Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

4分間のピアニスト

2010-10-01 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2006年/ドイツ 監督/クリス・クラウス

「理解しあえぬ二人」


類いまれなピアノの才能を持ちながら殺人犯として収監されている女囚と、彼女の才能に惚れ込み残り少ない人生を懸ける老教師、そんな2人の女性の魂のぶつかり合いを衝撃的に描いた作品。ピアノ教師として刑務所を訪れたトラウデ・クリューガーは、机を鍵盤代わりに無心で指を動かしている女性に目を留める。彼女の名はジェニー。天才ピアニストとして将来を嘱望されながらも道を踏み外してしまい刑務所暮らしの日々。心を閉ざし、衝動的に暴力を振るう彼女は刑務所内でも札付きの問題児。それでも、ジェニーの才能を見抜いたトラウデは所長を説得して特別レッスンを始めるが…。

いかにもドイツ映画らしい無骨な作品で、この全く媚びないぶっきらぼうさが大変気に入りました。殺人の罪で囚人となった天才ピアニストジェニーと過去に愛する人を己の過失で失ってしまった老教師クリューガー。2人それぞれが抱える過去は十分に同情に値するものであるのですが、それを差し引いてもなお、ふたりの人間性には明らかな欠陥がある。ここが本作のポイントではないでしょうか。ある意味、それは作り手が確信犯で「このふたりにはそこそこ同情できるけれども、心の底からは受け入れ難い」と観賞者に思わせるような人物設定に敢えてしている。主な登場人物がふたりの場合は、光と闇、希望と絶望といったわかりやすいコントラストで描くのが常ですが、本作の場合は暗と暗。無理解、不寛容のエネルギーが充満していて、他では見られない希有なムードを漂わせており、それが強烈な個性となって光ります。

ジェニーは「怒り」、クリューガーは「執着」という負のエネルギーを溜め込んでいて、その様を見ているのは、私は全く苦でありませんでした。どれほど音楽の才能があろうとも、ダメ人間はダメ人間。そして、それもまた人間なのであります。正統なスタイルから逸脱しているジェニーのピアノを真っ向から否定するクリューガー。しかし、最後の4分間にわたるジェニーの壮絶な演奏の後、クリューガーはジェニーに微笑みかける。その態度に一貫性のなさを感じられる方もおられるようですが、むしろ私は自分の同性愛にまつわる過去を告白した時点でクリューガーはジェニーの才能に屈服したのだと感じておりました。そして、ジェニーのお辞儀は額面通りのお辞儀でも何でもなく、クリューガーに対する精一杯の皮肉だったのではと思えます。決して理解し合えない2人。矛盾に満ちたその成り行きをそれぞれが思い思いの解釈でとらえられる作品ですね。

少し話が変わりますが、昨年坂本龍一のピアノコンサートに行った時のこと。グランドピアノだけのコンサートで500人ほどのキャパの京都府民ホールの最前列で観賞しました。幕が開いてすぐ教授はつかつかとグランドピアノに近づき蓋を開け、弦を指で叩いたり、弾いたりして演奏を始めました。そう、本作でジェニーもやっていたあのスタイルです。それは自分の感情の赴くままの即興演奏で何とも幻想的な厳かな気分になりました。即興演奏が演奏者の感情をそのまま表現するものだとすれば、ジェニーの演奏から伝わるのはとめどない怒り。己の思いを完膚無きまでに表現できるジェニーは、やはり真の音楽家と言えるのではないでしょうか。