突然、古い記憶がよみがえって、ドキドキすることがある。
それは決まって、照れてドキドキするような嬉しい記憶ではなく、思い出したくもないようなことばかりである。
小学校2年の時のことだ。
掃除の時間に、担任の的場先生が、花瓶の水を替えている私を見て、
「ぬるぬるした茎を洗わずに、水だけ替える人があるかね!あんたは家のことをなんにも手伝わない子なんだね!」
と大声で言った。
それまで誰にもそんな言い方をされたことがなかった甘ったれの私は、怖いのと恥ずかしいのと悔しいのとで、目の前が真っ暗になった。
妹の面倒もみるし、朝の肩たたきだってしているのに、何もみんなに聞こえるような大声で、あんなことを言わなくてもいいじゃないか・・
でも私は何も言えずに下を向いていたと思う。
的場先生はおばあさんで、祖母より年寄りだと思っていたから、
私が社会人になってから、どこかのスーパーで的場先生を見かけたとき、「まだ生きていたんだ・・」と驚いた。
子供にとって、先生とは絶対正しい存在だったのに、今思えば正しい先生ばかりじゃなかった。
3年のときの太田先生(女)は、平気でえこひいきして、運動だけが得意で可愛い顔をした青木さんを、みんなの前でけなしたし、ちょっとテンポがずれる岩崎くんが、授業中にトイレに行きたいと言うと、「このバカタレが!うそつきは泥棒の始まりだ」と言い、実は彼が膀胱炎だったことがわかっても、謝りもしなかった。
尊敬できない先生を、尊敬しなくちゃいけないのは子供ごころに辛かった。
8歳かそこらでも、子供はちゃんと大人を見ているものなのだ。
えこひいきの、太田先生の頃だったと思う。
お風呂に入る順番の話になり、先生はクラスのみんなに、家で誰が一番最初にお風呂に入るか、順番に手を挙げさせた。
「おとうさん、という人」「おじいさん、という人」
ぱらぱらと数人が手を挙げてゆく。
うちは祖父が一番風呂なのだが、ぼんやりと他のことを考えていた私は、手を挙げそこねてしまった。
どうしよう、どうしよう、とドキドキしてきた。
「おにいさん、という人」
うちには兄弟はいない。でも、どこかで手を挙げなくてはいけない、と焦りまくり、
「おかあさん、という人」
と先生が言った時に手を挙げてしまった。
私一人だった。
たったそれだけだ。
私にとってはたったそれだけのことだが、母にとっては「たったそれだけ」のことじゃないだろう。
父兄参観、家庭訪問のたびに、太田先生は
『この人、舅姑がいながら一番先に風呂に入るヨメなんだわ』と思って母を見たに決まっている。
母はいつだって終い風呂だったのに、本当に申し訳ないことをしたと思っている。
私に勇気があれば、そして太田先生がもっと優しい人だったら、母の汚名をすすぐこともできたかもしれない。
私はこのことを、母に話さなかった。言えたものじゃない。
今更どうにもしようがないことで、老いた母を恥ずかしがらせるのも忍びなく、私はこれは墓場までもってゆくつもりだ。
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それは決まって、照れてドキドキするような嬉しい記憶ではなく、思い出したくもないようなことばかりである。
小学校2年の時のことだ。
掃除の時間に、担任の的場先生が、花瓶の水を替えている私を見て、
「ぬるぬるした茎を洗わずに、水だけ替える人があるかね!あんたは家のことをなんにも手伝わない子なんだね!」
と大声で言った。
それまで誰にもそんな言い方をされたことがなかった甘ったれの私は、怖いのと恥ずかしいのと悔しいのとで、目の前が真っ暗になった。
妹の面倒もみるし、朝の肩たたきだってしているのに、何もみんなに聞こえるような大声で、あんなことを言わなくてもいいじゃないか・・
でも私は何も言えずに下を向いていたと思う。
的場先生はおばあさんで、祖母より年寄りだと思っていたから、
私が社会人になってから、どこかのスーパーで的場先生を見かけたとき、「まだ生きていたんだ・・」と驚いた。
子供にとって、先生とは絶対正しい存在だったのに、今思えば正しい先生ばかりじゃなかった。
3年のときの太田先生(女)は、平気でえこひいきして、運動だけが得意で可愛い顔をした青木さんを、みんなの前でけなしたし、ちょっとテンポがずれる岩崎くんが、授業中にトイレに行きたいと言うと、「このバカタレが!うそつきは泥棒の始まりだ」と言い、実は彼が膀胱炎だったことがわかっても、謝りもしなかった。
尊敬できない先生を、尊敬しなくちゃいけないのは子供ごころに辛かった。
8歳かそこらでも、子供はちゃんと大人を見ているものなのだ。
えこひいきの、太田先生の頃だったと思う。
お風呂に入る順番の話になり、先生はクラスのみんなに、家で誰が一番最初にお風呂に入るか、順番に手を挙げさせた。
「おとうさん、という人」「おじいさん、という人」
ぱらぱらと数人が手を挙げてゆく。
うちは祖父が一番風呂なのだが、ぼんやりと他のことを考えていた私は、手を挙げそこねてしまった。
どうしよう、どうしよう、とドキドキしてきた。
「おにいさん、という人」
うちには兄弟はいない。でも、どこかで手を挙げなくてはいけない、と焦りまくり、
「おかあさん、という人」
と先生が言った時に手を挙げてしまった。
私一人だった。
たったそれだけだ。
私にとってはたったそれだけのことだが、母にとっては「たったそれだけ」のことじゃないだろう。
父兄参観、家庭訪問のたびに、太田先生は
『この人、舅姑がいながら一番先に風呂に入るヨメなんだわ』と思って母を見たに決まっている。
母はいつだって終い風呂だったのに、本当に申し訳ないことをしたと思っている。
私に勇気があれば、そして太田先生がもっと優しい人だったら、母の汚名をすすぐこともできたかもしれない。
私はこのことを、母に話さなかった。言えたものじゃない。
今更どうにもしようがないことで、老いた母を恥ずかしがらせるのも忍びなく、私はこれは墓場までもってゆくつもりだ。
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