Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

GO

2006-04-30 | 日本映画(か行)
★★★★★ 2001年/日本 監督/行定勲

「血沸き立つ」


窪塚洋介、最高の演技だね。これは見て本当に良かった。山崎努と大竹しのぶという脇を固める役者がうまいから、映画全体の底上げがなされていて、こりゃ完璧。行定監督の最高傑作。こんなの作っちゃったら、もうこれ以上のは作れないんじゃないのかな?と思わせてしまうほど。

窪塚洋介のあの下から睨む眼、柴崎コウでなくとも、全ての女がゾクゾクするね。ああいう、ぎらついた眼ができる役者はそうそういない。自分のアイデンティティーのことやら、イラク戦争のことやら映画の完成記者会見で熱弁している窪塚くんを見るに、もともと彼はそういう「思想」というものに対する感性はあったのだろうけど、この映画を通してますますそれが深みにはまっていったように思う。でも、そういうことを熱弁する窪塚くん、私は好きだな。

脚本も、いいなあ。クドカンってこんなに硬派な話、ちゃんと書けるんだと思った。ぐさぐさ来るセリフがいっぱいあったよ。しかも、結構笑えるシーンもいっぱいあって、テーマの重さと緩急付けて一気に見せてくれる。タクシードライバー役の大杉連、先輩役の山本太郎、このあたりの絡みは絶妙だね。クラブでの柴崎コウと窪塚くんの出会いのシーンで、バックに落語が流れてくるセンスこそ、これぞクドカン!

それにしても自分でも持てあますほどの、ほとばしるエネルギーが、がんがん伝わってくる。観ている方も芯から熱くなった。「俺は何人だ!」と叫びながら、校庭に入ってくるシーン。最高。こんなセリフを自分のものにできる役者、窪塚洋介をもっと観たい。山崎努が添え物に見えたよ。窪塚くん!アンタはもっと映画に出なきゃ、ダメだ!


バーバレラ

2006-04-29 | 外国映画(は行)
★★★★ 1967年/仏・伊・米 監督/ロジェ・ヴァディム
「オープニングが最高にカッコイイ」

全編みなぎる、ゆるゆるモード。冒頭のジェーン・フォンダが宇宙服を脱ぎ捨てるシーンがあまりにもカッコ良すぎて、後半観てるのつらかった。でも、このストリップシーンだけでも観る価値あると思う。無重力でふわふわ浮かんでるジェーン・フォンダが、いちま~い、にま~いと宇宙服を捨てていくんだけど、まあ美しいこと。そのナイスバディに女のアタシもうっとりしちまったよ。
ここ、何回も巻き戻して観た。

まあ、その後はおバカシーンの連続で、セックス拷問マシーンやら、人形責めやらB級通り越してもはやC級…。しかし、こんな映画を撮ったロジェ・ヴァディムはスゴイ。しかも、自分のスィート・ハートを主演にして、こんなの撮っちまう懐の深さに脱帽。

未来人間は、肉体的なセックスをしないで、薬を飲んで手と手を合わせる。そうすると、エクスタシーがやってきて、髪の毛がぶるんぶるんとふるえだして、しまいにゃ髪の毛爆発状態って、まじドリフコント?的シーンの連発。しかも、シーンつながっていようが、何だろうが、ジェーン・フォンダの衣装がコロコロ変わる。いいの、いいの、かわいい洋服いっぱい着せちゃうのって、まるでバービー人形遊び。でも、またこの衣装がキッチュでかわいいの。

それにしてもロジェ・ヴァディムが付き合った女優って、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーブ、ジェーン・フォンダ、って何それ?一体どんな男だったのか、そっちにも興味あるなあ。


オオデマリとサルスベリ

2006-04-28 | 四季の草花と樹木
オオデマリとサルスベリを植えました。もう、どんどん植木が増えていて、ほんとはまだ写真が撮れていないものもある。とりあえず、現在我が家で一番大きな木として、玄関に植えることになったのが、こちらの「オオデマリ」。「コデマリ」というのは聞いたことがあったけど、こんなに大きなのは初めて見た。先週何気に寄った植木屋さんで見つけてから、気に入って結局買ってしまった。

どこに植えようかずいぶん迷って、結局玄関脇になった。リビングから見えないのが残念だけど、外から帰ってくる時に見ると玄関まわりとの調和がなかなかGOODである。



葉っぱの感じは、アジサイに似ている。日差しがあたると緑がキレイに光る。
↓花が咲くとこんな感じになるらしい。こりゃあ、すごいな。うちもこれくらい咲いてくれると嬉しいな。



そしてサルスベリ。このあたりではサルスベリが多いのだが、植木屋さんに行くと枝をカットされたものばかり。造園会社に勤めたことのあるダンナ曰く、枝を人工的にカットして、幹の近くで花を咲かせるスタイルが和風庭園にあると言う。盆栽みたいなもんか?でも、あくまでも自然樹形にこだわるダンナはそれらしいものを探すがなかなか良いのがなく。結局少し手は入っているが、これからも枝は出てくるということで、こちらのサルスベリを購入。あえて樹形が「斜め」になっているものにした。↓


斜めになっていれば、デッキ方向に枝が伸びてくれば、日陰にもなるし、デッキから花が眺められるというわけ。まあ、小さいものを買ったのでそれはいつになることやら。まあ、先のお楽しみです。とりあえず今季の植木作業は終了。植え始めたらほんま、キリないわ(笑)


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さらば、わが愛 覇王別姫

2006-04-27 | 外国映画(さ行)
★★★★★ 1993年/香港/172分
監督/チェン・カイコー 主演/レスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リー

「傑作歴史大河ロマン」


遊女の母に捨てられ京劇の養成所に入れられた少年、小豆。そこには過酷な訓練と仲間たちのいじめが待っていた。そんな中ただ一人小豆を守ってくれたのが石頭。幾多の試練を乗り越えながら小豆の石頭に対する思いは友情を越え、愛情へと変わっていく。やがて2人は京劇役者として台頭を表し、小豆は“程蝶衣”、石頭は“段小樓”と名を変え、京劇界きってのスターとなっていた。だが、激しい時代の波にもまれ、2人の地位や名誉もずたずたに切り裂かれる。そして一途に小樓を愛し続けた蝶衣の愛は、遊女“菊仙”の出現により一度たりとも成就せぬまま、悲しい最期を遂げる。

程蝶衣を演ずるレスリー・チャンの演技に息をのみ、京劇の美しさ、中国の激動の歴史に心揺すぶられる3時間です。実は、わたくしここのところ、2時間以上の映画には耐えられない体質になっているのですが、この映画は3時間が本当にあっという間です。少年時代が約40分ほどありますが、だいたいこういう一生ものを語る映画は少年時代の描写がつまらんのが常ですが、この映画は違います。同じ男同士でありながら、小豆が石頭を愛するようになる心の変化にとても素直に感情移入できます。京劇と言う非常に伝統的な世界で行われる、仲間同士のいじめやとてつもなく厳しい修行の描写に胸を締め付けられます。

そして、レスリーがすばらしいです。彼は京劇の女形の役ですが、本当に美しいこと、美しいこと。彼が愛する段小樓(チャン・フォンイー)と共に劇中に演ずる京劇が『覇王別姫』(はおうべっき)。京劇のストーリーと2人のストーリーが見事にオーバーラップしていきます。姫を演ずる蝶衣は小樓を愛している。だから劇中、姫という役を通してその愛を訴え続けるんです。でも、劇は劇、と割り切り、全く意に介さぬ小樓。しかも、遊女の“菊仙”と突然結婚してしまう。小樓のバカヤロー(泣)

“菊仙”を演じるのは中国を代表する女優、コン・リー。立場的には憎まれ役なんだけど、彼女の演技がこれまたすばらしいんです。女のしたたかさ、強さ、そして時にかいま見せる母性。蝶衣も恋敵なんだけど、自分を捨てた母もまた遊女であったため、心から憎みきれない。ふたりの間には、敵同士でありながら、心の底でお互いが足りないものを求め合っている、そんな不思議な関係性が生まれていきます。清朝末から日本統治時代、共産党政権樹立、文化大革命という時代の流れと共に、何が良くて、何が悪いかという価値観がすさまじい勢いで変わっていく。社会主義が台頭し、派手な衣装は民衆の前で燃やされ、さらし者にされた上、お互いを告発、罵り合う壮絶なラストシーンは息をのみます。また、劇中の京劇のきらびやかさも圧巻。レスリー・チャンが化粧をして舞台に上がったその様は、見るものを圧倒します。まるで、色彩の洪水。

03年4月に自ら命を絶ったレスリーと蝶衣の悲劇がダブって仕方がないです。そしてこれほどの演技をしているのに、レスリーが主要な映画祭でいずれも主演男優賞をとっていない、というのも本当に解せません。切なくて、切なくて、見終わった後も胸が痛い。でも、本当にいい作品を観たという至高の満足感にひたれる、壮大な大河ロマン。文句なしの5つ星です。


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わらび、開いてた

2006-04-27 | 野菜作りと田舎の食
家の裏の土手に毎春わらびが出る。山に入って、せっせと取るほど好きな山菜でもないので、つっかけ履いてちょろちょろっと取れれば、それでいいんである。さて、さて今年は、と外に出たらガガーン!もう開いてた。遅かったんである。ショック。

↓わらびが出るのはこのあたり。平らなところににょきっと出てくるので、比較的出たな、というのがわかりやすい。



でもでも、である。なんかおかしい。周りを見渡すと、どれもこれも葉が開いてしまっている。いつもは、少しずつ時間差でにょきにょきと出てきて、先が開いていないのもあれば、そうでないものもある。が、今年は、一斉ににょきっと出てきて、あっという間に葉が開いてしまったみたい。こんなこと、ないんだけどなあ。

↓このわらびの先のように、全体が丸まっているものを採る。こいつはもう下の葉が開いているのでダメ。


どうも、やはり今年の春の気候はヘンなんだとしか思えない。だって、気がついたら全部開いてるんだもん。それとも、私が気づくのが遅かっただけ?かなり悔しい。別に私は山菜がすごく好き、というわけでは全然ない。でも、なんか採ってしまう。おそらくそれは、外に生えているもので食べられるんだったら、食べとこうよ、という甚だセコイ考えから来ているに違いない、と自分なりに思っている。

でも、なんか楽しくない?「えー、それ食べられんの?どんな味~」的な好奇心が常にむずむずとあるんだもん。それに、やっぱ季節に出るものを喰らうってのが、なんか人間してるって感じなんだよね。だから、うまくなくてもわらび食べたかったのに、非常に残念だよ。林道、探しにいこっかな。


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やっと、ここまで

2006-04-26 | 野菜作りと田舎の食
ようやく伸びてきたスナックえんどう。一体いつ種を植えたんだ?とブログをさかのぼると、3月15日だった。ううむ。なんとまあ、時間のかかったことよ。ちょっと古い種だったことや、春とはいえ朝晩の冷え込みがきつかったせいもあるのかな。とりあえず現在、8cmほどに成長。こうなったら、ネットを張ってどんどんつるを伸ばしてもらわないと。

↓ということでネットをつけました。


まず木の杭を畝の左右、中央に打ち、その杭の上にイボ竹(プラスチックの緑色の支柱)をとっつけました。木の杭を打ち込むなんて、到底かよわい私にはできません。もちろん、男の仕事でございます。



背丈は180cmくらいでしょうか。そこへネットをくくりつけて完成。こいつをつたって、スナックえんどうのつるがするすると伸びてくれたら万事OK。ではありますが、なんせ時期が遅いんだよなあ。収穫できるか心配。ってことで、せっかくここまでやってスナックえんどう採れなかったら、むなしい徒労に終わるので、同じ畝にきゅうりの苗を植えました。


こいつは確実に育ってくれるはずだ。頼むぞ、つるコンビ!


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東京タワー

2006-04-25 | 日本映画(た行)
★★ 2004年/日本/123分
監督/源孝志 主演/黒木瞳、岡田准一

「うわべだけの恋愛模様」

今話題のリリー・フランキーではない。原作は江國香織である。彼女の作品は、たくさん読んではいないけど、この映画に関して言えば年増女の妄想。それを、東京の夜景とオシャレな雰囲気でごまかしながら、ようも2時間もたせたな、という映画である。

CMプランナーの夫を持ち、東京でセレクトショップを経営する女が、20歳年下の男の子と一目ぼれして恋に落ちる。まずこの設定からしてかなり上滑りである。それでも、見ようと思ったのは、少なからずもこの妄想物語が何とか年の差カップル喜びやつらさを映画的に見せてくれないか、という期待があったからだが、それはすっかり空振りに終わってしまった。だいたい「東京タワーの見える部屋でグレアム・グリーンの小説を読みながら、ラフマニノフのピアノ曲をBGMにただひたすら彼女からの電話を待っている21の男」って、そんなんいてまっか?

しょせん映画なんて、おとぎ話か、妄想みたいなもんです。だけれども、「そんなアホな」と言わずに楽しめるのは、目の前で展開される人物たちの痛みを感じたり、喜びを分かち合ったり、ハラハラしたり、悲しくなったりして、その映画世界に「入り込む」ことができるからなんだけど、この主人公ふたりには、なんら入り込めるところがない。女が41で男が21のカップルがもしいたとして、それが3年余りも付き合っているのだとしたら、おそらくそこには性的な強い結びつきがあるからに他ならない。男にとっては、年上の女との逢瀬に同年代の女性では味わえない快楽が必ずや存在しているはずなのに、一切そんな部分は出てこないし、一方40を過ぎた女が若い男の肉体に触れることの喜びや愉悦も一切表現されていない。私は原作は未読なのでそのあたりの描写が原作にあるのかどうか分からない。しかし、これだけの年の差カップルに深い結びつきがあるとしたら、その性のあり様を描かずにはまず映画として成立しないんではないだろうか。岡田准一演じる透は、母子家庭で母の友人と恋に落ちるわけだから、母との関係性をもっと深く描いていたら、この恋にももっとリアリティが出たかもしれない。岡田准一と黒木瞳というキャスティングだから、激しいラブシーンは無理だとしても、例えばモノローグで性について語らせるという手もあったはずだ。

この映画は、2組の年の差カップルの物語が並行に描かれていて、もうひと組は寺島しのぶと松本潤のカップル。多くの方が言っているように、このふたりの方がはるかにリアリティがある。それは松本潤が根っからの年増女キラーで、以前つきあっていた女の子の母親とも深い関係になり、それ以来その彼女からもつきまとわれている、といったキャラクターへの肉付けがそれなりに施されているからだ。寺島しのぶは、姑問題でストレスがあって夫からもお手伝いさんみたいに思われている専業主婦とまあ、何ともありきたりなキャラ設定だが、やはりそこは演技力でキャラクターに生々しさを与えている。が、しかし、しょせんこの二人はサブーストーリーとしての存在なんであって、この二人が生々しいほど、岡田准一と黒木瞳は浮きまくる。その浮き加減を鼻で笑って楽しむ、最後はもうやけくそでそんな感じ。だって、ふたりの行き着く先は「パリ」なんですもの。


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ミツバツツジが咲いた

2006-04-24 | 四季の草花と樹木
庭のミツバツツジが咲いた。植えたばかりなので、咲くかどうかとても心配だったのだけど、無事咲いてくれて安心。今年は山にもたくさんミツバツツジが咲いている。こんなにたくさん咲くのは珍しいと思う。京都の高尾にある槇尾山というところはミツバツツジがたくさん咲くことで有名なんだが、とりわけ今年はすごいんだろうな。このあたりの山も、こここんなにミツバツツジあったっけ?ってなくらい、咲いている。

さて、ミツバツツジが咲く前に、山にはこぶしの花が咲くのだけれども、どうも今年はあまり見かけなかった。「山にこぶしの花がたくさん咲くと豊作」って言うんだって。つまり、今年は冷夏か猛暑か、夏の天候は不順になりそうな気配。っても、最近は毎年異常気象みたなもんなんだけど。春先は車で走っていて、遠くの山を眺めると、ぽわーんと白い固まりがあちこちに見えてきて、「こぶしの花が咲いたな」と思うわけです。でも、今年はホントになくって、いきなり紫のミツバツツジがあっちでもこっちでも、咲きまくっている。まあ、ミツバツツジはキレイだからいいんだけど、米や野菜ができないのは困るなあ。

なんじゃかんじゃと花木を植え始めたのが3月23日。それからあれよあれよという間にいろんなものが庭を埋め尽くし始めました。
↓ただいまの様子はこんな感じ。


↓花たちの固まりはこちら。ものすごく株が大きくなって、ぎゅうぎゅう詰め状態。もっと間隔空けて植えるんだったと、後悔。


↓こちらは庭梅。もうだいぶ散り始めてきましたが、どうやら実がなるようなので楽しみです。



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ショコラ

2006-04-23 | 外国映画(さ行)
ショコラ ★★★★ 2000年/アメリカ/121分
監督/ラッセ・ハルストレム 主演/ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップ

「大人の絵本」


北風の強いある日、フランスの閉鎖的な田舎の村に謎めいた母子が越してきた。母親ヴィアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は教会のそばに、村の人々が見たこともないチョコレートショップを開く。カトリックの断食期であること、そしてヴィアンヌが日曜のミサにも出ないことから、最初は村の人々は二人を敬遠する。しかし、ヴィアンヌのチョコレートには不思議な魅力があり、一人また1人と村人が訪ねてくるように。よそ者を嫌う村の指導者、レノ伯爵はその事実に愕然となり、人々にチョコレート・ショップへの出入りを禁じ、ヴィアンヌを村から追放しようと画策するが…。

物語の導入がすごく童話的で、映像が美しいです。北風吹く寒い日に、真っ赤なフード付きのコートを着た美しい母と子がやってくる。この最初のくだりでストーリーに引き込まれます。空き家を借りて、せっせとチョコレートショップを開くまでの準備のシーンは、まるで絵本を見ているよう。大きな釜に入れた熱いチョコレートをぐるぐるとかき回したり、様々な形のトリュフ・チョコをショーウィンドウに並べたり。なんとまあ、おいしそうなこと。私が村の住人なら、村長の言うことなんか目もくれずにチョコレート買いまくりますね(笑)。

女主人ヴィアンヌを演じるジュリエット・ビノシュがとても魅力的。大きく胸の開いたブラウスを着て、派手なパンプスを履く様は、村の女たちとは対照的。でも、好戦的な態度に出るのではなく、さりげない優しさで、みんなのハートをがっちり掴んでゆく。このあたりは、よそ者である私も見習わないとなあ、と考えさせられました。根も葉もない噂を立てられたり、あからさまに嫌がらせをされるのだけど、決して屈せず、自分のやり方をつらぬいていく。こんな風に振舞えたらいいなあ。

見終わったら心にじんわりくるような作りは天下一品のラッセ・ハルストレム監督。あえて、欠点をあげるとすれば、特にけなすような所もない代わりに、胸をぎゅーっと締め付けられうような鮮烈さも驚きもないことだろうか。でも、決して平凡な作品というわけではありません。やはり、一人ひとりの人物描写がとても丁寧なところがこの映画の大きな魅力なんだろうと思います。

物語中盤から流れ者の男、ジョニー・デップ登場。珍しく正統派の男前演じてます(笑)。娘役の女の子、どっかで見たことあるなあと思っていたら、「ポネット」という作品で史上最年少のカンヌ主演女優賞(当時4歳!)を取ったヴィクトワール・ティヴィソルでした。この作品でも、旅を続ける少女のつらさをうまく表現しています。人間として大切なのは、物事を否定することではなく、受け入れられる寛容さや優しさを持つこと。しごく全うなことですが、心にしみました。


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たらの芽の天ぷら

2006-04-20 | 野菜作りと田舎の食
来たー!、「たらの芽」。林道に犬の散歩に出かけたついでにダンナがこっそり採ってきました。どうやら今年は「先客」がいたらしく、ちょっといつもより収穫が少なめ、とのこと。しかも、少し開き気味。今年の天候はよくわかんないですね、寒いのか、あったかいのか。

まっいいんです、いいんです!私はとにかく山菜の中で「たらの芽」が一番好きなのです!早速天ぷらにしていただきまーす!とりあえず、全部揚げるまでみんなおあずけ。ビールを置いてまず写真とっとこ。



さーて、全部揚がりました。結構な量になりましたよ。いただきまーす!



もちろんビールを飲みつつ、ほおばる。いやあ~たまりまへん。このさくっとした歯ざわり。山菜の苦味はほとんどないですね。これがたらの芽のすばらしいところ。まっ、なんせ採りたてですから。先の葉の部分はサクサクしていて、茎の部分は甘みがあります。



家族みんな大好きなので、ほんとにあっという間になくなりました。これを食べると、さらに「春が来たな~」という気分倍増なんですよね。まさに春のご馳走です。


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いちごの花が咲いた

2006-04-19 | 野菜作りと田舎の食
白くてかわいいですね。これがイチゴになるかと思うと、ワクワクします~。やっぱり花より団子でしょうか(笑)

このイチゴはですね、「とよのか」だったか「女蜂」だったか忘れましたけど、おととしの秋に3苗植えたんですね。イチゴなんて植えたことなかったし、まあどれくらいできるもんか試しに植えてみたんです。結局次の年の春にイチゴの実はなりましたけど、比較的大粒の実をつける苗を買ったためか、それほど採れませんでした。「今日は一つできてるな」と言って1個もいで食べるっ感じで、かごいっぱいに収穫してイチゴジャムなんて夢は叶うはずもなく。まあ3苗ですから、なんせ。

で、ですね、その後ほったらかしにしていたら、つるみたいなのがどんどん出てくるんですよね。調べてみるとこれは「ランナー」と呼ばれるものらしく、このランナーから新しくまた葉が出てくるんですよ。それで、元の苗ではなく、このランナーから出てきた苗を次の季節のために植えるとよい、と本なんかに書いてありまして。秋までほったらかしにして、ランナーから伸びた葉の部分を切り取って、再び昨年植え替えたわけです。植えた苗の数、なんと「70」。「3」→「70」ですよ!その分、畝も3畝使っておりまして、実はこれから苗を植える場所がなくて、困っているくらいなんですよね。



この3畝が全部イチゴなのです。ちょっと植えすぎたかな…。しかもこのやり方でちゃんとできるのかってところもやや不安な状態。まあ、なんでもかんでも手探りのやっつけぐ~たら菜園ですからね。がしかし、期待は膨らみます。ああ!今年はイチゴ三昧できますように!


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ようやく、桜満開

2006-04-18 | 四季の草花と樹木
車で15分くらいのところにダム公園があり、桜を見に行きました。ただ今、ジャスト満開。澄み渡る青空というよりも、ややうす曇なのが残念でしたが、桜は十分堪能できました。



聞くところによると、このダム公園には約1000本の桜があるとか。それって、結構な本数だと思うんですよね。敷地もたいへん広いし、その中も周りも桜だらけなんで、かなり桜スポットとしては穴場だと思います。京都や大阪で、ぎゅうぎゅうの人ごみの中でお花見するよりも、ずっとずっとのんびり桜を満喫できました。



ダム湖に桜が映って、とてもきれいです。ダムの周りをぐる~っと回る遊歩道があり、散策にもってこい。ダムそのものも、てっぺん部分が歩けることを今日知り、初めてぶらぶらしてきました。



見渡す限り桜、桜です。公園内にはベンチもいくつかあるので、お弁当を広げている人も見られました。また、桜のほか、ミツバツツジもたくさん咲いていました。毎年満開期は、大阪や京都よりも1週間遅れくらいでしょうか。京都でお花見したけど、時間差で二度目のお花見をするのも、何だかトクしたような気分です。

200円の花

2006-04-17 | 四季の草花と樹木
暖かい季節になると、近くの販売所で花が売られるようになります。ほら、畑で取れた100円野菜とか売っているところあるでしょ?あんなところです。新聞紙に無造作にくるまれて、200円。開けるとかなりの量の花木が入っています。これで200円なんて安すぎる~!と最初に知った時は驚いたものです。今は梅なんかが主体ですが、これからもっと暖かくなると、いろんな種類の花が入っていて、大阪で買ったら間違いなく2、3000円はするな、と思うことがあります。

しかも、この200円花束のすんばらしいところは、そのままざっと花瓶に入れたら見栄えがするように、「葉物」が入っているところなんです。今日は先の尖った、ツンツンした棒みたいな葉が入っています。恥ずかしながら、花木の名前を全然知らない私。なんだろうな~と思っていたら、ちょうど詳しい、近くの友人が訪ねてきたので、聞いてみましたところ「エニシダ」らしいです。

↓これは、花桃とのこと。かなり色が濃いです。全てつぼみだったんですけど、一つだけ花が開きました。



↓これは「ユキヤナギ」ではないか、とのこと。でもピンク色は珍しいと言われました。



↓これ全然わかりません!薄黄色のちーっさいラッパ水仙みたいな花が大集合して一つの花を形成しております。ううむ、不思議な花じゃあと思って聞いたら、「ミツマタじゃない?」と言われました。「ミツマタって、紙の原料になるコウゾ、ミツマタのあのミツマタ?」とびっくり。確かに、枝が先のほうでみっつに分かれています。なのでミツマタなんですね~。



毎年、毎週買っては、ただ飾るだけというのも進歩がありません。今年はしっかり花木の名前を友人に聞いて覚えようと思いました。

オールド・ボーイ

2006-04-15 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2003年/韓国 監督/パク・チャヌク
「人間とは、かくも血なまぐさい生き物」



流行の韓流ラブストーリーが苦手な私が、これまで「韓国映画」というくくりで韓国の映画をあまり観てこなかったことを、この作品を観てひどく後悔した。テーマは「不条理」そして「復讐」と非常に重いが、見終わった後、心が沈むかというと決してそうではなく、あの圧倒的なパワーに押された後の虚脱感がむしろ心地よいくらいだった。

主演のチェ・ミンシクがすばらしい。叫ぶ、殴る、泣く、どれを取っても自分の中のものを絞りきるような表現力で、演じているというより、全部出すという感じ。ここまで出し切れる日本の俳優っているのだろうか。まあ、日本の映画と比較することが無意味だとはわかっていてもついついしてしまう。日本の俳優はここまで映画に血を注ぐことができるんだろうか、と。

私は監禁されている部屋のインテリアなど、パク・チャヌク監督の美術センスが非常に気に入った。この監督は映画評論家をしていたようで、なるほど観客に映画をひきこませるポイントを実によく押さえていると感心した。根本的に「なぜ俺は15年も監禁されなければ行けなかったのか」という謎解きを軸にしているのがうまい。さもなければ、非常に説教くさく、心気くさい物語になるところが、しっかりエンターテイメントになっている。いかに、重要なテーマであったとしても、映画は常に観客がいてこそ成り立つもの。観客を楽しませつつ、ここまで暗く深遠なテーマをとことん描ききっているその手腕、おそるべし。

私は原作が未読なので、映画との違いについては何もわからない。が、この映画の結末は、ハッピーエンドだと思った。しかも、恐るべきハッピーエンドだ。


ハッシュ!

2006-04-14 | 日本映画(は行)
★★★★★ 2001年/日本/135分
監督/橋口亮輔 主演/田辺誠一、高橋和也、片岡礼子

「孤独な人生は変えられるのか」

ペットショップで働く直也(高橋和也)と土木研究所で働く勝裕(田辺誠一)はゲイのカップル。ある日たまたま蕎麦屋で出くわし、傘を貸した朝子と言う女(片岡礼子)と知り合いになる。人と触れ合うことを諦め、愛の無いセックスを繰り返す日々を送っている朝子は、勝裕がゲイであることを知った上で、「結婚しなくてもいいから、子供を作らないか」と相談をもちかける。幼い頃父親を亡くしていた勝裕は、自分が父親になるというプランに興味津々。一方、初めは激怒していた直也も彼女の真剣な態度に次第に理解を示し、やがて3人は子供を持つことを前向きに考え始めるのだが…。

私はゲイの人々の物語がとても好きなんです。ゲイの人が出てくる映画はやはり、自分らしい生き方とか、自分のアイデンティティを求めるストーリーが多くて、ひたむきに「生きる」ということを見せ付けられて、勇気をもらったり、反省したり、見終わっていろいろ考えることが多いんですね。ただこの作品は、それももちろんあるのですが、自分の人生は孤独だ、と決め付けていた3人が、新たな家族のあり方を模索していく。孤独をいかに乗り越えられるかというお話になっているので、いわゆるゲイ・ムービーとは少し趣きが違います。

新宿2丁目のゲイの人が「自分の子孫が残されるなんて考えられない」と言うシーンがあります。また直也も「1人になっても生きていく。その覚悟がないとゲイなんかやってられない」と言います。つまりゲイである自分を認めた段階で、血を分けた家族を持つというイメージを彼らは捨てているんですね。これは、当たり前のことのようで、実にはっとさせられました。ところが、突然ふたりの生活に異分子が割り込む。しかも「子供を作ろう」と言い出すことで、ゲイの自分も父親になれるかも知れないという、これまで持てなかった新たなイメージが湧き上がる。

ストーリーの一番の山場は、二人の親族が部屋に押しかけ全てがバラされ、騒然となるシーンかな。ここで兄嫁を演じている秋野暢子がすごくいいんです。いわゆる世間一般の視点としてあんたたちのやってることはおかしい!と怒鳴り始めるわけです。男を産めないからと姑にさげすまれてきた女の鬱屈が爆発し、勝手な理想像を掲げる礼子をなじる。そして、子供は自然に神様から授かるものじゃないか、と。ここまでこの奇妙な3人組の愛のあり方に理解を示していた私は、秋野暢子の言い分にも納得してしまうものを感じて、なんか頭をガツーンとやられたような感じでした。

主人公を演じる片岡礼子は、人生を捨てたようなやさぐれ女を非常にリアルに演じています。ゲイカップルの描き方も本当に自然で、ごく普通の男女のカップルと全く同じです。勝裕にストーカーまがいのことをしている同僚の女の子もすごいリアル。全ての俳優陣が役を自分のものにしていて、「演技している」という感じがありません。135分の映画ですが、その長さを感じさせない。それは、この映画の持つ生々しさに引き付けられ、我々が物語の途中でだれたりすることがないからだと思います。


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