太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

「チーズはどこへ消えた?」

2012-01-05 07:05:56 | 日記
白木屋のBOOK OFFで1ドルコーナーにあって、何の気なしに買った本。


「チーズはどこへ消えた?」(WHO MOVED MY CHEESE?) スペンサー・ジョンソン著



本の帯に『新世紀初の超ベストセラー!』と書いてあるが、私は全然知らなかった。

もしかしたら、「誰でも知ってる本だよ、あんた!」と言われてしまうのかも・・・



ある迷路が舞台で、登場人物は、二匹のネズミと、二人のコビト。

この二匹と二人が、迷路の中でチーズを捜し求める物語だ。

このチーズは、私達が人生で求めるもの、仕事、家族、恋人、お金、大きな家、自由、健康、人に認められること、そういうものを象徴している。


物語の中で、二匹と二人は、チーズを見つけるまでは同じだが、見つけたチーズがなくなってしまうところから、生き方が分かれる。


ネズミは単純だ。なくなったから、他のものを探すだけ。

コビトはネズミよりも頭がいいから、起きた出来事を頭でこねくりまわす。





チーズさえあれば幸せになれる

  →〔仕事・恋人・お金・自由・健康・・〕さえあれば幸せになれる

私もそうだった。

もちろん今でも、そういう思考はしっかり残っているが、以前は疑いもせずにそう信じて、いろんなチーズを追い求めてきた。

手に入れても、一瞬の喜びのあとは幸せが続かなかったのはなぜだろう、と不思議だった。

きっとそれは、まだ他のチーズを手に入れていないからだろうと思い、別のチーズを探す旅に出る羽目になる。




ずっとあると信じていたチーズがなくなってしまったら??

  →ずっとあると信じていた〔仕事・恋人・お金・自由・健康・・〕がなくなってしまったら?


状況を受け入れられず、社会や誰かのせいにして、その場にとどまって怒りをぶちまける。

悲劇の主人公になって、自分を哀れんでみる。

起きたことの意味をさがしだそうとする。

これが私がやってきて、今も時にハマってしまう反応だ。とりわけ3番目は・・・・



チーズが私を幸せにしてくれる、と信じている限りは、死ぬまでチーズを探し続けなくてはいけなくなる上に、

チーズを見つけられない間は不幸のどん底である。




どんなチーズを手に入れたかが一番大事な人生の目的であり、それが「成功した人生」の指標であり、だけど、そんな人生は常に恐怖と背中合わせだ。

「良い」チーズを手に入れたら、それを失うことの恐怖がセットで付いてくるのだから。



ネズミのように、チーズがなくなったら、スイッチをONからOFFに切り替えるように、あっさり次を探せたら苦労はしない。

人間には、ONとOFFの間に、調光ダイヤルのようにさまざまな感情や思考の段階があって、

そのモヤモヤした思考をくぐり抜け、じたばたしながらOFFに切り替える体験こそが、人間を選んで生まれてきた醍醐味かもしれないのだ。



わかっている。

私のどこかでは、確実にわかっているのだが、そのモヤモヤを楽しめない。

仕方がないから、その楽しめない自分を楽しんでしまおう、という無理矢理なことをしようとする。

ただ、以前と違うところは、私の迷路を楽しい風景で飾ったことだ。



人生が迷路だとするなら、どんな迷路にするかは個人の自由。

コンクリートの床と、高い塀に囲まれた迷路にするか、

花が咲き乱れる、気持ちの良い原っぱにするか。

森があったり、煉瓦の敷かれたこぎれいな街がある道にするか。

それは、チーズを探している間もハッピーでいることを選ぶかどうか、ということでもある。



チーズを求めることが悪いんじゃない。

チーズが欲しくなくなったら、それはそれでつまらない。

ただ、どんな心持でチーズを探すか、そのチーズに対してどうつきあうか、自分には古くなってしまったチーズに気がつけるか、

古いチーズを捨て、次のチーズを探す勇気があるか。





この本の帯の裏側に書いてあった文にドキリとした。

『あなたのチーズはなんですか?』


私が探しているチーズはなんだろう。

私が持っていて、もう古くなってしまったチーズはあるだろうか。