★★★★ 2006年/韓国 監督/イ・チャンドン
「意識の拡散」
凄い映画なんですが、凄いだけに咀嚼できない部分において煮えきらなさが残ります。観念的なメッセージとリアルな人間ドラマが融合できなかった。そんなむずがゆい感じです。
この映画はシネというひとりの女性を中心に据えた物語だと思うのですが、その割には中盤部の信仰を取り巻くエピソードの主張が強すぎるんですね。ややもすると、宗教の無力さ、矛盾を描き出した作品と取られかねない。この部分があまりに突出していることによる違和感とでもいいましょうか。
なぜ、これを違和感に思うかと言うと、それまでの描写において、意味深だったり、敢えて語らないと思われる描写が多いからなのです。私は最後までシネという女性の「実像」に触れることができませんでした。いわゆる本当のところが見えない、という感覚です。彼女が他者との関係をうまく築けない、やや風変わりな性格の持ち主であることは察することができますが、それ以外の心情は見ているものが想像する他ないという語り口です。密陽への移住の本当のところもわかりませんし、息子とどれほどの信頼関係が築けていたのかも、ほとんど描写されていません。それは、監督が敢えてそういう演出にしているのだろうと思います。ですから、私は語られていない向こう側にあるものをいろいろと推測したり、何かのメタファーかと考えたり、そんなピント合わせのような作業ばかりしてしまいました。
その作業の発端となったのは、冒頭座席に佇む息子の陰鬱な表情や、かくれんぼをしていないフリをする。それが誘拐事件の予兆として描かれている。こういう思わせぶりな演出です。何かを予測せよ、というサインのようです。
また、その実像がわからないのはシネ以上に、ソン・ガンホ演じる社長ジョンチャンです。教会に一緒に入ってしまうほどの純粋さは愚鈍の裏返しなのか、激しい恋心なのか。これもまた、観客が推量するしかありません。しかも、これだけの大きな事件が起こっていながら、ふたりの関係性はずっと平行線です。よそ者としての不安、子を亡くした寂しさから、彼に対して何らかの心情の移り変わりがあってもよさそうなものですが、この両者の間にもドラマチックなやりとりはあまり描かれないのです。その全てがラストカットに込められているのでしょうか。その割には弱いという印象です。
面会の一件で絶望の淵におちたシネが何事かを行動に移して終わり、というくらいであれば、その語らない演出を余韻として楽しめたと思うのですが、結構ここから引っ張るんですね。シネという不幸な女にとことん寄り添う作品として、この尺の長さというのもわかるんですけど、どうも見えない部分を埋める作業が多くて、衝撃的なんですけど、本質の部分に果たして私は触れることができたのか。そんな宙ぶらりんな気持ちがやたらと残ってしまいました。
「意識の拡散」
凄い映画なんですが、凄いだけに咀嚼できない部分において煮えきらなさが残ります。観念的なメッセージとリアルな人間ドラマが融合できなかった。そんなむずがゆい感じです。
この映画はシネというひとりの女性を中心に据えた物語だと思うのですが、その割には中盤部の信仰を取り巻くエピソードの主張が強すぎるんですね。ややもすると、宗教の無力さ、矛盾を描き出した作品と取られかねない。この部分があまりに突出していることによる違和感とでもいいましょうか。
なぜ、これを違和感に思うかと言うと、それまでの描写において、意味深だったり、敢えて語らないと思われる描写が多いからなのです。私は最後までシネという女性の「実像」に触れることができませんでした。いわゆる本当のところが見えない、という感覚です。彼女が他者との関係をうまく築けない、やや風変わりな性格の持ち主であることは察することができますが、それ以外の心情は見ているものが想像する他ないという語り口です。密陽への移住の本当のところもわかりませんし、息子とどれほどの信頼関係が築けていたのかも、ほとんど描写されていません。それは、監督が敢えてそういう演出にしているのだろうと思います。ですから、私は語られていない向こう側にあるものをいろいろと推測したり、何かのメタファーかと考えたり、そんなピント合わせのような作業ばかりしてしまいました。
その作業の発端となったのは、冒頭座席に佇む息子の陰鬱な表情や、かくれんぼをしていないフリをする。それが誘拐事件の予兆として描かれている。こういう思わせぶりな演出です。何かを予測せよ、というサインのようです。
また、その実像がわからないのはシネ以上に、ソン・ガンホ演じる社長ジョンチャンです。教会に一緒に入ってしまうほどの純粋さは愚鈍の裏返しなのか、激しい恋心なのか。これもまた、観客が推量するしかありません。しかも、これだけの大きな事件が起こっていながら、ふたりの関係性はずっと平行線です。よそ者としての不安、子を亡くした寂しさから、彼に対して何らかの心情の移り変わりがあってもよさそうなものですが、この両者の間にもドラマチックなやりとりはあまり描かれないのです。その全てがラストカットに込められているのでしょうか。その割には弱いという印象です。
面会の一件で絶望の淵におちたシネが何事かを行動に移して終わり、というくらいであれば、その語らない演出を余韻として楽しめたと思うのですが、結構ここから引っ張るんですね。シネという不幸な女にとことん寄り添う作品として、この尺の長さというのもわかるんですけど、どうも見えない部分を埋める作業が多くて、衝撃的なんですけど、本質の部分に果たして私は触れることができたのか。そんな宙ぶらりんな気持ちがやたらと残ってしまいました。