日本にいたとき、アメリカ人と結婚している、というと、かなりの確率で「じゃあ英語はぺらぺらなんですね」と言われた。
そのたびに、ぺらぺらではない私は複雑な思いをしたものだが、今は夫がそれを味わっている。
すると夫は大抵「いやぁ、4歳児レベルの日本語なんだよ」と言う。
人が集まった時、たまに夫が、そんな前フリから、日本語がいかに難しいかというテーマで話をする。
「相手によって、使う言葉を変えなくちゃいけないんだ」
「どんなふうに?」
「たとえば、同僚に話す言葉と、上司に話す言葉では違うし、取引先とはまた違う。相手を尊敬するだけじゃなくて、卑屈にならなくちゃいけないんだ」
「だからどんなふうに?」
夫は理屈はわかっても、実例がわからないので私の出番になる。
「食べる、というのは自分や同僚が食べる時。上司が食べる時には召し上がる、になって、上司に対して自分が食べると説明する時にはいただくになる。
それに、自分にとってどの程度の距離の人に、どういう言葉を使うかはいろいろで、この人にはこうだっていう規則はない」
「それってどうやって覚えるの?」
「使いながら覚えるしかない」
みんながシンと静まり返る。そこへ夫が、
「ものを数える時、みんな違う言葉がつくんだよ」
「どういう意味?」
「英語なら、人間でもアヒルでも ワン とか ツー でいいけど、日本語は数字のあとに必ずつく言葉があるのさ、そうだよねえ?」
私が引き継ぐ。
「人間なら、数字のあとに にん が付くし、アヒルなら 羽(わ) がつく。本は 冊 だし、鉛筆なら 本 だよ」
「それってどうやって覚えるの?」
「ただ暗記するしかない」
再び場が静まり返る。
一同からため息が漏れる。
「ふうん・・・日本語って・・・」
そうそう、その先を聞きたいんだ。早く言って。
「日本語って難しいんだねえ」
イエースッ!イエースッ!日本語は難しいのである。
私は普段、へんちょこりんな英語を話しているけれども、実は日本語は完璧に話せるのである。
母国語が話せるのは当たり前のことで、すごくもなんともないのもわかっているけれど、
集中力が切れて、会話に取り残される時、自分がすごくバカに思えて悲しくなるから、
そっちの英語よりも難しい(と思われる)日本語を話せる、というただ1点だけで勝ちたい、いや、せめて勝ったつもりになりたい、という姑息な心理である。
英語と日本語しか知らない癖に、 もしかしたら日本語は世界で1番難しい言語ではないだろうか 、などという勝手な事実を創作し、
さらに溜飲を下げようとしていた矢先、ある本を読んでいたら、フィンランド語について書かれていた。
フィンランド語には、15の格があるそうだ。
たとえば「パン」に伴う格は、
〔パンが・パンの・パンを・パンの表面に向けて・パンの表面で・パンの表面から・パンの中へ・パンの中で・パンの中から・パンに~なる・パンの状態で~ある・パンから・パンとともに・パンなしに・パンでもって〕
この15の格が、単数・複数によって違う変化をするから、倍の30の格があるともいえる。
その本によれば、アメリカのアイオワ州にある大学のフィンランド語教室は、世界で1,2のレベルの教室であるが、
その教室の生徒は、少なくとも週に2回、精神科医の診察を受ける義務があるという。
フィンランド語の動詞活用変化の煩雑さぶりに、学生の精神は常にある種の危機状態にある、というわけなのだ。
夫がフィンランド人じゃなくて本当によかった。
これは日本語よりも遥かに難しそうだ。
じゃあ日本語は世界で2番目に難しい言語、つーことで。(根拠なし)
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そのたびに、ぺらぺらではない私は複雑な思いをしたものだが、今は夫がそれを味わっている。
すると夫は大抵「いやぁ、4歳児レベルの日本語なんだよ」と言う。
人が集まった時、たまに夫が、そんな前フリから、日本語がいかに難しいかというテーマで話をする。
「相手によって、使う言葉を変えなくちゃいけないんだ」
「どんなふうに?」
「たとえば、同僚に話す言葉と、上司に話す言葉では違うし、取引先とはまた違う。相手を尊敬するだけじゃなくて、卑屈にならなくちゃいけないんだ」
「だからどんなふうに?」
夫は理屈はわかっても、実例がわからないので私の出番になる。
「食べる、というのは自分や同僚が食べる時。上司が食べる時には召し上がる、になって、上司に対して自分が食べると説明する時にはいただくになる。
それに、自分にとってどの程度の距離の人に、どういう言葉を使うかはいろいろで、この人にはこうだっていう規則はない」
「それってどうやって覚えるの?」
「使いながら覚えるしかない」
みんながシンと静まり返る。そこへ夫が、
「ものを数える時、みんな違う言葉がつくんだよ」
「どういう意味?」
「英語なら、人間でもアヒルでも ワン とか ツー でいいけど、日本語は数字のあとに必ずつく言葉があるのさ、そうだよねえ?」
私が引き継ぐ。
「人間なら、数字のあとに にん が付くし、アヒルなら 羽(わ) がつく。本は 冊 だし、鉛筆なら 本 だよ」
「それってどうやって覚えるの?」
「ただ暗記するしかない」
再び場が静まり返る。
一同からため息が漏れる。
「ふうん・・・日本語って・・・」
そうそう、その先を聞きたいんだ。早く言って。
「日本語って難しいんだねえ」
イエースッ!イエースッ!日本語は難しいのである。
私は普段、へんちょこりんな英語を話しているけれども、実は日本語は完璧に話せるのである。
母国語が話せるのは当たり前のことで、すごくもなんともないのもわかっているけれど、
集中力が切れて、会話に取り残される時、自分がすごくバカに思えて悲しくなるから、
そっちの英語よりも難しい(と思われる)日本語を話せる、というただ1点だけで勝ちたい、いや、せめて勝ったつもりになりたい、という姑息な心理である。
英語と日本語しか知らない癖に、 もしかしたら日本語は世界で1番難しい言語ではないだろうか 、などという勝手な事実を創作し、
さらに溜飲を下げようとしていた矢先、ある本を読んでいたら、フィンランド語について書かれていた。
フィンランド語には、15の格があるそうだ。
たとえば「パン」に伴う格は、
〔パンが・パンの・パンを・パンの表面に向けて・パンの表面で・パンの表面から・パンの中へ・パンの中で・パンの中から・パンに~なる・パンの状態で~ある・パンから・パンとともに・パンなしに・パンでもって〕
この15の格が、単数・複数によって違う変化をするから、倍の30の格があるともいえる。
その本によれば、アメリカのアイオワ州にある大学のフィンランド語教室は、世界で1,2のレベルの教室であるが、
その教室の生徒は、少なくとも週に2回、精神科医の診察を受ける義務があるという。
フィンランド語の動詞活用変化の煩雑さぶりに、学生の精神は常にある種の危機状態にある、というわけなのだ。
夫がフィンランド人じゃなくて本当によかった。
これは日本語よりも遥かに難しそうだ。
じゃあ日本語は世界で2番目に難しい言語、つーことで。(根拠なし)
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