Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

西の魔女が死んだ

2011-04-26 | 日本映画(な行)
★★★★ 2008年/日本 監督/長崎俊一

「少女と穢れ」

自分自身が田舎暮らしをしていることもあって、ロハスな暮らしで癒されま~すってノリは受け入れがたいものがあるんだよね。で、この作品もその手の映画のひとつかと思ってて敬遠してたんだけど、大森クンが出ているので鑑賞。

原作はもっと奥深いものがあるのかもしんないんだけど、木村祐二演じるがさつなオッサンの存在に尽きるよね。これがなければ、ホントどってことない癒し映画だったわけで。自分なりの暮らし方に土足で入り込んでくるような人ってのは、どこにいてもいるんだ。少女にとっての祖母及びこの家は聖域なんだけど、あのオジサンはその聖域を侵す穢れた存在。ほんとは、そことどう折り合いを付けるのかってところをもっと踏み込んで欲しかった。私は彼は実は祖母の暮らしを影で支える重要な役目を負っていて、少女は祖母の死後そのことを知るってな展開になるかと思ったんだけどなあ。

というのもね、薪を運んでいるシーンがあったんだ。薪を薪棚に運ぶ作業も管理する作業もとっても重労働なんだよ。しかも、4分割の細めの薪、あれは斧で細かく割らないとできない。老女が薪割りするの?いやいやそれをやってるのが木村祐二だ、わたしは踏んでたんだけどね。

小さな庭も畑もやっているので、あのワイルドベリーの収穫は笑った。ワイルドベリーってね、うちの庭でもできるけど直径1センチも満たない実なの。それをバケツ3杯分どっさり!そんな量ありえないし、1日で収穫できないし!とか。まあ、ガーデンに関しては突っ込みまくりだったなあ。こんな暮らしステキ!と思っている方には申し訳ないんだけど。で、それもこれも、魔女の魔法ってオチ?と思ってエンディングを予想したんだけど、違ってた。

とまあ、もろもろ消化不良な部分もあるけど、総じて楽しめたのは、サチ・パーカーの魅力かな。物静かで優しくて。どこか達観したようなところはあるんだけど、それも人間的な魅力に繋がっている。子役の女の子も至ってフツーな感じなのが良かったよね。少女のひと夏の体験物語としては、そのほろ苦さが際立っていて良かったと思う。

シックス・センス

2011-04-25 | 外国映画(さ行)
★★★★ 1999年/アメリカ 監督/ナイト・シャラマン

「孤独な魂を持つ者同士」

3回目の観賞だけど、やっぱり面白い。初見の時は、このどんでん返しにスッカリ騙されて仰天している間に終了。二度目の観賞は、ああなるほど見返してみると、いろいろ辻褄が合うなあと。で、3度目以降では、シャラマンの緻密な演出とストーリーテラーとしての巧さのおかげで少年と医師の出会いと別れの物語が浮かび上がる。

幽霊が見えてしまう少年コールと、少年を助けたい医師マルコム。ふたりともに、周囲に理解者がおらず、孤独だ。その寂しさがこちらに伝わり、恐ろしい話なのに、とても切ない。「シックス・センス」というタイトルは、そのインパクトの大きさからも実に巧いタイトルだと思う。心霊とか、ホラーと言った誰でも食い付きやすいキャッチーな魅力を持っている。でも、こうして何度も見るとこのタイトルは本作の本質を表しているのか、という疑問も湧いてしまう。それほどに、傷ついた心を持つふたりの物語が観客を惹きつける。もちろん、この部分が秀逸だからこそ、本作はただのどんでん返しがウリではない秀作になっているんだろう。

幽霊が登場するシーンも恐怖からの驚きもあるわけだけど、幽霊が出てくること=コール少年の苦悩という図式にすっかり観客もはまっているだけに、幽霊が現れる度に見ているこちらもつらくなってしまう。その苦悩をひしひしと観客に伝えるハーレイ・オスメントの抑えた演技力がすばらしいんでしょう。子供なのに抑えた演技ってのがね。また、個人的にはドンパチやってるよりもこういう静かな演技のブルース・ウィルスが好きだな。


青春の蹉跌

2011-04-24 | 日本映画(さ行)
★★★☆ 1974年/日本 監督/神代辰巳

「エンヤートット、エンヤートット」

アメフト部のスター選手の賢一郎(萩原健一)は、かつて学生運動に身を投じたこともあったが今では法学部学生としてエリートの階段を着実に昇りつつあった。名家の令嬢(檀ふみ)との婚約も控え、社会的地位と財産をも手中にしていたが、家庭教師先で知り合った教え子(桃井かおり)と遊びの関係を持ち、彼女が妊娠してしまう…


本作についての批評や感想を読んでいると、ショーケンが(頭の中で)唄っている「エンヤートット、エンヤートット」というフレーズがみんな印象的みたいで、私もこの歌声が映画を見終わってからも頭から離れなかった。「バイブレータ」で頭の中の声に悩まされるのは独身ライター女性だったけど、この頃は若い男たちなんだよね。時代を感じる。自分の中に渦巻く焦燥感やいらだちが、この意味のないエンヤートットというリフレインで実に巧く表現されている。このアイデアはショーケンだった、って話をどっかで聞いたけど。

いいとこのお嬢さんと結婚するために、妊娠しちゃった遊び相手を捨てると言う、ストーリーとしては、本当にありきたりで陳腐なんだけどね。やっぱ、神代監督だけに男と女の切っても切れない関係性をじっとり描いていて引き込まれる。それにしても、ショーケンの演技がすっごいヘタでビックリ(笑)。まあ、演技力よりも存在感が大事ってことかな。

今や皇后様を演じる桃井かおりだけど、若い頃は不器用でバカな女をやらされたら、この人の右に出る者ナシだね。まるで、雨の日に捨てられた子猫のよう。助けてあげないと生きていけないけど、不要になればいつでもうち捨てられるような、そんな薄幸さがにじみ出ていた。




シャンドライの恋

2011-04-23 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 1998年/イタリア 監督/ベルナルド・ベルトリッチ

「愛する女がいちばん欲しいものを知っているか」

アフリカ人のシャンドライ(サンディ・ニュートン)は投獄された夫の身を案じながらも、イタリアで掃除の使用人をしながら医学の勉強をしていた。家主のイギリス人音楽家キンスキー(デヴィッド・シューリス)は無口でピアノだけを友とする男。2人はローマの中心街にある古い屋敷に住んでいた。クラッシックをこよなく愛するキンスキーと生まれ故郷のアフリカン・ミュージックを愛するシャンドライ。始めは言葉も交わすことがなかった2人だったが、キンスキーは彼女に好意を抱き、プレゼントを贈るようになる…

黒人の家政婦を演じるサンディ・ニュートンが非常に魅力的。様々なしらがみや壁を乗り越えさせてしまうほどに。ふたりの立場は、白人と黒人、ピアニストと家政婦、富める者と貧しい者といった具合に一次が万事対称的でありながら、その愛のカタチはピアニストが一方的に献身的に尽くすのである。全てにおいて立場が上の者が、恋愛においては、圧倒的に下であり続ける。でも、恋愛ってそういうもの。

好きになった女性の夫を助けるために全てを捨てるピアニスト。見ようによっては、ただの自己満足にも映りかねないんだけどね。これは、本当に見る人によって捉え方の違うところでね。私は、相手と心が通い、愛の言葉を交わし、肉体を触れあわすことだけが愛の形ではないって思う。キンスキーの愛し方を私は全肯定する。

ケイト・ウィンスレット主演の「愛をよむひと」では男の愛を自己満足と感じた私。でも、このキンスキーはそうじゃない。その違いって何なんだろうって、考えてみたんだけど、「女が欲しいものを知っているかどうか」ってことじゃないかな。そう考える私は超自己中オンナなわけだけど、でもオンナってみんなそうなんじゃない?「夫を助けてほしい」というその一点のために全てを捧げる男を愛しく思わないオンナはいないよね。ベルトルッチの美しい映像もあって、静かな愛の形に酔いしれました。

ロシュフォールの恋人たち

2011-04-19 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 1966年/フランス 監督/ジャック・ドゥミ

「恋してるときに見るべき映画」

「シェルブール」よりは、こっちが好きかな。カラフルな色彩の妙は、文句の付けようがないんだけど、音楽もすばらしくて。この音楽はこの映画からだったんだ!という名曲がたくさん並んでいる。

それにしても、全編恋のウキウキモード全開で、ちょっと引いてしまうところもあるよね。恋しましょ♪、恋しましょ♪の連続でさ。我が家のリビングで見るよりも、閉ざされた空間で恋に浮かれた面々を眺めた方がいい。そして、恋している時に見るべき映画。

だって、みんながみんな、浮かれポンチで踊り出しちゃうんだもーん。恋なんてものとは、すっかりかけ離れてるもんで、ちょっと醒めた目で見てしまう。

それにしても、ドヌーブの美しさには、心からウットリ。

ツーリスト

2011-04-19 | 外国映画(た行)
★★★ 2010年/アメリカ 監督/フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

「見どころのない映画」

<TOHOシネマズ梅田にて観賞>

ジョニデ好きでも、さすがにこの作品は面白いとは言えませんねー。いやあ、何ともつらい仕上がり。

ダメなところ①
ジョニデはマヌケでとんまな平凡な男、という風に見えないと行けないわけですね。後半の展開上。確かにいつもよりは腑抜けな感じですが、そもそもジョニデ自身のスター性を観客自身わかっているわけで、とてもそんな風に見れない。かつ、そういう演出ができていない。よって、オチが全く際立ってこない。

ダメなところ②
アンジーのアクションシーンがなくて、つまらない。謎の美女っぷりは、そこそこ伝わるのだけど、せっかくいろんな敵から狙われているんだから、もうちょっとアクションシーンを入れて、メリハリだして欲しかったなあ。

ダメなところ③
ベニスの街が美しく撮れていない。物語がダメなら、せめて観光映画として目を楽しませて欲しいところだが、それも叶わず。

とまあ、ダメダメづくしになっちゃいました。ジョニデがパジャマ姿で屋根上を逃げ回る姿は、もはやスパロウ船長にしか見えなかった。この監督は「善き人のためのソナタ」の人なんだけど、いきなりアクションは難しかったみたいだね。

コヨーテ・アグリー

2011-04-10 | 外国映画(か行)
★★★☆2000年/アメリカ 監督/デヴィッド・マクナリー

「バーのシーンが最高」

ソングライターを夢見てニューヨークで一人暮らしをするヴァイオレットは、生活資金を稼ぐためにクラブ・バー“コヨーテ・アグリー”で働くことにした。そこでは、弁護士や女優を目指している女性バーテンダーたちが、カウンターの上でセクシーでエキサイティングなダンス・パフォーマンスを繰り広げていた……。

ジェリー・ブラッカイマー製作なんだけど、彼「「フラッシュ・ダンス」も手がけてたんだ。知らなかった。ジェリー・ブラッカイマーと言えば、完全にパイレーツ・オブ・カリビアンのイメージなんだけどねー。

この作品は主人公がバイトするバー「コヨーテ・アグリー」でのイケイケダンスシーンがとっても良くて、それだけを見る映画かな。アガリ症のソングライター志望の女の子が成功するまでのストーリーは、ホントどうでもいいくらいつまんない。まあ、定番パターンだから、ストーリーなんかどうでもいいのかな。

この話のつまらなさをすっかり帳消しにしてくれるのが、バーカウンターの上で繰り広げられるナイスバディな姉ちゃんたちのダンス。プロだね。重いジンのボトルを両手でグルグル回したりしてさ。カッコイイの。客もノリノリでハメを外しまくって、大騒ぎ。予告編なんかで見た時は、例えばポールダンスしているお姉ちゃんがいるような男に性的興奮を与えるためのバーかと思ったんだけど、違うんだよね。そこがとても気に入った。会社帰りのOLがブラジャー外して、ブンブン振り回したりするんだよ。女子がこれだけハメを外せるようなところって、日本じゃゲイバーくらいしかないでしょうよ。アメリカのこういうところは好きだなー。で、踊っている女の子たちには決して触っちゃいけない、とか、客とは付き合っちゃいけない、とかその辺のルールはちゃんとしてるワケ。こんなバー、日本にあったら絶対行くんだけどなあ。

冷たい熱帯魚

2011-04-08 | 日本映画(た行)
★★★★☆ 2011年/日本 監督/園子温

<梅田シネ・リーブルにて観賞>

「隣りにいる魔物」

あんまり凄すぎて、何から書いていいか、わかんない。

まあ、まず村田を演じる主演のでんでん、だね。高笑いしながら、どんどん殺して、どんどん切り刻んでいく。その桁外れの狂いっぷりに圧倒された。しかも、彼の言動が笑いを誘う。恐怖と笑いは裏表って言うけど、まさにそう。死体を始末するシーンで「吉田くーん、好きだったよぉー!」って骨に向かって叫びながら、燃えさかるドラム缶に放り込むシーンは爆笑だったな。と、同時に私は一体何を見ているんだろう?って、わからなくなった。

何より印象に残ったのが「ボディを透明にする」ってセリフ。園監督はよくこんなおかしなセリフを思いついたもんだよ、と感心していたら、これ、本当に犯人が言った言葉だった。映画を観賞後、「愛犬家殺人事件」について調べてたら、そうだった。わかった瞬間、背筋が凍ったよ。常人には思いもつかない、この奇妙なセリフ、でんでんの口からするりと自然に出ているのが怖かった。

村田の饒舌さにどんどん取りこまれていく社本。モンスターに睨まれた飼い犬になり、言われる通りに動くしかなくなっていく。人間って誰しも、他人の主張を正面から否定することのできない、弱い生き物なんだよ。堂々とした人間を目の前にしたら、そうかも知れないと思い始める。村田のまくしたてるおしゃべりは、さながら宗教のカリスマの演説のようで、従うしか道はないように錯覚してしまう。さらに恐ろしいのは、我々観客が村田や妻愛子の迷いのないハジけっぷりに清々しさを感じてしまうことだ。

「事実は起承転結の結がつまらないから、映画は変えた」と園監督が言っていたので、どんなエンディングが待ち受けているのかと思ったら、これまた強烈なエンド。救いも何もないんだけど、何を伝えたい、とか、そういうレベルを超えた映画だね。

話は全然変わるけど、こういう作品を見ると、映画の善し悪しを語ることって、とても多面的なことだなあと思わされる。いい映画だけど、つまらない。ダメな映画だけど、面白い。そういう相反した感情を引き起こすのが映画のおもしろさだ。

この作品の場合、「凄い」って言葉があふれるんだけど、じゃあ凄いからいいのかって言うと、そんなことはない。実際、本作に関しても、「凄いけどダメな映画だ」って、言う人もいるわけで、その人が基準としている「ダメ」って一体何を指してるんだろう?って、ところに興味がいったりするわけ。私は単純だから、インパクトがでかいとそれですぐにズギュンとやられちゃう(笑)。でも、インパクトでかい映画の場合、不快感が生じるってこともあるからね。あざとかったり、ウケ狙いだったりさ、そういう製作者のやったったろう的な意図が見え隠れすると、とたんにつまらなくなる。でも、この作品はすごく単純だよね。ストレートだよ。いっぱい驚かされたし。やっぱ、面白いね、園作品。解体シーンはほとんど目、つぶってたけど(笑)。

ファニー・ゲームUSA

2011-04-07 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2007年/アメリカ/イギリス/フランス/オーストリア/ドイツ 監督/ミヒャエル・ハネケ

「ハネケの静かな怒り」


オリジナルとの違いは何?ということを検証するためにわざわざ見直すのか、と思うと我ながら嫌悪感を持ったりするんだけど、それでもやっぱり見ちゃった。ハネケの術中にまんまと引っかかってしまったわけですけど、相手がハネケだからいいや。

事の顛末を知っているので、初見の時より衝撃度は低い。だけども、これはオリジナルを見ていたから、という理由だけだろうか。演じるのがハリウッドのよく知っている俳優だけに、これは彼らが架空の物語を演じているのだ、という意識が頭の隅っこにあるよう。それに引き替えオリジナルは全く知らない役者さんばかりで、狂気は自分のすぐ身近にあるという物語がリアルに迫った。

何のためにリメイクしたのか、その事実はハネケに聞くしかない。しかし、オリジナルを見た人間が再度リメイク版を見れば、やはり各々が異なった感情や考えを持つ作品に間違いはないだろう。私が再見して感じたのは、ハネケの怒り、だろうか。

リモコンの巻き戻しシーンや観客に話しかける犯人など、初めて見た時は創り手が観客を挑発しているのではないか、という印象を持ちがちだ。しかし、こうして何度も見ていると、そうまでしてもなお、社会や人々の鈍感さを訴えるしかない、そんな静かな怒りが秘められているではないかと感じた。

オリジナルの感想はこちら








のだめカンタービレ 最終楽章 後編

2011-04-05 | 日本映画(な行)
★★★★ 2010年/日本 監督/武内英樹、川村泰祐
「さよなら、のだめちゃん」

前編より楽しめました。それは、のだめがピアノを弾くシーンが多かったからです。何度も言うように、私がこのドラマを好きだったのは上野樹里の演技に魅了されていたからで、とりわけ彼女がピアノを弾くシーンが好きなのです。ピアノの前に立つと、普段のバカっぷりから豹変し、天才の資質とこれでもかと見せつけるのだめ。そのギャップがいいのです。

映画の公開に合わせるかのように原作が終了。その肩透かしなエンディングから察するに、きっとフジテレビは原作とは違う別のエンディングを用意し、その違いを確認させるために観客動員を狙うものと踏んでいました。しかし、蓋を開ければ同じ結末。これはこれで物足りない感じもします。のだめは本当に演奏家として生きていく決心をしたのか、千秋と奏でたあの二重奏では動機付けとしてとても弱いですよね。もうちょっと、ひねりの効いたエンディングにならなかったものか…まあ、ストーリーをとやかく言ってもしょうがありません。

さて、「樹里のだめ」とは、これにておさらば。何だかちょっと寂しい気もします。しかし、上野樹里自身にとっては、のだめのイメージを引きずらないことが俳優としての将来を左右するんでしょう。織田優二がいつまでも青島刑事に引っ張られてしまったことを反面教師にしないとね。とはいえ、大河ドラマはどう見ても「のだめ江」に見えてしまうのですが。

イングロリアス・バスターズ

2011-04-04 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2009年/アメリカ 監督/クエンティン・タランティーノ

「多言語ムービーの時代」


確かに頭の皮を剥ぎ取るなんてシーンは、ぎょえーっと思うんだけども、いつものタランティーノらしい悪ノリ感は控え目。タランティーノ好きのみならず、多くの映画ファンを楽しませるエンタメ作品になっていますね。おもしろかったです。司令部に佇むヒトラーをとらえるショットなんかは、やけに落ち着き払ったカメラで巨匠の風格さえ漂っています。

ヒトラーの話も、ゴッホの話も、何でもかんでも英語で演じさせるハリウッドで、これだけ多国語が行き交う作品は珍しく、タランティーノの心意気を感じますね。そして、まさに外国語のアクセントの違いが思わぬ失敗を招いてしまうように、多言語ムービーであることが映画のストーリーの面白さに直結しているんですよ。巧いなあ。

「TOKYO!」で久しぶりにお目にかかったジュリー・ドレフュス。調べてみると「キル・ビル1」にも出てたんですね。彼女はフランス語・日本語・英語・ドイツ語ができるのでしたっけ?クリストフ・ヴァルツはドイツ語・英語・フランス語に堪能らしいですが、イタリア語もキレイにしゃべってましたねえ。ダニエル・ブリュールも多言語俳優で有名。ドイツ語・スペイン語・英語がペラペラ。ドイツ出身の女優ダイアン・クルーガーはドイツ語・英語かと思いきや、パリに住んでいたらしくフランス語もうまいらしい。

とまあ、日本の俳優が英語がしゃべれます!と胸張ってるのが、恥ずかしくなるよなキャスト陣。先にも言ったように、タランティーノはこのキャストにすることで、新たなアメリカ映画の行き先を探っているような気がしますね。彼が愛して止まない映画館を爆発させてしまうという描写にもそれが表れていると思う。

オタク監督的なポジションにいることは、実はとても楽なことだと思う。だって、わかる人だけわかればいいよって、好きな物だけ撮ってりゃいいんだもんね。でも、この作品でタランティーノは自分なりの娯楽映画、大衆映画を撮ろうとしたんだね。それは見事に成功していると思う。