Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

(500)日のサマー

2013-01-31 | 外国映画(か行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/マーク・ウェブ
(DVDにて鑑賞)

「失恋男のヨタ話」


サマーという名の女の子に恋をして、傷ついて、忘れられなくて、ぐずぐずしている男のヨタ話。
ジョセフ・ゴードン・レビットがかわいいのでそれなりに最後まで楽しく見られました。
でも、どうなんでしょう。恋には男の視点と女の視点があって、
片方が盛り上がっている時にも実はもう片方は冷めてたりして…なんてのはよくあること。
えー、そんな風に思ってたんかい!と後で気づかされるのは、確かに失恋した方からすると傷に塩を塗り込まれるような痛みを感じる。
うんうん、そうだろう、そうだろうよ。
悲しかったね、つらかったね…とぽんぽんと頭を撫でてあげ…たりせんわい!甘えんな。給料もらってんだからちゃんと仕事しろ!
などと、心の中でノリツッコミしながら見られるというのは、それはそれなりにこの映画にノセられているということなのでしょう。

500日という恋愛期間を行ったり来たりする見せ方で、ある時はラブラブだったのに、ある時はケンカ中。
その間に一体何が起きたのだろうとこちらのイメージをかき立てる構成はうまいです。
これだけ小刻みに行ったり来たりすると、話が複雑になりそうですけど、そうはならない。
むしろ、恋愛の「いい時」と「悪い時」がテンポよく織り交ぜられていて、非常にリズミカル。
これでサマーがもうちょっと可愛い女の子だったら良かったんだけど、そこまで入れ込む理由が皆目わからん。
まあそれが恋ってもんですわな。

桐島、部活やめるってよ

2013-01-30 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2012年/日本 監督/吉田大作
(映画館にて鑑賞)


「学校カーストと桐島マクガフィン」


高校生たちの閉塞感を鮮やかな切り口で見せ、かつ映画ファンの心をくすぐる仕掛けにあふれた快作。
昨年度の邦画、ナンバーワンに面白かった。

「バレー部キャプテンの桐島が部活を辞める」その一報に揺れ動くそれぞれの高校生たち。
ここで描かれている彼らの世界は「学校カースト」とも表現されているそうで、
「部活で活躍しているかどうか」
「それは体育系か文化系か」
「異性にモテるか」
という条件の掛け算でそれぞれの階級が割り出される。
バレー部キャプテンで美人の彼女がいる桐島は学校カーストのピラミッドの頂点であり、
神木隆之介演じる映画部の前田はその最下層。冴えない映画ヲタで女子からはほとんどいないものとされているような存在。
映画部員同士のマニアックなやりとりはかなり笑える。

おそらくこれをネタバレしても、全く映画の面白さは変わらないだろうから書いてしまうのだが、
桐島は冒頭からいつまでもたっても出てこない。桐島はいわゆるマクガフィンだ。
そして、桐島をとりまく生徒たちの反応がそれぞれの視点から、繰り返し金曜日の朝から描かれてゆく。
このそれぞれの視点からという手法は原作通りではあるけれど、映画では桐島の不在がより強烈に浮かび上がっている。
「アウトレイジ」でアイツが死ねばコイツが出てくるといった人間模様が次々と玉突きのように動き始めるのと同様、
桐島の不在が生徒同士の立場を微妙に変化させてゆく。その語り口が非常に巧い。
また原作小説が比較的淡々と彼らの心情をなぞっているのに対して、映画は生徒たちの心のざわつきをとても丁寧に掬い取っている。
不安に駆られる生徒たちの様子はまるで4本足の椅子の1本がもげてしまったようで、ふらふらと安定感を失っている。
ある種諦めにも似た感情で自分の身を置いてきた階級制度がピラミッドの頂点を失ってしまったことにより、バランスを失ったからだ。
大人の目から見れば、部活くらいで、彼女がいるかいないかくらいで、と思える事柄も学校という閉じた世界にいる彼らは
それらの「スペック」が全てであり、一度己に貼り付けられた階級は二度と変えることができないと思っている。
ところがラストに向けて、決して向き合うことのない上級カーストと下級カーストがある出来事によって邂逅する。


(以下、ネタバレ)



ゾンビ映画撮影中に全ての階級の生徒達が入り乱れて乱闘となるシーンのカタルシス。
そして、その後ビデオカメラの蓋が引き合わせるふたりの生徒。
このラストシークエンスには、映画への愛がいっぱいで胸を打たれた。
このところの邦画ではやたらとゾンビ映画がモチーフとして使われているのだが、
これはただの偶然ではないように強く感じる。
自分たちの作りたいものを、自分たちの手で作る。そんな映画作りの原点回帰にも似たメッセージが
「ゾンビ映画」というシンボルとして繰り返し現れている。そういう気がしてならない。




へルタースケルター

2013-01-29 | 日本映画(は行)
★★ 2012年/日本 監督/蜷川実花
(映画館にて鑑賞)



「何故の慟哭」



何もなかった80年代。
そう揶揄された時代にそれなりに思いを抱え、悩み、生きてきた。
そんな時にきら星のごとく現れた岡崎京子という作家。彼女は、80年代から90年代にかけてサブカルの寵児だった。
「PINK」でズギュンと打たれて、「リバーズ・エッジ」でえぐられ、「へルター・スケルター」で全部持って行かれた。
「へルター・スケルター」の最終回が発行されまもなく事故に遭い、その後彼女の漫画を読むことはできなくなった。
岡崎京子は「へルター・スケルター」と共に伝説になった。

原作を読んでいる方はおわかりだろうけど、岡崎漫画はデヴィッド・リンチの影響を色濃く受けている。
現実と妄想の境目にあるカーテンのある部屋で優雅にソファに座り、りりこを迎える麻田検事。
彼は、もちろんカイル・マクラクランが演じるクーパー刑事。むろんそのカーテンの色は赤だろうとつい脳が補完してしまう。
発刊当時からこの作品をリンチが映画化してくれないだろうかと何度願ったことか。
本気でリンチに手紙を書こうと思ったこともあったくらいだ。
それがよりによって、蜷川実花とは。
廣木隆一だったらいいのに。園子温だったらいいのに。吉田大八だったらいいのに。中島哲也だったらいいのに。
いくらでも、この世界観をわかってくれる監督はいるじゃないか。なのに、なぜ。

どうしたらここまで、というほどのろまな演出とガヤガヤとうるさいだけの極彩色の映像。
全てのシーンが1本調子で現実と虚像の境目にある亀裂など微塵も感じさせない。
「演出はとろいのに、映像はうるさい」という見事なちぐはぐっぷりだ。
そして、おそらく出資してくれる出版社や今後の写真集との兼ね合いだろう。
延々と続くスタジオでの撮影シーンにうんざりする。127分という上映時間がどれほど長く感じたことか。
そして、この映画はまるで死の匂いがしない。
全身美容整形の「りりこ」が滅びる様は、頂点を迎えた究極の美が方向転換をしてひたすら死に向かうカウントダウンなのだ。
しかし、映像はいつまでも極彩色にこだわり、その裏に隠された真っ黒なものを見せようとはしない。
全身美容整形の女の子が己の体の保持ができなくなり、ただ狂っていくだけだ。
原作漫画ではたびたび無音の高層ビルや工事現場の絵がインサートされ、滅びゆく美を呑み込む都市を浮かび上がらせるのに。
壮絶なラストシーンの改変もただ残念としかいいようがない。
原作でりりこが会見場に残した「あれ」こそ、「へルター・スケルター」のみならず岡崎京子がほとんどの作品でこだわり続けてきたものだからだ。
「あれ」を見せないラストシーンに至って、やはり蜷川実花は岡崎漫画をわかっていないのだなと了解した。

りりこを演じる沢尻エリカは熱演だ。キャラクター自身本人とかぶるところもあって、復帰作に選んだ理由はわかる。
が、いかんせん演出が1本調子なのがいけない。女の脆さや底知れない怪しさ、逞しさと言ったものが全くあぶり出されていない。
本作を機に本格的に「女優として」再スタートを切れたかというと全くそんなことはなく、
むしろ脱いでくれるのが沢尻エリカしかいなかったからという目でしか見られないのは、ただの脱ぎ損。
それは全て監督の責任だろう。
桃井かおりと寺島しのぶはさすがだと思った。監督に支持されなくても、自力でキャラクターの内面を創り上げている。
水原希子もピッタリのキャスティングだった。

虚しい気持ちでエンディングを迎えていた時、私の隣にいたギャル風の2人連れが「わからん」とつぶやいて去って行った。
そうだ、そうなのだ。岡崎が描き続けてきた虚しい消費社会の姿がこれではないか。
「へルター・スケルター」という作品そのものもまた、大衆によってもみくちゃにされ、消費されたのだ。
この皮肉な結果こそ、世紀の怪作「へルター・スケルター」が身をもって示したかということなのだろうか。
これもまた真なりと、私は受け入れられるか。
否。
やはり無理だ。そんなに器の大きいファンじゃない。
「へルター・スケルター」を現代に引きずり出して、晒し者にして、ズタズタにされたという怒りにも似た気持ちに抗えない。
なぜ、蜷川実花だったのかと無意味な叫びを繰り返すしかないのだった。


恋の罪

2013-01-28 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2012年/日本 監督/園子温 
(DVDにて鑑賞)


「彷徨う体を取り戻す」



寝た男から必ず金を取れ。500円でも1000円でもいい。
しかし、下手に20000円、30000円と釣り上げて、体を売ることに相対的な価値観を持ち込むな。
正確なセリフは忘れましたが、激しい交わりの中、鬼の形相で叫ぶ美津子の言葉が突き刺さり、
頭の奥がズキズキするような感覚に襲われます。

私の体は一体誰のものか?

私の体にはどんな価値があるのか?それは、誰が決めるのか。

そうした問いに悩まされる女性は少なくないと、私は思う。だって、世界最古の職業は売春婦と言われるくらいだもの。
時折、「自分の体」が分離して、ひとつの物体として存在し、それを遠くで眺めている自分がいる。
そんな感覚に襲われることがある。
だから、その不安に押しつぶされる前に「とりあえず」金を取るんである。
例えば、一回1000円。料金に変動はなし。
自分が決めた金額だから、それは相対的な価値ではなく、絶対的な価値。
(そうなると価値を「貨幣」で取り扱うことがどうなのかってハナシになるわけだけど、泥沼に入りそうなのでやめる。
お金はわかりやすいです。それは、ひとつの真理ではあります)

他人に決められたんじゃない、自分で自分の体の価値を決めたんだ。そう思うと、自信がみなぎる。
男に抱かれた後、素っ裸のいずみが鏡の前で恥ずかしがっていたウインナーの実演販売を堂々と行う。
巨乳をゆさゆさとさせて、ウインナーどうですかぁ!と大声を張り上る様子につい笑ってしまうが、
(裸にウインナー実演という組み合わせがいかにも園監督らしい)
大なり小なり、女ってこんな行動に走りやしないだろうか。
宙ぶらりんだった体の置き所ができると、途端に気持ちに余裕ができる。

やはり気になるのは「城」という言葉だろう。
いきなりセリフで「カフカの城」なんて言うもんだから、興ざめしたり、表層的な物語に見えてしまうのは確か。
「城」の入り口を探すとは女たちの心をしっかりとしまってくれる入れ物、つまり「体」の在りかを探すということだろうか。
しかし、女たちの堕ちる様を見ていると、「城」を求めて堕ちるのではなく、
全ての女は堕落の欲望をいつも抱えているゆえに、いったん城探しを始めると、ひたすら堕ちてゆくしかないように見える。
体の在りかを探せば探すほど、堕ちてゆく快楽に抗えなくなる。

カフカの「城」において測量士Kがぐるぐると城の周りを回り続けるのも虚しいが、
どんどん底に堕ちてゆくしかない女はもっと悲惨だ。体の在りかを探し持ち始めたら、もうおしまいってことか。
それほど、堕ちる快楽も根深い。
だから、こんな女性たちの気持ちがわからない、と言う方はとても幸福な方だと思う。嫌みでも何でもなく。
私だって、いつ城探しを始めるかわからない。それは恐怖だ。
「女という病」を書いた中村うさぎ氏はこの映画をどう思うだろうか。

女優たちはみな大熱演。ぺったんこの胸の富樫真の振り切れ具合は怖すぎる。でも、何度か爆笑。
予想以上に水野美紀が良かったな。空っぽでさまよっている女、アンバランスな危うさを見せていた。

SHAME -シェイム-

2013-01-27 | 外国映画(さ行)
★★★ 2011年/イギリス 監督/スティーブ・マックイーン 
(映画館にて鑑賞)


「わかるよ、わかるんだけどさ」

ややネタバレです。


とにかくマイケル・ファスベンダーありきの作品。
仕事の合間でも自慰にふけり、会社のPCのHDDもポルノビデオでいっぱい。
普通に考えりゃ、ド変態のキモ男ですけど、彼が演じると深みが出るっていうのが凄い。

ほんの少しでも時間が空いたら、の中毒っぷりは、ドラッグジャンキーと同じ。
依存症なんてものを超えてる。
しかし、ここまで病んでしまった理由は何なのか、というのは最後まで明示されない。
それが私には不満だった。
もちろん、原因が妹にあるってのは、わかるよ。
妹しか愛せないんでしょ?
わかるけどさあ、もう少し話してくれてもいいんじゃないかなあと思うワケ。

「誰も愛することができない」
これは、人間にとっては最大級につらいことだよね。
だから、ブランドンはあんな人間になってしまった。
そのヒリヒリするような痛みと孤独を描くことに監督は終始している。
潔いと言えば潔い。そのポリシーはよおくわかった。
その上でだねえ、思うわけですよ。
ブランドンがあんな風になってしまった理由をもう少し見せて欲しいと。

よく観客に委ねる映画なんて形容されるけれども、
委ねられた観客っていうのは、それまでの成り行きを自分なりに消化して、きっとこうなるだろうと予測する。
でもこの映画はその予測をさせる情報があまりに少ない。
この先、ブランドンとシシーはこうなるんだろうと、
映画を見終わった後に友人同士で語り合うこともできない。
ここまでの痛みを見せつけておいて、それでいいのかなあと思うんである。



るろうに剣心

2013-01-26 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2012年/日本 監督/大友啓史
(映画館にて鑑賞)


「佐藤健の色気と狂気にノックダウン」



「とりあえず主人公がカッコよくスクリーンに収まっていれば、それでいいじゃないか。」
と、そこまで言い切れる作品は案外少ない。
しかし、この「るろうに剣心」は久々にそう言い切れる会心の出来映えでした。
香川照之邦画に出過ぎ。とか、
音楽はまんま龍馬伝やがな。とか、
須藤元気の役に意味あんのか。とか、
余計なツッコミがその都度浮かんでくるのだが
佐藤健の美しい立ち居振る舞いと流麗な剣さばきがこれらのくだらないツッコミをきれいサッパリ吹き飛ばしてくれる。
とにかく殺陣のシーンがカッコ良くて、爽快。今まで見たことないチャンバラエンタメ。

大人になって、時代劇なんてダサいという考えに囚われていた私だが、
よくよく考えると子どもの頃は「遠山の金さん」やら「必殺仕事人」やら、よく見ていたものです。
中でも一番好きだったのは、 “死して屍拾う者なし”のナレーションが印象的な「大江戸捜査網」。
つまり子どもの頃から慣れ親しんだ時代劇のチャンバラシーンとは、
一種のファンタジーであるということは日本人なら誰もがそのDNAに刻み込まれているはず。
もともとファンタジーであったものが、CGの技術によりさらにパワーアップしてよりファンタジックに見えたとて、
何の違和感がありましょう。むしろ、これが現代のチャンバラなのだという嬉しい驚きばかりが胸に込み上げるのでした。

アクション監督はドニー・イェンともタッグを組み香港でも活躍する谷垣健治。
主演に佐藤健、アクション監督に谷垣健治。
このふたりが決まった段階でこの映画の成功はほぼ間違いなかったと言えるような気がします。
見せ場のひとつである「ナナメ走り」には素直に驚愕いたしました。

佐藤健は身のこなしが本当に美しく、これだけの殺陣をできる若手俳優は他に思いつきません。
もちろん、私も「龍馬伝」の以蔵にハマったひとり。
あちらで免疫付いている観客が多かっただろうに、その期待を超える演技。
ほんとにキレッキレなんですよね。痺れます。
そして、色気がある。これ大事。色気と狂気が共存する俳優、久しぶりだなあ。
いやあますますファンが増えそうだ。
(私生活でもかなりのジゴロらしいですが。笑)
ネタバレになるので詳しく書きませんが、最後の対決で見せる人斬りの本性には、背筋がぞくぞくーっとしてしまいました。

敢えて言うなら、殺陣シーンのカット割りが多くてごちゃごちゃして見えたのが残念かな。
そしてカメラワーク。あのアクロバティックな殺陣シーンをカメラワークでもっと臨場感あふれる映像にすることができたように思う。
でもまあ、いいよ。
佐藤剣心がとにかくカッコ良くスクリーンに収まっているんだから。


キャリー

2013-01-25 | 外国映画(か行)
★★★★ 1976年/アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ
(DVDにて鑑賞)


「シシー・スペイセイクの七変化」

久しぶりの再見。
いやあ、のっけの更衣室&シャワーシーンからデ・パルマ節炸裂でかなり笑える。
更衣室で着替える裸の女子高生をスローモーションでとらえ、
そこに安いムーディーなBGMがのっかっているという。
この三文ポルノみたいな演出がまさにB級の味わいと申しましょうか。

キャリーの母親は狂信的なキリスト教信者で初潮を迎えたキャリーを汚らしい!と蔑み、
その後も、あれやこれやと娘に罵詈雑言の嵐。
同級生からもバカにされ、孤立するキャリー。

シシー・スペイセイクはこの17歳のいじめられっ子を当時26歳で演じていたというのは驚き。
常にびくびくと下を向いていた彼女がプロムで見せる美しさは本当に可憐だし、
その後豚の血を浴びるというショッキングが出来事から大惨事を引き起こす様子の激変ぶりも見事だ。
血まみれになって、目を剥きだしたあの表情!

キャリーが念動力を使うところの音楽は完全に「サイコ」なんだけど、あれはまんま流用なんだろうか?
デ・パルマがヒッチコックの影響を強く受けていることを再確認。
というか、「殺しのドレス」はヒッチコックへのオマージュだしね。
最近見たアルモドバルの「私の生きる肌」も非常にヒッチコックっぽかったし、
今更ながら彼の偉大さを感じるのです。

僕達急行 A列車で行こう

2013-01-24 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2011年/日本 監督/森田芳光
(DVDにて観賞)


「ハンケチ落とし祭って何だよ?!(笑)」


森田監督の遺作になってしまったわけですが、とても好きですね、この感じ。
テンポはいいし。笑いどころもきっちり押さえてるし。オタクネタなのに、全然嫌みがない。
これが流行の漫画とかベストセラーの映画化ではなくて、
オリジナル脚本ということがすばらしい。
日本の映画界は非常に惜しい才能を失ったと思う。

森田芳光監督って、作品の出来映えの差が激しいと言われているけど、
(私もそう思う)
それは元々彼がマルチな話題に取り組める監督だからだったからじゃないだろうか。
いろんな題材にチャレンジして、巨匠然とせず、普通の人が普通に楽しめる映画作りを貫いてきたと思う。
そんな監督って、今見渡すと例えば堤幸彦監督とかになるのかな。
うーん、何か違う気がする。。。悲しいね。

本作は鉄ヲタを演じる瑛大と松山ケンイチのふたりの若手俳優が
のびのび演技しているのも見どころのひとつ。
私はタモリ倶楽部をよく見るんですけど、中でも鉄道特集が好き。
鉄道には全く詳しくないんだけど、
何が面白いかというと大好きな趣味について必死に語っている人を見ているのが楽しい。
鉄道に限らず好きなものが、実利から離れていればいるほど、
人間のフェチな部分がクローズアップされて、こういう細部を愛でる人間のおかしみが際立つ。
そうした変だけど愛おしい鉄オタの挙動に森田監督は結構ベタな効果音を乗せたりとか、
行きつけのキャバレーでホステスたちが客と戯れる「ハンケチ落とし祭」とか、
何だか人を食ったようなふざけたディテールが積み重ねられていて、森田監督らしいなと思う。

後半の展開はかなりご都合主義で、それをありきたり、思った通りでつまらない、
と言う人もいるだろう。でも、そのご都合的なノリも含めて、誰もが楽しめる一作、
しかもそれが遺作というところに感慨を覚えるのだ。


ラスト3デイズ ~すべて彼女のために~

2013-01-23 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★ 2008年/フランス 監督/フレッド・カヴァイエ
(DVDにて鑑賞)


「すべて彼女のために」


原題は「POUR ELLE」で「すべて彼女のために」。
で、邦題には「ラスト3デイズ」というサスペンス気分を盛り上げるためのタイトルが無理矢理くっつけられているわけですが、
まさにすべて彼女のために行動する夫、ジュリアンにどこまで入れ込めるかが本作の見どころじゃないでしょうか。
冤罪で有罪判決を受けた妻。
その冤罪の行方が二転三転するわけでもなし、真犯人の影がちらつくワケでもなし。
ひたすら妻を脱獄させるためにせっせとがんばる男が描かれていくのです。
もう少しストーリーにひねりがあればいいのにねえ。

まじめで普通の男ゆえに、脱獄計画もしごくまっとうです。
資金、銃、旅券、と一つ一つの仕事を一歩一歩こなしていく。
偽造パスポートが欲しくて、ワルのたまり場でうろついたらフルボッコされちゃったりして。
素人が脱獄を考えることこういう風になっちゃうんだろうなあというリアリティはあると思う。
その分、アクションも展開にもスペクタクル感は全然ない。非常に地味な作品です。

妻を演じているのが、ダイアン・クルーガーで本作ではもちろんフランス語。
この人は本当に多国籍俳優だなあ。

アベンジャーズ

2013-01-22 | 外国映画(あ行)
★★☆ 2012年/アメリカ 監督/ジョス・ウェドン
(映画館にて鑑賞)


「さよなら、アメコミムービー」


ひたすら爆発の繰り返しで退屈でした。
ドカンドカンとサウンドは大音響なのに眠くて仕方のないこと。
どうやらアメコミムービーとお別れする時が来たのかも知れません。
ヒーローたちが一同に集結!って言われても、「それが何か?」と思ってしまうオバハンですから。

思えば、この手の映画を見始めたのは、映画好きなれど仕事と子育てに追われてロクに自分の時間が持てない中、
なんとか「映画館に行く」という行為を生み出したいがゆえでした。
「息子が見たい映画を見に行く」それが外出の口実として、もっとも夫の認証を得やすかったのです。
その息子も来春は高校生。もうオカンとふたりで映画を見ることなど、なくなるでしょう。
そんな中見たこの作品、「アイアンマン」しか見ていないというハンデもさることながら、とにかく楽しめない。
メンバーのキャラが強すぎてまとまりのないチームを
「キャプテン」と名が付くだけでとくにリーダーシップも発揮してないキャプテンアメリカが仕切るという展開。
宇宙からやってきたのにムカデみたいなフォルムの侵略者。なにゆえ、そのカタチ?
結局はハルクひとりで何とかなるんじゃないの、というトホホなアクション。
スカヨハのむっちむちのお尻だけが見どころでした。

新しいスパイダーマンもイマイチだったし、そろそろマーベルムービーは卒業かな。
そう思わせられるのは、「ダークナイト」が見事に完結してしまったことも一因かも。

テルマエ・ロマエ

2013-01-21 | 日本映画(た行)
★★☆ 2012年/日本 監督/武内英樹
(DVDにて鑑賞)

「いつものフジテレビクオリティ」

漫画は大好きなんだけどね。
がんばってイタリアでロケしているんだけど、やっぱりこれは映画じゃない、と。
そう言うしかないよね。
豪華なスペシャルドラマです、以上。という感じかなあ。

しかも、監督が「のだめカンタービレ」の人じゃないかあ。
もう、まんま延長線じゃん。
だいたい、イタリアが舞台なのに、みんな日本語って世界観が入り込めない。
漫画ならアリなんだけど。これ、のだめの感想と全く同じ。

どのシーンがつまらないとか、脚本が盛り上がらないとか、
そういうこといちいち上げる前に映画になってないから。
だから、映画としての感想を書きようがない。それしか言えない。つまらんなあ。

007/慰めの報酬

2013-01-20 | 外国映画(さ行)
★★★☆ 2008年/イギリス・アメリカ 監督/マーク・フォースター
(地上波テレビにて鑑賞)



「華のあるなし」

スカイフォールを見る前にレンタルしようと思っていたらテレビでやっていたので鑑賞。
前週の「カジノロワイヤル」から続けて見たが、いやあ、ヴェスパーネタ、引っ張るねえ。そんなに惚れてたか?
私はボーンシリーズを見ていないのだけど(アクション監督が同じ人らしい)
体の痛みをモロに感じさせる追跡劇やとっくみあいのケンカはなかなかリアルで面白いと思う。
しかし、カット割りが多すぎて何が何やらわからないシーンも多数。

しかもこのパート2は誰と誰が裏でどうつながっているのかという陰謀の内容そのものが複雑。
ポール・ハギス、こりゃあちょっと練り過ぎだろ?
前作から続けて見たからいいものの、前作見てない人や内容忘れてしまった人は話を追うのが大変。

007に特に思い入れのない私としては、007イコール、セクシーなボンドガールというイメージがあるんだけど、
「カジノロワイヤル」のエヴァ・グリーンといい、今作のオルガ・キュリレンコといいなんか地味。
ダニエル・クレイグが地味で骨太(これはこれで、女性ファンに支持される理由)なんだから、
ボンドガールはもっと華やかにしてもいいのではないのか。
昨今なかなかボンドガール的なお色気路線で脚光を浴びたがるハリウッド女優もいないのかも知れないけど、
例えば、スカーレット・ヨハンソンとか、シャーリーズ・セロンではダメなの?
やっぱ、ボンドガールは登場した時に「キターーーー!」というオーラがが欲しい。
スクリーンに映っても、えっ?この人がボンドガール?と誰かに聞いてしまうような立ち位置ではつまらんなあ。

ただ、世界中を駆け巡るロケ地の美しさはさすが。
イタリア・シエナで行われる裸馬のレースも迫力満点で、1本映画を見ると世界一周したような気分になれる。
この点はとっても満足。