昨日(2日)は私の誕生日だった。
子供の頃は、学校がある日に誕生日の友達がちょっぴり羨ましかった。
家族もぎりぎりまでは覚えていても、たまにあわただしさに紛れて忘れてしまうこともあったし、めでたさ加減でお正月と張り合うと、なんとなく歩が悪いような気がしたものだ。
母に言わせれば、私を生んだ時が一番のんびりできた年末年始だったという。予定日は大晦日。
家庭的とはいえない姑と同居の上、自宅の一部を事務所にして事業をしていて、人の出入りも多く、普段の年末年始の母の忙しさはいかほどだったろう。
この日を選んで生まれてきた私は、まず最初から親孝行だったということにしよう。
これは私の宝もの。
年季の入った貫禄のある母子手帳には、私が母のおなかにいる時からの、私の様子、母の様子が全部記されていて、それは自分のことながら、まるで別の誰かのことのようで不思議な感覚だ。
大事に持っていたはずなのに、グリーンカード申請のための健康診断の際にこれが必要になったとき、どこを探しても見つからなかった。
こんな大事なものを私は失くしてしまったのだと落ち込んでいたのに、つい最近、ひょんな場所から出てきた。
どうやら無事に日本からアメリカに持ってくることができたことに一安心。
誕生日のプレゼントに、夫が、プルメリアの花がぎっしり並んだゴールドのブレスレットをくれた。
何年か前にハワイで年末年始を過ごした時に、やはりプルメリアのネックレスとリングをペアでもらったので、これでプルメリア3点セット。
きっとこれを私の母が見たら、
「若いものを付けてるねぇ」
と言うに違いない。いつだったか、ピンクのサンダルを履いて実家に行ったときも、まじまじと靴を眺めてそう言ったものだ。
年をとるのが、それほど嫌じゃなくなったのはいつからだったろう。
嫌じゃない、というよりも、気にならなくなった、というべきか。
それは、身に付けるものが年齢に合うかどうかを気にしなくなったのと同じ時期だろうと思う。
10年前のほうが、よほど気にしていて、当時の夫に「それはもう若すぎておかしい」などと厳しいことを言われて、ヤケになって好きだったスカートを会社の後輩にあげてしまった。
その頃の私は、いかに年齢にふさわしく、社会的にもみっともなくない自分であるか、ということを求められていると信じており、私もまたそうでなくてはいけないと思っていたのだろう。
あるデパートに行った時、ものすごくきれいなロングヘアの店員さんがいて、二十代半ばぐらいの美人なんだろうと思ったら、
振り返った顔はどう見ても四十代で、その顔と髪のあまりの落差に大ショックを受けた。
ああいうふうにはなりたくない、と強く思ったけれど、今はそれはそれでいいんじゃないかと思う。
同じ四十代なら、汚い髪よりきれいな髪のほうがいいし、どこから見てもオバサンよりも、後姿だけでもムスメのほうがいいじゃないか。
人からどう思われようと、私が私らしくあることのほうがずっと大事なことで、そしてそれは、日本よりもハワイに住んでいるほうが、ずっと簡単にできる。
頭にキラキラのワイヤーリボンの花を付け、ピンクのサングラス、きらきらの時計、ピンクの服に靴、指には重そうなピンクの指輪、きらきらピンクのバッグを持った、七十代後半とおぼしきご婦人が、おもむろにピンクの携帯電話を出して「ハロゥ」と可愛い声を出しているのを見て、見ている私が嬉しくなるのはなぜだろう。
そのご婦人が、心底ハッピーで自分らしくいることが、私に伝わるからじゃないだろうか。
7歳年下の夫は、私が何を着ても、何を身に付けても
「かわいい、すてき、最高」
と褒めてくれる「夫ばか」である。たぶんその夫が、私を確実に若作りの国籍不詳のオンナに変えてゆくのだ。
子供の頃は、学校がある日に誕生日の友達がちょっぴり羨ましかった。
家族もぎりぎりまでは覚えていても、たまにあわただしさに紛れて忘れてしまうこともあったし、めでたさ加減でお正月と張り合うと、なんとなく歩が悪いような気がしたものだ。
母に言わせれば、私を生んだ時が一番のんびりできた年末年始だったという。予定日は大晦日。
家庭的とはいえない姑と同居の上、自宅の一部を事務所にして事業をしていて、人の出入りも多く、普段の年末年始の母の忙しさはいかほどだったろう。
この日を選んで生まれてきた私は、まず最初から親孝行だったということにしよう。
これは私の宝もの。
大事に持っていたはずなのに、グリーンカード申請のための健康診断の際にこれが必要になったとき、どこを探しても見つからなかった。
こんな大事なものを私は失くしてしまったのだと落ち込んでいたのに、つい最近、ひょんな場所から出てきた。
どうやら無事に日本からアメリカに持ってくることができたことに一安心。
誕生日のプレゼントに、夫が、プルメリアの花がぎっしり並んだゴールドのブレスレットをくれた。
何年か前にハワイで年末年始を過ごした時に、やはりプルメリアのネックレスとリングをペアでもらったので、これでプルメリア3点セット。
きっとこれを私の母が見たら、
「若いものを付けてるねぇ」
と言うに違いない。いつだったか、ピンクのサンダルを履いて実家に行ったときも、まじまじと靴を眺めてそう言ったものだ。
年をとるのが、それほど嫌じゃなくなったのはいつからだったろう。
嫌じゃない、というよりも、気にならなくなった、というべきか。
それは、身に付けるものが年齢に合うかどうかを気にしなくなったのと同じ時期だろうと思う。
10年前のほうが、よほど気にしていて、当時の夫に「それはもう若すぎておかしい」などと厳しいことを言われて、ヤケになって好きだったスカートを会社の後輩にあげてしまった。
その頃の私は、いかに年齢にふさわしく、社会的にもみっともなくない自分であるか、ということを求められていると信じており、私もまたそうでなくてはいけないと思っていたのだろう。
あるデパートに行った時、ものすごくきれいなロングヘアの店員さんがいて、二十代半ばぐらいの美人なんだろうと思ったら、
振り返った顔はどう見ても四十代で、その顔と髪のあまりの落差に大ショックを受けた。
ああいうふうにはなりたくない、と強く思ったけれど、今はそれはそれでいいんじゃないかと思う。
同じ四十代なら、汚い髪よりきれいな髪のほうがいいし、どこから見てもオバサンよりも、後姿だけでもムスメのほうがいいじゃないか。
人からどう思われようと、私が私らしくあることのほうがずっと大事なことで、そしてそれは、日本よりもハワイに住んでいるほうが、ずっと簡単にできる。
頭にキラキラのワイヤーリボンの花を付け、ピンクのサングラス、きらきらの時計、ピンクの服に靴、指には重そうなピンクの指輪、きらきらピンクのバッグを持った、七十代後半とおぼしきご婦人が、おもむろにピンクの携帯電話を出して「ハロゥ」と可愛い声を出しているのを見て、見ている私が嬉しくなるのはなぜだろう。
そのご婦人が、心底ハッピーで自分らしくいることが、私に伝わるからじゃないだろうか。
7歳年下の夫は、私が何を着ても、何を身に付けても
「かわいい、すてき、最高」
と褒めてくれる「夫ばか」である。たぶんその夫が、私を確実に若作りの国籍不詳のオンナに変えてゆくのだ。