Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

28日後…

2011-02-07 | 外国映画(な行)
★★★★ 2003年/アメリカ 監督/ダニー・ボイル
「殺人の記憶の蓄積」

ホラーファンの方々にはイマイチ評価が低いようなのですが、私はそれなりに楽しく観ることができました。

まず、人っ子ひとりいない廃墟となったロンドンの映像が凄くいい。生命のなくなった空間ってのは、独特のムードを醸し出しますね。誰もいなくなったニューヨーク、誰もいなくなったパリ、誰もいなくなった東京を思い描いてみても、それぞれ印象は違うと思う。廃墟のロンドンを見ていると、「スイーニー・トッド」の切り裂きジャックのような、何世紀も前の取り憑かれた者どもが古びた建物で成りを潜めているような感じがします。

そして、車で逃げるシークエンス。ダニー・ボイルってのは、乗り物を撮るのが巧いなあと思う。「スラムドッグ・ミリオネア」でも貧しい兄弟がぎゅうぎゅう詰めの列車に乗ってムンバイから脱出するシーンが一番印象に残っている。本作ではロンドンタクシーみたいな黒い車に乗り込んでロンドンから脱出するんだけど、高速道路の向こう側に噴煙にまみれたマンチェスターが見えてくるシーンなんて、かっこいいなと思った。

でね、ゾンビから逃げ回る恐怖よりも、迫ってきたもの。それは自分が生き残るために「瞬時に人を殺さねばならない」ってこと。感染者かどうかを「瞬時に判断する」んだよ。んなこと、できるワケないよ。あたしゃ、無理。絶対無理。すぐ死ぬね。だんだん本能が研ぎ澄まされていくのかも知れないけどさ。

自分で判断する、という制限がつけ加えられたことによって、この作品は無我夢中に機械的にゾンビを殺していくのとはやや違う様相を帯びているように感じる。それは、「殺す」か「殺さない」かの選択で常に「殺す」を選んでいるという自意識が蓄積されていくってこと。これはとんでもないストレスじゃないかな。戦争で誰でもいいから殺してまわるのとも違うと思う。ラストは希望を見せるけど、彼らがまともな心を取り戻せるのかと思うとぞっとした。




2001年宇宙の旅

2011-01-07 | 外国映画(な行)
★★★★★ 1968年/アメリカ 監督/スタンリー・キューブリック
「映画館というあまりに魅惑的な空間」


<午前10時の映画祭:TOHOシネマズ二条にて観賞>

映画は始まれど、スクリーンは漆黒。2、3分は続いただろうか。今どきの映画なら、フィルムのトラブルだろうかと、後方の映写室を振り返る人もいるだろうが、この空間にはそんな観客はひとりもいない。そして、響き渡る不協和音と気味の悪い歌声。何かが起こるという不安と期待に思わず身をすくめてしまう。もう何度も見ている作品だというのに。いよいよ始まるんだという緊張感を全ての観客が共有していた。

原始人が空高く振り上げた骨が一瞬のうちに宇宙船に変わる。語り尽くされてきた名シーンをどれほどスクリーンで見たいと思い続けてきたことか。全ての観客が固唾を呑んでその瞬間を待ち受けていたようだった。優雅に宇宙を漂う真っ白な宇宙船。騒然と響く「ツァラツストラ」のメインテーマ。映画館で身震いすることって、あるんだね。

現在の映画を取り巻く技術を考えれば、類人猿が作り物のようで滑稽だとか、宇宙船がミニチュアのようでチープだなんてことが頭をかすめたこともある。しかし、それは我が家の小さなテレビで見ていたからだとはっきりした。スクリーンに浮かぶ宇宙船は、あまりに雄大かつ優美だ。明暗のコントラストにこだわったキューブリックは、宇宙空間は太陽の強い光が当たっているため、隅々までピントが合った映像でなければならないと、長時間露光での撮影を行う。結果、1秒の撮影に4時間をかけたのだとか。スクリーンで見るからこそのリアリティ。そして、スクリーンは、製作者の執念をも映し出すのかも知れないと思った。

そして、改めて迫りくる宇宙空間における圧倒的な孤独。宇宙服に身を包んだボーマンがACユニットを交換するため、宇宙空間にでてゆく。真っ暗な空間にポツンと白い点のように浮かぶボーマンの姿。それが恐ろしくて恐ろしくて溜まらない。彼を取り巻く底なしの宇宙。終わりのない空間に存在する、ちっぽけな人間。そして、HALの暴挙によって、その底なし沼に突き放たれる船員のプール。そのシークエンスは無音だ。無音だからこそ、凍り付くように恐ろしい。

スターゲイトに突入するシークエンスの恍惚感も例えようのないものだった。身体は椅子に縛り付けられてはいるが、私の脳は知りもしない、見たこともない宇宙の遙か彼方へと飛んでいる。それも、とてつもないスピードで。3Dメガネをかけて翼竜に乗るのも確かに快感だが、あちらが視神経の刺激による一時的なハイだとすると、こちらは脳髄をやられたかのごときディープなハイだ。思い出しては、もう一度快感に浸れる。

私はスクリーンで見る前に意を決して原作を読んだのだが(そこにはなぜHALが暴走したのか、きちんと理由が書かれている)、映画ではHALの暴走の解釈は100%観客に委ねられているのだった。つまり、多くの方がご指摘している通り、キューブリックはこの作品に彼なりの哲学的な解釈を与えようという意図などなく、ただひたすらに自分の作りたい映像をとことん追求したかっただけなのだと思う。それは間違いない。

しかし、絵にこだわっただけ、と言い切れないところがキューブリックの嫌らしいところで、彼は原作とは明らかに違う描写をところどころに施している。そして、それこそがキューブリックの仕掛けたトラップだと思う。例えば、ボーマンが自分の書いたスケッチをHALに見せるシーンやHALとチェスをして遊ぶシーン。これらは原作にはないのだが、明らかに人間とコンピュータの感情的な交流があるかのように観客は受け取ってしまう。

また、フロイド博士もボーマンも共にテレビ電話で誕生日を祝うシークエンスがあるのだがこちらも原作にはない。これらのシーンは「命の誕生」という事象を観客の頭の片隅にインプットさせ、それがボーマンのスターチャイルドとしての誕生につながる一方でHALが新たな生命体の誕生である、ということをも想起させる。もしかしたら、HALはこの旅で新たな生命として誕生するはずだったのだが、それに気づいたボーマンがHALを抹殺し、スターチャイルド、つまり新たな生命体となる資格を得ることに成功したのかも知れない、とまあ考え出したらきりがないのである。

いずれにしろ、原作を読んだら、めくるめく脳内解釈ごっこが終わってしまうかも知れない、という私の疑念は全く杞憂だった。映画館で映画を観るって、本当にすばらしい。

ナイト・ミュージアム2

2009-09-08 | 外国映画(な行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/ショーン・レヴィ
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「ドタバタにサイドストリーを加えて欲しかった」

この夏、息子が一番楽しみにしていた作品。時間が取れず、なかなか映画館に行けないまま、9月に突入。時間の都合上、やむなく吹替版。「20世紀少年」直後のハシゴ鑑賞です。

前作「1」よりも面白さは落ちたという感想が耳に入ってきていたのですけど、私は十分楽しかったです。おそらく、155分という長尺の「20世紀少年」を見てすぐだったので、このコンパクトさとシンプルさが良かったのかも知れません。

前作のキャラクターに新たにスミソニアンの人物が加わって、歴史上のキャラクターがごちゃまぜ状態になってしまうわけですが、引き続きジオラマの小人(写真上)ふたりが大活躍なのがとても面白かった。「わーっ!」と一気呵成した後、引きのショットになって「シーン」としていると言う、アレね。何度見ても笑ってしまう。

前作以上に、有名人カメオ出演的お遊びが多くて、一発ギャグの連打が作品全体を散漫な印象にしてしまっているのは、ちょっともったいない。ダースベーダーとか、いらないんじゃないの?と。

ラリーが取る最終的な選択はとても清々しくて、いかにもハリウッド的おもしろ楽しいエンディングになっています。だから、夜の騒動においても、博物館の外ではラリーの会社が一大事に巻き込まれているとか、「警備員を取るか」「会社を取るか」を盛り上げる伏線が欲しかったですね。

前作は、ダメパパが息子の期待に応えていく、という親子の絆が伏線としてあったでしょう?やっぱり、オレには警備員がイチバン合ってるぜという結論に至るカタルシスがあれば、「1」に迫る面白さが出たんじゃないでしょうか。


ナイト・ミュージアムの感想

ノーカントリー

2008-05-08 | 外国映画(な行)
★★★★ 2007年/日本 監督/ジョエル・コーエン
<TOHOシネマズ梅田にて観賞>
「ハビエルの不気味さをとことん味わうことこそ醍醐味」


「アカデミー受賞」という冠は鑑賞者に、どうしても様々な先入観を与えてしまうので、良し悪しだと思うのです。私もこれまでコーエン兄弟の作品は「ブラッドシンプル」や「ファーゴ」「バーバー」など何作も見ていますが、個人的にはウマが合わない監督です。確かに映像は非常にスタイリッシュだと思うのですが、彼が取り上げるテーマにあまり共感できた試しがありません。というわけで、この「ノーカントリー」ですが、やはり「なぜこの作品がアカデミーを獲ったのか」という目線でどうしても見てしまうんですよね。それは、避けた方がいいに違いないのですが。

さて、本作はとどのつまり、物語としてはとてもシンプルで、最近の犯罪はワシの手に負えんとサジを投げる老保安官の物語。もちろん、そこには1980年のアメリカが投影されていて、その一時代を見事に切り取った作品なんだろうと思います。現代アメリカを考察するにも、この時代がターニングポイントとして重要ということでしょう。現金を持ち逃げするのが、ベトナムからの帰還兵であるということもミソで、例えば一部をネコババしてしらを切ることもできるのに、まるで自ら地獄行きを望むかのように、または自ら挑戦するかのように、全ての現金を持ち逃げしてしまいます。

そこには、ベトナムで味わった敗北感を取り戻すためとか、いろんな理由を見つけることができるのでしょう。ルウェリンのようなベトナムを経験した人なら、ルウェリンがなぜあそこまで全額強奪&逃避行にこだわったのか、十人十色の理由がひねり出せるのかも知れません。

そして、亡き父の後ろ姿を夢に見たというラストシークエンスも、アメリカという国そのものが持っていた父性の喪失、ということでしょう。ここは、非常にわかりやすいエンディングです。殺し屋が象徴するところの理解不能なものに押しつぶされていく、アメリカ人の苦悩、嘆き、あきらめetc…。

しかしですね、アメリカの来し方行く末に興味のない私にとっては、正直勝手に嘆いてらっしゃい、という感じなの。ぶっちゃけ、アメリカ人がアメリカを憂うという構図に何の感慨も持てないし、どう転ぼうとアメリカのやることは全て自業自得。外部の圧力によってにっちもさっちも行かなくなっているアフリカ諸国などの状況と比べると、憂う前にアンタが世界にまき散らしている悪行をまずは何とかしなさいよ、とか思ったりしてしまうのです。あまのじゃくですから。

しかし、この湿っぽい自己反省のような作品を俄然エンターテイメントとして面白くさせているのは、とにもかくにも殺し屋シュガー(ハビエル・バルデム)の不気味さにあります。彼の存在感がその湿っぽさを凌駕している。そこが面白かった。そして、その不気味さをあの手この手で印象的に見せる演出に、コーエン兄弟でしかできないオリジナリティがあふれています。スイッチの入っていないテレビの暗いモニターに映るシュガーのシルエット、アスファルトでごろごろと引きずられるガスボンベ。

最も秀逸だったのは、ガソリンスタンドのおやじとの全く噛み合わない会話の後のコイントスのシーンでしょう。理解できない、意思が通じない、そんなコミュニケーション不全を見事に表現しています。ここは本当に恐ろしかった。見終わった後だからこそ、これがなぜアカデミーなの?とか考えますけど、観賞中は、とことんシュガーの不気味さに圧倒され、ラストまであっと言う間。神出鬼没の殺し屋が引き起こす脇の下に汗をかくような緊張感をとことん楽しみました。

ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記

2008-01-06 | 外国映画(な行)
★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/ジョン・タートルトーブ
「全肯定か、全否定か」



前作「ナショナル・トレジャー」で、一切のツッコミをはねのけて突っ走る映画で、それはそれでアリだ、と書いたけれども、今作も全く同様。お正月映画で、2時間を映画館で楽しく過ごすことが第一命題であるならば及第点でしょう。私自身は楽しけりゃいい、という映画の見方ではないので、もちろん突っ込もうとすればいくらでもツッコミどころはある。

一番のツッコミどころは、登場人物たちの関係性をきちんと描いていないこと。前回は反目し合っていたビルと父はすっかり仲良くなっているし、ビルと妻はいつのまにか別居状態だし。極めつけはハーヴェイ・カイテル演じるFBI捜査官のセダスキー。敵か味方かというストーリー上の立ち位置はもちろん、全体の登場人物の中でセダスキーをどう扱っているのか、製作者の意図が全く不明。ハーヴェイ・カイテルという名優を使っているだけにその宙ぶらりんさが気になって仕方がない。

前作の方が面白かった、と言う意見も多いけれど、スケール感、スピード感共に前作よりも劣っているとは思えない。むしろ、中盤のカーチェイスシーンなど迫力は増していると思う。結局、構造的なものが何も変わってないから、同じモノを見たような気になり、「前の方が良かった」という意見になってしまうのだろう。とまあ、やはりまじめに語るのがバカバカしくもなる作品ですね。暗号はいっぱい解けたし、黄金都市も見つかったし、良かったじゃんね~と言われれば何も言い返せない、そんな映画です(笑)。ただ、昨年のジェリー・ブラッカイマー絡みの作品では「パイレーツのワールド・エンド」と「デジャヴ」がアクションに加えて奥行きのあるドラマを作っていただけに、ちょっと見劣りしてしまう。パート3作るんだろうなあ…

21g

2007-10-03 | 外国映画(な行)
★★★★☆ 2003年/アメリカ 監督/アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

「ナオミ・ワッツが最高」


前作「アモーレス・ペロス」も3つの異なる物語を進行する形式だったが、その結末はいささか物足りないものだった。しかし、「21g」はお見事のひと言。3つの物語が繋がったり、離れたりしながら錯綜するアレハンドロ独特の手法は、非常にドラマチックかつ緻密。錯綜する間にもそれぞれの物語の時間軸が前後するという、驚くべきつなげ方にも関わらず、それが混乱をきたすことは全くなく、逆に物語にダイナミズムを与えている。まさに「誰にも真似できない」映画である。

ざらついた映像、手持ちカメラによる揺れ、リアルな演出。「生々しい」という言葉が一番しっくり来るだろうか。運命にあらがえず、もがき苦しむ全ての登場人物たち。その激しい呼吸音が耳元で聞こえてきそうな、圧倒的な臨場感が迫る。もともと演技派と呼ばれる俳優陣だが、今作における魂の入りようは半端ではなく、アレハンドロの演出が彼らのすさまじいまでの演技を引き出したのは言うまでもない。

ガエル・ガルシア・ベルナル、ベニチオ・デル・トロ、ショーン・ペン、ブラッド・ピット。アレハンドロと私の好みは、ドンピシャ(笑)。ここに、これまた私の好きな役所広司が入るんだから、「バベル」が楽しみでしようがない。汗臭い役所広司がどこまで汗臭くなってんのか、興味津々。

ナオミ・ワッツは「マルホランド・ドライブ」に匹敵するすばらしさで、激しい嗚咽でいくらメイクが崩れようとも演技の迫力の方が勝る希有な女優になりつつある。そして、シャルロット・ゲンズブール!あのアンニュイなフランス娘がしっかりアレハンドロの世界に溶け込んでいるではありませんか。アレハンドロは俳優の存在感を引き出すのがすごくうまいんだね。こぞっていろんな俳優が出たがるのがすごくわかる。

神は何故これほどまでに我々を過酷な運命を与えたもうたか。
皮肉な運命で結びつく3つの魂。
絶望の淵にいながらも、なおかつ「生きる」という選択肢を選ぶ3人の生き様がちんたら日々を過ごしている我々に強烈なパンチを喰らわせる。

ナイト・ミュージアム

2007-04-01 | 外国映画(な行)
★★★★ 2006年/アメリカ 監督/ショーン・レヴィ
<MOVIX京都にて鑑賞>

「やっぱり平和がいちばん!」


夜の博物館のドタバタ劇を描きながらも、最終的にはみんないがみ合うことなく、仲良くやっていこう、というところに集結させているのがとても好感が持てますね。異なる文化、異なる時代、異なる造形物(笑)のものたちが、思い通りの行動をしていたら、そりゃあ、収集もつきません。それが、自分たちに命を吹き込んでいる石版が盗まれたことで一致団結!という流れも、子供たちにも実にわかりやすくていい。お互いが手を取り合って、という展開の持って行き方が説教くさくないのがいいんです。

個人的には、その団結を促すリーダーであるラリーが、もう少し自分の力で何とかせーよ、と思ったんですけど(笑)。結局、エジプト王の力でみんなを博物館に返してるし。

さて、どの展示物にどんな性格を与えて、どう面白い演出をするか、というあたりは作り手が楽しんでやったんだろうな、と感じさせます。私のお気に入りはネアンデルタール人!そりゃライター見たら驚くだろうなあ~。テレビ画像に映っていたのにも大笑い。それから、西部の開拓者と古代ローマ人のそれぞれのリーダーが博物館に帰ってくるところね。息子は結構モアイに笑ってたし、それぞれ笑えるキャラが異なるのも楽しめる要因。

(そうそう、ローマ皇帝オクタヴィウスの俳優がどっかで見たことあるよなあーと気になって気になってしょうがなくて、後で調べたら「マリーアントワネット」のメルシー伯でした^^)

日本の博物館だったら、武蔵と小次郎を決闘させるとか、千利休が小野妹子にお茶を点ててあげるとか、いくらでも面白いネタが浮かびそう。要はそれを実現させる設備と予算があるかってことで。まさにハリウッドらしい、娯楽作品と言えるでしょう。春休み、家族揃って見に行くのには、ベストチョイスでした!
映画館を後にして「楽しかったね!」と言ったら夫が例のふたりが博物館に帰ってくるシーンで「うるっとした」と言ったのには驚きました。
私は、そのシーンで大爆笑してたのに!

ナショナル・トレジャー

2007-01-18 | 外国映画(な行)
★★★★ 2004年/アメリカ 監督/ジョン・タートルトープ

「一切のツッコミを否定する厚かましさにむしろ感服」


小学生の息子を何とか映画小僧に仕立てあげようと、日夜オカンは一緒に映画を見ようと彼に迫っている。もちろん見る映画は彼の今の興味に合わせたエンタメ映画。おかげでこれまで見なかったハリウッド作品もずいぶん見るようになった。で、手に取ったこの作品。エンターテイメントとしては◎。

本作は、「ダ・ヴィンチ・コード」で一躍有名になったテンプル騎士団が見つけた宝物探し。フリーメイソン、暗号解読など「ダ・ヴィンチ・コード」とかぶる部分も大きい。そもそもフリーメイソンが秘宝を隠しているっていうのは一定の伝説としてあるんだろう。日本で言えば徳川埋蔵金みたいなもんかな。「ダ・ヴィンチ・コード」がテンプル騎士団の歴史的な意義やカトリック教会の闇と言う小難しい部分に手を出したがために、本流の暗号を解くスリルから遠ざかってしまったのに対し、本作はあくまでも「お宝探し」の醍醐味を徹底的に追求している。私は、その潔さは「エンターテイメントだから」大いにありだと思った。

もう、なんのツッコミも入れさせない開き直りにも似た展開。テンプル騎士団もフリーメイソンも「そういうのがいたんですっ、ハイ終わり!」で、バッサリ切り捨てる。だって、主人公がいきなり氷山で何かを見つけた後、銃撃戦になる。そのツカミのド派手さがすごい。で、その後主人公が何者かという話は、全くしないまま、お宝探しがどんどん語られていく。

ここまで来たら、黙って見てるしかないでしょ。そもそも「ツッコミ」を入れられる映画っていうのは、描き方が甘いか、展開がだるいからであって、本作はその両方をしないことで一切のツッコミを拒否している(笑)。つまり、中途半端な知識は語らない、そしてとにかくどんどん謎を解いて展開をスピーディにする。ただただお宝探しについていけばいい。それでドキドキしながら2時間過ごす映画。

悪く言えば、ぼーっと見てればいい(笑)ってことですけど、そういう映画に存在意義がないかというと、そうでもないんじゃないかなと思う今日この頃。エンタメ映画には、2時間をドキドキワクワクして過ごすっていう絶対的な命題があって、それをきちんと遂行するにはそれなりのルールなり戦法が存在している。その一端が本作で少しわかったような気がする。

ノッティングヒルの恋人

2006-11-22 | 外国映画(な行)
★★★★☆ 1999年/アメリカ 監督/ロジャー・ミッシェル
「何度見ても飽きない」


ヒュー・グラントが絡んだラブ・ストーリーって、結局どれもこれも似たようなもん。この作品にしたって、別段物語の起伏がそうそうあるわけでもなし、ましてやどんでん返しがあるわけでもなし。だけども、王道のラブストーリーものの中では、私は結構この作品が好きだったりする。何度観ても飽きない。

それは、おそらくヒュー・グラントとジュリア・ロバーツという二大スターの個性が存分に発揮されているからなんだろう。ヒュー・グラントは、本屋で働く内気なイギリス人。ジュリア・ロバーツは、ちょっとドジで気さくな女優。これって、まんまふたりのイメージそのものだよね。キャラクター設定には、なんのひねりもない。でも、この安心感がいいんだな。

ヒュー・グラントを取り巻く友人たちとのコミカルなやりとりは、イギリスのコメディ映画っぽい雰囲気。特にひょうきんな同居人とヒュー・グラントの堅物さがいいコントラスト。友人がハリウッド女優と付き合ってるなんて、普通もっと驚きのリアクションのはずなんだろうけど、案外周りの反応が普通で、そのあたりもイギリスっぽいんだな。

つまり、設定が仰々しい割には、周りの人々はごく普通のカップルを見守っているような対応で、このあたりの落ち着き加減が安心して見られる由縁なんだろう。ハリウッドテイストの作品ならば、女優と一般人の恋愛って、きっとドタバタコメディにしたと思う。で、そのドタバタ具合って一回見たら飽きてしまうテイストなんだよね。

ジュリア・ロバーツもすごい普通の恋する女で、妙にはりきったり、すかしたりしてないのがすごく好感が持てる。女優としての私より、ひとりの女性として私を見て欲しいという素直な気持ちがよく出ている。何か障害があって、最終的には結ばれるってラストはやっぱウキウキしてしまう。尻込みしていた男がようやくやる気になって、という展開もイライラしそうでこれまたしない。このあたりは、ダメ男ヒュー・グラントの優しさが何だか憎めないから。

「モーリス」からこの子カッコイイ!って目をつけてたヒュー・グラントだけど、まさかこんなに安定したラブコメ俳優になるなんて、あの時は思ってもみなかったな。


2001年宇宙の旅<物語編>

2006-06-08 | 外国映画(な行)
文句なし★★★★★ 1968年/アメリカ-イギリス/148分
監督/スタンリー・キューブリック 主演/ケア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド

「モノリスが何だって、いい」


私が一番最初にこの映画を観たのは高校生の時です。その時の感想は「何が何だかさっぱりわからない」というものでした。しかし、あれから何度見たことでしょう。さっぱりわからないものを、人間何度も見ようとするものでしょうか?私にとっては、謎だからこそ何度も見たくなる、ドラッグのような映画です。

私はこの映画のストーリーについて「自分なりの」結論を持っています。でも、それが正しいかどうかはわかりません。もしかして、再び見たら違う結論が出てくるかもしれない。この映画をキューブリックと共に制作したアーサー・C・クラーク博士が書いた原作では、映画の中の謎に対してより具体的な答が提示されているようです。でも、私はなぜか原作を読む気には、なれない。そこで何かしら一つの結論に達してしまえば、もうドラッグの効果が薄れてしまいそうで嫌なんです(笑)。



とはいっても、です。
この映画の最大の議論点は「登場する3枚の謎の黒石板(=モノリス)はいったい何物か」ということでしょう。これが、「神の形」をしていたり、「美しい光」や「宇宙人」だったらば、イメージしやすいものを、ただのでかい石なもんだから、その唐突さにわけがわからなくなる。しかし、映画でモノリスの存在が明らかになっていない以上、モノリスについて観客は推測するしかありません。科学者が推測するモノリスと宗教家が推測するモノリスは違うだろうし、高校生が推測するモノリスと老人が推測するモノリスは違う。その違いを生むことこそが、この映画の一番の面白さではないでしょうか。わからないなりにも、「自分なりの結論」を出せばいいし、そこを楽しむのだ、と。まさに「ただのでかい石」であることがそれを物語っているんではないでしょうか。

映像美に優れた映画というものは、えてして「感じる」映画などと称されたりします。でも、私はこの映画は「感じる」映画ではなく「考える」映画だと捉えています。セリフも非常に少なく、説明的な描写も極力廃している。そういう極めてシンプルな構造だからこそ、「考え、推測する」ことこそが、唯一の楽しみになるのです。

宇宙の大星雲を頭に思い浮かべつつ、一体モノリスはどこからやってきて、何をしようとしているのか想像していると、脳内にドーパミンが放出されていくような感じさえします。考えることが快感になる。私の場合、そんな映画は後にも先にも、この映画しかありません。ヒトザルが放り投げた骨が宇宙船に取って代わるあのシーンは、多くの方が語っているように映画史上に輝く名シーン。ただ骨が宇宙船になった、それだけのことでここまでイマジネーションをかき立てられるんですから。次にもう一度見たら、きっとまた違うレビューが書けるでしょう。何度見ても、いろんな見方ができる、すごい映画です。


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2001年宇宙の旅<美術編>

2006-06-05 | 外国映画(な行)
文句なし★★★★★ 1968年/アメリカ-イギリス/148分
監督/スタンリー・キューブリック 主演/ケア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド

「この美しさを凌ぐ作品にはきっと出会えない」


とにかくこの作品は「美しい」のひと言につきます。あまりの美しさに劇中何度唸ったことか知れません。人類の夜明けから宇宙時代に場面が一足飛びに変わって、最初に出てくるインテリアは、真っ白な宇宙ステーションの廊下に配置された、真っ赤なソファ。ソファ以外のインテリアは何もありませんが、その存在感のすばらしいこと。本当に全てのものが究極的にシンプルで美しい。上の写真。これは宇宙船内部ですが、もうこの写真を見ただけでその完璧な美しさに私はクラクラしてしまいます。

そして宇宙船はもちろん、スチュワーデスの制服や帽子、コックピットの電子機器、果ては宇宙飛行士が背負っているリュックサックに至るまで、ありとあらゆるものの、全てのフォルムが美しい。全くと言っていいほど隙がありません。公開は1968年。あれから40年近く経とうとしていますが、およそ「デザイン」と呼ばれる全てものでこれ以上美しいものが出てきたであろうか?そんな風に思ってしまうほどです。



結局本当に美しいものは徹底的に機能的でシンプルなものなのだ、と改めて認識させられます。図らずも昨晩、NHK教育の「新日曜美術館」の丹下健三特集を見ていたのですが、彼も「機能的なものが美しいのではない。美しいものだけが機能的なのだ」と語っていたと言うエピソードが紹介されていました。

しかし、現在我々を取り巻く「デザイン」と呼ばれるものには、なんとゴテゴテとした余計なものばかりくっついていることか。私は個人的には、60年代のサイケデリック模様だとか、デコラティブなインテリアが大好きです。だけれども、この映画の美術は、そういう個人的な趣味は超越して、全ての人が美しいと唸ってしまう圧倒的な力を持っています。完璧な美へのこだわりが、映画にとてつもない緊張感をもたらし、それがHALの反乱と言う事態をより一層恐ろしく見せているようでもあります。

私は科学に関してちっとも詳しくないし、子どもが持っている星の図鑑やプラネタリウムで聞きかじった知識しかありません。それでもこの映画を観ていると、太陽系の惑星が描く軌道や土星の輪、月の満ち欠けなど、宇宙空間に存在する美しいフォルムが次々と脳裏をよぎります。映画のストーリーを追っているのだけれど、心は宇宙に飛んでいる、何だかそんな感じ。



個々の物の美しさがあまりにも徹底的であるから、全ての画面が絵画のように美しい。では、この作品は絵画的に楽しむものなのか、と言ったらそれは違います。確かに映像作家としてのキューブリックはすばらしいけれども、それ以上に映画がここまで我々に語りかけ、考えさせ、感じさせてくれるものなのだという驚きを与えられるからこそ、キューブリックは天才なのだと思います。(続く)


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