Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

レモングラス

2009-08-31 | 四季の草花と樹木
ただの草みたいに見える、このぼうぼうとした尖った葉。
レモングラスというハーブです。

これまで、自分で庭いじりをする前にですね、
ハーブのお店で乾燥ハーブティーを購入したり、
飲んだりする機会は何度かあったわけですが、
その中で、なぜか「レモングラス」は少々値段がお高い。

よほど希少価値なのか、育てるのが難しいのか、と思っていたわけです。
確かにあまり苗を売っているのを見たことがない…かなあ?
で、今年の春花屋さんで苗を発見。
早速植えてみたところ、、何ですかこの勢いはって感じでどんどん成長。


乾燥させてみました。
ちょっと縮んだかなあ。
匂ってみると、レモンと言うよりも、爽やかな葉っぱの匂い。

このままじゃ、ヤカンに入れられないってんで、
細かく切り始めたところ、レモンのいい香りが立ちこめてきました。
手のひらでこすると、レモンの良い香りがするレモンバームと同じですね。
でも、レモンバームより香りが上品です。

飲むのが楽しみ~~。

アイデン&ティティ

2009-08-29 | 日本映画(あ行)
★★★★ 2003年/日本 監督/田口トモロヲ
「豪華布陣で小品、ってところがいいね」

何度も言いますが、ちっぽけな人間がいじいじしている作品が好きなので、ドンピシャで楽しめました。原作:みうらじゅん、監督:田口トモロヲ、脚本:宮藤官九郎、ちょい役ベーシストに大森南朋。この布陣見たら、100点とは言わなくても、確実に6、70点は取れるだろうという心づもりで見ちゃいますよね。で、見事にその期待に応えてくれた良質の作品です。

バンドブームでいきなりデビュー曲から売れちゃったバンド、スピードウェイ。リーダーの中島は売れる曲を書け、と社長に言われるけど行き詰まり。そこへ、ロックの神様、ボブ・ディランが現れるが、なぜかその姿は中島にしか見えない…。ボブ・ディランと言えば「アヒルと鴨のコインロッカー」を思い出してしまうのですが、あの作品は、いかにもスカした雰囲気が、私は受け付けませんでした。でも、これは結構笑える。そこがいい。

顔を見せない珍妙なディランもどきがハーモニカでメッセージを伝える。ちょっと、「中島らも」っぽかったりもしますよねえ。このくすっとした笑いと、若者らしい青臭さ、そして時折流れるディランの曲のような爽やかな風。この爽やかさは、中島くんのガールフレンドを演じる麻生久美子の演技の賜物です。セリフがいかにもディランの歌詞のよう。「キミが理想を追い続ける限り、キミのことを好きでいるよ」きっと、彼女はみうらじゅんにとっての理想の女性ではないでしょうか。麻生久美子の出演映画の中でこの役、一番いいかも知れません。

主演の峯田和伸はお世辞にも演技が巧いとは言えませんが、却ってそれが凄くいいんですね。素朴でストレートなメッセージが共感を誘います。前半のいじけムードから一転、ラストのライブシーンで観客をバカども呼ばわりするくだりは、ミュージシャンの本領発揮といったところ。そして、斉藤和義の新作「COME ON!」のPVにもベーシストとして参加している大森南朋。彼の演奏シーンはスクリーンの端っこばかり。「もうちょっと、ちゃんと見せてよぉ~」ファンには何とも、心憎い演出でした。中村獅童は、やっぱはみ出し者が似合いますねえ。ドラムがマギーとか、キャスティングもGOODです。

愛のむきだし

2009-08-27 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 2008年/日本 監督/園子温

「迷える仔羊たちよ、信ずるものは股間にあり」

見た目はあまりに奇妙キテレツ。お下品&おバカ。そこに、原罪と肉欲などと言うテーゼを見事に盛り込みつつ仕上げた怒濤の237分であります。なかなかに考えさせるものをたくさん持った作品ではありますが、私はここで提示されている愛の在り方とかそうしたものよりも、主演を務めた3人の若手俳優の才能とパッションにほとほとやられてしまいました。AAAなるグループのボーカルとやらの西島隆弘は、何度勃起という言葉を口にしたのでしょうか。そして満島ひかりと安藤サクラ。この両名の若手女優の怪演っぷりと言ったら!ふたりの演技だけでも、見る価値のある作品でしょう。

聖母のごとき無垢さとジャンヌ・ダルクのごとき強さを併せ持つ満島ひかり。パンツのひとつやふたつ、屁でもねーぜとセーラー服姿で殴る蹴るのアクションシーンを見事にこなしています。コリント人の長セリフも圧巻。本当にこの子は鍛えられてますね。叩かれて叩かれて伸びるタイプなんでしょう。特典映像で、園監督から「お前、役者だろ?感動させろよ、バカ!」と、とことん追い詰められて泣きじゃくっておりました。奥田英二と安藤和津の娘、安藤サクラもこれまた見事に満島ひかりとタイマンを張るいい勝負。オヤジのイチモツをぶったぎるなんて、際どいシーンもがっつり目がイッちゃってます。彼女はボクシングを習っているようで、これまたアクションシーンが見事。

さて、本作は「紀子の食卓」の続編にあたるとも言われています。後半、ぐんとその存在がクローズアップされるゼロ教会。これは「紀子の食卓」において主人公が加入する「レンタル家族」を運営する陰の組織でもあるようです。「紀子の食卓」において、光石研演じる父親に組織の代表として対峙する古屋 兎丸がゼロ教会幹部として登場しております。自分の存在意義だとか、与えられた役割とか、そうした見えないものにがんじがらめになった現代人に喰らわす本作、つまり最終章は、「愛こそ全て」。また、その「愛」は紛れもなく股間と結びついた「愛」。てめーら、頭なんか使うんじゃない。自分の体を信じろ!そのメッセージがあまりに熱く、時に失笑を禁じ得ないシーンもあったりするわけですが、「全ての根源は女性の股間にあり」の(私にとっては)思わずバンザイしたくなるような導入部のおかげで、何があってもついていきますの状態になってしまいました。

愛を取り返す後半部は、延々と続く御託が少々くどく感じられたし、キャラ設定においては少女が2人共父親から性的虐待を受けているというのが気にいらなかったりするし。引っ掛かりはいくつもあるのだけど、3人の俳優と園監督に胸ぐら掴まれて長距離レースに参加させられ、最終的にはランナーズ・ハイでイっちゃった。そんな達成感が味わえる怪作でしょう。ゆらゆら帝国の音楽がこれまたバッチリハマってます。己の体液まで全部絞りきったかのような園監督、次作はどうなるんでしょうか。




ミョウガを大量収穫

2009-08-26 | 野菜作りと田舎の食
100個くらいはあるんじゃないでしょうか。

家で採れるミョウガって、丸々と太っているんですよ。
スーパーでちんまりと3つパックで売っているものとは大違いです。

確実に収穫量は増えていますね~~。
半分くらいは冷凍保存させる予定。


このぼさ~っとなっているのがミョウガの葉。
土の表面からたけのこのようにニョキっと頭を出しているのを採る。


ついでに他の野菜も収穫。
シカクマメが絶好調。
そして、でっかくなりすぎたオクラ。
キュウリはおそらく最後でしょうね。
ナスは収穫してから、一旦区切り。
秋ナスに向けて剪定しました。
うまく出てくるといいなあ~~。

そろそろ、大根を植えないといけないけど、
仕事は忙しいし、
小学校の夏休みの行事が最後まで続くので、無理っぽい。
なんで、休み中だって言うのに、学校行事がこんなに次々とあるのだ!
早く、始業式になってくれ~。




人間椅子

2009-08-25 | 日本映画(な行)
★★★★ 1997年/日本 監督/水谷俊之
「少々のパンチじゃKOされない乱歩原作」


手を変え品を変え、映像化されている「人間椅子」。
よくよく考えると、ちゃんと原作を読んだことがないなあって、いうことで、読んでみました。

「江戸川乱歩傑作選」という文庫。

「屋根裏の散歩者」や「D坂の殺人事件」「鏡地獄」など、どれもこれも映像化された作品ばかり。これは、オトクです。

で、「人間椅子」なんですが、原作は女流作家が自分の元に送られてきた奇妙な原稿を嫌だ嫌だと思いつつ、好奇心に負けて読んでしまう。で、終わりなんですよね。たった30ページの短編。なるほど。モチーフの面白さはダントツで、後はいろいろと脚色したくなるような余白が十分残っているわけです。「俺だったら、この原作に何を盛り込んでやろうか」そんな創作魂に火を付ける小説ですね。

で、映画に戻りまして、水谷俊之監督の「人間椅子」。
こちらは、女流作家と外交官の夫、そして原稿を送りつけてくる家具職人の三角関係という大胆な脚色。夫を演じる國村隼が腹話術人形を操るシーンなど、なかなかヘンテコな感じが面白いのですけど、全体を眺めるとやはり突き抜け感が今一歩という感じ。

乱歩映画の場合、どれほど小説を凌駕する表現ができているかどうかって言うのが、ひとつの判断材料になってしまうんですね。例えば、黒革の椅子から顔がびょ~んと出てくるなんても面白いんだけど、どうせやるならクローネンバーグの「ビデオドローム」でテレビから唇が飛び出してぎょわわ~んと動くくらいのぶっちぎり感があってもいいんじゃないかと思ったりして。

潔癖性の妻が家具職人を追い続け、ついに布越しに関係を持つ、という展開もエロティックではありますが、やっぱりあくまでも「そこそこ」。これまた増村の「盲獣」のごとき、ぶっちぎり感が欲しいところです。中途半端な飛ばせ方じゃ観客は納得しない。これぞ乱歩作品の難しさでしょうね。

勝手に脚色したストーリーをほったらかしにするのではなく、ちょっとした驚きと共にきちんとけじめを付けているのは良いです。ラストの展開は、物静かな変態男、國村隼の存在感が光っています。お手伝いさんを光浦靖子が演じていますが、何となく彼女の存在で昭和の時代に撮影されたような雰囲気が醸し出されていて、これもナイスキャスティングでした。


デイジー

2009-08-20 | 外国映画(た行)
★★★ 2006年/韓国 監督/アンドリュー・ラウ
「暗殺者がデイジーですか」

大したストーリーでもないのに、最後まで見させる力はあると思います。それは、思ったよりもオランダの風景の中に韓国人俳優ふたりが馴染んでいること。なにゆえ、オランダで韓国人?の違和感が少ないのです。未見なので、何とも言えませんが、「アマルフィ」の予告編を見て、なにゆえイタリアで日本人?と感じる座りの悪さ。あれよりは、数段マシな感じがします。(おいおい、憶測でモノを言うなよと自分でツッコミ)

主演のチョン・ジヒョンとチョン・ウソン。彼らに限ったことではありませんが、韓国人俳優のスクリーン映えと言うのは、日本人俳優も見習うべきものがあるのではないでしょうか。簡単に言えば、堂々としているということです。恥ずかしさや自信のなさ、というのは、如実にスクリーンに現れますので、そうした匂いが漂うと観客は非現実の世界に入るこむことができません。暗殺者がこっそりデイジーの花を贈り続けるだなんて、甘甘な設定で私はドン引きですけど、悲劇のヒーローになりきったチョン・ウソンを見ていると、こんなイイ男が影で愛してくれるなんてなんとも羨ましい、とちょっぴりその気にさせられました。

オランダの田舎の風景も美しいし、非現実的ロマンチックラブストーリーにすぐに溶け込める方は楽しめるのではないでしょうか。

しかし、1ヶ月ほど前に見たばかりだと言うのに、結局この悲しい愛の結末がどんなだったか、さっぱり思い出せません。まあ、私にはその程度の作品だったということでしょう。いや、私の記憶力の低下のせいかも知れませんね。

縛師 Bakushi

2009-08-19 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2007年/日本 監督/廣木隆一
「モノになる、ということ 」

(※人によっては過激な性描写と捉えられるシーンもありますので、観賞の際はご注意ください。)


「我思う、ゆえに我あり」という有名なデカルトの言葉を借りるならば、人間は思考するからこそ人間足りうるということになります。(それを肯定するかどうかは個人の問題ですが)とすると、完全に思考から遠ざかると、人間は人間でなくなる。「死」に近づきます。それが、緊縛されることを欲するということかも知れません。では、限りなく「死」に近づけばどうなるのか。縛られる彼女たちを見るに、そこに待っているものは「恍惚」。結局、とことん「死」に近づくことで己の「生」に目覚める。縛られる女性の苦悶の表情から、死にたくて生きたい、そんな奇妙な命のほとばしりを感じずにはいられません。人間とはややこしい生き物ですね。しかし、完全に思考から解き放たれた彼女たちが少し羨ましくも感じられました。

本作には、3人の緊縛師が登場しますが、有末剛氏は「緊縛は限りない女性への奉仕」と語っています。やはり、SMとはSがMに奉仕してこそ成り立つもの。しかし、縄を解き「ありがとうございました」と深々と頭を下げる女性を見て、その見方もまた一面的だと気づかされる。緊縛師と縛られる女性の間には、性愛にまつわる主客転倒がめまぐるしく起きていて、何とも興味深いのです。「尽くす、尽くされる」「奉仕する、奉仕される」といった関係は、決して対立的なものではなく、ほぼ同意である。それって、「愛する、愛される」にも適用されるのかしら、と思ったり。

静かな座敷でしゅるしゅるっと縄を引く音だけが響く。大変不謹慎な想像で、気を悪くされる方がいたら申し訳ないのですが、「おくりびと」の納棺の儀のシークエンスを思い出しました。そこに「死」の匂いを感じてしまうからでしょうか。黙々と女性を縛っていく様は、厳かな儀式のようです。縛った後にひょいと女性のくるぶしあたりを蹴り、一気に吊り上げる。思わず拍手したくなるような職人技。そして、縄がきつくなるほどに、誰も入り込めぬ濃密なふたりだけの空間が生まれてゆく。粛々と続く儀式的な行為がいつのまにか長い長い性交を見せられているような感覚へと変わっていく。

少し話は反れますが、吊りを主とする縛りは、太り梁を持つ日本家屋の構造があってこそですねえ。しかも、障子越しに木々の緑がそよそよと動いているのが見えたりして。完全な密室ではないゆえに、外への連続性を感じさせます。洋館でボンデージに固めた女性が椅子に縛り付けられている。それも縛りではありますが、やはり東洋と西洋の精神性の違いを感じてしまう。そして、こうした日本家屋がなくなれば、日本式緊縛もできなくなるんだなあ、なんて思いにふけったりして。

「余命1ヶ月の花嫁」でヒットを飛ばした廣木隆一監督ですが、こうしたマニアックな作品も撮り続けているのがいいです。「きみの友だち」は同年公開なんですけど、並行して撮ってたらすごいですね。


シカクマメ

2009-08-18 | 野菜作りと田舎の食
先日マメいろいろの日記で、ようやくできかけ、と書いたシカクマメ。
しかし、あれは何と実ではなかった!
花のつぼみだったのでR。


こちら花咲く前。

そして、一体どんな花が咲くのだろうと思っていたら、
予想外の花にビックリ。


この薄紫のきれいなこと!しかも、結構大きいの。
5㎝くらいはありますよ。いんげんマメの白い花なんて、1㎝あるかなしですからね。
ただ今、この花満開です。


今日の収穫。引き続き、いんげん、モロッコマメに加えて、
ナスとピーマン、万願寺とうがらし。
ピーマン、万願寺とうがらしは、どんなに天候不順でもできますね~。えらい野菜。


で、シカクマメ。


断面は「X」の文字みたい。ホント。変わった豆だな~。

とりあえずは、王道の天ぷらで食べました。
(写真、撮ってない。はは)
とっても、おいしかったです!
あのね~周りのビラビラしたところが、ちょっと苦いね。
熱帯地域の植物らしいんだけど、ゴーヤなんかと通じるものがあるんだろうか。
そして、このほどよい苦みがたまらん。
春に山菜を天ぷらで食べた時の感覚に似てるかも。
もっと、たくさん採れたら違う食べ方にチャレンジしてみたいと思います。





エレジー

2009-08-17 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2008年/アメリカ 監督/イザベル・コイシェ

「あなたが愛しているのは、私の美しさだけなの?」


なぜ、男はその簡単な言葉が言えないのだろう。「君を心から愛している」と。「君と別れてしまうことを想像すると夜も眠れない」と。なぜ、その胸の苦しみを素直に言葉にできないのだ。大学教授のデヴィッドは、文学的な表現で何度もコンスエラの美しさを称えるけれど、女が欲しているのは「私の美しさ」ではなく、「私自身」に向けられた愛の言葉なのに。

病に冒されたコンスエラが言う。「私の体が美しくなくなっても、あなたは愛してくれるの?」と。デヴィッドよ、あなたの間違った愛し方がこんな愚かな言葉を女に吐かせたのだ。なんと、罪深い男。死に直面したコンスエラを前にようやく素直になれたというのか。なんて、ずるい男。

あまりに愛しすぎると、人は臆病になる。その気持ちは重々承知の上で、老教授デヴィッドの愛し方をあなたはどう受け止めるでしょうか。私は大変自分勝手な腰抜け男と断じたい気分でいっぱいですが、それでも2人の愛の行く末について、観賞後いろんなことを誰かと語りたくなる逸品だと感じました。ビターな結末の中に、男と女、それぞれの思惑を想像させるテイストは、サラ・ポーリー監督作「アウェイ・フロム・ハー」とも大変良く似ています。もちろん、サラがイザベル・コイシェ常連組であることと無関係ではないでしょう。ふたり共、年老いた男のずるさを見事に描き出していると思います。

女があまりにも美しいから惹かれ、あまりにも美しいから我を忘れて嫉妬にかられる。そんなストーリーが成立しているのは、ペネロペ・クルスのおかげ。彼女は「それでも恋するバルセロナ」でアカデミーを獲っていますが、こちらの作品の間違いではないのか?と思うほどです。その美しさには文句の付け所がありません。これほど、主演女優の圧倒的な美しさに同性とはいえ、目眩がするほどクラクラしたのは、いつ以来でしょう。「裸のマヤ」に例えるような、しらじらしいお世辞がすんなりと観客に受け止められる女優、彼女の他に誰がいると言うのか。現在、35歳のペネロペ・クルス、その艶やかさにますます磨きがかかりそう。ハビエルの子を妊娠しているという噂もありますが、アルモドバルの新作は既に撮影済み。公開がとても楽しみです。





ココ・シャネル

2009-08-16 | 外国映画(か行)
★★★☆ 2008年/アメリカ・イタリア・フランス 監督/クリスチャン・デュゲイ
<梅田ガーデンシネマにて観賞>

「ハーレクイン・ロマンスのごとき展開にガッカリ」

先日、イブ・サンローランが亡くなった際、NHKのハイビジョン放送で彼の特集番組を放送していましたが、大変面白いものでした。やはり、トップデザイナーが生み出すデザインというのは、時代と共に生きているですね。そこが大変興味深いのです。例えば1966年にサンローランが発表した「スモーキング」は、男性の礼装を初めて女性に着せた画期的なファッションでした。当時女性のフォーマルな服装はドレスと決まっていたし、あまりに斬新な試みだったため、オートクチュールとしての「スモーキング」には全く注文が来なかった。そこで、彼は大量生産で「スモーキング」を店頭で売ることにした。プレタポルテ(=高級既製服)の誕生です。そして、これが当時増えつつあった働く女性に爆発的な人気をもたらします。

時代を席巻したデザインにはこうしたワクワクするような逸話がたくさんあります。ゆえに私は本作でもこうしたファッション・ファンの胸をくすぐるエピソードにたくさん出会えると思っていたのに、全く持って期待はずれでした。本作では、この長い尺のほとんどがココの恋バナに費やされているのです。貴族の囲われ女から脱皮して、前の愛人の親友と恋仲になるも、彼の浮気によって恋は破綻、残された道は仕事に生きることだった。とまあ、何だかハーレクイン・ロマンスのごとき展開。そんなことよりも、孤児だったココがデザイナーとしての才能をどのように生かし、どのようにして一流の域までのぼりつめたのか、そちらの濃度を濃くして欲しいのです。

ライバルデザイナーに婦人服地を買い占められ、仕方なく仕入れたジャージー素材の洋服が戦時中ということもあり評判を得た、なんてエピソードも出てきます。しかし、こうした「デザイナーの才能を発揮した」シークエンスは、「こんなこともありましたよ」ってな添え物のごとく、ことごとくスルー。「愛人の喪に服するために着ていたブラックドレスが思いがけず評判になったわ…」って、そのひと言で終わりかよ!なんで、大衆はブラックドレスに注目したんだい?そのブラックドレスは業界にどんな革命をもたらしたんだい?シャネルブランドにどんな影響を与えたんだい?なーんも、答がありません。

じゃあ、せめて洋服の製作現場をリアルに再現して見せてくれるのかというとそれもナシ。オーマイガッ!モノ作りの現場って、すごく面白いじゃない。「キンキー・ブーツ」でブーツが出来上がる工程がすごく楽しかったでしょう?あのツイードのスーツはどうやってできあがるの?せめて、それくらい見せてよ!と、だんだんイライラしてくる。(笑)ココがちらっと「私はデザイン画が描けないから」というシーンもあるんですよねえ。ええ~?じゃあ、どうやってショーの準備をしていたんだろう。わたしゃ、そっちの方が知りたい。

確かに波瀾万丈で、誇りと心意気とチャレンジ精神を持った女性だってことはわかります。 でもねえ、これしきで女性の強さが描かれているなんて、 ナメてもらっちゃあ困る。 あの時代の女性がこれほどの地位を築き上げているんだもの。 そこには、もっと「仕事人」としての生き様があるはずですよ。 そこを描かないで、どーする!?と思いましたです。 かつ、当時のファッションは女性の意識改革と密接に関わっているんです。 そういうところも全然見えてこないんですよね。 (スカート丈を10㎝上げる、なんてシーンもありましたがね。ただ、それだけ)

とまあ、最初から最後まで「そんなことは早く終わらせてよ」って、恋バナで全編繋げられての138分。長くて疲れました。波瀾万丈恋物語が好きな人にはお勧めしますが、「ファッションデザイナー ココ・シャネル」の物語として見ると、大変物足りない作品でした。


手塚治虫記念館

2009-08-13 | お出かけ
以前からずっと行きたかった、宝塚市にある「手塚治虫記念館」。
大阪に帰省したので、息子と行ってまいりました。
いや~、良かった!

1階の展示室に、小学生や中学生の治虫少年が描いたマンガやノートなどが
多数展示してあるのですけど、ここが圧巻。
入って速効、パンチくらってKOされました。
上の写真は中学生時代の昆虫スケッチ。写真か!?と見間違えるような精密さです。
小学生の時の漫画も、ありえないくらい完成度高いし。
小6の時に描いたマンガの中に、すでに「ヒョウタンツギ」の原型が描かれていたんですよ!



これは、中学生の時に描いていたマンガ(だと思う)。
同じく中学生の時の昆虫観察日誌にもね、
ノートにビシーっと昆虫の名前が書いてあって、その字が小さい!
そして、字が上手!印刷物みたいなんですよ、どれもこれも。
次から次へと来るお客さんが「わー!」とか「すげー!」とか
みんなそればっかし(笑)。

マンガに着手する前にまず物語を作るってんで、
SF探偵物のような文章が原稿用紙に書いてあるんですが、
これ本当に中学生が書いたの!?って文章です。


食い入るように見る息子。

2階は企画展とミュージアムショップ、そして手塚全作品が読み放題のスペース。
私が行った時の企画展は、「手塚治虫のストーリーマンガ」というもので、
ストーリーテラーとしての手塚にスポットを当てたものでした。
こちらでも、豊富な原画が展示されていて、見応えがありました。
1947年に手塚のマンガを読んだ読者が
「こんなマンガ見たことない。まるで映画をみているみたい」と言ったとか。
手塚マンガのコマ割りのテクニックや、スピードの変化、俯瞰の絵の効果的な使い方など、
映画表現との類似性を様々な角度から検証していて、とても興味深かったです。


ミュージアムショップでは、
水木プロとのコラボによるヒョウタンツギと目玉オヤジのクリアファイルと
アトムのクリアファイル、


そして、携帯ストラップと一筆箋を買いました。

他にも、いろいろありましたよぉ~。

仕上げは、手塚マンガ読み放題スペースで、親子で没頭。
私は「MW」を読破しました。すっごい面白いの、これ。
映画は原作と全然違うって、散々な批評でしたけど、
DVDになったら見ようかな。

とにかく、関西人でありながら、なぜ今まで行ってなかったのだ!と反省。
子供は100円という安さにも驚き。
しかし、何といっても「手塚治虫は天才だね」コレ、何回言ったかわかりません。
また、機会があれば行きたいです。
ちなみに写真は撮影OKの場所で撮りました。
企画展のみアウトでしたけど、他は至ってOKなのでした。
あー満足、満足。





ボルト<3Dバージョン>

2009-08-12 | 外国映画(は行)
★★★★ 2008年/アメリカ 監督/バイロン・ハワード
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「3Dの醍醐味をたっぷり体感」

6本見れば1本が無料で見られる、シネマイレージカード。
この特典が「3D」作品に適用されることをみなさんご存じでしょうか?
各種割引の効かない3Dがタダですから、大変得をした気分!
かつてない有効なポイントの使い方でしたね。

さて、作品の方ですが、3D映像の進化ぶりは凄いですね。以前「ベオウルフ」の実写版を見た時、字幕だったためもあり、映像の前後の重なりが若干気になり目が疲れたりしたものですが、本作は映像がスムーズで美しいです。アクションドラマの撮影という設定で、冒頭大逃走劇が繰り広げられるのですが、3Dならではのダイナミックな映像が存分に楽しめました。

3Dの技術もさることながら、私が3D以上に感心したのは人間の表情の豊かさです。「モンスターVSエイリアン」の時は思い及びませんでしたが、ボルトの人物たちは喜怒哀楽のはっきりしない曖昧な表情が秀逸。これはピクサーの技術力なんでしょうか?苦笑いとかはにかみとかやるせないとか。そうした、ちょっとしたココロの揺れを見事に表情で再現しています。まるで、演技派俳優の顔をスキャンして作っているようです。

大体のストーリーは事前情報で知っていましたし、何せ犬が主人公。後半は「泣かせの演出」になるのだろうなあと思っていましたが、予想していたほどでもありませんでした。「ニモ」の話が劇中チラッと出てくるのですが、確かに似ている。離れ離れになった人を探す旅、それが大冒険であり、成長物語なのです。不覚にもラス前は泣きそうになってしまいました。

アクもなく、王道と言えば王道の展開ですけれど、それでも観客をシラけさせずにきっちり盛り上げてくるのは、さすがピクサーと言った感じです。3Dの迫力も満喫できたし、子供も大満足の1本でした。



ディア・ドクター

2009-08-09 | 日本映画(た行)
★★★★☆ 2009年/日本 監督/西川美和
<京都シネマにて観賞>

「誰も知らない」

京都シネマのハコの収容人数が少ないせいもあると思うのだが、この時期でもほぼ満員御礼。関西では絶大な人気を誇る笑福亭鶴瓶主演、過疎地の医療問題というテーマもあってか、中高年の観客が目立つ。加えて、若い映画ファンも集っているため、大ヒットなんだろう。喜ばしいことです。

(ネタバレです。ご注意下さい)

西川監督作品を評する時にもはや定番となっている「グレーゾーン」と言う言葉。善でもなく悪でもない。その間でゆらめく人間性を描けば秀逸だと。なるほど、異論はない。しかし、いざそれらを表現するとなった時、おそらく映画作品としては実に曖昧なものを我々観客は受け取ることになる。それでもなおかつ面白いということが西川作品の持ち味、個性に他ならないのだ。どちらかよくわからないものを見せられて面白いということ。その根底を成すのものこそ、西川監督の演出の手腕だと思う。

人物たちの造形、セリフ、何気ない仕草、そこで煌めく圧倒的なリアリティ。苦し紛れのひと言やはにかんだ笑顔に隠されている本音を我々は、スクリーンからありありと感じ取ることができる。人間なら誰しも感じたことのある、後ろめたさや保身の感情。架空の物語なのに、自分の内面深くひた隠しにしてきたものを針でツンと刺されたような痛みが走る。が、と同時に人間の弱さや情けなさが愛しく迫るのだ。

今回主演を演じている笑福亭鶴瓶。彼自身が本来持っているアクの強さに観賞前は不安になったが、まさに贋医者伊野としてそこに存在していた。惑い、畏れと言った複雑な心理が鶴瓶の顔に何度も現れては消えてゆく。来年からもここで働きたいと若き研修生、相馬(瑛太)に言い寄られたじろぐシーンも秀逸だが、井川遥演じる女医、りつ子を前に一世一代の大博打を打つシーンの緊張感がすばらしい。本物の医者に突き付けるのは「付け焼き刃の知識と嘘のレントゲン」。しかし、彼をそこまで駆り立てるのは、「静かにこの村で死にたい」というかづ子(八千草薫)の懇願。それはふたりにしかわからぬ信頼の元で成立した秘密。投げられたボールを打ち返し続けるしかなくなった男の悲哀とやるせなさが、後半どんどん加速していく。いかにも、鶴瓶が適役であったと駄目押しに合ったのは「お父ちゃんのペンライト、なくしてしもた」と実家に電話するシーン。あの無邪気な子供っぽさは、同年代の熟練俳優ではきっと違和感が出たに違いないだろう。

医者の娘に病状を打ち明けない母。贋医者を本物と慕う研修医。贋医者と知っていながら薬を卸し続ける営業マン。贋医者と勘づきながらも知らんふりをする看護婦。虚実をめぐる、それぞれの人物同士の関わり合い、その配置の妙に唸らされる。伊野が贋医者とわかった後のそれぞれの反応。あれは、手のひら返しなどではないと私は感じた。結局、何を語ろうと、第三者にわかるはずなどないのだ。伊野とそれぞれの人物間に生まれた濃密な関係性は、本人たちにしか分かり合えないものだ。それは「ゆれる」の兄弟の関係性にも通じている。それだけ人間の感情とは複雑なものであり、嘘だとか本当だとか一面的ではない世界だからこそ、誰にも割り込めない関係が生まれるということ。

「なんで贋医者なのに医療行為をしていたんだろうねえ」という警察からの聞き込みに対し、香川照之演じる斎門が突然椅子ごと後方に倒れるシーンはお見事。こうした、様々な含みを映像的な表現でズバッっと示すという才能は、構図的な「見てくれ」のカッコ良さなど軽く超えてしまう。

さて、本作は西川監督自身が「ゆれる」で評価されて、自分はそんなに大した人間じゃないという思いに占められたことが発想の源になっている。つまり伊野は西川監督自身である。そう思いながら見ていたので、あのラストカットには胸がいっぱいになった。これまでの「蛇イチゴ」も「ゆれる」も、観客のイマジネーションを膨らませるすばらしいラストだったが、私は本作のラストカットが一番好きだ。責任を果たすために、愛する人の笑顔を見るために、人は自分の居場所に戻ってくる、ということ。それは、何があろうと私には映画しかない、という西川監督の決意表明のようにも感じられた。個人的にはエッジの効いた「ゆれる」の方が好みではあるが、西川監督にしか描けぬ人間模様を存分に楽しませてもらった。次作も本当に楽しみです。





タマスダレ

2009-08-07 | 四季の草花と樹木
この時期花が少ないので、貴重な存在。
球根でどんどん増えてます。
タマスダレの由来は、
白く美しい花を「玉」に、
葉が集まっている様子を「簾」にたとえたとのこと。

きれいな花だからこれまでたくさん投稿してるよね…
と思って調べてみたら、
2007年の10月にアップしている。

コチラ

10月9日…!?えらい花期の長い花なんだね~。
で、これまた調べてみると、8月から10月に花が咲くとのこと。
へえ~、がんばって10月まで咲き続けてくれると嬉しいなあ。

それにしても、梅雨が明けた割には天気悪くないですか?
今年もトマトの収穫はイマイチなのかなあ…。




お豆さん、いろいろ

2009-08-06 | 野菜作りと田舎の食
「お豆さん」なんて言い方、ひょっとして関西人だけ?
何でも「さん」とか「ちゃん」とか付けるもんなあ。

さて、マメ科は土をよくしてくれるってんで、
ちょっとやせ気味のうちの畑のために、
これからはどんどん豆類を育てるぞ~ってことで一念発起。
しかも、マメの花って、白くてちっちゃくてカワイイのよね

今年の夏は3種類の豆にチャレンジしました。

こちらの畝が豆コーナー。

手前から
「モロッコ豆」
「いんげん豆」
「シカクマメ」
となっております。

「モロッコ豆」は、さやが平べったい豆。

ゆがいて塩だけとかでもおいしいし、天ぷらもよし。
結構大ぶりなので、このシーズンバーベキューの時に焼いて食べたりもしますね。
バーベキューの野菜って、キャベツとか玉ねぎとか、ありきたりでしょう?
上の写真のようにせっかく支柱を立てたのに、背丈が伸びない。
なんでだろ?と思って、種の袋見たら「背丈80㎝でつるなし」って書いてあんの。
支柱立てんで、良かったやん

「いんげん豆」は、みなさんお馴染みですよね。

でも、うちのいんげん、すごく長いんですけど…。
採るのが遅いのか。あんまり、ほうっておくと、味もおちるよね。
いんげんが一番早くから収穫できていて、1ヶ月くらい前から楽しんでいます。
そろそろ終わりなのかなあ。
さっと湯がいてマヨネーズ、そればっかだなあ。だって、おいしいんだもん。

そして、「シカクマメ」 。変わり種ですね。「四角豆」と書く。
これね、ずっと梅雨だったでしょ?全然育たない
というのも、熱帯アジア原産なんですよね~。
いんげんがどんどんできていたのを尻目にほとんど育たず。
で、さっき見たら…。

なんか、できてるぅ~はあ、ようやく収穫のきざしが…。
初めて食べるので、どんな味なのか楽しみ~。
また収穫できたらアップします