Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

狼少女

2008-10-31 | 日本映画(あ行)
★★★★ 2005年/日本 監督/深川栄洋
「オーソドックスな力強さ」


神社の境内にやってきた見世物小屋、というシチュエーションは確かに奇抜ですが、それ以外の子供たちの間で繰り広げられる人間模様は、いたってオーソドックスです。都会からやってきた少々おませで正義感の強い転校生の女の子、彼女のはつらつとした明るさに引かれる気弱な男子、貧乏ないじめられっ子の女子、彼女をいじめるガキ大将に嫌味な女子グループ。そうそう、昔はこんなんだった。誰もが幼き頃を思い出す、ごくごく普通の教室や放課後の風景。しかしながら、この映画が放つ力強さは何でしょう。

それは、昭和のノスタルジーなんて、感傷的な気持ちを引き出すことよりも、どっしりと、じっくりと子供たちの物語にフォーカスしているからなんでしょう。彼らの心の機微、揺れや迷いを丁寧に丁寧にすくい取ろうとしている。そんな作り手の真摯な姿勢が作品から感じられます。

私が気に入ったのはカメラです。父親と母親の間をゆらゆらと行ったり来たりして子供の不安な気持ちを表現したかと思うと、真正面から子供たちの顔をしっかり捉えて幼い心に芽生えた決意を表現したり。または、教室の机の下から斜めに構えたり、子供たちの周りをぐるぐると回ったり、スクリーン右から左へと橋の欄干を走る様をロングで撮ったり。とにかく、子供たちの生き生きとした様子を最大限に引き出しています。また、これらのカメラワークに応えるように、子供たちの演技がとても自然ですばらしいのです。

そして、去りゆく留美子をみんなで追いかけるラストシークエンスが堂々と物語を盛り上げます。これまた、物語としては実にオーソドックスな結末ですが、明が教室を飛び出してから、まるでカメラが子供たちの気持ちを乗せているかのように、カットが切り替わる度に切なさが二重にも三重にも膨れあがっていくのです。ランドセルが落ちてくる意外性と映像としての動きの付け方なんて、素直に「やられた!」と思いました。何とも、清々しい。心の洗濯をさせてもらいました。

トランスフォーマー

2008-10-30 | 外国映画(た行)
★★★ 2007年/アメリカ 監督/マイケル・ベイ
「後半の展開に唖然」


つかみはOK。車がロボットに変化する、そのCGの凄さに素直に驚嘆。何でこんなにナチュラルな映像になるんだろうと。

カタールでの無差別攻撃、ボロ車に振り回されるサム、国防省でデータを盗むマギーと3つの物語が並行に描かれていく前半の1時間くらいは、結構面白かったです。それぞれのストーリィに謎が隠されていて、どう結びついていくのかとてもワクワクしたのです。ところが、ロボット戦士が5人現れて、これはマジンガーZ?またはガンダム?とも言うべきマンガ的な展開になってからは全くダメでした。ロボットは普通にしゃべりかけるし、お茶目な行動したりするし。うそ~ん。

「トランスフォーマー」って言うおもちゃもアニメも知らない私は、こういうものだと微塵も思っていなかったので、緊張感あふれる前半部とのギャップが大きすぎました。ロボットをかばい、涙するサム。こういう展開でいいんでしょうか…。物凄くお金はかかってますけど、日曜日の朝の子供向け番組を観ているような気分になって、もうテンション下がりっぱなし。話も荒唐無稽過ぎて全く駄目でした。救いはヒロイン、ミカエラを演じる女優、ミーガン・フォックス。とても美人でミステリアスな雰囲気がいいですね。ガンガンにトラックを乗り回して後半大活躍。近年のエンタメ大作系ではいちばん魅力的でした。

Sweet Rain 死神の精度

2008-10-29 | 日本映画(さ行)
★★★★ 2008年/日本 監督/筧昌也
「原作の映画化としては大成功」

原作を読んでいるのですが、正直この作品の映画化は難しいだろうと思っていました。なぜなら、6話程度のショートストーリィから成り、2時間という尺でうねりを出すような風合いの物語ではないからです。言わば、間を楽しむといった手合いの小説。しかし、観てみると期待以上の出来映え。ふんわりとしたムードを押さえつつ、3話のエピソードが死神を軸にしっかりと1つにまとめあげられています。これは、脚本がうまいですね。上手に削り、上手に付け加えました。原作に相棒の黒犬は出てきませんが、犬と死神が無言で会話するという現実離れしたシチュエーションも作品が醸し出す浮遊感をうまく盛り上げています。

何と言っても本作の面白味は、「何事も達観している死神」と「目の前の出来事に一喜一憂しているちっぽけな人間」の対比が実に良く効いていること。その一番の貢献者は、やはり死神を演じている金城武です。近年の彼の作品の中ではベストアクトではないでしょうか。浮世離れした風貌、飄々としたセリフ回し、どんな設定の人間になっても何色にも染まらない透明感。立場は人間より上ですが、全く嫌味がありません。しかも、その存在がでしゃばり過ぎていない。だから、3つのエピソードの人間たちの悩みや苦しみがきちんと際だっているのです。焦点の合わない目でヘッドフォンを付け、リズムに合わせて肩を揺らす様子も実におかしい。

また、3話のエピソードは時を超えて繋がってくるわけですが、ラストにかけてどうだと言わんばかりの仰々しさが全くないのも非常に好感が持てます。作り手としては、どうしても観客をあっと言わせたいがために、種明かし的な演出に走りがちですけれども、実にさらっとしています。そして、そのことによって、最終的には金城武演ずる死神の人生がクローズアップされてくるんですね。それまで語り部としての役割しか持たなかった死神に、初めてこの世の美しさ、人間世界の温かみといったものを体感させる。なかなかじんわりできるエンディングです。不安が多くて足が向かなかったのですが、こんなことなら、映画館で観れば良かったです。

ヒロシマナガサキ

2008-10-28 | 外国映画(は行)
★★★★ 2005年/アメリカ映画 監督/スティーブン・オカザキ
「語り継ぐことを放棄してはならない」



世界で唯一の被爆国、日本が当たり前にしなければならないことが、全くできないでいる。本作を見て、まずそのことを痛感しました。その虚しい現実に打ちのめされそうになりました。原爆の経験と歴史を伝えられるのは、日本人にしかできないのに、もはや伝えることができる人たちがこの世から消え去ろうとしているのです。

痛みを共有することが難しい世の中になりました。感情的な発言はすぐ槍玉にあげられ、相手の立場に立つ前に自己主張ばかりする。世の中はいつからこんなに乾いてしまったのかと虚しい気持ちになることが増えました。それでも、映像の力は偉大です。被爆者たちの証言の生々しさ、その圧倒的にリアルな言葉は観る者の胸を打ちます。

被爆した日本女性がアメリカに渡り無償の治療を受けていた。それをテレビ番組で放映し、被爆した日本人牧師とエノラゲイの乗組員を握手させる。アメリカ的プロパガンダに辟易しつつも、全ての歴史は発信する者、受け止める者によって、さまざまな解釈が可能であり、一面をもって語ることができないことは重々承知。その事実を知ることから、全てはスタートするのです。ですから、本作で初めて見る映像の数々は、全て私にとって実に貴重な経験でした。

なぜ日本の中学校や高校は修学旅行で広島や長崎に行かないのでしょう。なぜ日本は平和教育にもっと力を入れないのでしょう。もしこの映画を全国の中高生に見てもらう運動をしたら、思いもよらない団体から圧力でもかかってしまうのでしょうか。今すぐ始められること、たとえそれがごくごく小さな一歩でも始めなければ、とりかえしのつかないことになってしまうのでは。ひとりでも多くの日本人に見ていただきたい作品です。

クワイエットルームにようこそ

2008-10-27 | 日本映画(か行)
★★★★ 2007年/日本 監督/松尾スズキ
「寄せ書きを捨てるということ」


「精神病院が舞台」というのは、題材として、とても難しいと思います。ひねくれ者の私は、患者たちの特異なムードを監督の「やりすぎ」「狙いすぎ」に感じることが多々あります。しかし、その特異性を描かないと、精神病院にならないですから、その塩梅をうまく表現することが大きなポイントなんでしょう。それで、思いっきり引いちゃったのが「ベロニカは死ぬことにした」。入院患者たちの舞台劇さながらの鷹揚な演技がダメでした。

ところが、本作で描かれている精神病棟の様子は、高校の女子寮みたいに見えなくもありません。りょう演じる看護師は、さしずめ鬼寮長と言ったところでしょうか。金の亡者に過食や拒食、引きこもり。どこぞの女子寮でも覗けば、こんな子たちがいそうです。常に脱走を試みる女子もいますし。ですから、精神疾患という、やや距離を置きがちな世界がとても身近な存在に見えてきます。ですから、「狙ってる」なんて穿った見方をせずに実にすんなり我が身に置き換えて見ることができました。

また、松尾スズキ監督のライトなノリが、本作ではうまくハマっています。そもそもタイトルである、拘束衣を着せさせられる独房を「クワイエットルーム」と表現する。そういった深刻なものをいったんライトなものに転換させて、観る側の興味を引きスムーズに心に落とさせる。そんなやり方が本作では成功していると思います。夫との生活が退屈で朝から晩までお笑い番組にのめり込むというのも、絵的には笑いを誘いますが、精神状態はずいぶん深刻ですよね。

明日香の経験したことは、言ってみれば、堕胎、離婚、仕事のストレスと、現代女性なら誰もが経験するかも知れない人生の分岐点。そんな彼女が隔離病棟の仲間たちとの交流によって、前を向いて生きることを選択する。しかし、病院を出るときには、寄せ書きを捨てること。このメッセージが、すごく効いています。人生をリスタートするためのほろ苦い選択。決別と決意。久しぶりの本格女優復帰となった内田有紀の演技もすがすがしく、なかなかの良作でした。

フリージア

2008-10-26 | 日本映画(は行)
★★★★ 2006年/日本 監督/熊切和嘉
「いつ、どこか、わからない場所」


犯罪被害者が加害者を処刑することができる“敵討ち法”が存在する近未来の日本を舞台に、感情を失い機械のように任務を果たすプロの執行代理人が、過去のある事件でつながった宿命の相手と対決するさまを描く。

近未来の日本という設定ですが、全然未来っぽくないんですよね。昔ながらの建物もあるし、すごい車やロボットが出てくるとか、一切なし。片や、映像は一貫してセピアトーンで、銃で撃たれた時にぶしゅっと飛ぶ血にデジタル処理がされていたりして、スタイリッシュです。この無国籍で不思議な感じ、私は好きですね。

それに仇討ちが始まる前に周辺住民に一時避難を勧告するアナウンスが流れるのですが、これが小学校のグランドに流れる校内放送みたいでね。人殺しがあるから、よい子の皆さんは逃げなさい、とでもいいたげな感じ。不気味です。この避難勧告シーンが私は気に入りました。

ひどいトラウマによって痛みを感じなくなってしまった男が主人公ですが、人間ドラマとしてのうねりみたいなものは、熊切監督は敢えてそんなにフォーカスさせようしていないのではないか、と私は感じました。2時間の物語の集結として、トラウマを乗り越えるという結論にはしているけれどもね。仇討ち、凍る子供、痛みを感じない、狂ったように銃を撃つ…。これらの漫画から想起されるイメージを熊切監督流に料理したと言う感じでしょうか。冷たくて、暗くて、感情のない世界、私たちがすぐにイメージすることの難しい、日本のどこでもない場所。この舞台こそが主人公に思えましたし、甘っちょろさ皆無の無慈悲な感じが、熊切監督らしくて好きです。これは、感覚的な好き嫌いが別れる映画かも。

傷だらけの男たち

2008-10-25 | 外国映画(か行)
★★★ 2006年/香港 監督/アンドリュー・ラウ アラン・マック
「光と影のコントラストが弱い」


冒頭、夜のバーで見張りをしていた刑事たちが犯人を追跡するシーンで幕を開けますが、ここはすごくいいんです。刑事が走る、車で追っかける、ガサ入れに行く。さすが警察物をたくさん作っているだけあって、こなれてます。日本の刑事物がドタバタした感じなのに、とてもスマートなんですよね。かっこよく見せるテクニックがあります。

ところが、ヘイの過去が見え隠れする後半に従って、物語のスピードは失速しているように感じました。「インファナル・アフェア」の製作チームが再び結集だからでしょうか。やたらと古い記憶のフラッシュバックのシーンが多く、ミステリアスなムードを盛り上げようとする。しかし、このフラッシュバックがあまり効果的には感じられませんでした。というのも、この手法により、敏腕でクールな刑事ヘイが実は過去に何かを背負っているというのは明らかです。しかも、かなり早い段階から推測できます。観る側としては、その秘密は何かとドキドキするわけですが、明かされる秘密が結構予測通りなんですね。ちょっと、がっかり。だったら、フラッシュバックなんか用いずに、全く種も蒔かずに、素直にどんでん返ししてくれた方が、サスペンスとしてはよっぽど盛り上がったように感じました。

トニーと金城くんの対比が弱いんですよね。ポンの追跡によって、ヘイの真実の姿が見えてくるのですけど、追えば追うほど傷を負う。何かを失う。そんな駆け引きが少ないのです。マカオに行って調べたら真実がわかりました、ということで、ミステリーとしてもひねりが少ない。そして、アル中の金城くんが今ひとつ。やさぐれてないの。どん底までひねくれちゃった男には見えないのね。カッコ良すぎるのが仇になっているのかも知れません。トニーの方がこの役は合ってたかも。

ワイルド・アニマル

2008-10-24 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★ 1997年/韓国 監督/キム・ギドク
「冷凍魚の怪」


画家を目指してパリに来たのに、今は他人の絵を売ることで生計を立てている男チェン。「鰐」に引き続き、監督お得意のサイテー男がまたまた主人公です。画家を目指しているのに、友の絵を売る。これは、裏切りは裏切りでも同胞への裏切り。同じ盗人でも店の物を盗むよりも、さらに悪い。いちばん卑劣な行為ではないでしょうか。

「鰐」は、身投げした人の金品を盗み、その上警察に死体の居場所を教えることで情報提供料をもらおうとする男、ヨンペ。その後の「悪い男」は、好きな女をスリとして捕まえさせ、あげくの果てに売春婦に仕立て上げる男、ハンギ。どいつこもこいつも、悪いことの倍掛けみたいな主人公ばかりです。この常識的な人ならば誰もが感じる彼らへの嫌悪感がふとしたきっかけで、純粋な愛、または慈しみの情を我々に感じさせるのがギドクの才能です。しかし、本作はハンガリー人女性への愛情と、脱北兵ホンサンとの友情の板挟みに苦しむため、お得意のピュアなるものを突き詰めるプロセスが分散されてしまったように思います。これまでギドク作品を見てきた人が初期を振り返るということにおいては面白さも発見できるでしょうが、これだけで楽しめるかと言うと正直難しいです。

でも、思わずギョッっとなるショットは、多々あって、その辺が初期作を見る楽しさと言えます。DV男が女を痛めつけるのが、なぜか凍った魚。冷凍庫を開けると、ずらっと並んでます。このショットが強烈で、「なんで、魚?」が頭から離れません。そして、最低男チェンが住み家としているのが、アトリエ兼用のかわいらしい白い船。このギャップ感がスゴイ。

こういう奇天烈なアイテムって、「絶対の愛」の唇マスクなんかもそう。だから、少しずつヘンなものを美しく見せるテクニックをギドクは努力して身につけていったんだろうなあ、と思います。ちょっと失礼な言い方かも知れないけど、ドニ・ラヴァンの存在自体もすごく奇抜でしょ。それらの奇抜なアイテムが浮いてしまっていて、全体を見渡すとギクシャクした印象になってしまったかな。でも、苦労してリシャール・ボーランジェとドニ・ラヴァンを口説き落としたってところは、ギドクの心意気を感じます。

転々

2008-10-23 | 日本映画(た行)
2007年/日本 監督/三木聡
「初心者でも十分楽しめるほのぼの三木ワールド」


オダジョーは好きだけど、もれ無く「時効警察」を見ているワケじゃない。そんな私にとっては、この作品「内輪ネタが多くてノリきれないんじゃないか」という不安の方が大きかったんだけど、意外や意外、なかなか楽しい作品なのでありました。楽しくて、そして、心温まる佳作。

この作品の良いところは2つあって、ひとつはストレートにお散歩の楽しさを感じさせてくれること。旅行に行くとガイドブック片手にがんばってあちこち歩くくせに、なじみ深い街になるとさっぱり、なんてことないですか。本作は、特に東京に住んでいる方にはなおさら響く物があるんだろうなあと思う。そして、共に歩くことによって、心がほぐれていく。捨て子だからと卑屈だった文哉の心がほぐれ、下町の懐かしい風景を目にして、私たち観客の心もほぐれる。

もう一つは、三木監督の十八番である小ネタがしっくりと作品に馴染んでいること。本作にちりばめられた小ネタは、知ってる人だけ、わかる人だけ、笑ってくれりゃいいんです、って感じがなくて、どれも、これも、愛を感じるなあ。「岸辺一徳を見るといいことがある」ってくだりは、三木監督は岸辺一徳が好きなんだろうなあと思うし、「街の時計屋はどうやって暮らしてるのか」のくだりも、こういう昔ながらの商店街への愛を感じるのよね。で、どれもこれも、くくっと肩をふるわせるような笑いに満ちていて、すごく気持ちがほんわかしてくる。

岩松了、ふせえり、松重豊。この3人のパートが、見る人によっては余計なのかな。これで文哉と福原の物語が、ぶつっと途切れる感覚になっちゃう人がいるのも理解できる。私は意外とそんなことなくて、軸となるストーリーの箸休めのようなものであり、福原さんの奥さんになかなかコンタクトを取ってくれないから真相を先延ばしにする役目を果たしているようでもあり。そして、何よりこの3人のくだらない会話に象徴される「日常の些細なコミュニケーションが心を癒してくれる」って言う三木監督のメッセージがすごくよく伝わるのね。まあ、この3人の織りなすトークに「あ・うん」の呼吸の気持ちよさみたいなのがあります。

疑似家族を作り出す後半部もいいです。文哉はきっとこれまで「我が家」と呼べる場所がなかったんだよね。今まで出会ったことのない感情に見舞われた文哉のとまどいが切なかった。で、福原は「カッときてつい殴ったら死んじゃった」なんて、言ってるけど、きっとあれは違うんじゃないかしら。だって、奥さんきれいにお布団の中で寝てたもの。不治の病か何かで福原が安楽死させてあげたんじゃないかな、それで思い出の場所を巡っていたんじゃないのかな、なんて、私は思ったりしたのだけど。まあ、そんな余韻に浸れるのも、文哉が「自首は止めてくれ」なんて、懇願したりしないまま、スッっと終わっちゃうからなのよね。すごく粋なエンディングで、これもまた良いのです。

フランドル

2008-10-22 | 外国映画(は行)
★★★ 2005年/フランス 監督/サミュエル・ボワダン ブリュノ・デュモン
<2006年カンヌ映画祭グランプリ受賞作>
「もう少しの我慢、もう少しの我慢で終了」


フランス最北部、フランドル地方の小さな村。少女バルブは、村の男たちとセックスを重ねている。やがて男たちは次々と戦争に召集され、どことも知れない戦場へと送られた。男たちが戦場で残忍行為を繰り返すにつれ、故郷に残るバルブの精神は日に日にバランスを失っていく…。

前半部が苦痛を伴うほど退屈。寒々しいフランドルの自然を捉えたショットは、この地方に住む人々の寂寥感を見事に表現している。これらのショットには、絵画を鑑賞するような味わい深さが確かにある。屹立する木々を捉えたショットは、ゴッホの「糸杉のある道」を思い出させる。しかし、見事ではあっても、そして美しくはあっても、スクリーンに引きつけられるような感覚には、残念ながら陥らなかった。というのも、彼女をまるで欲望処理機のごとく扱う男どもが見るに堪えない。そして、誰と寝ようが空虚な眼差しのバルブ。このあまりにも乾いた男女関係に、一体何を見いだせばいいというのか。

後半部、戦場で残忍な行為を繰り返す男たちの心がすさんでいくのに呼応するかのように、バルブは精神を病んでいく。たまったもんじゃない。バルブは、肉体的にも、精神的にも男たちのはけ口。戦場で多数の男に強姦された女性も、たとえその男たちが仲間から処刑されたって救われない。ああ、神様。平穏の時も、極限の時も、剥き出しにされる男たちの獣性に鉄槌をくだしてください。これは、そうやって、神に祈らせるための映画なんだろうか。確かに戦争の痛みを描いた作品。しかし、あまりに静かすぎるその筆致に、一握りの怒りも憐憫も感じることができなかった。何度も停止ボタンを押しかけた91分。

ギプス

2008-10-21 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2000年/日本 監督/塩田明彦
「関係性の映画」


フェチ道全開。ギプス、松葉杖、眼帯、包帯、車椅子。病院プレイが好きな人にはたまらないアイテムがそろっています。終盤はクローネンバーグの「クラッシュ」にも似た世界へ突入。義足のジッパーとぎりぎりと締め上げるようなスタイリッシュな映像美はないものの、物語がどう進むのかまるで先の読めない不安感は、こちらが上かも知れません。

「私がギプスをはめると何かが起こる」という環。そのぎこちない歩みに、とめどなく惹かれる人がいる。もちろん、性的な意味合いで。こういうテーマだけでも十分に面白いです。松葉杖の女の後をまるで魔物に取り憑かれたようにフラフラを追う人々がいるということ。その深層心理は一体何か。実に興味深いですね。単にギプスの中を覗いてみたい脚フェチ心理だけではないように思います。このテーマで2000文字くらいは書けそうです。

さて、作品の見栄えを文章化すると、極めてキワモノムードの高い作品に思われがちですが、本作の真髄は「和子」と「環」という2人の女性の関係性を描くことに終始しているということでしょう。前作「月光の囁き」のSM的恋愛関係はやや特殊でしたが、本作ではそれを女同士の力関係に置き換えています。環に触発された和子はバイト先で横暴に振る舞ってみたり、松葉杖をついて環の気分を味わってみたり。相手より優位に立ちたい、相手から必要とされると嬉しい、相手に裏切られると憎らしい…etc。徹底的に、1対1の人間関係が織りなす心理模様が描かれていくのです。そこには、友情を築きたいとか、愛しあいたい、という目的は一切見えてきません。だから、先が全く読めないのです。けだるいギターのBGMもツイン・ピークスのよう。妖しげな塩田ワールドにどっぷり引き込まれました。

サン・ジャックへの道

2008-10-20 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2005年/フランス 監督/コリーヌ・セロー
「旅、ときどき夢想」


信仰心のない仲の悪い3人兄弟が母の遺産目当てに巡礼の旅に参加する。こう聞いただけで、全ての方が、ケンカしながら仲直りする話だろ?と思われるに違いありません。そして、まさしくその通りなのです。激しくネタバレですね。でも、言っちゃっても構わないんです。だって、それでも、とても面白いですから。これを見た数日前に「口裂け女」を見てかなりヘコんでいましたので、すっかり心が清められたような気分になりました(笑)。

予測できる展開ながらも面白いのは、自分も巡礼路のツアー参加者になったような気分にさせられるからです。ヨーロッパの田舎町の美しい風景に目を奪われ、宿が決まらないいざこざにハラハラし、帰りたがるワガママな人にうんざりし。そして、旅が進むに連れ、少しずつ打ち解けあい、距離が近づき、互いの不安を癒し合う。「明日へのチケット」もそうですが、旅って、なんて素敵なんだろうと思わずにはいられません。

そして、本作をより豊かにしているのは、夢のシーン。旅に参加する人々のトラウマを顕在化させた美しい幻覚または夢想と言った方が良いでしょうか。フランス語のできないアラブの少年が巨大なアルファベットの「A」と言う文字に押しつぶされるユーモアにあふれたものから、美しく幻想的なものまで。この様々な夢想のシークエンスが、本作を単純なロードムービーに止まらない、個性的な逸品にしています。思い描く人生の道からちょっぴり外れた3人兄弟の行く末は、どうなるのでしょうか?その結末を想像しながら共に旅すれば、人生捨てたもんじゃないって、心がほんわり温かくなること受け合いです。

フランシスコの2人の息子

2008-10-19 | 外国映画(は行)
★★★★ 2007年/ブラジル 監督/ブレノ・シウヴェイラ
「私だって、できることなら夢を子供に託してみたい」


息子たちは一方的に音楽をフランシスコから強要されていたのだろうか。私には、とてもそうは思えなかった。音楽は、家族の夢であり、愛であり、潤滑油だった。ありったけの作物や父の形見と交換して、アコーディオンとギターを購入したフランシスコに妻は一度は眉をひそめたけれども、彼のその一途な思いがただの我が儘などではないことを悟っていたように思う。フランシスコは、生涯を通じて「音楽」という贈り物を子供たちに贈り続けたのだ。どん底まで貧しくなろうとパチパチと電気を付けたり消したりして無邪気に喜び、土地を手放した悲しみにくれることなく慣れない土木工事に取り組み、発売日の決まらぬ楽曲を同僚たちにも呼びかけ何度もラジオ局にリクエストし、そうやって彼は、いつも前向きに生きてきた。そんな父を喜ばせたいと思わない息子がいるだろうか。

あんなに音痴だった息子が少しずつ音楽の実力を身につけ、認められるようになる喜び。旅に出る息子を手放す寂しさ。家族の悲喜こもごもを描く前半部がとてもいい。一方、ミロズマルが成長してからを描く後半部は、実話ということもあり、スターになった彼の足跡を追っただけの感が強く、物語の深みにやや欠けるのが残念。

さて、本作のもう一つの楽しみ方。それは、鑑賞後、自分が誰の目線でこの物語を捉えたかを確認するということ。私は母親だけど、すっかりフランシスコ目線、つまり父親目線だった。しかし、他の方の感想を見るに、母親目線の方もいれば、子供目線の方もいるようだ。私自身は、先日見た「スクール・オブ・ロック」じゃないけど、大人ってもっと子供に体当たりで挑んでいかないといけないんじゃないかって、最近つくづくそう思ってる。だから、フランシスコがとことん彼らに情熱を傾けるその様が、それが時には思慮浅く見えようとも、何だか羨ましくて仕方なかった。実際の映像がかぶってくるエンディング。私には少々蛇足に思えた。だって、「僕が旅立つ日」を歌った切ない歌詞の楽曲がとてもすばらしくて、あの切ない旋律にしばし浸っていたかったんだもの。

スクール・オブ・ロック

2008-10-18 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2003年/アメリカ 監督/リチャード・リンクレイター
「一生懸命な大人でいようぜ」


ぶっ飛びデューイの一挙手一投足に腹を抱えて大笑い。ロックを愛する自己中男を演じるジャック・ブラックの無軌道ぶりがおかしいの、なんの。ロックオタクっぷりを、堂々と子供たちに伝授するシーンがツボでした。特にウケたのは、伝説のギタリストやドラマーのビデオを子供たちに見せてるところ。好きなシーンだけ編集して、つなげてんの。いるいる、こんなヤツ。遊びに行ったら、部屋で延々こういうの見せられて、ウンチク語られたりすんのよね。まあ、オンナにはもてないタイプ(笑)。

全ての生徒1人1人に適材適所で役割を与えてあげるって言うのが、すごくいいんです。日の当たるバンドメンバーだけでなく、裏方も含めて「スクール・オブ・ロック」だって言う考え方。大人数の子供たちをまとめあげるって、結構難しいです。でも、照明担当、衣装担当…etc。彼らに対して、デューイが「いいぞ!すげえ!」って、褒めてやるから、みんな生き生きし始める。デューイは用意周到に子供たちをまとめようなんて全然思ってない。そこが見ていて爽快なんです。ぶっちゃけ、自分がコンテストに出たいがため。でも、子供って、一生懸命な大人にはつべこべ言わずについていくもんなんですよ。我々大人は、一生懸命な姿を子供に見せているだろうかって、ちょっと考え込んじゃいました。

ただ、一つだけひっかかることがあって、それはジャック・ブラックに頼りすぎなんじゃってこと。もし、違う俳優がデューイを演じたら、ここまで面白くなるかしら?もちろん、ジャック・ブラックありきの作品ってことはわかっている。でも、どこかで「彼が何とかしてくれる」という甘えがなかったかな?どうも、そう思わせてしまう脚本なんだな。もっともっと、磨けたはずですよ、この脚本。後半部、もう少し子供との絆、または校長とのエピソードに深みが出ればなお良かったな。でも、現在「2」の製作が進行中とのこと。次回は、映画館で見たいと思わされる作品でした。

この胸いっぱいの愛を

2008-10-17 | 日本映画(か行)
★★★ 2005年/日本 監督/塩田明彦
「がんじがらめなんでしょう」


「黄泉がえり」がヒットしたことによって生じた「TBS絡み」「タイムスリップ絡み」「柴咲コウ絡み(主題歌ね)」…。いくつもの「○○絡み」に見舞われて、監督がホントはこうじゃないんだよなあ、と言うつぶやきさえ聞こえてきそうな作品です。

それにしても、塩田監督はえらくTBSに気に入られたものです。フジテレビが続々と映画部門で成功したことに対抗意識を燃やして囲い込みをしているんでしょう。このTBSというテレビ局は迷惑千万な「囲い込み」を実によくやります。顕著なのはドラマに出演する俳優陣で、常盤貴子と織田裕二は一時期TBSのドラマにしか出ていませんでした。この作品がどれほどヒットしたかは知りませんが、続けて「どろろ」の製作に乗り出す。これまた、塩田監督、柴咲コウは連投です。全然ジャンルは違いますが、亀田兄弟だって同じ。金を生む者は徹底的に独占して、広告塔代わりに飽きられるまでとことん消費するのがTBSのやり方。そんな方法で、どこまで「作り手の思い」が作品に反映されるのか、甚だ疑問ですね。まあ、フジのSMAPだって同じ事ですけど。

さて、作品に話を戻して。塩田監督の描く女性は、いつもぶっきらぼうです。前作「黄泉がえり」でも、可憐なイメージの竹内結子がずいぶんぶっきらぼうな言葉遣いをさせられていました。この、ぶっきらぼうな女性が、ふとしたことで見せる弱さ、可憐さが塩田作品の魅力。そういう点においては、本作のミムラも塩田作品らしい佇まいを見せています。ただ後半、重い病と言うベタな展開を迎えて、この気の強い和美ねーちゃんの強情さこそクローズアップすれ、女性としての魅力があまり伸びてこない。それが、いわゆる感動作としての盛り上がりを生みません。

やっぱり、感傷的な演出が少ないからでしょうね。最も印象深かったのは、入院中の和美にバイオリンの音色を聞かせてあげるシーン。ベタな演出ならば、大粒の涙を流す顔をアップで捉えて、嗚咽。なんてことになるんでしょうが、違います。和美は病室の角にうずくまり、こぶしで壁をどすっと叩きます。このカットは夕暮れ時の病室で、しかも和美はこけしみたいなロングおかっぱなもんで、ちょっと気味悪いんですよね。また、終盤和美のために用意したコンサートシーンでも、真意を知った和美はこの期に及んでヒロを睨み付けています。塩田監督は、何とかメルヘンテイストな仕上がりに抵抗しようとしている。そんな風に私は感じました。

「黄泉がえり」の場合は、主題歌の絡みもあり柴咲コウのコンサートと言うとびきりのクライマックスが用意されていた。しかし、本作の蛇足のエンディングは何ですか。あれは、ひどい。原作にどれくらい忠実なのか、未読なのでわかりませんが、二人に絞らず、もっと群像劇として仕上げれば良かった。クドカンのエピソードは、すごくいい。ヒロ以外の人物も、それぞれのやり残したことがクロスするようなクライマックスができれば良かったのになあ。残念です。この作品で最も得をしたのは、結婚相手を見つけたミムラでしょう。しかし、あんな一瞬の共演でなぜ結婚まで行き着いたのか、これがいちばんの不思議です。