Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

みんな~やってるか

2008-08-31 | 日本映画(ま行)
1994年/日本 監督/北野武
「賢く見せないためのお下劣」


この作品は「監督、ばんざい!」と構造的にとてもよく似ています。これがベースなのでは?と思えるほど。「カーセックスがしたい」という目的のために、手段を選ばずあれこれ挑戦するバカ男。この前半部は、ヤクザ映画は撮らないと宣言した北野監督があの手この手でいろんなジャンルに挑戦するくだりとそっくり。そして、そのバカ男が主人公だったのに、突然北野博士の手によってハエ男に変身させられ、件の「カーセックスがしたい」という話はどこかに行ってしまい、ハエ男駆逐作戦へと物語はまるきり違う方向へと転換します。これも「監督、ばんざい!」において北野監督の苦悩はどこかへ行ってしまい、鈴木杏と岸本加世子が主人公に取って代わるのと非常に似ています。

「目的を持った主人公=主体」が、何かのきっかけで客体に転じてしまう、という構造。「監督、ばんざい!」の場合は、この客体となった北野武は人形であり、さらに構造的には複雑になっていると思います。この作品は5作目で、直前に「ソナチネ」を撮っていますので、北野監督としては、物語の構造を壊して、再構築するという作業に、挑戦してみたかったのではないでしょうか。まあ、それを何もこんなお下劣なネタで…と思わなくもないですが、知的な見せ方にするのをシャイな北野監督は嫌がったんじゃないかな。最初の目的は「カーセックスがしたい」でも「宇宙飛行士になりたい」でも何でも良かったのかも知れません。

「大日本人」は、あまり気に入りませんでしたけど、「笑い」というツールを使って実験したい、という意思は、さすが同じフィールドで活躍する者同士。また、それが同年に公開であった、という偶然には、ある種の感慨を覚えます。でも、北野監督が4作撮って、この実験を行ったことと、デビュー作でいきなり実験をやっちゃったこととの間には大きな隔たりがある気がしてなりません。

大日本人

2008-08-30 | 日本映画(た行)
★★★ 2007年/日本 監督/松本人志
「ちょっとずるい、と強く思う」




初監督作品の割には、えらいひねくれたもん作りよったな、というのが率直な感想。大体デビュー作と言うのは、取りたい気持ちが募って募って出てきた発露だったり、自分の中に溜まっていた澱を表出させたものだったりすることが多い。見かけは陽でも陰でも、ふつふつと湧き出るエネルギーのようなものがあって、私は「初監督作品」というジャンルが結構好きだったりする。

だけども、「大日本人」は松ちゃんのコントをスクリーンを使ってやったらどうなるか、という実験作のよう。実験するということは、確かに大きなチャレンジなんだけど、「映画」そのものに対峙しているというよりは、あくまでも手段としての「映画」に着目してみました、という感じ。フェイク・ドキュメンタリーのパロディというひねくれ具合も私は気に入らない。デビュー作なら、もっと真正面から映画に取り組んで欲しかったと思う。と、考える私は、頭が堅いんだろうか。

本作において、映画的時間が流れるのは、インタビューシーンだけだ。冒頭のバスの車窓から外をみやる大佐藤、スクーターに乗って変電所に向かう大佐藤の後ろ姿。インタビューシーンがなければ、ただのコント集と言ってもいいんじゃないか。でも、映画を映画たらしめているものがフェイク・ドキュメンタリーのパロディだなんて、全く人を食ったことをしやがるもんです。

タイトルはもちろん、神殿の前で変身したり、日本の若者を憂いたり、右よりな表現が続く。北朝鮮を思わせる赤鬼や最終的にはアメリカ人のヒーローに助けられるという皮肉も含め、一体そこにどれだけの強い意志で政治的メッセージを入れたかったのか。どれほど、肝を据えて赤鬼を出したのか、私には想像がつかない。「味付け」としての政治色なのか、それともみなぎる意思をスカしての表現なのか。松ちゃんが面白くないという批評をまともに受けて立ってまでも、作りたかった作品には感じられない。その辺の曖昧さが、ずるいようで、小賢しいようで。とどのつまり、そういう作品がデビュー作って言う斜に構えた感じがどうにも気に入らない。


キング・コング

2008-08-29 | 外国映画(か行)
★★★★☆ 2005年/アメリカ 監督/ピータ・ジャクソン
「予想外の傑作」




仕事帰りにしょっちゅう行くビックカメラ京都店のJR連絡口ド真ん前の62インチ液晶でいつもいつもこの映画を流してました。(この前行ったらようやくスパイダーマンになってた)いやはや、ビックカメラのチョイスは正解!これ、大画面で見たら迫力倍増でしょう。初めて我が家のテレビの小ささが悔しく思えました。

ナオミ・ワッツ好きで随分前にレンタルしていたのですが、ゴリラと人間の愛ってどうよ…と結局見ないまま今に至り激しく後悔。実に型破りなパニック怪物映画の傑作でした。次から次へと現れる恐ろしい生き物たち。そもそも最初の原住民たちの描写に度肝を抜かれるんですが、休む間もなく恐竜は現れるわ、超キモいムカデやら軟体動物やらが襲ってくるわで、息突く暇もありません。また、これら島に棲む者どものCG描写のレベルの高さに圧倒されっぱなしでした。結局この孤島でのサバイバルが171分という長尺の実に2/3ほどを占めているんですが、全くダレません。さすが指輪三部作を撮り上げたピータ・ジャクソン。

そして、何と言ってもナオミ・ワッツ。「マルホ」「21g」よろしく、極限状態で脅える演技が最高です。おまけに、スリップ一枚で泥だらけになって、飛ばされるわ、走らされるわ、叫ばされるわ。よくぞ、ここまでやりました。精神的に追い詰められる役もたいへんでしょうか、これほど体力的にハードな仕事をこなすのも一筋縄じゃ行かないと思います。惚れ直しました。

アンのコングに対する感情的なセリフが非常に少ない。ここがいいんです。こういうシチュエーションだと、コングに対して「私が助けてあげるわ」とか「かわいそうに」なんて話しかけたりしがちじゃないですか?大衆に対しては「彼を見世物にしないで!」とかね。でも、そういうしみったれたセリフが一切ないんですよ。途中で気がついて、注意深く見ていたのですが、徹底的に陳腐なセリフをカットしてます。このハリウッド大作特有の生っちょろさ、わかりやすさを排除していることが、作品に凄みを与えています。終盤のNY凱旋以降は、人間のエゴイズムがぐいぐいと迫り、ラストに至っては、何と落涙。まさか、泣かされるとは夢に思ってなかった!尺は長いですけど、それだけの醍醐味があります。張り切って大画面買ったぜ!という方は休日のじっくり観賞にピッタリな1本ではないでしょうか。

マラソン

2008-08-28 | 外国映画(ま行)
★★★★ 2005年/韓国 監督/チョン・ユンチョル
「最初はシマウマ、雨が降ればチーターになって」




自閉症の青年がマラソンを走り抜く感動物語と思っていたら、これはその母の葛藤を描く物語でした。息子のために良かれと思って応援しているマラソン。それは、果たして息子自らが望んでいることなのか。彼の頑張る姿を見たい母親のエゴイズムではないのか、という問いかけ。これは、全ての子を持つ親への問いかけでもあります。お受験させる親、野球教室に通わせる親…etc。

息子が自閉症だとわかり、一旦はその手を離した母。しかし、そんな自分を深く戒め、何が何でも私がこの子を育てるという決心に至る。そんな、母が「彼があなたを必要としているのではなく、あなたが彼なしでは生きられないのだ」となじられた時の哀しみはいかばかりか。そして、兄にかまけてばかりの母と弟の溝は深まるばかり。

これは、親と子の距離感を描いた作品なんですね。ずっとべったりでもダメで、ずっと突き放しっぱなしでもダメで。その距離はTPOに応じて、縮めたり、伸ばしたりして、努力して良い距離感をキープしていくもの。そして、そのキープに欠かせぬものは、対話であり、信頼。タイトルから予期できる通り、主人公はマラソンを完走します。しかし、過剰な感動演出は全くありません。逆に、もっと泣かせてくれよ、と思うほどです。恐らく、観客を泣かせるためには「自閉症という症状、そして自閉症の息子を育てることってたいへん」という苦労の前フリが必要なんですよ。でも、あまりそれをしてない。そこに、これが実話であることを踏まえた製作者側の、ご本人たちへのリスペクトを感じます。息子に鏡を見せながら笑顔の作り方を指導するシーンなんて、とっても微笑ましくて、微笑ましくて。ストーリーの概要と韓国発と聞いて、ベタベタの湿っぽい感動作かと思いましたが、全くそんなことはありませんでした。親子の距離感、そして家族の幸福とは何かを静かに考えさせられる秀作です。

ブラックブック

2008-08-27 | 外国映画(は行)
★★★★ 2006年/オランダ・ドイツ・イギリス・ベルギー 監督/ポール・ヴァーホーヴェン
「押し出し相撲」


面白い作品ではあるんだけど、女スパイものとしては、ある程度予測できる展開なのね、仲間の裏切りも含めて。そこに、観客の心を裏切ったり、スカしたりという「引っかかり」があまりなくて、怒濤の人生の割にはスーッと最後まで見れちゃう。。「ブラックブック」の存在そのものにも、もっとビックリなオチがあると思ってたし。確かに同士の目の前で堂々と下の毛を染めちゃったり、頭から糞尿をぶっかけられちゃったりするシーンには驚かされます。しかし、これもまた、最初から提示される主演女優カリス・ファン・ハウテンのタフさを考えれば、期待通りなわけです。同じ女スパイものでも先日見た「ラスト、コーション」の心理描写のすばらしさには、数段見劣りしてしまう。それは、観客である私自身のアジア人としてのメンタリティも多分に影響しているのかも知れませんが。

ただ、第二次世界大戦においてオランダがどういう状態だったか、ということについては恥ずかしながら何も知らなかったので、とても勉強になりました。

「善き人のためのソナタ」で作曲家を演じていたセバスチャン・コッホが、ナチスの将校役ですが、なかなか色気のあるいい男。ナチの男と愛人関係なんて言うと、「愛の嵐」のような淫靡な世界をイメージしてしまう私。この作品では、その期待も裏切られてしまいます。もちろん、ナチズムの中に倒錯美を入れ込むことは、ナチズムそのもののイメージアップに成りかねないので、描く側としてはそこを避けたとしても当然。ただ、愛してはならぬ男を愛してしまった女の苦悩があまり見えてこないのです。カリス・ファン・ハウテンの体当たりっぷりで一気に押しまくられた感じ。でも、安住の地に落ち着いたわけではないことを示唆させるラストシーンはとてもいい。最後の最後に女スパイの運命の悲哀が見えました。

果てしなき欲望

2008-08-26 | 日本映画(は行)
★★★★ 1958年/日本 監督/今村昌平
「万国共通、穴掘り映画って、面白い」




戦時中に埋めておいたモルヒネを掘り当てて一攫千金を狙う4人組。どいつもこいつもひと癖あって、腹の中のさぐりあい、化かし合い。人情喜劇のドタバタコメディかと思えば、さらにあらず。それぞれの人物の正体は一体何かというミステリと、一人ひとり殺されていくサスペンスがうまくミックスされて、穴掘り作業が進むほどに結末が楽しみな展開になっていく。

ファム・ファタールを演じる渡辺美佐子がとてもセクシー。戦後のドサクサ期の勝ち気なオンナっていうのは、本当にバイタリティがあって、その生命力がそのままセックス・アピールに繋がっているのよね。とても、わかりやすい。着物からちらりとのぞく生足に男どもが生唾ごくり。西村晃、殿山泰司、長門弘之など常連メンバーの演技も冴えてます。

嵐の中を渡辺美佐子がずぶ濡れになって壊れた橋の欄干を逃げまどうクライマックスは、なかなかの迫力。そして、誰もいなくなって、たった1本残ったモルヒネを烏がかっさらっていく。ニクい締め方ですね。物語の構成、緩急の付け方、キャラの際だち方、全てに監督の手腕が光る1本だと思います。

カンフーパンダ

2008-08-25 | 外国映画(か行)
★★★★☆ 2008年/アメリカ 監督/マーク・オズボーン
<梅田ピカデリーにて観賞>
「しっかりカンフーの醍醐味が詰まっている」


アニメと思って侮っていたら、大間違い。予想外のツボでした。

ちょっと懐かしい水墨画タッチの2Dアニメがオープニング。 これね、小さい頃テレビで見ていたアニメの「孫悟空」(だったと思うのだが)を思い出して、 すごくノスタルジックなムード。 そして、アクションシーンが、非常に工夫されていて、バリエーション豊か。 よくこれだけ考えられるなあ~と感心しまくり。 やっぱり、アクション映画をたくさん撮ってるハリウッドならではって感じです。 動物同士の戦いですから、何でもあり。 これがね、実写のワイヤーアクションよりもすごくすんなりと入り込める。 ワイヤーはやっぱり嘘くさいですけど、アニメですからどれだけ飛ぼうが、 弾けようが全然OK。 悪党タイ・ランの脱獄シーン、ファイブとの対決シーン、そしてポーとタイ・ランのクライマックスと、 ダイナミックなアクションシーンが本当に見ていて楽しい。

一番いいな~と思ったのは、がははと声をあげて笑えるシーンがたくさんあること。 私も息子も、何度笑ったことか。 太ったパンダがタイ・ランのパンチを受けて、顔がぼにょぼにょ~んと揺れたり、 でっぱったお腹で相手をやっつけたり。チャウ・シンチーの「ありえねー」な感じに似ています。 修行中にぶたまん一個をもぎ取ろうと、 師匠とお箸でチャンバラみたく戦うシーンもユーモアがいっぱい。 主題歌「カンフー・ファイティング」もB級っぽいこのチープな感じがすごく合ってるんです。

子供のように愛し、育てたホワイト・チーターが悪の化身となってしまい、笑うことを忘れた師匠が ダメパンダとの出会いによって、暖かい気持ちを取り戻すという物語もとても良いですね。

ダメ男がなぜか戦士に選ばれてしまうということも、師匠の元で修業することも、 懐かしいオープニングも、カンフーソングがエンドロールに流れるところまでも、 全てが「ドラゴン・キングダム」にソックリ! 観賞前は、そのことが気がかりだったのですけど、別にかぶっちゃって気になる、なんてことは全くなかったですね。ユーモアと言う点では断然こちらに軍配が上がります。帰路、息子はDVD買う!と息巻いておりました。

三年身籠る

2008-08-24 | 日本映画(さ行)
★★★★ 2005年/日本 監督/唯野未歩子
「静かな佇まいにのぞく強いメッセージ」




3年間も子供を宿すという奇異な設定なのに、非常にゆったりとしたカメラワークで、落ち着いた流れの作品。唯野未歩子、あのふわふわした標榜からは想像できません、これは恐るべし。すさまじく大きくなったお腹のために冬子が玄関でなかなか靴が履けない。そんな後ろ姿を鴨居ごしにじーっとカメラが捉え続けます。そのようなフィックスカメラがとても心地良かったです。

馬の赤ちゃんは産まれたらすぐに自分の足で歩くのに、人間の赤ちゃんはそこからの育児が実に大変。そこをすっ飛ばしてくれたらどんなにラクか…なんて、出産経験のある女性なら誰しも思ったことはあります。そこで、3年間お腹の中で育てるというわけです。育児はラクになるかも知れませんけど、気味悪いですね。不安ですね。だけど、冬子は全く動じない。医師の薦めを断って自然分娩にこだわる。そこに、全てを受け入れる母性の強さを感じました。冬子は徹底的に従順な女として描かれています。夫の浮気さえも受け入れている。しかし、それらの全ての受容の源は「私は命を宿している」というところから生まれる揺るぎない自信なのです。か弱くて、自分の意見も言わず、ほんわかした外見の内に秘めた強固な意志。

面白いのは、この作品の裏テーマとして、男はどのようにして父親になるのか、というのがくっきりと浮かび上がっていることです。赤ちゃんが生まれてすぐは男の人は父親の実感がないと言いますが、まさにこの作品ではそこを突いてきます。妻が3年も子供をお腹に宿していく、その時間の流れと共に当初浮気していて、全くその気のなかった夫(西島くん)が段々父親としての決意を固めるのです。3年という月日が彼に受け入れる決心をさせるんです。

冬子の妹、母、祖母など女系家族が織りなす「女とは?」のメッセージ。しかしながら、やはり女を描くことは、男を描くことと同じである、とまたしても痛感。のびやかなタッチの中にどっしりとした心構えと強いメッセージを放っている秀作だと思います。2作目が楽しみです。

ダークナイト

2008-08-23 | 外国映画(た行)
★★★★★ 2008年/アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン
<TOHOシネマズ梅田にて観賞>
「何かもが凄すぎて絶句」


(エンディングについて触れています)

既に多くの方が傑作と評し、アメコミ映画の最高峰と絶賛し、ジョーカーの提示する「悪」について、様々な方が様々な角度で語られているので、既にもう書くことはないんじゃないか。そんな風に思い、観賞してからずいぶん経つのに何も書けずにいました。圧倒されたとか、考えさせられたとか、実に平凡な言い回ししか浮かばず、どうすればこの世界観が伝えられるのかと筆も進みませんでした。

各俳優陣がすばらしいのはもちろんですが、個人的に興味深かったのは、物語の着地点です。抗うことのできない絶対悪に対してどう立ち向かっていくのか、というのは、911以降ハリウッド映画の共通テーマのように繰り返し語られてきました。ヒーローはいない。復讐してはならない。あまりにも同じテーマが多く、またどの作品も、結局抱える問題に明確な答を出せないジレンマがそのまま表現されてしまった、そんなもどかしさを感じずにはおれません。ところが、「ダークナイト」では、しっかりと結論が出されます。しかも、アメリカ映画としては、驚くべき結論ではないでしょうか。闇の世界に生きる。サクリファイス、自己犠牲と言う精神。ゴッサム・シティが世界、バットマンがアメリカ、ジョーカーがテロリストと考えた場合、バットマンが選んだこの道をアメリカ人は一体どう受け止めただろうかと考えずにはいられません。

非業の死を遂げたヒース・レジャー。ジョーカーを演じたことが、彼の死に何らかの影響を及ぼした、そう考えても全くおかしくはないほど、狂気が宿っていました。舌なめずりする仕草や独特のアクセントを加えた喋り方。彼がいかに自ら創意工夫して、己の中から絞り出すようにこの役を作り上げたのかが、実に良くわかります。病院を爆破するシーンで、スイッチをまるでおもちゃのように扱う。あのコミカルさが却って生々しく、背筋が凍りました。そして、主演のクリスチャン・ベール。私にはヒースの引き立て役とは思えなかった。善が悪を呼び、悪が善を呼ぶ。そんな、世界観が構築できたのも、彼いればこそだったのではないでしょうか。そして、マイケル・ケイン、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマン。前回に引き続き、脇役のすばらしさは目を見張ります。こんなに脇が光っている作品って、ちょっと思い出せないですね。

善から一転して悪へと転化する「トゥー・フェイス」。その成り立ちは原作とは違うようですが、彼の存在が「ジョーカー(悪)VSバットマン(善)」という単純な対立構造からさらに一歩深い世界を作り出しているのは、言うまでもありません。アーロン・エッカート扮するデントが、自らを犠牲にして高らかに正義の使者ごとく立ち上がったにも関わらず、愛する者の死によって「社会のため」に生きることよりも、「個人の私怨」に生きることを選ぶ。このデントの生き様にもまた様々なメタファーが隠されています。

とにかく善悪の概念が揺れ動き、混沌とする様を描き出す脚本が秀逸。登場人物の配置の仕方、バランスの取り具合、何かもパーフェクトではないでしょうか。バットモービルなどのハイテク装備や基地内の様子は、近未来的ではありますが、色彩も少なく、実に無機質な作りで、何と「謙虚」だろうと思わずにはいられません。一方、爆破シーンやカーチェイスの場面は、徹底的に迫力を追求し、とめどない破壊をイメージさせます。また、ハンス・ジマーの音楽は、同じく担当した「ワールド・エンド」のようなわかりやすい主旋律を持ったものではなく、どちらかと言うと重低音のBGMに徹しているかのようで、これが作品のイメージとどんぴしゃり合っています。全てを統括した、監督クリストファー・ノーランの才能にただただ驚くばかりです。総合芸術の極みと呼ぶべき作品ではないでしょうか。

SEX AND THE CITY/セックス・アンド・ザ・シティ

2008-08-22 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2008年/アメリカ 監督/マイケル・パトリック・キング
<TOHOシネマズ梅田先行上映にて観賞>

「女友達と行くべし、語るべし」



(完全にネタバレですので、未見の方はご注意ください)

ドラマの映画化って好きになれないジャンルですけど、これは本当に楽しかったです。シーズン6まで続いたドラマは、最初はシングルウーマンの奔放な生き様(sexシーンも含めて)がメインでしたが、 後半は女同士の友情にシフトしていきます。 映画版でも、この後半部をきちんと受け継ぎ、この4人の結びつきの強さ、 長年の親友だからこそ分かり合える感情がしっかりとクローズアップされていてとても良かったです。

さて、このドラマ。4人もメンバーがいると、誰に感情移入するかって、人それぞれなんですよね。私は当初ミランダ派で、終盤はサマンサ派でした。ところが、この映画版。私の気を引いたのは、意外や意外、シャーロットでした。私はドラマ版の彼女が本当に苦手でね~。自分中心主義だし、空回りして周りを巻き込む人で、最も私の嫌いなタイプでした。しかし、シーズン6でハリーと結婚してから、天性の人の良さが光り始めます。そして映画版では、まさにその優しさや素直さがキャリーを救うんですね。

キャリーがビッグに花束を投げつけた後、続いてシャーロットが「ひどいヤツ!」って罵るシーンにはほろりとさせられましたし、再びビッグとキャリーがよりを戻すのも偶然シャーロットが居合わせたことによるものだし。いちいち「きゃ~!」と奇声をあげるシーンも何だか微笑ましくて、今回の映画版のキーパーソンだったように思います。

このドラマのもう一つの醍醐味はファッションですが、 キャリーが有名ブランドのウエディングドレスを次々と試着するシーンはうっとりしてしまいました。 (ただ、これはプロデューサーも兼ねるサラ・ジェシカ・パーカーの職権乱用かな?なんて感じてしまったんですけどね。 まあ、つまり自分がいろいろ着てみたかったんではないか、と) また、引っ越しのためクローゼットの洋服を処分しようと自宅でファッションショーを繰り広げるシーンも楽しい。 他の3人が「持って行く」「捨てる」のプラカードをあげるところは、このドラマらしくてとても良かった。 ドラマ版オープニングのチュチュが出てくるあたりは、ドラマファンへのサービスですね。

式をすっぽかされたシーンは、泣けましたね。あれは、完璧キャリーの気持ちになってました。花束で殴りかかりたい、その気持ちよくわかるぅ~。

さて、スティーブは相変わらずGOOD GUYでしたが、ちょっと老けてましたね。ビックリ。一度限りの浮気ぐらい…という展開で、むしろ認知症の義母の話で二転三転するのかと思ったのですが、それはありませんでした。そして、それ以上に残念だったのは、サマンサの結末。キャリーが結婚すると、4人中3人がカップルになってしまうので、脚本上ひとりはシングルでいてもらわないとってことなんでしょうか。乳ガンの時期を支え続けてきたスミスくんと別れるなんて!シンジラレナ~イ!ふたりのエピソードに泣かされっぱなしだっただけで、本当に残念。しかも、スミスくんの出番が少ないのも悲しい…。でも、ひとりの男に縛られない、という選択肢を選んだサマンサ姐さんは、本当に男前だ!

女体盛りだの、お腹を壊しただの、馬鹿馬鹿しいシーンもSATCならでは。SATCファンのお友だちとギャハハと笑ったり、うるうるしたり。実に楽しい2時間を過ごしました。

バットマン・ビギンズ

2008-08-21 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2005年/アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン
「ノーラン監督の才気冴え渡る」


「バットマン」に関する知識が皆無なので「ダークナイト」観賞の前に予習のつもりで見ましたが、鑑賞後呆気にとられて言葉が出ませんでした。「スパイダーマン」と比較して語るような作品ではないですね。まるで、土俵が違う。完全に大人向け。ヒーローが悪を滅ぼす爽快さを完璧に捨てているのが見事です。

アメコミという非現実的なる世界をこれだけ重厚感溢れる世界観でがっちりと固めたクリストファー・ノーランの才能には惚れ惚れします。飛び道具のようなメカもたくさん出てきますが、その凄さを敢えて強調していない。例えば、スパイダーマンの場合、手の先から蜘蛛の糸がシュッと出る、その面白さをさらにCGで凄さ倍増にして見せる。それがビルの谷間を飛び回る映像になるわけですが、バットマンは違います。例えば、彼は空を飛ぶのですから、救助した人間を抱えて夜空を猛スピードで飛び回る映像なんかも作れるわけです。これだけ、CG技術が進んでいるのですから、何でもやり放題のはずです。でも、敢えてそれをしていない。新しいメカをどんどん身につけていきますが、実に淡々としたものです。つまり、この作品には、カタルシスがない。「飛んだ!」とか「やっつけた!」とか、観客のストレスを発散させたり、溜飲を下げるような演出がほとんどない。

確かに昨今のこのジャンルの作品は、どんどんダークな傾向にあります。しかし、それでも映画を見てスカッとしたいと言うのは、最低限のお約束だったはず。そこを、きっぱりとノーラン監督は撥ね付けた。この、その場限りの爽快感を切り捨てたおかげで、際立ってくるのはバットマンの苦悩や不気味な終末世界です。もちろん、お約束の復讐か自己満足か、というテーゼは出てきますが、むしろ私がこの作品から感じるのは、割り切れなさ、と言ったものでしょうか。バットマンが選んだ道が正義と言えるのかどうかわからない、という曖昧なエンディングも含め、全てにおいて白黒がつきません。まるで、答を出すのを放棄しているかのようです。彼の正体を知ったレイチェルの反応も、好きか嫌いか、彼と縁を切るのか切らないのか、全く釈然としません。

従来のヒーローは、人間関係において必ず頂点の存在でした。しかし、本作では他の登場人物と横並びな感じです。脇の役者が素晴らしくいいのです。マイケル・ケイン、リーアム・ニーソン、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマン、キリアン・マーフィ。この5人の役者がそれぞれの持ち味をしっかりと出しながら、かつ突出せず素晴らしいバランスを保っています。主役を務めたクリスチャン・ベイルのニヒリスティックな佇まいも非常に良い。

カタルシスもなければ、明快さもなく、重低音ウーハーの響きがずしんずしんと地鳴りのように鳴り続けているような雰囲気。アメコミ物の枠組みをつぶさんとするようなノーラン監督のチャレンジ精神に感動しました。「ダークナイト」が実に楽しみです。

犯人に告ぐ

2008-08-20 | 日本映画(は行)
★★★★ 2007年/日本 監督/瀧本智行
「うねり足らず」




最近、この手の作品って、どこを基準に評価していいのか、正直わからなくなってきています。「火サス」よりはまし、とバッサリ切り捨てることもできるし、サスペンスとしてそこそこ楽しめます、と言うこともできる。結局、最近の「警察もの」で映画としての醍醐味を出すのは、意外と難しいんでしょうね。とりあえず犯人(対象としての悪)があって、最終的につかまれば物語としてのカタルシスは、あるわけです。しかし、昨今のミステリー小説っつーのは、家族とか組織の人間関係における人間ドラマをやたらと盛り込んでいるわけで、ある意味そのことによって「犯人を捕まえる」という物語の求心性は失われるわけです。

この作品の場合、その対象としての悪を犯人ではなく、「植草」というエリート官僚に向けていて、そこはなかなかに面白いところです。しかしながら、その対立が弱いわけです。振られたオンナの胸くらいでクラクラきちゃってリークするなんて。植草は、スターになっていく巻島に嫉妬しているんですが、男の嫉妬は醜いです。カッコ悪いです。そこんところをもっととことんやっちゃっても良かったんじゃないでしょうか。植草を演じている小澤征悦がすごくいいです。口角をあげてリップクリームを塗り塗りするシーンなんて気持ち悪くて。彼のおかげで作品が引き締まっていると言えるほど。だから余計にもったいないんだなあ。

この「組織内人間ドラマ」と「テレビで犯人に話しかけるというセンセーショナルな捜査」の2本の軸がうまく融合せずに終わってしまった感じです。おそらく原作では深い人間描写によって、1本のうねりになっているんでしょう。観客は犯人逮捕へ感情を高めればいいのか、植草の横やりを見守ればいいのか、どっちつかずのまま放り出されるような感覚。

で、意外とあっけなく犯人が逮捕されるんですね。しかも、逮捕の瞬間は描写されない。こういうスカし方って言うのは、好きです。しかも、一瞬だけ映る犯人役の俳優(ネタバレなので記名を避けますね)が、とてもすばらしい存在感を放ちます。さすがだね。彼のこの不穏さと言うのが、逮捕の描写がない物足りなさを補っている。笹野高史も非常にいいし、脇役のきらめきが印象深いです。

で。主役の豊川悦司ですが、これはもうファン目線なのでなんとも…(笑)。いつもより足の長さは目立ってません。ゴム草履も履いてません。キスシーンもありません。ん、でもラストのベッドに横たわる横顔を見ていると添い寝したくなりました。…すいません。

昼顔

2008-08-19 | 外国映画(は行)
★★★★★ 1966年/フランス 監督/ルイス・ブニュエル
「どこまでも続く夢想」



ブニュエルは学生時代、よく見ました。今回続編となる「夜顔」が公開されるということで、久しぶりに再見。

改めて見直してブニュエルらしいシュールさを満喫しました。カルトムービーの匂いがプンプンします。セブリーヌが思い描く性的妄想のシーンになぜかくすくす笑いが抑えられない。馬鹿馬鹿しいのを大真面目にやっているショートコントみたいなんだもん。変な公爵の城に招かれて死体の真似をさせられ、雨の中を放り出されるという妄想では、「ウィッカーマン(オリジナル)」を思い出しました。この妄想シーンのおかしさというのは、ドヌーヴのまるで感情を表に出さないお人形のような目のせいもあります。一体、どこを見ているのってくらい、虚ろなの。昼の顔と夜の顔を持つセブリーヌだけど、本当は一日中夢を見ているのではないかしら。ずっと、心ここにあらず。

ドヌーヴの美しさには本当にうっとり。惚れ惚れします。ピン1本でまとめたアップのヘアスタイル。あれは、日本人のストレートな黒髪では、絶対に不可能。ピンを外してはらりと垂れる艶やかな金髪。金髪の美しさはもとより、その髪の豊かさに驚きます。ふわっふわの髪。そして、サンローランの素敵なお洋服。脱いだら陶器みたいに白い肌。やっぱり、ドヌーヴは最高。

セブリーヌが思い描く歪んだ性への欲望を、逆に男目線からの表現と捉える方もいるようです。さて、本当にそうでしょうか?夫とはできない。しかし、行きずりの男には快楽を感じる。それは、自分に罰を与えるという行為に潜む性的快感に根ざしているのかも知れませんし、そもそもマゾヒスティックな資質が彼女にあったのかも知れません。いえ、女というものは、自分を満たしてくれるものに対して根本的に貪欲な生き物と言えるかも知れません。短いカットバックで、セブリーヌの少女時代が映し出され、何かトラウマを抱えていることも示唆されます。しかし、作品の表面上はセブリーヌの本当のところがわからない、という見せ方にしている。そこが、この作品のすばらしさではないでしょうか。まあ、あの美しいドヌーヴを鞭で打つわ、顔に泥は投げるわ、雨の中に放り出すわで、さぞかしブニュエルは映画内プレイを堪能したんだろうというのは確実に推測できます。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

2008-08-18 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2007年/日本 監督/吉田大八
「サトエリ、大健闘」




なかなか面白かったです。兄や妹にある田舎者の鬱屈感を見ていると「松ヶ根乱射事件」を思い出しますが、最終的には妹の再生物語へと収束します。なので、「松ヶ根」のようなシュールな感じではなく、ホラーテイストのホームコメディといった感じでしょうか。ストーリーの不気味さとは相反して、演出はとてもポップな雰囲気であまり生々しさを強調していない。なので、観る前は結構構えていたのですが、さらっと見れてしまいました。

自意識過剰オンナ、澄伽のキャラクターは、私の敬愛する漫画家岡崎京子氏の作品によく出てくるタイプですね。「ヘルタースケルター」の「りりこ」なんぞを、実際に佐藤江梨子はお手本にしたのではないかと思ってしまいました。抜群のプロポーションを存分に活かし、存在感を見せます。ミニのワンピースから覗く長い生足が、古い日本家屋の階段を降りてくる。そのアンバランスさ、気持ち悪さを存分に楽しみました。この役は、まさに当たり役でしょう。目を剥いた顔も怖いし。

舞台は田舎ですが、結局テーマは自己表現の方法、ということでしょう。4人の家族、それぞれが自分本来の姿を己の中から解放したいと思っている。その方法が間違っているのが、姉。もがいているのが、妹。諦めているのが、兄。知らないのが、兄嫁ではないでしょうか。それぞれのキャラのヘンさは少々あざとく感じられるものの、のどかな田園風景が舞台というのが効いていて、しっかりとキャラが際だっています。また、設定の毒々しさの割には、誰もが見やすい作品に仕上げられているのは、CM出身監督だからかも知れません。ただ、ワタシの個人的な趣味としては、もっと鋭角な切り込みが欲しかったところです。でも、ホラー漫画がいいです。この漫画のクオリティの高さが間違いなく作品を支えてます。初長編にしては、非常に完成度高いのではないでしょうか。これからが楽しみな監督です。そうそう、エンドロールでわかった「明和電機」がツボでした。

市川崑物語

2008-08-17 | 日本映画(あ行)
★★ 2006年/日本 監督/岩井俊二
「なんじゃ、こりゃ」


とても退屈でした。市川監督にオマージュを捧げるということで、ほとんど黒バックのタイポグラフィと静止画で構成された作品。よって、ただでさえ動きがないのに、新しい発見が何もない。そこが致命的です。敬愛する人について述べるなら、その監督なりの新たな切り口を見せて欲しい。なるほど、そういう見方もあるのか。さすがプロの映画監督だな、と思わせてくれなきゃ。ただ、だらだらと市川監督の生い立ちとフィルモグラフィを綴っているだけなのです。これって、ボクちんはとっても市川作品が好きなんだよ、とアピールしたかっただけなのでしょうか。せっかく新作「犬神家」の現場に立ち会っているのにドキュメントの面白さも皆無。逆に市川監督が利用されちゃったような気すらしました。