Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

赤目四十八瀧心中未遂

2008-12-28 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 2003年/日本 監督/荒戸源次郎

「何も変えれぬ男に用などないわ!」


と過激な啖呵を切ってしまいましたが、生きる意味を失った男・生島のいじけぶりに後半イライラしてしまいました。私この作品ずっと、芥川賞受賞作だと思っていたのですよ。直木賞なんですね。なんでこんなに暗い話が直木賞なんだろう。

さて、のっけから文句を言いましたが、物語の前半はなかなか惹きつけられるものがありました。「ぼくには甲斐性がありません」と黙々と臓物を串に刺す毎日。来る日も来る日も臓物にまみれるという極めて劣悪な仕事にこそ、自分の居場所を見いだす生島自身にダメ男ならではの魅力がうかがえます。また「臓物」をビジュアルでとらえると、その生々しさにドキリとさせられる。毎日「臓物」を届けに来る男、新井浩文の存在も光ってます。

しかし、最終的には生島自身は生きる意味を見つけることも、自分に自信を取り戻すこともできなかった。ふたりの愛の証である新聞紙にくるまれたパンティーも消えてしまった。何とかわいそうな男よ、生島。おまえは「尼(あま)」という異空間に自ら飛び込み臓物と共に自らを埋没させるつもりであったのに、「アンタはここにいる人やない」と自分の意思とは関係なく引っ張り上げられてしまった。それでもなお、自分を変えることはできなかった。そういうひとりの男の絶望のお話。生島のナルシスト的な自虐愛に終盤かなり疲れを感じました。

全く異なるスタイルの映画ですが、昨日「さよならみどりちゃん」のいじけぶりに共感すると書きました。しかし、ゆうこはラストにほんの少しの背伸びをするのに、本作の生島はダメ男のままです。これは、いかにも小説世界の展開で、「おお、なんと哀れな男の一生よ」と言う読後感なんでしょうが、映画になると、綾と言う生身の女を目の前にして、天から降ってきたチャンスをむざむざと逃してしまったダメ男ではなくバカ男に見えてしまいました。

むしろ、本作の見どころは「尼」という異空間そのもの。異空間というよりも、もはや異次元。ぼろアパートを中心に猥雑な商店街を徘徊する奇々怪々な尼の人々がいる風景は、ワンダーランドです。私は関西人ですが、関西を描けばどれも一緒なそんじょそこらの作品とはまるで異質。中でも、彫物師を演じる内田裕也の収まり具合は恐ろしいほどで、この人がいないと「尼」は「尼」でなくなる。それくらいの存在感を放ってました。映画俳優、内田裕也がこんなに光って見えたのは「十階のモスキート」以来で、実に感慨深い。

赤目四十八滝の美しい滝のシーンと対比すれば、醜悪な「尼」の街ではあるけれど、私には夢の世界に見えました。蝶を追いかける少年が見た白昼夢。夢の世界であるならば、生島という男の一生にも哀れを感じます。


幻影師アイゼンハイム

2008-12-26 | 外国映画(か行)
★★★★ 2006年/アメリカ・チェコ 監督/ニール・バーガー
「私には完璧ラブストーリー」


ミステリーとして見るか、ラブストーリーとして見るか、という感想が出ること自体、この作品の懐の深さなんでしょうね。見る人によっていろんな楽しみ方ができるということ。で、私にとっては完璧にラブストーリーでした。悲しいかなオチは読めてしまいました。故にラストのどんでん返しにおいては、「プレステージ」の方がびっくりだったかな。

でも、19世紀ウィーンを舞台にしたラブロマンスとしてとらえれば、アイゼンハイムの見せるイリュージョンもふたりの愛を彩る小道具のひとつ。こんなにロマンチックでミステリアスな小道具はありません。摩訶不思議なマジックで民衆の心を操るアイゼンハイム。皇帝の自己顕示欲も見抜いて、手玉に取るアイゼンハイム。そんな彼が一体どんな方法で愛しき人を手に入れるのか、最後までハラハラドキドキ。

身分違いの恋の上、恋のライバルが出現という極めてラブストーリー的な展開に深みを加えているのは、ポール・ジアマッティ演ずるウール警部の存在。アイゼンハイムに感じる親近感と傲慢な皇帝への嫌悪、そして警察人としての正義感。彼の中でうごめく様々な感情もまた、物語をミスリードする役割を担っているんですね。大変よくできたお話しです。そして、陽炎にゆらめくような映像がとても幻惑的。

愛する男と共に消えてしまう。非常に刹那的ではありますが、これもまた恋に溺れる女の究極の願望ではないでしょうか。全てを断ち切り、ふたりだけの世界へ。「私たちを消して」。ただひたすらに幼き頃のソフィーの願いを叶えるためにアイゼンハイムは幻影師として生き、その願いが叶うと同時に幻影師を捨てた。いやはや、胸がきゅぅんとなるエンディングでした。

つぐない

2008-12-21 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2007年/イギリス 監督/ジョー・ライト
「品格漂う演出にしびれました」


年を経てクリアになる。あの時私が見た男は決してロビーではなかった。でも、困惑していた、姉を守りたかった。いや、本当は嫉妬だったのだろうか。それとも、ロビーへの嫌悪か。嘘の証言と罪。巻き込まれる人々。裏切られたと思いこんだ弟があれは兄だったと証言する西川監督の「ゆれる」を思い出しました。あの作品も兄弟ゆえの感情のすれ違いが描かれ、人々の心情をセリフではなく巧みな演出で見せています。そして、本作品もしかり。

ひとつの事象を時間軸をずらして見せたり、タイプライターの音で緊張感を生んだり。何より作品から漂う気品に圧倒されました。まるで芳醇なワインのごとき品格。これは演出だけではなく、キーラ・ナイトレイの功績が大きいと感じました。体に張り付くようなシルクグリーンのドレスを着こなしたキーラが本当に美しい。豊満な肉体は時に「媚び」を連想させます。しかし、そのぺしゃんこな胸を張り出し、ツンとした顎を突き出したキーラは、男たちに容易に触れさせぬオーラを身にまとっている。ところが、そんな彼女が振り返る背中でロビーを導き、いともたやすく受け入れてしまう。そのギャップがあの図書室のシーンを何倍も官能的に見せているのです。ピンヒールがするりと脱げ落ちる。大変エロティックですばらしい。

また年老いたブライオニーを演じるバネッサ・レッドグローブもいいですね。15分程度の出演シーンだと思いますが、ブライオニーが生涯背負ってきた苦悩の深さをひしひしと感じさせます。あの小説の結末は、ただの自己満足でしょうか。私にはそうは思えませんでした。思春期の少女特有の好奇心とそれに相反する性への嫌悪。女性ならあのむずがゆい感情を持てあましたことは誰でもあるはず。だから私はブライオニーが背負った罪を完璧に共有してしまいました。ふたりをハッピーエンドに仕立て上げた、その作業もまた新たな罪悪感を招き寄せたはずです。つぐなえばつぐなうほどに、罪深さは募る。その苦しみがあのラストの15分に凝縮されていました。

戦争の場面も手を抜いてませんね。そこがさらに作品の風格をもたらしています。「プライドと偏見」は未見なのでぜひとも見ようと思います。

犬猫

2008-12-12 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 2004年/日本 監督/井口奈巳
「時を駆け抜けるシークエンス」



ドキッとするシークエンスがあれば、それまでの不満が帳消しになっちゃうってこと、ありませんか。そのシークエンスに映像作家としての才能が感じられたら、それでもうオッケイだわ、なんて。ただ、キレイなだけではなく、「シーンが語る」って言うのかなあ。人物の思いだとか、状況だとか、今後の予感だとか、文字にすると何百ワードにもなるような事象が、一瞬のシーンで語れる。。すぐに思い浮かぶのは「ソナチネ」の海辺で相撲と「キッズ・リターン」の自転車反対漕ぎなんですけども。あっ、両方とも北野武だった。

始まってしばらくは、人間関係がイマイチわからない。このまったりした雰囲気にしびれを切らしてしまう人は多いんじゃないだろうか。ところが、自転車2人乗りしてる三鷹とスズを見たヨーコがコンビニから慌てて出てくる。このシーンで、全てがわかってしまうのね。スズは、そうやっていっつも自然体でオトコをかっさらっていちゃうオンナなんだって。ヨーコはそんなスズに置いてけぼりくらって、悔しくて、でも、悪気のないスズになんも言えなくて…。ふたりの今の関係だけじゃなく、昔あったこと、これから何かが起きる予感。「過去」「現在」「未来」をたったひとつのシークエンスがぱあっと駆け抜けていく。これこそ、まさに「やられた」な瞬間ですよ。伏線が結びついてそうだったか!な瞬間よりも、こっちの方が私は快感。

そういうシークエンス、構図をどう作りだしていくのかってことでは「作り手」の側として、語るものを私は持っていない。でも、極めて「受け手」の立場で書かせていただくと、何気ないカットが雄弁に物語る、そのいくつもの語りに耳を傾けられることこそ、極めて映画的な面白さだなあと嬉しくなる。

さて、階段の手すりをするするとすべる西島クン、濡れたワンピースを取り込むスズなど、大変印象的なシーンが続きます。中でもお気に入りは、置いてけぼりな西島クンが鍋ごとカレーをおたまで食べるシーン。「さよならみどりちゃん」もそうだったんだけど、この人の力の抜け具合ってのは、見事すぎて絶句しちゃう。存在のリアル感ってことで言えば、主演のふたりもいいけど、西島クンが抜きんでてると私は思った。

特典の中に「ぴあフィルムフェスティバル」に出した時のオリジナルの予告編が入っていて、それはさっきのコンビニシーンが入った結構短い予告なんだけど、実はこっちの方が面白そうかもって感じちゃったんです。主演のふたりがメガネをかけた無名の女の子でね、知っている俳優じゃないからか、さらにそこに存在してそうなリアル感がぷんぷん漂ってました。こっちも機会があれば見てみたい。


この季節は焼き芋

2008-12-11 | 木の家の暮らし
仕事が忙しすぎて、ブログどころではありません。

とはいえ、薪ストーブが始まったら、やっぱりこれでしょう。



火加減の具合があるのですけど
細めのお芋だったので20分くらい、ストーブに投入。

中がトロトロです。


メチャ熱いので、新聞紙でくるんでスプーンですくって食べます。
もちろん、焦げてなければ皮も食べちゃう。

運命じゃない人

2008-12-04 | 日本映画(あ行)
★★★★ 2004年/日本 監督/内田けんじ
「種明かし」ではなく「余韻」を選択したのがイイ

「アフタースクール」を映画館で鑑賞し、その後DVDで本作を見ました。もっともっと時間軸が錯綜して、鑑賞者に挑戦的な作品かと思っていたのですが、意外とこじんまりとした作品。でも、このこじんまり感がいいのです。板谷由夏は別にして、比較的無名の俳優陣ですので、見る方は脚本に集中できます。

なるほど、そうか!と膝をならすような展開ではなく、一つ一つの出来事の裏と表を見せることで、くすくすと笑ってしまうポイントがちりばめられている。私のツボは、人気のない夜道で電話番号を聞いてガッツポーズをする宮田くんのそばをすり抜けていた白い車があゆみちゃんを乗せたヤクザの車だったこと。

人を笑わせるって、難しいと思うのです。俳優のキャラとか、セリフとか、直接的な方法もありますし、山下敦弘監督のようにオフビートなぬるい雰囲気が妙におかしいというのもあります。でも、本作の場合はそのどれにも当てはまらない。表のストーリーに必ず裏ストーリーがくっついていて、しかもそれが予想外の展開を与えていく。それがくすっとした笑いにつながる。とても高度なテクニックじゃないでしょうか。脚本を練る作業は大変だったろうと思います。「バンテージ・ポイント」みたいにいちいち巻き戻るとうっとおしいですけども、少しずつ重なり合う様が見ていてとてもスムーズです。この「見ていてスムーズ」ってのこそ、作り手の力量。

そして、エンディングがいいですね。見知らぬ人間たちの一夜の出会い。そこに、ひしめく人々のちょっとした思惑は、どう結末を迎えるのだろうか。時間軸にこだわり、見せ方に凝る。しかし、エンディングは「種明かしに納得して終わり」ではなく、「真紀ちゃんの出した結論は何だろう」と言う余韻の方を選択した。監督のこのチョイスは大正解だと思いました。



戦場のメリークリスマス

2008-12-03 | 日本映画(さ行)
★★★★☆ 1983年/イギリス・日本 監督/大島渚
「映画を包み込む音楽のすばらしさ」


何度も観ていますが久しぶりに再観賞。公開当時は、坂本龍一が好きというただそれだけの理由で映画館に行きました。何だかとっても感動して、2回映画館に足を運びましたが、当時16歳だった私がこの作品の何に感動したのか、あまりの月日の経過に思い出せません。よくよく考えれば、大島渚を好きになったきっかけも、この作品。改めて見て、作品と音楽の一体感のすばらしさに感動してしまいました。

本作で、映画音楽家としての礎を築いた坂本龍一。物語が始まってすぐに映し出される「Merry Christmas Mr.Lawrence」のタイトルにかぶさる、タララララン♪というあのあまりにも有名なテーマ曲。このたったワンフレーズ、たった数秒のメロディが、作品を一気に大島ワールドへと誘う。すばらしい「ツカミ」。全くこのメロディが放つ力が圧倒的です。坂本ファンの私は一時期このサントラを聴き過ぎて、ちょっと飽きたなんて思ってたんですが、改めて映画と共に聴くと違います。いい音楽は、サントラだけ聴いていても楽しいのですが、やはり映画音楽は映像ありきなんだ、ということをしみじみ痛感します。俳優としての出演を打診された坂本龍一は「音楽を担当させてくれるなら出演する」と大島監督に交渉したと言われており、その自信と覚悟が見事に結実したと言えるでしょう。

さて、映画について。ローレンスとハラ軍曹、セリアズとヨノイ大尉。主にこの二組の間で交わされる、東洋と西洋の価値観の違いから生ずる感情のすれ違い。それが、支配する者と支配される者という関係性の中でぶつかったり、同情したり、突き放したり、揺れに揺れる様が描かれていきます。しかし、最も漂うのは、極限状態における男たちの愛憎劇と言った趣。男だけで形成する特殊な閉じたコミュニティでは、支配することで得られる高揚感がやがてサディズム的なねじれた愛を生み出す。そんな、男社会に通底する秘密を暴露されたような気にさせられます。この辺の興味が次作の「御法度」つながっていたりするのかも知れません。

また原作者はイギリス人ということなんですが、日本軍兵士の目線で描くことで、いわゆる外国人に対する日本人のひけめ、劣等感のようなものがさらけ出されているのです。それもまた、ねじれた愛を生み出すスパイスなんですけれども。

大島監督と言うのは、エネルギッシュな生々しさが魅力の作品も多いのですが、こと「戦メリ」に関しては、とても情緒的で、かつスケール感を感じさせます。きっと、それは坂本龍一の音楽によるところが大きいんでしょう。

しゃべれども、しゃべれども

2008-12-02 | 日本映画(さ行)
★★★★☆ 2007年/日本 監督/平山秀幸
「静けさの一体感」


やっぱり映画って、自分で見てみないとわからない。平山作品は好きなので、公開時に見ようかと思ったのですが、あまりいい話を聞かなくて辞めてしまいました。ところが、蓋を開けてみると、俄然私好みの作品でした。

とても静かな映画です。カメラもゆっくり動きます。そして、「間」がいいです。音楽も少ないです。無音で下町の景色をするする~っとカメラが動いていくシーンが大変心地いいのです。主人公の男女は、典型的なテレビ俳優ですが、平山監督は見事に変身させています。国分太一演じる三つ葉のぶっきらぼうな東京弁と、香里奈演じる五月の仏頂面。この実に味気ない、素っ気ないムードが最初から最後まで徹底されていて、ある意味平山監督、己を貫いたな、と感心しました。

描かれている世界も大変小さい。教室を開いたとはいえ、生徒はたった3人。後は祖母役の八千草薫と師匠の伊東四朗くらい。余計な人物設定はありません。小さく始まって、大して膨らみもせず、小さいまま終わっていく。三つ葉が「火焔太鼓」をやり遂げても、五月が三つ葉の胸に飛び込んでも、すべてがゆるゆると一定のスピードで流れていく。それに、身を任せてただぼうっと眺めている、そんな映画でした。また、八千草薫が庭先でほうきを片手に三つ葉の落語を真似してみせる。ほんの少し挿入されるこれらの何気ないシーンにしても、どうでもいいわけではなく、むしろ絶対に必要なシーンだろうと思わされます。しかし、それぞれが突出することは決してなく、見事な一体感を保っています。

敢えて、心理描写には迫っていないですね。先日、「エリザベス」の感想で「もっと心の揺れをクローズアップさせて欲しい」と書きましたけど、それが欲しくなる作品と、そうでない作品があるのだな、と思います。本作の場合、一番心情がわからないのは、五月でしょう。いくら男と別れたとは言え、あの性格ブスの根源は何だろうと思うし、そんなに三つ葉に惹かれてたか?とも思いますし。でも、敢えてそこを突っ込んでくれなくとも、私には十分満足できる映画でした。このゆるやかなの流れの中で展開される小さな、小さな人情劇、その佇まいに魅了されました。

玄関に入れました

2008-12-01 | 子育て&自然の生き物
だいぶ寒くなってきたので、今年も老犬を玄関に入れてあげることに。

ここで寝ていると、夜中や朝方に吠えることが全くない。
外に繋いでいると、夜はいろんな動物に反応して吠えるし、
朝は「メシ!メシ!」って吠えるのに。
もう、超ぐっすり、スヤスヤ君ですよ。


ソファの上で、でろ~んとなって寝ています。


別角度。近すぎてピンがあわん。
何度ぱしゃぱしゃシャッター音がしても起きない。
幸せなヤツだ。