Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ぼくの大切なともだち

2009-06-29 | 外国映画(は行)
★★★★ 2006年/フランス 監督/パトリス・ルコント

「人間、年を取ると頑なだからね」

<story>美術商のフランソワは、自分の誕生パーティで、君には親友がいないと告げられる。反発するフランソワは仕事仲間のカトリーヌに挑発されて、10日以内に親友を連れてくるという賭けをしてしまう。もし出来なければ、20万ユーロで落札したばかりの大切な古代ギリシャの壷を手放す事態に。さっそく自分が親友だと思っていた人たちを訪ねて回るフランソワだったが…。



お金も地位もあるフランソワがひょんなことから、「賭けに勝つために」親友探しを始める。大体、親友を探すとか見つけるとか、そういう発想自体が間違っている。この時点でこのフランソワって男がいかに嫌な奴かってのはよくわかるんだけども、ちょっとやそっとじゃ彼のねじ曲がった性格は改善されないのね。あんなに尽くしてくれたブリュノをみんなの前で笑い物にしてしまうのよ。

このシーンを見て思い出したのが、大好きなフレンチコメディ「奇人たちの晩餐会」。これはセレブリティが「自分がバカだと思う」人間を招待してはみんなで笑い物にして晩餐会を楽しむっていうとんでもない設定。映画としては大変な秀作なので、ぜひともみなさんに見ていただきたいと思うのだけど、こいつはバカだってのを確認しつつ、嘲笑してはメシを食うって言う、そのメンタリティには驚いた。私がそこにいたら、こんなにまずいディナーはないと思うもの。本作でもフランソワが選んだ相手がタクシー運転手だってのは大きなポイントだと思う。彼を通じて、セレブリティたちが持つ特権意識や傲慢さも皮肉ってるんじゃないだろうか。

さて、そんな嫌味男フランソワをルコント監督は適度に皮肉りながら、時に滑稽に、時に哀しげにうまく転がしていくのね。ちょっとユーモラスなダニエル・オートゥイユの演技はさすがと言う感じ。一方、すぐに誰とでも仲良くなれるブリュノだって、親友と呼べるような相手は実はいない。よく考えて見れば中年にもなって、自分の全てをさらけ出すなんてことそうはできない。女ならまだしも、男は特にね。妻が近所の男とできてしまったなんて、そりゃ誰にも言いたくないよね。でも、それを抱えていることでブリュノは殻に閉じこもっている。でも、そんなの他人に言うくらいなら、俺は友人なんかいらん!ひとりで酒を飲んでいる方がましだ!なんて男性も実は多いんじゃなかと思ったりして。やっぱ、男ってプライドの生き物だからさ。

私はね、最終的に感じたのは、親友がいるのがいいとか悪いとかそういうことじゃなくて、中年を過ぎて新しい価値観を得ることは難しいし、すばらしいってこと。フランソワはいい骨董品を見つけて売りさばいていれば人生万々歳だと思っていたろうし、ブリュノは両親に心配をかけず、波風立たせず生きていくことが第一だった。ふたりの交流は、そこに風穴を開けた。フランソワが本当に感謝しなければいけないのは、「おまえの葬式には誰も来ない」って言った男だったりしてね。




レスラー

2009-06-25 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2008年/アメリカ 監督/ダーレン・アロノフスキー
<京都シネマにて鑑賞>

「無様でもいい。けなげに一生懸命に生きてゆく」



俺の輝ける場所はここしかない、とリングに戻ってゆく男。浪花節っぽい話に見えそうですけど、全くそんなことはありません。悲しくて悲しくて。でも、やっぱり私は輝ける場所を持っていることって、すばらしいことなんじゃないかって気がして。きっとラムは自分の人生に悔いなしだろうと、拍手で送り出したい気分になりました。ラストリングの彼の姿に涙が止まりません。

本作は「試合のシーン」と「プライベートシーン」の2つに大別することができますが、この両者の描き方が秀逸。どちらもリアルさを追求していますが、試合のリアルさは体の痛みを、プライベートのリアルさは心の痛みを表現していて、合わせ鏡のようです。

一介の俳優があれだけのファイトシーンを演じることができるんだろうかってくらいの大熱演ですね。まず、あの体の作り込みが凄いですけど、彼はステロイド飲んであの体を作ったんでしょうか。まさに命懸けの撮影。そして、試合前の打ち合わせの様子をあっけらかんと映し出すのですが、このやりとりを見てレスラーたちのプロ根性に恐れ入りました。

一方、プライベートシーンは、まるでドキュメンタリー映画を見ているようです。大いびきを掻いて寝る様子、むだ毛の処理をしたり、日焼けサロンに行ったり。疲れた中年レスラーを淡々とカメラはとらえ続ける。私はこのOFFを捉えるシーンがすごく気に入りました。確かに寂しくて孤独で情けないのですが、ラムという男が愛おしくてたまりません。

ラムはいつも「けなげ」です。自分の将来や娘のためにけなげに生きようと努力します。そこにとても心を打たれました。特にスーパーの総菜売り場で黙々と仕事をこなすシーンは、あきらめ、やるせなさにまみれたラムがひたすらに生きるためにかろうじて己を立たせているのがわかります。しかも、これらのシーンをユーモアを交えて描いているので、さらに切なさが増すのです。

このラムという人物像を作り上げたのは、紛れもなくミッキー・ロークの演技。寂れた会場で昔の栄光のビデオを売りながらサインをするラムの表情。あれは、挫折を味わった人間にしか出せないものだと確信します。最優秀主演男優賞は彼の方がふさわしい。

私もかつて「ナイン・ハーフ」ですっかりミッキーの虜になった1人です。本作は彼の挫折をそのままに映し出しているようで話題にもなりましたが、それを宣伝文句として捉えることは、ミッキーを始め製作者全員にも失礼なことのような気がします。それほど、熱のこもった作品であり、その痛みを自分の目で見て感動できる作品。少々事前情報が入っていても間違いなく堪能できる。多くの人に見てもらいたいと思います。




ヤングハート

2009-06-23 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2007年/イギリス 監督/スティーブン・ウォーカー

「ジャンルを超えて音楽ファンに訴えかける」


<story>コールドプレイ、ソニック・ユース、ボブ・ディラン、ジェームズ・ブラウンといったロックを歌う平均年齢80歳のコーラス隊“ヤングハート”。そんな彼らが6週間後に迫った年1回のコンサートに向けて練習を重ねる日々に密着、老いや死の問題に直面しながらも歌うことに情熱を注ぎ、若い心とロックな気概を持ち続けて元気に生きる姿を映し出していく。


この作品は、老人たちからパワーをもらえるし、残り少ない人生をどう生きるかってことも考えさせられるし、その点については、他の方の感想を大いに参考にしてもらえればと思うのです。で、私が深く考えさせられたのは、音楽の可能性について。

実は当初これらの選曲についてちょっとあざといんじゃないかって感じてました。老人たちがパンクを歌う。その落差の妙を狙ってるんじゃないかって。ところが、蓋を開けてみると、メンバーたちは楽曲に対する思い入れとかなーんもないのね。最初のインタビューで日頃どんな音楽を聞きますかと質問するくだりがあって、「クラシック」とか言ってんの。合唱隊に入ったことでロックやソウルが好きになりました、なんて老人はひとりもいないわけ。そこが、凄く面白い。

彼らは、「歌うことのみ」に徹しているのね。歌詞の意味を理解しようとか、自分の感情をそこに乗せようとか、そういう情緒的なものはあんまりないのよ。ソウルは黒人がバリバリにダンスしながら歌うし、パンクなら革ジャン野郎がギターぶっつぶして歌う。そのスタイルに乗っかるからこそ、よりその楽曲らしさを楽しめるんだよね、普通は。でも彼らは、ただひたすらに歌う。与えられた歌詞を間違わないように。音程を外さないように。そこから見えてくるのは、音楽と正面から向き合おうとするピュアな姿勢だけ。

これはね、彼らが例えば老人らしく「千の風になって」みたいな曲を歌って受ける感動とは異質だと思う。人間の体をバイブレーションして、声帯から出てくる「歌声」そのもののチカラというのを私は感じました。そして、彼らはみな白いシャツをユニフォーム代わりにしているのだけど、それも彼らの音楽に対する「無」の境地をイメージしているみたいなのね。もちろん、そういう「無」の境地って、長い人生を生きてきた老人だからこそできることなんでしょう。

だからね、本作はあらゆるジャンルの音楽好きに見て欲しいと思う。人間はなぜ歌うことを始めたのか、音楽を生み出したのか。そのヒントが隠されているような気がするのです。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

2009-06-18 | 日本映画(さ行)
★★★★★ 2007年/日本 監督/若松孝二

「思想と暴力~私の中の区切り」

映画監督の強い意志と熱意をまともに喰らうことができるのは、映画ファンとして至高の体験ではないでしょうか。その作品の背景についてどれほど知っているかとか、監督の意図をどれほど理解できたかなんて、究極のところ関係ないと思う。それは、ゴヤがどんな時代を生きて抜いてきたなど知らなくとも、見た者が「我が子を喰らうサトゥルヌス」に圧倒的な力を感じるのと同じでね。勇気を振り絞って言わせてもらうならば、連合赤軍って何?という人にもぜひ見て欲しい。私だって、彼らのことを詳しく語る知識も力量もない。でも、このスクリーンにみなぎる若松監督の凄まじいパッションを1人でも多くの人に受け止めて欲しいと感じるのです。

加えて言うならば、連合赤軍の歴史を語りつつも、思想、信念、暴力、組織というテーマが渾然一体となって見る者を強くとらえます。例えば、ひとつの思想を貫徹するために作り上げた組織が分裂し、崩壊していく様。信念に縛られて、人が人の命をもたやすく奪ってしまう様。閉鎖した空間がやがて人を狂人たらしめてしまう様。これらは、例えば「ヒトラー最期の12日間」や「マグダレンの祈り」や「es」と言った作品にも通じるでしょう。ましてや、ここで描かれているのは、紛れもないこの日本で、たかだか40年ほど前の出来事なのです。

と、言いつつも「かろうじて世代」の私は、やはり自分自身の歴史に重ね合わせてしまいまいます。そして、本作をもって、私は一つの大きなけじめがつけられた、という感慨で一杯なのです。もちろん、これで全てがわかったと言うつもりは毛頭ありません。けじめというより区切りかも知れない。

リーダーと同じ大学だったからでしょうか、私が通う大学の正門にはヘルメットをかぶった学生が毎日立っていました。開始ベルが鳴ると教壇で演説を始め、先生と押し問答になり授業がなくなることもしょっちゅう。「今日もヘルメット君が来て授業がつぶれればいいのに」なんて、呑気なことを言っていたものです。一度学内に機動隊がやってきたこともあったかな。時は、すでに1985年。バブル経済の真っ只中。コンパだ、高額バイトだと浮かれポンチな時代の中で、自分の通う大学は何てダサイんだろうと思ってた。でも、あの狂騒の時代だからこそ、彼らが放った思想の残滓は、私の心にへばりついた。喉に刺さった魚の骨のように引っかかり続けた。

あれから、20年以上経ち、様々な書籍や映画で彼らとかろうじて接触してきたけれども、これほどインパクトの大きいものには出会えませんでした。3時間という長い尺の中で語るべき部分は山のようにあるのだけど、やはり最も印象深いのは、リンチ事件の元となる「自己批判」と「総括」。現代日本人が犯した過ちをきちんと振り返り、考察する手段を忘れてしまったのは、この経験がトラウマになっているのか。とにかく「総括」を通じて行われる無惨なリンチを若松監督は執拗に描き続ける。なぜその思想はこれほどの暴力を必要としたのか、そして、なぜあのヒステリックな状況から彼らは脱却することができなかったのか。あの死に一体何の意味があったのだろうと、今なお様々な思いにとらわれつづけています。そして、リアル世代ではなく、「かろうじて」の世代の私は、ここで感じたことを今後どう残していけばいいのかと自問自答するのです。

坂井真紀の女優魂に感服しました。壮絶な演技に心からの拍手を贈ります。そして、私財を投げ打って本作を完成させた若松孝二の監督魂。天晴れです。





オーディション

2009-06-17 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 1999年/日本 監督/三池崇史
「三池流アレンジが圧巻」


<story>42歳の青山は、再婚相手を探すため「オーディション」を行う。4000人の応募者の中で青山の目をひいたのは、24歳の山崎麻美だった。不思議な魅力に惹かれる青山と、素直に心を開く麻美。青山は麻美にのめりこんでゆくが、彼女が求めたのは完璧な愛だった…


原作の意図をしっかり残した上で、監督の個性でアレンジして一級品のホラーに仕上げている。これは、龍作品の映画化ではNo.1ではないかな。(ちなみに今まで一番楽しめたのは庵野秀明監督「ラブ&ポップ」)

この小説を読んで思ったことはいろいろあるんです。まず、スペックで女を選んでると痛い目に合うよってこと。この痛い目ってのが文字通り、とてつもなく痛い目なの。そもそも妻をオーディションで選ぼうなんて魂胆がふざけてるでしょう?でも、履歴書と顔と作文で女を選んでしまう。これは○、これは×。モノじゃないんだから。肝心なのは、この青山って男には何の悪意もないってこと。「悪意がないからって許されるもんじゃないよ」。すべての龍作品の根底にはこうした痛烈な皮肉が込められている。それは政治経済物でもそう。自分の身は自分で守る。そのために、五感を鍛えておきなさいよってメッセージ。そして、都市に潜む孤独とその孤独が生み出す狂気ね。一見してしとやかで清楚な麻美。その裏の顔を一体誰が想像できるというのか。

龍作品は不穏な空気が流れている。そして、常に身構えていないとだめな緊張感。こういう空気感が映画でも見事に再現されています。麻美がうなだれて畳の上で座ってるカットとか、レストランで食事している引きのカットなど、黒沢清を思い出しました。ホラーあまり見られてないからかも知れないけど。

前半部、オーディションをするまでの男たちの会話のシーン。このあたりも無責任な感じがよく出てる。ちょっと女を小馬鹿にしたような男たちの生態ぶりね。これに対してアメリカのメディアがあそこで語られている女性像はいかがなものかってクレームを入れたらしいけど、まさにそれが狙いなんだもんね。

麻美には幼少期にひどい過去があって、青山に出会う前にも恐ろしい殺人を重ねていた。この真実が明らかになっていく様を三池監督は青山が見る悪夢によって表現しています。この料理法が実に巧いなあと感心しました。事実として示すよりも、青山が見た悪夢として見せた方がよりおどろおどろしい感じが出るの。それに観客もこれが夢か現実なのか、心が揺れて不安になるのね。

麻美を演じているのは椎名英姫。モデルとして知っていたのだけど、「東京残酷警察」にも出ているのね。この人はホラー女優としてブレイクしちゃったんだろうか?石橋凌のラスト30分、拷問に合うシーンの演技も圧巻。痛そうで痛そうで、指の間からしか見ることができませんでした。

この作品「タイム誌」が選ぶホラーベスト25に選ばれている。脚本に天願大介も参加。脇役の國村隼や石橋蓮司もいい感じ、となかなかスタッフも充実した作品です。で、エンドロールを見ていて、大杉漣の名前を発見。ええ~どこに出てたの?と思って巻き戻し。そしたら、ズタ袋の中から出てくるゾンビみたいなのがそうでした。あんなの大杉漣でなくてもいいじゃん!びっくりしましたよ。

さて、龍さんは同じ時期に猟奇殺人を扱った「イン・ザ・ミソスープ」というこれまたエグい小説を書いているんですけど、なんとヴェンダースが映画化することが決まっているらしい。犯人役はウィリアム・デフォーだって。風俗斡旋業の若い日本人が主人公だけど、この役を誰がやるのか。これは興味津々です。





鮎解禁

2009-06-15 | 子育て&自然の生き物
6月14日は、友釣りの解禁日。

いそいそと夫は夜中から出かけていきました。
初日の釣果は20匹程度だったようですが、
夜中から出かけて、午後3時に帰ってくる工程で
果たしてそれが多いのか、少ないのか、
やってない人間にはさっぱりわかりません(笑)。

川は気持ちいいんでしょうね。
でも、もはや私は紫外線が気になりますので、めったに川には行きません。
昔は犬を連れて泳ぎにいったものですが、
私も犬も年を取ってしまいました。トホホ。


僕は妹に恋をする

2009-06-14 | 日本映画(は行)
★★☆  2006年/日本 監督/安藤尋
「めったに「退屈」とは言わないのですが」


久しぶりに堂々と「退屈」と言える映画を見てしまった。安藤監督の前作「blue」は良作と聞き及んでいたので、見たい見たいと言いつつ未見。いい機会なので見比べてみようと思いますが、あちらはなんつったって、原作が魚喃キリコ。対してこちらの原作、書店でチラリと立ち読みしましたが、私には話題作りを狙っただけの作品にしか思えなかった。というわけで、そもそも素材がダメなのかと思ってしまう(原作ファンの方、すいません)。

年下の妹が成長するに連れて、兄が愛を抱くというんじゃないんですからね、この物語は。なんたって、双子ですからね。近親相姦は近親相姦でも、父と娘や、母と息子、兄と妹、などに見られる微妙な距離感は微塵も存在しないのです。一心同体。自分自身と寝ているようなもんでしょう。これほど特殊なシチュエーションでありながら、まるで普通の高校生の恋愛話のように話が進んでいくのは解せません。

そして、ただひたすらに静かなシークエンスの連続。そこに、双子の恋愛のやるせなさや行き場のない閉塞感があるのかという全くなし。日差しの差し込む校舎を延々と見せられても困る。どうせなら、松本潤をとことん美しく撮ることに徹しても良かったんじゃないだろうか。さすれば、ふたりの関係性がもっと淫靡に見えただろうと思う。フィルターかけて、真綿でくるむように見せようとしたって、テーマがテーマだけに、本質とはずんずんかけ離れていくとしか思えませんでした。

ハゲタカ

2009-06-13 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2008年/日本 監督/大友啓史
<TOHOシネマズ梅田にて鑑賞>

「両雄対決にひたすら見惚れる」


これから映画を見る方には、ドラマを先にご覧になることを強くお勧めします。予備知識としてということもありますが、ドラマの完成度がすばらしく高く、それぞれの人物たちへの思い入れを持って映画を鑑賞した方がひときわ楽しめるからです。通常のドラマよりも短い全6話ですから、時間的な苦はそうないでしょう。そして、たった6話に詰め込まれた密度の濃い人間ドラマに誰しも虜となるに違いありません。

お堅い金融ドラマでありながら、なぜか私は大森南朋演じる鷲津政彦に心底惚れてしまいました。完全にミーハー目線です。ドラマにも色恋沙汰は全くないのですが、嬉しいことに私のように「鷲津さん、ステキ」という女子は確実に増殖していたようです。暗い過去を持ちながらも、弱さを見せぬ芯の強さ。表面的には冷たく見えるのに、その内面に溢れる優しさ。そして、ビジネスマンとしての手腕。何もかもがパーフェクトなのです。女になびくような場面が一切ありませんので、果たして彼が恋愛モードになったらどうなるんのだろうか、と脳内補完することもしばしば。

そして、これまで地味な役が多かった大森クンがこの役では凄くクールなファンドマネージャー。 つまり、大森南朋という俳優そのものと この役のギャップ感がとてもセクシーに感じる。ラブシーンもなく、常にかっちりスーツを身にまとい続ける男がこれほどセクシーに見えるなんて。「大森南朋が創り上げた鷲津政彦」。この主役の魅力が「ハゲタカ」シリーズに嵌った最大の理由。そして、映画ではそんな鷲津ファンの要望を見透かしてか、金縁メガネをかけるシーンの多いこと。これ、鷲津ファンにとっては溜まらない仕草なんですよね。スタルク・アイズのこの眼鏡、ドラマの影響で人気商品になっているようです。

今回、敵役として出てくるのは、中国人ファンド・マネージャーの劉一華。演じるのは、玉山鉄二。鷲津に対抗するもうひとりの主役として、彼の演技にもしびれました。鷲津を食ってしまうような存在感を見せています。しかも、イケメンの面目躍如と言いますか、なんと美しく撮られていることか。鷲津にしろ、劉にしろ、大変アップのシーンが多く、本来ならば映画のスクリーンにおいて、アップの多用は御法度だと思うのですが、これだけいい男っぷりを見せつけられると、降参です。もう好きなだけ見せておくれ、という心境。



リーマン・ショックのおかげでずいぶん脚本を変更したということ。その弊害は少なからず出ていますね。ドラマではしっかり描かれていた経営者の苦悩が弱いんです。また、主人公が自身のトラウマを乗り越えていくというドラマチックな部分が泣かせるわけですけど、映画はそれが乏しい。 おそらく、その役割は劉一華に持たせるはずだったのでしょう。玉山鉄二が実に良かったので、そこんところは本当に惜しいんですね。鷲津を目指してのしあがった男が、結局は中国政府の駒でしかなく、失意のうちに消えていく。派遣工守山に「何者かになれ」と言った劉一華自身が、実は何者でもなかったという悲哀。このキャラクターは実にうまい設定だった。映画でもその哀しさは十分に感じ取れましたけど、もっと深めることができたと思います。あのドラマのクオリティなら。

マネーゲームの部分は正直、強引な展開だなと思います。変更前の脚本がどんなものだったのか、それがとても気になりますね。とはいえ、ドラマファンにとっては、満足できた作品。ぜひとも、続編を希望します。ただし、その場合は映画でなく、ドラマの方が良いのかも。
鷲津さん、Come back again!


<ドラマの感想>
ハゲタカ「第1回」
ハゲタカ「第2回」
ハゲタカ「第3回」
ハゲタカ「第4回」
ハゲタカ「第5回」
ハゲタカ「第6回」


ニゲラ

2009-06-11 | 四季の草花と樹木
たくさんのニゲラがさわさわと風にそよいでいます。


玄関の脇はただいまこんな感じ。


ニゲラは本当に便利な花ですね。
去年のこぼれ種でどんどん増える。
大体、よく繁殖するな~という類の植物は
矮性で根から増えていくことがほとんど。
ラナンキュラスとか。


私も種から花を育てようと思うことはあるけど、
意外と発芽しないものなんですよね。
その点、このニゲラは発芽率100%!?ってくらい芽が出る。
しかも、パラパラと蒔いておくだけでOK。


白、青、赤の三色。
白だけ、一重と八重が咲いている。

このまま、放っておくと袋ができて、勝手に種ができ、
ぽちっとちぎってばらまいておく。

来年はどれくらい増えるかなあ。
手軽に花畑をしたい人にはうってつけだと思います。

屋根裏の散歩者

2009-06-10 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 1992年/日本 監督/実相寺昭雄
「覗き男はいつまでも覗き男」

本作は映画館で見ましたが、田中版が傑作なので、今一度見比べ鑑賞。これはこれで、面白いです。実相寺監督お得意の斜め構図炸裂ですけど、違和感なく座りがいいですし、旅館の住人たちが大変個性的な魅力を放っています。最後の寺山俳優、三上博史が覗き野郎という皮肉なキャスティングも面白い。

階下の部屋から籠もれ入る光が交差する屋根裏が大変幻想的。迷宮の入口のようです。光に導かれて、今日はどの穴を覗こうかと毎夜徘徊する。そりゃこれだけ淫靡な世界が展開しているんだったら、毎日覗きたくもなります。ちょっと残念なのはエロが強すぎて、殺人事件が薄れてしまっていることでしょうか。どんなセックスを覗き見ようとも、自分の手で人を殺すことを決断したら、それは強いリビドーを引き起こすものだと思います。しかし、住人たちの倒錯ぶりにやや押され気味なんですよね。

殺人を犯した郷田はこちらの世界に降りてきて、淫乱作家とセックスもどきの遊びをするけど、やっぱり面白くも何ともない。人を殺しても何も変わらない。郷田の抱える虚無がラストにもっと際立ってもいいのになあと思います。が、何ともゆるく終わってしまう感じこそ、この作品の持ち味なのかも知れません。



江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者

2009-06-09 | 日本映画(あ行)
ちょっとマニアックな邦画をご紹介。日活ロマンポルノなんですけれども、これは傑作。

★★★★★ 1976年/日本 監督/田中登
「宮下順子、ファム・ファタル」


乱歩の原作「屋根裏の散歩者」と「人間椅子」をミックスさせたオリジナル脚本が二重三重の深いテーマを放つすばらしい作品。人生に冷めた郷田(石橋連司)という男が、己のエロスを持てあます女、美那子(宮下順子)の招きによって、「あちらの世界」から「こちらの世界」に引きずりこまれる、つまり境界線を越えるというお話であり、殺人をもって男が女に愛を証明するというSM的愛の物語であり、運命の女に出会う純然たるラブストーリーでもあります。

しかも、件の毒薬殺人のあと、屋根裏を介して見つめ合った視線が、最後には生け贄を介してこちらの世界で絡み合い、エロスからタナトスへと昇華する。いやはや、76分でこの密度は凄いのひと言です。

とにもかくにも、ピエロの愛撫を受けながら屋根裏に視線を投げつける宮下順子が圧巻。「そんなところで何やってるの」「早く出てきなさいよ」と挑む目が強烈。見事なファム・ファタルぶりです。洋装の貴婦人という設定で、登場の度にちょこんと斜めにかぶる洋帽子が違うのですが、そのどれもこれもが美しくて、ファッションも堪能できます。

やっぱり日活ロマンポルノという土俵でこれだけ観念的な世界を築き上げているところが、私はすごく好きですね。お高く止まっていないというか。エロもちゃんとあるし、乱歩らしい毒気や耽美もある。何ともサービス満点な傑作。



ワイルドベリー

2009-06-08 | 四季の草花と樹木
庭中にひしめくように、
ワイルドベリーが広がり、実を付けています。

この赤い実、酸っぱいのが多いですが、
時々よく熟していて、あま~いものに遭遇します。

この時期は庭いじりをしながら、つまんでいます。
ビタミンCの補給。

白い花もかわいいし、いちごのようにランナーを出して
どんどん増えるので、グラウンドカバーにぴったりです。


十九歳の地図

2009-06-05 | 日本映画(さ行)
★★★★★ 1979年/日本 監督/柳町光男
「邦画好きの原点」

<story>地方から上京してきて、新聞配達をしながら予備校に通う19歳の吉岡まさる。毎日300軒以上もある配達先を回る単調な労働。集金に行けば、どこの家からも胡散臭がられ、無視される。まさるは、地図上で、配達先である各家々に×印を付けランク分けしていく。


本作は確か夜中のテレビの再放送で見たのが初見。おそらく10代だったと思います。そして、すっかり魅了されてしまったのです。この手の邦画の佇まいに。主演の本間優二がまるで自分を見るようでした。私も大学に入り立ての頃、大学に向かってずらずらと駅のホームを歩く学生たちをひとり残らずホームに突き落としたい。そんな衝動を覚えることがありました。何が原因というわけでもない、内からふつふつと沸き立つ破壊衝動。青いも青い。こっぱずかしいほどの青さです。

久しぶりに見直して、やっぱりすばらしくて感激してしまいました。この作品が突き付けてくるものが、今見ても全く色褪せていないのです。新聞配達先のムカつく住人たちに公衆電話から嫌がらせの電話をかける。そして、ノートに家族の名前を書き出し、×印を付けていく。まさるはチンケでヘタレなアホ野郎なんだけど、ノートに書かれたムカつく住人のプロフィールが詳細になればなるほど、彼が抱えるひん曲がった疎外感がどうしようもなく迫ってくるんです。「ひとりは怖いよ」ってまさるの声が聞こえる。×印のついた地図の下にはいろんな人間の喜びと憎しみと哀しみが渦巻いているというのに、そんな世界から隔絶されたちっぽけな自分。そんなまさるを本間優二は淡々と投げやりに演じている。デビュー作でつたない演技だからそう見えるんだろうけど、変に達観したり、すれたりしてなくてね。抱きしめてやりたくなる。そして、誰も真似できない存在感の沖山秀子も強烈な印象を残す。

どん底に暗い物語にフリージャズのBGMが妙に合う。そして、額に汗をして新聞配達を続けるまさおをとらえるラストシークエンスもいい。「ネット匿名嫌がらせ」、「デスノート」、「ワーキングプア」と現代社会を表すキーワードもオーバーラップしました。今、みんなに見て欲しい作品。中上健次の原作も読んでみたい。


お誕生日

2009-06-04 | 子育て&自然の生き物
6月2日で14歳になりました。
ラブで14歳って、結構長生きな方だと思うんですよね。

ただ、今年に入ってから、後ろ足が弱っているせいで
立てない、歩けない、なんてことがちょっと頻繁に起こっています。
まあ、年も年だしな~って思ってます。

なので、今はずっと家の中です。
こうして外をじーっと眺めています。何をみとんねん?


時々、同じ年頃のラブを飼っている人のブログを拝見したりするのですが、
比べてみると彼は白髪が少ないんですよね。
顎のところは白くなってますけど、見た目は若々しい感じでしょ?



奥のソファがお気に入りでいつもここで寝そべっていますが、
立てなくなった時はこのソファにも登れない状態に…。
そこで具合が悪くなってから、
息子が赤ちゃんの時に使っていたお布団をリビングの隅に置いています。
まさか、こんなところで活用できるとは!

ネットで犬の年齢を調べると14歳は、人間の年齢で言うと72歳とありますね。
ただ、大型犬は少しそれよりも増やして考えるべきのようです。
大型犬で調べると、103歳!

<最初の1年で12歳、2年目からは7歳ずつ年をとると言われています。>
http://www.k3.dion.ne.jp/~k-chuoah/qa14.html

103歳って、アンタ、いくらなんでもそれはないやろ…?
え?マジで、そんくらいなん?

毎年検診に行きますが、10歳くらいのころからお医者さんに
「もう何があってもおかしくないですよ」と言われ愕然としました。
「ラブは若い時にあまりに元気が良すぎて、
飼い主さんはいつまでもその元気な姿が頭にあるので、
そのギャップについていけないんだ」とも。

確かにその通りなんです。
田舎暮らしを初めてすぐに飼い始めたので、
彼は私たちの歴史そのものなんですよね。
1日でも長生きして欲しいです。

サイボーグでも大丈夫

2009-06-02 | 外国映画(さ行)
★★★☆ 2007年/韓国 監督/パク・チャヌク
「えらく甘く仕上げたもんだ」

復讐三部作はとても好きですが、これはちょっと風合いが違いそうで、見るのを延ばし延ばしにしていました。

パク監督らしいシュールな美世界は健在。歯車の回る導入部といい、真っ赤な服で勢ぞろいしてラジオを作る工場の様子といい、「チャーリーとチョコレート工場」を思い出させます。カウンセリングを行う庭の奇妙な造形物や赤に黄色に塗られた地下のダクトなど、彼らしい感性が随所に光ります。目に楽しい。

ちょっと風変わりな症状を持つ患者が集う精神病院。その症状が青年イルスンによって「盗まれる」となくなるという発想はとても面白い。これは、暗示による治療のようなものですね。どうせなら最後までこのアイデアで突っ切れば、もっと面白くなったのに、と思います。

つまり、ラブストーリーとしての体裁を保とうという意図が全体の面白さを失速させているんですね。イルスンのヨングンへの好意がとんでもない悲劇になってしまうとか、イルスンの盗みによって患者たちの症状が悪化してしまうとか、いろいろできたはずなんですけど。

「復讐者~」だの「オールド・ボーイ」だの、あまりに救いのない結末の作品ばかり撮ってきたので、ちょっと甘い結末にトライしてみたかったのかも知れません。でも、残念ながら失敗でしたね。

カンヌで審査員賞を受賞した新作「コウモリ」はいつものパク・チャヌクっぽいダークな世界が展開していそうなので、こちらに期待します。神父役にソン・ガンホ、裏切られるはずはありません。