太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

コーヒー

2012-01-06 14:17:31 | 日記
朝、コーヒーを飲むようになったのはいつからだったか思い出せない。

コーヒーが好きになったのも、最初に飲んだ時のことも思い出せないが、初めてレギュラーコーヒーというものを見た時のことは覚えている。


小学校低学年の頃だったと思う。どこかのお土産で、レギュラーコーヒーをいただいた。

インスタントコーヒーしか知らない我が家族は、コーヒーと書かれているそれを、お湯に溶かしてみた(驚!)

知らない、ということは恐ろしいものだ。

これじゃ、ラッキョウを剥いて剥いて剥ききってしまうサルを笑えまい。

もちろん溶けるはずもなく、いったいこれは何だろうという疑問だけが宙に浮いた。


その後、どういう経緯があったのかはわからないけれど、気がつくと、カップボードには、ネルドリップのセットがあった。

たぶん頂き物だったと思う。

当時、コーヒーを常飲する家族などいなかったし、コーヒー好きの誰かが来たときだけ、客が自分で淹れたのかもしれない。



高校を出るまで、コーヒーといえばコーヒー牛乳か、コーヒーゼリーぐらいのものだった私が、「インスタントコーヒーはコーヒーとは言えないね」などと生意気を言うようになり、

「豆は自分で挽かなくちゃね」と、手挽きのミルを買ったり(これは24歳の頃だった)

「コーヒーメーカーじゃダメだよ」といって、細い注ぎ口のポットやドリップセットを使ったりするようになった。


田舎もんの私にとって、コーヒーは憧れであり、喫茶店でコーヒーを飲むのは、まさに大人への階段への第一歩で、「一人で」喫茶店でコーヒーを飲むとなれば、階段を3段飛ばしで駆け上がるに等しかった。

紅茶なんか子供が飲むもので、味以前に苦いコーヒーをスマートに飲む自分に憧れていた。




いつしか、手挽きのミルは電動ミルに代わり、ドリップセットはコーヒーメーカーになり、専門店で選びに選んで買っていた豆は、スーパーマーケットになって、

現在、毎日お世話になっているのがコレ。



これが便利でけっこう美味しい。



こんなカートリッジ式になった、いろんな味のコーヒーや紅茶を、ポンと入れてスイッチを押すだけ。

一人分でも、みんながそれぞれ違う味が飲みたくても、手軽にできちゃうのだ。

氷を一杯入れたグラスを置けば、アイスコーヒーができる。

ティーバッグのお茶を飲みたいときには、カートリッジなしでスイッチを押せば、瞬間でお湯だけ出てくる、という使い方も発見。


なんだかんだ薀蓄たれていたように見えて、結局それほど味がわかってるわけでも、こだわってもないってことがバレバレ。


それでも、コーヒーの香ばしい香りは、いつでも幸せな気持ちにしてくれる。

それでいいのだ。




welcome to アメリカ

2012-01-06 11:45:59 | 日記
昨日のことだ。

日本から来ている友人と夕食を共にする約束があり、夫は5時きっかりに電話をよこした。

「今オフィスを出て駐車場に向かってるよ、出かける支度をしておいて」

だが、その1分後、

「ウェルカム トゥ アメリカ(怒)!」

「はァ??」

「車の窓が割られてるから、今日は行けなくなった・・・」


助手席側の窓が割られたらしい。

どこの会社も、社員の駐車場確保には頭を痛めていて、夫の職場では、徒歩数分の距離にある小学校の駐車場を借りている。

運動場からも校舎からも死角になっているその場所は、車上狙いにはうってつけだろう。

現に、数人の同僚が被害に遭っている。

アメリカでは、こんなことは珍しくない。

ハワイでも、窓にビニールをかぶせて走っている車を何台も見かける。

うちの車はホンダのCRVだから窓だけで済んだのだろうが、高級車だったら車ごと盗まれたに違いない。




日本からの友人には、3日前にも会っていたから、事情を話してキャンセルしてもらった。


それにしても。


その場に一緒にいなくてよかった。

割られた窓を見た夫は、怒り心頭し、悪い言葉を連続して吐きつつ、ドカドカと残りの破片を車内に割りいれたに違いない。

彼はそういう典型的なアメリカ人。


「日本には言霊という言葉があってね・・」と諭すように話したことも1度や2度ではない。

その言葉も態度も、私に対してのものではないのはわかっていても、その場の雰囲気が私に刺さってくるようで、いたたまれなかったし、

言霊が悪いものを磁石のように引きつけたら困ると思っていた。


その時は、「うんうん」と夫は神妙に聞いているが、直るわけではない。


数ヶ月たって、ようやく私は気づいたのだ。

私は一生懸命、他人をコントロールしようとしていたこと、私の正しさを握り締めていたこと、繰り返される同じ場面で、飽くことなく嫌な気持ちになることを選んでいたこと。


私は言霊というものを採用することをやめた。

私が心から信じたことだけが、私の世界で現実になってゆくのだから、言霊を私の人生から消してみた。

何であれ、正しい、と思うことをやめた。

私が正しいと、相手が悪くなって、相手が正しいと私が悪くなる。いずれにしろ、嫌な気分になる。



かくして、夫は相変わらず、なかなか開かないビンの蓋に、何度付けても取れてしまうフックに、危険運転するドライバーに、悪い言葉を吐き出すけれど(それでもすいぶん減ったと思う)、私はその時、身体はそこにあっても中身が別の場所にいる。


彼はそうすることで、怒りを瞬間に外に出しているだけなのだ。

その証拠に、出したあとはいつもどおりおちゃらけたり、歌をくちずさんだりしている。

私だけが嫌な気持ちになって、それを引きずるのは割に合わない。

でも、そうは言っても聞こえてしまうし、できればその場にいたくないとは思う。



さて、帰宅した夫は、ガレージで破片を掃除していた。

何を盗まれたのか聞くと

「スターバックスの保冷カップとGPSだけだよ。CDはみんな残ってる。ばかだね、あれは売れるのに」

GPSよりも、大好きなヘビメタのCDのほうが大事らしい。

日本の話だが、女性からバッグをひったくった犯人が、中身だけ盗んでバッグを捨てた。

見つかったそのバッグは、実は特注のケリーバッグで、中身よりもずーーーーっと高価なものだったそうで・・・

その女性もきっと「ばかだね」と言ったに違いない。



雨季なのに、雨が降っていなくてラッキーだったし、

フロントガラスじゃなくてよかったし、

友人とも1度会っていてよかったし、

大事なCDも無事だったし、まあまあ厄落としだと思ってヨシとしよう。