Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

二度目のミョウガの収穫

2007-09-30 | 野菜作りと田舎の食
今年の初収穫から3週間経過…。

またまた、いっぱいミョウガが出てました!
しかも、とってもまるまると太ったミョウガもあります。
全部で30くらい取れましたよ~。

ミョウガには、春ミョウガと秋ミョウガがあるようですけど
うちのは秋ミョウガですね。
あと、何回収穫できるのか楽しみ。

ところで。
今日は運動会の予定が雨で中止
田舎は人手不足ですから昨日から大会準備で
みーんな忙しくしたのに、ほんと残念
今度の土曜日までおあずけ。
次も雨だったらどーなるんだ




ユナイテッド93

2007-09-28 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2006年/アメリカ 監督/ポール・グリーングラス

「事実の持つ重みが、ずしんとのしかかってくる」


CNNの映像があまりに衝撃的だったので、「911事件」はあの突入シーンから始まっているような錯覚を私たちは持っている。始まっている、というより、全てがあの突入シーンに集約されてしまったような感覚。まるでストップモーションの記憶だ。しかし、911事件には一連の時の流れがあった。この映画を見ていると、そんな当たり前のことに衝撃を覚えずににはいられない。

映画はユナイテッド93便が出発するシーンから始まる。この後、何が起きるか知っている観客は、この時点ですでに胸に重苦しいものを感じる。滑走路が混んでいて、なかなか出発しない93便を見て、このまま飛ばなければよいのに…とすら思ってしまう。

まず最初のハイジャックが起き、管制室や航空センターが徐々にパニックになって行く様子が実にリアル。あの911発生時の舞台裏はこんな感じだったのか、というのがよくわかる。しかし、そのリアリティとは裏腹にこんな誰もが発想できないようなテロリズムが起きたときにいかに人は無力かをまざまざと感じさせる。

それは、飛行機という特殊な密閉空間がだからこそ感じる無力感でもある。おいそれと誰もが近づけない状況で、管制官の「応答せよ」の叫びが何度もむなしく管制室にこだまする。どうしようもできない。まるで現場にいるのと同じような無力感を共有する。それは、現実通りに起こったことを実にに細かい部分まで再現し、決してオーバーな表現方法は取らずに見せる演出に負うところも大きい。管制室や航空センターのやりとりの詳しいところは飛行機マニアでもない限り完全に把握はできない。しかし、あの日まさに現場はこうだったのだ、という圧倒的なリアリティが迫ってくる。

最も印象的なのは、ハイジャック犯も乗客も死を目の前にして懸命に神に言葉を捧げている様子が交互にインサートされるシーンだ。思い描く神の姿は全く違う両者。しかし、どんなに神に祈りを捧げても、目の前にあるのは悲劇でしかない。これが神が望むことなのか。実にやるせない気持ちになる。

これほどの未曾有の事件が起きたわけだから、表現者として何かを伝えなくてはならない、何かを残さねばならない、と思う人は多いに違いない。そんな中、監督のポール・グリーングラスは全ての遺族とコンタクトを取り、協力を仰いでいる。その「表現したい」というエモーショナルな気持ちと「事実をきちんと伝える」という客観的で冷静な視点のバランスの取り方は、本当に困難な作業だと思う。

日本でも「オウム真理教」や「阪神大震災」など人々の心に大きな傷を残した事件は多い。それらを非難したり、偏った表現方法を取らずに、ただありのままを伝え、かつドラマチックな映像を作れる表現者はなかなか出てこない。モチーフとして扱うことはあっても、この「ユナイテッド93」のように真正面から事件そのものを再現するような映画はなかなか出てこない。それは、やはりバランスの取り方が難しいのだと思う。遺族の感情をおもんぱかること、行政のやり方や対処をヒステリックに非難しても良い映画にはならないということ、事実をきちんと突きつけるためにお涙頂戴にならないこと、などなど。そんな中、ポール・グリーングラスは実に全てのバランスをしっかり保ち、すばらしい作品に仕上げた。様々な思惑にとらわれず、ただひたすらに「物事を明らかにする」という強い意志は、日本人にはなかなか真似できないことだと、痛感した。

真夜中の弥次さん喜多さん

2007-09-24 | 日本映画(ま行)
★★★★ 2005年/日本 監督/宮藤官九郎

「クドカン流換骨奪胎は大成功なのか、大失敗なのか」


しりあがり寿の原作は、まるで哲学書である。覚醒と幻覚の世界を弥次喜多が縦横無尽に飛び回り「リアル」を探す旅に出る。世界がすでに「ある」とする態度を棚上げして、そのような信念がどのようにして成立するかを探求する、と言うのは哲学者フッサールの唱える現象学なんだけど、弥次喜多の旅ってまさにこれなんじゃないの、と思ったわけ。目の前に起こっていることを疑ってかかる、自分はなぜそのように認識するのか自分に問う。弥次喜多は命をかけて哲学的旅路に出たんだ、と思った。しかも、漫画は実に暗い。

ところが、映画は「おふざけ」が過ぎる。寄り道したり、脱線したり、なかなか本流を下らない。正直、最初の30分でリタイアしそうになった。いくら何でもこれはやり過ぎだろうと。

しかし、後半、これはクドカン流換骨奪胎なのだと割り切って見始めるとだんだん面白くなってくる。「あちら」と「こちら」が交錯し始め、境界線が曖昧になってくるあたりで、デビッド・リンチが頭をよぎる。

クドカンは、とんでもない原作に敢えて挑戦した。そのチャレンジ精神は買いたい。ただ、これがクドカンワールドなんだと割り切れたのは、古田新太、松尾スズキ、荒川良々による怪演に負うところも大きい。彼らの突き抜けた演技がなければ、きっと最後までイライラしたことだろう。しかし、さまよう無数の魂を荒川良々ひとりに演じさせるというクドカンのアイデアには唸った。ここまで来て、ようやくクドカン流の解釈に最初から身を委ねていればもっと楽しめたろうに、と思ったが時すでに遅し。

ラッパーになったり、寺島進にスピード違反で捕まったり、レコーディングシーン入れたりと、やたらと脱線するシーンが多いのは確信犯だと思うが、私はこれについていけなかった。二人がもっと早く旅に出ていたら良かったのに。そして過剰な「おふざけ」をあと10%控えめにしてくれたら良かったのに。クドカンは何故ここまで過剰にしたのか。

しかし、あの深くて暗い原作に、自分なりの解釈を与えられるというのは、並大抵のことではないはず。やっぱりクドカンは天才なのか、それともただのお調子者なのか、未だに頭を抱えている。

ピアニスト

2007-09-22 | 外国映画(は行)
★★★★★ 2001年/フランス・オーストリア 監督/ミヒャエル・ハネケ

「厳格な母親に育てられたピアニストの歪んだ性と自己崩壊を描く傑作」


愛に飢えた中年女は、痛々しい。今作の主人公エリカは、その求めるべき愛の形すらわからずに彷徨う。その姿は痛々しいを通り越して滑稽ですらある。ここまでエリカという女をこてんぱんに描く、ミヒャエル・ハネケという監督はなんて奴だと思ったけど、この映画には原作があるんだそうだ。しかも女性作家というんだから、この作品は己のことを己自身でえぐり傷つけできあがった作品なのだ。どうりで強烈なわけです。(ちなみにこの原作者エルフリーデ・イェリネクは2004年にノーベル文学賞を受賞)

エリカの歪んだ性。それは「女として」愛を享受された経験がないことに起因している。のぞき部屋に入って個室でポルノを見ながら男の使い果たしたティッシュの臭いを嗅ぐ。ドライブインシアターでカップルをのぞき見して放尿する。いずれも普通の女の性処理とは言い難い不可思議なものばかり。エリカが精神科医にかかったら、その医者は嬉々として彼女を分析するだろう。そんなエリカにも年下の愛してくれる男が現れたというのに、エリカが彼にお願いしたことと言ったら…。

父と息子が対立するとそこには憎悪が生まれる。父は息子に越えられることを畏れ、息子は差し違えても乗り越えようとする。しかし、母と娘という関係性は不思議だ。そこには憎悪とともに同化が存在する。母は自分を娘に重ね、娘も自分を母に重ねる。今作のエリカと母の関係は異常で、母は常にエリカを監視し檻の中に閉じこめるように育て、かつ同性として耐え難い罵詈雑言を娘に放つ。こんな母親、放っておいて出ていきゃいいのに、娘はできない。そこで自分を傷つけ、歪んだ性行動を取ることで精神的不安をごまかす。母親による変質的な愛によってここまで娘が無惨になる作品は他にはないだろう。

中年女の憂鬱という観点で考えれば、さすがはヨーロッパ、描き方が半端じゃない。中年女でもまだまだ恋ができるわ、なんてなまっちろいテーマを扱ってるようじゃ、まだまだひよっこ。これくらい冷徹にその存在自体をこれでもか、これでもかとえぐり出すような作品は、日本じゃなかなかお目にかかれませんもの。

イザベル・ユペールは、エリカという難役に体当たりで挑み、この実に哀れな女を魅力的にみせている。物語だけを追えば、エリカほど乾いた痛々しい存在はなく、見方によっては侮蔑や嫌悪が沸いてもおかしくない。しかし、イザベル・ユペールが演じるエリカの孤独と焦燥、そして愛への渇望は観客の心を揺さぶる。

そして驚愕のエンディング。ここにあなたは何を見るだろう。これはエリカの自己破壊衝動か、それとも過去との決別か、はたまた生まれ変わりを意味する希望か。沈黙のエンドロールが流れる中、我々はエリカの悲しみを心の奥深くで共有する。

高野山旅行~写仏

2007-09-21 | お出かけ
宿坊の宿泊では、写経と写仏をすることができます。
それで、初めて写仏を体験したわけですが…

これは修行の一種であるため、写仏をする前には
お風呂に入り、歯も磨いて、体を清めておく。
で、おもむろに正装したお坊さんが部屋にいらして
写仏の仕方を説明し、お経を唱えます。

で、早速開始。私語は慎むように、と言われるものの、
難しいねえ~などとぼそぼそしゃべりながらスタート。

見本の絵を下に敷き、上に半紙を置く。
いわゆるなぞり絵ですね。
あんまり線が細いので、こりゃあ難しい!と思ったんだけど
やっている内に筆遣いも慣れてきてだんだん面白くなってくる。
友人共に無言。

上の「不動明王」が私の作。
こちら、友人が写した観音様。


楽しいって言葉は適切じゃないのかも知れないけど、
すごく楽しかった(笑)!!
だってね、小さい頃よく漫画の上にトレーシングペーパー置いて
オスカル様とか写してたから。オスカル様の金髪も難しかったもんね~。
これ、またやりたいです。


高野山旅行~宿坊

2007-09-20 | お出かけ
忙しくって、全然ブログを更新できませんでしたm(_ _)m

というわけで、久しぶりの記事は旅行のお話。
先週末、友人と高野山に行きました。
なんか、最近体調が思わしくないし、やる気も低下中だったので
これはもう、パワースポットに行くしかない!ってことで。

同性のお友だちと旅行に行くのも5年ぶりくらいでしょうか。
かなりリフレッシュしました。
上の写真は、金剛峯寺にあった曼荼羅。ステキですね~~。

宿泊先は櫻地院というお寺。宿坊です。
とても清潔だし、食事もおいしかったし、朝のお勤めも堪能しましたし
とてもいい経験になりました。また行きたい!!


こちらは、夕食。精進料理です。
二膳にいろんなおかずがいっぱい。思わず迷い箸してしまいそう。
非常においしかったです。
最初は精進料理って、淡泊そうと思ってたんですが、なんのなんの。
中途半端な民宿よりも断然レベルが高かったです。

部屋には干支である猪の切り絵が飾ってあります。

これ、いろんなバージョンがあって、高野山の至る所で飾ってあります。

宿坊前の枯山水の庭園。

その向こうが本堂で、ここで朝の勤行に参加しました。
これが実に気持ちよい体験で。

まず、薄暗い本堂の天井にはほのかな明かりを放つ灯籠がぎっしり。
蝋燭の明かりの前でふたりの僧侶が般若心経を唱えるのを聞いておりますと
だんだん頭が前後にぐるんぐるん回るようなイメージがしてきて
まじでトリップしそうでした。
は~気持ちよかったあ。しっかりホーミーなお経を聞いたのは初めてかも知れません。
なんか、自分がこれまで聞いてきたお経がいかにしょぼかったかというのを実感。
高野山、おそるべし。
ここは、写真が撮れなかったのが本当に残念。
とっても荘厳な雰囲気でした。






華麗なる一族

2007-09-18 | 日本映画(か行)
★★★★ 1974年/日本 監督/山本薩夫

「どいつもこいつもタヌキだぜ」


211分という長尺の映画。そこにうずめくのは人間の欲望と権力。しかし、この映画の主役は万俵大介じゃない。この映画の真の主役は「金融再編という時代の波」そのもの。それはラストの結末を見ればわかる。ドラマはどんな結末になるんだろう。

さて、本作に出てくる登場人物は、万俵鉄平と三雲頭取を除き、どいつもこいつもタヌキ親父ばっかり!まさに化かし合い合戦。こういうオヤジどもが当時の日本の金融や政治を握っていたんだなーと納得してしまうリアリティがある。こいつらまともに戦って勝てる相手じゃないぞ。

佐分利信、西村晃、小沢栄太郎、田宮二郎、金田竜之介などなど、どのメンツも悪人ぞろい。日本人の顔って、昔に比べるとずいぶんこざっぱりしてきたなあ、とつくづく思う。みんな腹に一物もった顔ばっかりなんだもん。で、万俵大介を演じる佐分利信なんだけど、この人そんなに巧い役者じゃないですよ。でも、何が大介としてぴったり来るかって言うと、まさに「何考えてるかわかんないタヌキ」そのものであるところ。

タヌキ、タヌキってしつこくて申し訳ないが、「人格の二面性」とか「つかみどころのなさ」って今の政治家もそう。こういうタヌキづらした俳優って、昨今なかなか探せなくなったな、と思うわけ。西田敏行にしたって、「ハマちゃん」のイメージがあるわけだし。田宮二郎と仲村トオルなんて一目瞭然。

さて、長い映画の割には、大介と鉄平という父と子の相克に関しては深みがないというのが正直な感想。第一鉄平が自分の出生の秘密について父親に問い糾すシーンも非常に唐突なのだ。これは、金融再編問題自体が非常に複雑でこちらを追うことに多くの時間を割いているためと思われる。そういう意味でもこの映画の主役が「時代そのもの」であることがわかる。

さすがに妻と愛人を堂々と同じ屋敷に住まわせるタヌキは減っただろうが、権力欲しさに化かし合ってるタヌキはいまだに多い。永田町の料亭でもこんなこと未だにやっとるんだろうな。まことに人間の業とは深いもんです。目先の欲にかられたオヤジどもだけれども、日本の高度経済成長を支えたことも確か。しかし、この変わらぬ体質が多大なツケを今の日本にもたらしていることも確か。この時代を今振り返ってみて、日本はどんなレールの上を走ってきたのか、と言うことを知るのも悪くない。

ミョウガが獲れた

2007-09-05 | 野菜作りと田舎の食
庭の隅に植えたミョウガがどんどん増殖中。
嬉しいなあ~

だってね、ミョウガだ~いすきなんだもん!
昔は、こんなの一体どこが旨いんだあ~って思ってたんですけどね…。
今じゃ、大好物。

2年前に苗を一つホームセンターで買ってきて植えたのが始まりで、
今はこ~んなにわさわさしてます。


これは、ミョウガの花。

花咲く前に獲らないといけないんだけどね…

未だに収穫期がよくわかんなくて、花が咲いてるのを見て、
おっ、これはミョウガができてるぞ!と気づくわけです。

早速甘酢漬けにして食べました。旨い!うますぎる~~~。
ダンナが作ってくれたんだけど、なんでこんなに味がしみてるの~!?
って聞いたら、さっと茹でてから漬けるから、とのこと。
作ってすぐなのに、ずっと漬かっていたのような味。
キュウリの酢の物にのっけたり、
豆腐にのっけたり、
湯がいたオクラに混ぜたりして
ぜ~んぶ食べちゃいました。
で、写真撮るの忘れてました



レミーのおいしいレストラン

2007-09-02 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/ブラッド・バード
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>
「メッセージ力がCGの映像美を上回る絶品」


そこいらの映画より、よっぽどキャラクターの作り込みができてる。これは、子供のためのアニメではなく、子供と大人が一緒に見るためのアニメと言っていい。むしろ、ラストの展開の「批評するとは?」というくだりなんぞ、おそらく子供には理解不能。子供が存分に楽しめる内容と大人が存分に楽しめる内容がバランス良く配合されていて、絶品。この手のアニメーション作品としては、今まで見たベスト1としたい。

本作は、全ての登場人物の配置が実に優れている。料理の才能はあるのに厨房に立てないネズミのレミー。天才料理人の息子なのに料理の才能が全くないリングイニ。あふれんばかりの料理への愛を持つオーナーシェフ、グストー。その後継者となり金儲けしか頭にないスキナー。男社会の中、実力で道を切り開く女性シェフ、コレット。辛辣な批評ばかりして作り手への敬意を忘れた料理評論家のイーゴ。

これらの登場人物は、互いにないものを補ったり、表と裏の関係だったりして実に多様なメッセージを我々に投げかける。例えば、グストーとレミーは、勇気を与える者と与えられる者。生まれてくるメッセージは、チャレンジすることのすばらしさだ。グストーとスキナーの関係を見れば、創業者と二代目の問題が浮かび上がる。リングイニとコレットを見れば、運に恵まれ出世する者と努力すれど出世できない者。そして、レミーとイーゴでは、本当に大切なことを知ること、新しいものを認めること。

配置がすばらしいと言ったのは、これら登場人物が一方向ではなく、多方向に関係し合い、物語に厚みが出ているのだ、ということ。しかも深いメッセージでありながら、言わんとすることが子供にも自然に理解できるように物語が綴られている。これは、実に高度なスキルだと感じる。CGの映像にも、もちろん多大な労力と技術が要されているのだろうが、本作は人物設定と互いの関わり方、メッセージの伝え方という脚本部分において、かなりの練り込んだ作業があったんだろうと思う。

さて、アニメーション作品なのだから、映像についても触れねばなるまい。ネズミの毛1本1本に至るまで、繊細でリアルなCG画像。パリの街もお料理もとってもステキで、映像の進歩は一体どこまでゆくの!というくらいに驚きでした。肌のつやや、目玉のテカリ具合など、微妙な表現も本当に手が込んでいる。「映像が美しい」ということが、その映画を見ようというモチベーションになるのかしらと懐疑的な私だったけど、これは見る価値アリ。映画館の大スクリーンだからこそ、価値のある美しさだった。でも、物語の構成と強いメッセージ力がこのとてつもない3DCGの技術を超えている。だから、本作はすばらしいのだ。

こうやって、あれこれ映画の感想をダラダラと書いてる私なんぞ、イーゴの長い独白に胸をぐっさりやらてしまった。批評する者のスタンス、新しいものを認めることの勇気。泣けました…

ラッシュアワー3

2007-09-01 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2007年/アメリカ 監督/ブレット・ラトナー
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>
「断固、真田広之を支持する(渡辺謙よりも)」


脚本の粗さと甘い作りをあちこちで指摘されている本作だが、映画の日&真田広之見たさに鑑賞。期待度低かったからなのか、意外や意外、それなりに楽しかった(笑)。

おそらくこの作品は観る人が何を期待して見るかということで随分評価が変わってしまうのかも知れない。つまりジャッキーのアクションに期待する人、シリーズのファンとしてさらにブラッシュアップされた「3」を観たいと思う人は、期待はずれなのかも。しかし、私は本シリーズ初見であり、子供と一緒に気軽に娯楽大作を楽しみたかったので、そういう意味では合格ライン。

逆に私の場合、銃撃戦や戦闘シーンのレベルが高いことが全く作品の評価に繋がらないし(笑)、むしろイヴァン・アタル扮するフランス人ドライバーにアメリカの悪口をガンガン言わせるあたりのセンスが気に入った。しかも、暴力的なアメリカ人に感化されて、自らスパイを名乗るようになり、ラストの展開まで…。シャルロットとの共演でしか見たことないけど、なかなか作品のスパイス的存在感を出してます。イヴァン・アタルは結構ツボだったなあ。

で、レビ警視を演じるのが何と巨匠ロマン・ポランスキー。少女淫行の罪でアメリカに入国できない彼が、アメリカとフランスが協力すれば何でもできる!って言うんだから笑っちゃう。しかも、ラストは殴られてるし。で、イヴァンの妻を演じるのはジェラール・ドパルデューの娘ってんだから、なかなかフランスキャストは粋なチョイスだったんじゃないかなあ。

悪玉が誰かってことは、薄々わかっちゃうし、ジャッキーとカーターの絆については描き方が甘いし、まあ難を言えばそりゃきりがないんだけど、今回は真田広之に免じて許す!最近すっかりアクション俳優の面影はなくなってたもんで、動きのキレてる彼を久しぶりに見て思いの外満足。これで、彼がジャパン・アクション・クラブ出身ってこと思い出した人、多いんじゃない? 安土桃山城からダイブした鮮烈なデビュー映像が頭をよぎる…。って、それがわかる人は確実に40代以上ですが(笑)。

ハリウッドに拠点を移してからも、なかなかブレイクまでは至りませんけどね。アメリカで活動するなら、レッドカーペットを歩くくらいにならないと、なんて所を基準にするのはおかしいんじゃないの?地道に作品に出続けるのも、俳優としてやりがいはあるんだろうし。まあ、こういう微妙な立ち位置だから、妙に応援したくなっちゃう。ブルース・ウィルスだってあの年であんなにきばってんだから、いっそのことアジア人中年刑事もので、アクション巨編でも誰か撮ってくんないかなあ。まだまだいけるぞ、真田!