Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

絶対の愛

2008-04-30 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2006年/韓国 監督/キム・ギドク
「愛は確認できない」

(ラストシーンについて触れています)

冒頭、ハングル文字の真横に英語で原題が出てきます。「TIME」。私は妙にそれが頭に残って見始めたのですが、なるほど今作は愛を様々な「時間」というテーマで切り取っているのですね。私の顔に飽きてしまうのではないかというセヒの畏れは、すなわち、愛とは時間と共に風化してしまう代物なのか、という命題です。2年間付き合った彼女、整形してからマスクが取れるまでは6ヶ月など、時間を示すセリフも幾度となく強調されます。

また、ラストシーンがファーストシーンに繋がっていますが、結局これはセヒがスェヒに会うという顛末で、実際にはありえません。しかし、この連結が示すものは、メビウスの輪のような世界であり、セヒが同じ時をぐるぐると回り続けているように感じさせます。そう考えると、セヒという女性が受けるべき運命は何と過酷なものでしょう。いくら言葉や態度で示されていようと自分は本当に愛されているのか、と言う不安から逃れられない人間は、一生ぐるぐるとメビウスの輪の中を回り続けるしかない。セヒは無限に顔を変え続けるという罰を受けたのでしょうか。整形手術という現代的な事柄を切り口にしていますが、聖書のような話です。汝、愛されていることを確認するなかれ…。

ただ、「恋人として愛され続けること」と「新しい女として彼を誘惑すること」を同時に体験できるなんて、女としてこんな醍醐味はないんじゃないかと思ってしまう自分もいたりするんです。もちろん、そこには大きな矛盾があり、その苦悩もまた、罰であるんですが。まあ、男性であるギドクがこういう発想ができることに驚いてしまいます。

さて、ペミクミ彫刻公園は物語のテーマともぴったり重なり、手のひらの彫刻にふたりが座るショットなど、非常に印象に残る。しかしながら、何度も登場するため、この彫刻たちがもともと持っているテーマ性を少々拝借しすぎなように感じました。まあ、それでも左右の顔写真から成る整形外科のドアや唇がついた青いマスクなど、彫刻のパワーに負けないギドクの演出は実に愉快。教訓めいたお話ですが、こういう人を食ったような見せ方が彼らしい。新作は、オダギリジョー主演。とても楽しみです。

ばかのハコ船

2008-04-29 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2002年/日本 監督/山下敦弘
「軽々と枠を超えていく」


前作「どんてん生活」でどこまで狙ってやってるんだろうと書きましたが、なーんも狙ってないことが本作を観てわかりました(笑)。思いつくままに、映画を撮ってる。そんな感じ。映画を撮らねばならない使命とか、映画で表現しなければならない苦悩とか、そんなもの、ここには微塵もない。こんなに自由に映画が撮れたらさぞかし気持ちがいいんじゃないでしょうか。そして、もし私が映画監督を目指しているような人間だったら、映画というおもちゃで自由に遊んでいるこの奔放さに大きな嫉妬を覚えそう。

恋人同士のふたりが「あかじる」の売り方で大真面目に議論するようなくだらないシーン、特に会話のやりとりで思わず笑ってしまうわけです。例えば、あかじるを売りに行った先でいとこが「うん、あたしにもそんな夢を追いかけた時期があるよ」なんて、大真面目に返したりして。あかじるが夢かよっ!なんてスクリーンにツッコむ。結局これって、延々と続く「ボケ」なんですよね。漫才で言うところの。なので、実は山下作品から松本人志のコントなんかも時折思い浮かべてしまうんです。(「大日本人」はまだ観ていませんが)

ボケ担当であるまっちゃんのコントも「わかるやつだけわかればいい」的奢りが感じられる、なーんて皮肉を言う人もいるけど、作り手にそんな気持ちはさらさらないと私は思うな。山下作品も同様に面白い人と面白くない人がいると思うんだけど、結局それは、作り手が限りなく自由に作っているからだと思う。大多数の人間を笑わせようという意思は全くないのよね。私は例によって、最初から最後までおかしくて、おかしくてしょうがなかった。

また、一方でダサイ人間の描写とか、噛み合わないセリフとか、それだけで成り立っているんじゃない、というのもつくづく痛感させられるのね。それは、構図の面白さとかカメラの位置。本作では、特にカメラの高さが気になったんだけど、視点やトリミングの仕方ひとつで笑いを出せるって言うのは、単なる思いつきだけではない映画人としての才能だと思う。

そもそも映画って「伝えたいメッセージを持つもの」という固定概念があるでしょ。そういう枠を完全に飛び越えちゃってる。全ての表現において、テーマはなし、自由にやれって言われることほど、難しいことはないもん。しかも、この全くもってくだらない物語を終盤しっかり収束させようとしているところがすごい。それは、ふたりがどうなる、という顛末としての収束ではなく、映画としての収束ね。久子の哀しさ、大輔のやるせなさ、と言った情緒的なものをスパイスのように効かせて、見事なオチへと繋げていく。うまいなあ。

2008-04-28 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★★ 2005年/韓国 監督/キム・ギドク
「どんな形でも愛は、愛。」


すばらしかったです。ため息出ました。空に放たれた矢が彼女の「中」に舞い戻るラストシークエンスは息を呑みました。自分勝手な思い込みだけで構築されている老人の愛をいったんは拒否した少女でしたが、最後はその命懸けの熱情に応えるのでした。いくら自由を束縛されようと、それはそれで崇高な愛の形であり、全身全霊でひとりの男に愛されることほど、女に生まれて無上の喜びはなかろうと思わされました。

男の性欲だけを満たさんがために一方的に女を監禁して、いつのまにやら女もその気に、なんて反吐が出そうな映画と、この「弓」という作品の違いは何かと聞かれると、実は論理的にうまく説明できません。結局は作品全体から、それを「愛」だと観客が感じられるかどうか、だと思います。主人公ふたりにはほとんどセリフがなく、目や表情で互いの意思が表現されます。抑えた演出なんてベタな表現が恥ずかしくなるほど、ふたりのシーンはただ相手に対する「想い」が一切のセリフや感情的表現を廃して示されている。その排除の仕方は、強引とも言えるほどですが、これぞまさにギドクならではのテクニックだろうと感心せざるを得ません。

そして設定は奇異でも、伝えたいことは実に単純。愛とは何か。人を愛するとはどういうことか。本作のすばらしいのは、このような突拍子もない設定の物語から最終的には誰にでも当てはまる普遍的なテーマへと視点を下ろせるところなのでしょう。そして、色鮮やかな映像、弓占いという独自の表現が絡み合って生まれる作品の超越的なムードが一つの寓話として我々を強く魅了します。これは、ギドク作品でも大好きな1本となりました。そして、その感情をほぼ「目」だけで演じきった主演のハン・ヨルムという若い女優に心からの拍手を贈りたい気持ちでいっぱいです。

盗まれた欲情

2008-04-27 | 日本映画(な行)
★★★ 1958年/日本 監督/今村昌平
「祭りの後」

今村昌平のデビュー作。ドサ廻りの芝居一座を舞台に人間味豊かな役者達を描く。

デビュー作とは思えないほど、伸び伸びしてます。大阪の芝居一座ってことで、関西弁も賑やかだし、セリフも早口だし、芝居小屋の熱気がムンムン伝わってくる。ただ、当時の音響の問題なのか、ちょっとガチャガチャしててセリフが聞き取りにくい。しかも、ずっとテンションが高いままなんで、ちょっと見ていて疲れるなあ。もう少し緩急が欲しい。

昔は芝居小屋が村にやってくるというのは、一大事件だったんですね。村人たちの喜びようと言ったらすごいの。何はさておき、芝居だ!ってんで、みんな興奮状態。今では考えられないけど、でも、ある意味ハレとケがはっきりしてて、逆に羨ましいかも。ただ、村娘が一座に入りたいって言ったら、いきなり座員は洋服脱がすし、興奮した村人は劇団の女をみんなでかっさらっちゃうし、いやはや…。まあ、このわやくちゃでエネルギッシュな感じが今村らしさですね。

大卒の小屋になじめぬ脚本家を長門裕之が演じてます。青いんだ、コイツが。インテリのこの脚本家とはちゃめちゃな座員のコントラストが面白い。そして、初々しい南田洋子に対して菅井きんがすでに嫌なババア役。ここもコントラスト効いてます。芝居小屋を建てるシーンや芝居に一喜一憂しておひねりを投げるシーンなど、村人たちの躍動感あふれる演出が印象的。それにしても、なんで「盗まれた欲情」ってタイトルなんだろう。それが疑問だ(笑)。

ロッキー・ザ・ファイナル

2008-04-26 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/シルベスター・スタローン
「エンドロールが一番良かった」


本編よりもエンドロールで、ぐっと来てしまった。テーマ曲をBGMに「ロッキー」の名シーンを真似する人々。おばあちゃんから子供まで、フィラデルフィア美術館の大階段を駆け上って、嬉しそうに天に拳をつきあげる。ああ、映画っていいなあ。映画の、ほんの一シーンが、こんなに多くの人々の脳裏に刻まれてるなんて、映画ってすごいなあ。そんなことが頭を駆けめぐり、なんかじわ~んとしてしまったのでした。

肝心の物語の方ですが、正直もう少し脚本練れなかったものかしら。ロッキーを取り巻く人々のサブストーリーに深みをもたせれば、全体的な質も上がったのに、と思う。ロッキーとマリー、ロッキーとポーリー、ロッキーと息子。それぞれの関係性の描き方が物足りない。というのも、「理由がないとおせっかいしちゃダメなのか?」というロッキーの言葉はとてもいいなあ、と思ったから。今の時代に映画を作ると大なり小なり、人と人との繋がりやディスコミュニケーションに言及せざるを得ない。懐古趣味の映画かも知れないけど、しっかり現代を捉えようとしている。最終的にみんなロッキーを応援するようになるのだけど、ちょっと短絡的な展開なのよね。

ラストのファイトシーンは、さすがラスベガスと言える実にド派手なリングで本物のマッチのように臨場感満点。でも、ロッキーの姿で最も印象深いのはエイドリアンの墓参りの時。ファーストシーンとラストシーン、共にスタローンの横顔がアップでスクリーンに映る。寂しげなんだけど、初老の男の味わいが滲み出ていて、思わず見入ってしまったのでした。

40歳の童貞男

2008-04-25 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2005年/アメリカ 監督/ジャド・アパトー
「尻上がりに面白くなる」


いい年した童貞男をみんなでいじって、下ネタで笑わせておいて、後は「童貞喪失バンザイ!」というちゃらけた映画かと思っていたら、さにあらず。だんだん尻上がりに面白くなる。後半はピュアなラブストーリーで、初恋を叶えるために仲間がこぞって奮闘するような青春映画のよう。コメディあまり観ない方なので偉そうなことは言えませんが、「もしも昨日が選べたら」よりは断然良かったです。

確かに卑猥な言葉も出てくるけど、演出としては、無理矢理エロなシーンにするベタさがなくって、むしろ爽やかなシーンの方が印象に残ってたりするの。颯爽と自転車通勤してるシーンとか、子供に手品を見せたりするシーンとか。アンディ自身にまつわる描写はすごく好感が持てる。別にこの人、変わることなんかないじゃない。今のままでもいいじゃない、なんて思ったりして。そういう気持ちで観ているから、後半はごく普通の初恋物語に見えてきて微笑ましいの。あと、相手役をキャサリン・キーナーにしたのが良かったね。彼女が出ているおかげで、おバカ映画には全然見えない。

それから、音楽の使い方がとってもツボを抑えてる。冒頭、電気店で「毎日マイケル・マクドナルドばっかり流すな!」って怒ってる店員がいて、爆笑。(私は「ヤ・モ・ビー・ゼア」好きなんだけどなあ)で、アンディが意を決してポルノビデオ見るシーンは、なぜかライオネル・リッチーのメロウなバラード「ハロー」。この組み合わせ方、うまいなあ。で、ラストの「アクエリアス」で歌って踊っての大団円でしょ。80年代のなつかしポップチューンがしっかり笑いを引き出していて、なかなかやるじゃん、と思ってしまいました。

悪魔の手毬歌

2008-04-24 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 1977年/日本 監督/市川崑
「磯川警部にもっとスポットを当てた方が良かった」



角川で大ヒットした作品をを東宝に移しての2作目。市川+石坂版では、最高傑作と言われることが多いようですが、私は獄門島の方が好きです。その評価の高さは、若山富三郎が演じる磯川警部と岸恵子が演じる青池リカの悲恋にあるようで、確かに原作よりはうまく料理できていると思います。ただ、作品全体を眺めると磯川警部の存在感は決して大きくないんですね。その理由は、私は加藤武演じる立花警部の存在感のせいだと思います。一つの事件にふたりの警部が共存しているんです。これ、原作は違うだろうと思ってました。「よーし、わかった!」のセリフを言わせるために無理矢理キャスティングしたんだろうと。そしたら、原作もそうだったんです。驚きました。ただ原作の立花警部はもっと地味で名台詞も言わないし、薬も持ち歩いてません。

この年は続けて「獄門島」も発表しており、加藤武はそっちも出演しています。ですから、いっそのこと「悪魔」は磯川警部に絞っても良かったんじゃないでしょうか。そしたら、リカとの悲恋ももっとクローズアップされたのに。元々原作の金田一シリーズにおいて磯川警部は、どのキャラよりも金田一と親交が深く、原作ファンには思い入れの深い存在。でも、加藤武というキャラがそのポジションを奪ってしまってるんですからね。本シリーズにおける笑いの要素というのは、とても重要なのはわかるのだけど、加藤武が出ずとも、大滝修治やら三木のり平がその役割を十分果たせています。本作の大滝修治は最高です。それから、白石加代子もすごいです。気味が悪くてぞわ~と鳥肌が立ちそうになります。

そして、市川作品にも数多く出演している岸恵子。さすがに市川監督は美しく撮っています。しかも、なぜか市川監督はリカというキャラクターに「おっちょこちょいで忘れっぽい女」という肉付けを行っています。そのことによって、リカは終始お茶目で明るくて生き生きとした女に見え、一転して後半は犯人の抱える哀切へと繋げていく。原作にはない、登場人物の新たな一面を加えるというのが市川監督は実にうまい。それは、原作を変えてオリジナリティを出したいということではなく、原作を深く読み理解しているからこそできることだと思います。

市川監督が金田一耕助を語る時に「天使」とか「神の視点」のようなことを話しているのを聞いたことがあります。なるほど金田一を前にしての犯人の告白は懺悔のようでもあります。原作でリカは放火をした後、沼に転げ落ちて事故死するのですが、映画ではしっかり懺悔のシーンが用意されています。そして、ラスト。「あなたはリカさんを愛していたのですね」という言葉が、走りゆく機関車の音にかき消されてゆく。ここはシリーズ中最も印象に残る名シーンではないでしょうか。

デジャブ

2008-04-22 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/トニー・スコット
「最初から最後までクライマックス」


予備知識は、ジェリー・ブラッカイマー製作とタイム・ウィンドウという言葉だけ。後はストーリーとか何も知らずに見たんですが、これが大正解。面白いエンタメが見たい、と言う人なら誰にでも太鼓判を押します。何も知らずにいればいるほど、楽しめる作品なので、まだ見ていない人は、以下のレビューは絶対に読まないように。

------------------------------

全体の構成が実にお見事です。最初から最後まで飽きさせない良質のエンタメ映画はたくさんありますが、本作のすばらしさは、アクションだけで突っ走るのではない、展開のバリエーション。物語は、船の出航シーンで始まりますが、ドキュメンタリー風の映像で「ユナイテッド93」を思い出しました。やや間延びしたような雰囲気で一見退屈なシーン。これが、後になって生きてくるんですね。全く同じ映像なのに、プロローグの間延び感は吹っ飛んで、ハラハラドキドキ。観客の心理状況によって同じ映像を使い分けるなんて、思わず「巧いねえ」と声に出してしまったほど。

そして、プロローグののんびりムードを突き破る大爆発→頭のキレる一匹狼風捜査官の登場→タイム・ウィンドウなるハイテク機器による監視→4日という時空を越えたカーチェイス→タイムマシンに乗って過去戻り→愛する女性の大救出劇→ビックリ仰天のどんでん返しと、クライマックスは一体どこなんだ、と言うくらい、最初から最後まで「山場」の映画なんですね、これはすごい。緩急の緩と言えば、最初の出航シーンだけじゃないでしょうか。しかも、ラブストーリーとしてのテイストまで混合してしまうなんて恐れ入ります。「タイムウィンドウ」という秀逸のアイデアも、作品の後半は捨ててしまいますからね、この切り替えはすごいです。

常にタイムパラドクスが気になってしょうがない私は、本作においても「誰かちゃんと説明してくれ!」と叫びたい箇所がなかったわけではありません。特に、エンディング。また、ダグのタイムスリップは実は2度目だ、という意見があるんですけど、そういう新たな発見を聞かされると、さらに頭の中がこんぐらがって、どうしようもありません。でも、これだけの大作ですから、科学的な道理を逸脱しておいて知らん顔しているとは思えない。それなりに辻褄は合うんでしょう。そのために、いろんな伏線が張られているんだし。でも、私はこの伏線ばかり追いかける見方はしない方がいいと思う。少々の「なんで?」は置いておいて、「へ~!」「すげ~!」に徹しましょう。よくよく噛み砕いて見ればありえないことだらけですが、物語は全然浮いてなくてどっしりしてます。監督トニー・スコットとデンゼル・ワシントンの力量でしょう。


どんてん生活

2008-04-21 | 日本映画(た行)
★★★★☆ 2003年/日本 監督/山下敦弘
「どこまで“狙って”やってるんだろう」


裏ビデオのダビングという仕事(んなもん、仕事でも何でもねーよ!)をしている二人組のダラダラした日常をただ追いかけてるだけの映画。しかし、私は最初から最後まで、くっくっくっと肩ふるわせつつ笑いをかみ殺しながら、それなりに楽しく観賞していましました。しかも、途中で2、3度ぷーっと吹き出すほど笑ってしまいましたよ…。これ、ツボにはまる人とそうでない人、くっきり分かれちゃう作品でしょうねえ。

奇妙なリーゼントにヤンキー仕様の女物パンプスなど、ビジュアル的な面白さもあるのですが、やっぱりカットとカットのつなぎ方で笑いを誘うというのはセンスだよなーと実にくだらない映画ながら、感心することしかり。まさに今しかない!という瞬間に違うカットに切り替わる。これが1秒、2秒遅れると、たぶん面白くないんでしょう。

登場するのはどうしようもないダメ人間ですが、映画として彼らの心情に寄り添うわけでもなく、また冷ややかに見ているわけでもない感じです。ただ何もすることがなかったので、アパートの隣のヤツを毎日撮影してました、なんて言われてもおかしくないような雰囲気。でも、だからこそ出てくる面白味がある。ただ、一カ所、ビールの万引きで捕まってしまい、コンビニの店主をバットでめった打ちにして、それは妄想でした、チャンチャンというシーンがあるのですが、ここはムードがやや異質です。「松ヶ根」に繋がるようなブラックなテイストですね。

いずれにしろ、観客は登場人物に共感するとか、嬉しくなるとか悲しくなるとか、そういう感情的な起伏はほとんど与えられず、ただぼんやりと眺めているしかない。しかし、傍観するという行為の中でも、人間という生き物のおかしさ、情けなさというのは、じんわりと感じ取ることができるんですね。しかし、かと言って、本当にダラダラとフィルムを回せば映画ができあがるわけではありません。こういう作品は、やはり「間」と「つなぎ」が何よりも大事なんでしょう。物語のダラダラ感に反して、編集作業はすごく緻密だったりするのかなあ、それともセンスでさらっとこなしてしまうのか。とても興味深いです。

シン・シティ

2008-04-20 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2005年/アメリカ 監督/ロバート・ロドリゲス
「宣伝マン泣かせ」


いつもは食指の動かぬジャンルに挑戦してみました。で、これが実に面白かった。こんな世界もあるんだ!と言う驚きの2時間でした。モノクロとはいえ、メタリックで硬質な映像はとてもスタイリッシュだし、アクセントカラーの赤やブルーがとても美しい。コミックらしい荒唐無稽さも、あまりに世界観がぴしっとできあがっているので、そんなアホなと突っ込むよりも、むしろカッコええやんか、と。

首が飛んだり、血が出るのは、全く駄目な私ですが、このモノクロ世界なら大丈夫。また、次から次へと出てくるナイスバディなオネエちゃんたちに目が釘付けでした。男は闘うことが生き甲斐で、女は色香が命、という設定そのものは、正直惹かれません。好みじゃないもの。でもね、ここまで徹底的に自分の世界を構築されると、とことん付きあったろうやないの、と思います。

さて見終わって、日本公開時に宣伝マンは上手に宣伝したんだろうか?ということを思ってしましまいました。ロドリゲス作品にはコアなファンの方がいて、その方達には敢えて大きな宣伝活動は必要ないんでしょう。でも、私のようなターゲットはどうでしょう?ブルース・ウィルスを始め、ハリウッドのビッグネームがたくさん出演していることは、大きなアドバンテージです。しかし、愛に生きた3人の男達の物語、みたいな紹介だとオムニバスかな?くらいの気持ちで、観たいというところまで行き着きません。とはいえ、残酷な描写も多く「みなさん、こぞってどうぞ」とも言い切れない。これは、宣伝マン泣かせの作品ですね。まあ、こういうテイストの映画は、宣伝よりもクチコミで売れる方が正しい在り方なのかも知れませんが。

ミステリアス ピカソ 天才の秘密

2008-04-19 | 外国映画(ま行)
★★★★☆ 1956年/フランス 監督/アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
「ピカソのアトリエにいるような高揚感」


ピカソが実際に絵を書く様子を映像に納めた本作。作品そのものがフランスの国宝なんだそうだ。なるほど、それもうなずける。だって、あのピカソがどうやって絵を描いているのか、まるでそこにいるかのような臨場感で味わえるんですもん。大好きなんです、ピカソの絵。

磨りガラスのようなキャンバスを反対側から撮影する、という特殊な技法。真っ白なスクリーンにどんどん描き加えられるピカソのタッチ。ただ絵を見ているだけなんだけど、すごい高揚感。完成までのプロセスを眺めるなんて、こんな贅沢なことはないです。本作で描かれた絵は全部破棄しているらしいんですよね。もったいない。絵と絵の間に監督やカメラマンと談笑するピカソの映像が挿入される。「あと5分しかフィルム回せない」「それだけあれば大丈夫」そんなやりとりが面白い。それにしても、描くスピードの速いこと、速いこと。

さて、天才ピカソの絵を描くプロセスを観ていて、「なるほど、こんな風に描くんだ」という合点がいくことよりも、むしろ「なんで、そうなるの?」という謎の方が大きい。目の前で見せられているにも関わらず。まさに、タイトルの「ミステリアス ピカソ」ですよ。ただの幾何学模様が女性の顔になったり、せっかく描いた模様を塗りつぶしたり。最初から描きたいものが頭の中でできあがっているのか、描いている途中に気分が変わっちゃうのか。凡人には全くわかりません。

この作品は、3回ぐらい観ているんですけど、常に新しい発見があるし、毎回印象に残る絵が違いますね。たぶん、その時の自分の精神状態によって変わるんでしょう。映画だけど、「絵画」の奥深さ、すばらしさをとても感じます。

獄門島

2008-04-18 | 日本映画(か行)
★★★★★ 1977年/日本 監督/市川崑
「今後の映像化は不可能かも」


それにしても同じ年に「悪魔の手鞠歌」と「獄門島」の2作品を発表だなんて、今は考えられないですよね。

本作は、そもそも原作が「俳句の見立て」「釣り鐘トリック」「意外な犯人」という推理小説の醍醐味を存分に備えているわけで、面白くないはずがないんです。しかし、「犬神家」「手鞠歌」と連続で美人女優が犯人というパターンが見事にハマったため、本作でもそれを踏襲しようとします。つまり、犯人の変更です。これが読んだ後に観ても、全く違和感がないんですねえ。すばらしい。

女優陣が多い作品ゆえ、それぞれの登場シーンが実にあでやかです。素早いカットのつなぎも、前2作よりも一段と多い気がします。またナレーション代わりに、太明朝のタイポグラフィを挿入するなど、シリーズ3作目をいうことで、市川監督が好きなようにノリに乗ってやってる感じです。

読んでから観て思うのは、市川版における、どうでもいいシーンの面白さです。どうでもいい、と言うと語弊がありますが、事件と事件の合間のリラックスシーンと言いますか、ほっとひと息するようなシーンが実に楽しい。自転車で坂を転げ落ちる金田一登場シーン、床屋の娘坂口良子と金田一の夫婦漫才のようなやりとり、同じく床屋の三木のり平のおとぼけシーン、そして等々力警部の「よーし、わかった!」。これらは原作にはないですが、映画を観ていると、付け足しや無駄とはとても思えず、むしろなくてはならないものに見えてくるから不思議です。

和尚を演じる佐分利信がいい味出してますねえ。前も言いましたけど、この人演技が巧いとはあまり思えません。でも、世の中を達観視したような和尚の雰囲気にぴったり合ってます。原作で金田一は早苗さんに一緒に東京に行こうと誘うくらい彼女に惹かれています。が、映画では、逆に積極的なのは早苗さんの方で、金田一は控え目です。この辺も市川版における金田一像、いや石坂浩二が演じる金田一像をシリーズを通じて創り上げた結果の改変でしょう。戦争を挟んでの磯川警部との感激の再会、という部分が変更されているのは原作ファンとしては物足りないところなんでしょうが、加藤武のコメディリリーフとしての役割を考えると、これはこれでアリかも知れません。

事件解決のヒントでもある和尚のつぶやき、そして殺される三姉妹の日頃の様子、共に現在では放送コードにひっかかり、映像化は難しいかも知れませんね。

豚と軍艦

2008-04-16 | 日本映画(は行)
★★★★ 1961年/日本 監督/今村昌平
「豚の生き様、豚の死に様」


昭和35年、米海軍基地として賑わう横須賀が舞台。とりあえず、手っ取り早く稼ぐにゃ、男はヤクザ、女は娼婦。もう、みんながみんなどうしようもないのよね。だけども、体張って生きていくしかないんだ、この時代は。人間くさい日森組のヤクザたちのキャラが面白い。病気持ちのアニキ丹波哲郎、仕切り屋の大坂志郎、威勢のいい加藤武、臆病者の小沢昭二、そしてパシリの長門裕之。それぞれのキャラクターが実に生き生きしていて、やってることは最低なんだけど、どうにもこうにも微笑ましく見える。戦後を生き抜くはみ出し者に対する今村監督の愛情がスクリーンからあふれてくる。

そんなどうしようもない男どもが基地の残飯をタダでもらい受けて始めたのが養豚業。人間界のブタどもが本物の豚を育てるわけですな。そして、圧巻はラストシーンの街中を駆け回る豚、豚、豚の群れ。生きるために走る。見てくれは悪くても、鳴き声は汚くとも、街を走る。その滑稽だけど、バイタリティーあふれる姿が、ヤクザの生き様と見事にオーバーラップする。本物の豚どもに追いかけられ、踏みつぶされ、逃げまどう人間のブタども。ヤクザの世界からようやく足を洗う決心した欣太(長門裕之)だったが、彼の行き着いた場所は…。

ドブ板通りの人間どもを舐めるように捉えるカメラワークに躍動感あふれる演出、俯瞰のショットもそこかしこで効いている。海兵たちに弄ばれる春子をベッドの上から眺めたショット、突っ伏した欣太の最期を捉えたショット、そして、ラストシークエンス。カメラはむらがる娼婦たちをすり抜け横須賀の街を去る春子の後ろ姿をとらえながら、どんどん引いていき上空から去りゆく電車をとらえる、鮮やかなラスト。

さて、ヤクザの面々も面白いけど、ヒロインを演じる吉村実子、この映画がデビュー作とは思えない堂々たる演技。続いての名作「にっぽん昆虫記」にも出演。おかあちゃんの愛人を寝取るという、何とも逞しい田舎娘を演じてます。みんなに「べっぴんさんだねぇ」と言われてますけど、正直…。いえいえ、当時はこの逞しさこそ、女の美学だったのかも知れません。

ハンニバル・ライジング

2008-04-15 | 外国映画(は行)
★★★★ 2007年/アメリカ・イギリス・フランス 監督/ピーター・ウェーバー
「ハンニバルがハンニバルたる由縁はどこに」


シリーズファンとてしては、とりあえず見ておこう、というスタンスの映画よね。
これは、しょうがない。

結果としては、シリーズを貫く崇高なムード。これが、一歩及ばず、という感じ。リトアニアのレクター城や、レディ・ムラサキが創り上げたミステリアスな祭壇、人間の臓器が陳列する研究室など、それらしいムードを作るバックボーンはかなり揃ってる。なのに、物足りない。それは、レクター本人、つまりサー・アンソニー・ホプキンスが身に纏うムードなのかも知れない。そこんところをギャスパー・ウリエルに求めるのはもちろん、酷な話ではあるんだけれど。ただ、レクターという男の尊大さやプライドの高さなど、様々な面でギャスパー・ウリエルは熱演だったと思う。

これまでの作品で創り出されたハンニバル・レクターという男を見るに、彼の殺人者としての有り様は、「復讐」という泥臭い言葉など本来最も遠いイメージだと思う。レクターは生まれながらにして、あのハンニバル・レクターであるはずなのだ。だから若き日のレクターの内面に迫る演出が少ないのがとてもひっかかる。ひとり、またひとりと殺していくごとに、彼の中の凶暴性が目覚めたのではないか。殺すこと、そのものが快感になっていったのではないか。殺した人間のまさに血と肉を得ることによって、レクターはモンスターとなった、その瞬間をもっと鮮烈に描けなかったか、と思う。これならば、妹の復讐が終わった時点で、目的は果たせたことになる。つまり、もう誰も殺す必要はない復讐犯の物語だ。レクターは妹の復讐を完遂させてもなお、「あの」ハンニバル・レクターでなければならないはず。

さて、コン・リー演じるレディ・ムラサキを始めとする日本的描写の部分なんですが、これは意外と違和感なかったですねえ。確かに鎧武者を拝むってのは変ですけど、「八つ墓村」でも小梅さんと小竹さんは、洞窟の中で鎧武者を奉ってますからね(笑)。レクターの冷静沈着さと日本武道のストイックさを結びつけるって言うのは、いかにも外国人の視点ですが、それほど的外れでもない感じがします。むしろ、レディ・ムラサキを愛していると言ったレクターですけれど、これまたその内面があまり見えず、違和感が残りました。

本作、原作者のトマス・ハリスが脚本を担当しているので、レクターの内面に迫れていない、というのがなおさら引っかかるんでしょう。もしかして、「ハンニバル・ライジング」→「レッド・ドラゴン」に繋げるために、もう1本作ろうとしているのか!?

ラブ・アクチュアリー

2008-04-14 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2003年/イギリス 監督/リチャード・カーティス
「クリスマスよ早く来い!って気分にさせられる」



まあ、イギリスのスターが勢揃いって感じですね。クリスマスを前に誰もがあったかい気持ちになれる良品と言ったところかしら。アクの強い作風が好みの私としては、ビル・ナイ扮する売れない中年ミュージシャンのエピソードがいちばん面白かったかな。新しくレコーディングしたクリスマス・ソングを自ら「クソみたいな曲」(全く同感!)と自虐的に言ってみたり、売れたからエルトン・ジョンのパーティに呼ばれたなんて話を入れたりして、業界を皮肉るような表現がイギリスらしくて面白い。

ヒュー・グラントが首相ってのは、かなりアリなんじゃないでしょうか。各国女性大臣はメロメロで、外交もスムーズに行きそうだなあ。そんな彼がややおデブちゃんの秘書に恋をするなんて、かなり好感度アップよね。本当に実現するかも。シュワルツネッガーの知事より、何十倍もスマートだわ。ポインター・シスターズの曲に乗ってノリノリで踊ってるヒューを見て、こりゃやっぱり「ラブソングができるまで」を見なきゃ、なんてことも思いました。この曲ディスコでよく踊ったもんです。

親友の妻に恋してしまった、大好きな相手と言葉が交わせない、と言う切ない物語があったかと思うと、ラブシーンのリハーサル専門の女優と男優がいつもすっぽんぽんで親交を深めていくなど、それぞれの恋のカタチのバリエーションがとっても豊かなのね。それが本作のすばらしいところ。恋のカタチは十人十色。それを巧みにまとめあげてる。ちょうどクリスマス3週間前からスタートするので、クリスマス気分を盛り上げるには格好の作品じゃないでしょうか。