Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

縞模様のパジャマの少年

2010-04-14 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2008年/イギリス 監督/マーク・ハーデン

「心が痛い」

強制収容所指揮官の息子・ブルーノは、父の仕事の都合上住み慣れた街を離れる。引越し先には友だちもおらず寂しい日々を送る。そこで、ふと近所でフェンスの向こう側にいる“縞模様のパジャマ”を着た少年と仲良くなるのだが…。

知り合いの方から「観賞後かなり落ち込む」と聞きましたので、心して観賞しました。

ラストにはどんな気分になることやらと思ってましたけど、はっきり言えます。見て良かった、と。ナチズムの話というのは、手を変え品を変え発表され続けています。特に近年多いように思うのは私だけでしょうか?「白バラの祈り」から「イングロリアス・バスターズ」まで、その描写の仕方は様々ですが、根底にあるのはナチズムの愚行を忘れてはならないという教訓です。

そして、本作はその伝え方がとても斬新だと感じました。相手の立場にたってみるということ。思想にまつわる話の場合、急転直下考えが変わるということは物語として無理があります。しかし、これは実に衝撃的な方法で相手の立場になってしまうんですね。

ネタバレできないので、何ともモヤモヤした表現でしか伝えられませんが、この方法、ある意味姑息な手段かも知れません。しかしながら、思い切って打ち明けると、これまでのナチズムに関する映画を私はどれだけ迫害されたユダヤ人の気持ちに立って観ることができていたのだろうと、考えさせられたのです。無意識に迫害する側の立場で見ていなかっただろうか、と。

他人の痛みを知ろうとする。それは、なかなか難しいことで、曖昧なイマジネーションを頭の中に思い浮かべるだけでは限界があります。その限界点を取り払うことができる。それも、また映画のチカラではないでしょうか。

ハンサム・スーツ

2010-04-04 | 日本映画(は行)
★★☆ 2008年/日本 監督/英勉

「何もかもバラバラ」


「ブサイク男がハンサム・スーツを着て、イケメンに変身したらどうなるか」というアイデアが最初にあっただけ。脚本も音楽もなーんにも、詰め切れずに見切り発車で映画を作ってしまった。「バブルへGO!」の悪夢が蘇る。また、同じセリフ言っていいですか?

企画書、書き直してこい!

ああ、スッキリ。見た目じゃなくて中身が大事ってことがいいたいのはさあ、もう見始めて15分でわかるわけよ。そのオチに向かって物語が進んでいくのは百も承知なのさ。そこに、どうサイドストリーで彩りを加えるかじゃないの、肝心なのは。腹立たしかったのは、車椅子の男性が登場してくることよねえ。人は見かけじゃないってことを語る時に身障者の人を登場人物として加えるのは、とてもデリケートな問題じゃないのかなあ。どうして彼の存在があるのか、製作者は映画の中できちんと説明しないといけないよ。

それから音楽。何で渡辺美里の「マイ・レボリューション」なんだい?コンセプトにはあってるかも知れないけど、これ思いっきり80年代ソングの代表だよ。でも、エンディングは東京ガールズコレクション。ターゲット思いっきりティーンエージャーじゃん。それであの主題歌はないよなあ。

とにかく作品を構成する全てのピースに一貫性がない。つぎはぎだらけの企画物映画。そんな感じでした。あんなにクリアなデジタル画像で塚地のアップはキツ過ぎる。楽しんだ人、ごめんなさい。