Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

エヴァの匂い

2009-07-28 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 1962年/フランス 監督/ジョセフ・ロージー
「変幻自在のカメラワーク」


魅力的なカメラワークに思わず溜息。流れるようなカメラワークと言うと、社交ダンスのワルツのようなイメージが浮かぶのだけど、前半部のパーティーシーンを見て思わずつぶやく。これはまるで「クイックステップ」。短くリズムを刻むステップ、そして鋭いターン。そう、スクリーンの中を着飾った男と女が小刻みに入れ替わり現れては消えてゆく。右から左へと言った直線的な動きではなく、美しい弧を描いて。この弧を描く人物の動きは随所で見られるのですけど、こんなの見たことあったかしら?ってくらい、とっても新鮮。

水槽の熱帯魚とキスするティヴィアンなど印象的なカットも数多いし、ベネチアのゴンドラを水上から撮影するシーンも素敵。そして、ラストは、俯瞰でヴェネチア広場を眺めながら港をとらえる長回し。ジャンヌ・モローの悪女ぶりを楽しんでやろうとしていた私でしたが、終始カメラに魅せられっぱなしでした。

エヴァは賭博場で金づるを見つけては転がり込んでいるような女。男の気持ちや境遇なんて知ったことじゃない。計算高いわけでもないし、ずる賢いわけでもない。こんな女にどっぷりハマってしまう男が悪いのだ。どこまでも、エヴァを追い続けるティヴィアン。それは、愛ではなく「執着」。自分の愚かな行為を初めて語り、惨めな姿を初めてさらした女への執着。

新しい愛人の前で「みじめな男」と断じるエヴァを見て、つい自分を愛する男に何の連絡もせずインドとやらへ旅立ってしまった「人セク」のユリを思い出してしまった。悪女と小悪魔の差はかくも大きい。恋愛なんて、ズタボロになってこそ。もし、神様が叶えてくれるのだとしたら、私は小悪魔より悪女がいい。


モンスターVSエイリアン

2009-07-26 | 外国映画(ま行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/ロブ・レターマン
<MOVIX京都にて観賞>
「シャレが効いててオトナも満足」

「ハリポタ」に不満だった息子とお口直しのつもりで観賞。
ところが、予想以上に良かったです。
とにかく人物設定が面白いの。
マヌケな大統領、一本気な将軍、お調子者のお天気キャスター。
まあ、ありがちだけど、それぞれピリッとジョークが効いてるのですよ。
エイリアンと接触するところは、「未知との遭遇」「ET」、
大統領を囲む会議室は「博士の異常な愛情」などをパロディにしています。
私が気づいていない映画作品も他にいっぱいあるかも知れません。

ベースになっているのは、ごく普通の女の子スーザンの成長物語としての側面なんですが、
実はこの部分が息子、つまり男の子にウケる作品なのかどうか、
観賞前にちょっと不安だったんですよね。
結婚式前のウキウキオンナが突然変異しちゃうわけですから。
でも、そんなこと関係なかったです。
巨大化したスーザンが自分にしかできないことを体験することによって、
自分の生きる道を手に入れる。
これ、まるで「デトロイト・メタル・シティ」のクラウザーさんと同じじゃないですかね。

さて、核ボタンとカフェオレ製造ボタンが隣同士で間違って押しそうになる、
とかベタなギャグも満載。
息子も私も声出して笑っちゃったなあ。
同列にひとりオジサンがいたんですが、最初からから最後までウケっぱなしでしたね。
今となっては「3Dで見るんだったぁ~~」と後悔の嵐です。



人のセックスを笑うな

2009-07-23 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2007年/日本 監督/井口奈己
「オンナの心とオトコの視点」


ずいぶん前に見たのですが、語りたいことが多くて後回しにしているうちにほぼ1年経過…。ようやくのレビューです。

さて、どこから話しましょうか。まずは、その柔らかなふわふわとした演出のトーンですね。恋愛模様だけに誰もが登場人物に感情移入して見てしまいます。私の場合、当然同年代のユリ目線で見てしまうだろうと思っていました。しかし、蓋を開けてみて愕然。全く見当はずれ。このユリって女、何とまあ嫌なオンナでしょう!「さわってみたかった」からって若い男と寝るってのは、道端で男ひっかけるのと同じですよ。結婚していることを言わないのも、大人の女としてはあまりにもアンフェア。女の風上にもおけませんね。恋愛はお互いが同じ地平に立ってこそ成立するもんです。いい年してそんなことも知らんのか。恋愛をナメんじゃねえ、アーンド調子こいてんじゃねーよってことです。みるめは一発殴っていいです。しかも、連絡先も言わずにほったらかしで海外逃亡。人は一般的にこれを「ヤリ逃げ」と言うのです。

みるめではなく猪熊さんを選んだと考えている方が多いのにも驚きです。このふたりは、同じ土俵には全く立っていませんよ。猪熊さんを取るか、みるめを取るかでユリは苦しんだりなぞ、これっぽっちもしていませんって。同年代、既婚者の私だから、若い男をさわってみたい直球の欲望も、そこからするりと逃げ去ってしまうずる賢さも手に取るようにわかるのかも知れない。ああ、イヤだイヤだ。

とまあ、ユリの良さなど微塵も感じられませんでしたが、みるめの切なさには完璧に同化しました。好きな人の本当の姿がわからない。本当の気持ちがわからない。そこでみっともなく右往左往して、どうしようもないため息をつくのは21の学生だろうが、40過ぎのオバハンだろうが全く同じ。ユリは思ったよりも早く作品からいなくなり、ラストの15分くらいはずっとみるめの傷心の姿を追いかけます。これがとても良かった。延々、失恋の余韻が続くのです。みるめくんと一緒にしみじみブロークン・ハート噛み締めました。

さて、一方。
前作「犬猫」に引き続き、面白いカットやシークエンスにあふれています。これは、入退場の映画ですね。左から右へ、右から左へ。とにかく人が入って、抜けて行く。人物が中心にいるカットでも、背景で子どもたちが左から入り、右に抜けていったり。最も印象的なのは、展覧会会場でえんちゃんがお菓子を食べるところです。左手がスクリーンの枠を出たり入ったりして、何かもぐもぐと食べています。しかし、手が動いているだけで何を食べているかは全くわかりません。そして、食べくずだけが残ったお菓子のお皿が映し出される。ラストもぐるっと車がスクリーンを一周してから退場。なかなか目を楽しませてくれます。

こうした構図の面白さは映画の一番の醍醐味だろうと思いますので、いろんなネタを提供してくれる作品には間違いありません。ただ、ちょっと心配なのはこうしたスクリーンの切り取り方が「看破される」シロモノになってしまっていることです。つまり、仕掛けの巧妙さを観客が見破ることの快感が、作品全体を味わう快感よりも、先立ってしまってはいないか、ということです。この構図の妙は井口監督のセンスだろうと思いますが、最終的に胸にドカッと刺さる作品たちって、決して「構図が面白かったね」が開口一番のセリフにはなりません。ここをどう突破していくかが、今後の井口監督の鍵になりそうな気がしています。

いずれにしろ、恋愛物語として感傷に浸らせる部分は女性観客のハートをつかみ、カットやシークエンスにおいては男性観客を語らせる。そんな両性具有的な才能を持った監督と言えるのかも知れません。次作も楽しみです。

ハリー・ポッターと謎のプリンス

2009-07-21 | 外国映画(は行)
★★★★ 2009年/イギリス 監督/デヴィッド・イエーツ
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>
「見ている間はいいのだが」


前作「不死鳥の騎士団」で次作が不安という感想を書いたのだけど、今回は元々の期待値が低かったからでしょうか。最終章前の盛り上がりを感じて、そこそこ楽しめました。

魔法合戦としてCG満載の本作ですが、アクションシーンがただひたすらの杖攻撃では飽きてしまいます。しかし、今回は冒頭の橋の崩落シーン、ベラトリックスにおびきだされた後の沼地の疾走シーン、分霊箱を探しに行く洞窟のシーンと、なかなかダイナミックな場面が楽しめました。

恋バナのボリュームが多くてかったるいという声も聞きましたが、私は悪くなかったですね。ヴォルデモートの魔手が学校内に及ぶにあたり作品のムードも俄然ダークになってきますので、作品全体の息抜きとしてアリじゃないでしょうか。

私はハリポタは原作を全く読んでいません。 このシリーズは映画だけで楽しんでいます。そんな私にとっては、物語として破綻もなくスムーズに見られたし、ラストに「RAB」という謎が提示されて、いよいよ話も大詰めだな、とワクワクして見終えたのですが、映画館を後にして息子が…。

「後半は退屈で、あくびが出た」
オーマイガッ!

原作ファンである小6の息子に理由を尋ねてみると、原作からカットされている部分が多く、それは、とても大切なエピソードだと。そして、それらがカットされているため、ラストの重要人物の死の重みが伝え切れていない。もっと、最後に胸がぎゅーんとなるような感じを味わいたかった。(母による意訳)

なるほど。これだけの厚みの原作を映画化するには、もちろんある程度の削ぎ落としは必要でしょう。でも、前回の反省を踏まえて、全編物語に破綻を来さないということに重要点が置かれているのかも知れません。私はこのシリーズ、ヨーロッパらしい調度品とか美術とかセットとか、 そう言う部分も見どころだったりするんですね。ダンブルドアの椅子はステキだなあとか。 でも、子どもはそんなとこ見てないもんね。

息子に言われて考えてみると、結局タイトルそのものである「Half Blood Prince」の「Half Blood」って何のことだったのかわかりません。もちろん、後で息子に聞いて納得。見ている時はいいんだけど、後から思い返してみると、あれは何だったんだろう?というのは多々あるんですね。

最終作「死の秘宝」は前後編の2部構成。製作者はこちらでとことん原作世界を表現しないといけませんねえ。ただでさえ、長い長いシリーズの大ラスなわけですから。こりゃ、監督大プレッシャーだろうな。引き続き、デヴィッド・イエーツみたいですね。スペイン人のギレルモ監督って噂もあったけど、彼はピーター・ジャクソンのプロデュース「ホビットの冒険」に引き抜かれちゃったみたいです。とても残念。私は思いきって監督を変えてもいいのになあと思ってたのでね。まあ、見てのお楽しみですね。

やわらかい手

2009-07-18 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2007年/ベルギー・ルクセンブルク・イギリス・ドイツ・フランス ) 監督/サム・ガルバルスキ

「きみの歩き方が好きだ」

「あの胸にもう一度」で裸にジャンプスーツで時代を魅了したあのマリアンヌだからこそ、老いた女性の寂しさが身に迫ります。人は年を取る。それはみな同じ事なのですが、特に若かりし頃、その美貌をもてはやされた女性は老いとどう向き合っていくのか。同じ女性として興味は尽きません。本作で特に考えさせられたのは、とうの昔にその価値などなくなってしまったであろう「性欲の対象」としての存在価値が、「手による奉仕」というカタチを変えて、今ひとたびマギーの元に戻ってきたことです。あの小さい穴の向こうにおばあさんが存在していることなぞ、男たちは微塵も思っていないでしょう。しかし、紛れもない「女性の手」、やわらかな女性の手を求めて男たちは行列を成す。幻想の元に成立する性欲を持つのは、人間だけ。まさにその通りなのです。

自分の手に男の性欲を満足させられる特別な物が宿っていると悟った時、果たしてマギーはどんな心境だったのでしょう。夫を亡くし(しかもその夫は浮気をしていた)、孫は難病で生死をさまよい、資金繰りに奔走するマギーの前に突如現れた「性欲の対象」としての自分。ベルトコンベアーのように突き出されるモノに対して、テキパキと流れ作業のように手を動かす。マギーはそうして、お仕事と割り切っているかのように見えます。しかし、私はラスト、男の胸に飛び込むマギーを見るに、彼女は自分の中の女性に目覚めたのではないかと思わずにはいられないのです。

彼女が愛に目覚めたのは、毎日男のモノに触れてきたからでしょうか。いえ、むしろその日々があったからこそ、ミキが言った「君の歩き方が好きだ」という告白がきらきらと輝いたのではないでしょうか。そして、あのマリアンヌに対して、「いつまでも美しく輝く君が好き」ではなく、「歩き方が好き」と言わしめてしまう。そこに何とも言えないやるせなさとそれでいいのさと言うかすかな希望の入り交じった複雑な心境を味わってしまったのでした。

マギーを演じるマリアンヌは、演技派女優として老いた女性の心境を情緒たっぷりに演じてはいません。それは、正直に言うのなら、彼女自身の演技者としての力量によるものだと思います。でも、却ってこの淡々とした感じが作品の不思議なムードを作り上げています。それにしても、真実が判明した後の息子の言動の腹立たしいこと。やはり、息子っていつまでも母には聖なる存在でいて欲しいのでしょうか。それって、自分の子どもの命よりも大事なこと?息子の複雑な胸中にも、いろいろ考えさせられました。

ナス、ぼちぼち

2009-07-15 | 野菜作りと田舎の食
そもそもナス科は連作すると収穫できないってハンデがあって、
それでも、なぜか毎年チャレンジしてしまうナス…
今年は今のところ、2,3日に1本という少ない収穫量。
でも、形はすごくキレイなのができるので、それで良しとするのであった…。
これから、8月いっぱいまでどれくらい収穫できるかな~。
苗は全部で6本。ピークがいつになることやら。
いや、ピークもなく過ぎ去ったりして…。

そして、クソ暑くて全く畑に出ていなかったら、
それはそれは回りが草ぼうぼうに…


ひ、ひどい。足の踏み場がないぞ。
一番手前の苗がやけに大きくなっているのですけど、
これは連作障害を回避するための接ぎ木の苗だったんです。
やっぱり、来年から接ぎ木にしようっと。





トウキョウソナタ

2009-07-13 | 日本映画(た行)
★★★★ 2008年/日本 監督/黒沢清

「いつもの清の方が好き」

んー。いい映画でしたが、私は不条理ホラーの黒沢節の方が好きですね。

「家族の崩壊と再生」というテーマを扱った日本映画はたくさんあって、どうしてもそれらと比べてしまうんですよね。最近の作品で言えば「蛇イチゴ」や「歩いても、歩いても」。同じ小泉今日子主演では「空中庭園」。これらの作品群の方が、ぎゅうっと胸を締め付けられるものがありました。つまり、家族というわかりやすい設定だけに、もう少し私の心に侵入してぐわんぐわんと揺さぶって欲しいという願望が出てきてしまうんですね。

確かにあんな職安もないし、アメリカの軍隊にも入れないし、これが架空の「トウキョウ」だと言うのがわかります。ならば、もっと架空を前提に飛ばしてしまった方が、私は見ていて居心地が良かったな。リストラを言い渡される時のびゅうびゅうと揺れ動くブラインドカーテンとか、Y字路で合流する家族とか、えらい演出がストレートでちょっと面食らってしまいました。役所と一緒に小泉はどこかの別の世界へ飛んでいってしまうのかと思ったんですけど(笑)。で、あれはどこへ行ったんだ。あの世界は小泉の心象風景じゃないか、とか、そういうことをグダグダと考えるのが黒沢映画の楽しさなのですが、みんなきちんと家に帰って来ちゃいました。

どうにもならない不可避なモノを扱ってきた監督が、どうにかなるモノを描こうとしている。そんな方向転換ぶりなのかな、とも思ったり。それぞれの一夜の逃避行を境にまた家族は新たな道を歩き始めるのですが、そんな家族を包み込むのが天才的と称される息子のピアノの音色、というのも、個人的にはやや納得しがたいかな。その音色の美しさは置いておいてね。あの逃避行はどうも個人レベルで完結しているように感じるんです。夫は妻に対して、子どもに対して。妻は夫に対して、子どもに対して。家族という最小単位の社会において、佐々木家はその最小社会を維持していくために何を獲得し、どう互いに関わっていくのか、ということが見えないの。そこが物足りなかったです。

ただ、ラスト近く海辺の小泉今日子をとらえるカットはとても美しい。私にはここが一番の見どころでした。


それでも恋するバルセロナ

2009-07-12 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2009年/スペイン・アメリカ 監督/ウディ・アレン
<MOVIX京都にて鑑賞>

「大人のバカンスラブ」

結局、何がどうなるわけでもなし。それぞれの愛が破滅したり、成就したりするような終わり方じゃありません。でも、私好きですね、この作品。これはロメールの「海辺のポーリーヌ」などに代表される ヨーロッパのバカンス映画のへのオマージュかも。 バカンスの恋と言えば、たいてい少女が主人公ですが、 それを大人の女性で描くのがウディ流ということではないしょうか。

スペイン訪問歴4回。世界で一番好きな都市がバルセロナ!な私には、舞台設定だけでウキウキ。しかし、それ以上にウディの描く恋愛模様が面白い。芸術家のフアン・アントニオに惹かれるヴィッキーとクリスティーナ。親友同士の奪い合いかと思いきや、元妻の出現によって奇妙な三角関係に突入します。まるで、ヘンリー&ジューンの世界ですね。でも、ウディが描くと優雅でお上品です。これはもう完璧な関係です。うっとりしてしまいました。

一見、浮気性で手当たり次第に手を出す男に見えるフアン。しかし、元妻マリアに「この家では英語でしゃべろ」と何度も言いますね。あれは、なかなかできることじゃありません。欲望のままに行動しているようで、芯の部分はとても紳士な男ではないでしょうか。魅力的な女性には美しい花を愛でるがごとく声をかける。それは、実に自然なことであって、そこから一旦何らかの関係性ができあがった場合には、相手の気持ちを考慮して行動できる男のように感じます。私もバルセロナでフアンに出会ったら、恋に落ちてしまうかも。そんなフアンを演じるのがハビエル・バルデム。いつもの強烈個性を敢えて抑えめにしているようで、とても良かった。

また、ヴィッキーの婚約者や友人を通して、アメリカ人の価値観をやんわりと皮肉っています。有名デザイナーのインテリアに囲まれ高性能テレビを見ているよりも、フラメンコギターを聞きながらワインを傾けることがどれほど豊かなことか。アメリカ人がスペイン人と恋に落ちれば、そのような展開になるのはもちろん想像できるのですが、ウディが描くと嫌味がありません。

普通恋愛映画を見ると誰かに感情移入してしまいますが、私はヴィッキーにも、クリスティーナにも、マリアにも感情移入してしまいました。 ラスト、ふたりがアントニオとマリアの元を去った時、バルセロナでの出来事はまさしくひと夏の恋の思い出となります。そんなラストが何とも爽やか。ああ、恋がしたい…。そんな気持ちにさせられました。





ミニトマト

2009-07-09 | 野菜作りと田舎の食
ミニトマトがだいぶできてきました。
こちらは黄色ミニトマト。赤とは微妙に味わいが違いますね。
甘さは赤の方が上かな~。


ミニトマトは夏のおやつです。皿にのっけて食卓に置いていると、子どもがパクパクと食べてしまいます

ミニトマト以外に桃太郎も植えています。ここんとこ大きなトマトは全然収穫できなかったので、今年は壊れた傘をのっけて、雨よけ。見た目がダサい!ダサ過ぎる!でも、収穫のために我慢です。




たみおのしあわせ

2009-07-08 | 日本映画(た行)
★★★☆ 2007年/日本 監督/岩松了

「ラストにポカーン」

唐突なラストまではかなり楽しい作品でした。岩松テイストの面白さは、ズレとか間と言う類とはまた違いますね。例えるなら、バッティングセンターで構えていたら、隣のレーンから球が飛んできた。そんな感じ。なんでそうなるの?のアイデアは、センスとしか言いようがありません。でも、私は結構好きです。屋根裏に隠れていた叔父がいつのまにやら、老人たちをしきっているなんてねえ。しかも、逢い引き場所まで提供しちゃって。

冒頭、デパートの屋上で父親をチラ見する女性を見て、息子が「化粧が濃すぎる」なんて、いちゃもん付けます。ただチラ見しただけですよ。このシーンで、彼は父の再婚に複雑な心境を抱いていることがわかります。母の面影を引きずっているのもそうでしょうが、おそらく彼は父と2人きりの生活に第三者が介入してくるのが相当に嫌なのです。想像するだけでも嫌。そう考えるとラスト、父の引く手に素直に従う息子も、まあしょうがねーなあと言う気もします。もちろん「おいおい瞳さんは!」と突っ込みましたけど。

父、伸男を演じる原田芳雄がとても素敵です。あれなら、モテて当然でしょう。瞳さんの真意は何でしょうねえ。「素」なのか、魔性の女なのか。過去を含めてなかなかミステリアスな存在。この敢えて描かない瞳さんの心境があるから、余計にラストの展開もよくわからないという思いを多くの人に与えてしまうんでしょう。

さてコメンタリーを聞きながら見ると面白さ倍増でした。特にオダジョーと麻生ちゃんのかけ合いは、まるで夫婦漫才。またボーダーシャツの大竹しのぶが自転車に乗るシーンで、岩松監督が「これはヌーベルバーグだな」と言ったりして、ナルホドそういうノリで撮っちゃってるのね、とわかると、なかなか味わい深い作品のように思えてきました。ラストに関する監督の弁を楽しみにしていましたが、それはわからず仕舞い。麻生ちゃんは、「ふたりは死んだんでしょう?」と完全にボケてました。出演者もわからないエンディング、観客にわかるはずがありませんよね。

ブラインドネス

2009-07-06 | 外国映画(は行)
★★★☆ 2008年/カナダ・ブラジル・日本 監督/フェルナンド・メイレレス
「反面教師でもキツ過ぎる」


 視力を失うことにより、人間の剥き出しの本能だけが表出する薄汚い世界に一体何を見いだせば良いのやら。敢えて推測するならば、家族という最小形に始まり、企業、社会、国といった全ての集合体が互いを信頼し合うことによって保持されている、それがいかに価値あることで、すばらしいものかを見つめ直すということでしょうか。
 わたくしひとりの人間としては、例え世界中の人が失明しようとも、その環境下で人間は人間社会を築く知恵と理性があると信じたい。全ての人間が野獣と化してしまうとは思いたくない。もしかすると、本作の狙いはそれかも知れません。つまり反面教師的なアプローチ。

 それでもあまりの悲惨な状況に気が滅入ります。そして、このような極限状況でも、いや極限だからこそ男は女を犯すのでしょうか。「フランドル」同様、無防備に眺めていると男性不信に陥りかねませんね。この食料の代わりに女性を要求するという忌まわしい行為は首謀者を殺すことで、その後うやむやにされてしまう。そこがとても残念です。あの映像が示すものに作り手は落とし前を付けて欲しい。それは、言い出しっぺを殺してハイお終いということではないように思うのです。
 呼吸困難の状態からラストにようやく深呼吸。でも、余韻をかき消すダニー・グローバーのナレーションは余計かな。ただひとり異常事態を目の当たりにしてきた彼女は何に思いを馳せるのか。それは観客1人ひとりが考えることなのでしょうから。

期待の伊勢谷友介はいつものごとくパリッとしたスーツ姿が美しい。悪くありませんでした。


春眠り世田谷

2009-07-04 | 日本映画(は行)
★★★★ 2001年/日本 監督/山田英治
「ダメ南朋がたまらん」


くすくす笑いが止まりません。そして時折爆笑。
ジャームッシュの「ブロークン・フラワーズ」を観た時に感じが似ています。
映画を作ると言って会社を辞めたのに、家でゴロゴロしてばかり。
出先で映画のアイデアを思いついては、妄想にふけるんだけど、
またそれがつまらん。つまらなさ過ぎて笑える。
そして、何をしても行き当たりばったり。
考えているようで、何も考えていない男。ああ、こんな男いるいるぅ。
毎日仕事がんばってるサラリーマン男性が見たら、
はらわた煮えくりかえる作品じゃないでしょうか。まさにそこがツボです。
でも大森南朋の魅力は全開。
整髪料をつけないサワサワのヘアスタイルでジャージーにパーカー。
「素」の演技で魅了してくれます。掘り出し物でした。


サニーレタス

2009-07-02 | 野菜作りと田舎の食
必要な時だけ周りの葉っぱを取って使っていたんですけどね、
真ん中から芯のようなものが上がってきたら、
あれよあれよと言う間にタワーみたいになって、花が咲きました(笑)。

こんな花なんだ~、ってことで記念撮影。
このまま放っておいたら、こぼれ種で来年増えた!なんてことになったらいいなあ。
まあ、レタス系でそんな話聞いたことないけど。はは


なんかちょっとしたオブジェみたいな状態?


上の方の葉っぱは、くるっとなってる。
イグアナのしっぽみたいだぞ。




愛を読むひと

2009-07-01 | 外国映画(あ行)
★★★★ 2008年/アメリカ 監督/スティーブン・ダルドリー
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>
「味わい尽くせぬジレンマ」


1958年のドイツ。15歳のマイケルは21歳年上のハンナと知り合い、肉体関係に陥る。以来、彼女の体にのめりこみ毎日のように部屋に通うマイケル。やがてハンナは情事の前に「朗読」を行うことをマイケルに約束させる。しかし、ある日突然ハンナは姿を消し、1966年ふたりは意外な場所で再会するのだ…。


年の離れた男女の禁断のラブストーリーかと思いきや、後半一転して戦争責任、罪と罰、人間の尊厳という深いテーマに突入していきます。見終わった後もあれこれ考えてしまう大変余韻の残る骨太な作品。秀作だと思います。とにかくハンナの演じるケイト・ウィンスレットの演技が素晴らしい。中年女の疲れた感じや何か過去を持つ後ろ暗さを見事に表現しています。マイケルに対してハンナは突き放したような素振りを時折見せるのですが、それが嫌味に見えず、むしろその裏に隠された謎を予感させるのです。

本作は敢えて多くを語らず、行間を読む作品。私的には好きなタイプなんですが、実は後半のマイケルの心情にはあまり寄り添えませんでした。ちょっとね、わからないことが多くて。

マイケルがハンナのために刑務所にせっせと朗読テープを送り、そのことによってハンナが新しい世界を切り開き、生きる希望を得るというシークエンスは本当に感動的。だからこそ、マイケルのハンナへの思いは何だったのか、もう少しきっちりと掴みたいのよねえ。

面会室の直前になって引き返してしまうこと。やっと文字が書けるようになったハンナの手紙に対して返事を書かなかったこと。その理由を推測することはできるのだけど、あくまでも推測でしかないのでマイケルのキャラクターにきっちりとした輪郭が与えられないのです。この辺がちょっと見ていて歯がゆい。

マイケルの朗読テープ。あれは無償の愛だったのでしょう?だったら、なぜ返事を書かないのかしら。運命の女を最後まで包み込むことができなかったマイケルという男の弱さが最終的には前に出てきている印象。でも、本来は本作は先にも述べたように戦争責任や罪と罰など様々なテーマを内包している。このふたりの愛の在り方のあやふやさが結局あれこれ考え直してみたい作業を邪魔してしまっているんですよねえ。とってもいい作品だとは思うのですけど、なぜか煮え切らないのでした。