Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

殺しのドレス

2007-11-30 | 外国映画(か行)
★★★★★ 1980年/アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ

「ラジー賞だか何だか知らんが、最高じゃん!」


いや~面白い!このワクワク感はなかなか体験できるもんじゃありません。
ヒッチコックのパクリとか、何だかんだ否定的な意見を言う人もいるらしいけど、私にとってはとにかく「めちゃめちゃかっこええやん!」のひと言。改めて見直しても、最初から最後まで唸りっぱなしでした。でも、この年のラジー賞とってるんだよね。全く、人間の物差しっちゅうんは、いろいろですな。

さて、多くの人が名シーンとして批評しているのが美術館のシーン。
欲求不満の人妻、となりにちょっとイカした男が座る。ちらっと横目で気のあるそぶりを見せても男は無反応。もう、まったく、アタシに興味ないの、コイツ!ちょっと足組み直してみたりして。あらっ、どっかいっちゃうの?追いかけちゃうわよ。と頭の中でセリフがぐるぐる回るんですけど、この長い長い追いかけっこシーンに一切セリフがない。最高に、おもしろいですね。女の目線であるカメラワークが雄弁に女の心を物語る。ホットペッパーの人にナレーション入れて欲しいよ。

やっぱカメラワークだけでこれだけワクワクできる監督っていないなあ。確かに、映画通と呼ばれる方々にはデ・パルマのカメラワークって、その確信犯的な撮り方があざとく感じるの人がいるのかも知れない。手法に溺れてるって言うのかな。でも、私が感じるこの高揚感って言うのは紛れもない事実で、かっこいいもんは、かっこいいとしか言いようがない。しかも、この無言の追いかけっこの後、やっとセリフが入ったと思ったら、突然カーセックスへの仰天展開。この通俗さこそがやっぱデ・パルマでないとできない技で、どう考えてもヒッチコックはこんな展開にはしない。

そして、デ・パルマに欠かせないのがお色気シーン。ラブシーンでもエロスでもなく、お色気シーンって言葉がぴったり。まるで11PMばりに「うっふ~ん」ってナレーションが入りそう。このB級テイストがたまりません。ナンシー・アレンもいいんだけど、欲求不満妻のアンジー・ディキンソンがいい味出してますねえ。 途中から犯人は誰かなんて、どうでもよくなってきます。ってか、大体わかるんですけど、それもご愛敬。

何者かに追い詰められる、または、精神的に追い詰められる。この「追い詰める」映像づくりが、本当にお上手。1940年生まれだから今年で67歳。まだまだ現役、いつまでも「そう来たか~!」という映像で魅せて欲しい。最新作「ブラック・ダリア」は映画館に行けなかったので、早くDVDが見たい!

去りゆく秋

2007-11-29 | 四季の草花と樹木
この写真、2週間前に撮りました…
仕事が忙しくて、恒例の京都紅葉散策もできずじまい。
今年は、ライトアップはおあずけでした。残念

忙しいのはいいこと、なんて慰められることもありますが
うーん、どうでしょ。まあ、そうなんですかねえ…


こちらも2週間前の近くのダム湖の様子です。
きれいですねえ。

でも、紅葉が終わると、気持ちは
「そろそろ雪だね…」というモードになります
今年の初雪はいつかな。
ぴゅうぴゅう強風が吹くような寒さより
雪が降ってしまった方がマシなんですよね。子どもも犬も喜ぶし。
庭の草花も今じゃ菊しか咲いてないし、雪ぐらいしか楽しみがないの。
私のところにもサンタさんが来ないかな~



LOFT

2007-11-28 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2006年/日本 監督/黒沢清

「ミイラが恋のキューピット」


これは黒沢清監督が初の「ラブストーリー」にチャレンジした作品なんでしょう。まともにラブストーリーなんて描けないので、ちょっとミイラの力をお借りしました、と言う。で、何しろミイラがキューピットなわけだから、ホラー風味のラブストーリーになるのは当然。そして、取り巻く人物も黒沢清だから、一筋縄じゃいかない奴らばっかし、ということで。

例のごとく、そうであると仮定して、ずんずん感想は進む(笑)。

恋愛を持ち込んだことで、いつものざわざわするような恐ろしさはかなり軽減されている今作。物語よりも、主要な俳優陣の個性が黒沢節によって引き出されたことが強く印象に残る。まず、主演の中谷美紀。彼女が元々持っているエキセントリックな美しさというのは黒沢作品には非常によく似合う。また、ミイラを守る教授、吉岡役の豊川悦司。監督のファンサービスなのでしょうか?常に「白いシャツ、第2ボタン外し」という、彼が最も似合う衣装で出ずっぱり。中谷美紀同様、何を考えているか分からないミステリアスな雰囲気は、なぜ今まで黒沢作品に出ていなかったの?と思われるほどしっくり来ていました。

しかし、最も際だっていたのは、安達祐実。とても美しかったです。彼女は、影のある役をもっとどんどんするべきなのでは?「大奥」の和宮も非常にいい演技だったし、これから化けていきそうな気がします。あっ、映画の中ではホントに化けてましたが(笑)。「叫」の葉月里緒奈といい、黒沢作品で幽霊をやれば女優としてひと皮むける、なんて話が出たりして。「叫」の幽霊は赤いワンピース、今作の幽霊は黒いワンピース。ゆえに「LOFT」と「叫」は、対を成すものがあるのかも知れません。

話が横道にそれましたが、ミイラに愛という呪いをかけられた礼子の恋愛話と編集者木島に殺された亜矢の話をどうリンクさせればいいのか。
で、勝手に推測。結局、亜矢にとどめを指したのは、木島ではなく、吉岡だった。ミイラに導かれて吉岡を愛するようになった礼子だったが、一方その吉岡はミイラの導きによって人を殺し報いを受けた。つまり、もともと手に入らない恋人を愛する運命を背負うような呪いを礼子はミイラにかけられてしまった。
とまあ、こんなところでしょうか。よく考えれば「吉岡」という名前なんですから、黒沢作品をよく見る人にとっては、彼が破滅するのは自明の理なんですね。

なんて、解釈話をレビューしても、黒沢清の面白さって全然伝えられない。やはり、彼の作品の面白さは、独特の映像の作り方にあるんだもの。鏡を見つめる礼子、一瞬にして幽霊が消えて手形だけが残る窓、まるで壁に同化するようにぼんやり浮かび上がる幽霊などなど。これらの不穏さと恋愛話が、今作ではどうも融合せずに消化不良となってしまった。しかし、毎回実験作の黒沢作品なのだから、それをとやかく言うことはしまい。黒沢作品にはめったにないキスシーンを仰せつかったのは、我が愛しの豊川悦司であった。その選択は、誠に正しい、ということでしめくくっておきましょう。

六月の蛇

2007-11-27 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★ 2002年/日本 監督/塚本晋也

「私の中の女性性が否定する」


梅雨の東京。セックスレス夫婦の妻・りん子のもとに、彼女自身の自慰行為を盗み撮りした写真と携帯電話がとどく。電話カウンセラーとして働く彼女の言葉で自殺を思いとどまった男・道郎からの狂った脅迫。その日から、りん子の恥辱と恐怖に満ちた日々がはじまる…。


キム・ギドクなんかもそうだけど、「女性を性的にいたぶる」描写が出てくる映画には、本当にその描写が必要なのか、と強く感じずにはいられないのです。ひとりの女性として。もちろん、「性」というものが映画における重要なテーマであることは、私自身も重々承知している。むしろ「性」をテーマにした映画こそ、私が最も愛する映画なくらい。

本作で塚本監督が描こうとしたものも、わかっているつもり。破壊と再生。徹底的に破壊することでようやく得られる再生。しかし、頭でわかっていてもなお、私は目をそむけたくなってしまった。それは、主人公がトイレで性具をつけさせられ、街中を歩かされるシーン。そこで私は、すっかり疲労困憊してしまって、もう先はどんなだったか、覚えていないくらい。

この私が感じている「痛めつけられた感覚」というものこそ、塚本監督が観客に与えたかったのだと言われれば、もう何も言えなくなる。むしろ、じゃあもう塚本作品は見ない!ってふてくされるしかないというか…。でも、それはこの映画の正しい見方ではないんだよね。女をいたぶるな!って金切り声を上げるフェミニストでもないんですけどね、私。

しかも、なぜこの作品が許せなくて、レイプシーンのある「時計じかけのオレンジ」を傑作と認めることができるのか、自分でもうまく説明ができないのよ。やっぱり元に戻るんだけど「そのシーンは必要だった」と腑に落ちるかどうかってことなのかな。もちろん、「シーンの必要性」なんて大風呂敷広げちゃうと、とんでもなく難しい映画論に迷い込んでしまう。だから、もっと感覚的なものかも知れない。

とにかく痛めつけられた気持ちが大きすぎて、映画の言いたいことなんか、どうでも良くなってしまう。それはそれで、何だか悲しい事のような気がする。私にとっても、製作者にとっても。この作品そのものが放つパワーは確かに感じる。しかし、それ以前に私の肌が拒否する。それは、理屈以前の問題で、全ての作品を好き嫌いで私は論ずる気は毛頭ないけど、ごくたまにそういう作品も登場する。りん子のいたぶられようはそんな私の神経を破壊してしまう。

男たちのかいた絵

2007-11-26 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 1996年/日本 監督/伊藤秀裕

「ひと粒で二度おいしい」


ピアノの調律師で心優しい杉夫とヤクザで暴力的な松夫、二つの人格に悩まされる男を豊川悦司が演じる。

この映画は豊川悦司ファンには「一粒で二度おいしい映画」。杉夫はいつも優しく微笑み、ささやくような声で話しかける。かたや、松夫はワイルドでセックスアピールも満点。どっちを演じてもステキなトヨエツが1本の作品で見られるんですもん!1996年の作品ですが、前年の1995年に「愛くれ」と「Love Letter」に出演。まさに「トヨエツ」というキャラクターが一気に人気になった頃かな、と思う。しかし、今作はその「トヨエツ」という流行キャラではなく、演技派俳優としての豊川悦司を見せたくて出演したのかな、と言う気がする。

その理由のひとつは「二重人格者」という難役に挑んでいるということ。もちろん、二重人格と言えば、人格の入れ替わりシーンが見所になるのは当然。今作でも、杉夫と松夫が入れ替わる瞬間は、何度か出てくるけど、なかなか面白い演技をしている。特に杉夫→松夫の変化は、目つきの鋭さが別人のようになる。また、別のシーンになって、一体どっちだろ?という場面でも、その佇まいでどちらの人格かすぐにわかる。

故・神代辰巳監督が企画していたという映画だけに、ヤクザ、情婦、ジャズといった昔懐かしいロマンポルノのぬるーいテイストでいっぱい。そういう点では、今見ると確かに古くさい部分は多い。なんせ高橋恵子が演歌歌手のドサ周りだけど、ほんとはジャズ歌手志望って設定ですから、ちょっと引いてしまいます。

しかし、豊川悦司という俳優のルーツを辿るには欠かせない1本には間違いありません。なんせ濃厚な濡れ場もふんだんにありますもん。

プラトニック・セックス

2007-11-25 | 日本映画(は行)
★★★★ 2001年/日本 監督/松浦雅子

「意外と、あとひと息」


オダギリジョー見たさに鑑賞。

AV出身のタレント、飯島愛自伝小説の映画化ということで、あまり期待して見なかったけど、惜しい!あとひと息で何とかなったかも、という感じ。というのも、主役以外のサブメンバーの演技がいいからなの。オダギリジョー、野波真帆、そして阿部寛。主演が素人であるため、余計にそう感じるのかも知れないが、この3人で何とか映画たるものに持って行けた。

特に阿部寛の役どころがこの映画の最大のポイント。彼は、「慈善家」という肩書きの金持ちで非常に謎めいた人物、という設定。キャバクラにも出入りすれば、児童施設に寄付もしている。しかし、わざと子どもたちの目の前で金をばらまいたりする複雑なキャラクターで、なぜか主人公にいろいろ助け船を出してくれる。主人公と世の中を繋ぐ存在でもあるんだけど、その実体はなかなかつかめない。この奇妙な浮遊感が陳腐な転落ストーリーを何とか映画的なものに押し上げている。

それからオダギリジョー。やっぱりとても存在感がありますね。こんなことをわざわざ感想として言うのもなんだけど、彼はちゃんとキスシーンできる俳優。だって、唇をちょこんと合わせただけの、嘘っぽいキスシーンしかできない若手俳優が多すぎるんだもん。DJ志望という役柄で手元がよく映るんだけど、すごく指がきれいなんだなー。まっ、そういうことはさておき、今作は映画デビュー作だと思うんだけど、デビュー作にしてその役としてそこにきちんと存在することができている。やっぱり光るもんがあります。

10代の人気女優が豊富な今、この映画を作ったらもう少しマシになったように思う。大いなる疑問は、AV女優というどうしても外せない描写がなぜこんなに、「つたない」表現になってしまったのか、ということ。脱がなきゃいけない仕事だから、わざわざオーディションしたんではないの?友人によるレイプ、親からの勘当、キャバクラ嬢、買い物依存症による借金からAV女優への転落。この「墜ちていく」様子を真正面から描かないことには、どうしようもないと思うんだが。観客のターゲットが10代だから、AVの描写は適当にごまかさないといけなかった、ってのは言い訳にはならない。だって、そこまで墜ちちゃうところがキモなんだからさ。

「Deep Love」「Dear Friends」「ラブ&ポップ」など、10代の女性の空虚感をモチーフにした映画はいっぱいあって、テーマとしては普遍的なものなんだよね。だから、なおさら惜しい。
最後に言うのも何だが、やはり主演女優の演技に難がありすぎる。オーディションした理由が本当にわからん。

ザ・中学教師

2007-11-24 | 日本映画(さ行)
★★★★☆ 1992年/日本 監督/平山秀幸

「女王の教室の原形、ここにあり」


今から15年前の作品である。おそらく「悪い奴は見た目も不良」という時代から「普通の子がキレる」時代への扉が開いた頃だろう。出演者の中学生はどの子もいたって見た目はフツー。しかし、その飄々とした風貌とは裏腹に不穏な空気を教師に送り続ける恐ろしさは現代のキレる子そのものだ。

徹底した管理主義で子供たちを束ねる冷徹教師が三上先生(長塚京三)。で、ですね、この三上先生のキャラクターが「女王の教室」の阿久津真矢先生にとても似ている。もしかして、ドラマ作りにこの映画を参考にしたのでは?と勘ぐってしまう。しかも、生徒に媚びへつらう友だち先生の役を藤田朋子が演じているのですが、これがまさに真矢先生が鬼と化す前の姿にそっくり。

「女王の教室」もそうだったけど、結局先生って子供に嫌われてナンボの世界ってことでしょう。ドラマや映画では教師像の描き方が極端になるのは当然のことでね、本作では行き過ぎと言われる三上先生の管理教育がマラソン大会では花開くわけだから、結末としてはちょっとイージーかな、と言う気もする。

でも、この映画の良いところは、そんな三上先生も自分の娘の子育てはうまくいかないことを描いている点。厳しくて、良くできた先生ほど、実の子供はいろんなプレッシャーを受けて道をそれる。これは、現実社会でも非常に良くあること。親が先生って、子供がたいへんだな、とつくづく思っちゃう。

藤田朋子演じる先生の授業中に、生徒が好き勝手な行動を取るシーンやシンナーを吸った生徒が先生を襲うシーンは、「台風クラブ」を思い出させる。
そう、本作もウエットな演出は全くなく、非常に淡々と冷めた目線で中学生を描いている。その距離感は三上先生が劇中つぶやく「僕だって生徒は怖い」という意識とリンクしていて、つまり三上先生が行う管理教育というのは、生徒にべったりするのではなく、一定の距離感をキープするための手法であるわけだ。で、同じように観客も劇中の生徒たちとの距離感を冷めた演出によってキープすることができる。

先生がいい人かどうか、というのはあまり問題ではなく、ポイントは子供との距離の取り方。それが、寂しいと捉える人もいれば、現実的でいいと捉える人もいる。私は、三上先生大いに結構。わかろうとする、入り込もうとする、理解し合えると思っている。そんなのは大人のおごりだろう、って思うからだ。
三上先生は、見た目は冷徹だけど、責任を取ることに関しては、全て引き受けようという、志が見える。それは、教師という職業においてとても大切なことだと思う。

愛を乞うひと

2007-11-23 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 1998年/日本 監督/平山秀幸

「愛して欲しいという心の叫びが聞こえる」



幼い頃に実母に折檻を受け続けた記憶から脱しきれないひとりの中年女性の姿を通し、親子の絆とは何かを問う人間ドラマ。とにかく、凄まじい虐待を続ける鬼母とそのトラウマを抱えた娘、という相反する役をひとりでこなす原田美枝子の演技がすばらしい。

豊子(原田美枝子)は戦後の混乱期を体一つで生き抜いてきた女。心優しい台湾人の陳さん(中井貴一)と出会い、幸福をつかみかけたが、娘ができてからは容赦ない虐待を繰り返す。おそらく、豊子自身も虐待を受けた経験があるか、または不幸な幼少時代を過ごしたのだろう。しかしその詳しくは語られない。ゆえにそのあまりに一方的な虐待の数々を見るにつけ、豊子が本当の鬼のようにすら見えてくる。次から次へと変わる「お父さん」もみな豊子の虐待を見て見ぬふりをし続ける。本当に見ていてつらい。

豊子の娘、照枝(原田美枝子)は、その虐待のトラウマから自分の娘(野波麻帆)と正常な親子関係を築けないでいた。だが、実父の骨を探す旅を通じて、自分自身を再生させ、娘との絆を取り戻そうとするプロセスが丹念に描かれる。

平山作品は、この「丹念さ」が特徴のように感じる。非常にまじめで静かに訴えてくる作風。そして、今作における特徴は敢えて「語らない」部分を作っていることだと思う。それは案外重要なところなんだけど、たぶん敢えて語ってないのだろう。

一つはなぜ豊子がこんなに子供を虐待するのか。お腹にできた時から「これで彼はもう私を愛さなくなる」という台詞があることから、陳さんの愛をひとりじめしたかった、ということくらいは伺える。そして、もう一つは照枝はなぜ現在母子家庭なのかということ。いずれも心のトラウマが原因だろうと思うが、この部分を敢えて明かさずに、豊子に同情の余地を与えず、照枝にも哀れみを与えないようにした離れた目線で描き続ける。それが逆にふたりの関係をリアルに浮きだたせているように感じた。

それから、この作品は音楽をほとんど使わず静かな作品であるのがとてもいい。テーマ曲であるギターの悲しげな音色が時折入るのだが、このタイミングが絶妙でその切ないメロディが映画にぴったり合っている。

大人になってようやく母に別れを告げることができた照枝。そこには、自分の娘との新たな関係を築けるだろうという希望が見て取れる。最後に娘が照枝にかけるひと言に胸が締め付けられる。非常にいいラストシーンです。

DEATH NOTE デスノート the Last name

2007-11-22 | 日本映画(た行)
★★★★ 2006年/日本 監督/金子修介

「原作ファンを納得させたエンディング」


大人気コミックの映画化なだけに、漫画を読んでいる人とそうでない人では楽しみ方が全然違うんだろうな。私は原作を読んでいたので、いちばんの感想は、よくぞうまくまとめました!ってこと。原作読んでる人はみんなそうじゃないかな。とにかく後半グダグダで収集ついてませんでしたから。

このシリーズでは、主人公キラよりもL の方が存在感があった。漫画の描写では、いかにもマンガ的キャラクターで現実的にはありえない感じの人物だったのにも関わらず、映画のL は想像以上の実体として我々の前に現れた。この映画の成功の一番の要因は、松山ケンイチのL にあるといってもいいだろう。これですっかり人気者になった彼を、最近あちこちで見かけるけど、Lの面影が全くない。これまたすごいところ。あれは演技力なのね。かと言って、スピンオフですか。日テレさん、フジの真似しちゃイカンですよ…。

さて、漫画よりも映画の方がメディアとして優れているという偏見は全くないのだけれど、気になったのはキラを支持する大衆を描くシーン。キラ様とか看板持ったり、子どもがキラ様ありがとうとか、インタビューで答えるところね。この辺のマンガ的表現が映画にもそのまま導入されていて、このチープな感じがちょっと大人としては引いてしまう。

Lの存在感が抜群だったから、大衆がなぜキラに追従するのかというあたりをもう少し地に足つけて描いてくれた方が良かったな。藤原竜也は、松山ケンイチに喰われてしまったけど、キラを演じる役者としては、彼はすごく適任だと思いましたよ。だから、支持する大衆があまりにも幼稚に見えて、キラの存在そのものまで軽く見えてしまったところがちょっと残念。

それにしても、キャラクターの造形という点では日本の漫画のクオリティってのは格段にレベルアップしたよね。ひと昔前は小説家や脚本家を目指していたような人が今はみんな漫画家になっているのかな、と思ったり。漫画の中だから少々ありえない設定でも、いざ映像になるとこちらの予想以上に現実的なキャラクターになる。「つくし」しかり、「のだめ」しかり。

これはね、どんなに設定がありえなくとも、それぞれのキャラクターのディテールがきっちりと描かれていることが大きいと思う。最初は「いねーよ、こんな奴」と思っていても、好きな食べ物とか癖とか服装などに細かい描写があって、その一つひとつがしっかりとキャラクターを実在のもののように認識させていく。漫画の映像化って言うのはこれからまだまだ続くんだろうね。


海を飛ぶ夢

2007-11-21 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2004年/スペイン 監督/アレハンドロ・アメナーバル

「愛する人を殺せますか」


海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロは、26年間をベッドの上で過ごし、尊厳死を希望している。しかし、全く体が動かない彼にとっての尊厳死は「誰かが彼を死なせる手助け」が必要。この映画の主題は「愛する人が本当に死を望んでいるのなら、その手助けができるか」という極限の問いである。映画を見た全ての人は、自分の愛する人がラモンと同じように「死にたい」と願った時に自分はどのように行動するかを考えさせられることだろう。

ラモンの尊厳死への希望が実に厳粛な問題として受け止められるのは、彼は感傷的になって死にたいと望んでいるのではない、ということである。ラモンはやけっぱちになっているのでもなく、精神的におかしいわけでもない。実に理路整然と自分の生には尊厳がない、と言い切る彼に一体どんな反論ができるというのだろう。命は神から授かったもの、やけになって死んじゃいけない、生きていればいいことはある…。どんな説得も彼の「尊厳のない生」という主張には、効力を持たない。

それでもなお、ラモンの要求をわがままと受け取る人もいるだろう。このテーマは、自分は「死」をどう考えるか、という踏み絵でもあるのです。

さて、尊厳死を巡る極限の問いを放つというテーマ性だけがこの映画のすばらしいところではありません。本作はひとりの男を巡る3人の女たちが登場する珠玉のラブストーリーでもあります。一人目は常に彼の面倒を見てきた義理の姉。彼女はラモンの兄の妻ですが、明らかに彼女はラモンを愛している。私の目にはそう映りました。二人目は尊厳死の訴訟を引き受けた女弁護士フリア。ラモンも彼女を愛し始めるのですが、悲しい結末を迎えてしまいます。そして、ラモンに仕事や家庭のグチをぶちまける工場勤めの女、ローザ。強引で自分勝手な彼女が最後までラモンと付き合う運命になるとは…。

死にたいと願っている男を好きになってしまう。なぜなら、常に生と死を考えに考え抜いてきた経験が彼に人間としての魅力を与えているから。何とも皮肉なことではあるけれど、ラモンの人生は最後に大きく輝いたと言えるでしょう。

ラモンの家族は彼の尊厳死を強く反対します。それは、愛する人を死なせたくないという思いと共に、彼をみすみす死なせたという罪悪感に捕らわれるのが怖いからであり、大きな喪失感に耐えられないのがわかっているからです。家族のとらえ方、友人のとらえ方、恋人のとらえ方の違いを比較することでも、「死」に直面した時に人はどう感じ、どう行動するのかを深く考えることができる、すばらしい作品です。

ブロークン・フラワーズ

2007-11-20 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2005年/アメリカ 監督/ジム・ジャームッシュ

「誰も俺のことを忘れちゃいなかった」


ずーっとくすくす笑いが止まんなかった。ジム・ジャームッシュってこんなテイストだったっけ?すごい侘び寂び入ってるよねえ。この侘び寂び感、アメリカ人の観客も共有してるんだろうか?いやあ、楽しませてもらいました。

ビル・マーレイのダメ男っぷりは、世の男性諸氏も見習った方がいいかも知れません。このキャラクター、かなり母性本能をくすぐります。私がなんとかしてあげなきゃ、という気分になりますね。隣人の黒人がやたらとおせっかいなのも、それに近いものがありそうです。

「ピンク」という色を一つのキーにしていろんな場面で使っているあたりも非常にセンスを感じるし、BGMのCDのエチオピア音楽やら、ドン・ジョンストンという紛らわしい名前など、細かいネタも用意周到。

私がこの作品をいい!と思ったのは、ドンの昔の女たちが今なお彼に対して何らかの愛情を抱いている、ということ。女は昔の男をいつまでも愛している、その事実が何だかほろ苦い。久しぶりの再会でベッドインしちゃう女、彼に撮ってもらった写真を大切に飾っていた女、会ったとたんに激情して突き飛ばす女。誰ひとり、彼に対して「あなたの存在は私の人生から消えてしまった」という反応を示さない。ドンもがんばって会いにいった甲斐があったというものですよ。

きっと彼女たちの愛情を感じて、彼の孤独感はずいぶん癒されたでしょう。「あんた誰」なんて言われなくてホントに良かった。でも、こんなすっとぼけた作品が賞を獲るんだから、カンヌ映画祭は懐が深い。小難しいヨーロッパ作品ばっかりがグランプリじゃないんですもんね。

UNLOVED

2007-11-19 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 2002年/日本 監督/万田邦敏

「価値観の転倒にめまい」


これは非常に奇妙な映画です。見終わった後の何とも言えない感情は今でも覚えているくらい。とにかく「私を愛さないで」と言い続けるんです、主人公が。女として考えられますか?

光子(森口瑤子)は生活に変化をきたすのを心の底から畏れている公務員。偶然仕事ぶりが認められ、青年社長の勝野(仲村トオル)に言い寄られるのだけど、それをことごとくはねつける。
仕事を紹介しても断るし、ドレスも食事も断るし、あなたの愛はいらないと言う。まあ、普通の女なら素直に喜ぶ、プリティ・ウーマン的展開ですよ。光子のその否定ぶりってのが、これまた強烈なんですね。勝野にしてみれば、何で俺の提案を断るのか全くわからん!ってこと。

で、光子は勝野ではなくアパートの階下に超してきた溶接工の下川(松岡俊介)とつきあい始める。光子は下川といる方が自分らしくいられる。まあ、その気持ちもわからなくはないです。でも、ここからの展開がまたすごい。勝野に刺激された下川に上昇志向が生まれる。するとなんと、光子は激高するんですよ。「あんたはそのままでいいのに!」って。

光子には光子なりの価値観があるんですね。冨や名誉なんていらないと言う。しかし、彼女は冨や名誉ではなく、人として男を選択しているのか、というと、これまたそうじゃない。ここが、実に興味深いキャラクター設定でね。光子のかたくなまでの自分の価値観への執着ぶりというのは、見ていてだんだん吐き気がしてくるくらい偏執的なんですよ。自分の価値観を守るだけではなく、相手の価値観の変化も絶対に許さない女。光子にどんな過去があって、このような考えに至ったのかは一切描かれていないので、光子に同情しようもできない。

しかし、非常に印象的な映画であることは間違いありません。この作品は、役者はほぼこの3人だけで、しかもセリフ回しが驚くほど棒読みなんです。間違いなく意図的な演出です。無機質な声色で「いらない」「帰れ」と否定的なワードを言い続ける光子を見ていると、なんだかくらくらしてきます。そして、光子を演じる森口瑤子が実にこの役にぴったりハマっている。

「女はみんな愛されたがっている」と思っている男性諸氏。この映画でその価値観はぶちのめされます。見終わったら今後女性に対してどう接すればいいのか、頭を抱えることマチガイありません。


アザーズ

2007-11-17 | 外国映画(あ行)
★★★★ 2001年/アメリカ=スペイン=フランス  監督/アレハンドロ・アメナーバル

「頭を使うサスペンスに疲れている人はぜひ」



ニコールキッドマンがすんばらしく美しい!

以上

と終わりたいほどニコールの美しさにうっとり。まさに、ブロンド・ビューティーってんでしょうか。往年の大女優、マリーネ・デートリッヒばりのオールドスタイルの巻髪がとても似合ってましたね。で、美しくて、敬虔なクリスチャンで、夫を待ち続ける貞淑な妻であるニコールが追い詰められれば追い詰められるほど、ドキドキする。やはり、追い詰められるのは美女でないと、臨場感が出ない。

さて、ゴシックホラーというよりも、私は単純に謎解きサスペンスとして楽しめました。この手の映画は、近年あまりにもレベルが上がってしまって、ストーリー展開が伏線だらけの複雑なものや、やたらと哲学的な思想を盛り込んだものなど、どんどん深く掘り下げる傾向にあるように思う。もちろん、この「アザーズ」にも伏線はある。かなりある。そして、この伏線をしっかり考えながら見てると、割とすんなりラストのどんでん返しに思いつくのかも知れない。

でも、みなさんそんなに推理をしながら映画を見ているものなの?私は、どちらかというと全くしないなあ。ただ、身を委ねて見ているという。だから、「SAW」みたいな伏線だらけの複雑怪奇なストーリーって、正直後がめんどくさいの。見た後に、余韻に浸るのは好きだけど、見た後に何かをはっきりさせるために検証するって作業は、あまり好きじゃない。

そういう私みたいな観客にとっては、この作品はラストのどんでん返しには素直に膝を打ったし、そう言えばそうだよね、と合点の行くことばかりで、オチが出れば謎は残らないというもの。もちろん、その身を委ねてただ見ているのは、ニコールの美しさに負うところも大きいんですよ。彼女はやたらと聖書に倣って厳しく子供を育てているんだけど、そのヒステリックなまでの狂信ぶりにどんどん引き込まれちゃう。で、彼女のその性格はちゃんとオチにも繋がってるし。昨今のやたらと複雑なサスペンスものに疲れていたので、ある意味新鮮に感じたなあ。

セブン・イヤーズ・イン・チベット

2007-11-16 | 外国映画(さ行)
★★★★ 1997年/アメリカ 監督/ジャン・ジャック・アノー

「東洋人としてのスタンスで見てしまう自分に意外な発見」



<ブラッド・ピット見たさに鑑賞>

広大な土地チベットを舞台に、登山家ハインリヒ・ハラーと若き日のダライ・ラマとの心の交流を、実話をもとに描いた作品。「西欧人が東洋の神秘に出会い、己を取り戻す」というストーリーは、何だかどこかで見た感じ。この手の作品を見ていつも思うのは、西洋は東洋のおいしいところを自分のために利用してるだけじゃないのか、という不信感なの。チベットを侮辱した表現があるわけでもないし、むしろハラーとその友人もつとめてチベットの人や文化に尊敬の念をもって接している。それでもなお、「自分たちの表現のために “東洋的なもの”が利用された」というような被害妄想が頭の中にムクムクと起きちゃうわけ。

こんな時「ああ、私もアジア人なんだわ」なんて再認識する。映画の感想とは全然別の意識が働いちゃって。まあ、こういうところが映画のおもしろいところなんですけどね。

確かにハラーは家庭教師として若いダライ・ラマに世界のいろんな知識を教えてあげる。どちらかが一方的に何かを搾取しているわけでもなく、二人は堅い信頼関係で結ばれている。それでもなお、その不信感がぬぐえないのは、後半チベットが中国から侵略されるくだりでチベットは中国からひどい目に遭いました、それでハラーは祖国に帰りました、ちゃんちゃんってことで映画が終わっていること。

中国によるチベットの侵略というのは、非常にシビアな問題でそこを掘り下げたら、きりがないとは思うけど、このほったらかし方はどうなの、と思ってしまう。その話に突入するんであれば、帰国後ハラーが中国に侵略されたチベットを思っていかに心を痛めたかという部分があってもいい。だけど、物語は、ハラーは息子にダライ・ラマから受け取った宝物を渡して終わる。どうしても、そこが引っかかってしまうのだ。

この映画は前半部が長いのよ。登山が失敗して、捕虜になって、脱走してチベットに行き着くまでが。ここをもっと短くして、ハラーとダライ・ラマの交流にもっと時間を割けば、先のほったらかし感もずいぶん軽減されたと思うな。

さて、ブラッド・ピット。この作品ではサラサラヘアで金髪の貴公子の余韻をかろうじてとどめております。でも、アクの強い今のブラピの方が私は好き。本作では、父になる自分を受け入れられない苦悩、妻に見捨てられた喪失感をもっともっとエモーショナルに表現して欲しかった。ちょっと物足りないぞ。

薪ストーブ、点いた

2007-11-14 | 木の家の暮らし
ついにコイツの季節が始まりました。
3日ほど前からスタート。

やっぱ、あったか~いです^^
っていうか、この写真撮るために接近したら暑い!
風呂上がりなんて、あたたかいからずっとTシャツです。
あ~極楽極楽。
調子に乗ってると、外との気温差がだんだんわからなくなってくる。
気をつけないと。

燃えさかる炎を撮ろうと接近するんですけど、
結構難しいんですよね~



もっとオレンジ色なんだけど、なぜかピンク色になってしまう。
なんでだろうなあ。撮影技術の違いですかね(笑)。


んでもって、問題。
薪ストーブがつくと、我が家のある家事のスタイルが一変します。
それは何でしょう!

チッチッチッチッチッチッチッ…


正解は、洗濯でーす。
洗濯を夜にするのです^^


そして、部屋で乾かす。
なぜなら、薪ストーブのおかげで朝までに乾いてしまうからです。
そして、部屋の空気がとても乾くので、乾燥対策。
ズボラ主婦には、ありがた~い薪ストーブなのでした^^