日本人の友達と話す機会があると、嬉しくて、ついいつもよりもおしゃべりになるような気がする。
表現したいこと、伝えたいことが、何のストレスもなく話せるということは、なんてラクチンなんだろうと思う。
「憎ったらしい顔で」とか、英語だとどうしてもそのニュアンスが出ない言い方は、けっこうある。
ところが、だ。
私がそうして夢中で話していると、時折妙な間があくことがある。
ハワイ在住の日本人だとそうでもないが、日本にいる日本人の場合、そうなる。
このあいだは、
「その道に行こうとしたら、車がエンコしちゃうんだよ」
と言った時に、その「間」は訪れた。
そしてその後で
「わかる、意味はわかるけど、それ何十年ぶりに聞いたかもぉー」
と笑いながら言われる。
「なにが?」
「エンコって昔おばあちゃんが使ってた気がするー」
「じゃあ何て言うのさ!」
「エンストって言わない?」
ああ、エンストって聞いたことあるワ。ていうか、以前は私もエンストって使っていたように思う。
なんでエンコのほうが先に出てくるんだろう?
さらには
「そのとき私ズック履いていたから・・・」
「・・・・・いやぁ子供の頃、ズックって言ってましたよねぇー!」
私だって、自分で ズック と言って自分で驚いたんだから。
いったい脳内のどこの引き出しが開いちゃってンの?
同じ引き出しには、「前掛け」とか、「衣文かけ(ハンガーのことよ)」「アベック」なんかが入っている。
私の祖母は、美容院のことを「かみぃさん」と言っていた。
それが実は「髪結いさん」であることがわかったのは、ずっと後になってからだった。
さすがにそこまで古い引き出しは、意識しないと開かないようになっていてホッとする。
私の脳内で、私が知らない間になにか起きているに違いない。
それ以来、しゃべりたくてウズウズするものの、自分の口から何が飛び出すのか怖くてどきどきするのだ。
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表現したいこと、伝えたいことが、何のストレスもなく話せるということは、なんてラクチンなんだろうと思う。
「憎ったらしい顔で」とか、英語だとどうしてもそのニュアンスが出ない言い方は、けっこうある。
ところが、だ。
私がそうして夢中で話していると、時折妙な間があくことがある。
ハワイ在住の日本人だとそうでもないが、日本にいる日本人の場合、そうなる。
このあいだは、
「その道に行こうとしたら、車がエンコしちゃうんだよ」
と言った時に、その「間」は訪れた。
そしてその後で
「わかる、意味はわかるけど、それ何十年ぶりに聞いたかもぉー」
と笑いながら言われる。
「なにが?」
「エンコって昔おばあちゃんが使ってた気がするー」
「じゃあ何て言うのさ!」
「エンストって言わない?」
ああ、エンストって聞いたことあるワ。ていうか、以前は私もエンストって使っていたように思う。
なんでエンコのほうが先に出てくるんだろう?
さらには
「そのとき私ズック履いていたから・・・」
「・・・・・いやぁ子供の頃、ズックって言ってましたよねぇー!」
私だって、自分で ズック と言って自分で驚いたんだから。
いったい脳内のどこの引き出しが開いちゃってンの?
同じ引き出しには、「前掛け」とか、「衣文かけ(ハンガーのことよ)」「アベック」なんかが入っている。
私の祖母は、美容院のことを「かみぃさん」と言っていた。
それが実は「髪結いさん」であることがわかったのは、ずっと後になってからだった。
さすがにそこまで古い引き出しは、意識しないと開かないようになっていてホッとする。
私の脳内で、私が知らない間になにか起きているに違いない。
それ以来、しゃべりたくてウズウズするものの、自分の口から何が飛び出すのか怖くてどきどきするのだ。
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