃん、という実に簡単な話です。

B級なのか、マジ路線なのか、これもどっちなの?ってことです。岡村隆史にしても、カンフーの素養があるのは、わかりますよ。わかりますけど、カッコつけてどうすんのよってこと。とことんアホキャラになれるのは、この人しかいないのに。デブキャラ(少林サッカー」にも出演していた彼)に対抗して、チビキャラでとことんいじられればいいんです。

振り切れないんですよね。で、どっちつかずのグダグダな仕上がりになっちゃって。豪華キャストがもったいない。柴咲コウをどうこう言うのは、彼女に気の毒。忙しいスケジュールの中、トレーニングだってしたんだろうし。

ハリウッドでは、脚本をいろんな人間がいじっちゃうなんてことをよく聞く。最初の草稿を書いた人間にしてみたら、ズタズタにされてかなわないなんて不満もあるらしいけど。でも、完成度を高めるという点においては、それもアリなんだろうと思う。なんたって、投資の額がハンパじゃないし、それだけ観客が満足できるものを作って回収しなければならにという使命があるから。本作にしても、結構な投資をしているはずで、それがこの完成度で回収できると思ってるんなら、観客をナメるなよってことじゃないかと思う。私がプロデューサーなら、この企画書にGOサインは出さないなあ。作品の意識がどこへ向かっているのかわからないっていうことで、広末涼子主演の「バブルへGO!」を思い出した。


少林サッカー

2009-04-25 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2001年/香港 監督/チャウ・シンチー リ・リクチー
「いいんだよ」

何回見ても笑えますね。次はこのギャグって、わかっててもおかしい。デブネタ、下ネタ、貧乏ネタは、全世界共通。このベタさと言い、ほとんど吉本新喜劇です。声を出して笑えるって、ホントすばらしい。

なぜこの作品でこんなに笑えるのかという理由は、実はこの作品1本、120分の中に隠れている訳ではないような気がします。同じキャラクター、同じ脚本で日本で撮影しても、きっとこんなにおかしくはならない。香港で脈々と受け継がれてきたコメディ映画のバックボーンがあってこそ、アホなものはアホと笑い飛ばしていい、と言うお許しを我々観客がもらっているからです。それはやはり、不細工なおばちゃんに「ブス!」と言い、それを観客が笑ってもいいんだよ、というお許しがあって爆笑できる新喜劇と同じではないでしょうか。

顔に痣のある女の子(「レッドクリフ」のヴィッキー・チャオですね。出世したなあ)が出てきますけど、彼女にまつわるあれやこれやを本当は笑い飛ばしていいのか、というためらいも実はありますよね。それができるかどうかの違いはとても大きいと思います。

試合の場面はほとんどマンガですけど、決めポーズがびしっと決まっているので、絵の座りがいいです。本作のチャウ・シンチーの上半身(もちろん裸)、これNo.1ですねえ。「これよ、これ!」と指差し叫ぶオカンに「何が?」とあきれ顔の息子でした。

サッド ヴァケイション

2009-04-24 | 日本映画(さ行)
★★★★ 2007年/日本 監督/青山真治

「青山流ギリシャ悲劇にてとどめ」


「Helpless」「ユリイカ」と続けて見ましたが、私にはこれを「母性の物語」と捉えることはできません。その件は、後回し。

本作、私には健次の悲劇が完結したという印象です。「Helpless」というタイトルは、本作の方がふさわしい。美しい髪を蛇に変えられたギリシャの魔神メドゥーサは、見るものを石に変えることができる。健次は、まさにメドゥーサのごとき実母によって石に変えられてしまいました。成り行き上とは言え親友の妹を引き取り、密航者の子供をかくまい、女を愛することも知り、人としての優しさを随所にかいま見せる健次に何という仕打ち。兄が弟を殺し、実母が兄を地獄に突き落とす、さながらギリシャ悲劇のような顛末に唖然とします。

「会うべき人に会うのだ」という川津裕介の言葉もあり、人には抗うことのできない宿命が用意されている、とも捉えられます。千代子が健次を捨てたのも、健次が偶然千代子に再会したのも宿命であった。その人生を受け入れなければならなかったのに、健次は浅はかな復讐劇を企てたがために人生を狂わせてしまったのでしょうか。健次が哀れでなりません。

さて、千代子という女性の資質を母の包容力と捉えることには違和感を覚えます。包み込むというよりも呑み込む、と言った方が適切でしょう。もし、「母性」という言葉を「母親が持つ性質全般」を意味するならば、彼女から母性の「ひとつの側面」として際立ってくるのは、子供を手中に収めておきたいという支配欲です。これは、実に一方的な欲望で、子供を苦しめることはあっても、幸せにはしません。そういう類の母性です。この支配欲は子供が小さい時には守られている安堵感を子供に与えるため、良きことのような錯覚を母親自身に与えますが、子供が成長するに連れて手放さねばならない代物です。しかし、千代子は小さい頃に健次を捨てているため、その続きを間宮運送で行おうとするのです。こんな横暴な女性は、母と呼ぶにすら値しない。しかも、千代子は健次に刑務所の面会室でとどめを刺します。子供を救う母親はいても、子供にとどめを差す母はそうそういません。しかし、考えようによっては、それもまた母の権利と言えるのかも知れません。「自分で生んだ子供に自分でとどめを刺して何が悪い」と。

私が、この千代子を通じて感じるのは、あくまでも「母性」の負の側面です。とりわけ、長男に対する異常な執着ぶりというのは、是枝監督の「歩いても、歩いても」や西川監督の「蛇イチゴ」でも、見受けられます。しかし、青山監督は母への復讐を許さない。前作「ユリイカ」でバスジャックの生き残りとなった直樹はとある行動に出るのですが、私はあれは自分を捨てた母への復讐の代替行為だと感じました。そして、健次同様、彼も刑務所に入ってしまう。

「生まれてくるものを大事にすればいい」という千代子の言葉。施設の園長(とよた真帆)の突き出た腹のクローズアップ。命を生み出す存在としての女が再三に渡って強調されています。確かに、出産は女性にしかできない行為でしょう。しかし、青山監督の意図がどこにあろうとも、女は子供を産むから太刀打ちできない、という印象を与えてしまうのは罪深いと私は思います。「だから、女は強い」なんてことは決してないのです。子供を産むのは女にしかできないからこそ、そこに苦しみが宿っていることも多々あるのですから。

さて、命の連鎖の呪縛のようなものから解放されている女性は、宮崎あおい演ずる梢です。そういう位置づけとして、彼女は間宮運送に配置されているのかも知れない。彼女は間宮運送に骨は埋めないでしょう。梢には、あらゆる束縛から解放された自由な存在として、旅立って欲しい。地獄に堕ちた健次を哀れに思いながら、私の希望は梢に向けられて仕方ないエンディングなのでした。

ある公爵夫人の生涯

2009-04-23 | 外国映画(あ行)
★★★★ 2008年/イギリス 監督/ソウル・ディブ
<テアトル梅田にて鑑賞>
「もうひと踏ん張り」

<story>最も裕福な公爵の一人、デヴォンシャー公爵(レイフ・ファインズ)に嫁いだ17歳のジョージアナ・スペンサー(キーラ・ナイトレイ)。聡明で美しい彼女は公爵夫人としてイギリス中の人々に愛されるが、夫は男子の後継者を生むことだけを望み、しかも、彼女の親友と関係を持ち、同居させてしまう…


「男を生まなきゃ、いないも同じ」という妻の苦悩というのは、これくらいの年代ではよくある話で、もちろんそこに同性としての感情移入もできるのだけれど、その背景に何を描くか、ということが一番大事だと思う。例えば「ブーリン家の姉妹」では、姉妹ゆえの確執というところにとことんスポットが当てられていて、女として賢く生きたのはどっちだろうか、なんて考えが及んだりするのだけど、本作は、苦悩するジョージアナからさらに思いを何物かに馳せるということができないのがちょっと残念。

おいしいネタはたくさん転がっている。まず、グレイとの浮気。本気で彼を愛していたのか、それとも籠から出してくれるなら誰でも良かったのか。もっと、煮詰めることはできたはず。

二つ目はエリザベスとの関係。夫から見向きもされず、気の合う女性を親友として見いだし、屋敷に招いて経済的援助も行う。このジョージアナとエリザベスの関係は、マリー・アントワネットとポリニャック伯夫人を彷彿とさせる。したたかなエリザベスの生き方とジョージアナを対比させて見せても面白くなったろうと思う。最後は女対決にする、という展開もありだった。

三つ目は、政治への参加。絶大な権力を握る公爵夫人として、ジョージアナは政治集会に何度も顔を出し、広告塔としての役割を担う。党員の演説を聞いて「その演説に私なら票を投じない」ときっぱりと言うシーンでは、明らかにジョージアナの聡明さを表現していると思われる。夫は、そんなジョージアナの魅力には全く興味がなかった。この辺からも物語を深めることはできたと思う。

おそらく、事実に基づいた物語であり、しかも、まだ年代が近いということで、味付けができなかったんでしょうね。下手に変更したり、誇張すると、事実と違うってことになっちゃうのかも知れません。

と言うわけで、物語は今ひとつだったけど、キーラ・ナイトレイは良かった。少女期のいたずら小僧みたいな笑顔は本当にチャーミング。家でくつろいでいる時にも髪にバラの花をさしてますよ。そして、舞台装置と衣装ね。「プライドと偏見」なんかでもそうですが、イギリスの古城でのロケが美しいです。


ユリイカ

2009-04-21 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2000年/日本 監督/青山真治
「3時間37分」


<story>九州の田舎町で起こったバスジャック事件に遭遇し、生き残った運転手の沢井と中学生と小学生の兄妹。3人は凄惨な現場を体験し心に深い傷を負う。2年後、事件直後、妻を置いて消息を絶っていた沢井は再びこの町に戻ってきた。同じころ、周辺では通り魔の犯行と思われる連続殺人事件が発生し、次第に疑惑の目が沢井にも向けられるようになる。兄妹が今も二人だけで生活していることを知った沢井は、突然兄妹の家に行き、そこで奇妙な共同生活を始める。心に深い傷を負った人々の、崩壊と再生への旅を描く。
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セピア調の映像、少ない台詞、じっくりと映し出す人々の心象風景、そして総尺3時間37分。これで、飽きない、退屈しないというところが凄い。カットに無駄がないし、カメラがすばらしくいいんですね。私はこれに尽きると思います。

一見して、哲学的、観念的と捉えられそうな小難しい作品の様相です。これは、多分に同名の雑誌の影響もあるかも知れません。しかし、物語の構造としては、大変シンプル。心の傷を癒す物語です。そして、その傷は深ければ深いほどに、癒えるには時間がかかるのだということを本作は我々に示してくれています。映画の尺が長いのは、それだけ「時間をかけなければ傷は癒されない」という本質と全く呼応しているのだと思います。

物語の進行上において「Helpless」の続編にはなっていません。しかし、同じ人物が出てきます。秋彦です。前作以上に、秋彦の存在は重要です。秋彦を演じる斉藤陽一郎は、傷を負う者と傍観者(観客を含めた我々)の橋渡しとしての役割を見事に演じています。沢井は「秋彦くんがいてくれて良かった」と最初は言うのですが、終盤不用意なひと言を放つ彼をバスから放り出してしまいます。あれだけ秋彦が旅に付き合い、3時間37分という時間をかけても、それでもなお両者の溝が埋まることはないのです。しかしながら、エンディングは絶望ではなく、やっと踏み出した一歩であり、ほんの微かな希望です。陳腐と言われても仕方のないくらいのわかりやすいエンディングなのですが、それも3時間37分に渡って追いかけた3人の終着地点だからこそ、見事なラストに変貌していると思います。

「Helpless」でも書きましたが、青山監督は冒頭の描き方が実に巧いと思います。「何かが起こる予感」の表現力です。本作では、真夏の熱を帯びた舗装道路の向こう側からバスが徐々に見え始め、バス停でバスを待つ兄弟、高台から手を振る母、そして運転席からの眺めへと移ってゆく。物語を動かす突破口であるバスジャックが始まらなくとも、すでにスクリーンに引きつけられて仕方がないです。

その後、物語は静かに進み、情緒的な表現はほとんど用いられませんが、そんな中、沢井と妻が別れるホテルのシーンがとても心に響きました。人は人をいたわり、思いやり、見守り合う存在です。しかし、男女に生まれる愛情は、それらとは異質なものであることを示しているような気がするのです。「別れてしまう」という結論において、男女の愛情が人間愛より劣るということでは決してなく、むしろ、より男女間の愛情の特殊さが伝わってくる、という感じでしょうか。

宮崎あおいの透明感がすばらしい。引き続き、続編に当たる「サッド・ヴァケイション」を見ましたが、この梢の透明感はそのままでした。「篤姫」に毒されることはなかったんですね。とてもいい女優だと改めて思わされました。





ヘンダーソン夫人の贈り物

2009-04-20 | 外国映画(は行)
★★★★ 2007年/イギリス 監督/スティーヴン・フリアーズ
名人芸の「Ou!」


ジュディ・デンチの魅力全開です。普通「魅力全開」って若手のピチピチした女優に使うんですけどね、御年74歳のジュディ・デンチにも使わせていただきます。なんせコスプレまでして張り切ってますから、拍手です。私、彼女の「ou!」っていう、イギリス英語らしい感嘆の響きがお気に入りです。アメリカ人の両手広げて「Oh~!」ってのじゃ、ありませんよ。口をすぼめて母音のuをきっちり発音する「オゥ!」っての。驚きの「Ou!」、喜びの「Ou!」、ためらいの「Ou!」、諌める「Ou!」。ちょっと、気をつけて見てみてください。このひと言で、いろんな感情を表現してますから。もうこれは名人芸だと思います。

チャレンジ精神旺盛だけど、「あなたは世間を知らなすぎる」と非難される。ここが本作のポイント。夫を失い、老後の趣味にこれといったものも見いだせず、一念発起して乗り出した劇場経営。本来ならば、この年でがんばってるよね、と観客に勇気を与える作品かと思うのですが、ヘンダーソン夫人は何度も挫折を味わう。締め出しまで食らう。このうまくいかない感じが、すごく現実的。だからこそ、中年を過ぎた女性陣は我が事のように感情移入してしまう。

彼女がヌードレビューにこだわったのも、戦争反対とか、道徳観を変えるとか、そんな大義名分からではないんですよね。実にパーソナルな問題なんです。とりたてて何事かを成そうという高邁な精神なんてなくとも、ひとりの人間としての悔しさ、悲しさが原動力になる。それでいいんだよ、と勇気をづけてもらったような気がする。鑑賞後の味わいもとっても清々しくて良作です。

チューリップはこうでなくちゃ

2009-04-19 | 四季の草花と樹木
やっぱりチューリップはこうして、
つぼみが少し膨らんだくらいでちょうどいいですよね。

先日のチューリップは、どう考えても開きすぎ。

同じチューリップとは思えないでしょう?

あれは、やはり日差しが強すぎたからみたいです。
先週末少し曇り空の日に見たら、こんな感じでした。



あきらかに株が増えてるでしょ?
でもね、このチューリップ、ちょっと変わった種類だったから、
5球しか入ってなかったんですよ。
明らかに倍くらいになってる…。
来年も咲いてくれるんだろうか。

レッドクリフ Part I

2009-04-18 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2008年/米・中・台・韓  監督/ジョン・ウー
「やっぱ戦国モノでも、心理劇がないとツライ」


どうやら盛大な祭りのようなので、とりあえず参加しておくか、と思い鑑賞。良かったら、part2は映画館で見るつもりだったのだけど。

しかし…。大スペクタクルの醍醐味があまり伝わってこないのでした。やっぱりこれは映画館で見ないとダメなんでしょう。それにしても、もっと駆け引きのサスペンスがあるかと思いきや肩透かしです。ただひたすらにバッタバタと人が死ぬシーンは、もはや早送り。

微笑んでばかりの諸葛孔明のどこが策士なんでしょうか。各将軍1人ずつ見せ場があるところは、「ライブのソロパートか!」と突っ込んでしまいました。「八卦の陣」でしたっけ?あれも、なんかゲーム見てるみたいだよなあって感じで。

これなら、いっそのこと子供も見られる映画にすりゃいいのにと思います。敵をあざむく作戦とか、小中学生、好きじゃないですか?でも、意味のないラブシーンを入れることで、それも難しくなってるんですよねえ。

三国志を知らないので、逆に先入観のない公平なスタンスで見られるかと思ったのですけど、残念です。唯一良かったのは、トニー・レオンと金城武が見つめ合うシーンが目の保養になったということでしょうか。

スノーフレーク

2009-04-17 | 四季の草花と樹木
ベルみたいな形が可愛いですよね。
しかも、そこに緑の丸ポチがポツポツと。
可憐な花です。
でも、このベル状の花がそんなに重いとは思えないのですが、
なぜか花が付き始めると、少ししなり気味になります。
よって、株全体がぼわ~っと広がった感じに。



もうちょっとシャキッと立った状態で咲いてくれたrいいんですけどね。
3日ほど前に強い雨が降ったことも原因かも知れません。



エコール

2009-04-16 | 外国映画(あ行)
★★★☆ 2004年/ベルギー・フランス 監督/ルシール・アザリロヴィック

「天の邪鬼」


人里離れた美しい森の奥深く、外界から隔離された大きな屋敷に6歳の少女イリスが棺の中に入れられて運ばれてくる。少女たちは年齢に応じた色のリボンを三つ編みに結わえる習わし。そして、少女たちはダンスと生物の勉強に明け暮れる。 もうすぐ卒業する紫リボンのビアンカは夜な夜な森の奥へと出かけるのがイリスは気になって仕方ないのだが…。

幼児性愛者が見たら涎を垂らして喜びそうな映像のオンパレードで、これで芸術もへったくれもなかろうという問題作だと思います。棺に入れて運ばれてくる、ということ自体、一回死んでこの学校で何かに生まれ変わる、という意味でしょう。では、一体何に生まれ変わるのか?

この学校で行われているのは、ひとえに少女であることの価値を己の心と体で思い知る、ということです。そこに快楽を覚える者もいれば、脱落する者もいる。その結果、卒業した少女はどういう存在になるのか。ラストの噴水シーンが示しています。一目で男が気に入る女、ということでしょうか。空に向かって盛大に突き上げる噴水は、射精をイメージさせるのですが、それだとあまりにも素直すぎかしら。このエンディングをどう捉えるかによって、学校の存在意義も多種多様な解釈が生まれると思います。「服従することが幸福への近道」というセリフから、私はそのように想像しました。常に服従し、常に評価される環境がもたらすもの、それは「媚び」以外の何物でもありません。

そう考えると、この森は社会の縮図なのかも知れません。大人の男は少女を品評する存在であり、大人の女は少女を導く人に見えて、その懐には入り込まぬ冷たい存在です。そういう社会に対する強烈な批判が込められているのかも知れない。

少女にリボンをつけ、羽根を付け、バレエを踊らせる先生たちに吐き気を覚えるでしょう?でも、世の中の親たちはみな、同じようなことをしています。我が娘にリボンを付けピアノの発表会に行かせ、我が娘にチュチュを着せダンスの発表会に行かせていますもの。女は少女である時、「見られること」「評価されること」から逃れられないのです。

と、勝手に解釈しましたけども、結局はどんな主張であろうと、幼い子供を次から次へと裸にするような悪趣味な表現にしなくともよかろう、ということに尽きるのでしょう。カメラもローアングルが多いですし。しかし、無垢な少女が水遊びをするのを見て、いやらしいと思ってしまう我々はすでに同じ穴のムジナだと言われているような気もしますね。そういう確信犯的な表現を卑怯だと感じるかどうか、この辺りはまさに個人の感覚的な部分によるところが大きいと思います。まあ、ほっこりししたいいお話のくせに、少女は大股開きで膨らんだ白いパンツが見える某有名アニメのサブリミナル効果の方が私は不気味です。なんせ天の邪鬼なもので。

ハナニラ

2009-04-15 | 四季の草花と樹木
葉っぱに毒があるって、聞いたことがあるんですよね。
(真意は定かではない…)
あんまり、触らないようにしています。
ゆえに、株分けとか、あんまりせずにほったらかしです。
でも、おかげさまで、どんどん増えてくれています。嬉しい。
白から紫へのほんのりとしたグラデーションがキレイです。


あの胸にもう一度

2009-04-14 | 外国映画(あ行)
★★★☆ 1968年/イギリス 監督/ジャック・カーディフ
「裸にジャンプスーツ」


峰不二子のモデルと聞き及んでから、ずっと見たかった映画です。マリアンヌ・フェイスフル、彼女自身については、その波瀾万丈な人生を知るのみで、映画は初めて。

この年代のヨーロッパ映画ってのは、いろんな影響を日本の映画やドラマに与えていたんだろうなあってのが、よくわかりますね。峰不二子も作者側は肯定していないそうだけど、沢たまきがやってた「プレイガール」とか、雰囲気似てるもんね。(リアルタイムで見てないっすよ!)音楽にしても、この手のサウンドはクラブサウンドとして、今でも現役だしね。見終わった後に「パッパ、パヤッパ~♪」みたいな類似メロディが、頭をよぎりました。出来不出来はさておき、影響力の大きさってのも、映画のひとつの価値なんだろうなと思います。

お話としては、ナイスバディのねーちゃんが、バイクにまたがってる。ただ、それだけの映画なんですよ、ホント。しかも、自分で乗ってないし、もろ牽引バレバレだし、バイクの疾走感はイマイチですよね。でも、道中に見る妄想夢が、面白いんです。勘違いオンナ丸出しです。「全てのオトコたちは、私を見ているわ」なんて、マリアンヌじゃなかったら、成立しません。可愛くて、セクシーで、魅力全開です。相手役のアラン・ドロンもびっくりするくらい男前だし。やっぱ、この時代のアラン・ドロンを凌ぐイイ男って、未だに見あたらないですね。ジュード・ロウがデビューした時、アラン・ドロンをふと思い出しましたけどもね。

「裸にジャンプスーツで愛人の元へバイクを転がせる」という行為そのものが、1968年という時代においては、開放的な女のアイコンたり得たんでしょうね。風を受け、バイクの振動を感じ、愛人とのセックスを思い出しては、恍惚に浸る。モラルは?夫は?なんて無粋なことを言ってると、ラストに驚かされますよ。




桜まつり

2009-04-13 | 四季の草花と樹木
近くのダム湖で行われた桜祭り。
先日の土日はすごい人手でした。
ドライブがてらにお花見できる穴場になってきているんでしょうかね。
駐車場待ちの列ができるほどです。
街中より遅めに開花することも要因かも知れません。

近所のみんなは有志で昨夏獲った鮎を使った「鮎めし」と「鮎汁」を販売。


ところが、出店日が1週間前の4月4日だったため、お客さんの出足はイマイチ。
桜もまだ満開じゃなかったし、残念でした。

まあ、子供たちも参加してお祭り気分は味わえたかな。


その後、急に桜も開花したって、感じです。


この前の土日は本当に暑かった!
かき氷でも売れば、すごい儲かったのかもねえ~。


タラの芽天ぷら

2009-04-12 | 野菜作りと田舎の食
いよいよ、山菜の季節ですね~。
タラの芽は夫が山で採ってくるのですが、
どうもこの頃、よそから来てはむやみやったりごっそりと採っていく
常識外れの人が多いようで、
山菜そのものが減ってしまっている&
地元の人もおいそれと山に入れない状況になってしまいました。
本当に残念です。
というわけで、地元の販売所に売られていたのを購入。



1パック300円です。私は地元売りにしては、ちょっと高いと感じたのだけど。
それだけ、貴重になってきているってことなのかなあ。
なんかつまんないなあ。

それでも、天ぷらは絶品ですな!
早くコシアブラ出ないかな~。