太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

世界で1番難しい言語

2012-01-30 09:30:08 | 日記
日本にいたとき、アメリカ人と結婚している、というと、かなりの確率で「じゃあ英語はぺらぺらなんですね」と言われた。

そのたびに、ぺらぺらではない私は複雑な思いをしたものだが、今は夫がそれを味わっている。

すると夫は大抵「いやぁ、4歳児レベルの日本語なんだよ」と言う。





人が集まった時、たまに夫が、そんな前フリから、日本語がいかに難しいかというテーマで話をする。

「相手によって、使う言葉を変えなくちゃいけないんだ」

「どんなふうに?」

「たとえば、同僚に話す言葉と、上司に話す言葉では違うし、取引先とはまた違う。相手を尊敬するだけじゃなくて、卑屈にならなくちゃいけないんだ」

「だからどんなふうに?」

夫は理屈はわかっても、実例がわからないので私の出番になる。

「食べる、というのは自分や同僚が食べる時。上司が食べる時には召し上がる、になって、上司に対して自分が食べると説明する時にはいただくになる。
それに、自分にとってどの程度の距離の人に、どういう言葉を使うかはいろいろで、この人にはこうだっていう規則はない」


「それってどうやって覚えるの?」


「使いながら覚えるしかない」


みんながシンと静まり返る。そこへ夫が、


「ものを数える時、みんな違う言葉がつくんだよ」

「どういう意味?」

「英語なら、人間でもアヒルでも ワン とか ツー でいいけど、日本語は数字のあとに必ずつく言葉があるのさ、そうだよねえ?」

私が引き継ぐ。

「人間なら、数字のあとに にん が付くし、アヒルなら 羽(わ) がつく。本は 冊 だし、鉛筆なら 本 だよ」

「それってどうやって覚えるの?」

「ただ暗記するしかない」


再び場が静まり返る。

一同からため息が漏れる。

「ふうん・・・日本語って・・・」

そうそう、その先を聞きたいんだ。早く言って。


「日本語って難しいんだねえ」


イエースッ!イエースッ!日本語は難しいのである。


私は普段、へんちょこりんな英語を話しているけれども、実は日本語は完璧に話せるのである。


母国語が話せるのは当たり前のことで、すごくもなんともないのもわかっているけれど、

集中力が切れて、会話に取り残される時、自分がすごくバカに思えて悲しくなるから、


そっちの英語よりも難しい(と思われる)日本語を話せる、というただ1点だけで勝ちたい、いや、せめて勝ったつもりになりたいという姑息な心理である。


英語と日本語しか知らない癖に、 もしかしたら日本語は世界で1番難しい言語ではないだろうか 、などという勝手な事実を創作し、

さらに溜飲を下げようとしていた矢先、ある本を読んでいたら、フィンランド語について書かれていた。


フィンランド語には、15の格があるそうだ。

たとえば「パン」に伴う格は、

〔パンが・パンの・パンを・パンの表面に向けて・パンの表面で・パンの表面から・パンの中へ・パンの中で・パンの中から・パンに~なる・パンの状態で~ある・パンから・パンとともに・パンなしに・パンでもって〕

この15の格が、単数・複数によって違う変化をするから、倍の30の格があるともいえる。

その本によれば、アメリカのアイオワ州にある大学のフィンランド語教室は、世界で1,2のレベルの教室であるが、

その教室の生徒は、少なくとも週に2回、精神科医の診察を受ける義務があるという。

フィンランド語の動詞活用変化の煩雑さぶりに、学生の精神は常にある種の危機状態にある、というわけなのだ。





夫がフィンランド人じゃなくて本当によかった。

これは日本語よりも遥かに難しそうだ。

じゃあ日本語は世界で2番目に難しい言語、つーことで。(根拠なし)








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