Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

俺たちに明日はないッス

2011-06-30 | 日本映画(あ行)
★★★★ 2008年/アメリカ 監督/タナダ・ユキ

「タナダ・ユキの狙い」


「色即ぜねれいしょん」と同じ向井康介が脚本。主題も同じ青春もので主人公がアレしか頭にない男子高校生と、とことん酷似な設定なのですが、この2作、見比べるとその違いが非常に面白いワケです。

「色即」がバカでマヌケで微笑ましいのに対して、本作は驚くほどじめじめしていて、暗い。そのムードを成すのは、男子高生よりも、彼らを受け止める女子高生にあります。担任教師と付き合っている友野、投げやりにバージンを与えるちづ、デブ専の秋恵。この時期、男子よりも女子が大人であるというのは誰もがわかるところだけれども、彼女たちの人生に対する驚くほどの醒めようはどうだろう。

童貞は「捨てる」と表されるけれども、彼らは捨てないと前に進めないと思っているし、もしかしたら捨てた後にはいいことが待っているかも、という期待感すらある。でも、女子は違う。童貞を捨てるという事柄に対して、それがナンボのもんじゃいという冷たい視線を送る。そして、現実にそうなんである。「男の子ってカワイイわねえ」という視点はここには全くない。

原作漫画は読んでいないのですが、人物造形に大きく手を加えるわけはないでしょうから、このどんよりとしたムードは漫画にもあるのでしょう。
いずれにしろ、この手の作品は捨てたい男の子ばかりに焦点が行くのに対して、本作ではそんな彼らを見つめる女子たちがとても印象深く描かれている。「童貞を捨てること」がイベント化され人生の突破口のようにすら感じられる男子たちは、彼女たちによってみなどん底に突き落とされる。でも、まあ人生ってこんなもんだよな。

色即ぜねれいしょん

2011-06-29 | 日本映画(さ行)
★★★★☆ 2008年/日本 監督/田口トモロヲ

「法然!法然!法然!」

「アイデン&ティティ」に引き続き田口トモロヲ監督、映画ファンのツボをガッツリ抑えてますなあ。これは、おもしろかったぁ。

前作「アイデン&ティティ」は原作みうらじゅん、脚本宮藤官九郎だったわけです。これで、面白くないワケがなかろうと思っていたら、予想通り楽しい作品で。ところが、今度は同じ原作みうらじゅんでも、脚本を変えてきた。山下敦弘監督の長年の相棒、向井康介。青春の痛み、やるせなさ、エロさを書かせたら右に出る者なしの強者ですよ。これまた、面白くないワケがない。そうしたら、これまた予想通りとても楽しい作品でした。

むさくるしい男子高校生が叫ぶ法然コールが幕開けで、つかみはバッチリ。体育館舞台の裏から現れるあのきらびやかな法然像は、本当に東山高校にあるらしいですね。それから続く、仏教系男子高校生たちが繰り広げる、アホ丸出しの青春ストーリー。フリーセックスの島があると信じて疑わないバカ男3人組、オバチャンの目から見たら微笑ましいの、なんの。はいはい、アンタらの頭の中にあるのは、それだけやな。

バカはバカなりに切ない。それがきちんと伝わってくるところが、この映画のいいところでね。主演の若手俳優3人がのびのびと自然に演技していることに加えて、脇役のミュージシャン俳優がとてもいい演技をしている。ひとりは、家庭教師役を演じる「くるり」の岸田繁。もう一人が、前作「アイデン&ティティ」から引き続きの出演、民宿のオーナーを演じる「銀杏BOYS」の峯田和伸。まあ、このふたりがいい味出してる。演技は決してうまくないけど、見ているものを引き込む絶妙な間や雰囲気があって。この辺は長年脇役をやってきた田口トモロヲ監督の演出の腕、なんでしょうかねえ。主演の渡辺大和くんも本業はミュージシャンらしいしね。田口トモロヲだって、「ばちかぶり」のボーカルなワケで、そういうミュージシャンつながりのあ・うんの呼吸が作品に満ちていて、とても心地いい。

主人公の両親もリリー・フランキーと堀ちえみで、いわば俳優が本業ではないふたり。でも、ひとり息子がかわいくてしょうがない優しくてのんびりした夫婦を自然に演じていてとても微笑ましい。田口トモロヲ監督の素人俳優に対するの演出が抜群に光る1本です。

X-MEN ファースト・ジェネレーション

2011-06-28 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2011年/アメリカ 監督/マシュー・ヴォーン
<TーJOY京都にて鑑賞>

「マグニートーがカッコいいんだわさ」

評判がいいので、とりあえず「XーMEN」を見て鑑賞。
アメコミ系としては「ダークナイト」に次ぐ良作。映画館のスクリーンで見て正解でした。「キック・アス」は未見なんだけど、監督はなかなかの凄腕ですね。善と悪の対決という古典的内容を非常に重厚な作品に仕上げていて、見応えがありました。こういう荒唐無稽アクションが面白くなるのは、人物たちの心理描写とワールドワイドな展開。この2本柱に尽きると最近つくづく思う。「イーグル・アイ」でも書いたけど、アメリカ、アメリカってドメスティックな内輪なストーリーはもはや古くさく感じるということ。

ナチス政権時代から始まり、フランス、スペインと背景が広がりながらも、世界観がどっしりと揺るがない。それは、主演を務めるミヒャエル・ファスベンダーの演技の賜。彼はドイツ人とアイルランド人のハーフってことで、もちろんドイツ語が流暢。フランス語もスペイン語もうまい。その確かな語学力が作品にリアリティを生んでいる。そこはかとなく漂う影、というのかなあ、傷を抱えているニヒルな感じがとってもセクシー。この作品ですっかりファンになってしまった。

一方、善の立場であるプロフェッサーXを演じるジェームズ・マカヴォイ。私は彼のことがいいと思ったことがほとんどなくて、特に最近見たウォンテッドがあまりにしょぼかったもので全く期待していなかったんですよね。ところが、この役は良かった。超能力者だけに派手なアクションもなく見せ場がなく難しい役どころだと思う。こめかみに指を当てて、相手の心に入っていく、という仕草ね。あれ、よく考えると凄くダサイよね。コントじゃないんだから、みたいな演出なんだけど、ジェームズ・マカヴォイは、あの仕草にちゃんとリアリティを持たせていたってことがすばらしいと思う。

ミュータントを次々とハントしたり、若手ミュータントがどんちゃん騒ぎするようなシーンは、正直いらんと思ったりするけど、あれはあれで10代の若い観客が見たら、素直に楽しいのかもね。それ以外は、巧みな心理描写を交えながら親友であるふたりの葛藤と対立にじっくりと焦点を当てているのがいい。最大の理解者でありながら、敵対することになるマグニートーとプロフェッサーX。シリーズもののエピソード1という立ち位置に止まらない傑作でしょう。

そうそう悪玉を演じるケヴィン・ベーコン!もう、ワルをやらせたら右に出る者ナシだねえ。コイツがほんと憎たらしいんだあ。


2046

2011-06-27 | 外国映画(な行)
★★★★ 2004年/香港 監督/ウォン・カーウァイ

「トニーレオンのまなざし」


「花様年華」の続編的作品ということで、まず「花様年華」を見直しましたら、これがあまりにもすばらしかったもんで、こちらの作品が見劣りしてしまいますね。これはもうしょうがない。

撮影当時、木村拓哉が何度も撮影が中断して困ったという発言をしていましたけど、その混迷ぶりが良くも悪くも作品に現れています。主人公が書く小説内ストーリーということですから、話があっちに飛んだりこっちに飛んだり、突然回想シーンになったり。何でもアリなワケで。映像そのものはウォン・カーウァイらしい幻想的な美しさはあれど、それを楽しもうという意欲がないと退屈かもね。

でも、女性の体のラインの撮り方なんかは狙い過ぎと感じることなく、美しさそのままが伝わる映像づくりというのは、さすがウォン・カーウァイだと思う。ベッドに横たわる女の腰のくびれ、素足にハイヒールのくるぶし、肩の開いたドレスからのぞく鎖骨。次から次へと出てくる細部フェチのカット。のぞき窓からのぞいたようないかにもな構図なんだけど、見ていて醒めるようなことはなくて、すっかりこの世界にとらわれてしまう。のぞき窓ということで言えば、このストーリーそのものがトニー・レオンの覗きで成り立っているんだよね。2047号室から2046号室を常に覗き見る男。だから、対してストーリーは動かないけど、感情移入できるんだと思う。

とはいえ、いちばんの見どころは、アジアンスター総出演ってことなんじゃないでしょうか。私はそこんとこ、素直に楽しみました。トニー・レオン、木村拓哉、コン・リー、フェイ・ウォン、チャン・ツィイー、チャン・チェン、マギー・チャン、カリーナ・ラウ。みな幻想的なカーウァイ作品の住人になってます。最も、軸となるのはトニー・レオンで、彼の突出した存在感にはやはり唸らされますね。彼の女性を見つめるまなざし。そのワンカットが実に多弁です。昔の女を哀れむまなざし、隣の女を挑発するまなざし、大家の娘を見守るまなざし。トニー・レオンがそれぞれの女を見つめるというカットが随所にあるのですけれど、まるで自分が見つめられているようでドキドキ。私の心はとろけてしまいそうです。

それにしても、なぜ彼の女がカリーナ・ラウなの!?解せん!(ああ、ついに言ってしまった。いや、いつか叫びたかった)

花様年華

2011-06-26 | 外国映画(か行)
★★★★★ 2000年/香港 監督/ウォン・カーウァイ

「すれ違うたびに薫り立つ」



1962年、香港。新聞社の編集者であるチャウ夫妻がアパートに引っ越してきた日、隣の部屋にもチャンが夫と引っ越してきた。チャンは商社で秘書として働いている。ふたりとも忙しく、夫や妻とはすれ違いが多かった。やがて、チャウは妻がチャンの夫と不倫していることに気づく。怒るチャウは復讐心からチャンに接近するのだが……。

抱擁もキスもないのに、こんなにエロティックな作品はないと思う。アパートの隣人であるチャウとチャン。それぞれの思いを抱えたふたりが廊下ですれ違うたびに、まるでスクリーンの向こうから薫りが沸き立ってこちらに届いてくるようで、その芳香にうっとりとしてしまう。媚薬のような映像。

トニー・レオンもマギー・チャンも大人の色気たっぷりでこの雰囲気を出せるカップルは彼ら以外にしかないよね。マギー・チャンが次々と美しく着こなすチャイナドレスの美しいこと。体のラインがくっきりと浮き上がり、腰をくねらせながらチャウの横を通り過ぎる、その姿の艶やかなこと。とにかく、溜息の連続。

不倫された夫婦の片割れ同士の愛。結ばれることはない2人の恋愛模様に切ないという言葉は似つかわしくない。その想いは燃え上がるというよりも、蝋燭の炎のようにゆらめき、惑わす。あと一歩でその境界を越えそうな肉欲が互いの体にくすぶっている。

ウォン・カーウァイ監督自身を見ると、とてもこんな色っぽい映像を作るセンスの持ち主には全く見えないんだよね。映画界の七不思議のひとつだと思ってるんだけど(笑)。ウォン・カーウァイ作品では本作か「ブエノスアイレス」が私にとってのベストです。

模倣犯

2011-06-25 | 日本映画(ま行)
★★★☆ 2002年/日本 監督/森田芳光

「無茶苦茶したれ」
 

当たり外れが激しいゆえに、常にチェックして見守ってしまう森田作品。

原作を読んで映画館で見て、スカパーで再観賞。ずいぶん評判の悪い作品なんですけど、私はそれほどでもないんですね。大ベストセラー小説のシリアルキラー役を大して演技経験もないSMAPの中居正宏が演じると決まった時点で森田監督は大胆な切り替えと切り捨てを行っていると思います。もし、この犯人役に堤真一がキャスティングされていたらどうでしょう。堺雅人だったら?きっと、作品の作り方根本から違うでしょう。中居正宏主演と決まったところで、彼の演技不足に目が行かないよう、作品自体のテイストを通俗的、大衆的にして、うまく逃げていると思います。

しかも中居正宏の登場は始まってから30分後。出演時間が短いのは、彼の力量を推し量ってのことだと思いますし、沖縄の空の下をドライブして現れるその姿はスターの登場にふさわしいものです。

個人的には、非常に重層的である宮部作品は映像向きではないと感じます。「理由」もかなりイマイチでしたから。2時間の尺では無理ですよね。本作もかなり厚めの3部作。ストーリーとしては犯人と豆腐屋店主の交流に絞らざるを得ない。相手役が山崎努でずいぶん助かってます。

夫を殺された木村佳乃に編集長が「書けるネタができたじゃない」と言い、「編集長、それは言い過ぎ」とツッコむシーンや、悪評高い女性たちの拉致シーン、中居正宏のラストシーンなどなど。これらのシーンは敢えて不謹慎を狙っているんだと思う。もちろん、その不謹慎を許せるか許せないかが本作の鑑賞の分かれどころなんでしょう。私には森田監督のやけくそにも見えなくもないけど。

2チャンネルなどを想像させるキーボードの打ち込み文字が随所に現れるのですが、この無責任な書き込みの不快感は非常によく出ています。森田監督は深津絵里主演の「ハル」という作品で、打ち込み文字をスクリーンに映す手法を映画で初めて取り入れたはず。「誰もわかってくれない」でも出てきましたけど、あちらよりも露悪的ですよね。先の狙った不謹慎も含め、大衆に敢えてバカ野郎と挑発しているようで、なぜかこの作品は嫌いになれないんです。主演を中居なんかにするなよ、バカ野郎。この原作が2時間に収まるわけないだろう、バカ野郎。そんな森田監督を許したくなるのです。

一発出れば逆転という場面で前阪神タイガース監督岡田彰布がピッチャー久保田にささやいた「無茶苦茶したれ」の後、久保田が剛速球で中日打線を抑えた。あんな開き直りみたいに見える作品です。


イーグル・アイ

2011-06-24 | 外国映画(あ行)
★★★ 2008年/アメリカ 監督/D.J.カルーソー

「アメリカ、アメリカってうるさい」

AppleTVで見ようかな、と思っていたら、地上波放送をしていたので鑑賞。

いわゆる「巻き込まれ型」作品だけど、この手の作品は巻き込まれる人間にどれだけ感情移入できるかってのが、最大のポイントなんだろうと思う。しかし、ジェリーにもレイチェルにも全く感情移入できないからつまらない。謎の犯人に操られるのが男女である場合、大抵恋に落ちてあっさり逃亡中にキスの1つでもするのがハリウッド流なんだけど、やっぱりスピルバーグは作品の中に安いラブを持ち込まない。それはそれでいいんだけど、じゃあなぜこの2人の組み合わせなんだろうってこと。「できない弟」と「できない妻」が「できる自分」になるってのは、わかるけど主人公を2人にすることで、観客はどっちつかずになってしまったと思う。スピルバーグがシャイアをお気に入りなのかも知れないけど、女性主人公に絞って、言うこと聞かないと息子が殺されてしまうという恐怖に絞っても良かったんじゃないかな。自分が友だちと飲んでる間に子供が誘拐されたってのは女性陣は結構身につまされるはず。

それに、アメリカアメリカってうるさいんだよね。叛乱を起こすのはアメリカのコンピュータで、狙われるのはアメリカ大統領で、クライマックスにはアメリカ国歌。ちょっとウンザリ。アメリカの中だけでパニックが起きても、もはやスケール感がないのよ。アンタらだけで騒いどきな、って感じで。先日見た「X-MEN ファーストジェネレーション」がすばらしくて、そりゃもうワールドワイドで人物の心理描写が繊細で。アメリカの大作映画は、アメリカから脱出しないといけない時代になったんだってことを両作品を見て痛感した。アメリカで収めるんだったら、極めてローカルなストーリーにしないとダメなんだよね。




川の底からこんにちは

2011-06-23 | 日本映画(か行)
★★★☆ 2009年/日本 監督/石井裕也

「中の下でいいじゃないか」


<上京して5年目、仕事は5つ目、彼氏は5人目。ダラダラと“妥協”した日常を送っていた派遣OLの佐和子は、ある日突然、病に倒れた父親の代わりに実家のしじみ工場を継ぐことに…。>

これは満島ひかり主演ってことで、期待値を上げすぎてしまったかなあ。ゆるゆるムードの中にもう少しひねりやパンチがあるかと思ったんだけど、ゆるゆると終わってしまった。まあこの手の作品が好みなので、評価が厳しくなってしまうのかも知れないけど。


全体的なムードはいかにも、ぴあPFFアワード受賞監督作品って感じ。平凡な人間たちの右往左往をくすっと笑わせながら描く。「机のなかみ」や「純喫茶磯辺」の吉田監督の作風に似てるかも知れません。

それにしてもこの作品は彼女を主演にするつもりで書かれたんでしょうか。「だってしょうがない」、「中の下ですから!」と開き直る、どう見てもかわいくない女を愛らしく見せられるのは、彼女自身が持っているキャラクターに他ならないですよね。

腸内洗浄から始まって、OLのグダグダトークや実家に戻っての糞尿捲き、ぶっ飛び社歌斉唱と面白いのは面白いんだけど、どうも私は狙いすぎに見えちゃったなあ。この手の変化球作品を常日頃見過ぎているから、免疫付いてるのかも。

本作でいちばんいいと思ったのは、しじみ工場のおばさんたちへの演出かなー。朝礼時にシミーズいっちょうで着替えるおばさんたちには笑えた。あれを26歳の男子が演出しているってのが、気に入った。結局、社長と関係を持っていたのは誰?というくだりも面白い。この工場のおばちゃんたちは、ほとんど名の知られていない俳優さんばかりだけど、見事に演出してみんなの存在感を出してましたね。




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2011-06-22 | 日本映画(ま行)
★★★★☆ 2011年/日本 監督/山下淳弘
<大阪ステーションシネマにて鑑賞>

「1秒、1秒に刻み込む渾身の演出」

大好きな山下監督、久々の新作。期待以上のすばらしい作品でした。

<全共闘運動が最も激しかった1960年代後半、週刊誌編集部で働く記者・沢田(妻夫木 聡)は、理想に燃えながら日々活動家たちの取材を続けていた。ある日、梅山と名乗る男(松山ケンイチ)から接触を受けた沢田は、武装決起するという梅山の言葉を疑いながらも、不思議な親近感と同時代感を覚えてしまう…>

妻夫木&松ケンというネームバリューのある俳優のW主演ってことで、ふたりがどんな演技をするのか期待して行ったわけですが、それよりもすばらしいのは、山下監督が全ての脇役陣に非常に緻密な演出をしていることです。知られたところでは、学生運動のカリスマである長塚圭史と山内圭哉が無茶苦茶いいですし、あがた森魚もいい。妻夫木くんの先輩の中平さんを演じる役者もとても印象的。そればかりか、例えば事件の尋問をするだけの一瞬の登場の俳優でも、それぞれがその役柄として見事に輝いているのです。

山下監督と言えば、独特の「間」が持ち味だったんですけど、本作は封印して、がっつりそれぞれの俳優を輝かせることに集中して演出しているのです。

さて、松ケン演じる左翼運動家。実にチンケな小者なんですね。その、チンケっぷりを松ケンが見事に演じています。時折見せる狂気はデス・ノートの「L」を思い出させますけど、こいつは「ニセモノ」。ニセモノのうさん臭さがぷんぷん臭って、いやホントに松ケンはうまいな。あの髪の毛をぺったり撫でつけた思いっきりダサイ風貌なんて、人気俳優ならもう少しスタイリストさんにキレイに見せるように頼んだら?といらぬ気づかいをしてしまうほどです。

だいたい、20歳や19歳で構成された5人ぽっきりのメンバーで左翼ゲリラ気取りも何もないですよ。安田講堂が落ちた後の、残り香って言うのかなあ。絞ったオレンジをまだ果汁が出るんじゃないかと絞り続けているような(笑)、そんな馬鹿馬鹿しさ、虚しさ。そういう雰囲気が実にうまく出されていましたね。そうそう、京大での撮影シーンでは熊切監督もメンバーのひとりだったみたいなんですけど、全然わかりませんでした。

妻夫木演じる記者にしたって、東大卒とはいえ、入ったばかりのド新人のくせにみんなから「ジャーナリスト」って、持ち上げられてね。それは、ないよね。でも、あの時代はそういう青くさい部分が誰にも突っ込まれずにいられた時代なんですよね。

思わぬ再会から始まるラストシーン。彼の流した涙の理由は何か。観客に様々な思いを想像させるすばらしいエンディングではないでしょうか。
ジャーナリスト気取りの自分が付いた嘘に対する罪の意識、地道に自分の人生を築き上げている友と自分との比較、そんないろんなものがないまぜになり、思わずあふれる涙。

とても良かったので、ぜひもう一度見たいです。

X-MEN

2011-06-21 | 外国映画(あ行)
★★★☆ 2000年/アメリカ 監督/ブライアン・シンガー

「ファミリー・ムービー」

新作の「X-MEN」が面白いと評判のようなんだけど、このシリーズ見たことないので、トライ。

この手のジャンルにはもの凄く疎いし、正直ヒュー・ジャックマンのスター性というのもあまりピンと来ないんで、まあいわゆるごく普通のアメコミエンタメだよなあーという印象。

突然変異の法則性が何もないんだよね。だから、テレパスだの、金属男だの、嵐を起こす女だの、ミュータントのバリエーションが多すぎて、それが誠に嘘くさい。もし、人類に突然変異がもし起きたとしたら、同じ能力を持つ人間が現れるんじゃないの?みんな能力がバラバラなんだもん。納得いかねー。ってこういう人間なんで、所詮アメコミを手放しで楽しめないタイプなの。

この映画の主役はヒュー・ジャックマンなんだけど、彼の骨格に金属が挿入されているのは、何か理由があると思わせるのはすでに続編への布石なんでしょう。まあ、それはいいとして、その他のミュータントの背景があまり描かれておらず、結局ただのヒーロー戦隊ものと変わらない印象になっていると思いますね。もちろん、CGによる戦闘シーンが目玉なのはわかるけど、それぞれのキャラの背景が描かれて初めてこの手の作品は面白くなる。子供向けの「ファンタスティック・フォー」とあまり変わらないなあ。どちらの親玉にも、渋い俳優を起用しているんだけど、その重厚感は作品としては出せてなくて残念です。まあ、家族でくっちゃべりながら楽しめるファミリー・ムービーってとこかしら。

赤い月

2011-06-20 | 日本映画(あ行)
★★☆ 2003年/日本 監督/降旗康男

「一皮剥けたい主演女優への演出にしてはぬるすぎる」

<小樽で生活を営んでいた森田波子は、夫・勇太郎とともに満州へ移住し、造り酒屋“森田酒造”を開業。やがてこの商売で成功を収めた彼らは3人の子供を育てながら幸せに暮らしていた。また、自由奔放な愛を貫く波子は、かつての恋人で軍人の大杉との再会に胸躍らせ、関東軍秘密情報機関諜報員の氷室へ淡い想いを寄せていた。だが1945年8月、ソ連軍の満州侵攻で状況が一変。勇太郎の留守中に酒屋は崩壊するのだった…>

伊勢谷友介が見たくて鑑賞。彼はいつでもカッコイイのですけども。それはさておき。

本作は、満州における日本人の苦悩とか、戦争の悲惨さとか、そんなものはどうでもよくて、とどのつまり「森田波子とその男たち」の物語なんですよね。なのに、波子を演じる常盤貴子が全く魅力的に描かれていない。作品の根幹がすっぽり抜け落ちているから、これはもうどうしようもない。残念だけど。

満州で苦労しながら出世する夫がいるというのに、昔の男に会うのに浮き足だったり、家に出入りする若い男にときめいたり。そんな波子の自由奔放さは、夫の目の前で別の男をダンスに誘うようなシーンで表現されているわけですが、何とまあベタな演出。

波子というオンナは、瀕死の男に生きていくエネルギーを与えるために自らまたがるようなオンナなわけです。それが、是か非かはおいておいて、そういうオンナであるということの納得感を、このクライマックスシーンまでに観客に受け付けなくてどうする、と思ってしまう。常盤貴子はどこまでも、ただのいきがったお嬢様にしか見えない。

寺島しのぶや中谷美紀のように、「一皮剥けた女優」になるための企画だったんだろうけどね。常盤貴子よ、どこへ行く。未だに、これと言った代表作もなく、袋小路な気がするのは私だけでしょうか。


ブラック・スワン

2011-06-17 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2010年/アメリカ 監督/ダーレン・アロノフスキー
<TOHOシネマズ梅田にて鑑賞>

「最優秀主演女優賞を獲るために」

ナタリー・ポートマンがオスカーを獲るために作られた作品、と言っても言い過ぎではないんではなかろうか。昨今、オスカーを獲るのはモノマネ演技ばかりだったけど、こちらは、彼女がどれほど努力して役に近づこうとしたかがひしひしと伝わってきた。もちろん、役者の演技っていろんな面で評価することができるだろう。何の苦もなく自然体でその役柄になってしまう、センスありきの人もいるだろうし、そういう演技が好きってこともある。私だって、ぼうっと立っているだけで様になるよな俳優がすごく好きだ。でも、一方で役になりきる努力が見えることは、それはそれで快感だ。

この映画の面白さはナタリーの演技だけでそれ以上でもそれ以下でもない、と断ずるのは簡単だけど、彼女の努力にそんな言葉を浴びせることは私には絶対できないな。ニナが黒鳥を踊るために極限にまで追い詰められていることと、ナタリーがこの役を演じるために極限までに自分を追い込んだことが見事にオーバーラップしているんだもの。ニナが作品内で現実と妄想の境界がつかなくなるように、おそらくナタリーは自分とニナの境界が付かない境地にいたんだと思う。その二重構造が面白いのです。

見どころはナタリーの演技だけ、とも決して思えないのは、ダーレンの偏執的な演出。ニナが妄想の世界を行ったり来たりする様、これこそが監督の腕の見せどころ。最も彼のらしさが出ていたのは、クライマックスのブラック・スワンを踊る時のナタリーの身体的な変容だろう。黒い羽根が生えてくるってのは、誰でも思いつくんだろうけど、先端部が皮膚の間を突き破って出てくるあの気持ち悪さね。背筋がぞぞーっとなるよな、気味悪さ。あれがダーレンの持ち味でしょう。だって、バレエの話なんだけど、作品全体を通して、バレエの美しさなんてこれっぽっちも表現されてないんだもん。

その偏執的な演出が、本作をホラーとも言わしめてしまう個性を生んでいる。DVDが出たらぜひもう一度見てみたいです。


ゲルマニウムの夜

2011-06-16 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2005年/日本 監督/大森立嗣

「神を試す男」


花村萬月の小説ってのは、映画向きなのかも知れないですね。私は読んだことないので偉そうなことは言えないんだけど、まあ映画作品を見ればもの凄くどんよりした暗い小説なんだろうなってことは想像が付きます。で、いざ映像になると、その暗さの振り切れ具合がいいんでしょうね。凄く芯の通った作品になる。

冒涜に冒涜を重ねる男が主人公。神父からは性的いやがらせを受け、殺人はするわ、獣姦はするわで、観る方によっては、気分が悪くなること間違いなし。私自身はその手の作品には拒否反応ないし、大丈夫だと思ってはいた。むしろ、もっと哲学的で主題をはぐらかされるタイプの作品かと思って構えていたんだけど、それは見事に裏切られる。これは、実にわかりやすい作品なのですよ。神をとことん疑い、神を試すお話。

「こんなに冒涜を重ねる私に、なぜ神は罰を与えないのですか」

うん、なんか胸がすくよね。神は等しく試練を与え、神は等しく恩恵を与える。そんなの嘘っぱちじゃねえか。

何といっても主演を務める新井浩文がすばらしい。これまで見てきた彼の出演作の中でベスト1です。特典映像の中で監督が「立ち姿で存在感を出せる役者として彼を選んだ」と言っていますが、まさにそう。家畜の排泄物と肥料と精液の匂いが漂ってきそうな教会の荒れた泥地で、ただただでくの坊のように突っ立っている。その姿が時に神々しくさえ映るのです。


軽蔑

2011-06-13 | 日本映画(か行)
★★★★ 2011年/日本 監督/廣木隆一
<Tジョイ京都にて鑑賞>

「大森南朋と緑魔子が光るからこそ」

<新宿のチンピラ、カズ(高良健吾)は、歌舞伎町で働くポールダンサーの真知子(鈴木杏)と激しく惹(ひ)かれ合う。新宿で事件を起こしたカズは、彼女と一緒に故郷に戻って暮らし始めるが、彼らを歓迎する者はなく、真知子は東京へと去るのだが…>

新宿のチンピラ、カズは実は田舎の金持ちのぼんぼん。故郷でどんな悪さをしても親に尻ぬぐいしてもらい、やばいことに足を突っ込んでも親の立場があるから何とかなる。でも、そんな人生に見切りを付けたくなった。ひとりの女にとことん惚れたからだ。

どうしようもなく甘ちゃんなオトコ、カズに共感できないという観客は多いだろうなあと思う。でも、彼が愛されるに値する人間かどうかということよりも、そういう男を愛してしまった女がいる、ということなんだと思う。強く手を握りしめ、おまえしかいないという男はそうそういなからさ。ほんとに好きな女なら、住む場所は別に故郷でなくてもいいはず。祖父の愛人だったマダムもそう言う。でも、カズは自分の故郷にこだわった。そこに共振しないと、ふたりの破滅にもなかなか心は揺さぶられないだろう。それは、故郷の親やワル仲間に自分は変わったということを認めて欲しかったのか、自分にもできるということを見せてやりたいという思いだったのか。それはいろいろ想像できるわけだが、いずれにしろ「どこに行けばいいかわからない」とマダムに吐露するカズの内面を観客に想像させるだけの演技までは、悲しいかな高良健吾は今一歩だったと思う。

ベッドシーンのことでは、鈴木杏が脱いだ脱いだって騒がれているけど、チンピラとポールダンサーの愛を描くわけだから、そりゃベッドシーンあるでしょうよ。ないとなんも始まらないじゃん。むしろ、ダンサーという設定なので、もう少しくびれが欲しかったなあ。そこの説得力のなさがねえ、作品全体にも影響を及ぼしているように感じた。

カズの祖父の愛人を演じる緑魔子とカジノの元締めを演じる大森南朋がとてもいい。この2人が光るからこそ、作品も奥深いものになっていると思う。緑魔子演じるマダムはふたりの唯一の理解者。カズにかつて自分が愛した男を重ね、全てを投げ打とうとする憐れな姿が惹きつける。一方、大森南朋演じる山畑は、カズを軽蔑し、ふたりを引き裂こうとする。「俺とお前はそんなに変わらない人間なのに、なぜお前だけが愛されるんだ?」このセリフに本作の全てが集約されているように思った。





悲夢

2011-06-09 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2008年/韓国 監督/キム・ギドク

「ギドクの言葉遊び。もう英語を話せなくてもいい?」


何でも英語のハリウッドで多言語のリアリズムを追求したタランティーノとは対照的に、ギドクは言葉の壁を越えるでもなく、壁の存在をそのまま提示することで我々観客を困惑させる。いやはや、ほんとにギドクって人は面白い。

本作ではオダギリジョーは最初から最後まで日本語である。そして他の韓国キャストはみな韓国語。なぜ意思疎通ができているの?という疑問を持つのは当然なんだが、映画の解釈を結論づける前に私はこう感じたのだ。「観客がストーリーを追えればそれでいいのかも知れない」と。そう思うと、以降全く違和感を感じることがなかった。

先日BSで録画したヴィスコンティの「山猫 イタリア語完全版」なるものを見ていたんだが、バート・ランカスターもアラン・ドロンもイタリア語うめえ!と感心していたらあれは吹き替えなんだそうな。おそらく、ある程度はイタリア語をしゃべってるんだろうけど、違和感をなくすために吹き替えにしているんだろう。で、ギドクはそんなのめんどくせーぜってんで、オダジョーにそのまま日本語でしゃべらせた(か、どうかはわかりませんが。笑)。

いずれにしろ、映画というものは、観客の理解を促すために一本の作品の中で「言語は統一させる」か、または「現実に即した言語でしゃべらせる」やり方がほとんどだった。しかし、いずれの方法においても、種々のごまかしが必要だ。そのごまかしを我々観客は「映画が作品として成立するため」に大人な対応で受け入れてきたのだ。英語でしゃべるヒトラーが演説中に突然ドイツ語になっても、日本の山奥で渡辺健がペラペラの英語でしゃべっても、それを突っ込むのは野暮なものと思ってスルーしてきた。でも、ギドクは自然な演技を引き出すためにオダジョーにそのまま日本語で演技させた。なんという逆転の発想。だけども、これはある意味、観客を信用した手法と言えるかも知れない。(しかし、こんなことがまかり通れば、頑張って英語をマスターしている韓流スターは立つ瀬がないな。)

そして、日本語で喋り続けるオダジョーがなぜ韓国人と意思疎通できるのか、ということは、もちろんこの映画が示す夢というテーマとも関係している。夢の中じゃあ、日本語をしゃべる自分と外国語を話す外国人とでもバッチリ物語は進むもんね。だから、これは恋人を失ったオダジョーの長い長い夢の話と解釈するのが一番手っ取り早い。そうすると、「夢を見ると、別の女が行動する」ってのは、夢の中の夢、ってことで、これまた「インセプション」かよ。

とまあ、言葉のことばかり書きましたけど、本作のオダジョーはなかなか良いです。あいかわらず、もけもけのVネックのニットが似合います。ベッドシーンも色っぽいです。ギドク作品はほとんど見ていますけど、おおざっぱに言うと相反(それは作品によって、対立だったり、陰陽だったり、表裏だったりする)と輪廻が根底にあるのかなと思いますね。本作のジンとランはジンが眠ればランが起きるということで分身の関係のように思えます。何だかよくわからない話ですけど、結局夢かよ、と断じてしまえない(もちろん、全ては現実という解釈もあるでしょう)、やはりギドクならではトリッキーな仕掛けが満載で、私は楽しかったです。