Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

サタデー・ナイト・フィーバー

2010-09-29 | 外国映画(さ行)
★★★ 1977年/アメリカ 監督/ジョン・バダム

「ビー・ジーズは色褪せない」


最初に断っておきますが、「リアル世代」ではありません。私の7つ上の姉がもろピンポイント。ダンス・ミュージックが好きなのもその影響大です。私は大阪のミナミに住んでいたのですが、「マハラジャ」なんかには行かず、もっぱら階下の「ディナスティ」ってディスコに通ってました。「ディナスティ」は60~70年代のディスコ・クラシックばかり流していたから、すごくお気に入りだった。「ディナスティ」に落ち着くまでは「キング&クイーン(通称キンクイ)」とか「ジジック」とか。当時のダイヤモンドビルは、どんどん店が変わっていきましたからね。「ディナスティ」は4階で「マハラジャ」は6階。エレベーターホールで何階を押すかで、もう好みがわかっちゃう。

そんなダンスミュージック好きがこの映画を観たことないなんて、誰にも言えないぞ。いつかは絶対見なきゃいけないんだ、と己に言い聞かせることウン年。ようやく、観賞してみたわけですが、く、く、くだらねー!なんで、こんなにつまらん話でヒットしたんだ…。で、特典映像を見ると(本編よりむしろ面白いかもしれん)、すでにジョン・トラボルタはスターだったんだね。だからこれはアイドル映画なんだね。

舞台はブルックリン。ペンキ屋でバイトするトニーは職場でも、家庭でも冴えない男。しかし、夜になり白いスーツに身を固め、ディスコに足を踏み入れた途端、トニーはダンスで人々を魅了するヒーローに大変身~~。まあ、それはいいです。どうせ、そういう話だと思ってたから。ブルックリンという地域での若者の閉塞感をプエルトリカンたちとの諍い、彼女を妊娠させてしまった友人の苦悩などを通じて描いているわけですが、どれもこれも非常に陳腐で底が浅い。しかも、相手役の女優がお世辞にも美人とは言えない。まるで、オバハン。なんじゃ、あのレオタード姿のダサイことと言ったら!ラストのトラボルタのセリフもトホホという以外にない。

というわけで、お話は全く面白くないのですが、ダンス・ミュージックの歴史の一端をかいま見る、という点では見るべきものがあるように思います。うん、無理矢理そう思うようにする。

本作の公開年は1977年。例えば、ヴァン・マッコイの「ハッスル」がヒットしたのが1975年。EW&Fやクール&ザ・ギャングなども1970年代初頭から活躍していることを考えると、黒人によるブラック・ミュージックは既に全盛期を迎えている。ところが、本作を見て驚いたのは、ここで繰り広げられるダンスは社交ダンスに非常に近いということ。トニーが通うディスコにもプエルトリカンはいても、黒人の姿はあまり見受けられない。もしかして、ディスコって、ダンス・ホールの発展したものだったのかなあ、なんて思ったりするのです。

日本に入ってきたディスコ文化って、黒人たちが押し上げたソウル・ミュージックの一大ブームとその波を受けた白人たちが彼らのテリトリーの中で発展させてきたものがないまぜになったものだったんじゃないだろうか。“ナイト・フィーバー、ナイト・フィバー♪”の歌詞の部分でみんなで一斉に踊るのは、間違いなく今の「パラパラ」に繋がっていると思うんだけど、こうした形式に当てはめたダンスというのが白人も日本人も得意とするところなんだね。ところが、これまた面白いことによーく見ていると、リズムの取り方が「ウラ」なんだよ。それでいて、くるっと回って、手を叩くところは、8ビートの中の「5」に当たるところ。盆踊り文化の日本人にはきっとこのリズムの取り方は新鮮に映っただろうなあ。

とまあ、つまらん映画でえらい長いレビューを書いてしまった。そうそう、どうしても最後に言っておきたい。ビー・ジーズのサウンドは最高。このグルーブ感は全く色褪せない。冒頭、「ステイン・アライブ」にのってトラボルタが街を歩くシーンが、本作のベストシーンと言えるでしょう。

チェイサー

2010-09-27 | 外国映画(た行)
★★★★ 2008年/韓国 監督/ナ・ホンジン

「夜の前半部が秀逸」

デリヘルを経営している元刑事のジュンホは、店の女の子たちが相次いで失踪する事態に見舞われていた。やがて最後に会ったと思われる客の電話番号が同じ事に気づくジュンホ。そして、その番号は直前に送り出したデリヘル嬢ミジンの客とも一致していた。ほどなくミジンとの連絡が取れなくなり、心配したジュンホはミジンの行方を追う。そして、偶然にも街中で問題の客を捕まえることに成功したジュンホは、男をそのまま警察に突き出すのだったが…。


村上龍主催のネット上でビデオニュースを発信する「RVR」というサイトがあるのですけど、そこでクァク・キョンテク、チョン・ユンチョル、イム・チャンサンの3人の韓国人監督と対談しており、大変面白いです。興味のある方はぜひご覧になって欲しいのですが、韓国映画界では新人監督に比較的大きな作品をポンと任せる風土があるそうです。その代わり失敗するとなかなか映画界には復帰できない、なんて冗談混じりに話してます。任せる限りは全部任せる。その代わり失敗したら干される。だからこそ、初監督作品を最高傑作にするくらいの意気込みで取り組むんでしょう。シビアな世界ですけど、チャンスが多いというのはいいことです。

本作は韓国では知らない人はいない程の有名事件を扱った作品ですし、確実に興行成績をあげることが見込まれてもいたでしょうから、そのプレッシャーたるや、相当なものだったんではないでしょうか。しかし、新人監督ナ・ホンジンは新人とは思えない見事なクライム・サスペンスを作りだしました。ひと際すばらしいのは前半部の夜の追走劇です。漆黒の闇の中で犯人を追い詰めるジュンホ。毎度のことですが、韓国映画は雨や闇を使った映像作りがうまいですね。映画の中盤で犯人は捕まるのですが、その後のじれったいことと言ったら!ハラハラを通り越してイライラになってきます。

この焦燥感を楽しめるかどうかが、本作の分かれ目ではないでしょうか。これまた毎度の事ながら韓国警察のいい加減さが顕わになりますが、20人も人を殺したと自供する男を部屋の片隅で手錠ひとつでほったらかし。ほんまでっか?と誰でも突っ込みたくなります。ほぼクロ間違いなしという猟奇殺人犯を泳がせる時も刑事の尾行はたったひとり。しかも、女性刑事ってそりゃあ、危なすぎやしませんかい?というわけで、後半部は警察の無能ぶりに私のイライラも頂点に達してしまいました。それでも、これでもかと突き付ける迫力は満点。情け無用の展開がこれまた「ザ・韓国映画」でございます。

ノン子36歳 (家事手伝い)

2010-09-24 | 日本映画(な行)
★★★☆ 2008年/日本 監督/熊切和嘉

「いけすかない女」

私の好物である「ちっぽけな人間がいじいじしている」系の作品なんですが、これはどうもピンと来なかったです。期待値上げすぎたかな(笑)。

坂井真紀演じる主人公ノン子は、東京で芸能人になるもパッとせず、マネージャーと結婚するも離婚して出戻ってきた36歳。まあ、ダメ女のお話ですな。今は全くやる気のない人生でのらりくらりと生きている。坂井真紀の見ているこっちがムカツクようなテキトーぶり全開の演技は、なかなかよいです。彼女は「赤い文化住宅の初子」でも、ものすごくいい加減な女教師を演じており、ちょっと似ています。夜の商店街で店先に出たゴミ箱を自転車に乗りながら蹴り倒していくシーンはすごくいいですね。自転車を左右にぐりんぐりんさせながら、ダーン!ダーン!と蹴り上げてゴミ箱の中身が次々とまき散らされるんですよ。嫌でしょう?こんな女(笑)。

ベッドシーンは全然キレイじゃない、ってのがいいです。もぞもぞしてるのがとてもリアル。ああ、やっぱり寝ちゃうのかあーって、情けなさが出てます。

芸能人をやっていたというノン子ですけど、話が進むに連れ、水着ギャル程度のお仕事だというのがわかります。で、マネージャーでもあった元夫にもうひと花咲かそうと言い寄られる。まあ、アホですよね。嘘に決まってますよね。一蹴するのかと思ったら、前向きに考え始めるノン子。おいおい。なんでやねん。で、ノン子に好意をよせる若い男はひよこ売りからスタートして世界を目指すという…。まったくみんなイタいよ!イタ過ぎるよ!

そんな3人のダメ人間を熊切監督は淡々と描いています。それはそれでいいのですけど、どうも最後まで乗り切れなかったのは、マサルを演じる星野源にあまり魅力を感じなかったから。坂井真紀と鶴見真悟がハマリ過ぎてたせいなのなあ。なんでひよこ?なぜ、世界を目指す?というワケわからなさの妙が味わいとしてにじみ出してこないんですよねえ。残念ながら。大人しそうに見えた彼が最後に暴れまくるんですけど、それもなぜそこでキレる?ってのが、おかしみになるはずなんですけど、どうもイマイチ…。柄本佑くんあたりだったら、ハマり役だったんじゃないかなあと思ったりして。

トム・ヤム・クン!

2010-09-23 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2005年/タイ 監督/プラッチャヤー・ピンゲーオ

「怒りの鉄拳」

まるでウケ狙いのタイトルですが、お話は至って悲惨で暗いです。世界公開に向けてタイらしいタイトルを、というのでこれになったんでしょうが、この噛み合ってなさも味わいの一つです。

「トニー・ジャーの超絶アクションを見たい」という希望は見事に満たしてもらえました。単身マフィアの元に飛び込んでいくトニーのキレキレのアクションは、何度も巻き戻して見てしまうほど凄いです。格闘技にあまり詳しくない私は関節技で戦うことの本当の凄さを知らないのかもしれない。それでも、その痛みはガッツリスクリーンから伝わってきます。しかも「1VS49」って、マンガの世界ですやん。次は「1VS99」とかになるのか。カポエラなんて、この映画を観なかったら一生ちゃんと見ることがなかったかも知れないし、紛れもなくここにしかないアクションがあります。だから、悲惨でも救われなくても必見なんです。

「マッハ!」「七人のマッハ!」と続けて見てきていますけども、全てのアクションは、怒りの鉄槌なんですね。たたっきってしまうことに対して何のためらいもない。トニー・ジャーがうかべる憤怒の表情は鬼神のごとく。自分の欲望を満足させるために聖なるものを穢すことに何のためらいも持たない犬畜生どもをつかんでは投げ、つかんでは投げ、地獄の底へとたたき落とす。何だか四天王像や仁王像が怒りの表情を顕わにして餓鬼どもを踏みつける姿を連想します。そうした連想になるのも、ひたすらトニー・ジャーが繰り出す技が人間離れしているからこそ。そんじょそこらのアクションなら、ただのケンカです。

女たちを薬漬けにしたり、何の抵抗もしない村人達を殺戮したり、聖なる象を殺したりと、どの作品を見ても悪い奴は鬼畜野郎ばかりでいたたまれません。しかも、そんな奴らが最終的にみな殺しになったからと言って、後味がスッキリするかと言えば全くそんなことはないのです。それでも、見たくなるタイ・アクション。とんでもない魔力にかけられたような気がします。


キャッチボール屋

2010-09-22 | 日本映画(か行)
★★★★ 2005年/日本 監督/大崎章

「ショート・バケーション」


北川悦吏子最高作「ロング・バケーション」というドラマがありました。(あの頃のキムタクは好きだったなあ)長い人生、たまには休んでもいいじゃないか。ジャンプするためには、たっぷりエネルギーを蓄える時間が必要なんだってね。さしずめ、本作は「ショート・バケーション」と言ったところでしょうか。日常に潜む小さい出会いや思いやりで、人は充分大切なことに気づける。もっと周りを見渡してごらんよ。ステキな人を見過ごしてないかい?大事なものを見逃してないかい?そんなささやきが聞こえてきそうです。中でも山口百恵の「夢先案内人」にまつわるエピソードが印象的。コインランドリーに出かけると、なぜか聞こえてくる「夢先案内人」。誰が何のために流しているのか…。

リストラされて地元で飲んでたはずなのに、目覚めたらなぜか東京の見知らぬ公園。そんな主人公がつぶやく「オレ、なんで東京にいるんだろ。」素っ頓狂なセリフだけど、これも、意外と深い。人は何か目的を持って東京にやってくる。仕事なのか、夢なのか。いや、ここで言う「東京」とは、東京に住む人に限らず、全ての人の居場所のことだろう。なぜ今自分はここにいて、その仕事をして、そのような毎日を暮らしているのか、という問いかけ。何かやりたいことがあったはずだ。夢を持っていたはずだ。その気持ちは今、どこにあるのだ?ボールを投げ、ボールを受ける。見知らぬ人たちとの交流を通じて、自分の居場所に気づくようになる主人公。

袖振り合うも多生の縁。他人との小さな関わりが心にじんわり残る佳作。特に仕事にお疲れ気味の人にオススメです。

さて、主人公を演じる大森南朋について。本作は、スクリーンのあちこちでちょこっと現れては希有な存在感を見せてた彼の初めての主演映画。「春眠り世田谷」から続く、癒しバージョンの南朋くんです。ぽわーんとしてて、現実感がない、でも憎めないいいヤツ。プライベートでも草野球やってるらしいので、彼の日常生活を見ているようなドキドキ感があります。本作は2005年の製作。この頃までは、こうしたほんわかした役どころと、クセのある役、両方をこなす、その二面性が大きな魅力でした。しかし、逆に言えば癒しキャラか毒キャラか、という感じだったわけです。それが2007年放送の「ハゲタカ」で「ビジネスマン」という第三のキャラを手に入れる。これは、大きな突破口だった。ファンだった私も、突き抜けたと思った。以来、メジャー作品にひっぱりだこですけど、いつまでもこうした小さい邦画に出て続けて欲しいなと思っています。



ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ

2010-09-21 | 外国映画(さ行)
★★★★★ 1975年/フランス 監督/セルジュ・ゲンズブール

「奇跡的に美しい」

いつか映画館で見たいと思い続けてきた作品をようやくスクリーンで見た時の嬉しさはいつまで経っても覚えているもの。本作はゲンズブールが亡くなった時に心斎橋のシネ・マート(当時はパラダイスシネマという名前だった)で「ゲンズブール特集」が行われた時、喜び勇んで観に行きました。もう19年も前なんですね。帰りに購入したポスターは今でも我が家に飾ってあります。あの時は遺作の「スタン・ザ・フラッシャー」も観たんだけど、DVDにはなってないのかなあ。

で、DVDで見直したのですが、やっぱり奇跡的にバーキンが愛らしい。とにかく、彼女が映っているカットは全てといっていいほど、完璧。ゲンズブールは彼女の魅力を全て知り尽くしていたんだなあとつくづく思った。スクリーンで見た時は念願の1本に出会ったことで浮き足だっていたから気づかなかったけど、構図もとってもいいのね。これしかない!という構図があちこちで見られて、思わず声を出して感心してしまうような魅力的なカットにあふれています。特典でバーキンが「セルジュは画家になりたかったのよ」と話していて、なるほどと思った。ゲンズブールは酒飲みのいいかげん野郎なんだけど、絵描きの才能をスクリーンで焼き付けたんだね。

例えば、ホテルでのシーン。ジョニーがスカートを頭の上までひっくり返してたくしあげ、むきだしのお尻をつきだす。その時カメラはジョニーの顔をとらえるのですが、まくりあげたスカートがケープの役割となって、ジョニーがまるでマリア像のように見えるんです。これほど淫らなシチュエーションでマリア像のイメージを掻き立てられるなんて、やっぱりゲンズブールって凄いよ。ジョニーとクラスが裸でトラックのタイヤに乗っかって、ぐるぐるぐるぐる回ってるシーンも素敵だし、ジョニーがダイナーのガラス越しに立ち去るトラックを見つめるシーンでは、白い小さなペンキの跡がジョニーの涙に見えるの。おそらく、それは偶然の産物なんだろうけど、バーキンの美しさがあまりに神々しくて、こうした小さな奇跡が作品のあちこちで起きているんだと思う。

クラスキーを演じるジョー・ダレッサンドもバーキンに劣らず美しい。ゲンズブールはこのふたりを徹底的に美しく撮っていて、それ以外は全部汚くて醜い。寂れたバー、ゴミ溜め場、泥に染まる湖、ぶよぶよに太った体をさらす中年ストリッパー、ジョニーを痛めつけるオーナー。場所だろうと人物だろうと、全部ひっくるめてふたりの美しさの引き立て役なんだ。

初めて自分を愛してくれる人に出会ったジョニーの喜び、切なさ、そして絶望がスクリーンを駆けめぐる。バーキンってエルメスのかばんのことでしょ?なんて言ってる小娘は黙ってこれを見なさい。

余命

2010-09-19 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2008年/日本 監督/生野慈朗

「ひとりで決める女」

難病ものなどまったく食指の動かないジャンルですが、何気なくスカパーで見始めたら、これががっつりハマってしまったのです。主人公、滴(以下、わかりづらいのでひらがなで表記)の行動をどう捉えるか、賛否含めていろんな女性に見てもらいたい作品です。

<以下、重要なネタバレを含みます>
世の中には様々な難病ものの作品がありますが、本作の特徴は既婚女性である主人公しずくが生死に関わる重要な判断を「全て自分の判断だけ」で遂行してしまう。この1点に尽きるでしょう。そして、私はしずくの行動に胸を打たれ、激しく共感してしまったのです。夫に何も告げず、自分の命が短くなろうとも出産する、という決断に。

しずくは外科医であり、家計を支える存在として描かれています。夫は目指していた医者にはならず、カメラマンを選ぶ。厳しい世界で働く女性が常々美徳としているもの、それは「自分で決断する」ということではないでしょうか。医者ならなおさらでしょう。誰かに頼らず生きていく。重大な決断は自分で行う。いや、行わねばならない。それが、働く女性を奮い立たせるものだと、私は思っています。もちろん、そうではない、という人がいることも重々承知はしています。あくまでも、これは私見。

自分の運命は自分で決め、自分の過ちは自分で背負い、自分の道は自分で切り開く。これくらいの、気概がないとやっていけないんですもの。誰かに甘えればいい、という考えがよぎった時点で心が折れるんですもの。これまで、様々な作品で書いてきました「働きマンのツッパリ」がこんなに悲しいカタチで描かれている作品もそうそうないでしょう。心配した親友が「なぜ私に相談しなかったのか」と詰め寄るシーンがあり、この親友の気持ちも十分理解できて、さらに悲しさ倍増です。

真相を知った夫は妻から受け継いだ命をしっかりと育てます。しずく亡き後のシークエンス。大抵、この手の作品はこういうシチュエーションは蛇足シークエンスになりがちなのですが、本作はすばらしいです。まっすぐに生きてきた息子の澄んだ瞳、医者として島に貢献する夫の力強い意志がスクリーンを満たし、しずくが遺したものがかけがえのないものであると、証明されるのです。

夫との会話やラブシーンが多く、そのせいでやや尺が長く感じられます。しかし、ツッパリ妻と優しすぎる夫のストーリーなんだと思えると、その点は目をつぶってもいいかも知れません。
ただひたすらに残念なのは、その余韻に浸る間もなく、まるで不釣り合いなジャパニーズ・ラップがエンディングに流れてくること。なんなんでしょうね、これは。ミュージシャンには責任はありませんよ。どういう経緯でこの曲の採用になったんだか。静かなピアノ曲でも流していただければ、間違いなく5つ星でした。



アマルフィ 女神の報酬

2010-09-18 | 日本映画(あ行)
★★☆ 2009年/日本 監督/西谷弘

「映らないところにお金をかけろ」

織田裕二、天海祐希、佐藤浩市。主要メンバーのキャスティングがストーリーと全然合っていないんだよね。天海祐希は大好きだけど、子供を誘拐されておろおろする主婦には適役じゃない。戸田恵理香は天海祐希と「BOSS」つながりのキャスティングか知らないが、外務省にお勤めするインテリとは程遠い。今や大作もののほとんどがテレビ局主導で制作されている日本映画の場合、テレビ局やスポンサーの意向だけでキャスティングされていて、本当にこの役にをやらせると作品が面白くなるのか、という観点では全く決められていないように思う。

加えて、それぞれの人物のバックグラウンドが全く見えないのね。そう見える脚本でもないし、演出でもない。人物達に奥行きが全くない。いちいち1人ずつ取り上げるのもめんどくさいけど、外交官黒田がニヒルでひねくれ者なのはわかる。でも、なぜそうなのか、そうなったのか、観客のイマジネーションを掻き立てるものが何一つ見えない。小説が原作なわけだから、もちろん人物造形は原作者がきっちりやっているはずだろうけど、映画からは何も伝わってこない。いつも苦虫を噛みつぶしたような顔でとっつきにくいオッサンなだけ。

「練り込む力」が極端に弱いんです。全然畑違いだけど、先日観たピクサーの「トイ・ストーリー3」が頭をよぎって仕方ない。主役から端役まで全てのおもちゃに背景があったし、なぜ今の彼らがいるのか、その来し方をスクリーンから想像できたもの。映画ってそういうもんじゃないのかなあ。映るものにお金をかけるんじゃなくて、スクリーンに映らないものに、もっとお金をかけないと日本の大作物はいつまでたっても一線を超えられないんじゃないだろうか。

しかも、長年周到に計画してきた犯罪を、犯人がそんなことで?みたいな理由で諦めちゃう展開にひたすらがっくり。全てにおいて残念な映画でした。

タイタンの戦い

2010-09-17 | 外国映画(た行)
★★★☆ 2010年/アメリカ 監督/ルイ・ルテリエ
<ブルーレイにて観賞>

「超大作なのにボケが満載」

そもそも神話を映像化するってことに、食指が動かなかったんですけども、大スペクタクルをブルーレイで楽しむのもアリかなあと思いレンタル。

空の上の遙かかなた。神殿らしき場所にてゼウスを中心に巨大な神々が勢ぞろい。その顔かたちの巨大さといい、扇形に集合するスタイルといい。これ、ウルトラファミリーの集いと一緒やーん!真ん中のゼウスがウルトラの父に見えてくる…。いったんそう思うとツボにはまってしまって、神殿シーンのたびに笑いが止まらなくなってしまった。そして、神話の神々は人間に比べると、サイズがどでかいんです。一緒に映り込んでいるシーンもこれまた円谷プロを思い出してしまう。ええ、ええ、予算は桁違いですけれどもね。

主役のサム・ワーシントンが意外とよいです。彼の顔立ちって、クセがなくて、匿名性が強いんだなあ。逆に言えば、ヒーロー然としたところがないってことで、まさに主役を張るようなタイプの映画じゃしんどいのかも知れないけど。でも、本作では、彼が主役だから、モンスターたちのビジュアルの方が際立ってる。それはそれで、いいことなのかも知れません。

巨大モンスターを見つけに旅に出よう。剣をゲットした。エネルギーが戻った。倒せーってな感じで、ロールプレイングゲームのような感じがしなくもないですけど、巨大サソリに蛇オンナに巨大ダコと次々と出てくる怪獣を楽しみましょう。ひとりで観るのは不向き。姫より侍女の方が美人じゃないか!レイフ・ファインズはどの作品に出ても悪の化身じゃないか!などなど、みんなでなんじゃかんじゃとツッコミながら、観るのがピッタリです。

インビクタス/負けざる者たち

2010-09-16 | 外国映画(あ行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド
<ブルーレイにて観賞>

「しごく真っ当な映画」

面白くないわけじゃ決してなく、大変感動的な作品なんですけれども、くそ真面目過ぎて、逆に心揺さぶる!という感触には繋がらないです。ただ、だからと言って、他人につまらないから観るのは止めろ、というものでも決してないですね。映画を観た!という満足感はしっかり味わえる作品です。

この作品には、どうしようもない矛盾とか、とんでもない悪人が出てこないんですよね。それが作品全体の弱さに通じていると思う。イーストウッドの達観した、全てを見透かしたような演出は、「善き人が直面する逆境」というシチュエーションにおいて、絶大な効果を発揮する。本作における善き人は紛れもなくマンデラなんだけど、置かれた逆境の向こう側には、敢えて立ち入ってないんですね。もちろん、黒人と白人の対立に関してはそこはかとなく見せていますけど。「グラントリノ」で総括しちゃったので、今回はひと休みってことでしょうか。

ひと休みと言えども、エキストラ総動員のワールドカップのシーンは圧巻です。スタジアムの名前や地名は、つい先ほど行われたサッカーのワールドカップで私も覚えてしまいましたから、とてもなじみ深い。そう考えると、やはりスポーツの力は偉大です。そして、27年間も小さい独房に入っていたマンデラがスポーツ大会を通じて南アフリカの平和を広く知らしめるというアイデアに至ったこともまた感嘆すべきことなのかも知れません。

ブルーレイで観たのですが、本作は通常DVDでも十分だと思います。

インセプション

2010-09-15 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2010年/アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン
<MOVIX京都にて観賞>

「やっぱりもう1回見ないといけないの?」

本作はノーラン監督のデビュー作「メメント」にとても似ている。観客を惑わせ、スクリーンを見ながら頭をフル回転させ、ラストで煙に巻く。私は、辻褄合わせのために映画を見直すという作業があまり好きじゃない。本作にしても、ラストシークエンスの本当の意味や、冒頭のシークエンスとの整合性を検証するためにもう一度見るという味わい方もあるのだろうけど、私はそれは苦手です。
しかし、それでも「夢」という誰もが興味深く捉えている摩訶不思議な世界をとんでもない力技で映像化したノーラン監督の意気込みには感服するばかりです。夢の中ではとんでもないエンターテイメントな世界が広がっていたり、夢が覚めたらそれもまた夢だったり。そんな経験は全ての人が持っていると思う。常々、自分の夢を覗くことができたらどんなに楽しいだろうと思っているし。いわば、ノーラン監督は全ての人間が潜在的に持っている願望を本作によって叶えてくれたんじゃないだろうか。

だから、全ての夢のシークエンス(それが夢ではなく現実である、という解釈は抜きにして)が、ようやく巡り会えた映像のようでワクワクするのです。これらの映像は内容は荒唐無稽であっても、「夢の映像に違いない」という確信を観客は抱きます。夢なのに、リアルな出来事として、感じる。これは、とんでもない離れ技でしょう。このリアリティを支えるのは、夢には階層があるというシステムや階層を深くするほど時間経過が長くなる、という一体どこにそんな根拠があるのかサッパリわからない、しかし、あまりに巧妙にしかけられた理論のせい。ノーランの構想10年というのもどんな映像にするかというより、このロジックの組み立てに費やした年月ではないでしょうか。

いろんな説が流れているラストの解釈。コブの夢、または現実というはっきりとした結論が出るという見方もあるし、観客が勝手に考えればよいので、どっちでもないという解釈までさまざま。で、私の結論は…「夢」です。だって、あれが現実だとすると、普通のハッピーエンド過ぎで、そんなストレートなエンディング、ノーランは用意しないと思うから(笑)。だから、あれが夢だという証拠を探しにもう一度見直さないといけないってことなのかしら。あーあ、まんまとノーランの策にはまったみたいで、なんかそれもシャクだわさ。

天使と悪魔

2010-09-14 | 外国映画(た行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/ロン・ハワード
<ブルーレイにて観賞>

「経済効果」

原作は読みました。「ダ・ヴィンチコード」より面白かったですね。「ダ・ヴィンチコード」は、歴史をいじり過ぎてて、そこまでやっていいの?と醒めてしまう部分も大きかったのですが、「天使と悪魔」は宗教と科学の対立という構成がシンプルなのが良かった。

という訳で映画化された時には食指は動きましたけど、あまりに「ダ・ヴィンチコード」映画版が期待外れだったのでやめました。で、ブルーレイにて鑑賞。これはいい。前作より面白いかって?いやいや、劇場に行こうかと悩んだ作品をブルーレイで見るってのが、実にいいんです。イタリアの名所巡りを高画質で楽しめました。特典映像でロケの様子が見られるんですが、それも楽しいもんね。だって、映像がキレイだから!(笑)

ロスで作られたセットは120セットらしいです。120ですよ。で、ふと考える。どれだけの人間が建設に担ぎ出されて潤ったんだろうか、と。いずれ壊されてしまうセットと言えども、年度末に使いもしない道路や橋を作っているよりは、よっぽどマシじゃなかろうか。作っては消え、作っては消えていく美術や衣装が巨大な産業だったら、日本だって、どんどん大作を作ればいいんだ!と経済が冷え切った状況の中でそう考えてしまうのでした。

という訳で映画と関係ない話ばっかりでしたが、映画も前作より楽しめました。ヒロイン、ヴェトラ博士を演じるイスラエルの女優アイェレット・ゾラーがいいんですね。見た目がとても知的だし、落ち着いているし、男に媚びたような風情が全くなくていい。それにしてもまあ、ラングドン博士のよくしゃべること、しゃべること。といいますか、彼の説明がないとやっぱり内容が難しくて観客も付いていけないので、それも致し方なし。本当の黒幕は誰か、というサスペンスの定番要素も最後の最後まで上手に観客をミスリードして、140分飽きさせません。確かに「ナショナル・トレジャー」っぽいですけど、私はもったいぶった重厚な演出のこちらの方が好き。その辺は個人の好き嫌いでしょうかね。

アリス・イン・ワンダーランド

2010-09-11 | 外国映画(あ行)
★★★☆ 2010年/アメリカ 監督/ティム・バートン
<ブルーレイにて観賞>

「ありふれたファンタジー」

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」は何度もチャレンジしているのですが、毎回10ページも読んだら挫折してしまいます。どうも、翻訳になじめない。「~だわ!」みたいな少女言葉が読んでて気持ちわるいんです。なので、原作と比較して楽しむことはできませんが、ティム・バートンの毒々しい世界を期待して家族全員でブルーレイで観賞。しかし、なんだかなーとみんな苦虫をかみつぶしたような表情になってしまいました。

デブ兄弟やら顔のデカイ女王やら、体の一部をやたらと強調したキャラクター造形はティム・バートンらしくて面白いのですが、何せストーリーが盛り上がりません。原作を知らないので何とも言えませんけど、ブリッコ炸裂の白の女王(アン・ハサウェイの演技が実に珍妙。まあこれを目当てを見るってのもアリかも知れないけど)がほんとは黒幕だったとかね、何か奥の手が出てくるかと思い続けてましたけど、アリスがモンスター退治してあっさり終了。うそーん。

個人的にはワンダーランドでのアリスの体験は、思春期の少女特有の妄想世界である。という心理学的素人の勝手な解釈ごっこで遊べる映画かと思ってたんです。白は無垢、処女であり、赤は初潮や性体験のシンボルだとか。原作はそういう楽しさにあふれているのかも知れませんが、少なくとも私は観賞中アリスの冒険劇からさらにイマジネーションを掻き立てられるような面白さを微塵も味わうことができず、実に残念無念。異形なキャラたちは、何かのシンボルや代弁者としてではなく、ただ単に異形なものとして存在しているだけなのです。映画が面白かったら、再び原作にチャレンジしようかとも思いましたが、どうやら一生原作を読まずに終わりそうです。




カールじいさんの空飛ぶ家

2010-09-10 | 外国映画(か行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/ピート・ドクター
<ブルーレイにて観賞>

「色彩の洪水にうっとり」

小さい頃、画材店に並ぶ色鉛筆を眺めているのが好きでした。心斎橋の「KAWACHI」って店。黄から赤へ、緑から青へ。そのグラデーションの美しさに見とれて、何時間も過ごしていた。お誕生日に欲しいのは当然色鉛筆で、当時は最先端だった24色のクーピーペンシルを持っている私はクラスのみんなに随分羨ましがられたよなあ。時を経て、出版社に勤めることになった私。グラデーション好きは相も変わらずで、DICのカラーチャートをパラパラとめくってはニヤニヤしてました。

と、前置きが長くなりましたが、ついに我が家もブルーレイを購入したので、チョイスしたのがこの作品。カラフルなもの、グラデショーン好きの私には、溜まりませんでした。色とりどりの風船が青い空の下、スクリーンいっぱいに広がる。それを見ているだけで、ドーパミンがどわ~っと出て、何ともいい気持ちです。さらにブルーレイの高画質が拍車をかけて、その色彩のビビッドなことと言ったら!ブルーレイ観賞記念すべき第1回にこの作品を選んで本当に良かったです。

さてピクサーと言えば、映像はもちろんのこと、大人も楽しめる奥行きのあるストーリーを作ることで定評があります。セリフなしでエリーとの出会い、結婚、死別を一気に見せる最初の15分には唸りました。思い出が消えた後、一転して頑固オヤジが登場、という緩急の付け方もすばらしい。ところが、いざ冒険が始まってからの物語においては、多くの方がご指摘するようにどうも乗り切れない部分が大きい。途中参加する少年とカールじいさんの交流が弱いんですよね。

憧れだった冒険家が執着心を持ち続けることによって醜い姿になっている、という皮肉はいかにもピクサーらしい提示です。人間の心の奥底に潜む悪意に対して常にピクサーは警鐘を鳴らし続けます。エリーとの思い出にしがみついているカールもまた執着の権化なのかも知れず、最終的にはその執着を捨て去る存在として、冒険家と対比的に描かれているのです。よく考えられた脚本だなあとは思います。しかし、先にも述べたように少年との交流が子供ができなかったカールの疑似親子体験なのだとしたら、「カールと冒険家」、「カールと少年」という大きなテーマが2つ流れることによって、どうも物語の軸がしっかり回っていない印象を残してしまう。ピクサー的な教訓はいっそのこと捨て去って、このあまりに圧倒的な色彩の旅を存分に楽しめる冒険劇に徹してくれても良かったんではないか、私はその方が楽しめたように思います。



キャタピラー

2010-09-09 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2010年/日本 監督/若松孝二
<京都シネマにて観賞>

「エロ+反戦、ノスタルジー」

街を歩いていたらいきなりオッサンに肩を掴まれて長々と説教を食らってしまった。ふと観賞後そんな心境になり。いや、それが悪いというわけではありません。わたし、そういうオッサン、好きなんです。つい、微笑ましく見てしまうタチでして。それにこんなキワモノ反戦映画を撮れる人はそうそういないでしょうからね。若松孝二という人の存在が大変貴重だと思います。寺島しのぶですが、今の日本でこの役をやれるのは彼女しかいないってことでしょう。彼女も凄いけど、夫役の大西信満もまさに体当たりの演技。晒し者としてあり続ける演技はさぞや苦痛だったに違いありません。

観賞前はもっと夫婦の葛藤や駆け引きが描かれるのかと思ったら、戦争映画としての視点の方が前面に出てしまって、少し消化不良感を感じたのは確かです。もう少し支配者と被支配者の逆転がどろどろと描かれるかと思ったんですけど。天皇の写真と軍神と称える新聞記事が何度も何度もインサートされるんですよね。ちょっと、しつこい。その上にエンディングの元ちとせの「死んだ女の子」で、反戦主張のとどめです。くどぉーい。

女性のしたたかさや怖さを描くって意見もあるけど。いやいや、暴力夫があんな体で帰ってきたら、どんな人でもそうなりますって。そう、夫が戦争に行く前から暴力夫だったということ。これは結構重要な設定だと思います。なぜなら、戦争に行く前は大人しい人だったのに、戦地では人が変わってしまった。当時はむしろ、そういう人が大半だったのではないかと思えるのです。そう考えると主人公はもともと暴力で支配する者のメタファーなんでしょう。だったらば、夫婦間の関係性を丹念に描いたら、それで立派な反戦映画になったのに。戦争の進捗状況を知らせるラジオ放送などが夫婦間のドラマに入り込んでいる気持ちをさーっと醒めさせてしまう。食欲と性欲だけに支配された四肢のない夫、そして軍神の妻としてどんどんねじれていく妻、双方の心の裏側をもっと見たかった。脚本は荒井晴彦氏のお弟子さんの女性ってことなんですけど、この数々の戦争シーンのインサートは若松監督の希望によるものだったのか、知りたいところです。

とはいえ、反戦映画と言いつつ、性、しかも飛びきり奇抜な設定の性を真正面から描いているところが実に若松監督らしいところで、「食べて、寝て、食べて、寝て」と夫を揶揄するセリフがありますが、いやいや「食べて、寝て、やって、食べて、寝て、やって」が正解。おずおずと夫にまたがっていた妻がだんだん開き直って大胆になっていく。美しいとは決して言えない、むしろグロテスクとさえ見えるSEXシーンの数々に人間の業や性(さが)がまざまざと透けて見えます。果たして自分なら夫とはいえあんな姿の男を受け入れられるだろうか、という考えに及び、やはり本作は反戦主張が強いと言えども、凡人の常識をぶっ飛ばすキワモノエロ映画としての側面も大きい。誤解を恐れずに言うなら、これらのシーンを目当てに来る観客もいるでしょう。「エロ」と「反戦」の融合という離れ技。スクリーンを見つめながら、60年代にタイムスリップしたような気になりました。それもまた唯一無二な体験。若松監督、ありがとう。