Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと

2009-03-30 | 外国映画(ま行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/デヴィッド・フランケル
<TOHOシネマズ梅田にて鑑賞>

「これ“マーリーと僕”なんだよ」

この物語、我が家とシチュエーションがそっくりなの。田舎に引っ越して、ラブを飼い始めたこと。犬を飼った後に子供が産まれたこと。そして、今年で14歳になり、若い頃の元気はどこへ行ったのってくらい、足腰も弱りはじめたこと。(びっくりしたのは、名前の由来まで、同じレゲエ繋がりだった!)

だから、観る前はどれほど号泣するかしらと思ったけど、これが意外や意外、かなり抑制の効いた作品なのだった。犬を間に挟んだ夫婦の物語、いや、これはマーリーを通じて、自分にとって一番大切な者は何かを悟った「ジョン・グローガンというひとりの男の物語」だと言ってしまっていいと思う。何たって、英語タイトルは「MARLEY&ME」なんだもの。

同じ業界で働く妻への嫉妬心、家庭を持つことの覚悟、夢を追いかける決心、そして、再び自分らしい生き方とは何かを悟ること。その節目節目に必ずマーリーの存在があり、どんな時もそばにいた。だからこそ、マーリーを失う時、共に生きた何年間に自分たち家族の姿が鏡のように映し出されていることを思い、ありがとうとありったけの愛情を伝えるのです。さすがに、ここは涙が止まりませんでした。

さて、確かにマーリーは訓練学校であきられるほどのやんちゃぶりだけど、同じラブを飼っている人間から言わせると、子犬の時期の躾がなってなさ過ぎ。飼い始めてから、1歳ぐらいまでの間にもっときちんとしつけておけば、こんなことになってないです。家の中で、あれだけほったらかしの、させっぱなしってのは、ありえません。このタイトル、マーリーが気の毒なくらいです。犬を飼っている人は、結構同じ感想の人、多いみたいですね。

とはいえ、大型犬だからこそ、悪さをした時のハチャメチャ度ってのはやっぱ笑える。 あんなの、トイ・プードルとかチワワじゃ、絶対起きないもん! うちだって、物干し台引きずって走ったこともあるし、障子の紙全部穴空けたこともあるし、 「たすけて~~~」って言う目にいっぱいあってます。 まあ、これぞ大型犬を飼う醍醐味ですね。

私としては、マーリーと子供たちとのエピソードをもっと入れて欲しかったなあ。犬と暮らすことで、おそらく子供たちはいろんなことを我慢したり、喜びを得たりしたはず。そこが、膨らんでいればもっと感情は高ぶったかも知れません。でも、子供向けに完全にシフトした作品ではなく、大人向けにきちんと作った作品という感じで、なかなか良かったです。



欲望

2009-03-26 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2005年/日本 監督/篠原哲雄
「乳房に語らせろ」

日活ロマンポルノがなくなり、裸と言えば過激なAVばかりが世に流通されている今、ごく一般的な邦画の撮影現場において、女優の乳房にきちんと向き合っていない、または、どう向き合えばいいのかわからない、そんな状況なのではないかと危惧してしまう。もちろん、それは、それだけ女優が裸になるという機会に恵まれていないことも大きいのでしょう。

別にせっかく脱いでくれたわけだから、美しく撮ってあげるべき、ということではない。ラブシーンは常に官能的であるべきでもない。しかし、剥き出しになった乳房はスクリーンの中では、女の情念、孤独、悶え、打算、ありとあらゆる感情を代弁する。幾多の映画の中で、そのような瞬間に対面し、映画でしか味わえない快感を味わってきた。ましてや、本作は「欲望」というそのものに切り込む映画。昔の男に思いを馳せながら妻子ある男に抱かれる時。肉体的には交われぬと知りつつ、それでもその男を受け入れる時。板谷由夏演じる類子の裸身から、女の心の奥の奥にある感情が沸き立ってこなければならないと思うのだが、悲しいかな、その乳房はいつまで経っても居心地が悪そうに、恥ずかしそうに存在しているだけなのだ。

もし同じ脚本でヨーロッパ人が撮ったら、もっと味わい深い作品になったんじゃないか。篠原哲雄監督は決して嫌いじゃないだけに、そのような思いがチラリとかすめてしまうことがとても残念。オゾンが「まぼろし」で見せたシャーロット・ランプリングの乳房は本当に雄弁だったなあ。

一方、物語進行もやたらとヌルい作品だ。さすが女・渡辺淳一(と勝手に私が命名した)小池真理子。三島に心酔していたとなると、正巳の取った行動もわからなくはない。しかし、いっぱしの文学青年ならば、男女の交わりがそれだけではないこと、むしろ、そこを乗り越えた肉の交わりに他人には決して味わうことのできない快感が潜んでいることなど、わかっているだろうに。ヘタレ過ぎる。とまあ、原作に言及しても詮無いことですな。

最後に一つだけ。書庫って、大変エロティック。それは、活字に埋められた作家の息づかいが満ちているからだろうか。はたまた、澄まし顔で整然と並んだ本たちが我々を見つめているからだろうか。それとも、その静けさと整列を乱すことに快感を覚えるからだろうか。類子は、できない文学青年正巳を、書庫で導けば良かった。そうしたら、悲劇にならなかったかも知れない、と勝手にエンディングを脳内改編してみたりして。

坂本龍一Piano Concert in Kyoto

2009-03-23 | お出かけ
22日、日曜日、坂本龍一さん(以下、教授)のピアノコンサートに行ってきました。
場所は、京都府民ホール。クラシック仕様の500人収容程度の小さなホールで、
なんと、最前列での鑑賞でした。
しかも結構真ん中左より。演壇が低くて(たぶん1mもない)教授まで3メートルあるかなし。
目の前でピアノを弾いてもらっているような、とっても至福の時でした。
ぶっちゃけ、演壇よじ登って、教授を後ろからハグしたい衝動にかられましたが、
隣席の友人に耳打ちすると「あっという間につかまって連れ去られるんやろうなあ。」と言われました。

ホール内には、お香の薫りが立ちこめており、
静まりかえったホールに響くのは教授のピアノの音色だけ。
まさに、魂の浄化とでも申しましょうか。極上ヒーリング体験でした。
目をつぶって聞いていると、トリップしそう。
これは、京都だからお香を焚いたのでしょうか。
他地域でも導入されているのか、気になるところです。

さて、ある曲を演奏している時だけ、携帯で撮影してもいいよ、と教授が言うのです。
これは、教授らしい大変Smartな仕掛けで、
ランダムに鳴り響く携帯のシャッター音が効果音として演奏曲と合わさり相乗効果を生み出すのです。
この曲だけがアップテンポリズムで、見事にシャッター音とマッチングしていました。
また、この試みは、おそらく隠し撮りしてはネットにアップしていく、
そんなネット社会への教授なりの対処法ではないでしょうか。
逆手にとって、それを自分の音楽として組み込んでいくのが、とても教授らしい。




そして、今回の全国公演。
なんと毎回全曲を公演直後にi-tuneで配信しているんですね。
これも、こっそり録音して売りつけたりする、
そんな不届き者が後を絶たないことへの対処法だと思います。
教授含め、YMOファンは、熱狂的なファンが多く、
こうした海賊版や未発表音源を違法とわかって購入する人がいる。
しかしきちんと美しい音源で提供すれば、わざわざ音質の悪い海賊版を買う人はいません。
今回は1公演、1500円で配信しています。私も後でi-tuneチェックしようっと。

実は東京公演で赤ちゃんの泣き声についてのクレームがmixiのコミュニティで飛び交っていましてそのことをキャッチしている教授。
「mixiでそういうスレが立ってるんだよね?」と客席に向き直る教授。
思わず「そうそう」と頷き返す私。あの時、完全に目が合いました。(←アホです)

「小さなホールはいいね。本当は5人くらいの茶室のようなところでやりたいな。
きっとスタッフの方が多くなるだろうけど(笑)」 と、教授。
そんなところに招かれたら、どんな気分でしょう。
でも、チケット代はいくらになるんだ。(←膨らむ妄想)

公演ごとに気分によって演奏する曲をチョイスしているらしいのですけど、
「今日は暗い曲が多いですね(笑)。でも、クラ気持ちいいって、感じ。
今日はそういう気分なのかな。」と言ってました。

全曲、ピアノソロですので、始まる前は「寝ちゃうかも」なんて言ってたんですけど、
寝るどころか、ピアノを弾く教授の姿と音楽にうっとり。
終盤弾いた「ラスト・エンペラー」のテーマ曲で気持ちが一気に盛り上がり、うるうる。
また映画を見たくなりました。近々借りようっと。

少しも見逃すまい、聞き逃すまい。しっかりと耳を傾けながらの、あっという間の2時間。
ああ、ありがたや、ありがたや。生きてて良かったです。




アレックス・ライダー

2009-03-21 | 外国映画(あ行)
★★★★ 2006年/ドイツ・アメリカ・イギリス 監督/ジェフリー・サックス
「キレがいい」


14歳のジェームズ・ボンド。アクションあり、スパイグッズありで、子どもと見るにはぴったり。95分とコンパクトで、物語にもそんなにひねりがあるわけでもない。なんてことない、と言ってしまえばそれまでなんだけど、意外とそうバッサリ切り捨てさせない魅力を持っていると思う。

例えば、冒頭のロープを使ったマーシャル・アーツのシーンがとても独創的。秘書と家政婦の女性対決シーンもちゃあんと生身のアクションしてる。アクション監督がドニー・イェンってことで、存分にその手腕が生かされているんでしょう。車を運転できるわけではないので、自転車で逃走するんだけど、店は潰すわ、爆発するわの昨今のカーチェイスよりも、よほど抑制が利いていてよいと思う。つまり、コンパクトな中にキラッと光るものが随所にあるので、観賞後がすごく爽やかなのね。

また、秘書役の女性がチャーリーとチョコレート工場に出てきそうな奇抜なキャラで面白い。残念なのは、悪役ミッキー・ロークが小粒に見えたことかな。大好きだったんだなあ、「ナイン・ハーフ」の頃のミッキー・ローク。すっかり変わり果てちゃったのは悲しいけど、秘書役の女性に負けないくらいキャラ立ちして欲しかった。やっぱり、この手の映画って、悪役の存在感でいかんとも変わってしまうからね。



ローグアサシン

2009-03-19 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/フィリップ・G・アトウェル
「下手の横好き」

って、居酒屋にでかでかと超しょぼい習字で書いてあんの。もう、笑える、笑える。デヴォン青木の日本語がすっごいヘタクソで、「アネゴトシテ~」とかなんとかで、ぶーっと吹き出しちゃいました。ルーシー・リュウの「やっちまいなー」を超えましたね、このトンデモニッポンは。でもねえ、あんまりバカっぽくて、がははと笑って許せます。すごくまじめに作ったB級映画だと思えば、それほど悪くないかも。三池作品とか見ているような感覚って、こんなのじゃない?って、三池作品はあんまり見てないけどさ。とにかく日本人として、こりゃシャレなんねーな~とか言いながら、能天気に楽しめばよろしいかと。

それにしても、次々と出てくるアジア系の手下共の演技が目を覆いたくなるようなひどさ。ちょい役でも、ちゃんと演技するっつーのは大事なんだな、なんてことがわかりましたよ。ジョン・ローンは、久しぶりに見たけど、あんまり年とってなくてビックリ。

で。ジェット・リーに焦点をあてれば、この映画はぐんと評価が低くなってしまう。そりゃ、そうだよ。ずーっとイヤな奴だし、得意の武道は出てこないし。別に彼でなくたって、いいじゃん!って、役どころですから。石橋凌との対決シーンくらいかなあ。アクションとして楽しめるのは。ああ、ジェット・リーよ、どこへ行く。好調の日本映画界よ、彼を招集して、どでかいアクション大作撮ろうぜ!




ONCE ダブリンの街角で

2009-03-18 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2006年/アイルランド 監督/ジョン・カーニー
「こりゃ、たまらん。涙が止まらない」

男は穴の開いたギターで毎日のように街角に立つストリート・ミュージシャン。そんな男の前に現われ、あれやこれやと話しかける花売りの若い女。彼女はチェコからの移民で、楽しみは楽器店でピアノを弾かせてもらうこと。彼女のピアノに心動かされた男は、一緒にセッションしてみないかと持ちかける…


エンディングの「FALLING SLOWLY」が未だに頭から離れません。しがないストリートミュージシャンとチェコ移民の花売りの女性。知り合って間もないふたりのハーモニーが、まるで無くしたピースがぴたっと合ったような輝きを放つ。寂しいふたりが引かれ合うのは運命にすら思え、その恋の行方を見守りたくなります。ふたりの間に静かに沸き立つ感情、相手を思いやる余りに口に出せないもどかしさが心に染みて、染みて、たまりませんでした。どうも最近、「我慢する恋愛」にひどく感情移入してしまうのです。

全編中、かなりの時間音楽が流れています。次々と繰り出される切ないメロディに、それぞれの心境や状況が歌詞としてのせられていく。音楽のジャンルは全く異なりますが「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を思い出しました。今、目の前に横たわる悲しみ、苦しみを歌詞にのせ、歌うことで乗り越え、自分の道を切り開いていく。「歌うということ」。これ、そのものが自浄作用であり、自己解放なんですね。ああ、歌ってすばらしい!

低予算ゆえにか、わざとなのかわかりませんが、ダブリンの雑踏の音をマイクがたくさん拾っています。セリフが聞こえづらいほどに、車の音がうるさい時もあります。人によっては耳障りかも知れませんが、私にはこの街の音がとても心地よかった。ダブリンの街の息づかい、手触り、それらが音を通じて伝わってくる、そんな感じなのです。

冒頭、恋愛と言いましたけど、ふたりの結末から導き出されるのは、むしろ、恋愛を超えた、人と人との出会いのすばらしさだろうと思います。ほんの少し交わした会話がきっかけ。しかし、そこから始まる人生でかけがえのない日々。その期間があまりにわずかだからこそ、2人の心に永遠の宝物として残る。2人の選択、そして、メロディそのものが放つ切なさに涙が止まらないのでした。

CASSHERN

2009-03-15 | 日本映画(か行)
★★★★ 2004年/日本 監督/紀里谷和明
「陶酔し過ぎて、気づいたら制限時間過ぎてた」

<伊勢谷クン巡り②>
伊勢谷クンが出てなかったら、絶対見ないジャンルの作品。公開当時も、宇多田ヒカルのPVとこきおろされていたしね。でも、蓋を開けてみると、そんなに悪くないんだな、これが。20世紀少年よりは、よっぽど作り込まれてるし、CGのレベルも高いと思う。「オレはこういう世界観を絵にしたかったんだよっ!」って、意気込みはギンギンに伝わる。

ここで言ってる新造細胞って、最近話題のEPS細胞を想起させるでしょ。日本が第二次世界大戦に勝っていて帝国を築いているという設定は、「K-20」もそうだったし。あながちハチャメチャ過ぎてお手上げって感じではないの。20世紀少年より、役者陣のチョイスは断然渋いし。寺尾聰、大滝秀治、西島秀俊、三橋達也。この辺りの人選がすごく私の好みにもドンピシャで。

正直初監督作品なのに、よくこれだけのメンバーがお付き合いしてくれたなあ、ってことが疑問。CGもむちゃくちゃお金かかってるでしょう?どういう兼ね合いでスポンサーがこれほど投資したのか、裏事情が気になったりして。

まあ、そんなことはさておき。「思ったよりも悪くない」という感触が、後半見事に「飽きてきたな」という感覚に変わっていく。この作品の欠点の全てはここだと思う。監督のナルシズムがどんどん増幅され、観客はもうお腹いっぱいになってしまう。この後半の、早く終わらないかと思える焦燥感に宇多田ヒカルの歌がかぶってしまうため、壮大なる宇多田のPVという印象を最終的には観客に与えてしまう。コース料理を食べて最後のデザートが台無しだと、どんなおいしい前菜もメイン料理もかすんでしまうのと同じ。後半の1時間は無駄なカットが多すぎた。特に何度も繰り返しインサートされるフラッシュバックに辟易。

さて、お目当ての伊勢谷クン。すらりとした長身を生かして、何とかスーツに身を包んだお姿はステキ。苦悩してばかりのダークヒーローってのは、彼に合ってると思う。ただ、敵役の唐沢寿明と見比べると、その存在感は少し劣るように見える。金髪頭に赤いマントの唐沢寿明は、まんま蜷川舞台時の様相で、本作ではなかなか光っている。20世紀少年では、あんなにしょぼく見えたのに。そういうところでも、本作はあながち悪い作品じゃないんだと思う。何度も言うけど、後半をタイトに締めてくれれば、もっとカルトな面白味のある作品になったんじゃないだろうか。



どこに行くの?

2009-03-14 | 日本映画(た行)
★★★☆ 2007年/日本 監督/松井良彦
「監督自身の自問自答」

衝撃の問題作「追悼のざわめき」の松井良彦監督が22年ぶりに撮り上げた犯罪青春ストーリー。

立花アキラ(柏原収史)は、工場の社長を務める木下に育てられるが、幼い頃から性的虐待を受けていた。トラウマを抱え、人をうまく愛することが出来ないアキラは偶然出会った女性に心引かれるのだが…。

前作「追悼のざわめき」があまりにも強烈な内容だったため、観る方もずいぶん構えてしまいます。結局、前作と衝撃度を比べてしまう。そこが観賞ポイントになってしまうんですね。そんな風に観てしまうとちょっと肩すかしかも知れません。なので、いったん前作のことを脇において観た方がいい。

観賞後、ひと昔前の邦画「十九歳の地図」とか「裸の十九歳」(どっちも十九歳だな)なんかを思い出してしまいました。言ってみれば、ちょっと古くさい。でも、この古くさい雰囲気を現代で観るという感覚が、なんか新しい。そんな感じです。

主演の柏原収史。鬱屈した青年を演じていますが、なかなか雰囲気が出ています。若手の俳優でいい俳優はたくさんいますけど、うじうじしたじめっとした感じで、かつイケメンというのは、案外いないのかも知れない。

偶然知り合った女性がニューハーフだとわかった後、ベッドを共にするシーンがあるのですが、このシーンがちょっと物足りない。もっと重苦しいリアルさを出してくれたら、その後の逃避行ももっと切なくなったんじゃないだろうか。でも、ちょっと「イージー・ライダー」みたいなあっけないラストはいい。

「どこに行くの?」ってタイトルですけど、22年ぶりにメガホンを取った松井監督が自分でそう自問自答している。そんな作品かも知れません。


クロッカス

2009-03-13 | 四季の草花と樹木
我がブログの花日記、
毎年トップバッターを飾るのは、こちらのクロッカス。
今年もぎっしり花が出始めました。
去年よりも花数が増えているような気がします。
めでたい、めでたい。


こちらは白。
少しずつ、時期をずらしずつ咲いてくれるのは、
それはそれで嬉しいのだけど、
これだけ花芽があがってくると、
みんな一斉にぱーっと咲いてくれても圧巻なのになあ。
と思ったりもします。

蛇にピアス

2009-03-12 | 日本映画(は行)
★★★★ 2008年/日本 監督/蜷川幸雄 
「大変もったいない」


W受賞に湧いた当時、私は発売直後の文芸春秋を買い双方の作品を読みましたが、完璧に「蛇にピアス」に軍配でした。「蹴りたい背中」も良い作品ですが、19やハタチの女性にしてはやたらと達観したような内容に違和感を覚えました。私は、若い作家らしい、苦しみやもがきが、がつがつ伝わってくる作品の方が好きです。その後も金原ひとみの痛い文学は、独自の境地を開いていると注目し続けています。

冒頭、渋谷の街を無音で舐める映像から始まるのですが、これがかったるい。妙にセンチメンタルな導入です。この時点で蜷川監督は原作をどう解釈しているのが不安になりました。しかし、軌道に乗ると悪くありません。それは、ひとえに主演の吉高由里子  高良健吾  ARATA の3人がこの難役に果敢に挑戦している姿ゆえです。見た目は奇抜だけど、中身は空っぽ。それで、いいんです。それこそ、この作品のテーマですから。

コギャルのようなルイが、全くの異ジャンルであるパンキッシュな世界へと没入していく。それは、ルイがそもそもコギャルの世界に何のこだわりがあるわけでもなく、パンクの世界に啓示を受けた訳でもない。それは、アマを殺したのがシバさんかも知れないとわかっていても、彼から離れないことと同じ。ひたすら流されるように、何となく自分の居場所を適当なところで着地させていく。そんな生き方しかできないルイという女の子の空っぽぶりというのは、見るも無惨な代物なのです。

序盤はこの3人の存在感で引っ張れるのですが、後半はずいぶん失速してしまいます。これが大変残念。蜷川監督は、もっと痛みを際立たせなければならなかった。舌ピアスのゲージの1ランクごとに、エピソードをつなげてゆく。そんな原作の大胆な換骨奪胎をしても良かったように思います。女性の心理描写が巧みであり、時に冷徹に女性を眺めることができる廣木隆一監督 なら、もっとうまく仕上げてくれたんじゃないか。「ヴァイブレータ」や「赤目」で一躍寺島しのぶが脚光を浴びたような、そんな役回りを吉高由里子にもさせてあげてかった。体当たりの演技だけに惜しいです。



O侯爵夫人

2009-03-11 | 外国映画(あ行)
★★★★ 1975年/ドイツ・フランス 監督/エリック・ロメール
「撮影技術があまりにすばらしくてため息」

フランス革命直後の北イタリア。身に覚えのない妊娠をしたO侯爵夫人は、子供の父親に名乗り出るよう呼び掛ける奇妙な新聞広告を出す。その数カ月前、O侯爵夫人は兵士達に襲われそうになったところを、ロシア軍の伯爵に助けられた。家族の元に戻った侯爵夫人に伯爵は結婚を申し込む。亡き夫に操をたてる夫人は時間を稼ぐうち、妊娠の徴候が現れるのだが…。

この時代に身に覚えのない妊娠がわかり、「夫は名乗り出てください」という新聞広告を出すなんて、そりゃもう街は大騒ぎです。で、果たしてO侯爵夫人を身籠もらせたのは誰だろうという展開になるわけですが、残念なことにすぐに予測は付いてしまいます。

それでも、映像が本当に美しくて、そんなことはどうでもいいってくらいに引き込まれてしまいました。以前「グレースと公爵」でも書きましたけど、本当に油絵みたいなんです。本作、夜の室内はロウソクのみ、昼は自然光のみで撮影されたとのこと。もともと、ロメールは自然光撮影が得意ですけども、貴族の屋敷内のコントラストがハンパないんですよね。

奥にいる人や家具は、まるで油絵の黒の絵の具で描いたよう。ビロードのカーテンの陰影なんて、後からフィルムに絵の具で補正したでしょ?としか思えないほど。どうしてこのコントラストを自然光で作りだせるのか、不思議でなりません。

しかも、光は少ないのにドレスなどコスチュームのふんわりした感じや透明感は、まるで触って感じるかごときリアルさがあります。この撮影技術、現代にも引き継がれているんでしょうか。感心すればするほど、そちらの方が気になって仕方ありませんでした。


春夏秋冬そして春

2009-03-09 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2003年/韓国・ドイツ 監督/キム・ギドク
「考えすぎてはいけません」


深い山間の自然に囲まれた湖に浮かぶ小さな寺で、時を超えて幼子と老僧が織りなす四季の物語。

直情的な性描写や人間の業をこれでもかとえぐり出す人が、一転してこういう美しい物語を紡ぎ出す。このギャップが面白いと言えば面白い。海外で高く評価されたというのも、いかにもな佇まい。

美しい幽玄の世界が大変に魅力的。日本でも中国でもベトナムでもない、韓国固有の美の世界を存分に堪能。湖の入口にしつらえた門の開閉で始まる各エピソードは、まるで絵本をめくるよう。春夏秋冬が時代を経てつながってゆく。その巧妙な語り口にすっかり見入ってしまうのも事実だ。

しかし、この思わせぶりな映像がやや饒舌過ぎると感じられるのは私だけだろうか。特に、宗教的な教え、教訓とも呼ぶべき数々の示唆が説教くさく感じられてしまう。それは、静かな映画だからこそ、観客に考える猶予を与えてしまうという皮肉な逆効果とも言えよう。幼き頃生き物を虐待したことが、大人になっても償わねばならない罪として背負わされている。これは、キリスト教の原罪を思わせる。また、本作の設定の仏教で言えば因果応報にあたるのかも知れない。それでも、老僧の脅迫めいた言い草は仏教の「慈悲」とは程遠く違和感を感じる。まるで、カソリックの独善的な神父みたい。青年になり、若い女性へほのかな欲望が芽生えた時も、老僧はわかっていながら見過ごしているようにも見える。その真意とはいかに。

結局、常に何かの教訓の裏返しとなっている老僧の一つひとつの言動に、キリスト教やら仏教やら儒教やらギドク教やらがごちゃまぜになっているようで、どうも一貫性が感じられず、セリフは少ないゆえに映像によって語るに落ちるという状態になっているのではないか。

ただ、そのような疑念を吹っ飛ばしてしまうほど、舞台装置は圧巻。韓国政府を説得して作ったという湖に漂う小寺。このアイデアがすばらしい。人物をとらえながらも周りの風景は動いている、その映像は今まで見たことのない世界。春になれば、新緑の景色を湖は己に映し込む。そして、冬になれば湖が凍り、寺は固定される。そして、部屋にしつらえた境界としての役割を果たす開け放たれた扉。この独自の世界観には文句の付けようがありません。



NHKドラマスペシャル 白州次郎 第2回

2009-03-08 | TVドラマ(日本)
2009年/NHK
「8月まで待てって、それ拷問じゃない」

この1週間で3回も「NHKドラマ白州次郎 第一回」を見てしまいました。
そして、待ちに待った第2回。
もう、メロメロです。(何度言ったら気が済む!?)

今回は先週のようにタキシードがなくて、ちょっぴりがっかりですけど、
パリっとした、正当なスーツ姿が本当に素敵です。
出かける時に、さっと帽子をかぶる仕草、つばの下から覗くきりっとした顔立ちが本当にかっこよかったぁ。

それにしても、やたらめったらアップを多用したカメラです。
原田芳雄も岸辺一徳も思いっきり、「寄り」の絵ですけど、
何と言っても伊勢谷クンの寄りのショットの多いことといったら。
私のようなファンはともかく、それ以外の方は白州次郎のアップばっかりだなあ~
なんて感想を持っているかも知れません。

まあ、あまりアップが多いと、本当はイージーな演出と感じさせますけど、
このドラマでは、武相荘を始めとする田舎の田園風景、近衛首相の見事な邸宅内のセット撮影など、
アップ以外の撮影も見事なので、しっかりバランスを取っています。

白州正子が骨董に目覚めるシーンが入っていますが、
本当は彼女だけを取り上げても十分スペシャルドラマが作れるほどの人物。
もっと正子のエピソードも取り上げて欲しい。そんな物足りなさも感じます。

しかし、朝帰りの正子が「こんな家事も子育てもできない私に何の価値があるの」と
次郎に食ってかかるシーンは良かったです。
「きみにはきみだけの価値がある」
はあ、私も伊勢谷君に言って欲しいです。

白州次郎第3回が8月放映なのは、
吉田茂役の原田芳雄が病気になったため、という情報ですが、
一方、あまりに予算を使いすぎたため、という噂もあるようです。
そりゃあこれだけロケしたら予算も減りますよね。
それでも8月まで待てだなんて、完全に拷問です。



君のためなら千回でも

2009-03-07 | 外国映画(か行)
★★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/マーク・フォースター
「青空に舞う凧に思いをのせて」


ソ連侵攻前の平和なアフガニスタン。裕福な家庭の少年アミールと、彼の家に仕える召使いの息子ハッサンは親友同士。ところが恒例のケンカ凧大会の最中にある事件が起き、ハッサンを遠ざけるアミール。そしてソ連軍が侵攻、アミールはアメリカへ亡命。20年後、ある電話を受け取ったアミールは、タリバン独裁政権下の故郷へと向かう…


少年期のちょっとした過ちが、一生のわだかまりとなって主人公を悩ませる。シチュエーションとしては「つぐない」にも似ています。子どもだからこそ持っている純粋さが、他人を傷つけてしまうということ。これは普遍的なテーマなのかも知れません。しかし、「つぐない」にしろ、本作にしろ、同じようなテーマでありながら、物語の背景を実に叙情的に、ていねいに描き込んでいる。ゆえに固有の輝きを放っているのです。

本作では、平和で美しいアフガニスタン。そして、空に舞う色鮮やかな凧。この風景が本当に美しく、日本から遥か離れた中東の地で行われる子どもたちの遊びに、なぜかノスタルジックな郷愁をかき立てられ、胸を締め付けられます。この伸びやかな子どもたちの姿もやがてソ連の侵攻により見られなくなってしまう、そんな予感とともに。

小説家として大成したアミールがハッサンの息子を捜しに行く後編も感動的なのですが、全編見終わってみると、やはり少年期を描く前半部が印象に残ります。主従関係をわきまえた上での友情。少年らしい本音の付き合いで、何の見栄も飾り気もなく、本当に二人はウマが合う名コンビ。だからこそ、ふたりの絆を引き裂く出来事が残酷です。そして、事件の張本人がタリバン政府の人間として再び目の前に現れるという皮肉な運命。

全てを乗り越えて、大空に舞う凧を追いかけるラストカットがすばらしく、涙が止まりませんでした。過去は取り戻せないし、やり直すこともできない。しかし、今の自分にできる全てを捧げたアミール、そして、ハッサンの息子に幸あれと、凧に願いを託さずにはいられないのです。

プライドと偏見

2009-03-05 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2005年/イギリス 監督/ジョー・ライト
「胸がきゅぅん、きゅぅんと」

「つぐない」がとても良かったので、ジョー・ライトの前作を鑑賞。私のようにジェーン・オースティンを知らない人は、タイトルからもっとお堅い話だと想像してしまいますよね。でも全然違うのでした。全て見終わってみれば、なるほどこのタイトルが持つ意味合いもよくわかります。それにしても大変乙女チックな胸キュンラブストーリー。いい年して、ああ切ない!という気分に何度もさせられてしまいました。

第一印象は嫌な奴だったのに、実はいい人じゃない。何となく気になってきたのに、つい「あなたなんか嫌い!」って、言っちゃって後に引けず。もう好きとは言えないから余計に彼への思いが募っちゃう。とまあ、エリザベスの心境を実況中継しようかと思いましたです。それくらい、彼女に感情移入。求められれば求められるほどにかたくなになってしまう女心。素直になれないのは女のプライドですわ。

エリザベスを演じるキーラ・ナイトレイがすばらしいです。ダーシーに対する揺れ動く心情が手に取るように伝わってくるのです。好奇心から始まり、反発、嫌悪、興味、好意、愛へと鮮やかに変化していく。彼女の気持ちを折れ線グラフに例えるならば、下がってから少しずつ上がっていく、そのポイントポイントを抑える演技が絶妙。あっ、今この瞬間、彼を好きになったな、と突っ込みたくなるほどに。

5人娘を嫁がせることだけを考えている母親を大変シニカルに描いていて、これが効いています。舞踏会の会場で足をぶらぶらさせて椅子に座るなんて、まあ品のないこと。でも、彼女が打算的で下品であればあるほどに、エリザベスとダーシーの純愛も際立ちますし、観客はふたりを応援したくなる。嫌な役回りを引き受けている陰の立て役者と言えるでしょう。そして、全く存在感のないドナルド・サザーランド 演じる父親がエンディングのおいしいところをかっさらっていく。母親と父親の対比がうまいです。

そしてカメラが大変饒舌。ちょっと技に溺れすぎとも思えるのですけど、ラブストーリーの盛り上げ役と思えば、少しやり過ぎくらいでも許せます。イギリスの田舎の田園風景、古城、ダンスシーンなど、純愛を見事に彩る美しい舞台装置にも惚れ惚れしました。