私が、心配ばかりして生きていた頃。
そう、私はあらゆる心配をして、未来に起こるであろう心配にまで対処しておこうとしていた。
小学生の時、夏休みの宿題の「自由研究」が大嫌いだった。
6年生の時に、将来私の子供が苦労をしないように、自由研究のヒントをノートに書き留めた。
今でもその一部を覚えている。市役所や学校など、いろんな建物の階段の高さや奥行きを測るのだ(基準法があって、ほぼ同じになっていると後になって知った)
そして、ノートに書いたそれを、私の子供が必要とするまで残しておけるか、また心配した。
そんな子供だった。
自分が結婚して子供を生むかどうかは心配しなかったところが、子供といえば子供なのだ。
心配すべきは、そっちのほうだったろうに。
そうやって、まるで趣味のように心配していた私が、人生の転機においては無鉄砲にみえるような行動をとる。
しかし、そこを過ぎれば、また思い出したように心配しながら暮らすのだった。
私は心配して心配して、し尽くしたあるとき、ふと我に返って(つまり無鉄砲な本当の自分に戻って)
大事だと思っていたすべてを引っくり返して捨ててしまった。
「ええーーい!やめたやめた、やめた~~~ッ!!」
心配することをやめた私に、世間や家族が心配を投げかけてきた。
でも私は「心配」に負けなかった。
今でも、すぐに心配したくなるし、いつのまにか心配していることもたくさんある。
だけど、何も知らずに心配していた頃の私とは違うのだ。
どんなに心配したって、何の役にもたたないことを知っている。
最悪のケースに備えているつもりが、私はちっとも「今そのとき」を生きてこなかった。
だって大切な「今そのとき」を、心配することで使ってしまっていたのだから。
「また心配してるねー」ともう一人の私が言い、心配のエネルギーを信用のエネルギーに交換するイメージを思い描く。
自分を信用する、自分の人生を信用する、心配したい相手のことを信用する。
それしか、発生してしまった心配のエネルギーのやり場所がない。
この心配癖は母譲り。
その母は最近、ずいぶん心配しなくなってきた。
それは母が幸せだからだといいな、と思う。
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そう、私はあらゆる心配をして、未来に起こるであろう心配にまで対処しておこうとしていた。
小学生の時、夏休みの宿題の「自由研究」が大嫌いだった。
6年生の時に、将来私の子供が苦労をしないように、自由研究のヒントをノートに書き留めた。
今でもその一部を覚えている。市役所や学校など、いろんな建物の階段の高さや奥行きを測るのだ(基準法があって、ほぼ同じになっていると後になって知った)
そして、ノートに書いたそれを、私の子供が必要とするまで残しておけるか、また心配した。
そんな子供だった。
自分が結婚して子供を生むかどうかは心配しなかったところが、子供といえば子供なのだ。
心配すべきは、そっちのほうだったろうに。
そうやって、まるで趣味のように心配していた私が、人生の転機においては無鉄砲にみえるような行動をとる。
しかし、そこを過ぎれば、また思い出したように心配しながら暮らすのだった。
私は心配して心配して、し尽くしたあるとき、ふと我に返って(つまり無鉄砲な本当の自分に戻って)
大事だと思っていたすべてを引っくり返して捨ててしまった。
「ええーーい!やめたやめた、やめた~~~ッ!!」
心配することをやめた私に、世間や家族が心配を投げかけてきた。
でも私は「心配」に負けなかった。
今でも、すぐに心配したくなるし、いつのまにか心配していることもたくさんある。
だけど、何も知らずに心配していた頃の私とは違うのだ。
どんなに心配したって、何の役にもたたないことを知っている。
最悪のケースに備えているつもりが、私はちっとも「今そのとき」を生きてこなかった。
だって大切な「今そのとき」を、心配することで使ってしまっていたのだから。
「また心配してるねー」ともう一人の私が言い、心配のエネルギーを信用のエネルギーに交換するイメージを思い描く。
自分を信用する、自分の人生を信用する、心配したい相手のことを信用する。
それしか、発生してしまった心配のエネルギーのやり場所がない。
この心配癖は母譲り。
その母は最近、ずいぶん心配しなくなってきた。
それは母が幸せだからだといいな、と思う。
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