★★★★☆ 2006年/韓国 監督/キム・ギドク
「愛は確認できない」
(ラストシーンについて触れています)
冒頭、ハングル文字の真横に英語で原題が出てきます。「TIME」。私は妙にそれが頭に残って見始めたのですが、なるほど今作は愛を様々な「時間」というテーマで切り取っているのですね。私の顔に飽きてしまうのではないかというセヒの畏れは、すなわち、愛とは時間と共に風化してしまう代物なのか、という命題です。2年間付き合った彼女、整形してからマスクが取れるまでは6ヶ月など、時間を示すセリフも幾度となく強調されます。
また、ラストシーンがファーストシーンに繋がっていますが、結局これはセヒがスェヒに会うという顛末で、実際にはありえません。しかし、この連結が示すものは、メビウスの輪のような世界であり、セヒが同じ時をぐるぐると回り続けているように感じさせます。そう考えると、セヒという女性が受けるべき運命は何と過酷なものでしょう。いくら言葉や態度で示されていようと自分は本当に愛されているのか、と言う不安から逃れられない人間は、一生ぐるぐるとメビウスの輪の中を回り続けるしかない。セヒは無限に顔を変え続けるという罰を受けたのでしょうか。整形手術という現代的な事柄を切り口にしていますが、聖書のような話です。汝、愛されていることを確認するなかれ…。
ただ、「恋人として愛され続けること」と「新しい女として彼を誘惑すること」を同時に体験できるなんて、女としてこんな醍醐味はないんじゃないかと思ってしまう自分もいたりするんです。もちろん、そこには大きな矛盾があり、その苦悩もまた、罰であるんですが。まあ、男性であるギドクがこういう発想ができることに驚いてしまいます。
さて、ペミクミ彫刻公園は物語のテーマともぴったり重なり、手のひらの彫刻にふたりが座るショットなど、非常に印象に残る。しかしながら、何度も登場するため、この彫刻たちがもともと持っているテーマ性を少々拝借しすぎなように感じました。まあ、それでも左右の顔写真から成る整形外科のドアや唇がついた青いマスクなど、彫刻のパワーに負けないギドクの演出は実に愉快。教訓めいたお話ですが、こういう人を食ったような見せ方が彼らしい。新作は、オダギリジョー主演。とても楽しみです。
「愛は確認できない」
(ラストシーンについて触れています)
冒頭、ハングル文字の真横に英語で原題が出てきます。「TIME」。私は妙にそれが頭に残って見始めたのですが、なるほど今作は愛を様々な「時間」というテーマで切り取っているのですね。私の顔に飽きてしまうのではないかというセヒの畏れは、すなわち、愛とは時間と共に風化してしまう代物なのか、という命題です。2年間付き合った彼女、整形してからマスクが取れるまでは6ヶ月など、時間を示すセリフも幾度となく強調されます。
また、ラストシーンがファーストシーンに繋がっていますが、結局これはセヒがスェヒに会うという顛末で、実際にはありえません。しかし、この連結が示すものは、メビウスの輪のような世界であり、セヒが同じ時をぐるぐると回り続けているように感じさせます。そう考えると、セヒという女性が受けるべき運命は何と過酷なものでしょう。いくら言葉や態度で示されていようと自分は本当に愛されているのか、と言う不安から逃れられない人間は、一生ぐるぐるとメビウスの輪の中を回り続けるしかない。セヒは無限に顔を変え続けるという罰を受けたのでしょうか。整形手術という現代的な事柄を切り口にしていますが、聖書のような話です。汝、愛されていることを確認するなかれ…。
ただ、「恋人として愛され続けること」と「新しい女として彼を誘惑すること」を同時に体験できるなんて、女としてこんな醍醐味はないんじゃないかと思ってしまう自分もいたりするんです。もちろん、そこには大きな矛盾があり、その苦悩もまた、罰であるんですが。まあ、男性であるギドクがこういう発想ができることに驚いてしまいます。
さて、ペミクミ彫刻公園は物語のテーマともぴったり重なり、手のひらの彫刻にふたりが座るショットなど、非常に印象に残る。しかしながら、何度も登場するため、この彫刻たちがもともと持っているテーマ性を少々拝借しすぎなように感じました。まあ、それでも左右の顔写真から成る整形外科のドアや唇がついた青いマスクなど、彫刻のパワーに負けないギドクの演出は実に愉快。教訓めいたお話ですが、こういう人を食ったような見せ方が彼らしい。新作は、オダギリジョー主演。とても楽しみです。