Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

日本以外全部沈没

2008-03-31 | 日本映画(な行)
★★★☆ 2006年/日本 監督/河崎実
「筒井の毒を映像化するってのは難しいんだなあ」


人にオススメするとか、しないとか、そういう基準で語ることは全くできません(笑)。私の興味は、あの毒がてんこ盛りの原作をどれくらい再現できているのか、ということ。結果としては、筒井康隆らしいシュールさは表現しきれなかったなあという感じ。

「世の中が日本だけになったら」という仮定から想起される様々な出来事は、日本人のプライドや島国根性、そして、それに相反するように持ち合わせている自虐意識を浮き彫りにする。その発想に気づいた筒井康隆は実に頭がいいと思う。文体は下品で過激だけれども、突きつけられるのは日本人としてのアイデンティティー。そこにスポットを当てて観れば、各国の首相のパロディは、よくぞここまでできたな、と思う。中国の首相に「虐殺の歴史は中国大陸と共に海に流した」と言わせてますからね。よく映倫通りましたよ。また、日本人音頭に始まり、外国人を一掃するGATなど、文字通り「日本人がいちばん!」という描写の列挙に対して、観る側がどれほど居心地の悪さを感じるかは、一種の踏み絵とも呼べるのかも知れない。日本の首相にヨイショしまくる中国や韓国の首相の姿を見て、痛快、と思える人はいないでしょうからね。

が、いかんせん、「対白人」における描写に関しては、かなりツライ。そして、ここを許せるかどうかが、本作を楽しめる分かれ目でしょう。日本人が持つ白人への憧れや引け目。それが、ハリウッドスターが日本で転落していく様子を通じて顕わになる。しかし、ハリウッドからなだれ込んでくる有名人がみんなソックリさんですからね。これでは、原作が持ち合わせているメッセージを表現するのはかなり難しい。だが、映画はハナから低予算、チープだと宣言しているのですから、そこを突っ込むのは筋違いかも知れません。良くも悪くも筒井風味を河崎流に全編アレンジされちゃったということです。

このネタで98分ですか。いっそのこと75分くらいの映画にしてしまえば、ガハハと笑って終われたような気がします。で、その後に、意外と自分の日本人観を試されたのかも知れない、と余韻を味わえたんじゃないかな。

虹の女神

2008-03-30 | 日本映画(な行)
★★★ 2006年/日本 監督/熊澤尚人
「切ないだけの映画はいらない」


元々岩井作品が苦手なんだけれども、出演俳優に惹かれて鑑賞。が、しかし、何とも言えないもやもやばかりが残る作品であった。確かに切なさを描くテクニックはうまい。水平の虹、なんて目の付け所もいい。それでもね、主人公智也の常識を遙かに超えた鈍感ぶりは切ないというよりも、いい加減にしてくれ、という感じ。

「失って初めてわかる大切なもの」がテーマなんでしょうか?しかし、智也にとって、あおいが大切な存在であることを気づく場面は、彼女がアメリカに行く前から散々ありました。結局、彼が己のストレートな感情を表現したのは、あおいが死んでから妹の前で号泣するシーンであります。そこまで行き着かないと、自分の気持ちが出せないのですか、この男は?もちろん、なかなか恋愛に発展しない男と女のすれ違いを描いているのはわかります。誰にだって、そういう経験はあります。でも、それを通じて監督が伝えたいことは何なのでしょう?ただただ、切なけりゃいいんでしょうか?そういう映画は私は御免です。

ダメ男が主人公の映画って、私は大好きです。けど、それは情けなさの中に人間的なものがあり、喜怒哀楽があり、愛おしさがあるからなんです。だって、胸に携帯電話をしこんでピカピカ光らせてるような10も年上の女に体よく騙されるなんて、正直この男かなりイタい。なんかね、同情の余地なしって感じなの、アタシの目から見ると。そこを「そうか、そうか、つらかったね」とポンポンと肩を叩いてやるようなムードを40歳の熊澤監督、及び44歳の岩井監督が作り上げていることに、私は違和感を覚えてしょうがない。

上野樹里、蒼井優、市原隼人。この3人は、とてもいい。3人ともこんなぽわーんとした作風の中でしっかり存在感を出しているところに役者としての底力を感じる。特に市原隼人の自然体の演技が光る。ストーカーで鈍感でイタイという、最悪のキャラクターが美しい物語に何とか溶け込んでいるのも彼の演技のおかげかな、と思うほど。つまらんテレビドラマには出ないで、頑張って映画俳優の道を突き進んで欲しいな。見直しました。

印象的な絵がありましたか?と聞かれると、たくさん答えられる。だけど、美しさにごまかされた物語は嫌いだ。岩井監督、いい加減「切ない」は卒業して大人の愛を描いたらどうでしょうか?って、大きなお世話ですな。

誰がために

2008-03-29 | 日本映画(た行)
★★★★☆ 2005年/日本 監督/日向寺太郎
「風景がこんなにも雄弁だなんて」

とても、とても、良かった。愛する人を少年に殺された男の物語、と聞いて、やりきれなさが前面に出た作品かと、手を引っ込めてしまう人もいるかも知れない。現に私もそう思って二の足を踏んでいた。でも、そうではなかった。今、何とも言い難い余韻に浸っている。

少年犯罪がテーマであると聞いた時に、誰もがその矛盾を糾弾したり、被害者家族の苦しみがスクリーンいっぱいに広がる作品だと予測するだろう。しかし、この作品にそのようなものはない。確かに矛盾も苦しみも少なからず表現されているが、それらの感情を埋めるかのように次々と目の前に現れるのは、とめどない「風景」なのだ。下町の商店街、路面電車、風見鶏を始めとする、文字通り「映像の風景」。そして、亜弥子が写す写真から読み取ることのできる登場人物の「心象風景」。

本作、この「写真」の物語への取り込み方が実にうまい。写真は、ストップモーションの世界。映像表現とは異なる次元のものだが、戦場カメラマンであった民郎が撮ったパレスチナの写真、写真館で撮影される記念写真、亜弥子が撮った風の写真が見事に映像と絡み合い、物語を彩っている。こうしてたくさんの風景が目の前を流れてゆく。そして、それらの風景が喜び、つらさ、悲しみ、憤りという人々の心模様を代弁している。「心を風景で伝える」。作品全体の穏やかなトーンとは反して、これは実に挑戦的な試みではないだろうか。

また、「風景」に重きを置いた作品と言うと、何だか退屈そうにも聞こえるが、全くそんなことはない。何より風景の映像そのものが大きな力を持っているのだ。また物語は、少年犯罪と被害者の家族という誰もが感情移入しやすいテーマであり、結局民郎は少年に復讐するのだろうか、という観客の興味はしっかりと最後まで引きつけられている。それに、日常生活の喜び、小さな幸福感がきちんと描かれている。特に民郎と亜弥子が徐々に心を通わせるようになるシーンはとても素敵で、彼女は死んでしまうんだということがわかっているから余計なのか、とても儚く美しい映像に見える。

そして、行く末を観客に委ねるラストシーンのすばらしさ。やり切れなさに包まれた民郎はあの後果たしてどうしたのだろうか。私は「あそこ」に入っていったと思いたい。様々な感情が渦巻くラストシーンだ。

さて、浅野忠信の演技を物足りなく思われる方がいるのもわかる。しかしそれは、愛する人を失ったのだから、狂わんばかりに泣いたり、怒りで自分を失いそうな演技を「して欲しい」という観客の勝手なお願いではなかろうか。日向時監督は、このあまりにも不条理な事件に巻き込まれた人々の心情をそのままストレートな演技表現で伝えようとはしていない。もし、そうしたいのなら、主演俳優は間違いなく違う人物を起用しただろうし、脚本に「民郎、そこで泣き崩れる」とたった一行のト書きを書けばいいことなのだ。どうか、目の前を流れる豊かな風景から多くの感情を読み取って欲しい。

最後にこの作品、音楽がとてもすばらしい。誰かと思ったら、矢野顕子でした。そうと知っていたらもっと早く観たのに!と激しく後悔。アッコちゃんは、これまであまり映画音楽を手がけてないと思う。おそらくそれは、元夫・坂本龍一がたくさんの映画音楽を手がけていて、何かと引き合いに出されるのを嫌ったからではないか(アーティストのプライドとして)、と個人的には思っている。坂本龍一のキャッチーでメロディアスな旋律が時に映画音楽としては主張が強く感じられるのに対し、アッコちゃんのピアノは、全ての風景に寄り添うように奏でられている。それが、この作品の表現スタイルと見事に合っている。作品と音楽との関係性がここまで完璧なものは久しぶりだと感じたぐらい良かった。

PERFECT BLUE

2008-03-28 | 日本映画(は行)
★★★★ 1997年/日本 監督/今敏
「アニメの扉が全開、とまでは行かないが…」



「パプリカ」が面白かったので、借りてみましたが、結構本格的なサイコ・サスペンス。アニメとしては異色ですね。

元アイドルとオタク少年という設定に最初は引いちゃったんですけれども、主人公未麻がもう1人の自分にさいなまれるあたりからどんどん面白くなりました。「未麻自身が見ている妄想」と「連続殺人事件の犯人捜し」という2つの謎がどう絡み合ってくるのか、見ている側はいろんな推測ができるよう、様々な伏線が張られている。なかなかしっかりした脚本です。

中でも秀逸なのは、未麻が部屋で覚醒する一連のシークエンス。今見た悪夢は「夢」なのか、それとも「現実」なのか。しかも、気づくとベッドの上だったと言う同じシチュエーションを繰り返し使用することで、「夢の中の夢」という入れ子構造とも解釈できるよう作ってある。また、未麻が出演しているドラマのストーリーと現実に起きていることが非常に似通っていており、様々なエピソードの境目がどんどん曖昧になっていく。そのことで、未麻は妄想を見ているのか、それとも多重人格者なのか、はたまた誰かが彼女に罠をしかけているのか…私の妄想もどんどん膨らむ。見ながら真相を推測するのは、この手の映画のいちばんの醍醐味。存分に楽しませてもらいました。

元アイドルが主人公となると、実写で作ればすごく安っぽい仕上がりになってしまいそうな気がします。「着信アリ」とか「オトシモノ」とか、その手のジャンルがありますね。だから、むしろアニメで良かったのかも知れません。今敏監督の作風なのか、やけに落ち着いたムードがあって、アキバ系のテイストをうまく抑えています。そうそう、未麻がパソコンを始めるってんで買ってきた初期のmacがやけに懐かしかった。そして、この手の作品はイヤっていう程観ているのに、ラストはコロッと騙されました。それはつまり、サスペンスとしては十分面白かったということです。

ギフト

2008-03-27 | 外国映画(か行)
★★★★ 2000年/アメリカ 監督/サム・ライミ
「ケイトのすってんころりん」


超能力と殺人事件の組み合わせ。いわゆるサイキック・ミステリーかと思いきや、人にはない才能(=ギフト)を持ったことで悩むひとりの女の物語にフォーカスしている。そこが、本作がその他大勢のサイコ物語とひと味違った味わいを見せている一番大きな点ですね。そして、ヒラリー・スワンクにキアヌ・リーブスなど役者陣が何気に豪華なことも、功を奏している。だって、そのせいで、もしかしてコイツが裏で糸を引いているのでは!などあれこれ妄想してしまったもの。

こんなに小さな田舎町で霊感を利用して小遣い稼ぎなんて、いかにその才能が本物でも住民から疎まれるでしょう。でも、夫も死に、子供を3人抱えて生活するにはやむを得ない。その仕方なさと人の良さは、とにもかくにもケイト・ブランシェットだから納得させられちゃった感じ。彼女が主人公じゃなかったなら、果たしてこの物語は成立したのかな、と思うほど。「あるスキャンダルの覚え書き」もそうだったけど、この人はとても美人なのに、晴れやかな役以上に暗い役がうまい。悩んだり、困ったりしている様子に、観客は否応なく吸い込まれる。これだけいじめられる役って言うのは、「そういうアンタも軽率なんじゃないの?」と少なからず思ってしまうものなんだけど。

思うに、パンツ丸出しですってんころりん、なんてシーンがあります。こういう「素」の演技が効いているんですね。しかも、なぜかひらひらした生地の短いワンピースを着ていることが多い。男の子を3人も育てている母親なら、もっと無骨にパンツルックでしょう。しかし、その場合、主人公の魅力は半減したはず。とことん、アニーという女性の描写を、無防備さ、あどけなさを強調することで徹底的な善として描いているのがうまいな、と思った。

フラッシュバックの挿入の仕方や、霊感が働いてスローモーションになるシーンなど、メリハリのある映像で全体のリズムもとてもいい。ラストのどんでん返しもあっとビックリ、というよりは、驚きだけどしみじみ…、といった感じでなかなか最後までいろんな楽しみが詰まった1本だと思います。

パプリカ

2008-03-26 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2006年/日本 監督/今敏
「これでアニメ嫌い、返上かも!?」


すごく、面白かった!筒井康隆の原作も大好きで、当時めったに買わない分厚いハードカバーを購入。手当たり次第、友人に「面白いから読んで~」と渡しているうちに、どっかへ行ったっきりなの。しゃーない、もう一回買うか。

私はアニメが好きではなく、いや、もう堂々と言うか。私はアニメが嫌いなんだけども、「アニメでないと表現できない世界があるでしょ?」と言われることにひどく嫌悪感を覚える。そうかあ~?と思う。だって、映像のイマジネーションというのは、実に豊かで無限のものだと思っているから。実写じゃ表現できないからアニメという手っ取り早い手法に逃げてるんじゃないの?と思ったりする。だって、アニメなら何でもできるもん。他にも嫌いな理由はある。その一つは「時をかける少女」で書きました。

そんなアニメ嫌いの私がおそるおそる手にとってみたわけですが、ガツンとやられました。単純に面白かったです。そして、大人をターゲットとして作られているのが気持ちよかった。まあ、そもそも精神世界ものが好きって言うのもあるんだけど。

狂喜乱舞のパレードが圧巻。こればかりは「アニメでないと表現できない世界」と言われても素直に納得。日本人形と西洋人形など、西洋と東洋の文化や宗教を夢の中でぐっちゃぐっちゃにして見せる。誇大妄想患者の夢=万能感ですから、世界の神様、または聖なる物のシンボルがたくさん出てきましたね。大黒様に仏陀にマリア…。これらの神的シンボルに狂って行進させるセンスと度胸が私は大好き。

そして、90分という短さなのに、非常に「間」が多い。それは、会話のシーンにほとんど限られているのだけど、例えばパプリカが粉川刑事に話しかける。そして、粉川刑事の顔が全く動かず、2秒ほどあって、話し始める。そういうシーンがあちこちで見られます。この「間」によって、作品に落ち着きが出ている。パプリカのコスプレばりの冒険の賑やかさと実にいい対比を作っています。

また、物語をかなり削ぎ落として見せている。セラピーマシーンのこととか、夢分析にまつわる専門的なことを説明するようなシーンは一切ない。いきなり本題に入っている。説明過多にせずばさっと切り捨てて、サッサと物語を進めているのがとても小気味いいです。そして、何より説教くさくないのがいい!

まさか、アニメ作品で「間」を語れるなんて思わなかったなあ。今敏監督の他の作品も観てみようと思います。アニメの扉がちょっと開いたかな?

ジャンパー

2008-03-24 | 外国映画(さ行)
★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/ダグ・リーマン
<TOHOシネマズ二条にて観賞>
「登場人物たちの立ち位置がバラバラ」




続編があるらしく、今回は紹介編だということをさっぴいても、90分使って登場人物たちの立ち位置が説明できないのでは、どうしようもありません。真っ白アタマのサミュエルのキャラに引っ張られて、何とか最後まで見られたという感じです。

デヴィッドはジャンプできる能力を自分自身どう捉えているのか、その結論が出ずじまいです。その能力に苦悩しているのか、または、陶酔しているのか、そのどっちでもない。そこんところは、物語の一番の軸でしょう。ただ、好きなところにジャンプして、挙げ句の果てには銀行からお金を盗むとは。強盗はいかんやろ、強盗は。一体どうしたいんだ、コイツは。

ジャンパーを狩る軍団の存在が、魔女狩りから綿綿と続いていると語られますが、これまたお粗末な根拠ですなあ。ジャンパーと魔女がどう繋がるんでしょうか。パラディンが一体何ものかは次回作で詳しく語られるんでしょうか。それにしても、実に説明不足です。とりあえず、ジャンプできる奴とそれを追いかける軍団の物語にしてしまえって言うだけで背景がすっからかん。物語の背景がないのを、世界遺産巡りという背景でごまかしているに過ぎません。

デヴィッドが自分の能力についてどう捉えているのかわからないと言いましたが、これは脚本もすっぽり抜け落ちている上に、ヘイデン・クリステンセンの演技力のなさが輪をかけています。また、主演女優がちっとも魅力的ではありません。少女時代のアナソフィア・ロブの方がよっぽどキュートです。

昨今のアクション大作は激しい戦闘シーンが多いですから、カメラも揺れまくります。しかしながら、アクションシーン以外でもカメラが揺れるため、気持ち悪くなりました。実は「バンテージ・ポイント」も見ましたが、こちらは揺れまくっても全然大丈夫でした。何が違うのでしょう。たぶん、揺れなくてもいい場面で揺れているのです。車がぶつかりゃ映像も揺れる。しかし、ただ話しているシーンで揺れる必要はあるのか。肝心のジャンプシーンも思ったほどの面白味がありませんでした。

初恋

2008-03-23 | 日本映画(は行)
★★★★ 2006年/日本 監督/塙幸成
「小出君の昭和顔」

1968年に起きた3億円事件。そして、舞台は新宿。となれば、私は当時の学生運動の拠点であった「新宿」をテーマにした数々のATG作品を思い浮かべずにはいられない。だから、この「初恋」という作品も、生の新宿を描いた当時の作品が放っていた息吹と同じものを持っているのか、やや色眼鏡で見始めたのです。「新宿」という匂いを借りてきただけの作品ではないのか、と。

しかし、そんなことはありませんでした。それは、昭和、そして新宿の描写に違和感がなかったことが大きかった。そして、その違和感のなさこそ、物語に観客が引き込まれてゆく最も大切な要素でした。「ALWAYS 三丁目の夕日」でも書いたけど、昭和を描くと言うのは難しい。セットがいかにもセット然としてしまうし、中途半端に記憶が残っているため、些細な違和感が起きる。しかし、この作品は、ワルどもがたむろするジャズ喫茶もらしい雰囲気だったし、屋外の撮影も「今ある建物」をなるべく活かして撮っていると言う。つまり、これみよがしな小道具を多用せず、VFXなどの技術にも頼らず、できる範囲で昭和を再現している。そこがとても良かった。

そして、妙にハマったのが、小出恵介。七三分けがとてもよく似合う。で、気づいた。彼、結構「昭和顔」じゃないですか?昔のグループサウンズにこんなルックスの人いましたよ。このままEPレコード盤のジャケット撮影してもバッチリいけそう。確かに当時の若者の鬱屈感を体感したリアル世代の方がご覧になったら、今時の若者として映るかも知れません。しかし、売れドキの俳優で昭和然としたムードを醸し出せる人って、なかなかいないでしょう?そう言えば、パッチギでブレイクしたんだもんね。

女子高生が犯人だった。その事実の意外性だけでも物語としての吸引力は強く、よって下手な人間ドラマでストーリーをアップダウンさせることなく作っているのもいい。主人公の兄妹の母親を始め、主要メンバー以外の人物は後ろ姿でしか見えない、という画面の切り取り方も、余計な物を詰め込まないという演出でしょう。人気俳優出演作品ということで期待して見た若い人は、色恋ムードが薄くてちょっとがっかりしたのかな。でも、人気俳優をキレイに見せようと言う意図はあまりなく、とても実直な作りに徹していて、その地味さが私は大いに気に入りました。

ディパーテッド

2008-03-22 | 外国映画(た行)
★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ
「愛だろっ、愛」


オリジナルが好きな人間としての感想なのですが。

いわゆる普通の「警察VSマフィア」ものという仕上がり。それ以上でもなく、それ以下でもない、という感じ。リメイクと比べて、という話題で終始しても、この「ディパーテッド」という作品単体に関するレビューとはならないことはわかっています。しかしながら、それ以外に語ることがないのです。残念ながら。

作り手の「物語への愛」と言ったら何だか大げさだが、私にはそれが感じられなかった。いくらリメイクと言えども本作の見どころは、男の哀愁だったはず。己の素性を隠して、自分を、そして愛する人を偽ってでも生きねばならない二人の男の孤独。それは、マフィアから警察へ、警察からマフィアへというまさしく対称的な二人の生き方によってあぶり出されてくるものだった。

しかし、「ディパーテッド」では、ビリーとコリンの孤独や焦燥を伝えたい、という意思が見受けられない。つまり、ふたりの境遇の切なさに身を切られるような痛みを感じなければ、いずれ正体がバレるのではないかというハラハラ感も感じない。それが、作り手の「物語への愛」を感じないと思う理由。

もちろん、元の物語を知っているからでは?と考えられるが、これだけリメイクブームで種々の作品を見ていると、一概に知っているから楽しめない、ということでもないのだとわかってきた。孤独な男の焦燥感は、唯一ディカプリオの演技によってのみ伝わってくる。彼の演技を見ていると、もしかして監督よりもこの作品のコンセプトをきちんと理解していたのではないか、という気すらする。つまり、それほど演出及び脚本面で男の哀愁を描こうという意図はほとんど感じられなかったということ。

オリジナルをご覧になっていない方は、ジャック・ニコルソンの演技に目を奪われたことでしょう。さすがに貫禄の演技。が、しかし。二人の孤独を浮き彫りにする、という第一目標があるのなら、彼の存在感は邪魔者でしかない。あんまり彼が目立つもんだから、違った意味でだんだん腹が立ってきました(笑)。

「おのれを殺す」というテーマに惹かれるのは、やはりアジア人らしい感性なのかも知れない。そして、シリーズを貫く「無間道」というテーマ。これは、仏教観に基づいているでしょ。それを舞台をアメリカに変えて描こうというのだから、ハナから無理があったのかも。警察とマフィアの話だろ?と、ほいほいリメイクしてしまった、そんなお気軽感が感じられて、これまた物語への愛が感じられないのだ。

アンテナ

2008-03-21 | 日本映画(あ行)
★★★★ 2003年/日本 監督/熊切和嘉
「コンセントと見比べると面白い」


原作「コンセント」と「アンテナ」、設定は違いますがテーマは似ています。家族を失った喪失感を埋めるプロセスを描くということ。そして、そのプロセスには性的な解放が欠かせないということ。作品を貫く陰鬱なムードもほぼ変わりません。なのに、映画として「コンセント」と「アンテナ」を見比べてみると、その違いはどうでしょう。監督によってこうも変わるものかと言うほど。なので、私は「原作の映画化」ということを考える上で、この2作品を見比べるというのは、なかなか面白い作業ではないかと思います。

で。熊切監督はネクラな原作をさらにずんどこまで暗くしました。いやあ、頭を抱えたくなるほど暗いです。しかし、その暗さを超えて、見ている側に訴えかけてくる力を持っている。ストーリーは知っているのに、祐一郎が抱えるやりきれなさにどんどん同化していく自分がいました。誰の視点で捉えているのかわからない階段からリビングを見下ろすショット、鏡に映る妹の姿、廊下にぽつんと置かれた扇風機など、特に自宅内の描写は不安定なムードを助長します。

この暗さの増幅と言うのは、主人公が女性から男性に変わったことも大きいかも知れません。祐一郎を演じる加瀬亮。渾身の演技。役者魂を感じます。ある意味、加瀬亮と言う役者にとことんフォーカスするなら、これぐらいの暗いムードで迫らなければならなかったと言えるのかも知れない。もちろん、どちらが良いと言うわけではなく、双方の監督は「原作の映画化」という命題に対して決してそのままなぞらえるのではなく、共にとことん「らしさ」を発揮したのです。一つ難を言うと、女王様を演じる女優の存在感。そして、映画としてどっちが好みかと聞かれると、私は「コンセント」です。

コンセント

2008-03-20 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2001年/日本 監督/中原俊
「暗い原作を中原流に仕上げた逸品」


中原監督お見事、の1本。原作の雰囲気は残しつつ、原作ファン以外の人が見ても十分に楽しめる作品。オカルトとか心理学、というキーワードで引っかかる人には広くオススメできます。だってね、原作はすごくすごく暗いんですよ。ものすごく「内に向かう」物語だし、死臭とか幻覚とかシャーマンとか、かなりアチラの世界に足を突っ込んでいて、ダメな人はダメという拒否反応を引き起こしますもん。私は、好きなんですけどね(笑)。本は誰にでもオススメできないけど、映画はそれなりにオススメできる。これは、原作の映画化という観点で見れば、実にステキな展開ではないかしら。原作は原作としてあるんだけども、これはしっかり中原作品。

「心理学」ー「精神病」ー「超能力」というカテゴリーを行ったり来たりして、かなりうさんくさい展開だけど、映像やセリフ回しは全体的にあっけらかんとしたイメージにしている。そこが、いいんでしょう。この原作は、しようと思えばいくらでもマニアックなテイストにできますからね。また主演、市川美和子の魅力によるところも大きい。兄の死をきっかけに不思議な能力を身に付けていく役ですが、元々彼女自身が「フシギちゃん」みたいなムードを持っているので、非常にしっくり来ます。それに、かなり裸になるシーンが多い役どころなんですが、とても堂々としていて、いいの。すっぽんぽんで冷蔵庫を開けたり、SMまがいのアブナイお遊びに興じたり。この作品を見てわたしゃ断然美日子より美和子派になりましたよ。

でまた、脇を固める役者陣が面白いんだ。ユキの大学時代の教授であり愛人を演じる芥正彦。これが目玉ひん剥いた芝居がかった演技で突っ込みどころ満載。兄は木下ほうか。腐ったお兄ちゃんの死体って聞いて、その役は木下ほうかしかないだろ!?って思ってたら、いきなり遺影の映像がホントにそうだったのでひっくり返りそうになった(笑)。セックスフレンドのカメラマンが村上淳で、大学時代の友人がつみきみほ。また、これがとんがりおすまし娘でぴったり。そして、関西弁の精神科医、山岸を演じる小市慢太郎がむちゃくちゃいいのよぉー。光石研がメジャーになってしまったので、これからは小市慢太郎の隠れファンで行くぞ。

とまあ、若干脱線しましたが、本作、原作のラストをバッサリ切り捨ててます。その潔さがまたいい。ユキは、原作のラストでは、とある職業に就きます。活字で追うとまだすんなり落ちるかも知れませんけど、これがかなり飛躍的な展開。中原監督は、それを止めて生まれ変わったユキの未来を示唆するような清々しいエンディングに変更。引きこもり、家族崩壊、精神分裂、幽霊、セックスと飛び道具がてんこもりの物語を実に軽やかにしめくくった。これは、英断でした。

松ヶ根乱射事件

2008-03-19 | 日本映画(ま行)
★★★★★ 2006年/日本 監督/山下敦弘
「これが現代日本人の乱射だ。むなしければ笑い飛ばすがいい」


「ゆれる」以来の衝撃。ずいぶん前に見たのになかなか思いを文章化できず、本日に至る。それでも、まとまりそうにないので、やむなく見切り発車します。

「現代人の閉塞感」というのは、文学や美術を含め近代における全ての表現活動で題材にされてきたテーマだ。今や中学生の10%が「鬱状態」と発表されるような日本社会においては、表現者たるもの閉塞感を描くしかないだろう、というところまで追い込まれて来ているように思う。事実、最近のぴあフィルムフェスティバルで入賞したラインナップの紹介文を読んでいると、何だか暗いテーマの作品が多く気が滅入る。しかし山下監督は、この手垢が付きまくった題材に、独自の切り込み方と表現スタイルで挑んだ。鑑賞後、私はショックで放心してしまいました。

冒頭、ランドセル坊やが女の体をまさぐる場面から乱射は始まっている。今にも、暴発してしまいそうな鬱屈感を全ての登場人物が抱えていて、声には出さずとも、銃は持っていなくとも、互いが互いを撃ちまくっている音が私には聞こえる。時折挿入されるブラックな笑いとストレートな性表現、そしてどうしようもないダメ人間の描写。確かにオフ・ビートという言葉が似合うかも知れない。だが、私が思い描いたのはアナーキー。

みんな、みんな、ぶっ壊れちまえばいい。そう思わずにはいられない、どうしようもなくダサい田舎町のディテールが秀逸。ガムテープが風になびく物干し竿、国道沿いのぼろ喫茶で流れる虎舞竜、ワケのわからん飾り人形が先っぽにぶら下がる蛍光灯の紐…。サラリーマンにはサラリーマンの、女子高生には女子高生の閉塞感があると思うが、このようなどうしようもなくダサいものに囲まれ、大した娯楽もなく、男はみな兄弟(女を共有しているということ)みたいな閉じた場所で暮らす地方の人々の閉塞感と言うのは、はけ口がどこにもない、という意味で実に切実。風俗に行けなければ、ドラッグもできず、自殺すら許されない。それが、田舎だもの。しょせんミニシアターなんて都会のど真ん中にしかないでしょ。もし、この作品を田舎の寂れた公民館で上映したら、スクリーンの絶望感を共有してたまらず逃げ出す人がいるかも知れない、とすら思う。

しかし、ラストで山下監督はその絶望を何とスカしてしまう。このスカし方が本当にカッコ良くて、空に放たれた銃弾は私の胸に命中。嘆くのでもなく、いたぶるのでもなく、スカすっていうのが…。ああ、言葉にならない。実は、所々のシーンで古い日本映画を見ているような「懐かしさ」を感じていた。主にそれは性表現においてなんだけど、そのあまりにモロな感じがね、無骨さというか、チャレンジャーだな、と感心したりして。だけども、このラストのオチとも呼べる展開は、“今”しか描けない。もちろん、そのセンスにも恐れ入りました。

役者陣について言うと、普通怪演って言うと誰かひとりなんだけど、本作は全員怪演というとんでもなさ。誰1人としてお友だちになりたくないやね。キレているわけでもなく、投げやりになっているでもなく、みんな飄々とした演技だけれども、作品を突き抜ける痛さはハンパじゃない。

「どういうジャンルの映画が好き?」と聞かれると、私は「邦画」と答える。ますますその思いが強くなる1本だった。怪作にて傑作。

グレースと公爵

2008-03-18 | 外国映画(か行)
★★★★☆ 2001年/フランス 監督/エリック・ロメール
「これは映画なの?まるで油絵の世界」


御歳81歳の巨匠、エリック・ロメールが描くフランス革命、となれば、ベルばらファンとしては見ないわけにはいかないでしょう。んでもって、とってもとってもステキな作品でした。かなり感激。

まずですね、さすが本家本元のフランス人が描くパリは、リアル&ビューティー。衣装や小物、セットが実に「らしい」感じ。いえ、何も豪勢な感じではないんですよ。「SAYURI」における、真っ赤な長襦袢や桜吹雪で、そうじゃないんだよって日本人が感じる違和感あるでしょ?あれと同じで、フランス人の手によって作られたこれぞ正真正銘の「パッリー」って雰囲気。

しかも、本作、街並みは油絵!で人物をCG合成している。実は、最初CGがらみってことを聞いて見るのをやめようかと思ったんですけど、これがめちゃくちゃしっくりきてるんですねえ。感激したのは、その油絵独特の濃淡が屋内撮影でも存分に導入されていること。ベッドに横たわる貴婦人、紅茶を飲むオルレアン公、針仕事をするメイド…何もかもが本物の油絵みたいなの。これには驚きました。とにかく、明度の低い映像なのに濃淡の出方がスゴイ。

さて、舞台は、革命まっただ中のパリ。主人公は、英国人で王党派のグレース・エリオット。彼女は、イギリスからルイ16世の元にやってきて、その美貌と知性から国王のいとこであるオルレアン公の愛人になった人物。愛人関係を解消した後も、二人は恋愛を超えた信頼関係で結びついている。彼女の視点から当時のパリを描くわけだけど、フランス革命はバッチリ!と思っていた私も彼女のこと、知りませんでした。まだまだ勉強不足だなあ。

グレースはイギリスから来た外国人でありながらもフランス王室を愛している。そんな彼女が誇りを持って立ち居振る舞い、革命の嵐に翻弄される男たちに毅然と自分の意見を述べる。フランス革命って、これまでアントワネットの立場でしか見てないもんだから(笑)、周辺人物の口から語られることが何もかも新鮮でした。結局オルレアン公は、革命を指示する側に周り、グレースとは思想的には対立するわけです。しかし、二人の愛情は変わることがない。これが、いかにもフランス的大人の関係だと思いませんか。実にエリック・ロメールらしい。愛情を超えた信頼関係ってどうなの、なんて凡人は思ってしまいますが、知性と教養にあふれた男と女ならば可能なのですね。

まあ、とにかく絵の美しさと時代を映し出す再現力、そして恋愛を超えた大人の男と女の物語を存分に堪能いたしました。ただ、ひと言。フランス革命に詳しくないと、時代背景さっぱりついていけないと思います。なーんも説明ありませんから(笑)。詳しくない人は事前のお勉強が必要かもね。

おかえり

2008-03-17 | 日本映画(あ行)
★★★★ 1995年/日本 監督/篠崎誠
「役者の存在感が際だつ即興演出」


だんだん精神に異常をきたす妻とそれを見守る夫の物語。北野組ではヤクザ役の多い寺島進が本作では一転して物静かな夫役を好演している。

一緒に住んでいるパートナーが精神的に病んでいく、それを目の当たりにした時、人はどのような行動を取るだろうか。なぜ彼女はおかしくなったのか。作品中では語られることはない。普通なら夫はその原因を突き止めようとするだろう。ましてや夫婦ふたりきりの暮らしなら、原因は自分にあるのではないか、とパニックになるかも知れない。しかし、この作品の夫が最後に選んだ行動。それは、ただ黙って彼女に寄り添うこと。

本作は妻がおかしくなる様子を含め、実に淡々と物語が進む。場面も薄暗いマンションの一室がほとんどなので、つい寝てしまいそうになる、と言ってもおかしくない程。でもその静けさは全て、ラストシーンのためにあると言ってもいいのかも知れない。ふたりでキッチンの壁にもたれて座り込み、ただ黙って肩を寄り添いあうラストシーン。とてもとても長いワンカット。それは、いつも君のそばにいる、と言う夫の決意の現れであるのだが、その何と静かで穏やかなこと。ゆるやかに顔を照らし始める窓からの日差しがあたたかく二人を包み込むよう。

カメラは、実に長い時間夫婦ふたりの顔をとらえて離さない。その間、監督はどう演技指導したのだろう。目の前にいる二人の演技は、リアルというよりも、「素」のまんまという感じ。おそらく即興的な演出ではないだろうか。本作は、物語そのものに起伏はないけれど、全編に渡って見受けられる即興性がこの先どうなるのか見えない、という不安感を誘う。その綱渡り的な雰囲気が妻が精神的に不安定になっていく、というストーリーとうまくリンクしている。ものすごく地味な映画であるが、やってることは結構挑戦的な一本ではないかと思う。

善き人のためのソナタ

2008-03-16 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★★ 2006年/ドイツ 監督/フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
「奪われた人生は取り戻せるのか」


旧東ドイツで実際に行われていた、国民が国民を監視する組織「シュタージ」の実体を暴きつつ、人間の尊厳とは何かを訴えかける傑作。

こういう社会的な問題を扱う作品を見てきて痛切に思うのは、いかに「個の物語」として落ちているかが重要だと言うこと。「グアンタナモ」しかり、「ブラッド・ダイヤモンド」しかり、「ゾフィー・ショル」しかり…。ひとりの人間の苦悩、生き様を通じて訴えるからこそ、扱うテーマは大きくても、我が事のように共有できる。「善き人のためのソナタ」も、ヴィースラーという男の孤独と苦悩を通じて「シュタージ」という非人道的なシステムが人間の尊厳を、人間の人生そのものを奪ってしまう様子を克明に感じ取ることができた。

一番上まで律儀にジッパーを閉める。交代時間ぴったりに監視部屋に到着する。家と監視部屋を往復するだけで趣味ひとつない。「監視」というまがまがしい行為の向こうに見えるのは、ひとりの男のあまりも味気ない日常と孤独。そんなヴィースラーの人物描写が実に巧みである。ヴィースラーは、ドライマンより立場は上かも知れないが、その人生の彩りのなさは比べものにならない。だからこそ、ヘッドフォンの向こうから聞こえてくる豊穣な世界に引き込まれるのを抑えられないのだ、と見る者を納得させる。

物語の中盤は、ドライマンの執筆がシュタージに見つかるのかどうかという、サスペンス的展開になり、重いテーマながら物語をぐんぐん引っ張る力を見せる。そして、感動のエンディングへ。

ベルリンの壁崩壊後、シュタージに監視されていたものは本人に限り閲覧が許されるようになった。その事実に私は大変驚いた。恥ずべき過去に蓋をするのではなく、逆にオープンにするという選択肢。しかも、この情報公開がきっかけとなり、ドライマンはヴィースラーの存在を知る。つまり、ヴィースラーが再び己の人生を取り戻したのは、この情報公開という選択肢を国が選んだからでもある。この展開は、過ちを犯した国でも、正しい一歩を踏み出せば、また国民に希望を与えることができるという、もう一つのメッセージとは受け取れないだろうか。つまり、過ちを犯したことのある、全ての国に希望とは何かを示唆するエンディングだったのだと。

最初に「個の物語」としてすばらしいと書いたけれども、こういう大きな目線に立っても語ることのできる懐の深さを持つ作品。映画大学の卒業制作、かつまだ30代前半の若手監督とは到底思えぬ完成度の高さだ。アカデミー受賞は実に納得。本当に昨今のドイツ映画のレベルの高さをまざまざと見せつけられた1本だった。